パリ同時多発テロは本当にイスラム国の犯行と言っていいのか? by 藤原敏史・監督

フランソワ・オランド大統領は上下両院合同部会で「La France est en guerre フランスは戦争状態にある」と宣言した。それもパリの共和国議事堂ではなくヴェルサイユ宮殿の議事堂、1789年の大革命のきっかけのひとつであった三部会の、歴史的な場所で、である。

だがわざわざフランス共和国にとって歴史的な場所を選んでのこの戦争宣言には、見当違いでちぐはぐな印象が否めない。戦争ならフランスの方が、数ヶ月前には始めていたではないか?

今年1月の風刺週刊紙シャルリーエブド襲撃事件への対応として、シリアの空爆にフランスは参加しているが、同事件はイエメンを拠点とするアラビア半島のアルカイーダが犯行声明を出し、実行犯はフランス国籍を持ちフランスで生まれ育ったアラブ系移民二世三世の若者たちで、シリアやイラクの一部を実行支配するイスラム国との直接関係はなんら認められない。

アラビア半島のアルカイーダはイスラム国と競合・敵対関係にあり、フランス政府が両者を「ジハード主義者」と同一視したところで、ヨーロッパからみた差別的なレッテル貼りとみなされてもしょうがないだろう。

シリア空爆への報復は当然想定されているべきだった

空爆はシリア人から見れば旧宗主国であるフランスによる一方的な侵略行為とみなされてもおかしくないし(で、ならば2011年にアサド政権が始めた暴虐な内戦には、なぜなにもしなかったのか?なんなんだ、自分達のことしか考えてないで暴力を行使しているだけじゃないか、という話になる)、当然ながらイスラム国にとっては、フランス本土攻撃はその報復なのだ、という大義名分が成り立つ。

いったん戦争になれば、自己正当化の小理屈をこねる余裕なぞなく、まずあらゆる手段で国民を守る覚悟がなければおよそ勝つことなぞ出来ないし、あらゆる手段と言ってもそれは戦略的に考え抜かれた、現実状況に最適なものでなければならない。そんな厳しい状況下にあると自ら宣言しておいて、なのに単にテロ被害国と加害者というだけでは済まない、被害国側のイスラム教に対する宗教偏見や人種差別、旧宗主国と旧植民地の関係の差別性が背景にあることをみすみす指摘されかねないもの言いしか出来ず、国内向け限定、せいぜいが先進国列強(つまり旧・植民地主義大国)側での自己閉塞に終始するのでは、ますますフランスが攻撃される動機が増えるだけで、先が思いやられる。あげく憲法に手をつけ、政府に望ましからざる者の国籍剥奪の権限まで与えると言うのだ。

これで「テロとの戦争」に勝てるつもりなのだろうか?

却ってフランス政府に失望と怒りを覚え、イスラム国を支持しないまでも、旧宗主国のヨーロッパにも不信感を募らせるアラブ人が増えるだけではないか。なのに欧米ではシリアからの難民を制限するか、下手すれば排除・排斥する政策的な動きまで出て来ている。

イスラム国主導だというフランス政府の説明は現実味に欠ける

この同時多発テロ事件の第一報を受けてまず当然考えるのは、空爆をしている以上はイスラム国がフランスに報復することは当然の想定の範囲内であり、フランスは自らが始めた戦争の深刻さが分かっていなかったのではないか、という疑問だった。フランスがイスラム国と戦争状態にあったのシリア空爆を始めた時からであり、その自覚すらなかったとしたら、オランド政権はあまりに無防備で独りよがりが過ぎ、鈍感にも程があり、およそ戦争なんて身の程知らずだ。

しかも事件の詳細な実態が明らかになるにつれ、誰もがシリア空爆への報復と考え、実際にイスラム国も犯行声明こそ出したものの、逆にその犯行声明の中身からしても、その直接関与はどんどん疑わしくなって来る。ちょうどシャルリーエブド襲撃事件について犯行声明を出したアラビア半島のアルカイーダが、実際の計画と標的の選択は実行犯に任せたと呆気なく白状したのに近い。

なにしろこの同時多発テロ事件のターゲットが、イスラム国がフランスのシリア空爆への報復としてパリに攻撃を加えるなら、こんなところは狙わないはず、そもそも知りもしない場所ばかりだし、しかもアラビア語の犯行声明ではもっとも多くの死者を出したバタクラン劇場がコンサート会場ではなく会議場と誤って記載されていた。

