大手メディアが懸命に庇う安倍内閣「震災対応」の拙劣さと、失態隠しのオスプレイ騒動 by 藤原敏史・監督

ケチの付き始めは酔っ払いぶら下がり会見だった。4月14日夜に震度7の揺れが熊本県益城町と熊本市を襲った頃、安倍首相は会合か会食で飲酒していたのだろう。そのこと自体は責められるべきでは無論ない。天災は忘れた頃にやって来る、その晩にこんな天変地異が起こるとは、事前には誰にも分からなかったはずだ。

だがそれでも、そこでわざわざテレビに映ってしまったのは、この内閣の危機管理能力のなさを疑わざるを得ない。そもそも首相は緊急事態を受けて官邸に入った、と発表だけしておけば済むことで、赤ら顔で記者相手のパフォーマンスをやる必要なぞどこにもなかった。そこでまだ被災者を慰め、勇気づける気の効いたことでも言えるのならともかく、酒だけでなく自分にも酔ったかのような風情で「政府が一丸に」「迅速な対応を指示する」などと、抑制の外れた自己顕示欲のアピールでは…官邸のスタッフも誰か止めようとは思わなかったのだろうか?

なにかと言えば民主党政権との違いを強調するのが安倍内閣だ。東日本大震災への対応と比較できる絶好のパフォーマンスの機会を得たはずだったのが、お粗末としか言いようがない空回りは続いた。

まず「迅速な対応」で熊本県庁に送り込まれた内閣府副大臣の松本文明を通して、益城町の住民が町の建物の表の駐車場などに避難しているのはなんとかならないのかと要請し、知事を思わず立腹させてしまったことが一部でニュースになった。官邸が夜を外で過ごす被災者が風邪でも引かないかと慮ったのか、テレビ映りの悪さ(政府が仕事していないように見えてしまう)を気にしただけなのかは不明だが、強い余震が続き建物の中では不安だから外にいる人も多いことに気付かなかったのを知事に「被災地の気持ちが分かってない」と言われてしまい、安倍政権にしてみればさっそく大恥をかかされた気分だったことだろう。

官邸から派遣された副大臣が「政府に文句言うな」

松本副大臣が被災地自治体を怒らせてしまったことの詳細は、後に明らかにされた。官邸とのテレビ会議でまず自分への食べ物の差し入れを要求していたのにも、知事をはじめ地元自治体の人々はさぞ苛立や不安を募らせたことだろう。県庁で配られたおにぎりを「こんなもの食えるか」とも言ったらしく、「腹が減っては戦は出来ぬ」と勘違いで空威張りしていたのだとか、結局は事実上の更迭を余儀なくされたが、最初に報じられた、屋外避難か屋内かをめぐっての官邸側の想像力の欠如が被災自治体の不信を買ったこととの関連を指摘する報道がないのも、おかしな話ではある。同じ人物が、同じ文脈のなかで起こした問題だろうに。

自分に忠実だというだけで松本文明を内閣府副大臣として入閣させた安倍人事が完全に裏目に出たかっこうになるが、それにしても在京主要メディアはずいぶんとこの政権に甘い。熊本が本拠の西日本新聞は、松本が「政府に文句言うな」と怒鳴ったことも報じている。これこそ最大の失言だろうに、東京が本社の五大紙などでも松本が電話で首相に「怒鳴ってしまいました」と詫びたことは書いていながら、なにを怒鳴ったのか言及がないのは、いかにも不自然な記事だと言わねばなるまい。

14日夜の最初の揺れの際の酔っ払いぶら下がりも、その時には即座にテレビに流れたもののすぐに消え、これについてのいわば「後追い報道」をやったのは、テレビ画面をスクリーン・キャプチャーしたネット上の一般人だけだ。かつて鳩山由紀夫のカジュアル・シャツをワイドショーがさんざん揶揄したのとは、えらい違いではないか。

激甚災害指定の引き延ばしはなんだったのか?

熊本県が政府に速やかに激甚災害に指定するよう要請したことはすぐに報じられたが、その後はずっとテレビ画面のテロップで河野太郎防災担当大臣が「検討中」である旨が機械的に流れ続けただけだった。週明けに国会が再開するとさすがに野党から質問が出て、安倍首相らは指定に当たってのただの目安を盾に、被害額の県予算に占める割合の精査が終わるまではできないと、対応の遅さを誤摩化した。

