【音読】追悼 村上龍 孤独と希望を描いた作家

村上龍追悼配信原稿をあえて公開する。

作品群と田中康夫の批評をたどる

及川健二 約25〜27分(間とコメント読みを含む)

2026年10月24日作成

【 】内の見出し・進行指示と出典番号は読み上げない。

【冒頭 一呼吸置き、静かな声で】

皆さん、こんにちは。及川健二です。

今日は、作家の村上龍さんを悼みながら、その作品を振り返りたいと思います。

村上龍事務所と幻冬舎の発表によりますと、村上さんは10月17日、自宅で亡くなられました。74歳でした。発表は10月23日でした。まず、心から哀悼の意を表します。[1]

『限りなく透明に近いブルー』の作家として記憶している方もいれば、『コインロッカー・ベイビーズ』を忘れられない方もいるでしょう。『13歳のハローワーク』で名前を知った方、テレビの『カンブリア宮殿』で親しんだ方もいらっしゃると思います。

今日は、そうした村上龍さんの仕事を、孤独と希望という問いからたどってみたいんです。その途中で、田中康夫さんが実際に述べた文学的な批評も紹介します。

追悼するというのは、その人を遠くに置いて、立派でしたと言うだけのことではないと思います。何を書いたのか。何が心に残るのか。どこに疑問を感じるのか。作品に向き合うことで、私なりのお別れの言葉にしたいと思います。

【限りなく透明に近いブルー】

まずは、1976年のデビュー作、『限りなく透明に近いブルー』です。村上さんはこの作品で、群像新人文学賞と芥川賞を受賞しました。[1]

薬物や性、激しい感覚に満たされた若者たちの世界が描かれています。ただ、出版社の紹介も、この作品には陶酔の裏側にある孤独が描かれている、と説明しています。[2]

私が考えたいのも、そこなんです。人と一緒にいる。音楽もある。刺激もある。それなのに、その人の孤独が消えるとは限らない。

一人で部屋にいるから寂しい、というだけではないんですね。大勢の中にいても、自分がどこにもつながっていないように感じる。その感覚を、この作品から読むことができると思います。

題名も、忘れがたいですよね。『限りなく透明に近いブルー』。透明に近いのに、青が残っている。私にはその響きが、世界から消えてしまいそうで、それでも、かすかにそこにいる人の姿と重なります。これは題名についての、私自身の受け止めです。

もちろん、こうした作品を読むことがつらいと感じる方もいるでしょう。私は、その反応も大切にしたいと思います。衝撃を受けたことと、その描写に同意することは、別のことですからね。

それでも、この小説が投げかけている、生きている実感をどこに求めるのかという問いは、今も考える意味があると思います。刺激を増やせば、自分の空洞は埋まるのか。読んでいるこちらに、その問いが返ってくるんです。

【田中康夫さんの批評】

ここで、田中康夫さんの批評を紹介したいと思います。

早稲田大学人物研究会が公開している会見録で、田中さんは、村上龍さんまでの小説を「ヤンキーゴーホーム」的だったと位置付けています。それに対して、自分の『なんとなく、クリスタル』は、アメリカ文化を生活の中に受け入れている日本を描いたのだ、と説明しているんですね。[3]

これは、アメリカに対して、拒もうとするのか、それとも、すでに自分たちの暮らしを形づくっているものとして見つめるのか、という違いを強く打ち出した批評だと思います。田中さん自身の小説の位置を示すための、大胆な整理でもあるわけです。

ただ、ここからは私の考えですが、龍さんの作品を、アメリカへの拒絶だけで読むことはできないと思います。『ブルー』に描かれる刺激や欲望には、その文化に引き寄せられている感覚もある。簡単に、嫌いだから追い出そう、とは言えないんです。

惹かれているのに、苦しい。近づいているのに、満たされない。そういう関係の複雑さがあるのではないでしょうか。

田中さんの批評を挟むと、何が見えてくるか。私は、二人が同じ時代に生きながら、違う場所から日本の豊かさを見ていたことだと思います。田中さんは、自分たちの身につけているものや暮らし方を通じて、龍さんは、身体や欲望が傷つく場所を通じて、それぞれ時代を捉えようとした。

これは、田中さんがそう結論したという話ではありません。田中さんの発言を踏まえた、私自身の比較です。

どちらの作家が上かと決めて終わるより、その視線の違いを持って作品に戻ると、読み方が深くなると思うんです。追悼の場でも、こうした批評のやり取りは、残しておきたいですね。

【コインロッカー・ベイビーズ】

続いて、『コインロッカー・ベイビーズ』です。

コインロッカーに捨てられた、キクとハシという二人の少年。その生の行方を追う、大きな物語です。二人が東京へ向かう道のりには、愛や憎しみ、破壊への衝動が渦巻いています。[4]