辛うじて、オランド大統領が仏独交流試合を観戦したスタッド・ド・フランスならまだフランスを攻撃するという大義名分に適したターゲットだが、競技場の中ではなく外で爆発が二度起こっただけでは、たかが競技場の警備すら突破できない程度の計画性や能力しかなかったことになる。実際に爆発があった競技場の外ならば、爆弾さえ手に入れば誰でも出来るだろう。だがここを狙うなら、オランド大統領本人の目の前で爆発や殺戮が起こるのでないと、いやそれこそ大統領本人の命をも危険に晒すくらいでなければ、シリア空爆への報復にならない。

国際テロ事件には似つかわしくない攻撃目標

ロックバンドのコンサートが行われていたバタクラン劇場も200人規模の小さな劇場で、係員の手荷物検査程度の警備だったことだろう。一方で、ここでもっとも膨大な死者が出たのは、逆に言えばこの犯行グループが人質を取った立て篭りの戦略もたいして持っていなかったことでもある(これが日本なら、膨大な一般人を犠牲にした突入作戦について警察の責任が問われる)。

1970年代にも左派や民族独立運動の過激化の流れのなか、国際テロが頻発した時期があり、パリでも多発した事件のひとつでは、有名レストランのマキシムが標的になった。このような超高級店が狙われるのなら理由ははっきりしているが、今回の10区、11区の各所で起こったレストランやカフェへの銃撃も、まずこんな庶民的な地域をターゲットにするのはおかしい。犠牲者の国籍が19カ国に及んだのも、別に観光客が多く集まるからではない。移民や留学生が多い、それだけ庶民的で暮し易いからだった。

このように、政治テロとしては失敗というか、そもそも計画からしてなっていないようにしか見えないターゲット選択の不自然さも、いったんフランス政府の説明の色眼鏡を外すだけで、実は簡単に説明がつく。イスラム国が直接指揮したような、プロ戦闘員が手がけた綿密な計画ではなく、まったくのアマチュア、素人のテロ行為だと考えれば、ターゲットの選択はどれも素人でも攻撃可能な場所ばかりだし、やはり移民が多いサン・ドゥニにあるスタッド・ド・フランスにせよ、10区11区にせよ、実行犯の多くが元からフランスに住んでいて社会の差別に不満を抱いていた移民の子弟であり、自分たちに馴染みがあるぶん土地勘があってより簡単だったはずだ。極端に言ってしまえば、暴走族が爆走する時に銃を乱射したようなものというのが、ことレストランやカフェの襲撃では現実に近い。

イスラム国の出した犯行声明にある動機、パリが不道徳と売春の巣窟だと弾劾するのなら、西にほんの1キロ前後のマレ地区やポンピドゥー・センターの東や北を狙うなら分かる。パリのゲイ・タウンがあり、売春で悪名高いサン・ドゥニ通りもあるし、少し東にはユダヤ人地区もあるのだ。しかし現場となった10区11区なら、イスラム教徒が経営する店なども多いし、だから犠牲者のなかにはムスリムの、アラブ人も当然いて、これではイスラム国がヨーロッパでやるテロとしてむしろ逆効果で、みすみす支持を失いかねない。

実行犯のほとんどがフランスで生まれ育ち、テロリストとしてはアマチュア

容疑者として名前が挙がっているのはほとんどがフランス、一人はベルギーの国籍を持つ移民の子弟だ。そのモロッコ系ベルギー人の容疑者にシリアに渡航した過去があるだけでは、シリアのイスラム国の命令で派遣されたテロリストの凶行とは考えにくい。

しかもフランス当局がシリアから指示を出していたと主張していたその容疑者は、実際にはパリ近辺にいて、密告を受けて慌てて急襲した警察に射殺された。死人に口なし、なんとしても「イスラム国にフランスが直接攻撃されたのだ」というストーリーを死守しなければならないオランド政権にとっては辛うじて好都合だが、そんな政府発表情報からの憶測だけでは、今後も真相は明らかになるまい。一方で同容疑者は犯行時に10区の現場にいたことも防犯カメラ映像で分かっている。

主張が揺らぎかけたフランス当局は、今度は殺害した実行犯のうち二人の指紋がギリシャで難民審査を受けたシリア人難民と一致したと喧伝しているが、渡航時期などの詳細は明らかではなく、いずれにせよ事件を主導した大多数がフランスやベルギーで育った人間だったことは変わらず、むしろ当局が事件の全体像をほとんど把握していなかったことが明らかになったとも言える。

実際の事件を見ても、例えば英デイリーニュース紙が入手した襲撃されたイタリアン・レストランの防犯カメラ映像では、逃げ場もなくうずくまる女性二人にカラシニコフ銃を向け、引き金まで引いても不発で、何度も試しては諦めて立ち去る犯人の一人が写っていた。男が立ち去ると二人はすぐに起き上がって歩いて避難していることから考えると、仲間は既に周囲にいないで先に行ってしまっていたのだろう。そもそも店の入り口まで来ながら、店内に乱射するのでもなく、どうみても訓練を受けたテロのプロには見えないし、麻薬密売組織やギャングに広く普及したカラシニコフ銃の密造コピーには不発などのトラブルが多いとはいえ、銃の扱いも相当に不慣れだったように思える。

