オリンピックが「平和の祭典」だと理解できない安倍ニッポンの “平壌” 五輪勘違い

平昌オリンピックが開幕し、さっそくフィギュアスケート団体戦ショート・プログラム(以下SP)で宇野昌磨選手が、ここ数試合でうまく跳べなかった四回転トゥ+三回転トゥのコンビネーションを成功させ、GPファイナルからこの方到達できていなかった百点超えで首位に立った。本来ならオリンピックを巡る日本の “国民的関心事” といえば宇野くんがこの調子で個人戦も行けるかどうか、右足首を痛めて三ヶ月以上試合に出ていなかった羽生結弦選手がさらに上に行く演技ができるかどうかだったはずだ。

フィギュアだけでなく、転倒事故で膝だけでなく肝臓まで損傷した重傷を克服して4回転2回ひねり2連続の大技を成功させたスノーボード・ハーフパイプの平野歩夢選手や、1000m世界記録保持者の小平奈緒選手を始めメダルの期待が大きい女子スピードスケートなど、いくらでも “国民的関心” や期待を集めておかしくないことはあったのに、オリンピック前の日本の世論の関心はスポーツを楽しみアスリートを応援することそっちのけで、もっぱら「スポーツの政治利用は許さない!」という妙に政治性に満ちた主張に集中していた。北朝鮮がオリンピックに参加して南北融和が演出されているあいだは、朝鮮半島で軍事衝突は起きないだけでもとりあえずは歓迎される事態なのに、である。

冷戦の最末期に開催された1988年ソウル五輪が南北の対立を激化させたのを思えば、大韓航空機爆破事件やラングーンの韓国大使館での爆弾事件のような大規模テロが起こらないだけでも大きな違いだ。もっとも現代の、金正恩政権の北朝鮮は、ソウル・オリンピック直前にテロ事件を起こしたような北朝鮮とはずいぶん変わっている。元を糾せば就任当初は韓国に「お互い罵倒は止めよう」と呼びかけたり、日本人拉致問題についても自ら謝罪の確認を表明した上で再調査を申し出たりもする一方で、父や祖父の代では後ろ盾だった中国やロシア旧ソ連(ロシア)とも保護国的な関係をあえて断って来たのが金正恩だ。

当時の韓国と日本の右派政権がこうした変化を見逃していなければ、朝鮮半島情勢は今のような危機的状態になっていなかったかも知れない。いやむしろ、右派の朴槿恵が失脚して文在寅の革新派政権になった韓国はともかく、右派政権のままの日本が今取っている態度を見ると、この時も「見逃した」のではなくわざと無視したようにも思える。もし安倍政権が拉致問題の解決と被害者の救出や、日本の安全の確保を本気で考えていたなら、こうした北の変化は日本にとっても大きなチャンスとして見逃すはずがないのだが、拉致問題も核開発も右派政権にとってはすべて北朝鮮を敵視するのに好都合ないいわけに過ぎない(その敵視もまた、日本では本質的には国内の在日朝鮮人を差別したいいいわけでしかない)のなら、気付かぬフリに徹した方が好都合なのも確かだ。

そんな自己欺瞞の右派政権が5年も続き、首相官邸の圧力を恐れる忖度が欠かせなくなった日本のメディアでは、いざオリンピックが開幕しても、フィギュアスケートのペアに日本から初出場という快挙の須崎・木原組を取材しても肝心の2人の演技はほとんど見せずに沈黙する「美女応援団」をテレビ画面に映し続けるという異様…というか呆れた事態が続いたのがこの五輪大会の前半だった。

これこそあまりに偏向したスポーツの政治利用でしかないわけで、だいたい「政治利用」を批判するのなら安倍政権は2020年東京五輪をいいわけに「テロ等準備罪」を強行採決し、今度は「オリンピックで改憲」とわけのわからないことまで言っているが、こんな呆れたダブスタはともかく、そもそも「スポーツだから政治とは無関係だ!」とはどういう勘違いなのだろうか?

ちなみに現代のオリンピックはスポーツを通した健康増進という大きな政治目標も自らに課していて、その一貫で国際オリンピック委員会(IOC)と世界保健機関(WHO)は開催都市での “スモーク・フリー” つまり公的な場での禁煙の励行を呼びかけているが、東京オリンピックに向けたこうした肝心の、まさに国際標準の政策については、受動喫煙防止法を骨抜きにしようと躍起になっているのも自民党だ。

そもそも「平和の祭典」なんだから、IOCが南北融和に協力するのは当たり前

だいたいスポーツにせよ音楽にせよ「政治利用は許せない!」と絶叫する輩に限って、そもそも純粋に楽しむ気なぞ毛頭なく、単にそこに表現された政治的主張なりなんなりが気に入らないというか、自分たちの歪んだ政治的願望に反するメッセージをオリンンピックなりスポーツなりロックフェスなりが伝えようとしているのを逆恨みして、その逆恨みの動機がなんの正当性もない身勝手でしかないので必死に探して来た言い訳が、スポーツなどの「純粋さ」だの「純粋に楽しみたい」だったり、「選手がかわいそうだ」だったりの自己欺瞞に過ぎないのが相場だ。

韓国の女子アイスホッケー・チームになんの興味もないどころか、韓国チームというだけで気に入らない人々に限って、北朝鮮との合同チームを組むことになったその選手が「かわいそうだ」と言い出したわけだが、確かに「不人気競技の汚名返上」とか「どうせメダルには関係ない」と言わんばかりだった韓国政府首脳の発言は、日本的な感覚からすれば「なにもそこまで言わなくても」とは思う。

しかしそれとて「文化の違い」でしかない。日本のよく言えば「思いやり」の文化、昨今では「卑屈なまでの過剰忖度」との批判もある風土はおよそ世界標準ではなく、ましてや公平で厳正なルールの元で実力と運が結果に冷徹に反映されるスポーツの世界に無節操に適用できるものではない。ジャッジが選手やその所属国家に忖度することは許されないし、記録もまた徹底して冷静客観でなければスポーツの公平さは破綻するのだから当たり前の話だ。

韓国は韓国でさすがにズケズケものを言い過ぎでもあろうし、韓国チームの女子選手たちの戸惑いも理解できる。彼女たちにとってはいきなり政治主導で有無を言わさず決められたのはひどく理不尽な話ではあるが、しかしこれはそこまでの話でしかない。それに彼女達にとっても国内で人気がまったくない競技どころか女性が「氷上の格闘技」をやることが白眼視されがちな韓国社会のなかで、観客が増えただけでもそんなイメージを刷新できるメリットがあったのも確かだ。

いずれにせよ、政権が朝鮮民族差別政権だからなんにつけても韓国についてはあら探しとレッテル貼りの悪口に熱中し、その一方で総理大臣が「共謀罪がなければオリンピックは開催できない」「東京五輪で日本が生まれ変わるために改憲を」などとオリンピックの政治利用にしても頭が悪過ぎる戯言を繰り返しても、「バカも休み休み言え」とはっきり言ってしまうとストレスに脆弱過ぎる総理大臣が深く傷ついてしまうのがかわいそうだから言わない(あるいは興奮状態でどんな異常行動に出るか分からないのが怖い)、なんていう日本の世論ととくにメディアの動向は、ここまで来るとさすがに異常だし、だいたいあまりに不合理で無駄が多過ぎる。

しかもその忖度の文化がなぜか外国にはアメリカ合衆国以外は適用されず(いや対米忖度ですら見当違いでかえって不信を買う場合も少なくなく)、国際社会における自国の正当性やそれぞれの国の利害についてなにも考えていないのも、イラク戦争にまっさきに賛同と参加を表明した頃から露骨な現代日本の困った傾向だ。

そんな日本のメディアや世論では、この韓国・北朝鮮の合同チームの「政治利用」についても、不公平な(確かに規定よりも登録メンバー数が増えるなどの問題はあった)「スポーツの政治利用」だからIOCが認めるはずがない、という論調が主流だった。

戦争を止められなかった近代オリンピックの歴史

むろんかくも国内引きこもりな勘違いは呆気なく国際社会の現実に裏切られた。そもそもオリンピックは憲章で「平和の創出」が目的と明記されているように極めて政治的なイヴェントであり、その理念と存在理由から当然のこととして、IOCはこの南北合同チームの提案を諸手をあげて大歓迎した。

平昌オリンピックが南北融和ムードに染まることを文在寅・韓国大統領以上に喜んでいたのがIOC会長のバッハ氏だ。米韓軍事同盟も関わるデリケートな問題なので時に慎重にバランスを計る姿勢も見せる文在寅政権の背中を、むしろ強力に押しているのがIOCとさえ言える。バッハ会長は大会終了後には北朝鮮を訪問して対話ムードを継続させ、韓国大統領の訪朝の先鞭をつけようとしているが、これもIOCの立場とオリンピックの理念からすれば当たり前のことだし、合同チームの試合を文在寅・韓国大統領夫妻と北朝鮮の金永南・最高人民会議終身委員長(国家元首)、そして金正恩の妹・金与正氏と共に観戦したときも、バッハ氏は儀礼的な微笑みを浮かべるだけでアイスホッケーには興味がなさそうな南北の政治家たちとは対照的に、合同チームの試合をいかにも万感の思いを込めた眼差しで見つめていた。

