1985年のカンヌ映画祭・芸術貢献賞、製作は『ゴッドファーザー』『地獄の黙示録』のフランシス・フォード・コッポラと『スターウォーズ』のジョージ・ルーカス、監督が『タクシードライバー』の脚本でその名を轟かせたポール・シュレイダーの「日本映画」である。出演は緒形拳、沢田研二という当時のビッグネームの大スターに歌舞伎界の若手ホープですでに演技力が高く評価されていた坂東八十助(後の十世坂東三津五郎)、『サード』で注目された新人・永島敏行、佐藤浩市、大谷直子、大ベテランの名優として池部良、左幸子、加藤治子、李麗仙、織本順吉、さらに笠智衆までもが顔を揃え、若き日の三上博史や徳井優、塩野谷正幸、平田満、萬田久子、烏丸せつこらも、という超豪華キャストだ。俳優ではないが横尾忠則も出演している。
そんな超話題作となること間違いない映画がなぜ、最も話題を呼びそうな当の日本で公開されなかったのか?
ポール・シュレイダーの大野心作『MISHIMA: a Life in Four Chapters』はしかしそのまま、日本では幻の映画であり続けて来た。もう二十年以上前、シュレイダーが『白の刻印 Affliction』(1997年、アメリカ公開1998年、日本公開は2000年)のキャンペーンで来日した時にも、なんとか公開できないものかと動いていたそうで、筆者自身もインタビューで、その当時の最新作だった『白の刻印』以上に『MISHIMA』の話を聞かされた記憶がある。
数年前にも、今度こそ満を待しての公開か、せめて特殊上映は出来ないものか、興味を持ってくれた配給会社と相談し、シュレイダー監督にも打診したことがある。三島由紀夫の未亡人・平岡遥子が亡くなったのは1995年で20年も経っているし、当時の日本の総理大臣・中曽根康弘も2019年に亡くなった。もうそろそろ、いいのではないか、と思ったのだ。だがシュレイダー監督は「ありがたいが、難しいと思うよ」と言いつつ彼の方でもいろいろ問い合わせてくれ、日本側でもわかる限りは調べて打診もしてもらって改めてはっきりした現実は…
…そもそも公開できなかった理由が、製作当時でも今でも、まったく分からない。
状況はそのままで、何も変わっていなかった。これでは手のつけようがない。諦めるしかないと思った。
『MISHIMA』はなぜ日本公開が不可能になったのか?
巷間言われて来たのは主人公・三島由紀夫の未亡人・平岡遥子が許可しなかったのではないか、という説だ。
確かに脚本段階から必ずしも遺族との関係が良好なわけではなかったものの、しかし映画の製作そのものと、作品使用の許諾権については合意があって、正式に契約が結ばれている。夫人を巧みに口説き落としたのはコッポラだそうで、コッポラはこの時に『春の雪』の映画化権もオプション取得していた。
大人気作家の三島由紀夫、国際的にも圧倒的に注目され、若くしてノーベル文学賞候補とも囁かれる一方、戯曲も盛んに執筆し演劇界の寵児で芸能界にも進出、映画も脚本の執筆だけでなく出演、さらには短編映画『憂国』の監督主演までこなし、自分を撮らせた写真集までベストセラーに、というメディアを横断する大スターで文字通りの時代の寵児だった彼が、1970年11月25日、市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地(現防衛省)に立て籠って自衛官にクーデターを呼びかけ、割腹自殺を遂げた大ニュースは、日本社会に想像を絶するほどの衝撃を与えた。
大阪万博の年、日本は急激な高度成長から安定成長期に入り、「もはや戦後ではない」どころか戦争も戦前のこともほとんど人々の記憶から消えていた時代に、「天皇陛下万歳」を叫んで割腹自殺、である。介錯された三島の生首の写真も一部のメディアで報道され、その凄惨さが一層、事件の衝撃を増幅した。
このような死亡の経緯から、三島由紀夫は日本社会全般ではタブー視の対象となる一方で、右翼勢力のアイドルにもなった。11月25日は映画『憂国』にちなんで「憂国忌」と呼ばれ、右翼団体の集会が毎年行われるようになる。映画も撮影中からそうした右翼団体の過激な分子からのテロ攻撃を警戒していたし、公開したら劇場に街宣が詰めかけ暴力沙汰になる危惧があるので公開できなくなったのではないか、という推測も成り立つ。
1980年代といえば前後して、アメリカではこれもシュレイダーが関わった企画(脚本)だが『最後の誘惑』がキリスト教保守勢力の脅迫を受けて一度は製作中止、なんとか完成した映画も劇場の爆破予告の対象になったり、フランスでは『ゴダールのマリア』の上映劇場に放火の脅迫があったり、今思えば右翼テロリズムの国際的なブームの時代で、とりわけ標的になったのは映画だった。
とは言っても、米ドルで500万という総予算の半額は日本からの出資だったはずだ。当時のレートは1ドル240円弱、つまり日本側で6億円近い資金が動いていたはずで、なのに出資した映画会社とテレビ局が公的には出資していないことになったまま、撮影が進んだという。いかに三島自身の政財界に及んだ幅広い人脈を平岡遥子が引き継いでいたとしても、夫人の反対や右翼の脅迫だけでこんなことが起こるだろうか?
