国家元首エマニュエル・マクロン大統領はダンマルタン・アン・ゴエルに行き、クアキ兄弟に人質に取られた印刷工の家を訪ねた。
エマニュエル・マクロン大統領は、3月11日(木)にアンヴァリッドで開催された「テロの犠牲者に敬意を表する日」の式典を主宰した。ニコラ・サルコジ、フランソワ・オランド両氏に囲まれた国家元首は、同時多発テロの犠牲者を追悼するために、首を切られた女性を表現した「La Parole porte」像の前で花輪を捧げた。
式典で唯一発言したのは、同時多発テロの生存者を治療した外科医のクロエ・ベルトルス氏で、2015年の「シャルリー・エブド」襲撃事件で重傷を負ったジャーナリストのフィリップ・ランソン氏の証言「Le Lambeau」の抜粋を読み上げた。
「その場に居合わせた幸福感と、通り過ぎてしまった罪悪感の間で揺れ動くサバイバーになることは容易ではありません。(中略)そしてその後、人はどのようにして生き残った者から生きている者になるのだろうか」と読んだ。最後に、フィリップ・ランソンが「不確かな未来」を表現した言葉を紹介した。「私は誰かだったし、これからも誰かになるだろうし、当面はもう私ではない。」
「シャルリー・エブド」のディレクターである漫画家のリス氏の立会いのもと、式典に参加した13の被害者団体の会長たちと交流した後、エマニュエル・マクロン氏は、2015年11月13日のバタクランなどの攻撃の日に撮影されたアーティストたちの写真が飾られている国民議会の門の前で少し立ち止まった。
その後、ダンマルタン・アン・ゴエール(セーヌ・エ・マルヌ県)にあるカタラーノ印刷所に行き、2015年に起きた「シャルリー・エブド」襲撃事件の後、逃亡中のコウチ兄弟に人質に取られていたミシェル・カタラーノに会った。
この小さな印刷会社の社長は、会社の20周年記念式典に招待するために国家元首に手紙を出したと、エリゼ宮が発表し、企業家の「楽観的な」スピーチを歓迎した。
2015年1月9日、午前8時30分頃、2日前に「シャルリー・エブド」で死者を出した後、法と秩序の力で追いつめられていたサイードとシェリフ・クーアチは、パリの北30キロにある印刷所のドアベルを鳴らした。会社の役員は、重装備の2人にすぐに気づいた。彼はすぐに従業員のリリアン・ルペールをシンクの下に隠れさせた。そして、犯人がリリアンを発見して二人を殺すのではないかと、刻々と恐れながらの恐怖の1時間半が始まった。
世界各国から寄せられた応援の手紙
ジャンダルムのパトロール隊が到着し、2人の兄弟と銃撃戦になった。首を負傷した一人が「包帯を巻いてくれ」と言うと、ミシェル・カタラーノはそれに応じた。二人の加害者は彼を外に出した。リリアン・ルペールは内側に隠れたままだった。午後の終わりに、フランソワ・オランドは印刷工場と、共犯者のアメディ・クリバリが人質をとって避難しているポルト・ド・ヴァンセンヌのハイパー・カッチャーへの攻撃を命じる。この3人は射殺された。ミシェル・カタラーノは、従業員が無事であることを確認した。彼の印刷工場は、攻撃時に使用された爆発物によって破壊された。
6年経った今でも、毎朝、印刷所の門を開けるときには「胃が痛くなる」という。家族や友人、AFVT(フランステロ犠牲者協会)、そして「世界中から寄せられた何千通もの支援の手紙」のおかげで、なんとか持ちこたえられたと言いう。
2019年に予定されている「テロの犠牲者に敬意を表するナショナルデー」は、2年連続で企画されている。3月11日は、2004年のマドリッド襲撃事件にちなんで、ヨーロッパの協会が選んだ日だ。2015年1月以降、フランスでは260人以上がテロで死亡しており、最も被害が大きかったのは2015年11月13日にパリとサン・ドニで発生した130人の死者を出した事件と、2016年7月14日にニースで発生した事件(86人の死者)だ。2015年以降、合計で6,300人以上の被害者とその親族が被害者保証基金(FGTI)の対象となっている。「テロの脅威は依然として高い」とエリゼ宮(大統領府)は強調し、2017年以降、33件の攻撃が阻止されたことを指摘した。
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