10区11区のレストラン等にせよ、バタクラン劇場にせよ、銃撃でいかに多くの犠牲者が出ようとも、ただの乱射なら、引き金を引きさえすれば誰でも出来る。同時多発テロとは言っても、時間の綿密な調整で巧妙にショック効果が演出された、9.11のアメリカ同時多発テロのような緻密な計画性が必要なものではない。ただ時間を申し合わせていただけだ。この事件の実行で唯一まがりなりにもプロの参加が必要なのは、武器の調達と密輸だけだろう。

素人の、誰でも出来るテロ事件だからこそより危険

オランド政権はこの事件をシリアのイスラム国の計画と指示によりベルギー経由で実行された国際テロだと主張し、ベルギー国籍の容疑者がイスラム国の機関紙にも載っていたことから、その男が主犯との推測に固執している。このストーリーは一見、より大げさでフランスが攻撃されたことの危機感を煽るように聴こえるが、愛国的な団結を鼓舞する効果しかなく、フランスの政治も、官憲も、社会も、国際メディアも、ことの真の深刻さを理解出来ていないのではないか?

また政府がシリアにいて指令を出していた主犯だとみなしていた容疑者が実はパリ近辺にいたこと、10区11区の襲撃に立ち会っていた可能性まで出て来るのでは、フランスの治安当局の能力不足が問われかねない。パタクラン劇場の惨事でも警察がもっとうまく動けたはずではと思わざるを得ない面があるし、数日後に犯人グループの潜伏先を警察が摘発しようとしたサン・ドゥニでの銃撃戦でも、世界中のメディアにアピールすることの方が、事態の制圧よりも優先されていたのではないかと思ってしまうくらい、作戦行動にも、事後の情報の出し方にも、稚拙さが目立った。

この同時多発テロ事件は実際には素人ないしアマチュアの起こした、およそ緻密な計画や指揮命令系統のない事件だと考えた方が自然だし、実際にそうだったとしたら、その方がフランスにとって恐ろしく危険な現実を指し示している。まったく同様の事件が、死ぬ覚悟さえあれば誰でも出来るということを意味しているのだ。こうしたテロが今後のフランスやヨーロッパ各地で、いつ、どこででも、再発し得るとみなして対策を考えるべきではないのか?

また、ただの素人に実行犯が務まるのなら、イスラム国や、競合敵対関係にあるアルカイーダ系の組織にとっては、これほど楽なことはない。

ヨーロッパで生まれ育った移民アラブ系市民の不満層が怒りや不満、自暴自棄を暴発させて事件を起こす度に、実はほとんど関係がなくともこれ見よがしにネット上にでも犯行声明をアップすれば、ヨーロッパ各国の政府当局が国内的に移民弾圧や難民制限の政策を打ち出し、その差別性にますます怒りを覚えるアラブ系市民が増え、なかには自ら暴力事件を起こすものもまた出て来るだろうし、そうでなくとも西洋各国が表向きは主張して来た民主主義や基本的人権などの価値観の欺瞞性を強く疑う人たちが増え、国家の威信は低下する。そうやって排外主義でファシスト化しつつあるフランスが今やっているような動きに各国政府が従い、自国内で差別的な政策を打ち出し、対外的にはシリアやイラクなど中近東各国への軍事介入を強化すれば、その大国の自己中心的な態度への不信も募り、多極化が進む世界のなかで現状の世界秩序の崩壊は早まる。

事件の本質は、国内問題の暴発としてのどこでも起こり得る都市暴力

これまでイスラム国とその支援ないし系列組織の起こしたテロ攻撃は中近東、イスラム国が目標とする版図、つまり過去のイスラム帝国の最大支配領域の中に限られて来た。イスラム国が犯行声明を出した海外でのテロ事件は初であり、そのことからも彼らが実際に直接実行させた事件だと安易にみなすのには疑問が生ずる。

一方で、いかにフランス人が認めたがらずとも、フランスで生まれ育ちその社会に未だはびこる人種差別や無自覚な植民地主義に深い不満と怒りを持つ若者たちが確かにいることは、この事件でも、シャルリーエブド襲撃事件でも立証されている。