シュレイダー自身が当時耳にした噂では、市ヶ谷への乱入と自決の前に三島が結成したいわば「私的軍隊」の楯の会を支援していた「(製作)当時の首相のナカソネが」と関係があるのかも知れない。映画『MISHIMA』でも描かれるが、楯の会は富士山麓の自衛隊の演習場で訓練を受けている。これを許可したのがその当時の防衛庁長官、のちに総理大臣の中曽根康弘だった。まさか三島が自衛隊の司令部に立てこもって(ちなみに極東国際軍事法廷、いわゆる東京裁判が開かれたのと同じ建物)クーデター未遂の挙句に自殺なんて、中曽根氏も当時は想像すらしていなかったろうが、自衛隊の訓練施設と訓練を、いかに大人気作家とはいえ一私人の個人的な団体に解放してその武装化に協力するなど、60年代ならともかく80年代では大スキャンダルになりかねない。中曽根首相自身が動いたとは考えにくいにしても、いわゆる「忖度」が働いたとでも考えれば、6億からの資金の謎の動きの説明はつくかも知れない。だがむろん、まったくの憶測に過ぎず、シュレイダーも筆者のインタビューと、後に発売されたDVDの副音声解説(絶版)以外ではこの説は語っていない。
なおその約6億円の資金はそのまま、いわば「自由に使える予算」になった。ポール・シュレイダー自身が「『MISHIMA』ほど思うがまま、自由に作った映画はない」と言い切る結果になったのは、ある意味幸運だった––映画が公開できさえすれば。
「いや、センシティヴになりかねない観客の目を気にしないで映画を作れるというのも自由だ。こんな自由はその前にも後にもない」と、シュレイダーが2000年のインタビューで言っていたのは、その後も議論を呼びそうな映画の脚本を書き、自らも監督し続けた彼ならではの述懐だろう。
そもそも『MISHIMA』とはどんな映画なのか?
今となっては、もう「なぜ公開できなかったのか」を問うても意味がないのかも知れない。関係者は何も語らず亡くなるか、そもそも誰が関係者なのかも分からない。こうして真相が永遠に謎となることこそ、いかにも「日本的」なのかも知れない。
今はとにかく今年の東京国際映画祭で『MISHIMA』が40年ぶりに、三島由紀夫の生誕100年を記念して、撮影された当の国であり三島由紀夫の国である日本で上映されることを祝すべきであって、今さら「公開できなかった理由」を探ったところで意味があるとしたら、映画祭のスタッフ諸氏、特にプログラミング部門の根気強い調査と想像を絶するような忍耐力、緻密な交渉があったであろうことを評価するためだけだ。
シュレイダー自身が「いつかはできるだろうが私の生前ではない」と言っていた「夢」を実現したことだ。本人は「結局は、反対した誰よりも私が長生きした、ということなのかも」とフェイスブックに書いていた。
今本当に大事なのは、映画『MISHIMA』そのものを、映画としてきちんと見ることではないのか?
