2016年東京都知事選挙、その論じられない真の争点はどこにあるのか? by 藤原敏史・監督

「政策論争」を期待するのは争点隠蔽でしかない

都知事選の主要候補と目される3人がもっとも力を入れなければいけない争点は、報道で見る限り、保育園の待機児童問題であるらしい。舛添前知事が辞任に追い込まれたのは金銭スキャンダルだったはずがいつのまに、と疑問もないわけではないが、先の国会中に「保育園落ちた日本死ね」ブログが大きな話題を集めたことだし、人口集中で働く女性もとりわけ多く、職場と住居も離れがちな東京都で、待機児童問題がとくに深刻なのは確かだ。

とはいえ、ただ待機児童問題がメディアで話題になったからと言って自動的に争点にするのも、いささか安易ではないか? そこで出て来る公約の要約が「待機児童問題は待ったなしで深刻だ、一生懸命取り組みます」ととりあえず言った程度にしかならないのでは、それが争点だと言われたって有権者は困る。

待機児童を減らすことそれ自体は、都知事選があろうがなかろうが、これだけ話題になっていれば東京都庁が取り組みを始めているはずだ。その内容などの情報が一切出ないままにメディアが待機児童問題をやたら取り上げるのは、なにか他の争点とすべき問題を隠蔽するためではないかとすら思えて来るし、もし舛添前都知事時代に都庁でその研究を始めていないのなら、そんな都庁の体質をどう改めるのかが議論になって、はじめて都知事の適確不適格を判断する材料になる。あるいは都庁がすでにその計画を立て始めているのならば、その方向性の是非の議論になって初めて政策論争になり得る。

東京都は人口1億3000万、都庁は16万の職員を抱える巨大組織だ。知事は方針は指示しても、詳細な実践の計画を立てるのはその都庁の役人の仕事だ。知事に就任して初めて都の持つデータにアクセスでき、それを精査し解決策の実現可能性を検証できるわけでもなく、候補たちは一般論かちょっとしたアイディアくらいしか言えないし、

自分の公約が実現可能なのかの判断材料もないのに「具体的な政策論を」と言われるのが日本の選挙戦だ。一般論以上の議論に必要な判断材料を、知事に限らず政治家が就任前には持てないのが、日本の行政機関の情報独占体質だ。これはこれで大きな問題で、政権について初めて分かった実態が多過ぎて失敗したのが、たとえば2009年政権交代後の民主党政権だった。

選挙戦の最後の週になって、これまで八千台半ばとされてきた東京都の待機児童の数に1万5000の事実上の漏れがあり、実態は3倍近かったことを「東京新聞」が報道した。そんな都庁の体質を改められなければ、誰が知事になろうが期待はできないと、多くの有権者は当然考える。そんな中で待機児童問題解決の具体的な方策の違いを戦わせてその実現性を候補者以上に情報がない有権者が推測して勝敗を決めて投票を、という「政策論争」はナンセンスでしかないし、いきなり具体的な方策を本気で公約し出す候補がいたら、むしろ疑ってかかった方がいい。

どの候補者が都政の現状をどう批判するのか、どう改めて行くつもりなのかは、今回ずいぶんと勇ましく見える小池百合子候補ならやってくれるかも知れないという漠然とした期待以外には、有権者の判断材料がないのが実態だ。しかもその期待にせよ、ただの希望的観測に終わるかも知れない。

待機児童問題が争点なら、本来議論されるべきこと

待機児童問題が争点だというのなら、社会の全体を見たときに、それがどういう原因で起こっていて、どういう観点からの問題がとくに大きいと考えるのかを各候補が示せば、具体的な詳細までは分からなくとも、今後どういう方向性を優先して解決を目指すのかまでは見えて来て、初めて政策論争がかみ合う。この点で今のところ一歩抜きん出ているのは小池百合子氏だ。「若い女性が仕事か子育てかのどちらかを選ぶ選択を強制される日本はおかしい」という問題意識は明晰で、だから知事に就任した際の解決の方策も、そこで抜け落ちるかも知れないことも、自ずから見えて来る。

対抗する鳥越俊太郎氏には一般論としての正論はあるが、その主張の軸をより鮮明にはできていない。待機児童問題の被害者として小池氏が若い母親を挙げたのに対し、ならば鳥越氏の大きな政策方針から主張できるのは「子どもたち目線」だろう。

子どもたちがどういう環境で育つことができるのか、その一貫として保育所の整備を進める、という面を鮮明に打ち出せば説得力のある主張にもなるし有益な議論も成立し、待機児童問題が単なる数の問題に矮小化されがちな現状も打破できる。

第三の、都議会与党推薦候補の増田寛也氏の主張はちょっとお話にならない。実務経験を強調したくて保育所の運営は直接には区市町村だと述べたのまではいいが、その首長と早急に話し合ってプロジェクトを、というのは一見仕事をやっているように見せつつ、その実ただ「取り組んでいます」のアピールにしかならない。

そもそも区市町村と話し合うのは当たり前の前提であって、わざわざ選挙公約にすることではない。なにか「やってます」ポーズさえ見せれば市民が納得するとでも思っているのが昨今の政治家(安倍政権も典型だ)にありがちな態度だが、そんなエクスキューズが先にありきの政治家たちのやり方にこそ、有権者は心の底でかなりうんざりしている。「話し合い」で結論は先延ばしにされ、いろいろ困難があって進まない(私のせいではない)という言い訳に終始するパターン、いわば政治の「やるやる詐欺」「やってます詐欺」を、こと菅直人、野田佳彦、安倍晋三の三代の首相の政治で、我々はいいかげん見飽きている。

保育の質を度外視するなら、待機児童を減らすこと自体はできる

各候補がそろって「保育所詣で」を競うなかで、鳥越氏が非認可の保育所を視察先に選んだのは、問題点を浮かび上がらせるセンスは鋭かった。認可保育園や公立保育園では保育所に入れた子どもと親にしか会えず、保育所に入れない子どもたちの問題は見えて来ないし、そこから出て来る「解決策」ではむしろ問題が多い方針に走りかねない。若い母親がいれば保育種のことを訊くのも「おかげさまで、どこそこの」と返事されるのでは的外れだ。

その点で鳥越氏が非認可保育所の保育士の「熱意だけでやってます」という声を拾い上げられたのは評価に値する。だがそこから先が問題だ。鳥越候補がどうも弱いのは、なにに遠慮しているのか、「皆さんの声を聴きます」しか言わないからだ。声を聴いた上で自分は知事としてなにをするのか、東京都をどんな自治体にしたいのかを言わなければ、都知事にこの人を、とは有権者にはなかなか思えない。

