岐路に立つアメリカ大統領選挙の真の争点は、資本主義がこのままでいいのかである by 藤原敏史・監督

大統領選の予備選挙が始まり、アメリカ政治は2008年にバラク・オバマが選出され、「チェンジ」に期待が集まっていた当時には思いも寄らなかった事態に、様々な意味で突入している。巷間もっとも話題を集めたのはまず、目立った候補がいないと言われて来た共和党側でドナルド・トランプがいきなり出馬し、アメリカ政治のプロからはキワモノの泡沫候補と冷笑されたはずが、想定外のトップ支持率を集めていることだった。

だが候補者選び予備選挙の初戦アイオワでは、そのトランプがこれまた想定外の敗退で共和党の第二位に終わった。だからと言ってそのトランプの過激な人種差別発言などを危惧して来た国際社会が安堵できるわけでもない。第一位に躍り出たのは共和党内でも異端児の、極端な反オバマ強硬派で宗教右翼、むしろトランプ以上に過激かも知れないテッド・クルーズだ。筋金入りの銃所持擁護派で強硬な妊娠中絶反対論者、主な支持基盤はティーパーティーと呼ばれる草の根宗教保守運動で、自身は父親がヒスパニック系(亡命キューバ人)とはいえ、かなり頑迷な排他主義や外国敵視、経済的には保護主義を標榜して支持を集めて来た。ティーパーティーのアイドル的な存在だった前回の大統領選の共和党副大統領候補サラ・ペイリンはいち早くトランプ支援に動いて来ているが、そのトランプ旋風が多分に一時的な流行めいた熱狂に終わるとしても、その話題性が以前からある草の根極右勢力を掘り起こし、自信を持たせ、クルーズ候補をトップに押し出したとも言えよう。

対する民主党の側では、これまで共和党に目立った候補もいないし次も民主党の大統領だろうと言われ続けて来たところへ、副大統領のジョー・バイデンが不出馬を表明し、いよいよ初の女性大統領の誕生がお膳立てされたはずのヒラリー・クリントンが、国務長官時代に職務に私用のメールアドレスを使っていた問題くらいがアキレス腱と思われていたのが、気がつけばバーニー・サンダース上院議員に肉迫されている。アイオワ予備選でクリントン陣営は一応勝利宣言を出したものの、アメリカのメディアでは軒並み(クリントン支持を表明しているニューヨーク・タイムズも含め)Virtual Tie, 事実上の引き分けと報道した。

74歳とは思えぬ精力的な活動でとくに若年層の支持が厚いとされるバーニー・サンダースは、この予備選挙を受けて力強くこう宣言した―「ここに始まったのは、政治革命だ」

目立った争点がないと思われて来た大統領選

つい数ヶ月前まで、次の大統領選挙はよくも悪くも争点がない選挙だと言われて来た。もちろんリベラル対保守、福祉国家か小さな政府か、移民や女性やマイノリティに寛容で多様性を重んじるかどうか、銃の所持や妊娠中絶の規制といった、民主党と共和党の伝統的な対立点はあり続けて来たが、オバマ政権下でリーマン・ショック後のアメリカ経済は一応の順調な回復を見せ、雇用統計も良好で、中央銀行にあたるFRBがついに念願のゼロ金利からの脱却を決定できたほどだ。つまり経済政策は、オバマ政権の推進するTPPに共和党保守派を中心に保護主義の観点での反発が出ている以外は、目立った争点にはなりそうになかった。