筆者自身も大スクリーンで見られるのは、美術デザインの石岡瑛子がコッポラ監督『ドラキュラ』でアカデミー賞を受賞した時に上映されて以来で、気が付けば30年以上が経過している。DVD、それにブルーレイで何度も見てはいるのだが、大スクリーンではまた新たな発見があるかも知れない。
いやブルーレイで見直してもその度になにか発見や気づきがある映画だ。たとえば(シュレイダー自身が意識したかどうかはともかく)、『三里塚』シリーズと山形県の牧野村(現・上山市)を撮った一連の大作ドキュメンタリー映画で知られる小川紳介と小川プロに対するオマージュまで含まれていたなんて、ごく最近まで思ってもみなかった(そのオマージュがどこにあるのかは後述)。
三島夫人の拒否で使えなかった『仮面の告白』と『禁色』
映画『MISHIMA』は縦軸の基本構造としては題名通り四つの章、「美」「芸術」「行動」「ペンと刀の調和」から成っている一方で、全体を貫くもうひとつの縦糸として昭和45年11月25日の朝から三島の自決までを、再現ドキュメンタリーのように生々しい手持ちキャメラと隠し撮りめいたショット(というかいくつかは本当に隠し撮り、これも後述)で追う。
この序盤の締めくくり、細江英公の写真集でも知られる瀟洒な洋館、というかほとんどキッチュな、ヴェルサイユ宮殿の小トリアノンを模したような三島邸を緒形拳演ずる三島由紀夫が出る時までがカラーで、キャメラが隣家の日本家屋の窓にたたずむ少年に近づくと、そこから今度はスタティックな構図の固定ショットのモノクロ映像で、三島由紀夫の幼少期が、その自伝的小説やエッセイを元に映像化される。
一見、常道というか定番にも思えるこの展開にまず、真っ先に映画『MISHIMA』の凄さ、その複雑な構造の端緒が、実は明確に現れている。
モノクロで語られる幼少期から学習院に進学、思春期に至るまでのエピソードは、裸体に矢が突き刺さった聖セバスチャンの殉教の絵に初めて性的な興奮を覚えること、男っぽい同級生に憧れて柵の上で取っ組み合いめいた手の押し合いをやることなど、三島の読者なら『仮面の告白』だとすぐに気づく。
だがこの自伝的小説で衝撃のデビュー作はあくまで小説つまりフィクションでもあり、題名にはわざわざ「仮面」とある。つまり本当に事実として三島の生い立ちなのかどうなのか、三島自身が意図的に曖昧にしていて、映画は確信犯的にその曖昧さを踏襲しているのだ。
英訳された三島のテクストをロイ・シャイダーが朗読するナレーション(日本版のため緒形拳のナレーションも録音されていた)が、映像で見せられることを補完していく。もちろんただの説明ではない。このナレーションのテクストについても、さらに映画を複雑化することが撮影に入る前の段階で起こっていた。
シュレイダーは当初、もちろん『仮面の告白』からの引用でこの部分を構成しようとしていた。三島の小説のうち『仮面の告白』『金閣寺』『禁色』、『豊饒の海』の第二巻『奔馬』と第四巻『天人五衰』、最後の随筆『太陽と鉄』を使おうと、三島家の許諾を求めたのだが、『仮面の告白』と『禁色』を使うことに遥子夫人が強行に反対したのである。第二章の「芸術」で取り上げられた小説が「芸術的」な純文学作品ではなく新聞小説、三島が意図的にスキャンダラスさを狙った娯楽小説の『鏡子の家』なのも、『禁色』が使えなかったから、である(そこで『鏡子の家』という発想には舌を巻く)。
『仮面の告白』が使えなかったので、幼少期から思春期にかけてのナレーションのテクストも実際には『太陽と鉄』の引用なのだが、三島という人の謎めいた複雑さ、そのトリッキーな自己演出として、あくまでフィクションだったはずの『仮面の告白』と創作ではないはずの『太陽と鉄』で語られる幼少期はほとんど変わらない。つまり自伝として書いた『太陽と鉄』そのものが巧妙なフィクションだったのかも知れず、それは三島本人以外には誰にも判別がつかないことだ。いや、本人にさえその区別がついていたのかどうかすら、我々にはもはや分からないのだ。
映画はこの事実なのかフィクションなのかの曖昧さ、三島という人そのものの、どこが現実で、どこまでが意図的な虚構なのか分からないことを逆手にとるように、モノクロ部分はあえて厳格な構図とスタティックな演出に徹し、シュレイダーが監督デビュー前に書いた映画批評書『聖なる映画 小津、ブレッソン、ドライヤー』で論じた三人の映画作家のスタイルを彷彿とさせる撮り方ながら、成人後の三島を見せるシーンはほぼ全て、その中身としては事実と確認できることの忠実な再現を試みている。
『仮面の告白』の聖セバスチャンの殉教と、細江英公の写真集『薔薇刑』で三島が演じた聖セバスチャンの殉教と
ひとつだけ、「これは違う」と異議が出たのは三島の写真集『薔薇刑』を撮影した写真家・細江英公からだった。
この写真集の撮影シーンも再現されているが、そこで緒形拳の三島が手を少しだけ動かし目線で無言のままカメラ・ポジションを指示している。細江によればそんなことは全くなく、三島は完全に細江に任せて被写体となることを楽しんでいたらしい。細江は「前もって私にアドバイスを求めてきたら教えてあげたのに残念だ」と言っているが、ここは細江のいう通りの演出だったら、この映画の提示する三島像はより複雑で魔性の、ほとんど悪魔めいたものになったかも知れない。
『薔薇刑』はどう見ても、三島が見せたい自分、撮らせたい自分を徹底して自己演出した写真集であり、そこでカメラ位置のコントロールを細江の自由に任せたということは、三島が自分のベストアングルまで意識してポーズを取り、細江は自由なつもりでいて被写体に操られていたということにすら、なりはしないか?
三島由紀夫の自己演出と演技がそこまでのレベルに達していたとしたら、では真実の三島由紀夫・平岡公威(本名)という男は、ほんとうはどんな人物だったのだろう?