小池氏が打ち出すのは働く母親の立場からの待機児童対策の大枠だが「母親が働けるために子どもを預けられる場所を確保」だけでは、「子どもの育つ環境をどう守るのか」が抜け落ちがちで、それだけではただ定数を増やすこと、規制緩和でとにかく子どもを預ける場所さえ増えればいい、という安易さに走りかねない危険もある。実際、たとえば安倍政権が先の国会中に打ち出した対策は、保育士1人あたりの子どもの数を増やす、保育所の受け入れ人数の規制を緩和することだった。これでは保育士の負担が増えること以上に保育の質が落ちるという問題が避けられず、はっきり言えば零歳児であるとかの死亡事故リスクすら高まる。小池氏も具体的に言い出したのは安倍政権と同じ方向性で、「規制緩和」だったり、たとえば「子ども食堂」に保育所機能を持たせるようなことも示唆したりして、あらゆる手段で子どもを預ける機会を確保すべき、という主張になりつつある。こうした小池氏に対してなら、鳥越氏がこの非認可保育園訪問であぶり出した「子どもが育つ環境を守ることに政治が責任を持つ」という対抗軸を明晰にすれば、どちらが知事になろうが相手側の意見を実際の政策にも活かせるはずだ。

「実務経験」「実務能力」が本当に基準になるのか?

舛添前知事が政治資金などのスキャンダルで辞職に追い込まれたとき、メディアでキャスターや識者などが口々に言っていたのは「知名度優先選挙」の猪瀬、舛添二代の知事は失敗したから、今度は実務能力や実務の経験が選択基準になると言うことだった。はたしてこれは本音なのだろうか? 現実に見合っているのだろうか?

知名度優先知事といえば石原慎太郎が典型だったし、逆に実務経験や実務能力なら猪瀬直樹氏は都知事になる前はずっとその石原都政の副知事で、実務は猪瀬氏が担っていた。プロ政治家ではなかったと言ってもただの作家・ジャーナリストだけではなく、副知事就任以前には道路公団改革の実務を主導するなど、政策立案や利害関係の折衝の実務経験も、むしろ並の国会議員より豊富だった。

よく観察していると、実務能力や実務の経験を優先すべきというのは世論でもキャスター達の意見でもなく、自民党都連が当初に都知事候補にしようと狙っていた人物に合わせた話でしかなかった。総務省事務次官をまもなく定年退職することになっていた桜井俊氏だ。

桜井氏が評判のいいトップ官僚だったのは事実で、確かに実務能力や実務の経験は表向きの売りどころになるが、自民党都連が白羽の矢を立てた理由は別だ。息子さんが好感度の高いタレントの、嵐の櫻井翔だから若者層にも浸透できると都連が本気で考えていたとしたら有権者を愚弄するのもたいがいにして欲しいが、猪瀬、舛添両知事が失脚したのは「政治とカネ」、政治資金のスキャンダルだった。手堅く総務省のエリートコースを歩んで来た桜井氏なら、まずその心配がない。

また櫻井翔はよく見ると父親似で、その好感度アイドルの恰幅をよくした風貌の父親の桜井俊氏は、誠実そうな物腰も含めて見た目の好感度も高い。それに猪瀬、舛添、その前の石原慎太郎と、都議会はいわば「スター」の都知事に煮え湯を飲まされたり、副知事時代に都議会が決めた建設計画でも白紙撤回させた猪瀬氏のときのように激しく対立したこともあったが、元官僚の知事なら少なくとも一期目は自分を推薦した都議会与党に逆らうこともないだろうし、長期政権になってもかつての旧自治省(現総務省)出身・鈴木俊一都知事時代のような蜜月すらあり得る、と自民党都連は考えるだろう。

桜井俊氏出馬を狙ったのが自民党最初の失敗

だが自民党都連や安倍政権のそんな目論みは、桜井俊氏の好感度の高さの大きな理由でもあろう「まともな人間性」の頑強な抵抗に、呆気なく裏切られた。職業政治家の彼らには想像もつかなかったのだろうが、 息子さんはただトップ・アイドルであるだけでなく民放ニュースのキャスターまでやっているのだ。自民党議員はそんな息子の人気の利用しか考えないのかも知れないが、まともな父親であれば息子とその仕事上の周囲にとって都知事選への出馬が多大な迷惑をかけることは当然考える。

しかも桜井氏が有能な官僚であればあるほど、まず政治的判断として舛添問題で都議会自民党もまたさんざん馬脚をさらけ出した、そのあとの貧乏くじを引きたいわけがない。

猪瀬知事を都議会自民党が辞任に追い込んだ辺りから露骨になって来ているその利権体質と、その利権の確保が今後東京オリンピックに向けて肥大すると同時に都庁の財政当局との熾烈な争いになることを予見すれば、なまじ有能な官僚であればあるほど、今自民党に推されて知事になるのは、名誉は得られ出世欲は満たされるかも知れないが、リスクが多過ぎると当然気がつくだろう。自公の推薦する都知事になれば、見ざる聴かざる言わざる、の操り人形に徹する気ならともかく、有能であればあるほど、都知事の座は針の筵にしかならない。

逆に言えば、やはり官僚出身・実務派のはずの増田寛也氏が、なぜ自民党都連の要請で出馬を引き受けたのかはよく分からない。しかもその時点では、小池百合子氏の登場で自民党が分断選挙になっていた。対抗して自公の組織選挙を戦うのは東京では必ずしも有利ではないし、しかも就任後は就任後で都議会への依存度が高まらざるを得ない。しかも舛添問題のウヤムヤな決着で有権者が不信感を持っている対象が、その都議会自民党なのだ。

いや都民にとってはもっと大きな疑問が今の都政についてあるはずなのに、そこがこれまでまったく争点になっていないのも不思議だ。東京オリンピックはいつのまにか運営費1兆だ2兆だ3兆円だという話になっているし、そもそも多くの都民がこの招致に「自分は賛成した覚えがないのだが」「別に要らない」と思って来た。

真の争点は東京オリンピックと森元首相の組織委員会

猪瀬知事ならばまだエコなコンパクト五輪を標榜していたはずだ。だがその猪瀬氏が辞任すると、あっというまに五輪予算は膨張した。その金食い虫オリンピックの元締が森喜朗元首相の率いる五輪組織委員会というのでは、ちょっと分かりやす過ぎる展開ではないか? その文教族の大物で安倍首相の後見人を自認する出身派閥のドン森元首相という人事自体が、猪瀬氏によれば組織委員会トップには当然民間を予定していたのが、安倍官邸に「俺にやらせろ」と直談判したのが森喜朗だったという。