ピエール・ド・クーベルタンがオリンピック運動を創始したとき、頭にあったのは古代オリンピックの開催中はギリシャ文明圏であらゆる戦争が停戦になったことだった。だがこの理念の再現を目指したはずの近代オリンピックは逆に、1936年ベルリン大会がナチスのプロパガンダに利用され、翌40年東京大会は日本政府が中国への侵略戦争を優先させて中止を決め、政府内での中止の決定直後には日本軍が南京で凄惨な虐殺事件を起こして国際的な非難を浴び、IOC総会に正式に中止が通達されたのと相前後して人類史上最悪の戦争である第二次世界大戦が始まっていた。

冷戦中の1980年モスクワ大会は主催国ソ連のアフガン侵攻に抗議して西側諸国がボイコットし、対抗して次の84年ロサンゼルス大会を今度が東側がボイコットしたし、当時のIOC会長サマランチ氏がスペインの軍事独裁者でヒトラーの同盟者フランコの側近だったことも問題になり、同氏の始めたオリンピックの商業化路線で「平和に貢献する」という理念は地に墜ちたも同然となり、オリンピックに冷たい批判の目が向けられる時代が20年以上続いた。こうした悪いイメージが完全に払拭できたのは、前回夏季大会のリオ・オリンピックでやっとだった。

最近でも、2008年北京大会で中国政府が聖火リレーをチベットを通すことをゴリ押しして緊張が高まり弾圧さえ起こった時にもIOCは無力だったし(オリンピックが国家単位の参加であることの問題では、既に戦前にも台湾のマラソン選手・孫基禎が日本選手としてしかベルリン五輪に出場できず、その金メダルが日本の戦意高揚に利用された過去がある)、前回冬期のソチ大会の直前には開催国のロシアがウクライナ侵攻を始め、大会参加こそボイコットはなかったものの、多くの国が抗議の表明で政府代表の開会式出席を取りやめた。またこの大会をロシアの国威発揚に利用しようとした国ぐるみのドーピングも後に明らかになっている。

なおこの開会式にはG7首脳ではなぜか日本の安倍首相だけが大喜びで出席し、その直後のG7サミットで大顰蹙と国際的な不信を買っている。それにしてもこの日本国総理大臣、リオ五輪では閉会式の次開催都市アピール枠に嬉々として自ら出演までしてみせたり、メダリストに国民栄誉賞を与えて政権人気取りの話題作りをしてみたり、今回の平昌大会では開会式欠席をちらつかせて韓国政府に圧力をかけたつもりになって失敗したり、オリンピックの政治利用というか自己宣伝利用が大好き過ぎるのは呆れるばかりだ。

2020年大会の開催地決定では、当時のIOCのロゲ会長は「アラブの春」が失速・頓挫してシリアで深刻な内戦まで起こっている中、中近東・イスラム圏初の五輪が開催されればそんな流れを変えられるのではと期待してイスタンブールを後押ししようとしていたが、この試みもオリンピックを政治利用できるかっこうのイヴェントとみなした日本政府の、まさに「国がかり」の大ロビー活動の前に敗退してしまった。なおこのオリンピック招致の失敗後、トルコのエルドワン政権は西欧やアメリカと距離を置き、国内では急激に独裁的色彩を強めていることも指摘しておこう。いまさら歴史の「もし」を語っても無駄ではあろうが、たとえば2020年がイスタンブール五輪になっていれば、欧米中心の先進国に対するアラブ諸国やイスラム教徒の不信と失望も今ほど深刻にはならず、極論するならイスラム国のような事態も避けられたかも知れない。

いずれにせよ、これまでオリンピックがスポーツを通じて平和に貢献できたことは、残念ながら一度もなかった。

史上初めて、五輪が戦争を止められるチャンス

オリンピック憲章には国威発揚に利用することを厳に禁じる規定があるが、これも守られたことがほとんどない。さすがにたいがいの国ではタテマエだけでも平和や諸民族の友好を一応は訴えはするし、たとえば北京五輪の閉会式では一応は多民族の融和を謳って中華人民共和国を構成するすべての民族の子供が輪になって踊るシーンがあった。だがこのパフォーマンスも後に多くの子供が実は漢民族の子供の仮装だったと明らかになっている。なおこの開会・閉会セレモニーの演出で、中国「第五世代」(つまり天安門事件と同世代で政府に距離を置く)映画作家の代表格として国際的には大人気だった張芸某が、公式にも現代中国を代表する映画監督として認められることができた。

ところが今回は近代オリンピック史上初めて、本当に戦争を止めて平和に貢献できるチャンスが巡って来たのだ。IOCが歓迎するのは理の当然だし、少なくとも建前のレベルでこの流れを阻害しようとするのはごくごく一部の、こう言っては難だが「あたまがおかしいとしか思えない」人達だけだろうというのが、IOCの議論にも反映される国際世論の当然の流れである。北朝鮮に対して制裁決議を出している国連安保理だってもちろん、オリンピックが理由ならばというわけで制裁の例外処置も認めた。

もともと安保理の制裁は北朝鮮を対決姿勢から対話姿勢へと転じさせる外交カードでしかない。「平和の祭典」を機に北朝鮮が態度を転換する可能性があるなら、オリンピックが優先されるのは当たり前だ。少なくとも建前では、安保理だってその理事国が気に入らない他国を孤立させていじめるためにあるのではなく、オリンピックの理念と同様に「平和の創出」のためにこそある。

もはや誰も本気にしない「日米韓の連携」

ここで忘れてはならないのだが、一連の「北朝鮮核問題」のもう一方の当事国であるアメリカのトランプ政権がこれまた、こう言っては難だが「あたまがおかしいとしか思えない」政権だと言うのが国際社会のほぼ一致した見方であり、とくにヨーロッパではそう見られている(一部の、こう言っては難だが「あたまがおかしいとしか思えない」人種差別大好きネオナチ勢力は除くが、IOC内ではもちろんそうしたこう言っては難だが「あたまがおかしいとしか思えない」極右の伸張に対する警戒感も高まっている)。

IOCとバッハ会長としては、最低でも平昌のオリンピックとパラリンピックの期間中はアメリカからも北朝鮮からも軍事的な緊張を高めるような行為は絶対に止めさせたいのはもちろん、オリンピックで始まった対話ムードがパラリンピック終了後も定着し、現状の朝鮮半島の対立関係をオリンピックを契機に劇的に変えることができるならば、それこそ大変な功績になる。だからIOCがアメリカ政府を牽制して、ある意味「前のめり」になるのも当然だし、それが「前のめり」に見えるのも戦争のリスクを無視してなんとしても北朝鮮敵視政策を変えたくない日本政府の立場からはそう見えるだけであって、そんな見方が国際的に共有されているわけでもまったくない。

とくに当事国・開催国の韓国からみれば、事情はまったく異なる。

そもそも北朝鮮の核・ミサイル開発の動きについて、韓国と日本とアメリカでは最初から安全保障上の利害が一致しているわけではない。現実的に韓国がもっとも恐れ警戒しているのは、アメリカが始める(アメリカが本気になれば国がまるごと消滅する北朝鮮から口火を切ることは現実的に考えられない)対北朝鮮戦争に自国が巻き込まれ、国民にも国土にも甚大な被害が及ぶこと、ひいてはそれが第三次世界大戦のきっかけになることだ。

しかも北朝鮮が現在進めているのはアメリカを核攻撃できる戦力を持つことで、これが完成しようがしまいが、北朝鮮が核攻撃を行う可能性が最初から低い韓国にも、逆にすでに完全に中短距離ミサイルの射程に入っていていつでも核攻撃のターゲットになり得る立場だった日本にとっても、今さら直接には関係がないどころか、北朝鮮からの攻撃で被害が出る現実の安全保障リスクは相対的にはむしろ減る。

北朝鮮に通常兵器、それも1950年代レベルからあまり進歩していない軍備しかなければ、北がアメリカと対立関係になった場合に最大の被害が出るのは韓国だった。朝鮮戦争のあまりに甚大な被害は今でも韓国社会の深いトラウマだし、その後も米ソ二大超大国の時代には朝鮮半島は東西冷戦の最前線にされ、翻弄されて来た。その再現を絶対に避けることこそが最優先されるのが、韓国の立場だ。

韓国が民主化し、冷戦が終わっても、北朝鮮に中短距離ミサイルしかない段階では、北が核攻撃できる「アメリカ」は在日米軍基地どまりで、もし米朝の軍事対立が起こっても、アメリカ本土の安全が韓国や日本を犠牲にして守られる結果になっただろう。

しかし北朝鮮が米本土に届く大陸間弾道弾を完成させれば、安全保障環境はまったく変わる。北朝鮮の最大の攻撃目標は直接に米国の本土と国民になる。言い換えれば日本や韓国のリスクは相対的には減少するのだ。

北朝鮮がいったんその軍事能力を持てば、アメリカに殲滅される前に最後の報復攻撃に出るのなら韓国や日本国内よりも米本土の標的を最優先するだろうから、というだけではない。北朝鮮がアメリカを攻撃可能な核戦力を保持すれば、それが抑止力として働いてアメリカが北朝鮮に戦争を仕掛けて朝鮮半島を戦場にすることも難しくなるのだ。つまり韓国や日本にしてみれば自国民が巻き込まれるような北朝鮮とアメリカの戦争が始まるリスク自体が減ることになる。北朝鮮もそこが分かっているから、アメリカ本土に届くICBMの開発にこそ集中し、またそこを強調して来たのだ。

