ヴェネチア国際映画祭 金獅子賞受賞『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』映画評 by 藤原敏史・監督

ヴェネチア映画祭の最高賞を穫った初のドキュメンタリーとの触れ込みだが、最初からあまりドキュメンタリーに見えない。冒頭の救急搬送の救急車以外は、プロの我々なら事前に演出しなければ撮れないシーンだと技術面ですぐ分かるだけでなく、一般の観客でも直感で気づくだろう。監督がそれぞれに何ヶ月もじっくりつき合って準備したという人物たちは、それぞれに自分を演じているし、邸宅と、時に自分達自身さえレンタルして生活費を稼ぐ没落貴族や、女装した中年…いやすでに初老の男娼など、彼らの人生自体が演技でもある。

舞台はローマの環状線 この曖昧な境界で

自分の人生を演じる人たち

世界最古の歴史都市のひとつローマだが、舞台はそれを取り囲む環状線、つまりローマとその外の境界だ。かつて『フェリーニのローマ』は、この環状線を疾走するバイクの一群がなにもない闇に消えて行くシーンで終わっていた。明らかにローマの端、歴史都市が終わるところに見えた場所は、40年経った今、その外にも無秩序な都市空間が漠然と広がり、環状線は交通渋滞ばかりしている。もはや境界に見えないこの曖昧な境界で自分の人生を演じる人たちの断片もまた、環状線と同様にぐるぐる廻るだけで、どこかに進む気配がない。都市ローマもまた20世紀の終わりに、ローマ帝国の古代以来常にどこかに進んで来た運動を止め、ただなんとなく存在し続け、ただなんとなく膨張しているのだ。

ひとつ完全にドキュメンタリーとして撮られ、なんの説明もないだけに強烈な印象を与えるシーンがある。恐らくはなにかの拡張工事で撤去される納骨堂式墓地の、戸棚状の遺体収容庫から、棺が次々と引き出される。鉛の封印が破られ、ミイラ化した遺体が現れ、新しい棺に移し替えられる淡々とした作業。そして新たな棺は、遥かに郊外のなにもない平野に運ばれ、機械的に埋められて行き、大量生産の簡素な十字架が立てられる。元々この都市の境界の、外の世界と接する場にあった墓地がより外に移され、歴史感覚を喪失した都市の、成長ではないただ曖昧な膨張は、今は周囲になにもない新墓地にもいずれは到達するのだろう。

「ありのままの現実」でも

「作られ、演じられた物語」でもない

現実の人物でも、自分自身をキャメラのために演じているという意味で、この映画の個々の断片は劇映画だ。墓地移転のシーンですら、これは繰り返しの単純作業で事前に計算が可能なので、固定ショットで順序立てて撮られ、いわゆるドキュメンタリー・タッチではない。だが個々の断片まで行けばそれぞれに劇映画に他ならないこの映画の全体は、紛れもなくドキュメンタリーであり、劇映画、ないし物語映画とは決して言えない。現代映画においてこの差異は、「ありのままの現実」か「作られ、演じられた物語」という単純なものではなく、自分を演じている自分を演じるのは単にフィクションの層がひとつ増えるだけだ。

映画のキャメラが捉えるのは空間、映像だけでなく、ショットが持続する時間でもある。この映画ではその時間のあいだ人物たちは演じているが、その時間性は(恐らくは意図的に)あえて演出はされておらず、映るのはただ機械的な時間の経過だけだ。劇映画ならば時間を演出し、人物とそのアクションをどこかに向かわせることで劇として成立するのだが、そのどこかの方向に進んで行く時間性はこの映画の個々のシーンからも全体の構成からも排除されている。人物たちは自分の意志でどこかに向かうアクションはせず、ただいつもと同じことの再現をアクトしているに留まる。

どれだけ演じられていようが、

これは現状についてのドキュメンタリー

現状を見せるための証言者ないし媒介として人物がいるのがドキュメンタリーなら、フィクションとは状況に対し人物がなにをするのかを見せ、そのアクションからその人のなんらかの真実が浮かび上がるはずだ。だがこの映画はちょうど環状線のように、自分のいつもの生活をアクトする人物たちの間を移動していくだけで構成されている。だから個々のシーンはどれだけ演じられていようが、これは現状についてのドキュメンタリーであり、またその形式でなければ、この映画が伝えようとしている現状は見えて来なかっただろう。通常のドキュメンタリーの手法であるインタビューですら、「自分を語る」という行為は能動的なアクションであり、フィクション映画的な要素になってしまっただろう。

ではこの映画が伝えようとしているのはなんなのか?停滞してただ循環するだけの環状線の時間は、どこにも向かわずにただ都市の曖昧な周縁をまわり続ける。その人たちはただそこにいて同じ日々を繰り返し、気がついたらいなくなっていることで、いずれその死に気づくのだろう。だが死んでいないでそこにいるからといって、彼らが「生きて」いるかどうかも分からない。もしかしてこの環状線の周囲の空間は、あの納骨堂式の墓地のようなものなのかも知れない。人も遺体もただそこにいる。停滞した都市の曖昧な膨張で、忘れられた頃に、彼らはどこかより外側へと移転させられて行く。

第70回ヴェネチア国際映画祭

金獅子賞受賞(2013年)

8月16日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか
全国随時ロードショー

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