大きく報道され批判が集中した件だけでも、新国立競技場の建築予算が際限なく膨張して計画の白紙撤回やりなおしになり、エンブレム選考で大手広告代理店とデザイン業界が癒着した出来レースが強く疑われ、やはりやり直しになった。都知事の直接権限の範囲では、東京都が建設や整備改造する競技施設の費用が、ケタがひとつ増えてしまっている。都民としては五輪招致にIOC委員の買収疑惑まで出て来ているのも税金の膨大な無駄になるのではと心配だし、そもそも首相の招致演説の肝心の部分(「汚染水はアンダーコントロール」)がまったくの嘘だった。官邸の主導もあってメディアもオリンピック期待を高めようとしているが、東京オリンピックの開催自体、今でも都民は必ずしも納得しているわけではない。

自民党・公明党の候補として都知事選に出ることは、知事就任後も首相の出身派閥のドンが牛耳る利権体質に逆らえないことを意味する。だからこそ小池百合子氏は最初からわざと自民党都連に反対されるやり方を取り、自民党の利権とは無関係な候補として出馬しようとして来た。なのにいわばその小池戦略の当て馬にされた自民党都連は言うまでもなく、野党4党もその戦略に気づいてすらいないように見える。

森喜朗・五輪組織委員長は元総理大臣かつ文教族の大物で、文科省やスポーツ省や、その数々の天下り・下部団体まで巻き込んだ組織を牛耳り、そのの利権集団には大手ゼネコンや大型公共事業を一手に引き受けて来た設計会社も含まれている。都政・都議会レベルだけでも済まない巨大利権がありそうなのに、都の新知事がそんな怪しげな右派文教族マフィアに唯々諾々と従われても困るが、五輪の中身がどう決まって行くのかの全体像は極めて不透明で、新国立競技場問題も、エンブレムのスキャンダルも、責任の所在すら曖昧なままだ。

もともと都民に不人気な五輪は膨大な財政赤字を残しそうなだけでも不安だし、そんなオリンピックが国政が都政に圧力をかける口実にもなり、東京都のオリンピックのはずが政府に乗っ取られた格好だ。その招致の後ろ暗さに象徴されている都政に関わる不透明なカネの問題こそ、今回の都知事選で都民が本当に気にしている真の争点ではないのか。

猪瀬・舛添両知事はなぜ辞任したのか

舛添スキャンダルもただ舛添氏個人の資金の問題ではないことを、メディアは報じなくとも多くの都民は直感的に気づいているだろう。少なくとも猪瀬都政とその無様な終わり方にまでは遡って考えなければいけない。

猪瀬氏の最大の誤りで、致命傷になったのは、東京五輪の招致を実績にしようとしてしまったことかも知れない。なまじ経済的合理主義者・現実主義者の猪瀬氏である、オリンピック開催というよりとくにパラリンピック招致が、今後の高齢化で必ず必要になる都市のバリアフリー化や、コンパクトで環境負荷やメンテナンス・コストの低い都市への改造に世論の理解を得る突破口になると考えたのだろうが、石原都政で失敗した招致活動の弱点を補強するために政府の全面協力を求めてしまったことが、政策的というよりは政争レベルで大きな過ちになってしまった。

国政レベルの利害がからむプロジェクトになった時点で、猪瀬氏や都庁幹部たちが考えたコンパクト五輪がいかに経済合理性の高いものであっても、都議会だけでなく自民党本体の右派・文教族利権が相手となれば通用するものではない。国からの「復興五輪」なる妙なコンセプトに始まって招致活動も極端に派手で金もかかるものになり、招致が実現すると組織委員会は民間を起用しその経営感覚に任せればまだ予算は抑えられるはずのコンパクトでエコ路線が、森森喜朗元首相の委員長就任を政権にねじ込まれ、都主催のイベントが国に乗っ取られる格好になってしまったところへ、猪瀬氏の選挙資金借入金の問題が急に浮上したのだ。

ちなみにこの疑惑の論点の、借金に偽装した政治献金ないし実質賄賂だったと言えるのかについては、捜査の結果東京地検特捜部は借金だったと認定しており、猪瀬氏が問われた法的責任は結局は煩雑な手続きを間違えた形式上のことだけだ。

舛添氏も新知事になった当時は新国立競技場の東京都の負担について異議を唱え、都の建設する施設の予算も減らそうとしていた。だが森元首相に蜂蜜の瓶を渡されて「甘くなれ」と言われると呆気なく説得されてしまった。直接の辞任理由自体は自業自得ではあり、就任後のぜいたく出張や別荘通いも問題にはされたが、とはいえ舛添スキャンダルの中心は彼が都知事に立候補する以前の政治資金の不透明な使い方だった。都知事選であれだけ自民党本部の強い支持を受けて、安倍総理が街宣で舛添支持を熱烈に訴えたころ、自民党が候補者の「身体検査」をしなかったわけもなかろうし、舛添氏が自民党議員だったときに遡る支出の問題にまったく気づいていなかったわけもあるまい。

いやもっと言えば、多くの都民は「みんなやってるんじゃないの」と疑ってもいる。しかも舛添氏の場合は極端に細かな出費での不正が多い「セコさ」は大いに不興を買って当然で、弁護のしようもないとはいえ、逆に言えば文字通り「セコい」、金額的にはそう大きなものではないし、氏が「確かに良くないことだが、みんなやっている」「こういうやり方は自民党に教わった」と正直に明かせば、都民はよほど納得しただろう。

それがなぜ「週刊文春」の報道で突然大問題になり、なぜああもあっというまに辞任まで追いつめられたのかにも、疑問は残る(一方で遥かに深刻な、事実上の収賄だった甘利経済担当大臣の疑惑は、完全にうやむやなまま強引な不起訴判断で終わっている)し、都議会野党から出ていた真相究明の動きが、今度は辞任によって自民党都議会に封じられてしまった。

「後だしジャンケン」の呪縛に囚われた自民党と民進党

今このまま自民党の推す都知事になっても貧乏くじでしかない事情は、桜井俊氏にも無論よく見えていただろう。それでも自民党都連は喜んで立候補の話に乗って来るか、説き伏せることができるつもりだったらしいが、そんな傲慢さが呆気なく裏切られたことで、参院選を目前に候補者選びのドタバタが始まった。

都知事選には「後だしジャンケンが有利」というジンクスがあるらしい。といって、これで成功したのは石原慎太郎と青島幸男くらいなのに、本気でそんなことに囚われていた時点で、自民党だけでなく対抗する野党第一党の民進党も情けない。現にそんなことを言っていては都民に呆れられるだけだと見抜き、「先出しジャンケン」で出馬を表明した小池百合子氏が、結局は今も一頭抜きん出て選挙戦をリードしているではないか。