人口の7.8%を占める国内のイスラム教徒が感じている差別と格差がこうした事件の背景にあると指摘されたら、ムキになってフランス社会でそこそこに成功しているイスラム系の移民もいることを強調したところで、そんなのは「よいアラブ人」と「悪いアラブ人」をヨーロッパ、旧宗主国の側の都合で色分けしているに過ぎず、その発想からして差別的であるだけでなく、現実を無視していて危険でもある。死を覚悟してでも不満や怒りを爆発させたり、自暴自棄になった人間がこの二つの事件の犯人達だけだと思える根拠はどこにもないどころか、一連の事件への対応を間違えれば増えるばかりだ。つまりこのような事件ならいくらでも再発し得るのが現実だと考えるべきだし、従来の官憲や治安・公安担当部署、諜報機関のやり方では、直接的に防ぐ手段はほとんどないのだ。

ことフランスの場合、治安当局も諜報機関もさほど優秀でないことが今回の事件でも明らかになってしまった。海外でイスラム国と本気で戦争をする気だというにしても、元々軍隊が強い国でもない。ナポレオン時代以降戦争に勝ったこともなく、第一次第二次両大戦もイギリスとアメリカに救われて戦勝国に名を連ねているだけなのが実際だ。そしてフランスがシリア空爆に参加していることで、シリアにもまた命がけでもフランスに復讐しようと思う者が出て来てもなんの不思議もないことも、当然想定しなければならない。難民と指紋が一致したからと言って「イスラム国が」とひたすら言い続けるプロパガンダを、政治家や軍や治安当局も本気で信じ込んでしまっているなら(そして大いにあり得ることだ)、フランスの安全を守る上で非常にリスクが高い。

有名だからテロに狙われるのでなく、テロに狙われることで有名になる時代へ

テロが町のどこでも起こりえることは、10年以上前からすでに中近東(イスラエルを含む)では既にテロ事件の標準になっていたが、それがパリで起こったことで国際テロリズムは新たな次元に入ってしまったとも言える。スタッド・ド・フランスを例外とすれば(そしてここでの攻撃は明らかに失敗している)、ターゲットとなったのはパリ市民ですら一部しか知らない場所ばかりで、それが事件を機に世界的に有名な場所になってしまった。

これまで国際テロ事件といえば、パリのマキシムでも、ウィーンのOPEC本部でも、ミュンヘン・オリンピック選手村のイスラエル選手団でも、そしてもちろんニューヨークの世界貿易センターやワシントンDC近郊の米国防総省と言えば、ターゲットそのものに意味があり、その知名度と象徴する権威があったからこそ攻撃されて来た。

しかし今回の事件の現場は極端に大勢の人が集まる場所ですらなく、普段の週末にそこにいる人よりも、事件後の世界中のメディアの取材陣や野次馬、追悼に訪れる人の数の方が多いほどだ。あるいは犯人グループと警察の銃撃戦があった郊外都市サン・ドゥニも、旧市街と大聖堂が世界文化遺産に指定されてはいたとはいえ、この篭城事件以前にはほぼ無名だった。

情報が過剰なまでに流通する現代においては、テロのターゲットの知名度を、テロ事件があったことそれ自体で作り出せることを、この事件は証明してしまった。ならば今後は、有名であったり高級だったり人が多かったり、重要施設であるが故に警備も厳しく、従ってより攻撃の難度が高いターゲットを、訓練を受けたごく一部のプロが狙うテロをやる必要もなくなるし、9.11事件のような緻密な計画を何ヶ月もかけて準備することもない。この新しい国際テロリズムのフェーズは、攻撃をされる側から見れば重点警備対象の絞り込みが極めて困難になることも意味する。

合計で130人の犠牲者数は決して少なくはないとはいえ、スタッド・ド・フランスを本気で攻撃出来ていたら、あるいはより有名で賑やかな場所が狙われていたら、死者数は数倍に膨れ上がっただろう。しかしこの同時多発テロを受けた世界の反応を見ていれば、そこまで困難な作戦に挑むことも、そのためのプロの技術や計画性も、もはや必要ない。

文字通り記念碑的な建築物であるニューヨークの世界貿易センターをスペクタクル性に満ちたやり方で破壊したのは、テレビの生中継を明らかに意識した計画だった。今回のパリの同時多発テロは、結果としてSNSで情報が拡散することでそのインパクトが広がる新しいタイプのテロリズムの先例になったとも言える。

その9.11事件で三千数百名(当時の推計では五千以上)の犠牲者を出したアメリカの反応を当時はあそこまで批判し、政府が国連で「テロとの戦争」に公然と反対し、アメリカ人を揶揄する者さえ少なくなかったフランスが、ブッシュ政権のアメリカ以上に過激な反応を示すのなら、警備も厳重な、人の数も多く有名な場所を、困難を承知でテロの標的にする必要すらもはやない。死ぬ覚悟と武器さえあれば、誰でも世界に強烈なアピールできる大テロ事件が作れてしまうのだ。

