亀井静香の遙かなる旅路~原爆で姉を喪った心優しきゲバラ主義者~

昨年の総選挙解散前に「亀井静香の遙かなる旅路~原爆で姉を喪った心優しきゲバラ主義者~」という記事が論壇誌『イチゼロ』(世界書院)に掲載された。大反響の原稿をここに掲載する。

イチゼロ

主題:亀井静香の遙かなる旅路~原爆で姉を喪った心優しきゲバラ主義者~
主筆:及川健二(政治哲学者&ジャーナリスト)

wiki亀ちゃん

 「消費税増税は認められないから内閣を離脱します」
 野田政権が「社会保障と税の一体改革」と称して、消費税増税を目論む中、亀井静香・衆院議員は一貫して反対を表明し、国民新党の連立離脱を示唆していた。しかしながら、政治部記者の大方の見方は、最後に妥協し、亀井氏は政権に留まる決断をするというものだった。ところが、亀井氏は3月29日夜、公邸で野田佳彦首相と会談し、消費税増税関連法案の閣議決定反対を理由に「国民との消費税増税をしないとの約束を破るわけにはいかない。連立を解消させてもらう」と連立政権からの離脱方針を伝えた。
 だが、国民新党の8人の国会議員の中で、亀井代表の英断を支持するのは亀井亜紀子・参院議員だけで、けっきょく、亀井氏らが離党することになった。
 思い起こせば、郵政解散前に国民新党を結党した時もに、志帥会(亀井派)で親分と行動を共にした人もいなかった。
 亀井氏が大きな決断をするとき孤高になるのはそういう宿命(さだめ)なのか。
 しかし、自由民主党を離れたものの、その後、政権交代の大きな原動力となった。
 次回の総選挙でも台風になるやもしれぬ。

◇ゲバラの遺影が飾られる事務所

 さて、亀井静香・衆院議員の事務所を初めて訪れた人は必ずといってイイほど呆気にとられる。
 事務所はいつも油絵の描き途中のキャンパスや絵の具が散らばっている。亀井さんは事務所で油絵を描くことに時間を費やす。熱中しすぎて、本会議に遅刻して、議場には入れなかったという逸話もある。自由民主党の実力者といわれた頃の話だ。衛視もさぞや困ったことにちがいない。
 いや、驚くのは事務所の散乱ぶりにではない。「キューバ革命」の指導者・エルネスト=チェ=ゲバラの肖像が高く飾られているのだ。亀井氏はゲバラを「心の師」として仰ぎ、身を引き締める為、ゲバラの近影を置いてある。警察官僚の道を歩んで、極左事件初代取締責任者も務めた亀井氏がなぜゲバラなのか。
「あの方はねえ、自分の人生を、圧政と貧困に苦しむ人たちに捧げたんですよ。
 ゲバラはアルゼンチンのロサリオ市に生まれ、ブエノス・アイレス大学の医学部に入る。そして、大学時代にチリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラなどを貧乏旅行して、ラテン・アメリカの貧しい過酷な現実を知ります。
 それで、医学部を卒業した後、グアテマラに渡って革命派のアルベンス・グスマン政権のために働いたのですが、その政権は反革命軍の手によって打倒されてしまいます。
 そこで、今度はメキシコに行き、キューバから亡命していたカストロたちと出会い、彼らと一緒にキューバに行って、医師として活躍する一方、ゲリラにも参加し、ついにキューバのバティスタ政権を打倒するのです。このときの革命の方法を理論化したのが『ゲリラ戦争』で、ラテン・アメリカの革命家たちのバイブルとなりました。
 ゲバラは軍人としての才能もあり、革命が成功したあと、国立銀行総裁や工業相などを歴任しているのですが、人間の意識革命の必要性を、熱心に説いたのです。社会全体に奉仕する自発的で献身的な『新しい人間』の形成が、何よりも重要だと主張しました。
 そうして、自分の人生を、圧政と貧困の中で苦しんでいる人たちの救済に捧げました。自分の人生を全部捨てて、人の痛みを少しでも和らげようとしたわけです。」
 亀井氏はかつてこう語っている。
 

◇静香少年と原爆

亀井静香氏に与えたであろう重要なファクターは、1945年8月6日が原点にあるように思えてならない。
静香少年は7歳で、広島にて原爆の閃光を見た。

「原体験」を次のように語る。

「私は小学生でした。広島県比婆郡山内北村という片田舎で、食料がなかったから、児童みんなで校庭に芋畑をつくるために、芋を植えていました。夏休みなのに、学校に行って、芋作りするために、校庭にたまたまいたんですよ。

山の向こうからピカーっと空に鮮烈な光が見え、キノコ雲が上がって、とてつもない地響きが伝わってきました。大変なことが起きたんだ……と幼心でも感じられました。

数日後、服も着ずに肌が焼け爛れ、逃げてこられた人が多くおられたのを現在(いま)も記憶しています。」

そして、次のように云う。

「親戚も被曝しました。私の姉貴が爆撃地近くの高等女学校にいたんですね。自分も被爆したとは知らなかったのでしょう。援助のため多くの女学生と一緒に爆心地へ通い続け、第二次被曝に苦しみました。

姉貴を亡くしたのは後年です。姉のクラスメートは原爆訴訟を起こしました。

出井知恵子さんは私と同じような体験を語っています。」

後日、知ったのだが、俳誌「茜」を主宰した俳人の出井知恵子氏は亀井先生の実姉だ。86年に白血病で逝去という。静香先生は姉2人、兄1人を持つ末っ子だ。生家には知恵子様が詠んだ

「白血球 測る晩夏の 渇きかな」

という句碑がある。

「まあ、原爆だけじゃなくてさ、東京大空襲や戦地で命を落とされた人を思うと、『一人殺そうが十万人殺そうが同じ』という戦争は永久に放棄されなければならない……と戒められる。神様が命令して、殺し合いをやらせているんじゃないよ。人間同士が利害衝突する中で戦争は起きる。」

亀井氏が詠んだ和歌に次のようなものがある。

「何故に 心を魅かるる 桜花 咲くを惜しまず 散るを惜しまず」

「キューバ革命」の指導者・チェ=ゲバラを「心の師」として仰ぎ、事務所に肖像写真を飾り、東京大学経済学部生の頃は「マルクスの亀井」と呼ばれることもあった静香氏は、また、ガチンコで「革命」を起こそうとしている。

次の衆議院解散は「亀井静香なる解散」となるか。

追記:「亀井静香なる解散」による総選挙2012で自由民主党が躍進し安部晋三・自公政権が誕生した。


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