外交安全保障でも、オバマ政権のイラク撤退やシリア内戦への不介入が結果として中近東情勢の流動化、イスラム国の台頭や、シリアを中心に激増する難民といった結果も招いているにせよ、共和党保守派でさえ地上軍を投入しての本格介入など、とても公約できない。クルーズやトランプはイスラム国支配地域を絨毯爆撃しろ的なことも言ってはいるが、現実の戦争のやり方としては無論あり得ないブラフに過ぎない。また共和党と言えどもイスラエルで迷走と過激化に突っ走るネタニヤフ政権を全面支持するとはさすがに言えそうになく、対するオバマや民主党でもそのネタニヤフを切り捨てパレスティナ独立に積極的に動くとまでは言えない。民主党内の良識派がエジプトの軍政独裁やサウジアラビアの封建独裁をアメリカが支援し続けるのは問題だと思っていても、それらの国との関係を根本的に変えることもまた、今のアメリカにとっては不可能だと思われて来た。実のところ、今後の世界秩序の行方について、現状のアメリカ政治が新たに決断できることはほとんどなく、大統領選挙での対立点にもなりにくい。

外交で民主党と共和党で賛否が分かれそうなことと言えば、イランの核開発をめぐる合意の扱いぐらいで、キューバとの歴史的な国交回復と和解路線ももはや不可逆的なものだし、たとえば日本にとっては最大の関心事となりそうな対中外交姿勢や北朝鮮の核問題では、どちらの陣営で誰が勝とうが、大きな変化にはなりようがない。共和党にはまだ、一応は共産主義国家である中国への警戒感は根強いとはいえ、その中国が米国債の最大の保有国だし、アメリカの消費者や小売業は中国からの安価な輸入品への依存度が高いだけでなく、アメリカでもっとも成長が望めるIT産業の多くが中国国内の工場を生産拠点にしている。しかもメディアやエンタテインメント産業を中心に、中国とその周辺諸国は今後の有望な巨大市場だ。ロシアのプーチン政権に対しても、共和党になっても今のオバマ政権の方針以上に強硬姿勢に出ることは考えにくいし、クルーズやトランプであればどちらも基本アメリカ国内優先の保護主義、孤立主義の傾向が強いし、ウクライナ問題をめぐるEUとの協調がむしろ難しくなることくらいしか想定出来ない。

そして海外からみれば経済や外交安全保障がどうなるのかにいちばん関心が向くのは当然としても、アメリカ国内でみれば最大の争点は、同性婚の禁止を連邦裁判所が違憲と判断した今では、妊娠中絶の是非と、銃規制になりそうに思えて来た。

反ワシントンDC政治、既存の政治への不信の潮流はどこから来たのか

言い換えれば、民主党でも共和党でも、ワシントンDCから見えるアメリカ政治の現実的な枠組みを前提に働くプロ政治家にとっては、その枠内でさほどの選択肢の自由もなく、新味も出しにくかったのが今回の大統領選のはずだったし、その争点のなさが有権者離れにつながりかねないほどだった。一年前には民主党がヒラリー・クリントンつまり元大統領夫人、共和党の本命がジェブ・ブッシュつまり前大統領の弟で元大統領の息子というのでは、エリート同族政治に飽き飽きすると言ったような論評すら多かったことが、今となっては嘘のように思える。

共和党本流の候補だったはずのジェブ・ブッシュは気がつけばまったく影が薄くなり、アイオワ予備選挙でも最下位だった。今後共和党主流派の候補は、上院の外交委員長も務める(日本の安倍首相訪米時の議会演説を歴史問題で厳しく批判もした)マルコ・ルビオに絞り込まれそうだ。

そのルビオ議員も両親が亡命キューバ人移民の二世だ。

白人エスタブリッシュメントのブッシュ家が消え、保守系・共和党の有力候補二人がヒスパニックというのも、バラク・オバマが初の非白人・黒人大統領となって以来、アメリカ政界の人種状況はかなり変化したとも言えはするし、ヒスパニック系人口の増加でその票の取り込みは民主党だけでなく今や共和党にとっても必須の戦略になっている。