その度胸と狡猾さ、勝負勘の鋭さに較べて、自民、民進両党の都連の、はっきり言えば度胸の据わらず足下のふらついたオジサンたちはあまりに愚鈍だ。とくに自民党都連は、舛添氏の辞任に至る流れからして、小池氏がむしろ都連の推す候補になるのは不利だと考えていたこと(当然だ)、だからこそ都連とは関係のない候補者として自分を演出しようと周到に計算していたことにも気づいていなかったのだから、相当に間が抜けている。

増田寛也候補はかつて自民党の福田政権で入閣したこともあるものの、その時は自民党政権への不満を和らげるために民間人登用を画策したからに過ぎず、基本的な主張からすればむしろ民進党の候補になってもおかしくなかった人物だ。なのに民進党が「後だしジャンケン」のジンクスにこだわったのか、先に自民党に猛烈アタックをかけられて「唾をつけられて」しまっては後の祭りだ。共産党の反対があったとの説もあるが、増田氏と共産党で政策擦り合わせの話し合いがあった形跡すらない。

しびれを切らした俳優の石田純一が、いわば野党四党にハッパをかけるつもりで「野党統一候補なら出る」と言ったときにも、すでに独走態勢を着々と固めている小池氏への対抗策を探していた民進党執行部や共産党は乗り気のポーズを示したが、民進党の都連の方では「タレント候補」を推薦するのは沽券に関わるとでも思ったのか、都連に多いと言われる「保守系」というかマッチョ体育会系ないし松下政経塾系の「隠れ9条改憲派」がリベラル色が強くソフトで女性受けのいい石田氏を嫌ってダンマリを決め込んだのか、もたもたしているうちに石田純一は出演しているテレビやCMの契約を盾に出馬自体が潰されてしまった。つまり、広告代理店の圧力だ。確かに選挙期間中には出演ができない、CMも放映できないなどの損失は出るという計算にはなるが、要は官邸が電通や博報堂に依頼して危険な候補者を潰したのだろう。

石田純一が昨年の安保法制反対デモなどで大活躍していたことまでは、まだ一部の国民しか知らないままで済んだが、舛添スキャンダルの流れで大きな注目を浴びる都知事の候補となるとそうはいかない。民進党のオジサン都連は石田純一の好感度の強さと注目度を見くびっているかも知れないが、実際に候補になるかどうかは別にしても石田氏が安倍政権を公然と批判し始めることに官邸が相当な危機感を抱いていたことも、一部の報道には出ていた。

自民党の本部では表向きは改憲などの国政の問題は都政の争点ではないとへ理屈を言い張っているが、もちろん首長の選択自体が都民の政治的意思表明を意味するわけで、ただでさえ小池氏の反乱で不利な分裂選挙になるところへ、安倍政権の進める右傾化を真っ向から批判する野党候補に都知事選で善戦されることだけでも警戒する。首相官邸が「安倍改憲の阻止」「戦争法案反対」の大義名分を掲げる野党統一候補を潰しにかかるに決まっているのに、万全の体制を築こうと考えなかっただけでも、民進党都連はあまりに甘いし、その甘さは鳥越俊太郎氏を擁立した今では決定的に不利に響いている。

鳥越俊太郎陣営のネックは、野党共闘の足を引っ張る民進党の迷走

東京都の民進党の迷走は続き、一時は石原慎太郎に近い(かつてその後継都知事候補にもなりかけた)松沢成文元神奈川県知事に出馬を打診したり、長島昭久衆議院議員の名前も飛び交った。どちらも勝てるわけがない候補どころか、共産党も社民党も生活の党も野党共闘に乗れないし、東京都の民進党支持層や、参院選で蓮舫議員をトップ当選させた層からそっぽを向かれるのが確実だ。しかも右派国家主義色の強い支持層を狙うなら、自民党と縁を切ったように自分を見せつけている小池百合子に票を奪われるに決まっている。迷走の末に民進党都連が出馬要請をしたのは、元通産官僚でテレビコメンテーターなどで知られる古賀茂明氏だった。これではもう、負けるのが分かっていても形だけ立てた候補にしか見えない。

鳥越俊太郎氏の立候補はそんなドタバタ劇の大詰めサプライズだった。安倍政権の誕生以来テレビでは干されがちで若い層への浸透は今ひとつにしても、理念の堅実さや、ジャーナリストとして客観的に政治の世界を熟知している強みはあり、しかも76歳でも東京での選挙で鍵となるセックス・アピール的な好感度も高い。東京選挙区には民進党がいかに不信を買っても蓮舫氏が圧倒的にトップ当選する選挙区だ。その鍵を握る浮動票層は一方では政治的にはまったく無能と分かっていてもビーチバレー元日本代表も当選させてしまったり、その前の参院選ならまったく組織票をもたなかった山本太郎氏が当選する選挙区でもある。都知事選ならばなぜ「不良老人」の石原慎太郎が圧勝できたのか? その点では古賀氏では小池百合子氏の水を得た魚の如きはつらつさに勝てる見込みはなかったが、鳥越氏なら戦える。

単純に「知名度選挙」と切って棄てることではない。「知名度より政策」と言っても、東京都のような巨大組織をただ「実務能力」で仕切れるとは都民は誰も本気で信じておらず、結局はその候補者にリーダーとしてどれだけセックス・アピールを含めたカリスマ性や人柄の強さがあるのか、その指導力が勝負なのだ。ビーチバレー日本代表にそんなことは誰も期待しないだろうが、蓮舫氏や鳥越氏や、あるいは石原慎太郎、そしてこの都知事選でなら小池百合子が自己演出を成功させている「この人なら役人の言いなりにならずにやってくれる」「都庁の役人も従うであろうカリスマ性」を期待する都民の本能的判断は、そう侮ってはならない。石田純一氏もその点では、変化球に過ぎるとはいっても有望な候補だったし有能なブレーンが支えれば都知事は務まるが(民進党都連にそれが出来るのかはともかく)、どれだけ知事の経験があろうと松沢成文氏ではお話にならないし、その点では増田寛也氏もかなり危うい。

しかし鳥越候補については、いかんせん準備が足りなさ過ぎたのは否めない。出馬表明から公示の1,2日後くらいまでの初戦で不慣れな立場の変化から照れが出てしまっていたのは、こと他候補との討論の場面でいささか押しが弱かった。民進党の優柔不断のせいで共産党が出馬表明を抑え切れなかった宇都宮健児・元日弁連会長をめぐる混乱があったことも未だ響いているなど、野党統一戦線には初動の拙劣さが尾を引いている。なによりも鳥越陣営にとって野党の協力は選挙資金や運動のための人員スタッフの確保では必要ではあるものの、民進党が支援し選挙運動の計画を仕切って来たことは、むしろ完全にマイナスに作用しているし、この都連のだらしなさ、執行部も含めた党内ガバナンスの弱さが印象づけられてしまったダメージは、都知事選に限らず今後も大きく尾を引くだろう。