『薔薇刑』の再現は「第二章・芸術」で小説『鏡子の家』とパラレルの中心的な要素となっている。写真集の印象的なポーズを緒形拳がことごとく再現するのだが、特に強烈なのが三島自身が殉教の聖セバスチャンを「演じた」恍惚の写真だ。「第一章・美」ですでに我々は少年の性のめざめのシーンとして、画集の中の聖セバスチャンの、矢が無数に突き立った恍惚の裸身を見ていて、否応なくその映像の記憶が緒形拳の聖セバスチャンの恍惚に重なり、そこがさらに裸身の沢田研二が自らの身体を覆う傷と痛みに恍惚とすることへとつながる。
映画としての構成はあくまで知的で冷静、しかしそこで見せられることは極めて挑発的だ。『禁色』は使うなと言ったはずの未亡人の平岡遥子氏から見たら、これは裏切りに思え、騙されたと怒って態度を硬化させても、日本的に言えばやむを得ないところがある。これは西洋と東洋のコミュニケーションのあり方の違いと達観してしまうこともできるかも知れない。
つまり『仮面の告白』と『禁色』は使ってはならないというのは、遥子氏としては「同性愛には触れるな」と伝えたつもりだったのだろうが、欧米の契約社会では明記しなければ守ることはできないものだ。
『鏡子の家』のテーマはサド・マゾヒズム、肉体を傷つけることの性的恍惚をスキャンダラスに描いた小説で、沢田研二が愛人の李麗仙に全裸で殺されて恍惚となるのがラスト、というのは同性愛以上にスキャンダラスに思えるし、そのマゾヒズムは細江英公の写真で三島が自ら聖セバスチャンの殉教の恍惚を演じたことに明らかに通じるのが、そこは三島家にとって問題ではなかったらしいのだから、逆に同性愛のテーマの拒絶はそれだけ大きかったことになる。
ところが『薔薇刑』の聖セバスチャンの殉教から『鏡子の家』のサド・マゾヒズムのクライマックスへ、という映画の映像の繋がりと当時30代半ばから後半だった沢田研二のまだ十分に若く美しく、しかし爛熟したような裸の肉体に刻まれる恍惚の傷は、相手役が女性だろうがお構いなく(というかそれが李麗仙であることも含め)、強烈な同性愛的エロティシズムを発散する。
この鮮烈な同性愛的エロスを嫌がったのは遥子夫人だけでもあるまい。三島が活躍した時代には丸山明宏(美輪明宏)やピーター(池畑慎之介)のような両性具有的なトランスジェンダーのスターも一世を風靡したが、80年代の保守派や右翼が国粋主義の理想像として持ち上げようと思った三島のこのような姿を、そう簡単に許容するとは思えない。
徹底再現と「『天皇』という名のジョーカー」
シュレイダーの側から見れば、だからこそ、という面もあったのか、「第二章・美」から先ではモノクロで見せられる三島の生涯は、撮り方こそスタイリッシュでスタティックながら、内容はほとんど忠実な再現ドキュメンタリーになっている。
ゲイ・バーで若い男性と踊るシーン、若い男性の愛人との自らの肉体のひ弱さをことさら貶めるような自虐的な会話など、想像で書くことは許されなかった。すべて事実に基づかなければ、「事実に反して名誉毀損」と訴訟になりかねない、というのが契約書と法律を盾とする西洋的というかとりわけ英米的な、平岡家からの反発への対処法となったわけだ。
こうした徹底再現の中には、ごく近年までこの映画が日本人にとって貴重な「間接ドキュメント」となって来たシーンもある。
三島由紀夫が東大の学園祭で全共闘との討論に呼ばれたことは当時は大いに話題になり、東大全共闘に呼ばれたTBSの取材班が撮影していたが、三島の死後この映像はほぼ門外不出になっていた。公に禁忌が解かれたのは割腹事件から50年経った2020年、編集されて映画『三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実』として公開されたが、実はシュレイダーと緒形拳たちはこの映像を見ていた。
「つまり僕と君たちは同じことを考えているんだ。だが僕には君たちにはないジョーカーがある。それは『天皇』という名のジョーカーだ」
三島のいわゆる「右翼思想」の本質を伺わせるこの言葉を知る手段は、長らくこの映画『MISHIMA』しかなかった。他でも確かに、三島が自分が右翼になったのは、左翼がすでに著名人だらけだったから、という主旨のことを口にしていた事実は知られて来た。しかし「『天皇』という名のジョーカー」ほど深く謎めいて、かつ挑発的で本質的な言葉は他にないし、三島由紀夫を考えることに留まらず、「天皇制」とは何かを考える上でも極めて重要な発言だ。