ただしオバマが進めようとして来たいわゆる不法移民への現実的な対応については共和党支持層からの反発は強く、マルコ・ルビオ自身も以前は現実的な寛容策を目指していたのが主張の転換を余儀なくされているし、ドナルド・トランプに至っては「メキシコ国境に壁を」「連中は犯罪者と麻薬中毒者」と言い放って支持を広げた。ラテン・アメリカ諸国からの新移民に仕事を奪われるという危機感と、ラテン・アメリカがアメリカ国内で消費される麻薬の最大の産地である現実は、アメリカに移民しその社会に順応し、存在感を高めつつあるヒスパニック系の内部に、分断と亀裂を産み出し始めてもいる。クルーズやルビオのようなヒスパニックの血統の大統領候補の方が、その意味では対移民強硬姿勢は主張し易くもなるだろう。既に市民権を持つヒスパニック系アメリカ人の中には、新規の、不法移民として入って来る人たちと自分達は違う、一緒にされたくない、新移民や麻薬犯罪のせいで今確保出来ている自分達の立場を危うくしたくないと思う者も、当然ながら少なくないのだ。

浮動票の草の根保守化の一方で、「極左」サンダースの躍進

この大統領選挙の意外な流れを、我々はどう捉えるべきなのだろう?トランプの移民排斥や暴言へのにわか支持が掘り起こしたとも言える頑迷な保守層が既存のティーパーティーを支持基盤とするクルーズへの支持に取り込まれつつあるのが、アイオワ予備選挙で見えて来た共和党側の流れだろう。こうした極右の伸張を「極右ポピュリズム」と断ずるのは簡単だし、ヨーロッパが直面する難民危機やパリの同時多発テロ事件を受けたフランスの国民戦線やドイツのペギーダの隆盛と同じ文脈で論ずることも、決して間違ってはいない。

だがアメリカがヨーロッパと大きく異なるのは、トランプ旋風やクルーズの躍進の一方で、いわば極左と目されるバーニー・サンダースもまた勢いを持ちつつあることだ。極右と極左で主張はまったくの真逆に見えるが、あえていわば「異端」候補の躍進をひとつの事象として総合的に捉えるならば、どちらの側もこれまでアメリカの大統領選挙で争点になるとは思えなかった、ワシントンDCの「常識」からすればあり得ない主張を展開しているだけでなく、その支持層にも実は共通するものがある。

そんな馬鹿な、と思われるかも知れない。トランプの集会に押し掛けて歓声をあげる群衆やティーパーティーの中心は低学歴の(教育のない)プア・ホワイト、言わば「田舎者」で、年齢層は中年かそれ以上であるのに対し、サンダース支持層には大学生か大学を出たばかりも多く教育水準が高い、インターネットやSNSを使いこなす若年層が多いとされ、45歳で区切った世論調査では、民主党支持層のなかでヒラリー・クリントンに大きな差をつけている。最初の予備選挙となったアイオワ州や次のニューハンプシャーでサンダースが強さを見せているのは、これらの州には大きな大学もあって、その学生の支持も大きい。

前者はアメリカ国内の辺境に引きこもって乱暴で教養がなく、労働者階級や小規模事業者が排外主義に洗脳されていて、後者は…と、いくらでも正反対の部分は指摘できる。だがそうした表面的な違いの奥底では、どちらの支持基盤も、アメリカの経済産業構造のなかで進行する中間層の破壊の結果をもっとも直接的に受けている人たちだ。

オバマ政権でアメリカ経済は復調したように見えるが

イラク戦争の失敗と泥沼化、そしてリーマン・ショックでジョージ・W・ブッシュ政権が失墜し、アメリカの復活への期待を託されたオバマは、この7年間でガタガタだったアメリカ経済を確かに再生させたが、その方向性は彼が大統領選挙で呼びかけた「チェンジ」とは必ずしも一致しない。具体的な公約としては最大の目玉だった医療の国民皆保険制度で多くの妥協を強いられ中途半端な成果しか挙げられなかったのも象徴的だが、リーマン・ショックの教訓に学んだ金融業界の規制でも、多くの一般国民から見ればウォール街に押し切られたような結論しか出せていない。

