皆さん、こんばんは。及川健二です。
今日は、福田康夫元総理を悼みます。10月22日に亡くなり、90歳。26日、自民党が発表しました。政治 : 日刊スポーツ
福田さんは、丸善石油での会社員生活、父・福田赳夫さんの秘書を経て、1990年に衆議院議員に初当選しました。官房長官を務め、2007年9月、第91代の総理大臣に就任します。
総理としての在任は、およそ1年。しかし、公文書を残す仕組みづくり、集団的自衛権の行使容認に対する慎重な姿勢、そして日中の対話をつなぐ努力には、退任後まで続く、一つの筋道がありました。
今日は、田中康夫さんとのエピソードを入り口に、その仕事を振り返ります。最後には、私から、お別れの言葉を申し上げます。
[2秒、間。少し柔らかく]
田中さんがSNSで振り返ったのは、ホテルオークラのエレベーターで、福田さんの奥様、貴代子さんと一緒になったときのことです。
貴代子さんから、こう声をかけられたそうです。
「あら同じ康夫ちゃんね」
福田康夫さんと、田中康夫さん。同じ漢字で、同じ「やすお」。
国会で向き合う政治家同士にも、こんな、名前をめぐる温かなやり取りがあったんですね。訃報に接した田中さんの心に、その一言が戻ってきた。肩書の向こうに、一人の人と、その家族の暮らしがあったことを感じます。
もちろん、国会では、厳しく向き合っています。
2008年1月31日の参議院予算委員会。田中さんは、輸血用血液の安全対策について質問しました。薬害の悲劇を繰り返してはいけない。その問いに、福田総理は、対応を急ぎ、厚生労働省が早急に結論を出すよう促したいという趣旨の答弁をしています。
厳しく追及することと、相手の仕事を評価することは、両立します。そのことを示す記録が、私自身の配信にも残っています。
[一拍置く]
2021年8月、横浜市長選挙のさなか。France10のWEB車座集会で、私は田中さんに、公文書の黒塗りを、田中市政になったらやめるのか、と質問しました。
田中さんは、一般の市民の個人情報には配慮が必要だとしたうえで、行政の公文書を黒塗りにすることへの疑問を述べました。そして、福田康夫さんの名前を挙げたんです。
小渕恵三さんと並んで、自民党の首相経験者の中で評価している人物だと語り、公文書を通じて過去の出来事を確かめられるようにするという福田さんの考えに、賛同を示しました。日仏共同テレビ局フランス10
今回の訃報を受けて、急に生まれた評価ではありません。田中さんは、自分が目指す行政の在り方を語る中で、福田さんの仕事に敬意を表していた。その言葉を、私は、自分の配信の中で聞いていたんです。
[2秒、間]
福田さんは、首相在任中、公文書管理法の制定に向けて取り組みました。成立は退任後の2009年6月、施行は2011年4月です。内閣府
行政が、何を根拠に判断し、税金をどう使ったのか。担当者が異動しても、政権が交代しても、後から確かめられるようにする。そのための記録です。
2018年6月の日本記者クラブの会見でも、福田さんは正確な記録を積み重ねる大切さを説き、公文書の改ざんや、資料がないという事態に、疑問を示しました。日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)
記録を残すことは、未来の国民が、今の権力を問い直せるようにすることです。私はジャーナリストとして、この仕事の重みを受け止めます。
[2秒、間。少し力を込める]
そして、福田さんの政治姿勢を考えるうえで、集団的自衛権の問題を外すことはできません。
第一次安倍政権は、2007年、安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会、いわゆる安保法制懇を設けました。日本と一緒に行動するアメリカの艦船が攻撃された場合などを取り上げ、憲法との関係を検討させたんです。
その後を継いだ福田さんは、前政権の方針を、そのまま実行することはしませんでした。
2007年10月9日の衆議院予算委員会では、集団的自衛権をめぐる問題の取り扱いには、十分慎重でなければならないという考えを示しています。shugiin.go.jp