このシーンは「第三章・行動」で、血盟団事件の若きテロリストをフィクション化した小説『奔馬』の映画化と併せて出て来るので、否応なしに三島がなぜ戦前の天皇主義右翼のテロリズムを一見美化したような、一見ロマンチックに読める小説を書いたのかについても、より考えさせられざるを得ない。このように映画『MISHIMA』はあくまで冷静で論理的でありながら、いやだからこそ、できれば考えずに済ませたい、そこをスキップすれば一応は納得できる結論に辿り着けそうなことに気づき、考えるように観客に要求し続ける映画でもある。
全共闘との討論シーンはTBSの記録映像を元に徹底した事実再現を試みたものだ。緒形拳の言葉の抑揚まで三島そっくりに再現していて、なのにまったく自然で生き生きとして本物の三島以上に魅力的、ほとんど学生たちを誘惑しているかのように見えるのは、緒形拳のとてつもない演技力の証左でもある。
なお小川紳介と小川プロについての「オマージュ」はこのシーンにある。後ろの黒板に大きく「1:30〜 三島由紀夫対東大全共闘」と書かれたその下に、「小川プロ三部作上映会は201号(教室)ですが時間は調整中」とある。単にそこまで事実を徹底再現したのであって、オマージュとして意識されたものでもないのかも知れないが、三島由紀夫にフォーカスすると忘れがちな時代の空気、当時が新左翼全盛期で、その中で三島があえて右翼国粋主義をいわば「演じていた」ことを示唆する上で重要なディテールだろう。
万華鏡のように謎めいて、見れば見る度に新発見がある、その複雑なナラティブ体系
話が前後してしまったが、改めて映画『MISHIMA』の構造を説明しておく。1970年11月25日の朝から三島の最期までを手持ちを多用したドキュメンタリー・タッチで追う縦糸(しかしそこは撮影監督が名手ジョン・ベイリーで、キャメラ・オペレーターは日米で活躍する後の撮影監督・栗田豊通、リアリズムに徹しながらもデリケートな照明はとても美しく、手持ちでも構図に隙や粗雑なところはまったくない)に、モノクロの主に固定ショットで再現される三島の生涯と、さらに三島の小説自体の映像化を組み込んだのが、この映画の基本的な構造だ。
端的に考えるなら作品とは作者の人生とその個性の反映という考えで、それぞれの小説の主人公は大なり小なり作者の分身、というロマン主義的な解釈の映画でもある。
「四章からなる人生 a life in four chapters」という題名の通りの四つの章の区分けは、以下のようになる
第一章・美 小説『金閣寺』(出演 坂東三津五郎、佐藤浩市、笠智衆、萬田久子)
第二章・芸術 小説『鏡子の家』(出演 沢田研二、左幸子、李麗仙、平田満、横尾忠則)
第三章・行動 小説『奔馬』(出演 永島敏行、勝野洋、池部良)
第四章・ペンと刀の調和 エッセイ『太陽と鉄』(「1970年11月25日」と併せて出演 緒形拳、塩野谷正幸、三上博史、徳井優、織本順吉)
(なおモノクロの伝記パートの出演は、加藤治子、大谷直子、利重剛、小林久三、他)
小説の映画化部分のデザインに起用されたのが石岡瑛子だ。当時商業デザインの世界でPARCOなどの斬新な広告を次々に発表していた石岡が製作陣の目に止まったのは、コッポラの『地獄の黙示録』の日本公開ポスターだった。
現実の再現となるシーンの美術は1960年代から東宝美術部で活躍する竹中和雄(代表作に『その場所に女ありて』’62など)が担当した一方で、石岡には映画美術の経験はまったくなく、そこが逆にシュレイダーとコッポラの狙いだった。映画に必要なリアリズムというか、一応は現実的にありえる空間世界から解き放された観念的で抽象化され、美的に完全にコントロールされた世界。『金閣寺』の原作では主人公・溝口が想像する完璧な美としての金閣と、現実の経年劣化も激しく金箔がはげ落ち、軒先が屋根の重みで垂れ下がってしまうのを柱を増設して支えることで辛うじて建っているようなみすぼらしい金閣の相剋が重要になるが、石岡のデザインはこの後者をあえて排除し、金閣が金に輝くだけでなくその空間までも、尾形光琳の金碧屏風にインスパイアされた金箔張りで埋め尽くし、金箔貼りのスタジオの壁には緑青で北山が描かれる。
セットは全て可動式で、移動のレールまでわざと目立たせてまで、人工性と様式性が強調され、レールに沿って大道具が移動することで場面転換がワンショットの中に展開する。『鏡子の家』で横尾忠則が登場するのは街頭の屋台のシーンだが、中央の屋台は回転台に置かれ、それが別の回転台に載せられてその回転台を通行人に擬したエキストラが歩き、二重の回転台が異なった回転速度で回っていて、キャメラはその二重の回転の外からシーンを捉えている。