実はブッシュ政権時に既に始まっていたことではあるが、オバマの7年間のあいだに、例えば大資本の大規模チェーン店はどんどん市場規模を拡大させ、かつてのアメリカの消費生活を草の根、底辺から支えて来た小規模自営業は、大都市でも、地方でも、多くが倒産を余儀なくされて来ている。

ブッシュ政権末期には風前の灯火、破綻危機のまっただ中だった自動車産業はオバマ政権下に経営を建て直せたものの、生産拠点や設備投資はより安価な労働力を求めて海外に向かい、アメリカ社会の最盛期を支えて来た、堅実な長期雇用が担保された労働市場の再生には、必ずしも結びついていない。こうした第二次産業の凋落に起因する地方の苦境では、極端な例でいえば、ドキュメンタリー映画作家マイケル・ムーアの出身地としても知られるミシガン州フリントで、自治体の財政難で水道の予算を削らざるを得ず、汚染された水道水で大量の中毒患者が出ていることが、最近明らかになっている。

オバマの7年間のあいだに、ニューヨークやロサンゼルスのような大都市は確かにきれいになり、より安全にもなった。かつては日中でも通りを歩くには用心が必要だったロサンゼルスのダウンタウンや、ニューヨークのヘルズキッチン、ソーホー、アルファベット・シティ、クイーンズなどの変貌は典型的だ。だがその一方で、オバマ政権は確かに自動車産業大手を救い、その業績も成長に転じてはいるが、他ならぬその大手自動車会社のお膝下だったはずのデトロイト市が、2013年には財政破綻に追い込まれている。

ドナルド・トランプやテッド・クルーズの強硬保守路線への支持は、そうしたアメリカの、特に地方の厳しい現実から出て来たものでもあって、単にアメリカの田舎では頑迷な差別排外主義が根強いからだとか、あるいはオバマやクリントン夫妻に代表されるようなリベラルなインテリ層への反発というだけで説明するのは、かなり無理があるし、一見安全や豊かさを取り戻したように見える大都市でさえ、その発展と引き換えに不動産価値の高騰で小規模自営業が閉店に追い込まれ、大資本の大規模チェーン店にとって変わられている現実もある。

ヨーロッパの極右の伸張にも、実のところ同じことが指摘できる。極右が発言力を増しているのは、実ははるかに深刻な国内経済の構造的な問題への不満のまやかしのはけ口としてであり、政治家たちの側から言えば自分達の政策的な失敗や無策を外国や外国人に責任転嫁していて、その欺瞞にメディアも乗っかってしまっている。漠然とした不満どころか現実の生活で追いつめられるか、将来の不安を隠しようもなく抱えた多くの人たちがそのまやかしに乗ってしまい、「外国人が悪い」という扇動に飛びついてしまった結果が極右の伸張である。こう指摘するのは、フランスの人口学者エマニュエル・トッドだ。

現代の先進国の政治の問題は、単に強く有能な政治家がいないだけではない、ともトッドは指摘する。先進国の社会を支えて来た中間層、中産階級が崩壊の危機に直面し、社会全体への責任感よりも自分達の不安や利己主義に囚われてしまっているなかでは、政治家も指導力を発揮することが難しくなる。

グローバル資本主義に直撃されたアメリカ的な生活の基盤

とくにトランプやクルーズの支持層の場合は、景気は回復して全国での雇用統計の数字も悪くないのに、なぜ自分達の生活ばかりがこうも追いつめられてしまったのか、その本当の理由である大きな経済産業構造の変化を見抜き、対応した新たなビジネスを開拓したり、あるいは本質的な批判の声をあげるには、教育水準という足かせが大き過ぎるとも指摘できる。