一方で韓国にはアメリカをバックに軍事独裁政権(それも旧日本軍に教育を受けた軍人達)が永らく国民を弾圧して来た歴史もあり、その国民感情は外から見ているほど単純なものではない。

アメリカそのものが嫌いな韓国人はほとんどいないが、親米というか対米従属の政権についてとなると、かつての軍事独裁では人権侵害が相次いだし、朴槿恵政権まで至る政財の癒着の腐敗と不公正も、アメリカの権威をバックにした対米従属右派が延々と蔓延させて私利を貪って来たものだ。そうでなくとも自国民の生活や安全や社会の公平性よりもどこぞの大国の意向の言いなりになるような政府は、世界じゅうのどんな国でも国民のプライドを傷つけ不満を招くのが普通だ。そして文在寅はそうした国民、とくに若い世代の支持を得て就任した大統領でもある。

北朝鮮が「核戦力の完成」を宣言した意味

北朝鮮は昨年11月末に大陸間弾道弾「火星15号」の発射実験を成功させた時点で「核戦力の完成」を宣言している。

年頭の金正恩の談話でも(映像で発表されるのは異例・金正恩の肉声自体、北朝鮮国内でも公表されたことがほとんどない)この宣言は繰り返され、併せて平昌オリンピックを祝福して参加を表明したのだが、その思惑というかストレートな意味について、外交や朝鮮半島政治の専門家のあいだの見解は一致している。なのになぜか日本ではそれが報道や世論に反映されることもなく、まして政治はまるで逆方向で、「意外だ」「不可解」「なにを考えているか分からないから騙されるな」、挙げ句に「騙されている」韓国が愚かだと言った決めつけが主流になっているのも、客観的にはこの冷静な分析の欠如というか拒絶・否認・逃避の反応の方がよほど不可解だ。

もちろん大陸間弾道ロケットをロフテッド軌道で一回飛ばしただけでは、推進力などは確認できても飛距離は計算上の理論値しか出せないし、命中精度や大気圏再突入技術の確認もまだできていない。つまりこの一回の実験だけで「対米核戦力の完成」になるわけがないのだ。なのにあえてそう言っている時点で北朝鮮が対話モードに入ることは当然予測できたはずだ。「完成」とわざわざ宣言したのはつまり、これ以上の核開発を進める必要がない、と北朝鮮が言っている意味にしかならないからだ。

つまりは北がアメリカ次第でここで開発を止めて実用化は先延ばしでもいい、という妥協点を示したことがあまりにも分かり易かったのがこの「核戦力完成」宣言で、それから1ヶ月前後で一気にオリンピックへの参加を押し進めたのは、スピード感があり過ぎた点では確かに意外性が演出されていたにせよ、それはこちら側の情報分析が未熟で稚拙で、北朝鮮政府内での金正恩(と金正与兄妹)の指導力の強さ(つまり国内で異論を抑え従わせる力)と巧みな外交戦略、その知的能力を見くびっていて、見事に裏をかかれて翻弄されたからに過ぎない。

妹の金与正氏の訪韓についてはセキュリティなどの観点で難しいだろうという見解が韓国やアメリカや日本のメディアで報じられた時点で、この兄妹のことだから当然、今度は与正氏訪韓カードを切って来るのも当然の想定の範囲内だった。これまでのミサイル演習や核実験も、常に米国や日本、韓国のメディアの反応を計算してその裏をかく絶妙なタイミングを狙って来ているではないか。北朝鮮にからかわれているのにその演出意図通りに翻弄されていきり立っているだけとは、いったいなにがやりたいと言うのか?

「メダル・ラッシュ」で報道から隠される日本の外交的惨敗

文在寅が決して北朝鮮の「ほほえみ外交」に騙されているのでも、北朝鮮に擦り寄っているのでもないのが、専門の研究者の一致した見解だ。なのに日本の政府やその意向を強く反映した報道が、分析もなおざりのまま専門家の見解も無視し(あるいは専門家も遠慮して指摘すべきことも遠回しにしか言えない雰囲気を作っておいて)、未だにこの程度の予測も立てられないままに「ほほえみ外交に騙されるな」と国内で激昂するだけならば、外交的な敗北を無自覚に認めたようなものでしかない。

平昌での開会式からの帰国途中にペンス米副大統領が無条件の対話開始の意志を示唆したことも国内ではちゃんとした分析もなく、一部が火消しに躍起になっているだけだ。そんな火消しの一貫だろうが、小野寺防衛大臣が米陸軍参謀総長の表敬訪問を受けて「日米韓の最大限の圧力」方針の言質を取ろうとしたのは、シビリアン・コントロール下で外交方針に権限がない軍人になにを求めているのかだけでも呆れる他はないし、その参謀総長には「日米韓の連携の重要性」という抽象論の確認だけで逃げられている。

こうした日本の外交的惨敗が徐々に明らかになり始めるのと相前後して、幸いにも日本選手が(事前に喧伝された金ではなく銀や銅ばかりとはいえ)「メダル・ラッシュ」を始めてくれたこともあり、北朝鮮情勢をめぐる報道は「美女応援団」をおもしろおかしく騒ぎ立てる以外は瞬く間に消えてしまった。そして羽生結弦選手が驚異的なSP演技を披露すると、ニュースはやっとオリンピックにおける本来の最大の “国民的関心事” (つまり日本選手の活躍と金メダル)に遅ればせながらやっとシフトした。

とはいえ二大会連続金メダルの快挙こそ成し遂げたものの、羽生選手のフリー演技は鳥肌が立つようなSPとは打って変わって、右足首を十分に曲げられないので迫力に欠けたステップ・シークエンスなど大けがの影響を色濃く感じさせるものだった。優勝の翌日の記者会見では痛み止めを飲まずには滑れない状態だったこと、怪我の状態が複雑過ぎて症状自体すらよく分からず治療法も手探りなことを告白し、引退の可能性すら匂わせた羽生選手だったが、多くの報道がそこをカットして冗談半分としか思えない「4回転半アクセル・ジャンプ」発言をやたら誇張しているのも、これはこれでスポーツの国威発揚利用はほどほどに、と苦言を呈したくなる。

だいたい「北朝鮮の脅威」は日本にとって「国難」だったはずだが、羽生選手の金メダルひとつで消し飛ぶ程度のことが「国難」だったのか? いくらフリーで演じたのが平安時代の伝説の陰陽師・安倍晴明だからといって、国家鎮護の降魔の効用はさすがにないはずなのだが。

米韓軍事演習を止めたいのは北朝鮮への配慮ではなく韓国自身の国益

「平和の祭典オリンピック」という大義名分には逆らえず、アメリカもまずオリンピックとパラリンピックの期間中の米韓合同演習の開催は早々に見送りを表明した。北朝鮮の目下の狙いが終了後も無期限の延期というか、事実上の中止に追い込むことだろうというのが衆目の一致した見解だ、そして韓国にとっても、国益と安全保障からして、この演習をやらない方が理にかなっている。

北朝鮮が米韓の離反を狙っているのは確かだが、専門家がいくら指摘しても日本のメディアも政治も懸命に無視したがっているのは、韓国が「北に騙されている」どころかそこで両国の利害が一致していることだ。しかも米韓合同演習を止めさせるのはIOCの悲願であり、国際社会の大勢も期待している。強行することで利するのはアメリカの、それも現実の国益ですらないただの大国の沽券と、トランプが支持層から「弱腰」と見られると離反されかねない政権の威信しかない。

そのトランプは一般教書演説で北朝鮮については核開発よりも人権問題を強調した一方で、軍事的にはその直後に出したNPR(Nuclear Posture Review 核兵器体制の見直し)も含めて、むしろロシアと中国に核兵器で対抗する意識をむき出しにして、「小規模」と称する核兵器による先制攻撃すら視野に入れている。

この発表は現に北朝鮮の核問題危機があって、その北朝鮮と直接対峙している韓国からみればなにを血迷ったというか…アメリカ自らが自分に逆らうような国には核兵器を使うと公言したに等しいのに、国際社会がいったいどういう理屈で北の核武装を非難できるというのか? 文在寅がもはや北相手に核問題での議論を提起する気がまったくないのも、本音でいえばここまで話を勝手にこじらせているアメリカが勝手にやってくれ、という感情もあるのかも知れない。

日本のメディアで盛んに叫ばれる「北朝鮮の分断工作」というのも、醒めた客観視でいえば偏向した主観でしかない。最初から「朝鮮半島での米朝軍事衝突の回避」では韓国も北も直結する利害(朝鮮半島での戦争の回避)が一致していたからこそ、米韓合同演習を強行し対北敵対姿勢を維持したいアメリカを牽制するために融和・友好ムードが一気に進んだのだし、こうして「対話の機運」への期待が高まっているなかではアメリカも自国の威信のためだけに我を通すことは難しくなる。

合同演習を回避して米朝間の偶発的な衝突が起こるリスクを下げることは、韓国政府にとって「国益」どころか偶発戦争を防いで自国民の生命安全を守るための覚悟の選択なのだ。しかも今の文在寅の青瓦台は、日本軍OBの軍人がアメリカのバックアップで独裁を敷いた過去を明確に否定する政治姿勢を持った革新政権だ。だからこうなって当然なのは北朝鮮が正月にオリンピック参加を表明したときから分かっていたことなのに、日本の安倍政権がなんの後先の計算もできず戦略も持てていないまま「最大限の圧力」という抽象語句でのアメリカや韓国との「合意」「連携」があるかのような印象操作に固執するだけの無策なのは、我々日本国民にとっても由々しき問題だ。

同盟国間にクサビを打ち込みたいらしい安倍ニッポン?