懇談会は、翌2008年6月、一定の場合に集団的自衛権の行使を認めるよう、憲法解釈の変更を求める報告書を提出しました。しかし、福田政権は、行使容認への解釈変更を実行しませんでした。shugiin.go.jp
ここは、正確に申し上げたいと思います。当時の政府の立場は、日本が国際法上、集団的自衛権を持つことと、憲法の下でそれを行使できることを、分けて考えるものでした。
福田さんが維持したのは、集団的自衛権の行使は憲法上認められない、という従来の政府解釈です。第二次安倍政権が2014年に進めた行使容認とは、異なる対応でした。
私は、ここに、権力を担う者の慎重さを見ます。憲法解釈を動かすことは、自衛隊員の命や、国民の暮らしに関わる。その重さに照らし、踏みとどまる判断にも、政治の責任があると思うんです。
[2秒、間]
退任後、福田さんは、安倍政権の下での政治と官僚の関係にも、厳しい言葉を向けました。
2017年8月、森友・加計問題を背景に、共同通信のインタビューで、「国家の破滅に近づいている」と批判しています。社会 : 日刊スポーツ
人事権を握る官邸の顔色をうかがい、都合の悪い情報が上がらなくなれば、政治の判断そのものが危うくなる。私は、その危険への警告として受け止めます。
福田さんの言動から、私が「操守」という言葉で考えたいのは、自分の属する政党が政権を担っていても、問題だと考えたことには異議を唱える姿勢です。
安倍さんの資質を評価する発言もありました。相手を見て、ご自身で判断し、言うべきことを言う。その独立した姿勢に、私は敬意を表したいと思います。
[2秒、間。語り口を穏やかに]
その一方で、福田さんは、安倍政権の時代にも、日中の対話をつなぐために働きました。
日中関係の改善は、福田さんが、首相を辞めた後も力を注いだ仕事でした。
2007年12月、首相として中国を訪問し、胡錦濤国家主席や温家宝首相と会談しています。協力の対象は、経済だけにとどまりません。環境、省エネルギー、気候変動、そして若い世代の交流へと広がっていました。
北京大学での講演は、中国国内で生中継されました。温家宝首相とは、キャッチボールもしています。天津、そして孔子の故郷、山東省の曲阜にも足を運びました。外交青書08本編
相手の国に出向き、その歴史や文化に触れる。首脳同士が言葉を交わし、ときには、一つのボールを投げ合う。私は、そうした時間にも、相互の警戒心を解いていく外交の働きがあると思います。
翌2008年5月には、胡錦濤国家主席を日本に迎え、「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明を発表しました。
難しい言葉ですが、双方に利益のある協力を積み重ね、関係を安定させていこう、ということです。
共同声明では、互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならないことを確認しました。両国間の問題は、協議や交渉を通じて解決していくとも表明しています。mofa.go.jp
意見が違う問題があっても、話し合いによって解決する。その約束を、両国の指導者の言葉として残したんです。
さらに、日中の青少年が互いの国を訪ねる交流も進めました。政府間の関係が揺れたときにも、相手の国に、顔を思い浮かべられる友人がいる。そのつながりは、長い年月をかけて、両国の関係を支えるはずです。外交青書08本編
[一拍置く]
2014年、日中関係が冷え込む中、福田さんは北京を訪れ、習近平国家主席と会談しました。テレビ朝日は、安倍首相と習主席の首脳会談の実現について、意見交換したと報じています。news.tv-asahi.co.jp
政権運営に異議を唱える相手であっても、対話への道を開くためには、自分の持つつながりを使う。
私は、この点を、福田さんの歩みの中で大切にしたいと思います。政権への批判と、日本の外交のために働くことを、ご自身の判断で引き受けていたんです。
中国は、これからも隣国であり続けます。両国の間に暮らす人々の生活も、長く続いていきます。その時間の長さを考えながら関係をつなぐ仕事に、福田さんは力を尽くしました。
[2秒、間。声を少し落とす]
今回の訃報は、その中国にも伝わりました。
中国外務省の報道官は、福田さんを「中国人民の古くからの友人」と呼び、深い哀悼の意を表しました。j.people.com.cn