ティーパーティーの大きな受け皿である農業従事者は、補助金などもあってまださほどの打撃は受けていないにせよ、日々の買い物などを通して自分たちの馴染んで来たアメリカ的ライフスタイルが危機的な状況にあることの認識は共通しているし、この層もやはり大学進学率などは低い。そうしたいわば「普通のアメリカ庶民」の立場から見れば、共和党主流派はビッグ・ビジネスやウォール街の金融資本に有利な政策ばかり言っている(=クリントンやオバマと同様の高学歴エリートで、自分達の生活を守ってくれない)ようにしか見えない。

ではサンダースを支持する若年層はどうか?その多くがまさに、崩壊の危機にある同じ中産階級・中間層の子弟であり、努力して、能力を身につければ報われる、社会のなかでより上を目指せることを信じて、大学に行ったはずだ。

これもエマニュエル・トッドの指摘だが、近代の発展の過程で、先進国は教育を受ける権利を保障し、国民全員に同等の初等義務教育を受けさせることで、ことヨーロッパでは歴然としていた階級格差を解消しようとして来た(ちなみに比較例を挙げるなら、日本が幕末に開国した時点での識字率を比べると、江戸時代に寺子屋が浸透もし、また幕府の統治機構に文書が積極的に導入され一般民衆への告知も文書や高札が定着していた日本の方が遥かに高かったと言われている。日本にやって来た西洋人の見聞記などもこれを裏付けている)。だが最低限の義務教育が定着すると、より高い教育を受けることが社会のなかでより出世する条件となって来るのも自然な流れであり、しかしその結果、高学歴エリートという新たな階層と格差が生じることにもなる。

ことアメリカの場合、その高等教育は水準も高いが、学費も高い(大雑把に言えば、アメリカの有名私立大学の半期の授業料が、日本の有名私大の一年ぶんとあまり変わらない)。中間層の多くはとても親の支援やアルバイトだけでは賄いきれず、融資方式の奨学金や教育ローンに頼ることになるが、リーマン・ショック後にはそうやってせっかく学位を得て卒業をしても就職先が限られ、そのローンの返済すら滞る状況になってしまっていた。

オバマ政権になって確かにアメリカ経済は全体としては回復し、雇用統計も好転した。だがそこで創出された雇用は、金融やIT業界やメディア産業などの一部の例外を除けば、やはり高額の教育ローンの返済に見合うような収入を得られるものでは必ずしもない。そして彼らの場合は大学で教育を受け、SNSやインターネットを通じてより大きな世界の構造にも目が向く。低学歴労働者の中間層が自分達以上に苦しい状況に置かれているかも知り得るし、なぜアメリカの現状がこうなってしまったのか、ただ直接目に見えるレベルだけで考えて「外国人労働者や新興国の工場が我々の仕事を奪っている」と思い込むだけに留まらないだろう。この点では、今アメリカで起こっているサンダース支持の潮流は、トッドの指摘した中産階級、中間層の利己主義化が政治の弱体化を招いている現代の先進国に共通する傾向の、大きな例外となりつつあるのかも知れない。

リーマン・ショック後のアカデミズムで進む、資本主義信仰の検証

リーマン・ショックの破綻以降のアメリカのアカデミズムでは、例えば経済学ではマルクスを読み直すことまで始ったような、「なぜリーマン・ショックのようなことが起きたのか」の検証と研究が進んでいる。サンダース支持の若年層の多くは、その大学で教育を受けた世代だ。そんな流れと軌を一にして発表されたフランスの経済学者トマ・ピケティの『二十世紀の資本』は、アメリカでは日本ほどのベストセラーにこそなっていないが、その指摘はむしろアメリカがこれまで信じ依って立って来たものにとってこそ、衝撃的なものだ。

経済活動の自由を保証する資本主義は、あらゆる人にフェアなチャンスをもたらし、貧しい出自でも成功できる、生まれから来る格差を是正していくシステムだと言う信頼が、これまでアメリカ社会の成長を支えて来た。しかしピケティの研究成果は、資本主義が逆に格差を固定化させ拡大させる、金持ちに産まれた方がより金持ちになり、資産を持たず雇用される側ではなく資産を持ち雇用する側にどんどん有利になるシステムであることを、膨大な史料データを基に立証してしまった。