だがこの基準は、そもそも目安に過ぎない。大きな災害ほど被害総額や復興費用の算出に時間がかかり、それだけ被害が大きいからこそ迅速な対応が必要になるのは当然だ。この地震の被害の大きさが激甚災害に相当することも、こと16日未明の本震後には自明だったし、安倍政権が大好きな民主党政権との比較であれば、東日本大震災では被害の全体像があまりに巨大で総額の想像もつかなかった翌日に、激甚災害の指定が閣議決定されている。そして今回も結局、北海道と京都で補欠選挙の直前のあからさまなタイミングで激甚災害指定を決めた時にも、被害総額なぞおよそどんぶり勘定のままだ。決定の翌週明け辺りからやっと政府機関による被害の調査の開始が報じられ始めたのだから、報道内容の矛盾がこうも分かり易過ぎるようでは、メディアの政権への配慮があまりにあからさまだ。

それにしてもなぜ、安倍政権は激甚災害の指定を渋ったのだろう? 一方では指定の遅れに批判が高まると早々に(ムキにでもなったように)23億の国庫からの緊急出費を閣議決定し、今後は6000億円規模の補正予算も検討というのだから、別にケチっているわけでもあるまい。

震災対応の「手柄」を独占したい政府のパフォーマンスと、無視される被災自治体

激甚災害の指定とは、簡単に言ってしまえば、災害への対応に県など自治体が必要とする経費への国の援助額を増やす手続きだ。言い換えれば、県が主体的に使える金を国が滞りなく出せるようにする制度で、つまり安倍政権がこれをなかなか決めなかった(=県が震災対応に使う予算の裏付けを与えることを渋った)一方で、政府の会議では冒頭に必ずテレビカメラを入れて首相自身が「迅速な対応」の指示を原稿棒読みで行う姿をニュースで流させ続けたことも併せて考えれば、動機はあからさまだ。熊本県に震災対応に必要な潤沢な予算を渡して主体的に震災対応をさせたくない、むしろ県を牽制し、県や自治体ではなく政府自らが直接に活躍するのを国民にアピールしたかったのだろう。

そうやって安倍が原稿を読み上げる指示では、「現場主義」を言いながらそのための「特別チーム」と称して各自治体に中央官庁の職員を1~2人派遣するとも言い出していた。つまり主導権は国が握り、自治体はその派遣された中央官庁の官僚に従い、内閣は自治体からではなくその派遣した官僚から情報を得る、という摩訶不思議な「現場主義」である。

また一方で、首相が直接関わるまでもないような、各自治体がとっくにやっているか、各省庁の通達で済ますべき妙に細かな「迅速な指示」も多く、それもその日その日にテレビで話題になっていた問題への「迅速な対応」ばかりが目立った。孤立した被災地の物資不足が報道されると「非常食を○十万食」を「迅速に」用意する(しかしコンビニを通して売るつもりだったらしい)、「エコノミー・クラス症候群」で死者が出たとなるとこの症状について「迅速な対応」で啓発チラシを政府が配るよう指示する、と言った行き当たりばったりの話ばかりでは、政府が震災の全体像をどのように把握していて、どんな方針で復興支援に臨むつもりなのかがまったく見えず、ただその場その場でもっとも世間の注目を集め、感情論的な人気集めにつながりそうな被災者への直接対応にばかり、首相が自らしゃしゃり出るパフォーマンスが露骨だった。

こと震災の初期段階では、メディアの報道も総じてこの政権のパフォーマンスに同調しがちだった。それも安倍総理の原稿棒読み「迅速な指示」をそのままニュースで流し続けただけではない。とくに一回目の震度7地震では、救援活動は県警と消防の救援活動の迅速さが際立っていた(翌朝にはすでに行方不明者がいなかったほど)のに、テレビが映したのは肝心の救出作業では活躍の場があまりなかった自衛隊が、炊き出しやお風呂の提供で感謝されている姿の方だった。

もちろん自衛隊のこうした活動も、その自衛隊が来ている避難所の被災者限定ではありがたかっただろうが、しかし別に風呂と炊事のために自衛隊が災害出動しているわけでもなければ、高額の防衛費は炊き出し風呂焚き部隊のために国費から出ているわけでもない。一方でそうした自衛隊の支援のない避難所のことや、そこも含め避難所の運営や食糧の確保・配給の主体である地方自治体の職員の仕事は、消防や県警以上に、ほとんどテレビに映らなかった。

震災対応とその報道に見える中央集権の歪み

こうした報道の偏りには、在京キー局や全国紙が中央官庁の記者クラブ会員社である構造が分かり易く反映されていたとも言える。地方の小さな行政機関の仕事を重点的に報じることこそが震災で被災地が直面する困難を伝えるのには必要不可欠でも、日本の権力構造のなかでは大手全国メディア各社の地位にとってほとんどメリットがなく、一方で「自衛隊の活躍」を賞賛すれば霞ヶ関にも永田町にも覚えがめでたく、今後も官庁や与党政治家から優先的に情報を与えてもらえることになる。