弱さを露呈し続け、自民党に明確な対決姿勢を示せない鳥越陣営の怪

いやなにが問題かと言って、鳥越俊太郎氏の出馬となれば当然、浮動票を取りに行く選挙戦でなければ意味がない。街頭演説を重ね一般都民にふれあい、その姿をテレビにも撮らせることを最優先すべきが、出馬準備が出遅れたとはいえ、公示日が過ぎても選挙運動の中心が市民団体めぐりや民進党の支持団体組織への挨拶廻り、非常に回数が少ない街頭演説でも民進党幹部や市民団体の演説がやたら多いなど、これでは肝心の鳥越氏が都知事になったらなにをやってくれるのかが伝わらない。その鳥越氏自身がまたなにに遠慮したのか、「みなさんの話を聴きます」ばかり言っている。

改憲の阻止や、国政の流れにこの都知事選を使って棹をさそうとするのも重要な主張だし、それを理由に投票する人も多い上に、そこにこそ鳥越氏自身の人柄が現れるのだから「都政の案件ではないだろう」と言った半可通の批判もどきは気にすることもない。だが鳥越陣営が「アベ政治を許さない」のなら、なぜその安倍の後見人の森喜朗元首相が、本来なら都のイベントであるオリピックを牛耳り乗っ取って、1936年ベルリン大会のパロディのような国威発揚右派オリンピックにしようとしていることに、鳥越氏は怒りを示さないのか?

安倍氏や森氏が東京のオリンピックを国威発揚と自分たちの利権のために利用していることこそ、都が国政の流れにNOを突きつけるもっとも直接的な論点ではないか? リオ・オリンピック代表選手の壮行会で森氏は「国歌をちゃんと歌わないような選手は日本代表とは認めない」などと言い出し、オリンピックや日本のスポーツを自分たちの趣味に奉仕させる私物化の傲慢を、もはや隠す気もない。

ちなみにその壮行会での森喜朗氏の「お怒り」は、プログラム上は国歌の独唱で、歌手が歌うだけだったことに気づいていなかった間抜けっぷりだった。こんないい加減なお山の大将が代表選手に奇妙なプレッシャーまでをかけたがる、そんな五輪組織委員長なんて笑い話のタネにしていいくらいだし、先のソチ五輪でもフィギュアスケートの浅田真央選手について知ったかぶりの暴言を吐いて国民のブーイングを浴びたのが森氏だ。そもそもスポーツが分かってなさそうな、アスリートへの敬意やそのコンディションを尊重する態度も見られない森氏が、安倍政権のゴリ押しで東京のオリンピックを牛耳り、すでに無駄になった金も多い上に予算ばかりが膨張を続けながら、日本選手が金メダルをとれば世界に「君が代」が流れること以外はどんなコンセプトの五輪なのかも判然としない。「アベ政治」の本質的ないい加減さと仲間うちの身勝手な政治の私物化が露骨に現れた実例で、しかもそこで浪費されるのは都民の税金、このままでは大恥をかくのは東京都ではないか。

4年後の東京オリンピックはこのままでいいのか? この本来の最大の争点にちゃんと言及しているのは、かつては労働大臣まで努めた元自民党の山口敏夫氏だけだ。収賄で有罪判決も受けた過去がある山口氏に当選する見込みが皆無なのは本人が百も承知だが、なぜそれでも出馬したのかと言えば「私がクリーンだとは言わないが、私のような人間だからこそ分かることがある」と明言した上で、オリンピックをめぐる森喜朗氏中心の怪しい動きをはっきり批判し、高度成長時代の経済モデルがそのまま残っている東京の現状を成熟した低成長型社会に見合ったものに変えるという全体の政策構想にその森喜朗オリンピックの批判がちゃんと組み込まれていることも含め、鳥越陣営はその知恵にもっと耳を傾けた方がいい。

漠然と「弱者にやさしい政治」を繰り返したところで、もの凄く豊かな都市のはずの東京で世知辛い現実を日々生きている都民は乗っては来ない。そもそも実は不当な立場に置かれていても、自分を「弱者」と思っている都民はそういない。むしろ東京の全体が、現状は大きな問題がとくに見えるわけではないが、すべてがなんとなくうまく行ってはいない、そのどこに現実社会と都政のあいだのボタンの掛け違いがあるのかを突いてこそ、国政の流れに対抗する都知事に、鳥越俊太郎氏はなれるはずなのだが。

「政治的生き物」の本領発揮、水を得た魚のような小池百合子

「後だしジャンケン」ジンクスに囚われた与野党双方を尻目に、政局的勝負勘の強さを存分に発揮して、プロの「政治家」かどうかはともかく「政治屋」として超一流の手腕を見せつける小池百合子氏の戦略は、ただ都知事選に勝つことだけを狙っていない。まず出馬をめぐって自民党都連の優柔不断なくせに傲慢な態度をテレビ取材を同行させることでしっかり報道させ、出馬会見では都連と都議会自民党の不正直な利権体質にターゲットを絞るポーズを印象付け、与党側がやられっぱなしの分裂選挙は小気味いいまでに「反逆者」小池ペースの巧妙な演出で進んでいる。

党側がいかに制度的に無理だと火消しに回っても、いきなり「都議会解散」を公約に掲げたインパクトは、猪瀬・舛添両都政をめぐって都民がもっとも疑問に思っているポイントに鋭く切り込むものだった。しかも解散とならぶ大きな政策は都政・都議会をめぐる利権の追及で、三つ目政策の柱である舛添問題の徹底調査も、その核心は舛添氏個人以上に自民党の組織的な問題ではないかと、多くの都民にはなんとなくにせよ分かっている。小池氏はその都民の不満に焦点を定めて最初から分裂選挙に持ち込む気だったからこそ、メディアへの露出を巧妙に利用して、推薦を渋る都連の姿をわざと際立たせて見せることもできて来た。