ピケティが日本ほどの大衆的現象になっていないからといって、アメリカの教育水準が高い層がその研究内容を知らなかったり、理解出来ずに無視しているはずも無論ない。むしろ日本と違って専門書扱いだからこそ、読むべき層は読み、ただの流行ではなくその内容を理解しているとも考えられるし、しかもピケティの論考は、高額の教育ローン契約を結んで大学に行く若者にとって、目に見える身の回りの現実でも実感できることでもある。同じ高い学費を資産家の親が出している同級生がそこにいて、彼らは親の会社などのいい就職先にも恵まれるし、親の資産を元手に新しいビジネスを始めたりも出来る。一方で自分達はその親もローンの返済に追われ、なにをするのでも高額の保険料を支払わなければならない、つまりはワシントンDCに多額の献金もしている金融業界に奉仕させられているかっこうになり、その金融業界がアメリカの富の多くを独占しているのだ。

高等教育も受け、インターネットを通じて前世代よりは世界の情報も得易い層は、自分達が直面している危機感の背後にある大きな構造的問題にも目が向く。つまりは、現代アメリカの資本主義が矛盾を露呈していることの認識だ。アメリカが本来約束したはずの、誰もが平等で公平なチャンスを得て、自分の幸福のための努力が許される社会という理想にとって、資本主義は不可欠なものだと思われて来た。だがどうもそうはなっていないように思えて来たのが、学術的にもそうはならないことが証明されてしまったのだ。

しかも彼らが駆使するインターネットやSNSは多くが無料サービスで成り立っているが、実のところ対価の必要のないサービスというのは、資本主義の基本的な構造にそもそも矛盾している。なのに資本主義は、本当にこのままでいいのだろうか?

IT産業がそれでも成立するのは広告収入が大きいが、これは一見自由な世界に見えるインターネットがその実、ごく一部の業種や企業の寡占状況をむしろ助長していることも意味するし、このいびつな資本主義は現実に実際に自分が日々使っているサービスについての実感としても浮かび上がって来る。ちなみに日本ではほとんど話題にならなかったが、Googleのメールサービスが積極的にNSC(国家安全保障委員会)に顧客情報を提供していることに、アメリカではずいぶん反発もあがっていた。

「社会主義」へのアレルギーは、もはや古い世代のものである

アメリカでも日本でも、東西対決の過去の歴史を引きずって、「社会主義」への警戒感を持ち続けている人は多い。だがその冷戦は1980年代と共に終わり、サンダースを支持する45歳以下の世代はその後の現実のなかで育って来た。「社会主義」や「革命」を平然と口にし、自ら「社会民主主義者」を名乗るバーニー・サンダースが支持を集めることに驚いたり、あるいはアレルギー的に反発するのは、冷戦終結の時点で思考が停止してしまった古い世代の考えでしかないのかも知れない。それ以降に育って来た若い層が見て来ているのは、社会主義に勝ったはずの資本主義が、アメリカが約束したはずのあらゆる人の平等で公正なチャンスを担保する、人間の幸福に役立つものではどんどんなくなっていく現実だ。

しかもアメリカの選挙はこの2~30年、罵倒中傷合戦すれすれのネガティヴ・キャンペーンに終始する傾向がどんどん強まっている。それを極端なまでにやってドナルド・トランプがメディアの好奇心を大いに集める一方で、対照的なのがバーニー・サンダースで、目下のライバルのヒラリー・クリントンに対しても、例えば国務長官時代の「メール問題」で責めるような議論は厳に慎んでいる。アメリカ政界のこれまでの「当たり前」に慣れ切ってしまっている古い世代だと気付かないことだろうが、真剣に自分たちの将来への不安を考えざるを得ない、高等教育を受けた若年層にとって、どちらが説得力を持つのかは自明のことだ。アメリカの政治文化は気がつけば、そうした若者たちの純真さや真剣さをことごとく裏切って来た、そのことも「不屈の、信念の人」のイメージが強いサンダースへの支持の追い風になっているのではないか。