抵抗歌「ラ・マルセイエーズ」が歌われることの違和感

連続テロ事件を受けて、多くのフランス人がフランス国歌を合唱する。

フランスが攻撃されたとみなすときに連帯のために国歌や国旗が出て来るのは自然なナショナリズム感情ではあろうが、それがフランス国歌だとその歌詞の中身からして違和感を禁じ得ない。

フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」は元々、1789年の大革命を受けてオーストリア帝国など近隣の君主国がフランスに侵攻した際、共和国を守るべく集まった民兵達が歌い始めたもので、「圧制」が掲げる「血塗られた軍旗」に対し、自由な祖国を守るため市民が武器を取る、という内容だ。とった手段が極端過ぎるとはいえ、この歌詞の内容や成立した歴史的背景はむしろ、植民地主義と人種差別から脱皮しきれないフランス社会のなかで差別・抑圧に耐え、格差と貧困に甘んじ、我慢しきれなくなって武器を手にした者達のストーリーにこそ合致する。

少なくとも、フランスは今ではいかに経済の衰退と凋落が激しいとはいえ(だから失業率は上がり、いちばん打撃を受けるのがアラブ系の移民層)、まだまだ世界に冠たる大国のひとつであり、つまり現代の「世界秩序」に不当さがあるとするなら、その「圧制」をやっている側である。そのフランスのマジョリティが、たかが国内の民族的マイノリティを指して自分達が圧制に苦しめられているなどとは、普通ならなかなか言えることではない。

だいたい、フランスは今でも核兵器も保有し、国連安保理の常任理事国でもある大国だ。そんな大国に較べて、シリアなどが発展途上国の小国でしかないのは子供にだって分かるし、その一部を支配するイスラム国となればさらに小さい。なのに強者の圧制に反抗するいわば弱者の抵抗の歌を歌うこと自体、客観的にはえらくちぐはぐな話だ。

しかもフランスはシリアの旧宗主国であり、そうなった経緯がまたいかがわしい。第一次大戦中に枢軸国側だったオスマン・トルコの支配下にあったアラビアで、アラブ人たちが連合国側に立って独立運動を始めた時、表向きには戦後の独立を約束しながら、フランスとイギリスが裏では戦後のアラビアの分断支配の密約を結んだ結果なのだ。このサイクス=ピコ密約に今も基づく国境線を否定し、アラビアに対する欧米植民地主義の介入を排除するというのが、イスラム国の大義名分でもある。では「圧制」は、誰がやっていることなのか?

なにが「圧制」で、「血塗られた軍旗」を掲げているのは誰なのか?

いやむしろ、イスラム国の実際の指導層が反宗教・世俗主義独裁だったサダム・フセイン体制を支えたイラク・バース党の官僚や軍人達であることを勘案すれば、反サイクス=ピコ密約の凡アラブ主義ナショナリズムこそが真の目的で、カリフ制を唱えることや極端なシャーリア(イスラム法)支配は都合のいいエクスキューズに過ぎない。戒律厳守と暴力的な刑罰、異教徒・少数民族のクルド人などへの弾圧ではイスラム国は確かに「圧制」をやる側だが、歴史的な大きな構造で言えば、圧制をやって来たのはアラビアを植民地支配し、独立させた後も自国の影響下にある半ば傀儡的な各国政府を維持させて来たヨーロッパ諸国やアメリカなど、旧植民地主義列強諸国ではないのか?

イスラム国の隆盛を産んだ背景としてまず誰もが指摘するのは、アメリカの「テロとの戦争」としてのイラク侵攻と、その占領政策の失敗だ。アルカイーダはもともと世俗主義のイラク・バース党フセイン政権を敵視していたのだし、無謀な言いがかりは大量破壊兵器の有無だけではなかった(フランスがシャルリーエブド事件を口実に、犯行声明を出した組織とは敵対関係にあるイスラム国の空爆を始めたことにも、妙に似通っている)。だがそのイラクの聖戦アルカイーダのリーダーのザルカウィが殺害された後、そこに入り込んだのはアメリカの撤退後にイラクの政権を握ったシーア派のマリキ政権に投獄されていたバース党の幹部残党で、それがイスラム国の起原になった。

旧バース党員に限らず、スンニ派を弾圧し虐殺さえ行った、しかも腐敗しきったマリキ政権のイラクでは、スンニ派のイラク人にとってイスラム国では煙草を吸ったりサッカーを観戦しただけで処罰されるのはひどいとはいえ、スンニ派の家系であるだけで殺されるマリキ政権よりはまだましだ。

なにが「圧制」で、「血塗られた軍旗」を掲げているのは誰なのか?