それどころか最初は朝鮮民族への差別意識という個人的な趣味というか、その歪んだ趣味を共有する熱烈支持層への配慮から、平昌オリンピックへの参加を見送りたがっていた安倍首相だ。さすがにあまりもの外交非常識(4年前のソチ開会式にはG7友好国の空気も読めずに出席し、2年前のリオ五輪では嬉々として閉会式に出演までしてご満悦)に自民党内からも批判が出て来たことに抗しきれず、慌てて訪韓に方針転換こそしたものの、日韓首脳会談では文在寅相手に米韓合同演習の実施を迫り、逆に「内政干渉」「主権の侵害」と相手を怒らせてしまった。

青瓦台がこのやり取りをあえて暴露したということは、安倍首相への不信感は相当なものだ。今後の北朝鮮への対応について日本が事実上の蚊帳の外に置かれ続ける可能性は相当に高い。安倍政権やその支持層はトランプに泣きついてアメリカと共同で韓国に圧力でもかけるつもりらしいが、韓国が渋る米韓合同演習の開催と、韓国がその方向に誘導して国際社会も支持している米朝直接交渉の流れにアメリカでも政府内の意見がまとまらないなか、トランプ政権が安倍に配慮するのは相当の見返りがなければ難しいだろう。自民党がやりそうなところでは、トランプ自身も深く関わっているアメリカのギャンブル業界に日本への参入の道を開くカジノ解禁を今国会で強引に進めることあたりだろうか。

これでは北朝鮮がなにもしないでも、日米韓の3国間に分断を持ち込んでいるのはあまりに空気が読めていない日本政府だ。そうでなくとも安倍氏が自分の個人的な感情だか熱烈支持層への配慮だかを優先して平昌オリンピック開会式への出席を渋っていたことは韓国に筒抜けだったし、訪韓が決まっても国会で自民党の右派議員から「インフルエンザも流行していることだし、罹患すれば訪韓は取り消せる」などと冗談にもなんにもなっていないゴマ擦り発言まで飛び出していた。安倍自身が韓国への圧力になるから訪韓反対論を積極的に公言しろと指示した、という報道まであった。

事実上の同盟国に等しい相手国に対して凄まじく感じが悪い非礼な空気を丸出しにしておいて、水面下ならともかく首脳会談であんなことを言うとは、この総理大臣の外交音痴ぶりには呆れる他はない。朝鮮半島政治の専門研究者からは、日本の立場を守りたいなら日米韓の連携が重要なこの時に、韓国側がこれ以上妥協するはずがない(しかも日本を支持する国はどこにもなく、そもそも勝ち目がない)慰安婦問題で我を張ることに強い疑問も表明されている。少なくとも今回の首脳会談では話題に載せないのがまともな外交感覚なのに、ここでも安倍首相は国内の、それも自分の熱烈支持層にのみおもねることを、外交上の国益や安全保障に優先させてしまった。

安倍=トランプの「個人的信頼関係」にはまったく意味も実態もない

安倍氏のあまりに非常識な国際儀礼無視と外交音痴といえば、やっと出席した平昌オリンピックの開会式でもちょっと呆れる一幕があった。日本選手団の入場に合わせて、普通なら政府代表の政治家は拍手で迎えるのが通例なのに、安倍氏は一生懸命に日の丸の小旗を自ら振っていたのだ。

「韓国は反日国家」でデモで日の丸を燃やすような国だから、つまり日の丸は韓国人に嫌われるはずなので、ならば韓国国民の感情を害してやろうと、あえて韓国で日の丸を振り回して自己満足していたのが安倍氏の真の動機だったことまでは、荒唐無稽な自己内堂々回りが過ぎてさすがにほとんど誰にも伝わらなかっただろうが、オリンピックが憲章で国威発揚や政治家の人気取りの利用を禁じているのが分かってない恥さらしが安倍氏であることが、またも国際的に印象づけられてしまった。

対照的に、金正与と金永南両氏の北朝鮮代表団は、文在寅大統領夫妻やIOCバッハ会長と共ににこやかなスタンディング・オベーションで南北合同選手団を迎え、金正与氏は自分にこそ注目が集まっていることを自覚しているからこそ主役はあくまで選手団という態度をきちんと見せていた。

岸一族と金王朝、同じ世襲三代目でも、将来国家を担うために受けて来た教育が違うということなのだろうか? 北朝鮮は元から小国の、発展途上国でしかないだけに、こういう場で恥をかいたり馬鹿にされることのないように振る舞いたい意識は当然強い。そうした「外からの視線」に対するプライドが極端に低く、かといって大国としての自信もないのでその立場に求められる振る舞いも理解できていないのが、昨今の日本の政治、とりわけ二世三世が多数派を占める自民党の特徴だ。

ところでこの開会式だが、席順がいったいどういう序列なのかがよく分からなかった。普通に考えて安倍首相はあくまで日本の首相であり、つまりはナンバーワンの首班だ。北朝鮮の金永南氏は名目上は国家元首だが、アメリカから出席したペンス氏はしょせん、副大統領でしかない。なのに「副」で首班ではないペンス氏が文氏のすぐ近くの席で、通路を挟んでより外側に安倍氏というのは、どういうことなのだろう? 次の五輪の開催国で重要な隣国の、それも首班なのだから、文夫妻のすぐ隣に安倍氏が座っているのが通常の外交儀礼のはずだが、首脳会談での他国の主権を無視した発言がよほど嫌われたのだろうか?

あるいは、開会式のパフォーマンスは朝鮮民族の苦難と分断の歴史を表現したもので、徹底した抽象化の配慮はあったものの、そこには日本による植民地支配と日本の敗戦が原因の分断国家化も含まれることが当然想起される内容だった。安倍氏が文夫妻のすぐ近くの席で興奮状態にでもなってしまえば、北の金正与と金永南両氏にも席が近いことだし、この総理大臣が侵略や植民地支配をまったく反省していないことが露骨にバレてしまうと後々の南北交渉の邪魔になるから、韓国側がトラブルを回避した席順ということなのだろうか? 一応は韓国の友好国である日本がやはりそんな国ではないか、そんな日本の言いなりになる韓国は民族の恥、とでも北朝鮮が追及できるような機会を与えることは、韓国にとって決して有利な材料ではないし、それこそ日米韓の連携なんて消し飛んでしまう。

開会式に先立って出席する各国の首脳や、バッハIOC会長、グテーレス国連事務総長を招いた歓迎レセプションでは、ペンス氏はアメリカ選手団との夕食会という言い訳で着席もせずにわずか5分で開場を去り、北朝鮮代表団を避けたような態度が内外の批判を浴びた。11月末の「火星15号」発射実験以来の急激な状況の変化についてアメリカ政府部内でも方針が固まらない、なによりトランプ大統領本人の考えが揺れ動いているなかでは、ペンス氏も北側との接触そのものを避ける他なかったのは分からないでもない。

国防総省は戦争は絶対に回避、国務省はおおむね対話路線だが人事の混乱もあって省内の方針が定まらないのに対し、共和党の中でも右派のペンス氏や、ヘイリー国連大使は軍事力行使も辞さない超強硬派と目されている。しかし帰国便のなかで受けたインタビューでは、ペンス氏が一転して条件なしの米朝対話開始を示唆する発言をしているのも先述の通りだ。果たして実はペンス氏が韓国大統領府で金与正氏と秘密会談する予定もあったことも、後に明らかになった。ペンス氏がレセプションを5分で退席したのは、この段階で金与正に会ってもなにを言うべきかが分からないので、北側にキャンセルを促すサインだったのかも知れないし、あるいは虚勢を張って牽制したつもりが北に先手を打たれたのかも知れない。

だがこのレセプションでもっと呆れた対応を見せたのが日本政府だった。なんと安倍氏が金永南国家元首とレセプション席上で「言葉を交わした」というニュース速報がわざわざ流れたのだ。外務省か官邸が命じなければこんな速報自体が出るわけもないが、立て続けに安倍氏はわざわざ囲み会見を開き「核問題と拉致問題について日本の意見を伝えた」のだと強調した。

安倍氏には国内というか熱烈支持層向けのアピールしか眼中にないのがここでも露骨だが、これならまだ同席してもなにも言わない方がマシだった。いかに日朝関係が最悪だからといって儀礼的なレセプションの場で挨拶もそこそこにこの態度というのも信じ難い話だが、こういう安倍氏の国内引きこもり的な態度がむしろ喝采を浴びてしまう日本というのもどうかしている。

友好ムードの水面下で韓国が展開する、自国民の命を守る壮絶な外交戦

文在寅政権が北朝鮮との対話のなかで核問題というテーマをあえて避けているのは確かだし、そこに日米が不信感や不満を抱くのも分からないではない。だがそれを言うなら、アメリカや日本は韓国にいったい核問題についてのなにを交渉しろと言いたいのだろう?