激甚災害指定の遅れについてさらに言えば、松本文明の態度に熊本県知事が思わず怒ってしまい、安倍側の屋内避難の徹底要請への知事の不信感がニュースになってしまったことを、官邸が「恥をかかされた」と逆恨みしたようにも見える。激甚災害の指定の内諾すら得らず言を左右にされ続ければ、県としては予算的な裏付けが不安定になって思うような震災対応に制約がかかるし、まして不備や不満があっても政府に意見することが憚られてしまう。要は政府による被災地いじめだったのではないか。

そうやってさんざん引っぱってじらした挙げ句、23日の北海道と京都での衆院補欠選挙の直前にやっと激甚災害指定が決ったのも、これまた選挙対策が分かり易過ぎるのに、そこに言及するコメンテーターもいなかった。

M7.3の本震で怖くなったのか?視察を取り止めた安倍官邸の混乱

いや安倍政権が浅薄なパフォーマンスばかりでかえって被災者の不安や不信を助長した最たるものが、15日の段階では安倍が自ら翌16日に被災地を視察すると言っていた顛末だ。その15日深夜、最初のM6.4で震度7の地震よりさらに大きい、M7.3で最大震度7の本震が起こる。するととたんに、翌16日朝には安倍の現地訪問が急遽取り止めになっただけでなく、この訪問予定に関すること自体が報道から消えた。

首相が自ら現地に乗り込むことも、パフォーマンス目当てで受け入れ自治体に大きな負担をかけると批判される覚悟はすべきだろうが、しかしより大きな地震が起きたとたんに止めてしまうのでは、それこそ「怖くなって逃げた」と誹られてもしょうがないし、むしろそちらの方が禍根は大きい。このような思いも寄らぬ展開になれば、首相が動じずに自ら危険がある被災地に入って被災者を勇気づけることにこそ、大きな意味があった。それが急遽行かなくなったというのでは、総理が地震を怖がって逃げたと思うのが当然で、被災者の不安も不信も増してしまうのに、然るべきアフターケアとして行けなくなった理由の説明もないに等しかった(菅長官が東京で情報収集に当たる旨を会見で述べただけだ)。

本震直後の首相の訪問は自治体の受け入れ態勢が整わないと言ったって、自衛隊のヘリを使うなどして首相の移動はぜんぶ政府で手配するなど、現地自治体の負担を増やさないやり方もあったはずだし(東日本大震災では菅直人首相が翌日にやっている)、被災自治体の負担を考えて見送ったのなら、せめて首相自身が会見し、行けなくなった事務的・現実的な理由を説明した上で、被災者に詫びるくらいのことは出来たはずだ。

だが視察が取り止めになったとたん、その予定があったこと自体がまったく報道から消えてしまったのだから、官邸は肝心の震災対応の方では混乱の極みにあっても、メディア対応というか圧力をかけて報道を左右することだけはしっかりやっていたのか、それともメディアの側から政府批判を自粛したのだろうか?

政府の震災対応の失敗を報じないメディア

大災害時の政府批判は、対応の足を引っ張ることになるから控えるべきだ、という論がある。

なるほど、たとえば1995年の阪神淡路大震災では、当時の村山富市内閣が批判ではなく謂れのない中傷を受けたこともあったし、そこで流布されたデマは今でも続いていたりもする(村山首相が自衛隊の出動を嫌がって遅らせたなどということはなかったし、逆に前例のない自衛隊出動にしては、兵庫県からの要請が遅くなったにも関わらず、内閣の対応はむしろ速やかだった)。だが、そうした批判(というか中傷)が政府の震災対応の「足を引っ張った」と言えるようなことは、この時には起こらなかった。

なぜか? 村山富市首相が現場に最大限の権限を持たせて責任は自分が取る、批判は自らが一身で引き受ける態度に徹したことは、当時の石原官房副長官(自民党)なども証言している通りだ。これは一歩間違えれば現場の過誤が自らの政治生命を断つことになりかねない、政治家がなかなか出来ない決断だし、現に東日本大震災の際の民主党・菅直人政権はこれが出来なかったが故に、被災地の声よりも被災地の声とされるものを報ずるメディアと東京中心の世論の反応に気をとられ、さまざまな混乱を引き起こすことになった。

要は、時の総理の人柄と覚悟の決め方次第であり、村山富市にはそれが出来るだけの人間の大きさ、「総理の器」があり、菅直人はおよそそこまでの人格者ではなかった、ということに過ぎず、震災を言い訳に自らへの批判を封じこめようとして、震源に隣接する断層帯に属する川内原発は安全なのか(未発見の断層が直下型地震を起こすリスクは誰でも思い当たるはずだ)という疑問に「政治利用だ」と反発し始める安倍晋三やその周囲に至ってはお話にならないし、16日の被災地視察予定がうやむやに消えた件に限らず、16日から18日にかけての官邸の動きを見れば、怯えて焦った首相の気まぐれで混乱状態にあったことが、様々な事実関係から推測される。