『金閣寺』のテーマカラーは金、『鏡子の家』ではピンクとグレーと紫が沢田研二の両性具有的なエロティシズムを際立たせ、そして『奔馬』は白と黒に日の丸の赤が映える。血盟団をモデルにした学生たちが石上神宮で決起を約するシーンは白砂を敷き詰めてホリゾントに夜明けの空を描き、実際の石上神宮とはまったく形式が異なる出雲大社のような古代の様式のミニチュアの社殿を画面奥にすえて、遠近法を逆手にとって遠景を小さく作って広さを誇張するという映画でよく使われるトリックの種明かしのようなセットを組み、極め付けは手前に巨大な鳥居を斜めに建て、半分を白砂に埋もれさせている。
商業広告のデザインでは、売り込むべき商品の魅力やコンセプトをいかに記号化して視覚的に印象的なレイアウトとして提示するかが問われるが、石岡はその発想を大胆かつ挑発的に映画のナラティブに組み込んでいるのだ。『金閣寺』なら美という意味づけを金というまばゆく不変の色とその輝きに持たせ、主人公・溝口が性的エクスタシーに金閣の完璧の美を重ね合わせ恐れ慄く重要なシーンでは、まばゆい金の金閣が真っ二つに割れるとその断面は純粋な金箔張りの平面だ。『奔馬』の日の丸、神社、鳥居、白砂といったビジュアル記号の意味するところは、今さら言うまでもあるまい。
しかもその創造の世界の全てが可動式のセット、つまり厳然たる超越的な「美」にして厳密に構築された記号の体系でありながら、すべてが儚く移ろいゆく。
広告デザインにインスパイアされた記号性の表象で迫る、三島文学の根幹
煌びやかで時にグロテスクなまでに強烈な色彩にあふれた小説の映画化部分がこうも人工的で様式化されているのは、単に現実とフィクションの対比という単純な効果を狙っただけではない。三島由紀夫という小説家の作品の本質を、実は抉り取ろうとしたものだ。
全てが記号性に還元されながら、その意味性が記号に与えられた元の意味づけを超越していくのは、三島の小説のうち『潮騒』以外のほとんどに見られる基本的な構造であり、人物たちもまた記号性とその意味を背負って行動しながら、記号の求める論理的で理知的な行動原理を突き詰めることで逆にそこから逸脱して破滅や悲劇、ないし自己解放へと向かっていく。
『金閣寺』なら主人公は吃音の障害という自らの背負った記号を醜さと意味づけて、完璧な美の記号としての金閣に苛まれる。『鏡子の家』の沢田研二の匂い立つようにエロチックな身体ですらそれは「美」と「エロス」と言う記号の表象であり、その身体が傷つき記号性が損なわれることに三島の物語は恍惚を見出す。そして「愛国」「純粋さ」「日本」「男らしさ」の記号としての『奔馬』の若きテロリストたち。
この三者をそれぞれに、作者・三島由紀夫の分身のように見せつつ、しかしその三島由紀夫自身が自らが巧妙に創り出した虚構の記号性ではないのか、と言う疑念の余地を常に提示し続けるのがポール・シュレイダーの戦略であり、そこで石岡瑛子の創造した極度に人工的な空間と、竹中和雄による現実の日本の忠実な再現としての、三島が三島を演ずる舞台装置であるリアリズムの空間が、お互いを鏡として反射し、投影しあっている。
この論理的に考え尽くされながら論理をも逸脱した醍醐味は、やはりビデオでは理屈としてしか体感できない。そのためにもこの映画はやはり一度は、日本で大スクリーンに投影されなければならなかった。
「事実の忠実な再現」のストイックさでこそ奔放に花開くシュレイダーの作家性
自由奔放に色彩と虚構性の様式美に戯れる石岡瑛子デザインと対比して、現実パートの再現にはいくつもの困難はあった。細江英公が撮った三島邸にそっくりの洋館も、当時の三島邸にはまだ遥子夫人と子供達が住んでいたのでロケができず、外観は完璧に再現されたもので、室内は実は東宝スタジオに組まれたセットだ。「1970年11月25日」の三島邸から市ヶ谷までの道程は、生き残った楯の会メンバー(三島の愛人とも言われた森田必勝も三島を介錯した後に割腹自殺したが、他のメンバーは生存)の証言に基づき実際の東京の街路や高速道路で撮影されていて、市ヶ谷の自衛隊駐屯地の入り口と、ゲートを入ってしばらく進む白い車は隠し撮りだ。
市ヶ谷での実際の撮影は当然ながら許可は出ず、かといってあまりに日本の歴史上重要な記号性を持つ建物であるので無視もできず忠実に再現するしかないが、セットとして組むなら予算が跳ね上がってしまう。同時代の帝冠様式の建築で、同様の植民地時代の建物が韓国や台湾にも残っているため、一時は韓国でのロケも検討されたという(そうなると三島を野次る自衛隊員は韓国人、となっていたかも知れない)。撮影されたのは竹中和雄のチームが福島県郡山市で見つけた県の分庁舎の建物だった。ファサードのレリーフなどは映画のために増築され、春の連休を利用した撮影だったので11月の事件の再現のために桜の花を摘み取ったのだそうだ。