北朝鮮側が「これは南の同朋ではなくあくまでアメリカへの対抗」とすでに宣言してしまっていて、また実際に北朝鮮が韓国に核攻撃を行う可能性が限りなく低い(38度線に近いソウルを狙えば放射能の影響は北朝鮮領内にも確実に及ぶし、建前だけでも将来の統一を目標に掲げている以上はそもそもあり得ない)上に、現に開発しているのが韓国への攻撃に使うわけがない大陸間弾道弾であれば、韓国が北に要求や交渉できることがほとんどない。

言い換えれば、北朝鮮と核問題について交渉できる相手はアメリカだけで、だからこそその米朝直接交渉へとなんとか誘導したいのが韓国の真意だ。だがその肝心のアメリカの方針がまったく定まっていないのは、歓迎レセプションでペンス副大統領を北朝鮮の金永南最高人民会議終身委員長と同席させようとした韓国の思惑からペンス氏が、というかアメリカ側が逃げてしまったたこと、秘密会談をやるかやらないかで揉めて北朝鮮側にあっさり足下を掬われたこと等を見てもよく分かる。

とにかくこうも方針が定まらないのでは韓国政府の対米不信は増すばかりだが、北朝鮮の圧力や韓国の拒絶で米韓軍事演習が出来ないと見られれば、これはアメリカにとっては沽券に関わる事態になりかねない。韓国内の親米右派というか対米従属勢力の朴正煕(朴槿恵の父)信奉ファシスト勢力も、合同演習がなくなればトランプに深く失望するだろう。そんな韓国への懐柔策としてトランプ大統領は娘のイヴァンカ・トランプ補佐官をオリンピック閉会式に派遣する模様だが、逆にイヴァンカ補佐官しか派遣できないということは、なにも決められないので韓国になにか中身のあることを伝えるのが難しいトランプの苦境を示唆しているに等しい人選でもある。

なにしろホワイトハウス内では強硬派が「鼻血作戦」と名付けた軍事行動を準備していることまで報道されてしまっているのだ。この作戦の前提となっているのは金正恩が合理的な判断のできる理知的な指導者だという認識のようで、そこまではこれまでの北の動きを見てもこの分析は恐らく正しい。だが問題はそこから先だ。金正恩は合理的な判断ができるはずだから、アメリカが小規模・ピンポイントの軍事攻撃で核やミサイルの施設のみをターゲットにするだけなら、北朝鮮を国まるごと消滅させるだけの軍事的能力を持つアメリカ相手に全面戦争を覚悟してまで反撃はしないだろうから、一撃を食らわせて出ばなをくじけば、アメリカのペースで対北直接交渉を始められるというのだ。現実離れした利己的楽観主義というか、いわゆる「希望外交」の愚もここまで来るか、という呆れた内容だ。韓国がこんなアメリカの軽卒な動きは絶対に阻止しないことには自国民の命を守りきれない、と考えるのは言うまでもない。

だいたいこんな作戦を検討していることが最高軍事機密として守られもせずに、政権内の方針対立で呆気なくマスコミに暴露されてしまっている時点で、韓国はトランプ政権を能力的にも政治的にも信用も信頼できなくなる。この「鼻血作戦」の詳細が報道されたのは、駐韓大使の予定だったのがトランプと意見が合わなかったらしく就任が見送られたヴィクター・チャ氏による暴露なのだから、ホワイトハウスと国務省の内部が想像を絶するほど混乱していることまでよく分かってしまった。これでは韓国がアメリカを信頼できずに、自ら主導権を握ろうとしても当然だ。

オリンピック=パラリンピック後の米韓合同軍事演習の再開はもはや立ち消えになったも同然か、少なくとも韓国は全力でこれを阻止するだろう(そしてどっちにしろ韓国の合意なしには、アメリカはこの演習は実行できない)。多少なりとも軍事や安全保障の基本が分かっていれば誰でも気付くことだが、合同軍事演習は「鼻血作戦」の奇襲のためのカムフラージュになり得るし、北朝鮮側も当然そこを警戒して激しく反発する。偶発的な戦争勃発の危険性はこの上なく高まってしまうし、そもそも「鼻血作戦」なんてアメリカが準備していることがバレている時点で、北朝鮮の強硬な拒絶姿勢を責めることもできない。

しかも「鼻血作戦」以前には「斬首作戦」(平壌に特殊部隊を送り込んで金正恩ら首脳部を暗殺すること)が検討されていたことも、真偽は定かではないにしてもさんざん報道されているし、ここへ来て小規模の核兵器なら先制攻撃も、という新しいNPRが公表されている。これでは大国である自国に従わないのなら核攻撃を使うぞ、という「抑止力」の範疇を遥かに越えた核による威嚇・脅迫がトランプの「アメリカ・ファースト」の本質ではないか、と批判が集まって当然だし、韓国にしてみれば現実的に核戦争に巻き込まれるリスクが高まる。

平昌オリンピック開会式の翌日、金与正氏は自らが金正恩の特使として訪韓したことを明らかにし、文在寅大統領を平壌に招待して首脳会談をやりたいという提案を伝えた。文在寅大統領は提案を歓迎しつつも条件が整わなければ難しいとして即答は避けているが、この話が前日、つまり開会式の当日にはリークされていて、それもアメリカのテレビでスクープされたのを見ると、この親書を渡すセレモニーは事前リークも含めて韓国と北朝鮮が組んでアメリカに圧力をかける計算づくの出来レースだったと見るべきだろう。

つまりは米韓合同演習と、それが「鼻血作戦」や「斬首作戦」のカムフラージュに使われることを阻止するためにも、アメリカを北朝鮮との交渉のテーブルにつかせることが南北双方の一致した利害なのだろう。また帰国の途についたペンス氏もこの圧力メッセージをすぐに理解したからこそ、前日にレセプションでの同席すら拒否した態度を翻し、無条件の対話開始にまで言及したのだろう。とりあえずああ言っておけば、パラリンピックの終了まではトランプ大統領が方針を決めるための時間稼ぎは出来るのだ。

アメリカ外交が迷走するのは、方針を定めようがないから

だが無条件の対話開始と言っても(以前にはティラーソン国務長官が「天気の話でもいい」と、ホワイトハウスや国務省内の強硬派への牽制であえて発言したこともある)、アメリカとしても本格的に北朝鮮との交渉に入るのなら「朝鮮半島の非核化」以外に掲げられる大義名分がなく、しかしそれだけではアメリカ側も自らの安全保障に関わる重大な妥協を強いられる可能性が高い。しかもそれがおおっぴらには絶対に主張できない国益なので、確かにホワイトハウスとしても動きようがない。

予め断っておくと、「朝鮮半島の非核化」は日本で勝手に思い込まれているような「北朝鮮の核放棄」だけを意味するものでは絶対にあり得ないし(そんな態度ではそもそも交渉が始まらず、かえって北朝鮮の核武装強化を招くだけ)、経済制裁も、逆にクリントン政権時代のように援助と引き換えに核開発凍結を要求することも、もはや交渉カードとしてほとんど機能しない。クリントン政権が提供するはずだった発電用の軽水炉は口約束だけに終わり、当然ながら北朝鮮の核開発凍結という約束も反故になった結果が現状の核とミサイル危機だ。もはやこんな程度の信用に値しない話に、そもそもアメリカの核の脅威に晒され続けているからこそ対米攻撃可能な核武装を目指して来た北朝鮮が、今さら乗って来るわけもない。

繰り返すが既に、北朝鮮はアメリカ本土を核攻撃できる能力を理論的には持っているのだ。今でもアメリカ本土のどこかへの核攻撃までは既にできるし、殺傷能力はなくとも電気系インフラは破壊できる電磁パルス攻撃なら技術的に不可能ではない。

この抑止力カードを北が使える以上は、「朝鮮半島の非核化」は北朝鮮にとって核兵器保有による抑止力の必要がなくなる状況を同時に担保すること、つまりはまず朝鮮戦争の戦争状態が国際法上は今も続いていることの解消と、北朝鮮から見たアメリカの核の脅威を解消するか、少なくとも大幅に減らすことしかない。具体的には、朝鮮戦争の講和の平和条約と正式国交を締結する交渉の開始と、なによりもまずアメリカが北朝鮮を狙った核兵器の撤去の交渉に入る可能性を匂わせくらいはしなければ、アメリカが「無条件の対話開始」を示唆しただけでは今さら北側が乗って来るわけがない。ここまで北朝鮮が有利に動ける状況を作ってしまったのも、口先だけの強硬姿勢だけで連携すらあやふやだった日米が、ひたすら時間稼ぎを北朝鮮に許してしまったからだ。

もし北朝鮮だけが相手で済むことならば、アメリカにとってもこうした交渉は必ずしも不可能ではない。北朝鮮が対米核攻撃能力を既に持っているか近い将来には持つだろうとしても、せいぜいが大都市を二、三ヶ所標的にする程度の物量しかなく、アメリカの軍事戦略の全体像からすれば微々たるものでしかないからだ。北朝鮮はしょせん小国であり、アメリカにとってそこまで強大な抑止力を維持して対峙しなければならない相手ではない。

だが北朝鮮に対するアメリカの大量核攻撃能力というのは、地理的な条件でたまたま北朝鮮も射程に入っているだけなのが本質だ。北が警戒しているアメリカの核戦力の真の第一目標は、北なぞ問題にならないほど巨大な核武力を保有しているロシアと中国なのだ。