災害対応に関係ないことへの批判ならともかく、むしろ政府や行政の災害への対応に問題があれば、きちんと指摘して、それが政府のやり方の改善につながることこそが、報道の役割のはずだ。こと今回の熊本と大分の震災の場合、発生の一週間後には補欠選挙を控え、夏には参議院選挙も予定されている。政府の震災対応に問題があれば、厳しい批判があればこそ政治家は選挙も視野に一生懸命にやり方を改善していくのが、健全な民主主義に期待される機能だ。

逆に言えば、当初思われていたよりも大きな震災だと分かったとたんに被災地視察を取り止めてしまう、その程度のことで怯えて東京に引きこもってしまうような総理大臣で、そのことを批判されたら「足を引っ張られてしまう」ほどの小人物であるのなら、あまりにも不適任だからとっとと辞めてもらった方が国民と、とりわけ被災者のためだ。「足を引っ張る」もなにも、そもそも「引っ張られる」ような足がないか、引っ張って引きずり降ろすまでもなく、最初から地べたを這い回っているような低レベルなのだから。

オスプレイの出動にかき消された、「迅速」とはほど遠い安倍官邸の混乱

実際、いかに政府の会議にテレビ取材を入れさせて、そこで「迅速な指示」のつもりを(ただし原稿棒読みで)安倍首相が読み上げ、その映像がテレビのニュースで垂れ流され、在京大手メディアがおしなべて政権の対応の拙劣な行き当たりばったりぶりを国民に悟られないように腐心しようが、今回の震災への政府の対応は、一回目の地震直後の酔っ払いぶら下がり会見が素早かった以外は、どれもおよそ「迅速」とはほど遠い。

14日夜に益城町を襲ったM6.4の直下型、震度7の地震が前震に過ぎず、16日未明にM7.3の本震が起こるなどと言うのはまったく想定されていなかった、前代未聞の事態だったとはいえ、それを受けた16日朝からの政府の対応が惨憺たるものであったのは、ただ安倍の被災地視察が取り止めになったことだけではない。

うがった見方をすれば18日に米海兵隊のオスプレイに援助物資を運ばせた、当然激しい反発や議論を呼び起こす決定は、一連の失態をうやむやにするためにわざと反発も織り込んだ話題作りの策略に思える。

まず16日朝の段階で官邸が当然のしかるべき判断さえしていれば、わざわざ18日になってオスプレイを飛ばすまでもなく、前日の17日には自衛隊がそれ以上の物資を運べていたはずだ。

14日の地震の時点で、既に道路など交通インフラの破壊が深刻なのは分かっていた。まして16日午前の段階で阿蘇山を中心に土砂崩れがあちこちで起きていて、孤立同然になった多くの被災地にヘリコプターを使った物資輸送が必要になるのは分かり切っていたことだ。オスプレイに運ばせた物資であれば、千葉県の木更津などに配備されている自衛隊の大型輸送ヘリCH-47J(積載スペースがオスプレイより大きく、そんなに重量のない支援物資の移送には明らかに適している)に即座に九州への移動指示を出しておくのが、当たり前の対応だ。ところが政府はそれまで2千人規模だった自衛隊の派遣を2万と増員は発表したものの、そこに物資輸送のためのヘリの出動指示は含まれていなかったらしい。翌々日の18日の段階でも自衛隊のCH-47はほとんどが関東に留まったままで、代わりに17日午後に急遽要請された米軍のオスプレイが南阿蘇村に飛んでいたのである。

しかも17日の午前の段階では、米軍からの応援の申し出は見送ったと、安倍本人が記者団に話していたはずだ。それがこの日の午後に、いったんは断ったはずの海兵隊の出動が、今度は日本政府から在日米軍に要請されている。ここも報道ではうやむやにされているが、最初の申し出を断っている以上、これは日本政府からアメリカへの応援要請になる。そしてその要請に応じて翌18日に、鳴り物入りでオスプレイが海兵隊岩国基地から出動したのだが、物資を運んだ距離自体はわずか20数キロだった。オスプレイでは着陸出来る条件が厳しいので、避難所などから離れた広い運動公園にしか行けず、そこからの輸送は自衛隊の車両が担当していた。

まず、まったく馬鹿げた無用の長物としか言いようがない。CH-47Jなどのヘリと較べてオスプレイのメリットは速度だが、この短距離ではまったく意味がない。速度と引き換えに積載量は少ないし、大型ヘリならば同じように着陸に広い場所が望ましいと言っても、まだ使える条件の幅は広がる。例えば大型輸送ヘリでも離着陸時の粉塵防止で可能な限り水を撒いておいた方がいいにしても、オスプレイはその速度のための強力なエンジン排気故に火災の危険もあるので、舗装された場所でもない限り必ず水をまかなくてはいけない。ところがその当の被災地では水道網が地震で壊れ、断水しているのだ。

