弊社はカリスマダンサー林祐衣さんが初写真集『PALETTE』(講談社)を出版されたのを受け、ご本人にインタビューした。
質問者:ダンサーとして日本で1,2位を争うほどの御高名でいらっしゃいますが、はじめは保育士を目指していたそうですね。
林祐衣:私には親戚が多く、多くの親戚の子どもたちとふれあう機会が多くありました。また、純粋に子どダンス自体、小学校4年生から続けていたのですが、ちょうど高校二年生の時に、東京の先生が名古屋にワークショップで来ていただき、そこで初めて東京の先生のレベルの高さにビックリしました。ちょうど東京に行くときにダンスのレッスンを受けてみたら、「衝撃」と『楽しさ」を感じて、保育士になろうという気持ちより上回ってしまいた。そこからは東京に行き、保育士からからダンサーへとシフトチェンジしました。それまでは週一回のレッスンだったですけど、ダンサーなると志した後は、学校が終わったらレッスンに通うという日々に変わりました。
質問者:なぜ、ダンサーになろうと思ったのですか。
林:父がバンドを高校生時代にやっていたということもあり、音楽が好きで一日中、音楽が流れる家で育ちました。あと、小学生でピアノを習っていたので、自分の音感が身についたと思います。
ダンサーとして初めてやらせていただいたときは、ライヴでバックダンサーをやる役割でした。ナマでお客様のお顔を拝見しながら踊るというのがすごく楽しくて、それがやみつ気になりました。小学生の頃にダンスをやっていた影響もあるのかな、と思っています。発表会の時に踊って、お客様の顔を見て、聴衆が喜んでくれる。それがすごく楽しかったです。
質問者:上京してからは何をしたのですか。
林:東京に来てからは毎日スタジオに通いダンスの練習をしました。でも上京してからはすぐにお仕事があったわけではなく、バイトをして、レッスンをして、その後にまたアルバイトをするという繰り返しでした。とにかくそのスタジオに行ってレッスンのスキルをあげたいという気も持ちが強かったので、最初の1、2年はバイトをして、レッスンを受けるという毎日でしたね。
質問者:お客様の反応はどうでしたか?
林:純粋に一番楽しくて、「あんなにずっと笑顔でいられるなんてすごいね」という感想をいただいたりもします。自分自身が楽しくてお客様が拍手をしてくれるのを見ると、「ああ、ダンスをやっていて良かった」と思います。後は、見に来てくれた人たちの貴重な時間に関われるというのが出演側のエンタメの醍醐味です。観客の思い出の一部になると思うと、楽しく踊れました。
質問者:写真集のタイトルをPALLETEにしたのは、なぜですか。
林:パレットの上にいろいろな色がのっているように「明るくて元気」という私もいれば、初めて挑戦して大人っぽい雰囲気な私もあれば、逆に「自分の部屋でリラックス」している素の私もいればというように、いろいろなカラーの自分を出せたと思っています。
質問者:初写真集ですね。
林:初めての写真集なので緊張して、トレーニングに頻繁に通い体を鍛えて、「かっこいいね」と評価されたかったので、撮影でグアムまで行く前は毎日ジムに通っていました。食事制限もしたり、ストイックに過ごし、いままでで一番がんばっんじゃないかな……と思います。
撮影期間はグアムで4泊5日で、プライベートな時間もほぼなく、朝6時くらいからメークして、移動して衣装を着替えて、撮影に専念しました。
体作りはいままでのダンスの経験からなる筋肉と新しく鍛えた筋肉が自分にはあった。自分の中では、努力してつくった体と普段見せない素の部分の写真を出していますので、ぜひ楽しんでいただければなあ……と思います。衣装は、講談社の方から「ここまで多くの衣装を着た写真集はないね」と感心しました。
質問者:最後にファンへのメッセージをいただけますか。
林:今日初めて実物を見て、写真集が出たことに実感がわきました。講談社さんからお声をかけていただくこと自体、光栄なことです。こんな貴重な機会を得たなら、自分自身も全力で頑張って撮影に挑もうと思った写真集なので、多くの人に手にとってもらいたいし、読者にも特別な一冊になってくれたら嬉しいです。
コメントを残す