私には、この物語の出発点に、そもそも自分は、この世界に迎え入れられたのか、という問いがあるように思えます。

人は、自分で生まれる場所を選べません。最初に与えられた傷を、自分の責任で全部引き受けろと言われても、それは酷なことですよね。

ただ、その傷を負った人の中に、他者を傷つけたい衝動が生まれたら、どう考えるのか。この小説は、読み手に簡単な安心を与えてくれません。

私は、傷ついた人を理解しようとすることと、その人がすることを全部肯定することは、分けて考える必要があると思います。龍さんの作品を読むときには、その区別を、何度も考えさせられます。

この世界を壊したいほど苦しい人がいる。その苦しさに、社会はどこで出会えるのか。破壊が起きてから、その人物を恐ろしい人間だと言うだけでよいのか。これは、小説の外へも続いていく問いだと思います。

【69 sixty nine】

ここで、少し違う表情の作品を見たいと思います。『69 sixty nine』です。1969年の佐世保で暮らす高校生が、何か大きなことをしたいと、うずうずしている青春小説です。[5]

若い人の気持ちには、立派な理由だけがあるわけではありませんよね。面白いことをしたい。退屈したくない。好きな人に振り向いてほしい。そういう気持ちだって、人を動かす。

私は、この作品を思うとき、龍さんの文学には、笑いや遊びの感覚もあったことを、大事にしたくなるんです。

生きていくには、生活を支えるものが必要です。それと同時に、明日、あいつらと何かやろう、と思える楽しみも必要ですよね。

誰かと企てる。失敗して、笑われる。それでも、何かをやってみたという感触が残る。その経験は、自分の人生を、自分たちの手に少し取り戻すことにもなると思います。

追悼というと、どうしても、声を落として、悲しみだけを語りがちです。でも今日は、龍さんの作品の中にある、こんな若い息づかいや、楽しもうとする力も、思い出しておきたいんです。

よかったら、皆さんが心に残っている作品を、題名だけでもコメントに書いてください。まだ読んだことがないという方も、そのまま聞いていてくださいね。

【20秒ほど、実際に届いたコメントを2件程度読む。個人的な思い出を紹介する場合は、内容を落ち着いて受け止める。コメントがなければ次へ】

【愛と幻想のファシズム】

次に、『愛と幻想のファシズム』です。経済の大きな混乱を背景に、カリスマ的な指導者と政治結社が力を伸ばしていく、近未来の政治小説です。[6]

ここで私が考えたいのは、困ったときに、人が強い指導者を求める気持ちです。

今の仕組みでは、もう駄目だ。誰かが決断して、全部変えてくれないか。そう思うことは、あるかもしれません。でも、その人に何を任せ、何を任せてはいけないのか。それを考える手間まで、手放してよいのか。

小説の中の強烈な人物に、読んでいる自分まで引き込まれることがある。すると、危険な人物を見抜けるつもりだった自分も、その魅力から自由ではないのではないか、と考えさせられるわけです。

私は、この作品の面白さと怖さを、そこに感じます。政治的な悪を、遠くにいる分かりやすい悪人の問題としてだけ、片付けられなくなる。

同時に、魅力的に書かれた人物を、作者の理想そのものと決め付けることにも、慎重でありたいと思います。小説は、危険な力に、人がなぜ惹かれるのかを、内側から経験させることもできるからです。

ただ、読者がその力に酔ってしまう危うさもある。だから私は、龍さんの作品に圧倒されながらも、そこで立ち止まり、自分の判断を取り戻す読み方をしたいと思います。

【イン ザ・ミソスープ】

『イン ザ・ミソスープ』にも触れましょう。日本人の案内人ケンジが、アメリカ人のフランクと、夜の新宿を歩く物語です。[7]

相手は何を考えているのか。目の前にいる人は、いったい何者なのか。他人を分かったつもりになっている自分が、だんだん頼りなくなる。

私は、この作品の怖さを、単に危険な人間に出会う怖さとしてだけではなく、自分が暮らしている街を、本当には知らないのかもしれないという怖さとしても、受け止めたいと思います。

日々、同じ駅を使い、同じ道を歩く。でも、すれ違った人が、どんな孤独を抱えているのかは分からない。知っているつもりの街の中に、自分の知らない人生が、たくさんあるんです。

だからといって、孤独な人は危険だ、という話ではありません。そんなふうに結び付けてしまえば、かえって人を追い詰めてしまいます。

私が作品から考えたいのは、人の孤独を見ずに、街の華やかさだけを見てはいないか、ということです。最初に紹介した田中さんの批評が、日本とアメリカの関係を見る一つの視点だとすれば、私は、この作品ではさらに、他人を分かったつもりになることの難しさにも目を向けたいんです。