無用の長物の高性能、オスプレイは被災者に余計な不安を押し付けただけ

そうでなくとも、ほとんどの日本人にとって(つまり南阿蘇村の大部分の住人にとっても)、オスプレイといえば沖縄への配備をめぐって危険性が報道されていたことくらいしか印象がない。人によってはネパール大地震の支援で出動したのはいいが、これまた高速度のための強力過ぎる排気のせいで民家をぶっ壊してしまった前科も知っていたかも知れない。つまり南阿蘇村の被災者にとっては、物資が運ばれるのはありがたいものの、大きな余震が続くなかでさらに余計な心配のタネを政府に「物資を運んでやるのだからありがたく思え」と恩着せがましく押し付けられたことに他ならない。

また仮に軍用機などのスペックに詳しく、オスプレイの性能なども知っている人がいれば、今度はこの飛行機に特有の優れた性能があってもこの任務にはまったく意味がないことにすぐ気付いてしまうだろう。自衛隊のヘリの方が性能的に適材適所で、すでに災害出動での実績も経験も豊富で信頼性が高く、手続きもマニュアル化されており運用も早いのに、それが使われなかった(現にオスプレイでは荷物の搬入に手間取り時間が遅れた)。米海兵隊の支援ならば前線への移送に使われるより小型のヘリの方が、輸送専門機ではないので積載量は限られるとはいえ、道路網が寸断され孤立して支援物資を待つ被災地のニーズには適していたはずなのに、速度はあっても他のことでは使い物にならないオスプレイが、避難所から離れた運動公園に(断水なのに入念に散水した上で)着陸というのでは、政府の判断のちぐはぐさに不安が増すというものだ。

場違いなパフォーマンスだと批判された政府は、日本からオスプレイを直接要請したわけではないと言い張っているが、表向きはともかく非公式では具体的な支援内容の相談がなかったはずがないし、海兵隊の現在の主力輸送機がヘリコプターではなくオスプレイなのは当然の前提だし、米側がだからオスプレイしか出せないというのなら、必要な任務に適さないので見送るのが普通の対応のはずだ。

しかもしつこく繰り返すようで恐縮だが、16日朝には道路網が大きく破損しているのは分かっているのだから、自衛隊を単に2万への増員という数字だけでなく、具体的に16日中にCH-47の部隊が九州に移動していれば、17日には速やかに同じ物資かそれ以上が被災地に物資が届けられていたはずだし、現にごく一部ながら既に派遣されていたヘリや、元から九州に展開していたヘリが、16、17日にはその任務に当たっているのだ。1日遅れでオスプレイを飛ばしたのが無神経なパフォーマンスだと指摘されるのは、当たり前だし、しかも防衛省が入念にメディア各社に取材させる手配までしていたのだから、なにをか言わんや、である。

海兵隊の支援については、日米同盟の絆の再確認のためには良かったという評価もある。だがそれならば被災地には関係がないことで対米外交を優先させたことにはなるし、なによりもまず、そんなにアメリカとの絆が大事ならば、安倍は最初から米側の応援の申し出を歓迎しておけば良かったはずで、その方がより被災地のニーズに適した支援の形を作れたはずだ。

日米同盟の絆の再確認というのは、言い換えれば対米外交を念頭に置いたパフォーマンスに他ならないのもその通りだし、また既に述べた通り以前に危険だと報道があったオスプレイの安全性のパフォーマンスを安倍政権が狙ったのは震災便乗だという批判も(自衛隊がオスプレイを購入して佐賀空港に配備する件が地元と揉めてもいるのだし)、まったくもって反論の余地がない。

だがこれはもっと話が大きい…というか、種を明かせば遥かにお粗末な失態の隠蔽だった可能性が高い。しつこく繰り返すが本震による土砂災害や道路の破損を受けて16日朝に自衛隊のヘリ輸送の増派を官邸が指示していれば、オスプレイを待つまでもなく同じ物資かそれ以上の輸送はもっと早く出来たし、官邸のトップダウンにこだわらなければ、防衛省と自衛隊でもっときめ細やかな輸送体制も作れただろうし、被災者に余計な不安を押し付けることも、非常時だというのに余計な議論で世論が分断されることもなかった。

だが安倍政権にとっては逆にこの余計な不安、余計な議論に世論の関心が向くことの方が重要だったのだ。本震発生後の16日に本震で怖くなった安倍が被災地に行けなくなったこと、その官邸がまったく無能さを曝け出し、当然の、自動的に出していておかしくない指示すら出していなかったことに気付かれて、政権が無能であることへの本質的な批判が渦巻いては困るから、あえてオスプレイという強引な話題作りに走ったのではないか。