ロシアと中国を狙った核兵器だから自動的に北朝鮮も狙えるのに過ぎないわけで、北朝鮮にその撤去ないし縮小がない限りは核放棄はしないと迫られても(そして当然、最終的にはそういう交渉にしかならない)、アメリカからすれば中ロとの核バランスが目的の核配備をたかが北朝鮮相手のために撤去する、つまりはロシアや中国との核武装競争に不戦敗することは、国内世論的にも絶対に出来ない。ちなみにこれは公言してしまえば米中・米ロ関係が致命的に悪化するので、口が裂けても交渉の場でオープンには主張できないアメリカの国益だ。

「対話のための対話」こそが今できる唯一の手段

つまり米朝直接対話が始まっても、これは合意や結論どころか妥協できる落とし所がまったく見えないまま延々と狐とタヌキの化かし合いが続く交渉にしかならないだろう。安倍政権がそこまで先を読んで「対話のための対話では意味はない」と言い続けているのかどうかは怪しいが、しかしだからこそ、対話のための対話以外に問題解決というか危機を収束させる手段はないのが現実なのだ。

対話が続く限りはアメリカ政府内の強硬派も「鼻血作戦」や「斬首作戦」を実行すれば国際的な非難を浴びて孤立し、トランプ政権への国内外からの不信が絶頂に達する以上、軽率な動きはできないし、北側でも対話を続けているあいだは国外の目から隠すことができない核実験や「火星15号」の実戦配備にはどうしても必要な通常軌道での発射実験もできない。

いくら韓国にとってアメリカが軍事的には最大・最重要の同盟国と言っても、自国の国益や安全を大きく損なうことを覚悟でアメリカを守る外交交渉を行う義理は、同盟国ではあってあくまで属国ではない以上は韓国にはまったくない。ましてやアメリカが自国を巻き込んだ戦争を始めることには絶対に賛成しない。またアメリカ政府にしても本音ではいかに不満でも、少なくとも公的な、建前のレベルでは、韓国が同盟国であって決して属国ではない以上、米韓合同軍事演習の開催ひとつをとっても韓国政府の意向を無視して押し付けはできない。

そんな大国の横暴は、単に国際的にアメリカの地位を貶める結果にしかならないだけではない。韓国の過去の軍事独裁政権はアメリカのバックアップで成立していたし、アメリカの命令でヴェトナム戦争にも参加させられ、アメリカの力を背景にした政府によって国内で人権侵害が相次ぎ、民主化から30年を経ても解消しきれていない政財界の癒着による富の独占や政治腐敗もまた、そうしたアメリカの権威を背景に蔓延していたものだ。

文在寅はそうした過去を批判し否定することで出て来た革新政権だし、韓国国内にはなにがあっても対米従属の反共右派に染まった朴正煕崇拝的なファシスト層も未だ一定数は(世論調査では3割くらい)いると言っても、それ以外の国民の圧倒多数にとって自国がアメリカの属国となり隷従することは国と民族の名誉に関わる問題なので敏感になって当然だ。一方でアメリカの北朝鮮敵視政策は韓国の同盟国としてという大義名分があってこそ集団的自衛権の文脈で正当化されるもので、なのにその韓国国民のプライドを傷つけアメリカ自身への反発を買うだけでも、アメリカ政府も慎重にならざるを得ない。

南北の文化交流や政治的な対話が続けば、そのあいだはアメリカも北朝鮮に対する軍事行動に出る大義名分は得られない。さらにアメリカに米朝交渉を始めさせることが出来れば、挑発合戦とブラフの応酬から偶発的な軍事衝突が起こるリスクも限りなく下げることもできるし、そのあいだは北朝鮮も対米核戦力の実戦配備に向けて技術的に必要な手順がクリアできない。だから「対話のための対話」に過ぎないとしても、それが続く限りは戦争にならない、というだけでも大きな意味があり、つまりは韓国は自国が戦争に巻き込まれることを懸命に阻止しているのだ。

そして妹の金与正氏を特使として韓国に派遣することで、金正恩もまたその韓国の懸命の外交努力に意識的に協力してもいる。

また逆に言えば、アメリカが世界で唯一核兵器を実戦での虐殺行為に使用した人道犯罪を深く反省して、核兵器廃絶条約に賛同でもしない限りは、「北朝鮮の核問題」は絶対に解決しない。ならばせめて破滅的な事態を避けるためには、ひたすら対話のための対話を続けて、徐々に信頼関係が醸成されることで好転に期待をつなぐ他はないのだ。

「統一」はスローガンだけの夢物語、現実の狙いは別にある

もちろん韓国と北朝鮮のあいだには、今は分断国家であっても元は同じ民族という意識もあるが、この一連の問題への対応で見える日本と韓国の決定的な違いは必ずしもそこから来ているわけではない。

だいたい南北双方とも「統一」というスローガンを口先では掲げてはいるものの、そんな絵空事が現実にはあり得ないこともまた双方百も承知している。南北合同の入場行進や女子ホッケー合同チームも、本気で近い将来の民族統一を目指すものではおよそなく、双方がお互いに近くて遠い国である現実がそう簡単に変わるわけがないのは国際的な環境だけでなく、現状ここまで激しく開いてしまった南北の経済格差や、この70年のあいだに染み付いた決定的な意識の違いも大きい。

韓国と北朝鮮の交流が進めば北朝鮮の国民が韓国の文化に触れて、それが北朝鮮社会の変化を促して、北朝鮮の体制転換につながるという楽観論もあるが、冷戦末期ならともかく現代ではこれもまた甘過ぎる希望的観測だろう。ソウル五輪やベルリンの壁の崩壊から30年近く経った今では、たとえばドイツで東西の経済格差が未だ解消されていない現実とそこから派生する様々な社会問題も見えている以上は韓国側でも慎重になるし、北朝鮮の国民の側でも脱北者が韓国社会で遭っている厳しい差別であるとかは、なんとなくにせよ伝わっている。さらに言えば日本で在日朝鮮人への差別がむしろ激化していることも、当事者の在日朝鮮人から北朝鮮にいる家族親戚に伝わっている。こんな状態では北朝鮮の国民が自分達の置かれた不自由な立場に気付いて体制転換を求めるなんていう展開は、あまり期待できないだろう。

30年前のヨーロッパでの「鉄のカーテン」の崩壊がどのような結果をもたらしたかと言えば、後進地帯のままの旧東欧圏で極右民族主義と排外主義のファシズムが伸長し、世界の分断が危惧されている。そんな現実も踏まえれば、南北朝線の「統一」が現実的にはあり得ない夢で絵に描いた理想でしかないことは双方織り込み済みの前提だし、今の「融和」ムードはあくまでもこの現実を前提としたものでしかない。

だが「南北統一」が夢物語でしかなく、越えようがない壁が両国のあいだに厳然としてあるからと言って、いがみ合い殺し合う必要まではないのもまた当然だ。

まして北朝鮮とアメリカの戦争で韓国が最前線に立たされて他国の利害のために自分達が殺し合いをやらされるのはまっぴら御免だからある程度仲良くしよう、少なくとも戦争は御免だし、韓国がアメリカの言いなりを強要されるような状況は今後は拒否したい、というのが韓国にとっての現実的な落とし所で、そこは北朝鮮側も暗黙のうちに理解を共有している。

国や民族のプライドや名誉の感覚がない日本では理解できないこと

こうした韓国の動きを日本が理解できず見当違いの外交方針(というか対米依存以外では外交無策)に走ってしまいがちで、それだけ韓国と日本で現状認識や意識に決定的な違いがあるのは、むしろアメリカに対する国民の意識の違いというか、もっとはっきり言えば自国がアメリカの属国に甘んじることについて韓国人には国民・民族の最低限のプライドは少なくともあるのに対し、現代の日本人に民族や国の名誉という概念がそもそも理解できていないところにこそ原因がある。

早い話が昨年11月のトランプ来日ひとつを取っても、相手がいかに大国だろうが…いや世界に冠たる超大国だからこそ、総理大臣があそこまで卑屈に媚を売る態度を露骨に見せれば、「普通の国」なら支持率は激減しあっというまに政権交替に至って当然だった。まして相手は白人至上主義者との関わりが噂されるような大統領なのに、そこに尻尾を振って擦り寄って「個人的な信頼関係」を自慢する非白人のアジアの国の首脳なんて、普通の国の国民からみれば国辱であり売国すら通り越して、政府自らが自分達国民を “白人国家サマ”、アメリカならアメリカの奴隷にしようとしているとしか見えない。

面従腹背によほど経済的なうまみがあるとか、飢え死にするまで追いつめられているとか、長い植民地支配の結果自信を徹底的に失って自らを奴隷しかできないと位置づけているような民族とか、圧倒的な軍事力の差があっていつでも皆殺しにされる脅威や恐怖感でもない限り、こんな政権の態度が支持率の暴落を招かない国というのは、世界広しといえども日本くらいしかないのではないか?