立て籠もり事件も詳細に証言や記録が残り、このパートは擬似ドキュメンタリー・タッチで手持ちを多用した演出でもあって、ほとんどの構図は実際の報道写真やニュース映像を参照して決めた、とシュレイダーは言っている。つまりここでも、フィクションの、劇映画でありながら作り手の創作の余地はほとんどなかったことになる。
異なった文化圏で映画を作る、外国人が外国語で書いた脚本を翻訳して演じると言う制約の中では、賢明な選択ではある。結果としても『MISHIMA』には、外国映画が撮った日本にありがちな不自然さはまったく感じられない。セリフも一言一句、ほぼ現実に発せられた言葉の通りなのと、当時の日本でも最高レベルの俳優たちを集めたキャスティング、その演技力の賜物でもあろう。
こと緒形拳の演ずる三島由紀夫は、身体的にまったく三島に似ていない(シュレイダーが最初に考えていた主役は、兄で共同脚本のレナード・シュレイダーが脚本を書いた『ザ・ヤクザ』の高倉健だったという)上に裕福な上流階級の出身の役に向いているとはおよそ思われていなかった俳優でありながら、凄まじい演技力で三島由紀夫になりきっている。
だがそれでも、そんなにリサーチした現実の忠実な再現なら、どこに作り手のクリエーションの余地があるのか? ただ三島の人生の何場面かを忠実に再現するだけなら、それが「映画」になるのだろうか? そもそも「映画」とはなんなのか、「映画的」とはどういうことなのかを、映画『MISHIMA』は我々に問いかける。
いや忠実な再現でもこれだけおもしろく、謎めいて引き込まれるんだから、これは間違いなく映画だ、というバカ単純な答えもあっていいし、逆におもしろくて引き込まれて見せられる、その三島由紀夫という存在そのものを受け入れられない観客が、今の日本にもいることは、当然ながら想定される。
それは当たり前のことでもある。三島由紀夫とは何者だったのか? リアルタイムにその存在を見ていた世代にはもてはやされたが、その過剰なまでの自己演出、エキセントリックな人間なのか演じていただけなのかも、実は誰にも分からない。
未亡人の平岡遥子が三島のイメージを守り続けようとして、この映画についても半信半疑、やがて反発に至ったのは、もしかしたら彼女にも夫がよく分からなかったからなのではないのか? 彼女が守り続けようとしたのは作品としての三島であり、その作り手たる三島自身に関わるほとんどあらゆることを隠蔽するのが、自らに課した役割だったように思える。
没後55年、今なお読者を誘惑しつつ理解不能な謎であり続ける三島由紀夫
そして死後、その死に方の理解不能なショッキングさ故に、三島由紀夫の小説は読まれ続けて今に至るまで多くの世代の共感を呼びながら、三島本人が何者だったのか、日本人が世界的に最も有名な小説家について共有できる人物像、作家像はいまだに存在しない。
その意味では、この映画もまた外国人がみた三島像、で片付けてしまう方が楽だろうし、現に図式としてはその通りでもある。
ポール・シュレイダーのフィルモグラフィの中で『MISHIMA』は『タクシードライバー』の主人公の自殺願望ないし自己破壊願望、ヒロイックな死を自ら演ずることで自らの存在を終焉させようとする人物像に位置付けられるし、同じテーマは完璧な肉体美を追求することで男娼としてのアイデンティティの確立を目指す『アメリカン・ジゴロ』のリチャード・ギアにも共通する。自分のひ弱さへのコンプレックスから三島が肉体改造のボディビルに熱中し、やがて武道の鍛錬に至る過程は、特に「第二章・芸術」の重要なテーマだ。言い換えるなら三島の追求した芸術は、自らをその肉体とセクシャリティも含めて芸術作品とすることだった、とも言える。
ポール・シュレイダー自身は同性愛者ではなく、女優のメアリー・ベス・ハートと長年連れ添って来ているが、同性愛、男性の肉体に惹かれる男性性のエロチシズムは『迷宮のベニス』のような映画にも見られる重要なテーマのひとつで、イエス・キリストを主人公とした『最後の誘惑』ですら、脚本段階からイエスとイスカリオテのユダが肉体的にも惹かれ合う過程が描き込まれ、映画では少女になっているがイエスを十字架から解放する天使が脚本ではアラブ人の少年で、「キリストを同性愛者に仕立てようとするハリウッド」とキリスト教右派から非難を浴びる言いがかりのひとつになった。