欧米がアラブの春を裏切ったことが、イスラム国を産んだ

いやイスラム国の誕生について、もう一点忘れてはならないことがあるし、アラブ人から見ればこちらの方がもっと重要かも知れない。2011年のアラブの春の失敗、というより最初はメディアを中心にアラブ民主化を賞賛し歓迎したはずの欧米中心の「世界秩序」が、アラブの民衆の手にアラブ諸国の政権が移ってしまうのは自分たちに不都合だと分かると、とたんに見捨て、裏切り、既存の圧制の権力(アラブ人一般市民から見れば、旧宗主国の出先機関か子会社のような、半ば傀儡の非民主的政権)を支援してまで、アラブの民主革命を潰したことだ。

たとえばもっとも注目されたエジプトでは、一般庶民の支持があったムスリム同胞団が選挙で勝つと、アメリカがこの政権を潰しにかかり、軍のクーデタを支持し、今やムバラク時代以上にひどい圧制の下にある。エジプトのムスリム同胞団はムバラク時代に非合法化されていたので欧米メディアはテロ組織だと断言したがるが、貧民救済で実績のある政治組織であって武装組織ではない。イスラム教の価値観を奉じるとはいえ、ヨーロッパの多くの国やアメリカにもある伝統的な宗教保守で、主な活動は貧民救済と伝統的な道徳を説くこと、過激な原理主義思想のイスラム革命を唱えて来たわけではない。その同胞団政権を欧米が過剰に危険視したこと自体、ムスリム同胞団に決して賛同はしない学生などの中産階級の自由主義者から見ても、イスラモフォビアの差別偏見に見えるし、ましてアメリカの支持を受けた軍政の復活などとんでもない。

欧米はアラブの春を裏切ったし、フランスが軍事侵攻したリビアのように、恣意的な侵略行為で混乱を引き起こしただけのケースもある。

アラブの春の結果もっとも悲惨なことが起こってしまったのがシリアだ。民主化運動を、それまでは英国に留学経験もあり穏健な指導者と見られていた二代目アサドの政権が武力で鎮圧しようとしたのだ。

こうして起こった内戦で反政府勢力となった地域に、アサド政権はボール爆弾やクラスター弾、毒ガスも使ったと言われる。だがおよそ自国民に使うはずがない虐殺兵器を用いる政権側を、ソ連時代からのつながりが深いロシアだけでなく、EU諸国やアメリカでさえ事実上黙認していた。その極度の圧制が放置された結果、イラクを逃れた旧バース党幹部達が既に内戦状態だったシリアに入って産まれたのがイスラム国である。

では「圧制」はどこにあるのか? 「血塗られた軍旗」を掲げているのは誰なのか?

今年に入って急増するシリアからヨーロッパに逃れる難民は、イスラム国よりもアサド政権の爆撃と、いわゆる有志連合の空爆を逃れた人たちだ。イスラム国の恣意的なシャーリア解釈に基づく圧制は確かに酷いが、空爆に文字通り殺されることに較べれば、まだ耐えられる。

ここへ来て、プーチンのロシアが外交戦略で独り勝ち

アサド政権を支持するかどうかをめぐってEU諸国やアメリカとロシアの間に対立があると言うのは、かなりの部分が誤解だ。少なくともシリア人からはそうは見られておらず、アメリカが支援しているはずのシリアの非イスラム国系の反政府勢力は、ほとんどがその武器を持ってイスラム国に合流してしまった。米議会でしぶしぶ政府側が証言した中身によれば、米軍に訓練されたあとで残ったのはわずかに5名だという。むしろアサド政権が暴虐であればあるほど、イスラム国が同じくらい暴力的で容赦なくなる方が、対抗勢力として期待すら集めてしまうことにもなるのだろうし、アメリカもフランスもイギリスの言う「民主主義」も、まるで信用されていない。

それも無理はなく、シリアの反政府勢力にはよく分かっていたであろうこととして、アメリカやEU諸国のアサド政権に対する態度は、さすがに大っぴらに支持するわけにもいかないから敵対のポーズを取っていただけ程度のものだった。そしてパリの同時多発テロ事件を受けての対応では、欧米のアサド政権批判がただの建前であったことの本音が露骨に露呈しつつある。それでもアサド支援に踏み切るには良心の呵責が棄て切れないらしいバラク・オバマを除けば、フランスとロシアが協力関係を明白に打ち出しているのを始め、イスラム国掃討のためにアサド政権を是認しそのシリア全土の掌握を支援することが、いわゆる「世界秩序」を動かしている側のほぼ既定路線になりつつある。

このタイミングで見事に立ち回った外交の勝者が、ロシアであるのは言うまでもない。

ウクライナ内戦でアメリカやEUと対立し、経済の先行きも危ぶまれていたはずが、プーチンは外交と戦争と謀略のプロフェッショナルとして、シリアとイスラム国を巡る情勢を利用して一気に自国の立場を挽回した。先にシナイ半島でロシアの旅客機が墜落していたのがイスラム国によるテロだったと公式に認めたタイミングなど、その狡猾な絶妙さには舌を巻くばかりだ。