国会でもあからさまだった安倍政権の混乱

金曜深夜・土曜未明の大きな本震の被害があり、被災地への物資輸送が滞っていることが騒ぎになった週末が明けて、翌18日月曜日の国会での動きを見ても、安倍が自分が行くはずだった直前に大地震が起きたことによほど怯えて混乱していたことが強く推測される。朝には与野党間で震災対応を優先させてTPPの審議は延期することが合意されようとしていたのに、首相の「強い意志」で与党側は態度を翻さざるを得なくなった。ならば政府はよほどTPPを速やかに審議したかったのだろう、準備も万端だったのかと思えば、民進党の追及に答えられなくなった農水大臣が、答弁の準備調査のために延期を委員長に申し出る、という無惨な姿を曝け出してしまった。

そもそも震災前から、TPP特別委の審議は何度もストップしていたし、その理由は単純だ。この交渉に当たっていた甘利前大臣が斡旋利得つまり収賄疑惑の国会追及を逃れるために辞任し、不眠症を理由に国会に出て来ない(答弁に立てば当然、その収賄疑惑を追及され、証人喚問要求すら出て来る)ので、TPP合意がどのように決まり、日本政府がいかに日本の国益を守ろうとしたか、あるいはどう妥協せざるを得なかったのかを議論出来ないからだ。

もともと政権の都合で審議の進みようがなくなっていた委員会を強行して開かせたからには、安倍が自分が行く直前に起きた大地震のことを考えたくないのでなんとか別の話題に逃避したかったのではないか、という疑いすら濃厚だ。しかも案の定、その日の夕方にはTPP関連法の採択を今国会では見送ることが、与野党間で合意されたのだから、とんだ茶番である。

しかも当の安倍首相自身が、とんでもないお粗末な答弁もしてしまった。これも震災前から話題になっていた、来年度からの消費税10%増税について質問された総理は、「リーマン・ショック級の事態か大震災がない限り予定通りに」という従来の見解を機械的に繰り返してしまったのだ。いやその大震災なら現に起こっているではないか、それとも首相はこの熊本=大分の一連の地震を「大震災」とは認めない、過小評価するのか、と批判されて当然だが、なんのことはない、なにも考える余裕がなかったから、脊髄反射的に以前から言っていたことを繰り返してしまっただけだ。

そして安倍首相は結局、北海道と京都の補選の前日にやっと被災地入りし、激甚災害の指定も決めたものの、やっと現地も見て避難所も訪問し、被災者の声も聞いたはずなのに、そこで自ら見聞したことを今後の被災者対応や復興政策に反映させるような意思表明も特にないまま、5月早々には以前から予定されていた欧州外遊に旅立つと言う。「政府が一丸になって」の「迅速な対応」もどこへやら、今後は伊勢志摩サミットと、プーチン大統領と会談して北方領土を取り返すアピールに、この政権のパフォーマンスの主眼は移って行くらしい(もっとも、今のロシアが北方領土を返すわけがなく、G7サミットから排除されたロシアがそのG7に分断の揺さぶりを掛けることに利用されるだけだ)。

地方の震災に中央政府はどう対応すべきか?

東日本大震災への菅直人・野田佳彦両首相の、民主党政権の対応がおよそ褒められたものではなかったのはその通りだ。だが今回の安倍政権は、その必要がないにも関わらず、その決定的な過ちの部分ばかりを無神経に引き継ぎ、しかもより乱暴かつちぐはぐなやり方で被災地に押し付けている。

誤解を恐れずに言えば、直下型の断層地震である今回の震災は、被害は甚大であってもあくまで局地災害だ。断層地震の直撃を受けた土地では規模が大きい余震も続き、平年の倍の雨も振り、被災者には将来がまったく見えない不安も厳しくのしかかる一方で、しかしそれは局所に限られている。単純計算で言えば、いかに地震が連続する不安は共有していても、大きな被害の出ない震度4以下の場所の方が熊本県内でも大分でも多い。言い換えれば、それぞれの県で対応出来るタイプの災害で、福島・宮城・岩手の海岸地帯が全滅するような甚大な被害が広範に及び、原発事故まで起こって政府が対策を主導するしかなかった東日本大震災とは、政府の果たすべき役割が異なる。

東日本大震災では被害の規模と範囲から政府が主導せざるを得なかったものの、そこでの大きな瑕疵であり今に至る禍根になったのは、被災したそれぞれの地元の多様なニーズを把握しきれなかった中央の政府の認識のズレだった。しかもその政府のリソースの多くが、これまた被災当地の事情を把握しきれずに誤解も多いまま過熱した報道からの自己防衛と自己正当化や、各官庁(と経産省傘下の東京電力)の思惑と、そこに対する政権の側の疑心暗鬼から来るちぐはぐな妥協や調整努力に割かれてしまっていた。要は地震は東北で起こっていたのに、その対応は東京中心で空回りしてしまっていたのだ。