出馬会見では、自民党関係者からメディアに流された自身への悪評をばっさり否定するのに、痛烈なダブルミーニングの皮肉も飛ばした。自民党を「家族的で素晴らしい政党」と呼び、さらに女性の活躍を「アベノミクスの一丁目一番地」とも言う、もちろんその安倍政権にとって女性活躍は人気取りの口先だけか、せいぜい労働力として期待する程度なのは暗黙の了解だし、「家族的」とは二世三世議員が幅を利かせて速やかな決断ができなかったり、付和雷同傾向が露骨な今の党全体の体質を嘲笑した当てこすりにしか聞こえないので、有権者は大いに期待したくなるが、しかし文字通りに受け取る限りは党本部を褒めたようにも聞こえるところがミソだ。

小池氏は皮肉やあてこすりでは自民党そのものの体質を揶揄し皮肉っているし、「どこで決まっているのか分からない」「ブラック・ボックス」というのは安倍政権の自民党本部や、とくに森喜朗氏のオリンピックにこそ当てはまるものだと誰しも思うのが、直接の言及はあくまで都連の話に絞っている。この狡猾さがまさに「水を得た魚」の小池候補のしたたかな戦略性の面目躍如で、言い換えれば小池氏の発言を文字通りに受け取る限りは、彼女は自民都連だけを攻撃しているとも受け取れる。つまり選挙戦の流れによっては、問題があるのは都連であって党本部を敵視しているのではない、と小池氏はいつでも言い出せるのだ。

つまり小池氏は党本部とくに安倍総裁相手に、いつでも自分に乗り換える逃げ道を最初から与えつつ、一方で強烈な切り札をちらつかせて脅し、強烈な揺さぶりをかけて来たのだ。選挙戦の当初には、小池氏がいつ本格的に五輪の利権問題を批判しだすのかが、ひとつの焦点になっていた。

安倍首相が小池氏の準備してくれた逃げ道の誘惑に乗らなければ、彼女は自民党と全面対決して都議会だけでなく党本部の不透明な利権体質を糾弾する選挙戦を展開する腹づもりだったろうし、その本丸は言うまでもなく森元首相をめぐるオリンピック利権だ。だがもし自民党本体、とくに安倍首相が小池氏が勝つと踏んでその逃げ道に乗ってくれば、小池氏は自分は最初から都連しか批判していなかったといつでも軌道修正ができるし、現に今や都議会自民幹事長の内田茂氏ひとりにターゲットを絞るようなことまで言い始めた。

もちろん安倍官邸を味方につけて知事に就任すれば、首相と党本部の威光を背景に、都議会自民党というか「都議会のドン」内田茂だけは徹底してスケープゴートとして叩けるのだから、有権者を裏切ったことにはならない。

この場合、小池氏はわざわざ森喜朗氏と東京五輪利権に触れずとも選挙に勝てるのだし、ならばそこまで自民党の党本部、国政の自民党と対決する必要もなく、むしろそんな対立は当然避けるのが、マキャベリストたる小池百合子ならば当然だろう。ただし彼女が知事になればなにかが変わると思って投票する都民にとってはいい面の皮だ。これでは結局、「都議会のドン」を厄介払いできる以外は、舛添都政と大きな違いはないか、もっとひどくすらなる。

小池氏が安倍官邸を味方に使って内田氏を排除するだけなら、都政の国政に対する独立性は決定的に失われるだろう。東京都庁の実質は霞ヶ関の下部機関になり、霞ヶ関の支配管理下に置かれれば職員のやる気も落ち、無駄が多いルーティーン業務の態度の悪さでも都民をいらだたせるお役所仕事が横行し、都議会が持っていた利権が自民党本部の右派の(戦後史の闇を辿ればロッキード事件で21億を受け取った児玉誉志夫と安倍の祖父・岸信介と暴力団関係の、満州国のアヘン製造密売以来のつながりにまで遡る)利権に乗っ取られるだけの構図にもなるだろう。

自民党都連の迷走と、安倍政権=執行部の裏切り

小池百合子の見事なまでの公然たる分断工作の意味が分からないのか、自民党都連はかえって小池氏を有利にするような対応にばかり終始している。党員に親族まで含めて除名すると脅して小池氏への応援を禁じようとしたのは、浮動票にそっぽを向かれるだけでなく自民の組織票すら失いかねない、あまりに愚かなやり方だったし、さっそく「一族郎党まで罰するそうで」と嘲笑を混じえて小池氏に公然とバカにされただけだ。増田寛也候補の擁立に区市町村長をいいわけにしようとしたことも、増田氏がその自治体首長たちの要請で出馬したと自己正当化(自民党のお飾り候補ではないと強調)しようとしたところをバッサリ、その区市町村長の会合自体が自民党のお膳立てだったと、内幕を小池氏に暴露されてしまった。

だが都連と増田陣営にとってなによりも強烈な痛手なのは、党本部幹部や官房長官までは一応は自民党の候補なので応援に顔を出したものの、肝心の総裁・総理大臣が露骨に増田寛也候補の無視を決め込んで来たことだ。

なんと選挙戦が本格するタイミングで、安倍首相は8日間の夏休みを取ることで都知事選から完全に手を引いてしまったのだ。しかも「地方選挙には国政が関わるべきでない」という発言すら党内からは聞こえて来て、休暇後も増田氏を応援せずに済む言い訳まで準備されていた。

結果、選挙戦後半に入っても世論調査によれば増田陣営は自民党支持層、つまり組織票の5割も固められていないという。さすがに首相にどうしても応援してほしいという要請があったのか、やっと重い腰を上げたかに見えた安倍氏は、なんと集会にビデオ・メッセージを送っただけ、その中身も増田氏をただ自民・公明の推薦候補だと確認しただけだった。これでは増田氏の応援というより、小池陣営へのメッセージにしかなっていない。

安倍官邸にしてみれば都知事選の最大の焦点は、都連のふがいなさで分裂選挙になった結果、改憲反対・安保法制廃止・「アベ政治を許さない」を掲げる野党候補に勝たれては絶対に困るし、次点に終わっても注目を集めるのは許せない、ということに尽きる。その点、小池氏は選挙期間中はうまく隠しているが、安倍氏同様に日本の核武装も可と発言したこともあるし、政略に長けた彼女は安倍氏に近い極右系の「日本会議」であるとか「親学」や、「新しい歴史教科書を作る会」などにもしっかり媚を売って人脈を作って来ている。実直な内政官僚で安全保障問題などには口を閉ざし、経済政策を問われればアベノミクスを批判しかねないだけの常識もある増田寛也氏よりも、安倍首相にとっては好ましい人物だ。