シュレイダー自身にとって同性愛への関心は、自分が育ったカルヴィン派プロテスタントのキリスト教の呪縛からの解放のためだったという。性を罪悪視するあまり肉体そのものとその官能性すら否定しようとする教義に縛られた自我が崩壊しそうになった時、ゲイ・クラブに通って同性愛者と付き合い、裸になって踊ったりすることで自分を解放しようとしたという、その自伝的な体験は、『MISHIMA』における『仮面の告白』を想起させる一連のシーンに色濃く反映されている。
監督が同性愛者ではなく、緒形拳がおよそリチャード・ギアのようなゲイ受けする俳優でもないのに、男性のエロチシズムの表現も含めて『MISHIMA』はゲイ映画の傑作として見る観客もいるだろう。未亡人からの要請と激しい反発にもかかわらず、同性愛の要素がこの映画にとって極めて重要な要素なのは、沢田研二だけでなく『奔馬』の永島敏行の撮り方をみても間違いないし、そこが今もなお、日本の観客の一部からは受け入れ難いという反発を引き起こすかも知れない。
だが同性愛もまた、この映画の一要素でしかないし、この映画に強烈なインスピレーションを与えているベルナルド・ベルトルッチの『暗殺の森』(特に『金閣寺』に、明らかに『暗殺の森』を模倣したショットがある)のように、自らの同性愛を自覚し受け入れることの葛藤は三島由紀夫にも見られるにしても、『暗殺の森』と違ってセクシャリティの自覚が三島にとってのなんらかの解決になぞなりもしなかったことは、その問題なら「第二章・芸術」で一応の解決を見ていることをとっても明らかだろう。
同性愛は三島という人格を形作った一要素でしかないし、この映画を見ているとそれすら三島が自分自身について作り上げた虚構、演じられた自分なのではないか、とすら思ってしまう。
同性愛はひとつの例に過ぎない。映画『MISHIMA』が「外国人のみた三島由紀夫」あるいは「外国人のみたエキゾチックな日本」に決して留まらないのは、この映画が決して答えを出そうとはしていないからだ。「三島由紀夫とは何者だったのか?」死後55年経ち、その小説が読み続けられても、我々日本人はその共有できる解答を持ち合わせていないし、シュレイダーもその解答を、少なくとも言葉に還元できるレベルでは準備していない。
ここにこそ、自分の創作意欲を封じ込めんばかりに事実の忠実な再現に徹したシュレイダーの映画作家としての作家性がある。
三島自身が語った巧妙に創作された虚構かも知れない三島と、三島が自らを演じた三島、現実にそうであった三島の忠実な再現と、極度なまでの様式化でその物語構造の記号的な論理性と論理からの逸脱によって形成された三島文学の骨格をあぶり出しにした小説の映像化部分を並列させ、組み合わせ、映画の中でしか存在し得ない映画的時間軸の中に提示することで、我々の眼前には三島由紀夫という謎めいた人物の総体が浮かび上がる。その全体像が死によってこそ完成するのは、三島が自らの人生と命をこそ究極の芸術作品にしようとしたからだ。
それが出来たのが外国人、それも論理にがんじがらめなキリスト教プロテスタントのカルヴィン派に育てられ、意識的に自らをその枠から解放しようとする行為こそが映画作りだったポール・シュレイダーだったことは興味深い。
なぜならほとんどキッチュな西洋趣味とすら言いたくなる三島邸を見ても気づくことだが、戦後の日本を代表するこの文学者は実のところ、すべてが曖昧な情緒に還元されかねない日本社会には場違いなほど、論理的で西洋的な意識の持ち主だったからだ。それは彼の小説の極めて計算された言葉遣いから論理的な必然性で進む物語構造に至るまでに、はっきり現れている。
その意味で、三島由紀夫は極めて非・日本的な日本文学者だ。近代化イコール西洋化だった日本の近代とその残滓としての戦後・現代の我々にとって、この三島の非・日本性こそがある意味、現代日本の矛盾そのものでもある。
我々の大多数にとってその東洋と西洋の矛盾は、いかにも「日本的」な情緒性と曖昧さとして表出し、三島夫人が『仮面の告白』と『禁色』は使うなと言ったことが好例だが、多くが言外の言のうちに「なんとなく」伝達され処理される。三島由紀夫の場合はそこが真逆に、厳格なる論理性の言語化こそが三島の信じた三島自身なのではないか? なればこそ、三島はあの死に方を選んだのかも知れない。
なぜなら、その死は実のところ、彼が小説で言語化した死に方そのものの忠実な再現だったではないか。
{上映情報}
東京国際映画祭2025・日本映画クラシックス・生誕100年 三島由紀夫特集
MISHIMA
ヒューリックホール東京
10/30 [THU] 11:50- (本編122分)
チケット 10月18日(土)10:00より 発売開始
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