実際、「イスラム原理主義」「ジハード主義」の伸張を阻止したいのならば、ロシアが実践し始めたことが戦争の勝ち方としてもっとも適確なのは、最初から分かり切った話ではあった。人道主義や民主主義を建前では維持しなければ沽券に関わってしまうアメリカやEU諸国はただ躊躇していただけで、イスラム国を潰すのならばアサド政権の復権が、確かにもっとも現実的な戦略だし、イスラム国の残虐さを喧伝し、自国民にアサド政権の暴虐を忘れさせることさえ出来れば、実はそれぞれの国家にとっても都合がいい。

ロシアにはアサド政権と結んだ利権があるからアサド政権を支持して反イスラム国の姿勢をとっているという一般に流布した見方には、あまり根拠がない。実際には二代目の現アサドになってからはロシアとの関係は稀薄になっていて、むしろ強まったのはアメリカやEU、とくにイギリスとの関係だった。旧ソ連と関係が深かった父のアサドの時代には、シリアの中産階級インテリ層の外国語はフランス語とロシア語だった。そうした60代くらいの人たちに比べ、今たとえば難民としてヨーロッパに渡った30代40代のシリア人の多くが、英語を使いこなしている。

アラブ諸国に本当に民主化されては困るのが欧米の本音

単にイスラム国掃討作戦に限ったことではなく、ロシア以外の先進大国、例えばフランスやイギリスにとっても、アサド政権はシリアが民主化するよりもはるかに都合のいい政権なのだ。本当にシリアに国民の意見を代表する政権が出来れば、その政権は例えばサイクス=ピコ密約や、植民地支配下で起こったさまざまなこと批判し、清算を求め、対等な外交関係を要求しかねない。ちょうど日本と旧植民地の韓国との関係で、韓国の軍事独裁時代の日本への配慮が80年代末からの民主化で変化し、朴正煕らの軍事政権では韓国政府が自ら隠蔽して来た慰安婦問題などの植民地時代の負の歴史が吹き出したのに近い。植民地支配を反省する気なんてまったくないのが特に現代のフランスだし、だからアラブの春で民主化したアラブ諸国にその歴史問題で責められることなぞ決して望んではいなかったのだ。

そんな先進大国のエゴである本音の部分を、この同時多発テロ事件後の絶妙なタイミングで誘い出し、呆気なく外交的勝利を得てしまったのがロシアだ。

イスラム国掃討作戦でこのままロシアへの依存が高まれば、ウクライナ情勢にしてもアメリカやEUはこれ以上介入やロシア非難を続けることは難しくなるだろう。ロシアにとってのシリアに軍事介入するメリットは、むしろこの欧米との外交的な力関係における立場の逆転の方が大きく、また国内にはやはりイスラミズムの流れを組むチェチェン独立運動のテロなどの問題を抱え、その牽制のためにイスラム国を叩きたい、かといってアメリカ主導の作戦にそのまま参加は出来ない、そのタイミングを狙っていたのだろう。本音ではイギリスやフランス、アメリカでさえアサド政権の復権がいちばん都合がよくても、立場上そうは言えてこなかったのをロシアが真っ先に言い、他の国々がそこに従うことになるのも、ロシアにとっては外交上の勝利だ。

イスラム国掃討作戦で世界はもっと危険になる

自国民相手にはあくまでテロリストを殺しているだけだと言い張ることで「正義」を演出したい、自国兵士の犠牲も出したくないアメリカやEU諸国と違って、戦争をやる時には本気でやることでこそ国民の支持を得られるプーチンの指揮する、まさに戦争政治のプロならではの冷徹で苛烈な空爆で、イスラム国を崩壊させるという目標は達せられるかも知れないし、実際問題としてシリアとイラクにまたがる無政府状態を速やかに鎮めるには、それが今可能な唯一の選択なのかも知れない。だがそれは、アラブ世界と、未だに西洋・旧植民地主義列強がヘゲモニーを握る現状のいわゆる「世界秩序」との間の、決定的な断絶を深め、アラブ人たちの徹底的な不信を買う結果にもつながる、最悪の選択でもある。

いわゆる「世界秩序」の側は、建前では民主主義や法の支配を掲げ、あたかも人道主義からイスラム国を倒すべきと言う態度を装って来た。だがそれは絶望的に中近東の現実について無知で、そのなかに生きる人々や、その苦境を逃れてフランスやイギリスやドイツに移民して幻滅を味わった人たちからどう見えるのかを考えておらず、結局はアラブ人、イスラム教徒を対等の人間として見ていない、無自覚に差別的な態度にしかなっていなかった。