韓国に限ったことではなく、北朝鮮に対しても含めて、最近の日本外交がことごとく失敗している大きな理由がここにある。逆に第二次大戦であれだけのことをやって惨敗した日本が、占領が終わった後に急速に国際的地位を回復できたのは、多くの戦勝国が発展途上国の諸国民に無自覚な差別意識で接し続けたのに対し、日本からたとえばインフラ整備や技術開発や商取引でそうした国々に行った現場の人達が、はっきり言えば欧米の白人のような人種差別丸出しの偉そうな態度を取らなかったからだ。80年代に日中関係が瞬く間に回復したのも、今でもアラブ諸国やイランなどで日本への信頼が失われていないのも、近年ではアフガニスタンで日本のNGOやNPOがもっとも農業支援などで実績を挙げているのも、本来の日本人らしい振る舞いが現地の人々のプライドを無神経に傷つけない、むしろなるべく対等に付き合って、相手の話もよく聞いて来たからだ。

日本が第二次大戦で甚大な被害を与えた東南アジア諸国ですら、戦争の被害はしっかり認識されていても戦後の日本にあまり反感がないのは、欧米白人に較べて日本人はまだ謙虚に振る舞って新たに独立国となった国の人々を傍若無人な「植民地の野蛮人」扱いで傷つけることが少なかったことが大きい。こうした以前なら日本人全般に見られた態度は、意図的に相手の顔を立てるといった意識的な計算に基づくというよりも、伝統的な文化や価値観に根ざした無自覚で、かつ自然なものだったのだろう。

自国が強国の属国や保護国、つまりは奴隷であることを素直に喜ぶ国民は世界広しといえども日本にしかいない

だがそうした日本的人的な美徳がなまじ無自覚なもので、我々が自分たちの良さに気付かなかったのが運の尽きなのかも知れない。朝鮮半島との関わりに限らず、今の日本の外国との付き合い方はそうした過去の美徳を完全に失っていて、ならばいささか強引であってもしっかり国益を確保するならまだしも、安倍政権なぞは経済大国の傲慢さにふんぞり返る間抜けさの足下につけ込まれているばかりだ。途上国にカネをさんざんバラ撒いて得られるのは口先だけのリップサービスで「法の支配は重要」などと言った抽象論だけの曖昧な賛同らしきものを引き出しては、それを国内で「価値観を共有する外交」だの「地球儀を俯瞰する」だのと喧伝するだけなのが、外遊先の数ばかりを自慢したがる安倍外交の実態だ。

金与正氏が正式に特使と名乗って文在寅大統領と会談する前日に、すでに米NBCニュースが北朝鮮が南北首脳会談を提案して文氏を平壌に招待することをスクープしていたのは先述の通りだが、この報道では8月15日という具体的な期日も挙げられていた。日本にとっては幸いなことに、この日付までは具体的に提案されなかったようだが、その意味が日本政府や日本のメディアにはちゃんと理解できているのだろうか? 一応、韓国にとっても北朝鮮にとっても独立記念日だから、とまではさすがに言及があったが、独立とはとりもなおさず日本の植民地支配から解放された記念日ということだ。

こういうと昨今の日本人はすぐに「だから韓国も北朝鮮も反日だ」とか「インフラを整備して近代化させてやったのに恩知らずだ」などと息巻くのだが、仮に日本がどんなに善政を敷いていたとしても(ちなみに史実は真逆)、朝鮮半島に較べれば植民地統治がある程度は成功していた台湾でさえ、異民族による植民地支配から解放されたことを喜ぶのは当たり前だった。まして近代の植民地支配の歴史のなかで、日本の朝鮮半島統治ほど盛大に大失敗した例は他にちょっと見当たらないことくらいは謙虚に自覚するというか、少しは他人様からは物事がどう見えるのかを考えて、相手国の反応や出方くらいは計算して自国の振る舞い方を考えないことには、外交なんで出来るわけがない。

だがどうも、近現代の日本人には「自分たちの国の命運は自分たちの意志によってこそ決まる」ということ、つまり「国家の主権」やその主権が国民にあるという「主権在民」の価値が、そもそも理解できないのかも知れないし、また戦後の日本政府が一貫してその方向に国民を洗脳して来たのは確かだ。

しかし日本人の大多数がトランプに媚を売るアメリカの属国であることに安心感を抱いているとしたらそれは異常な国民であり、まして「日本がアメリカに従っているのだから」と、本土の日本人が自分達より下位に見ている沖縄の人々(本来は、元は琉球王国という別国家の別民族)や、かつての植民地である朝鮮半島の人々に自分達以上の対米従属を要求して当然だと思い込んでいるとしたら、この歪んで屈折しまくった差別意識というか、人種差別思想に完全に毒されて卑屈に歪んだ自己認識や世界観が、少なくとも他のどの国のどんな国民にもまったく通用しないどころか理解すらされないことくらいは、さすがにちゃんと自覚した方がいい。

直近ではこの自分達の国民性の異常さが自覚できない問題が、北朝鮮の核とミサイル開発に対峙するためには欠かせないはずの日米韓の連携を日本がぶち壊しにし続け、事態を混乱させ悪化させ続けていることの根幹にある。

慰安婦問題にしても、「明治の産業革命遺産」の世界遺産登録で安倍政権が自ら自爆行為的にクロースアップさせてしまった戦時中の徴用工問題でも、日本が不誠実なごまかしを続ければ続けるほど、北朝鮮は韓国に対して「我が民族を暴虐に支配したことをまったく反省していない日本になぜ媚を売るのか?」と問いつめることができるし、そう言われれば韓国側は反論が出来ない。

北朝鮮の国民からみれば、もし日本が韓国をアメリカの属国に過ぎないと誤解していて、しかもその属国どうしの間では日本より下位が韓国なのだから従え、というようにしか考えられないのであれば、どんなに経済的に追いつめられても、そんな奴隷の立場よりは曲がりなりにも独立国としてのプライドだけは維持してくれる金正恩を、最終的には選び続けるだろう。まして「最大限の圧力」に早々屈して北朝鮮が政策を変えるなんてことはまずあり得ないというか、そんな超大国の圧力だけで唯々諾々と態度を豹変させる国民なんて日本人しかいないのではないか?

平昌オリンピックでの日本選手団の活躍に「同じ日本人として誇りを感じる」とか憧れを持つまではいいし、こと今年活躍している選手の多くが、かつての「体育会系」つまりこう言っては悪いがスポーツしか出来ないよく言えば「純粋」というか、なにも考えていない単純な人々というステレオタイプを完全に覆し、羽生結弦選手、小平奈緒選手や高木美帆選手、平野歩夢選手のように、インタビューに答えれば繊細な知性と感受性も明らかで鋭い自己分析に深い哲学性すら感じさせるほど言語能力も高い。だがそうしたアスリートたち(しかも個人競技)を見て「日本人としての誇り」を口にする人達の多くに、「◯◯人の誇り」を言うのであれば、その誇りの根幹になにがあるべきなのかがあまりにも抜け落ちているのは、さすがに奇妙過ぎる。

そもそもスポーツが表現し伝えるもの自体が政治

冬期五輪のフィギュアスケート男子シングルは、すでに先のソチ大会で金メダルが日本人の羽生、銀は中国系カナダ人のパトリック・チャン、銅はカザフスタンのデニス・テンと、アジア系(非白人)表彰台独占というのは、とりわけこのスポーツの歴史からすれば大変に政治的な意味があった。そして今大会では、宇野、羽生の日本の2人に中国の金博洋、中国系アメリカ人のネイサン・チェンと、メダルの最有力候補と言われて来たのはいずれもアジア人だった。結果は今期のこれまでの不調を吹き飛ばしたスペインのハヴィエル・フェルナンデスがSPフリー共に感動の豊かな表現力で銅メダルだったが、その演技もかつての「氷上の貴公子」的なマチズモの欧米白人選手とは一線を画す、しなやかさと寛大なユーモアに裏打ちされた深い情感で観客を魅きつけるものだ。

白人の、元々は植民地主義的で欧米保守白人的な美意識の競技だったフィギュアスケートがこういう時代になっただけでも、大変な政治的意味がある。ちなみにその前のヴァンクーヴァー大会ではSP1位のロシアの「帝王」プルシェンコが銀メダル、フリーで逆転してアメリカのライザチェクが優勝し、日本の高橋大輔が銅メダルでアジア人で初の表彰台となったが、女子の方では日本の浅田真央と韓国のキム・ヨナの、やはりアジア人2選手が首位を争っていた。もっとも女子でははるか昔のアルベールヴィル大会で浅田真央の大先輩・伊藤みどりがアジア人初銀メダル、トリノ大会で荒川静香が金メダルに輝いていて、その間には中国系アメリカ人のミシェル・クワンの活躍もあった。

オリンピックや国際スポーツというのはこういう場でもある。近代スポーツ、とくにウィンター・スポーツは圧倒多数がヨーロッパやアメリカが起源のいわば「白人のスポーツ」だし、オリンピック自体が起源はヨーロッパ白人文明の起源であり自分達の優位の象徴だとヨーロッパ人が思い込んで来た古代ギリシャだ(もちろん考古学的な研究が進むに連れて、この歴史観がまったくの誤りであることが徐々に解明されて来たが)。それが今大会は参加国も史上最大で、フィリピンやマレーシア、エチオピア、ジャマイカ、トンガのような「え?この国に冬ってあったの?」「雪降るの?」と思わず驚いてしまうような国も競い合うようになっただけでも、そこには大きな政治的な意味がある。

国ぐるみのドーピング疑惑で国としての参加ができないロシアから、それでも多くの選手が個人資格で参加し、そんな不安定な立場でも女子フィギュアのエフゲニア・メドヴェージェワ選手が(それも国別の団体戦で)いきなり世界歴代最高得点を叩き出したのも(それも右足骨折から復帰したばかり)様々な政治的な意味を持つし、記者に「国旗を背負って戦えない」ことを尋ねられた時にも、その無神経でぶしつけな、歪んだ政治性丸出しな質問に、まだたった18歳の彼女が「私が誰であるかは見る人はみんな分かってるから」と答えたのも、あっぱれなまでに見事な政治的な発言だった。