【希望の国のエクソダス】

そして、『希望の国のエクソダス』です。

この作品では、多くの中学生が学校から離れ、ネットビジネスや情報の力を使って、社会を動かす存在になっていきます。ここで描かれるのは、現実に起きた出来事ではなく、小説の中の大きな構想です。[8]

私がこの作品から受け止めたいのは、若い人に希望を持ちなさいと言うなら、その希望を置ける場所が、社会の側にあるのか、という問いです。

毎日を頑張っているのに、先のことが思い描けない。何をしても、自分の人生にはつながらない気がする。そこに必要なのは、もっと前向きになれ、という一言だけでしょうか。

自分が動けば、何かが変わる。自分の得意なことが、誰かの役に立つ。そういう経験を持てることが、希望につながるのではないかと思います。

ただし、この小説から私が考えるのは、能力のある子どもだけが、新しい世界へ行ければよいのか、という問題でもあります。速く動けない人、競争が苦手な人には、どんな場所が残るのか。

これは作品への私自身の問いです。誰かの成功を、そのまま全員の希望にしてしまわずに、うまくいかない人の側からも読み直したいと思うんです。

また、この作品には『取材ノート』もあります。出版社の説明によれば、経済やインターネットの専門家、官僚、中学生などへのインタビューが収められています。[9]

私は、この取材の仕事にも注目したいと思います。現実を知ろうとする。違う立場の人の話を聞く。そのうえで、まだ存在していない社会を想像する。小説の大胆な構想を支えていた、そうした手間も、覚えておきたいですね。

【半島を出よ】

『半島を出よ』では、北朝鮮の反乱軍を名乗る武装集団が福岡を占拠する、という架空の事態が描かれます。その危機の中で、日本政府の対応と、福岡にいる若者たちの動きが問われていくんですね。[10]

この作品を、現実の国際情勢をそのまま説明する資料として読むのは、違うと思います。小説の設定として受け止めたうえで、制度が危機に直面したとき、誰が考え、誰が動けるのかという問いを、私は読みたいんです。

普段は、社会の中心にいる人が、有能な人として扱われる。そこから外れている人は、役に立たない人のように見られることもある。でも、その評価の物差しは、どんな場面でも通用するのでしょうか。

龍さんの作品をたどると、社会の外側に押し出された人や、普通の場所になじめない人に、何度も出会います。

その人たちが、社会を壊す力になることもあれば、別の可能性を示す存在として見えてくることもある。私は、どちらにも、落ち着かなさを感じます。

人の価値を、社会での肩書きだけで測ってしまうことへの違和感。そして、その外側にいる人を、特別な英雄に仕立てるだけでよいのかという疑問。この二つを抱えながら、作品と付き合いたいと思います。

【13歳のハローワーク】

ここまで、激しい物語をいくつも見てきました。ここで、『13歳のハローワーク』へ、目を向けたいと思います。

この本は、自分の好きなことや関心を手がかりに、仕事について考える職業図鑑です。出版社の紹介も、いい学校、いい会社という道筋だけに頼らず、自分が本当に好きなことを考えて仕事を選ぼうと呼びかけています。[11]

私は、ここに、若い人へ具体的な情報を手渡す仕事があると思います。

将来の夢を持ちなさい、と言われても、どんな仕事があるのか分からなければ、思い描きようがないですよね。知っている選択肢が少ないと、自分には何もないように感じてしまうこともある。

知らなかった仕事がある。自分の興味とつながる場所がある。それを知るだけで、考え始められることがあるんです。

もちろん、好きなことを仕事にすれば、誰もがうまくいくわけではありません。仕事を続ける条件や、生活を支える仕組みも必要です。その点は、私たちが考え続けなければならないと思います。

それでも、若い人の前に選択肢を広げる仕事には、大きな意味がある。この本を、龍さんの小説と離れた別の仕事にせず、生きる場所を探すという問いから、一緒に見てみたいんです。

【55歳からのハローライフ】

その隣に、『55歳からのハローライフ』を置いてみましょう。出版社は、人生をやり直したい人たちの再出発を描いた物語として紹介しています。[12]

13歳のときには、これからどう生きるかを考える。そして中高年になって、もう一度、これからどう生きるかを考え直す。私は、その二冊が並んでいることに、深い意味を感じます。

人生の途中で、仕事や人間関係が変わることがあります。思い描いていた暮らしと、現実の暮らしが、遠く離れてしまうこともあるでしょう。

そんなとき、若いときに選び間違えたから、もう終わりだと言われたら、つらいですよね。ここから先にも、自分が生きていける場所を探したい。その願いは、何歳になっても、持っていてよいと思います。

再出発というと、大成功する話を思い浮かべがちです。でも、もう少し穏やかに暮らせるようになることも、誰かと話せるようになることも、その人にとっては、大切な変化かもしれません。