TBSの報道によると、中国のSNS、ウェイボでは、福田さんの訃報が一時、検索ランキングの1位になりました。日中友好に尽くした仕事をたたえ、安らかな眠りを祈る言葉が寄せられています。TBS CROSS DIG with Bloomberg
また、テレビ朝日系の報道では、北京の市民から、こんな声が聞かれました。
「日本からまた1人『友人』がいなくなってしまった」NCC長崎文化放送
[3秒、間]
私は、この「友人」という言葉に、胸を打たれます。
海の向こうにも、日本の政治家の死を、自分たちにつながる喪失として悲しむ人がいる。その人の生前の仕事が、国境を越えて届いていたんです。
長い時間をかけて育てた信頼が、別れの日に、惜しむ言葉となって返ってくる。私は、そこに、福田さんが尽くした外交の、かけがえのない成果を見る思いがします。
[3秒、間。ここから弔辞。静かに、急がず]
福田康夫様。
あなたの訃報に接し、ジャーナリストの一人として、ここに、お別れの言葉を申し上げます。
今日、あなたの歩みを振り返りながら、政治家が後の世に残すものについて、考えています。
あなたが首相として過ごされた日々は、およそ1年でした。しかし、その間に着手された仕事は、あなたが官邸を去られた後にも続きました。
記録を残す仕組みがあり、その記録を読んで、過去の判断を確かめる人がいる。海の向こうには、あなたを友人と呼び、その死を惜しむ人がいる。
その一つ一つが、今、あなたの生きた時間を、私たちに伝えています。
[2秒、間]
あなたは、公文書を大切にされました。
行政の判断に納得できず、その理由を知りたいと願う人がいます。過去の失敗を繰り返さないために、何が起きたのかを調べる人がいます。
あなたが力を尽くされた仕事は、その人たちの、確かめたいという願いを支えるものでした。
私は、言葉と記録を扱う仕事をしています。都合の悪いことが書かれていても、残す。その記録を読み、問い直す人がいることを認める。その姿勢を、あなたの歩みから受け取りたいと思います。
田中康夫さんは、国会で、あなたに厳しい質問を投げかけました。そして後に、私の質問に答える中で、あなたの仕事を評価されました。
意見を闘わせた相手にも、敬意を表することができる。そういう政治の在り方を、二人の康夫さんの関わりから、改めて教えられる思いがします。
[2秒、間]
あなたは、隣国との対話を続けられました。
相手の言葉を聞き、自分の考えを伝え、難しい問題が残っていても、次に話せる機会をつくる。その仕事には、忍耐が必要だったことでしょう。
何度も会い、言葉を重ねてきたからこそ、一人の政治家を「友人」と呼ぶ関係が生まれた。その重みを、今日、海を越えて届く追悼の声が伝えています。
友人を失ったと惜しむ声を、私たちは、大切に受け止めたいと思います。隣国の市民が、日本の政治家との別れを悲しんでいる。その悲しみに接するとき、私たちの間に育てられる信頼が、まだあるのだと感じます。
あなたが、これから話されるはずだった言葉を、もう聞くことはできません。だからこそ、残された言葉を、急いで忘れてしまわずにいたいと思います。
[2秒、間]
貴代子夫人の「あら同じ康夫ちゃんね」という一言が、田中さんの記憶に残っていました。
ご家族にとってのあなたは、元総理という肩書だけでは語れない、大切な一人であったことでしょう。
ご遺族の皆様が、かけがえのない方を失われた悲しみに、心よりお悔やみを申し上げます。
私は、これからも、あなたの会見や国会答弁を読み、聞き続けます。発言の前後を確かめ、評価すべき仕事には敬意を表し、疑問があれば問い続けます。
その報道を続けることが、あなたが大切にされた記録への、私なりの応答になると考えています。
[3秒、間。一言ずつ]
福田康夫さん。
政治の中で担われた長い務めと、退任後にも続けられた仕事に、敬意を表します。
あなたの死を惜しむ声が、日本で、そして海の向こうで、響いています。
その声に耳を澄ませながら、残された私たちは、隣り合う人々が、安心して生きられる未来を考えていきます。
どうか、安らかにお休みください。
ここに、深い哀悼の意を捧げます。
及川健二。
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