しかも小池氏と全面対決になれば、小池氏は安倍政権にとって最大のアキレス腱のひとつである森喜朗=東京五輪組織委員会の問題を批判し始めるだろうことを匂わせて来た。ならば安倍官邸にしてみれば小池氏を敵に回すことはリスクばかりでなんのメリットもない。現職大臣でもある石原伸晃・都連会長のメンツは丸つぶれになるが、安倍氏の性格なら石原伸晃のことは都知事選で負けたのを理由に都知事選直後の内閣改造で平然と切り捨てるだろうし、十数年来自民党都連を実質支配して来たという内田茂都議会自民党幹事長に至っては、安倍氏にとってもむしろ邪魔な存在だ。

安倍自民から切り捨てられる都連の自業自得

その自民都連の大きな誤りは、「実務経験」を理由に増田寛也氏を選んだこと、その増田氏の知名度云々ではなく、出馬理由として挙げたことに集約されるだろう。増田候補は都政が混乱し停滞しているというが、二代続けて知事が任期途中で辞任したくらいのことでは、都の行政が直接には混乱なぞはしないことも都民には分かっている。東京都は16万人を超える巨大組織だ。そのほとんどの業務は過去に決まった制度とそれに準じた各部署内の手続きに基づいて進行していて、都議会や都政の権限が介入するのは予算の承認くらいしかない。都議会によほどの政策立案能力がなければ、予算さえ年度末の定例議会で通過する限りは、さしあたっては都民生活に直接の大きな影響はない。

巨大官僚機構を前に、自分たち政治家がその程度の役割しか果たしていなかったことに無自覚な都連・都議会の傲慢さと、二世・三世だらけの党内なれ合いで政治家どころか政治屋としての能力にも疑問符がつく都連所属の国会議員たちの優柔不断な戦略性のなさが、政治屋としての動物的な勘の強さを水を得た魚のように発散する小池百合子の完全にしてやられた構図だ。小池氏が言った通りの、まことに「家族的で素晴らしい」なれ合い政党の馬脚が晒されてしまった。

一方、党本部というか官邸、安倍首相にとって、都知事選はまず2年半前に自ら熱烈に応援演説を行った舛添要一氏の「任命責任」を問われかねない立場になっただけでも関わりたくない上に、小池氏の独断の立候補で事実上の分裂選挙になったのはあくまで石原伸晃氏ら都連の責任だと言い逃れもできる。しかも今回の選挙で党本部=安倍政権にとって重要なのは、自民党都連が勝つことではなく野党統一候補、それも参院選の「改憲勢力3分の2」の結果に危機感を抱いて立候補したと公言する鳥越俊太郎候補を絶対に勝たせないことだ。

改憲は国政であって都政には関係がないと口先だけはいくら言ったところで、都民の選択がはっきり自分に対してNOになってしまえば、参院選に大勝と言っても現職閣僚二人が落選し、首相自ら応援演説に入った激戦の一人区も野党連合に取られ、改憲勢力3分の2をとったところでいざ改憲の動きとなると次の一手がない(どこをどう変えるかも決められず、改憲の方向性も公言できない)、勝ったはずが妙に立場が不安定になってしまっている安倍政権にとってダメージは計り知れない。

小池氏については以前に総裁選で対立候補だった石破氏の側についたことと、自分のゴッドファーザーである森元首相と不仲であることを除けば、初の女性都知事が誕生するのも安倍政権の一般相手のイメージ戦略としてそう悪い話ではない(コア支持層の極右にはおもしろくない人もいるだろうが)。唯一危惧するのは、小池百合子が選挙戦で「森喜朗=五輪利権」カードを切るかどうかだが、選挙戦でうまく恩を売っておけば、小池氏の方でもそこまでやらずとも勝つ見込みさえ立てば、やはり官邸が味方の方が都政運営が楽なのだし、そこまではやるまい。

ただ逆に言えば、小池氏が仕組んだ自民党分断工作が、党の分断ではなく単に現在の都連の切り捨てで終わるのであれば、とたんにあれだけの華やかさで利権に切り込む姿勢も鮮明に立候補したときの小池百合子候補の魅力はすっかり消えてしまう。都知事としての彼女に期待できることも、「都議会のドン」内田茂というたかが小物ボスが潰されること以外にはほとんどない。

逆にそこでこそ、鳥越俊太郎陣営の勝負のしどころが浮かび上がるはずが、それがまったく出来そうにないのが民進党都連が仕切るその選挙運動だ。とにかく、まず街頭演説などの一般向けの露出がまったく足りないのは、浮動票を動かせるはずの候補なのにまるで見当はずれだし、プロ政治家ではなく出馬も急だったが故の政策知識の足りなさがあるのなら、そこでサポートするのが党の仕事のはずなのに、まったくできていない。

敵を見誤り、見くびっていた鳥越陣営

鳥越俊太郎氏が立候補を表明した直後から、首相官邸の内閣調査室が氏が出演して来たテレビ番組の制作会社などの周辺で聞き込みに動いているという噂が立った。調べているのは女性問題だという。いざ「週刊文春」がその女性スキャンダルらしき根拠薄弱な風聞を、羊頭狗肉の題名で記事にしたとき、鳥越氏が激怒したのは、その噂を鳥越氏も耳にしていたからだろう。自民党職員や議員の秘書が嗅ぎ回るとか、私立探偵を雇うなら、あまり褒められたことではないにせよ想定の範囲内だ。だが政府機関である内閣調査室というのは常識的な想定を超えた、あまりにとんでもない話だ。

本当に選挙の候補者相手に内調が動いたのだとしたら、官邸の節操のなさ、安倍政権の国政の私物化がひどすぎる。鳥越氏が激怒するのも私憤よりは公憤だ。鳥越氏が都知事選で反改憲・安保法制反対を唱えて出馬したときに自民党側が「反論」したように、都政は国政ではないのだから、国政が都知事選挙にみだりに介入などすべきではないはずだ。その上、選挙はあくまで党のマターであって政府としては中立性を厳正に守るのが当然の矜持でなければならない。言うまでもなく、内閣調査室はあくまで国政のための情報機関で、国民の税金で運営される政府の官邸の所属であり、決して自民党やその総裁の私物ではない。

鳥越氏側は「事実無根」として即刻、名誉毀損と公職選挙法違反で刑事告発したが、普通の法治国家なら通じるはずのその意味を、この選挙戦中の日本ではなぜか誰も言わない。「週刊文春」の記事の内容自体は14年も前のことで、今出て来ること自体不自然なら(なんでも上智大学で学生のあいだに広まった都市伝説的な風聞だったらしい)、被害者の夫という証言しかなくその中身も不自然きわまりないのが、それでも事実であれば鳥越氏が「事実無根」として訴えたことは、氏自身が直接やったことである以上はシラは切れない、「知らなかった」とは決して言えない案件であるからには、自動的に誣告罪(今では虚偽告訴)という重罪が成立するのだ。