本当の争点は、アメリカの資本主義のあり方

一方では排外主義的な極右が共和党のエスタブリッシュメントを揺さぶり、もう一方では民主党の側で堂々とリベラリズムを表明するサンダースがウォール街とも結びついたエスタブリッシュメントであるヒラリー・クリントンを追いつめる、この動きはアメリカの経済産業構造の現実と密接に結びついているのだ。

言い換えれば、この大統領選挙の隠れた本当の争点は、アメリカの資本主義が本当にこのままでいいのか、である。左右ともに極論に見える候補者たちは、主流派の、プロの政治家である候補たちがまったく触れようとしないアメリカ社会の現状の問題と今後あるべき姿という議論、グローバル化した資本主義が本当にアメリカ社会を守り幸福にするのかという潜在的な論点でこそ、支持を集めているのではないか。

そしてどちらへの支持も、8年前にオバマが約束した「チェンジ」が起こらなかった結果でもある。オバマはアメリカというひとつの国への再統合を呼びかけたはずが、その在任中に社会の分断はかえって顕在化した。昨年には白人警官による黒人への不当な暴力や違法逮捕が社会問題化したし、銃乱射事件も増え続け、銃規制の是非がアメリカの内政のもっとも危急の議題のひとつになりつつある一方で、そうした乱射事件の犯人とイスラム過激主義との関連が取りざたされ、テロとの戦争のためには市民に武器を、という過激な差別主義の主張すら出て来ている。

こうした分断や暴力性はなぜ産まれて来るのか? オバマはブッシュの8年間で追いつめられたアメリカ経済を確かに回復させ、金融政策も利上げに転換するほどまでになった。だがその経済によって守られるべきだったアメリカ的生活の価値それ自体を守ることについては、失敗したと言わざるを得ない。

アメリカが世界でもっとも豊かな国に見えるのは、資本以上に人的な資源も世界中から集まって来たのが20世紀のアメリカだったからだ。アメリカが世界最大の先進国であるのと同時に、世界最大の発展途上国でもあることこそが、アメリカの強さとバイタリティの源泉だった。

だがそのアメリカが牽引した機械文明、物質文明の進化と資本主義の爛熟の末に、資本の当然の論理として、より安価な労働力を求めて産業と雇用は国外流出へと向かい、それが可能になったのは交通や通信の手段がまさにアメリカの牽引力で飛躍的に増大し高速化したからでもある。それは国際的にだけでなくアメリカ国内でも格差を増大させ、その格差がアメリカ社会とアメリカ人のアイデンティティを危機に追い込み、その危機感が敵意や暴力としても噴出している。

アメリカはどこに向かうのか?その将来像の両極が、右はトランプやクルーズ支持者と、左はサンダース支持者だとも表面上は言える。

そしてその両方が、オバマに至る既存のアメリカ政治への不信の両極端の顕在化でもあることを、見落とすべきではない。

日本のメディアの論評ではただ「反エスタブリッシュメントの傾向」で片付けてしまいがちだが、トランプやクルーズの支持者も、サンダース支持者も、端的に言ってしまえば今現に仕事がないか仕事を失いつつあり、アメリカ社会の未来とその中での自分達の将来に、大きな不安を意識せざるを得ない人たちであり、彼らを動かしているのはその現実の生活への危機感であり、将来への現実的に差し迫った不安なのだ。

この大統領選挙を単にどの候補が勝つかとか得票率に一喜一憂したり、表層だけを見て「このアメリカ人たちはおかしい」「そんな極論は現実的ではない」と切って棄てようとする態度は、危険な自己満足でしかない。むしろそこで「現実的ではない」と断言してしまう我々の認識する「現実」という、その枠組みの認識そのものの限界こそが、実は問われている。

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