こと福島第一原発事故では、津波と停電や道路事情の悪化で、避難を余儀なくされた地元にこそ必要な情報が伝わらずに大混乱を来していたことについては、まだまだ検証も反省も足りないだろうし、事故発生から間があった飯舘村の計画避難ですら、情報が事前にメディアに漏れることを政府が恐れたあまり、当事者の住民がその決定を知らされたのは枝野官房長官(当時)の正午の記者会見が初めてだったほどだ。その計画避難の期日がなんとか間に合ったのも、とりあえずもっとも汚染が厳しいかった長泥・比曾・蕨平の三地区だけだった。

東日本大震災の「復興」の失敗から政府が学ぶべきだったこと

震災の被害にどう対応するのか、こと東京から離れた地方で起こった場合は、東京にある政府の主導ではどうしても認識のズレから現実離れした方向に走りがちになってしまうし、トップダウンのヒエラルキー構造が強固な日本の官僚機構では、そのズレた側のやり方が無神経かつ一方的に当事者に押し付けられがちだし、本来ならそこに気づき指摘する立場のメディアも…しょせんは東京から来た記者たちが取材し、東京の読者・視聴者の顔色や、記者クラブ内での自社の立場への配慮の方が優先されてしまう。

たとえば原発事故対応の除染計画などはその典型で、当初発表された方針やマニュアルはどうみても東京近郊など都市郊外住宅地を想定したもので、放射能汚染地帯の圧倒多数を占める農村や山林についてはまったく非現実的な内容だった。あるいは津波被災地の復興計画も、5年もかけても地盤のかさ上げや大規模な防波堤の建設はまだ進行中で、しかもそうやって造成された土地でも万が一の津波が危険だとして居住は許されずに広大な公園などが計画されるばかりで(もともと過疎の僻地だったりするのに誰が行くのだろう?)、高齢化の進んだ被災者は故郷を失ったまま震災関連死がどんどん増え、若年層の人口流出も止まらないという、残酷で壮大な無駄と矛盾に陥っている。

あるいは、妙に公平平等を期したつもりで、漁港はどこも一律に復興させる計画になってしまった結果、時間ばかりが経過するあいだに元から高齢化が進んでいたところでは、港がやっと再建されてもそこを使う漁師がいない、といったことになりかねない。

津波被災地住民の高台などへの集団移転計画がなかなか進まないのも、用地取得が困難を極めるケースが多く、それも登記が戦後間もなくとか明治時代から更新されていなかったりで所有者が分からず買収が出来ないというのが主な理由だったりする。さらにそこはビジネスは冷酷なもので、地権がはっきりしていた土地がゼネコンに買い占められていたケースもあったという。

土地はなんとか確保出来ても、それまで何年も待たされ続けた被災者にはもはや自力で家を建て直す力が残っていない場合も多く、一方で東北太平洋岸の被災者のそれまでの生活スタイルにはおよそ適さない大きな集合住宅形式の復興住宅が、それも公共事業なので市価よりもかなり高い建築費を注ぎ込んで建てられ続けている。その資金を住宅再建の補助金に廻せばよかった、と今さら気付いても後の祭りで、ならば元々は2年目処の安普請であっても、仮設住宅に居続けた方がまだいい、と思う高齢の被災者も多い。

ここから得られる教訓は、震災への対応や復興は地方分権で、地元に主導権を持たせて被災地の現実をきちんと踏まえなければ失敗する、ということだったはずだ。まさに安倍も言っていた「現地主義」が肝要なのだが、安倍自身がその意味をはき違えている。被災自治体に中央官庁から一人や二人送り込んだところで、それでは「お客様」扱いのお荷物が増えるだけで、その彼らへの配慮が自治体の足かせになって、かえって復興を遅らせたり歪ませたりすることになりかねない。

東日本大震災の場合は被害があまりに甚大かつ広範に及び、しかも原発事故も起こっていれば、中央政府が主体になって動かざるを得なかった。だがその結果が、今も尾を引く最初からの復興計画をめぐるボタンの掛け違え、しょせん被災地元のリアリティを理解できない中央政府の限界の露呈である。

ほとんど差別と言っていい、中央と地方の圧倒的不均衡

熊本=大分大地震の場合は状況が違う。

被害は甚大でも局地災害なのだから、国は道路鉄道などの大規模交通インフラの被害の復旧に専心し、被災地・被災者のケアは県を中心に自治体に任せ、国は予算面と、人手不足のサポート(それも中央からの派遣ではなく、総務省が仕切って近隣自治体からの応援人員を手配するのが中心)に徹した方が、無駄も少なく物事が迅速に進められるはずだし、地元のことが分かっていない政府やエリート意識が強過ぎるキャリア官僚主導の、勘違いの押しつけが多い被災者対応に陥って、無益な不信感を招くことも防げる。