私は、龍さんの仕事を思うとき、この、人生の後半にいる人たちへ向けられた視線も、忘れたくありません。

若いときに受けた傷が、その後の人生にどう残るのか。年を取ってから、人はもう一度、誰かとつながれるのか。初期の作品と並べることで、私は、そうした問いの長い時間を感じるんです。

皆さんは、人生をやり直すという言葉から、どんな場面を思い浮かべますか。書ける範囲で、ひと言いただければと思います。

【20秒ほど、コメントを2件程度読む。体験談への助言を急がず、話してくださったことを受け止める。コメントがなければ次へ】

【ユーチューバーと未来】

公式の訃報で、遺作として挙げられているのは、『ユーチューバー』です。[1]

70歳の人気作家が、ユーチューブ番組への出演を引き受け、これまで出会った女性たちとの日々を語る。そんな連作小説です。[13]

私も、こうしてユーチューブで話していますから、この題名には、立ち止まらずにいられません。

年を重ねた作家が、新しい発信の場で、自分の人生をどう語るのか。過去を振り返ることは、そのまま、過去の中に閉じこもることになるのか。それとも、誰かに語ることで、別の意味が生まれるのか。私は、そんな問いも持ちたいと思います。

2015年の古市憲寿さんとの対談で、龍さんは、『オールド・テロリスト』に登場する高齢者たちについて、未来にどう関わるかを切実に考えている、と語っています。[14]

これは登場人物についての発言ですが、私はそこに、年を取ってからも、未来との関係を持ち続けるという問いを感じます。

若者の世界を描いた作家が、自分自身も年を重ねながら、中高年や高齢者の未来を考えていった。その仕事を、ひと続きのものとして、読み直してみたいですね。

【結び】

そろそろ、お別れの言葉にしたいと思います。

村上龍さんの作品には、読む人を安心させてくれないところがあります。読み終わっても、割り切れない。登場人物を理解できたのか、自信が持てない。そういう感触が残ることがあります。

今日紹介した田中康夫さんの批評も、一つの読み方を示すものです。それを受け止めたうえで、いや、それだけでは捉え切れない、と考えることもできる。作品は、そうした議論の中でも、生き続けていくのだと思います。

私にとって、今回、作品をたどりながら残ったのは、自分の生きる場所を見つけられない人たちの姿でした。

刺激の中にいる若者。生まれたときから傷を負った少年。今の学校や社会では息ができない子ども。人生の途中で、もう一度、暮らしを組み立てようとする人。

その人たちを、同じ言葉でまとめてしまうことはできません。でも、ここで自分はどう生きればいいのか、という問いは、作品を越えて、こちらにも届いてきます。

村上龍さん。

あなたの作品に、反発することもあるでしょう。考え方の違いを、読み返すたびに感じることもあると思います。それでも、目をそらさずに考えてみようと、読者を立ち止まらせる作品が、これだけ残されました。

今日は、その仕事に、敬意と感謝を申し上げたいと思います。

読んだ本を、もう一度、本棚から取り出す。まだ触れていない作品を、開いてみる。そして、読んで何を感じたかを、誰かに話してみる。

そのようにして、私たちは、亡くなった作家と、作品を通して向き合い続けることができるのだと思います。

村上龍さんの御逝去を、心より悼みます。

皆さん、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。及川健二でした。

【一呼吸置き、会釈して終了】

 

 

参照資料

読み上げ不要 2026年10月24日確認

[1] 村上龍事務所・幻冬舎編集本部 村上龍氏 ご逝去のお知らせ 出典を開く
2026年10月23日公表。訃報と基本書誌。

[2] 講談社による『限りなく透明に近いブルー』内容紹介(紀伊國屋書店掲載) 出典を開く

[3] 早稲田大学人物研究会 田中康夫 会見録 出典を開く
見出しは「田中康夫(1983)」。本文は会見年月日不明と明記。訃報に際する発言ではない。

[4] 講談社 新装版 コインロッカー・ベイビーズ 出典を開く

[5] 集英社 69 sixty nine 出典を開く

[6] 講談社 愛と幻想のファシズム 上 出典を開く

[7] 幻冬舎 イン ザ・ミソスープ 出典を開く

[8] 文藝春秋 希望の国のエクソダス 出典を開く

[9] 文藝春秋 希望の国のエクソダス 取材ノート 出典を開く

[10] 幻冬舎 半島を出よ 上 出典を開く

[11] 幻冬舎 13歳のハローワーク 出典を開く

[12] 幻冬舎 55歳からのハローライフ 出典を開く

[13] 幻冬舎 ユーチューバー 出典を開く

[14] 文藝春秋 この国の希望はどこにある 前編 村上龍×古市憲寿 出典を開く
2015年8月7日。『オールド・テロリスト』の登場人物についての発言。


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