【フランス発】来日回数46回 最強の親日大統領 ジャック=シラクが遺したエスプリ

村山富市・首相からフランス共和国のジャック=シラク元大統領のエピソードを聞いたことがある。トンちゃんが河野洋平・外務相と橋本龍太郎・通産相を連れて、エリゼ宮で会談したときのことだ。

縄文土器と弥生土器の違いは?

シラク大統領は次のような質問をしたという。

「縄文土器と弥生土器の違いは何か?」
「日本が元冠を二度も撃退したのは、神風のためだけか?」
「芭蕉が亡くなって今年は何年か?」

と語り、

「没後400年だというのに、それを知らない日本人が多く残念だ」

と話したとか。教養人であった橋本元首相が

「いえ、日本では芭蕉を偲び、芭蕉が歩いた道を旅する人はかなりの数いますよ」
と応えると、シラク氏は橋本氏に関心を持ち、相撲の大ファンのシラク氏が
「江戸式相撲は知っているか?」
と問うて、橋本元首相が事細かに応えると、二人は意気投合したという。

 

シラク氏の来日回数は46回で、いいちこを呑み、縄文土器を愛し、万葉集や奥の細道を愛読し、大相撲を好んでいる。在任中はシラク大統領に誰かが面会するときに、注意することとして、フランス特派員は次のようなことを進言した。

 

「好物の食べ物は『子牛の顔肉のビネグレット・ソース』であるとか、そんなことはこの際、気に留めなくても構わない。ただ、『大相撲の先場所で誰が優勝したか』だけは頭に叩き込んでおかなければならない。できれば、決まり手も覚えておくと望ましい。敢闘賞など三賞受賞力士、自分の出身県の力士について知識を開陳できれば完璧である。」

 

そうすれば、シラク大統領は椅子から転げ落ちんばかりに身を乗り出し、訪問者の言葉に耳を傾けるに違いないんだとか。

大の相撲好き

フランス西部で大部数を跨る地方紙、『ウニスト・フランス』の社長フランソワレジス=ユタンが2000年2月に来日したときに知己の記者に次のようにコボしたそうだ。

 

「日本に来るほんの前、大統領に謁見したのだが、相撲のことばかり話すんだよ。昨日の取り組みはどうだったとか、今場所の優勝はこの力士に間違いないとか、残念ながら手想は外れたようだがね。後は、君は日本へ行けていいなあ、日本では絶対相撲を見るべきだ、と繰り返すのさ」

 

私と親交のある共同通信の軍司泰司・元パリ特派員によれば、シラク氏はパリ中心部フォーブルサントノレ通りの大統領府(エリゼ宮)執務室にあって、日本の大相撲の成績をほぼリアルタイムで知り尽くしていたという。
その秘密を東京駐在のフランス外交官は軍事氏に次のように解説したという。

 

「実は、東京に赴任した外交官には特命任務があるんだ。大相撲が開れている間は相撲が終了し次第、中入り後の全力士の成績をエリゼ宮にファックスしなければならない。全ての取り組みに決まり手を添えてね。これを怠ると大統領はすこぶる機嫌が悪い」

 

しかし、衛星が発達するにつれ、シラク氏は大統領府で試合を見ていたという。

 

99年1月にフランスを訪問した小渕恵三・首相(当時)はシラク大統領に第65五代横綱、貴乃花が明治神宮に奉納した第一号の「綱」と軍配を贈った。

 

「今まで、さまざまな人からプレゼントを受けたが、これほど嬉しかったことはない」

 

とシラク氏は語った。ちなみに当時のシラク氏のひいき力士は貴乃花で、曙ファンの夫人とはしばしば「確執」の火種になると述懐したこともある。贈られた綱は、大統領府の小会議室をしばらく飾ったという。

縄文文化に傾倒

相撲だけではない。シラク氏は土器や日本の古典にも関心を持った。シラクは素朴な芸術品を愛するタイプで、土偶や埴輪がことのほか好きだという。弥生文化より東北に花開いた縄文文化に傾倒していたんだとか。1996年にパリのグラン・パレで「興福寺展」が開かれ、13の国宝を含め、奈良の仏教芸術の粋が好評を博したが、その内覧会で、シラク氏は予定の一時間をはるかにオーバーして丁寧に見て回り、あげくの果て、密かに再訪した。

 

97年にルーブル美術館で、百済観音像の特別展が開かれた際は、開幕式に駆けつけ20分あまり鑑賞した。日本の古美術の展覧会をシラクが訪れる際は、パリの日本大使館員が案内するが、あまりに専門的な質問に大使館員が立ち往生することもしばしばだったという。

 

これだけの親日ぶりは外交の舞台でも発揮されることがあった。

 

1996年のリヨンでのサミットのことである。日本代表団のプレス発表では、日本に文句をつけた相手の首脳が分かってしまうので、伏せられていたが、クリントン大統領、コール首相、はてはイタリアのベルルスコーニにまで、橋本龍太郎首相はかなり突き上げられたという。その都度、議長国のシラク大統領がかなり強力な助け舟を出したそうだ。

 

エッフェル塔近くに、1997年5月にパリ日本文化会館が開館した。その式典にシラク氏は出席し、次のように語った。

 

「今フランスでどれ位の学生が日本語を学んでいるかご存じでしょうか?1万人です。1万のフランスの若者が他のヨーロッパの若者と共に、よりよく日本を知ろうとしているのです。そしてこのように、特に若い人たちがお互いに近づき、相手の文化にふれあい、関心を育むことによって、日本とフランスの信頼と友情は一段と高まることになるでしょう。そして、私はこの両国の特別な関係が深まるように心から望んでいます」

 

「新しくできたこのすばらしい会館は、日本列島の魂をセーヌ河畔へ、そしてその周辺へと吹き込む役割を果たしてくれることでしょう。長い間、日本とフランスは互いに尊敬し合い、互いの文化に関心を持ち続けてまいりました。また両国は共に、歴史ある偉大な文化を持った国家であり、それぞれのアイデンティティを大切にする一方、新しい着想には常に柔軟に対応する能力を兼ね備えているのです。今この二つの国は、共に挑戦すべき課題に直面しています。今後パリ日本文化会館が全ヨーロッパに向けての日本の窓として、自己発見、対話、交流の場となることを願ってやみません」

 

出席者の一人はこのスピーチをしているシラク氏は

 

「本当に自らの言葉に感動しているようだった」

 

と述懐する。

バカンスで日本に一ヶ月滞在

最後に一つ、シラク氏のエピソードをしよう。

彼は大統領に就任する一年前の1994年夏、自分にとって最後のバカンスだと覚悟したようで、ベルナルド夫人と日本に一ヶ月滞在した。そして、松尾芭蕉「奥の細道」の史跡を巡ったという。

 

いやはや、とことん、日本好きなのだ。

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