奇しくも今回の暴言騒動を起こした松本文明と同じ「松本」という姓の、民主党政権の復興大臣がいた。福岡一区選出の衆議院議員、松本龍だ。この人もまた被災自治体首長への「暴言」が問題視され辞任に追い込まれたのだが、確かに言葉遣いは乱暴に過ぎたものの、言っていたことの本質は松本文明の「政府に文句言うな」とは正反対だった。

なるほど、自分は九州の出身だから東北の被災地の地名もよく分からない、というのはとんでもない言い過ぎに聴こえるが、誇張はあるものの松本龍本人というより、当時の政府の偽らざる実態だった。漁港の集約などの復興計画について県がコンセンサスをまとめろと言ったのも、その能力が政府官庁にはなかったからだ。宮城や岩手の知事に厳しい言葉を投げつけたのも、政府から県民が必要な支援を国から勝ち取るのが彼らの仕事であり、それは被災地だからと上辺だけちやほやされることに甘んじていては適わないことだったからだ。

松本龍の支持母体は元は部落解放同盟、自身がいわゆる同和系の大きな建設会社の創業一族の出だ。この暴言騒動を巡っては、解放同盟と犬猿の仲の日本共産党の一部幹部から「同和の地金が出た」なる差別発言まで飛び出したが、共産党ですら永田町、日本の中央政界とはしょせんこの程度の認識かない人たちが大半である。松本氏が幼少期からそのことを骨身に沁みて理解していることは想像に難くない。そしてしょせんその程度の認識しかない永田町に長らくいたからこそ、大震災への対応にしても政府任せでは碌なことにならないことも、松本龍にはよく分かっていたのだろう。

だからこそ、あえて出たのがあの「暴言」だった。

被災自治体が政府相手の交渉の戦略を立て、余計な遠慮はせずに自分達が必要とするものを理解させるようにきちんと伝え、政府に昂然とものを言う覚悟を決めて、万端の準備で臨まなければ、そうすることで実際の復興計画作りの主導権を県が握らなければ、震災の甚大な被害から立ち直ることにつながる計画にはならない。政府と霞ヶ関の主導では、せっかくの復興予算が別の目的で食いつぶされるだけだ(そして現に5年間26兆の復興予算の使い道の大半は、そうなってしまっている)。自分達中央の人間はしょせんなにも分かっていないのだから、被災自治体が主体性を持つべきだ、という発破の掛け方は、確かに言葉遣いが乱暴ではあった、そこは「同和の地金」だったのかも知れないが、決して間違ってはいない。

地方の被災地が政府や東京のメディアに文句を言える環境作りこそが、今必要なこと

東京中心のメディアが皮相な言葉尻だけを捉えた「無礼だ」「被災者が傷ついた」バッシングにばかり徹しなければ、5年間で26兆もの復興予算の大半がただ無益な大規模公共工事に費やされ、日本経済の底上げには多少は貢献したにせよ(安倍政権の初期には実態経済も少しは上向いたのは金融緩和ではなく、このバラ撒きの効果だ)、肝心の復興が矛盾を曝け出しているばかりの現状は、避けられたかもしれない。

我々のような、被災地ではない、被災当事者とは直接に関係がない「そこ以外の日本」の国民も、反省すべき点は多々ある。今度の震災でも被災地への同情や応援の声は全国的にわき上がっているが、しかし一方でその我々はしょせん、被災地のリアリティがちゃんと分かっているわけではない。むしろ被災者の側こそが、実は我々に途方もなく配慮していること、たとえば我々が見ているからこそテレビに撮られれば感謝の言葉などを言わなければならない立場にあることに、少しは想像力を働かせた方がいい。

象徴的な例が南三陸町の「奇跡の一本松」だ。復興のシンボルのようにとり上げられた結果、枯死してしまった木がコンクリと特殊樹脂を注入されて今でも立っていて、そこには多額の復興資金が注ぎ込まれた。町役場の判断をあざ笑うのは簡単だが、南三陸町にしてみれば一本松を残さなければ、東京中心の世論に見棄てられ忘れられてしまう危機感からの、やむを得ない選択だった。

まして「政府に文句を言うな」とか言ってしまう子飼いの副大臣を派遣したり、激甚災害の指定を県を黙らせる脅しの手段にしたり、本震発生直後に視察を取り止めたことを侘びもせずに余震が減って来たら被災者と握手するパフォーマンスの写真や映像を撮らせるために現地入りしてしまうのが今の内閣総理大臣なのだ。これでは被災地が本当に必要としていることを伝えるにも、そのハードルがあまりにも高過ぎる。


Be the first to comment

コメントを残す