たとえば参院選に立候補した青山繁晴氏が同じく「週刊文春」に共同通信記者時代の取材費バラ撒きご乱業を告発されたのは、どう見たって会社の金の無駄遣いで自分のセレブ有力者相手のコネ作りに終始しただけ(結果、今の氏の立場がある)でも、青山氏が「自分はそんなつもりではなかった」と子どもじみた言い訳に終始するだけで、誣告罪は逃れられるので、時間稼ぎの誤摩化しのスラップ訴訟に逃げられる。一方、鳥越氏の場合は、本当にまったく身に覚えがない限りは取れない行動で、もし事実だったら即鳥越氏自身が罪に問われる。なのに弁護士である人たちまでが「説明責任」と言い出すのはナンセンスで、ド素人の一般人ならともかく弁護士ならその法的行動の意味が分からないわけがないし、ありもしない事実なら「説明」すべきことがない。

続報が「週刊文春」ではなく「週刊新潮」で出るというのも、なんとも「でき過ぎ」かつ「やり過ぎ」感が強いが、内調という噂が本当なら当然の合理的推論の範疇として、そこまで露骨に鳥越氏を潰しにかかって来ているのならば安倍官邸のなりふり構わなさは凄い。

なのにその鳥越陣営が、これが普通の選挙でもあるかのように情勢を見誤って、自らは反安倍を掲げているはずで、ならば真の敵は安倍官邸なのに、戦う相手を小池候補や増田陣営だと錯覚したまま今まで来てしまっている。

内閣調査室は日本政府の総理大臣とその行政府のため(決して自民党の総裁のためではない)に働く調査機関、というか要するにスパイ組織で、その活動内容は決して公表はされず、従ってウラをとって根拠を固めて報道されることがまずない。だからあくまで一般論としてのみ言っておけば、活動費用としては官房機密費も自由に使えるし、その金で情報を買うことだけでなく、虚偽の証言者を買収したりして謀略情報を作って流布することも任務のうちだ。もちろん本来は政府の政策の策定や実施のための情報戦略がその職責で、機密費も税金なのだから、それで得た情報を民間の、営利企業の報道機関や週刊誌に流すのは本来なら許されないことだが、スパイ活動、情報を使った謀略に、「ルール上許されないこと」なぞ実際には無意味なのも言うまでもない。

本気で「アベ政治を許さない」のなら覚悟が足りなかった

繰り返しになるが、内調の活動は公表は決してされないし、従って根拠を持って報道することは難しい。内調が動いたというのはあくまで噂であり、それが週刊誌のスキャンダル報道のソースだろうと疑うのがもっとも蓋然性の高い合理的推測とはいえ、あくまで憶測の域は出ない。だがその関与がどうしても疑われる情報操作的かつ歪曲や捏造すら含む動きで、安倍政権にとって都合の悪い人物が潰されたのではないか、と疑われることはこれまでも度々あった。なのに鳥越陣営は、やはりあまりに無警戒でのんき過ぎたのではないか。

しかも鳥越氏への露骨な攻撃的な報道の場合、よく考えるともっと怖いことがある。氏が都知事選に出馬を表明した直後には、もう氏が出演して来たテレビ番組や執筆や編集で関わって来た雑誌などに内調が聞き込みをやっているという噂が、筆者の耳にも入るほどに広まっていたのだ。むしろ秘密裏に動く気が最初からない、動いていること自体が脅迫・恫喝になるのを狙ったやり方にも見える。第一報は「週刊文春」で続報があえて「週刊新潮」つまりライバル誌という「でき過ぎ」「やり過ぎ」も、むしろその方が威圧的な効果はある。

言うまでもないが、これは内戦前のシリアのような独裁の警察国家で、秘密警察が動くときの常套手段でもある。

いずれにせよ、都民にとって、ひいては国民にとっては、都知事選への関心はあくまで誰が次の都知事になるかであって、争点はその新知事がどのように都政を変えてくれるのかであるにせよ、政界においての真の関心事、永田町にとっての最大の争点は、安倍政権に反対する動きを封じ込めるられか潰せるか、なのだ。

この都知事選の場合なら、自民党に叛旗を翻すポーズをとった小池百合子氏といかに妥協して政権側に引き戻せるのかと、鳥越俊太郎氏を単に選挙戦で負かすだけでなく、どこまで徹底的に潰せるのか。この二つの目的の方が増田寛也氏を次の東京都知事にすることよりも遥かに優先されるのが、安倍官邸の利害になる(これはこれで、国民の生活と国家の命運を預かる政府としてあまりに本末転倒なのは言うまでもないが、安倍政権とは最初からそういう政権だった)。

今の政府官邸ならそのために大手メディアに圧力をかけることすらできる力を持っているし、現にそうやって来たことも、先の参院選で改憲問題が選挙期間中にはほとんど報道されず、自民党の改憲草案に至ってはその内容が報道されたことが一度もないという一例だけでも、今さら言うまでもない。

相模原の障害者施設の襲撃事件でも、犯人が大島衆院議長宛に手紙を出していたことは伏せられて来た。ネット上の悪質ないたずらでも威力業務妨害などで逮捕までされているのにあれだけの内容が無視されたのは、その手紙の時点で適確な対処があれば防げた事件なのに大いに悔やまれることだが、この手紙には安倍総理への言及もあり、犯人は自分の大量殺人が安倍首相の望む「美しい国」日本に貢献するものだという主旨をはっきり書いていた。なぜ事件化もされず報道もなかったのか、政権への忖度があった疑念は払拭できないだろう。

鳥越氏の選挙戦の報道され方も、街頭演説の数が少な過ぎ、報道する材料自体が足りないのは陣営側の罪が大きいし、鳥越氏の方でももっと主張を先鋭化しなければ選挙には勝てないのだが、それでも報道の側があえてたいしたことのない部分ばかりをテレビで流し、頼りなさそうに見せようとしているのも確かだ。鳥越氏の街頭演説では憲法問題と安保法制反対、安倍政権の国政の流れの批判が比率的にもっとも多いのに、その部分がテレビなどではまったく紹介されないのは、何重もの意味で安倍政権にとって都合がいい。

こういう政府官邸こそが真に戦っている敵であるときに、民進党が仕切る鳥越俊太郎候補の選挙運動はいかにも稚拙で、戦略がなさ過ぎ、無防備過ぎる。これでは参院選の結果に危機感を抱いて出馬を決意した鳥越俊太郎氏が、あえて改憲反対・戦争法案反対をあえて都政で訴える、と言っていたことも、ただの看板倒れになってしまう。「アベ政治を許さない」というのなら、もはやその戦い方は、市民運動的なナイーヴさだけでは足りない。

 

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