近代オリンピックが始まって数十年間は、衛生や栄養状態などを背景に先進国、つまりは白人国家が圧倒的に有利で、こと1936年のベルリン・オリンピックはヒトラーの白人至上主義のプロパガンダに利用された。聖火リレーはこの大会から始まっているが、ドイツ民族がその白人のなかでも最高位の、ギリシャに始まる「文明」の正統後継者だと言いたいのが露骨だった。

それでも徐々に世界は変わって来たし、スポーツにそういう人種差別の政治性を覆す力があることは、最も悪しき政治利用が徹底されたオリンピックであるベルリン大会でも示されていた。アメリカの黒人選手ジェシー・オーエンスが陸上競技4冠を達成し、ヒトラーはえらく不興だったという。

浅田真央とキム・ヨナのライバル関係を韓国憎悪に政治利用した醜悪さ

そもそもクーベルタン男爵がこの運動を創始した時から、オリンピックは高度な政治的理想主義に基づくものだった。そして競技自体の起源は欧米の文化から産まれたものでも、公正なルールに基づき平等に、「戦う」のでなく競い合うことを100年以上続けて来たことは、決して無意味ではなかったのだ。

そのオリンピック憲章にはスポーツを通した平和の構築という政治的な目標が明記されている一方で、明確に禁じているのはオリンピックを国威発揚に利用して他国への憎悪を煽ったり、「公平なルールに基づく平等」を崩そうとするような、たとえば特定の人種・民族の優越性を誇張するためにスポーツを政治利用する態度だ。ちなみに国ごとのメダル数を勘定することも憲章では禁止されているし、この憲章がオリンピックの主催側に直接関係する組織と個人(たとえば競技団体や選手、スポンサー)以外にはなんの法的な権限も持ち得ないとはいえ、かつての浅田真央とキム・ヨナのライバル関係を勝手に日韓対立に重ね合わせて朝鮮民族差別丸出しの憎悪をキム選手にぶつけていたのも、オリンピック精神からすれば完全にアウトの「スポーツの政治利用」だ。

日本の報道機関やネット世論に憲章違反を問う権限がIOCにないだけで、だいたいこれは浅田選手にこそあまりに失礼というものだ。ヴァンクーヴァー大会の2009-2010シーズンの浅田真央のフリー演技、ラフマニノフ作曲の「鐘」は、憎しみのもたらす戦争の悲劇を前に、自らの憎悪の感情を乗り越えて真の平和に到達しようという深い政治的メッセージ性を持った傑作で、当時のコーチのタチアナ・タラソワ氏の、独ソ戦やスターリン独裁、冷戦、ソ連の崩壊といったロシア民族の苦難の近代史を踏まえた強い思いが反映された振り付けが、タラソワ氏の見込んだ浅田の傑出した才能(単にスケートの技術だけでなく、その人間性と表現力)に託されていた。対するキム・ヨナが表現面では西洋の考えるアジア系「美女」のステレオタイプに集中していて、その「表現力」に日本のメディアが「真央ちゃんはもっと大人の色気を」とか言っていたのは、もうどこまで歪んだ男尊女卑の政治性なんだ、という話でもある。ちなみにキム・ヨナが実際に強かったのは技術点の出来映え加点で、浅田真央は一貫して高い演技構成点、つまりトリプルアクセル以上に高度な表現力と芸術性こそが評価されて来た選手だった。

ヴァンクーヴァーではフリー後半の三回転ルッツ・ジャンプの失敗で銀メダルに泣いた浅田選手だが、あの場でその高い芸術性で見せつけたことが、この競技をめぐるジェンダーの政治性に今も継続する革命を引き起こした。今大会ではどのトップ選手も男性目線の「お色気」ではなく女性の強さ、31歳の大ベテランとなったイタリアのコストナー選手の女性から見た大人の女性のしなやかな官能性と女性の自由を表現するプログラムや、メドヴェージェワ選手が得意とする女性が繊細に女性らしくあろうとするが故に翻弄される悲劇性、といったテーマを競い合っている。日本女子のエース宮原知子は、西洋的な「フジヤマ、ゲイシャ」の差別的ステレオタイプの典型「蝶々夫人」と映画「SAYURI」の音楽をあえて用いながら、その意味付けを「アジア人女性の強い意志」に読み替えるという高度な政治性に挑戦しているし、日系アメリカ人の長洲未来選手も「蝶々夫人」をヴェトナム戦争に置き換えたミュージカル「ミス・サイゴン」の曲を使いながら、表現しているのはアジア女性の戦乱や苦難のなかでも不屈の力強さだ。

オリンピックは政治的イヴェント、そこで問われるのは「正しい政治」

五輪の金メダルは取れなかった浅田真央だが、フィギュアの表現の流れで最終的に勝利したのは彼女であり、キム・ヨナ的な男性目線の「女らしさ・色気」はすっかりこの競技から消え、男子の方でも羽生結弦を初めとするアジア系選手の繊細さと柔軟性を活かした表現が西洋的マチズモの「男性性」を淘汰してしまった。たとえば今大会のアメリカ代表の1人アダム・リッポン選手はゲイ的な表現をあえて前面に押し出したプログラムを演じている。思えばヴァンクーヴァー大会の時にそれまで女子しかやっていなかったドーナッツ・スピンなどの技を見せつけたのがデニス・テン選手(ソチ五輪銅メダル、カザフスタン)だった。

フィギュアスケートのように芸術性が問われる競技はある意味例外とはいえ、スポーツには短絡的な国威発揚(要するに「我が国が勝ったから我が国はスゴい」的な安直さ)の政治効果があってそこはオリンピック憲章が厳しく禁じている一方で、これが「平和の祭典」と呼ばれることに集約される意味での政治性は、元から意識されて当然のものだ。

もちろん一方で、身体的な能力を競い合うこと自体には「健全な精神は健全な肉体に宿る」的なファシズムのメッセージも入り込みかねないが、だからこそオリンピックにはパラリンピックも併設されているし、近年ではドーピングについて厳しい態度が取られ続けているのも、かつて冷戦期にオリンピックが東西両陣営の力の見せつけ合いに堕したことへの反省が込められている。

東京五輪の招致を決めた当時、東京都で考えていたのは高齢化社会に備えるバリアフリー化の必要をパラリンピック大会を使えば世論を納得させられると踏んだからでもあり、当時の猪瀬知事が政権の「復興五輪」に押し切られてしまった感はあっても、パラリンピックをアピールすることで障がい者への偏見を払拭しようという優れて政治的な流れは小池都政でも続いている。IOCとWHOがオリンピック開催都市に禁煙キャンペーンを義務づけているのも、喫煙ががんだけでなく高血圧や動脈硬化などの生活習慣病との強い関連性が指摘されるなかで、医療費や社会保障費の将来的な増大を抑える財政の観点からも重要な政策になるはずなのだが、日本政府はまったく遅れている。

あるいはアメリカで進むセクハラ、性差別の糾弾の動きで露見したなかでも最大最悪のスキャンダルは、女子体操のアメリカ代表チームでチーム医師が永年に渡り選手に性的虐待を繰り返して来たことだろう。これは浅田=キムのライバル関係に「真央ちゃんはもっとお色気を」と言っていた日本のワイドショーのオジサン・コメンテーターたちにも通じる歪んだ男権主義の政治性の問題でもあるが、スポーツは身体をめぐるものだからこそ常にこうした政治性のせめぎ合いの場にもなり、そのなかでいかなる立場が正当なものとみなされ、どういう態度が取られるべきなのかがオリンピックだからこそいかにはっきり示されるのかについて、なぜか日本のメディアや世論は恐ろしく鈍感だ。

かくも無自覚な、歪んだ政治性に染まった日本での今回のオリンピック受容のなかで、やはり際立って特筆すべきが、スピードスケートの女子ショートトラック500mで金メダルとなった小平奈緒選手の見事な振る舞いだろう。この競技の世界記録保持者で金メダルの最有力候補は韓国のイ・サンファ(李相花)選手だった。女子スピードスケートがオリンピックのメダルからいささか遠ざかっていたのと、元からフィギュアスケートほどの人気の注目競技でなかったので、浅田真央=キム・ヨナのライバル関係に仮託されたほどの韓国憎悪の狂乱にまでは幸い至っていなかったとはいえ、似たような構図はレースの直前ともなるとやはりずいぶん強調されていた。

試合とは別にこんな妙な重圧まであることを知ってか知らずか、自分にこそ集中して圧巻の滑りを見せたあとの小平選手の振る舞いはまことに美しく、それもごく自然なものだった。しかも小平選手、イ選手双方がレース後に明かしたのは、ライバルであってもプライヴェートでは親友どうしだったこと、小平選手もまた過去に何度もイ選手に助けられて来たことだった。表彰台に向かう前に緊張した面持ちのイ選手を小平選手が後ろから手で触れてリラックスさせたのもいかにも自然で微笑ましい光景だったし、親しくなったきっかけのひとつが、韓国で空港への行き方が分からず途方にくれていた小平選手に、イ選手が親身に教えくれてタクシー代も出してくれたことだったとも、小平選手は明かしている。

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