そして旧植民地主義大国である先進国側が、今やなりふり構わず、自国の防衛という名目でその実自国のかりそめの威信や面子を賭けて、シリア内戦の解決を大国間の駆け引きのコマにしている。そのことへのアラブの一般市民の幻滅と絶望感からは必ず、もはや武器と死ぬ覚悟さえあれば誰でも出来るものだと立証されてしまった国際テロに走る者たちが産まれ続ける可能性が大きい。

一見「敵対」を装う国々こそが、イスラム国を存続させている

イスラム国と空爆について、ふたつほど大きな誤解を最後に指摘しておく。

まず湾岸産油国の多くやヨルダンなど、アラブ諸国の多くもアメリカが主導して来た対イスラム国「有志連合」に参加し、空爆等を行っているが、それを持って安倍晋三が「ISILと敵対する国々」と言っていいと思ってしまったほどには、現実は単純ではない。

イスラム国自体の資金源を、日本のメディアはイラクの産油地帯を抑えているからだと解説しているが、その石油をイスラム国が直接世界各国に売ることなど出来ないし、またその金だけでは戦乱で荒れ果てたイラクやシリアのイスラム国支配地域の民衆を食べさせていけるわけもないので、石油輸出の仲介や闇の資金供給でイスラム国を実際に支えているのは、表向きは親米を装い、掃討戦にも一応参加するポーズをとっている産油国、サウジアラビアやカタール、アラブ首長国連邦などだし、またたとえば少数派のシーア派住民など、自国内の不満分子をイスラム国系のテロ組織を利用して弾圧・殺害もしている。そして言うまでもなく、そのいずれの国でも、政府がおよそ民主主義とは程遠い圧制を行っているのに、アメリカもEU諸国も(そして日本も)黙認して友好関係を維持しているのだ。もちろん先進国はその石油が必要だし、今ではそうしたオイルマネーの巨大資本にも期待しているからだし、激しい抑圧を伴う独裁でも、安定してくれているならその方が好都合だからでもある。

どちらの側こそが「テロリスト」なのか?

もう一点、アメリカやフランス、イギリスなど「有志連合」の空爆がイスラム国の組織と施設だけを狙って来たかのように思われているのは、もちろんそんなことが現実に可能なわけがない。

一般市民の犠牲を「誤爆」と言われれば、あたかもやむを得ない被害のように我々は受け取ってしまうが、その誤爆で殺される一般市民が同じように納得するわけもない上に、ついに本腰を入れ始めたロシアほど血も涙もなく徹底的には出来なかったものの、こうした空爆では誤爆による一般市民の犠牲も作戦目標のうちなのが現実だ。文民・一般市民の殺害を原則的に禁じる国際法との兼ね合いから、一般市民の殺傷を誤爆と称しているだけなのが第二次大戦、たとえば東京大空襲など(公式にはあくまで町工場などの軍事目標がターゲットで、一晩で10万の死者はコラテラル・ダメージ、やむを得ない巻き添えとして正当化されている)以来の近代戦の歴史だ。

そもそもアメリカ軍のイスラム国支配地域への攻撃が空爆に限定されているのは、イラク戦争のトラウマから地上軍の投入をアメリカ世論が支持しないが故の妥協に過ぎず、もともと空爆といえば地上軍の投入の前哨として行うのが軍事戦略の常識である。

地上軍投入の際に危険となる軍事目標の排除のためだけでなく、これから占領する敵国の一般市民に対しても自国の軍事力の怖さを見せつける心理効果もあるからこそ、空爆が行われるのであり、だから軍事目標などの爆撃の際にわざと周辺市街地などへの被害を増やすようなやり方がマニュアル化されて来たのは、第二次大戦での日本やドイツの諸都市の空襲、ヴェトナム戦争での北爆にも遡る、いわばアメリカ軍の「伝統」だ。オバマ政権になって地上戦はやらない方針になったからと言って、これまで訓練されて来たやり方や作戦立案の基本的な考え方をおいそれと変えられるわけもない。

先頃問題になったアフガニスタンでの国境なき医師団病院への「誤爆」も、米軍にミスがあったとしたらついいつも通りやってしまった程度のことだと考えられるし、だからこそ、そんな内実を探られないように、オバマ政権が即座に謝罪を表明したのだろう。

アメリカに限ったことではなく、フランスだろうがイギリスだろうがどんな国の軍隊でも、空爆とはそういう作戦任務なのだ。ロシアが始めた対イスラム国名目のシリア空爆が徹底しているのも、単により極端なだけ、プーチンが体面よりも作戦の遂行と勝利を優先させる戦争のプロだから程度の違いに過ぎず、むしろ誤爆・巻き添えのリスクを恐れず作戦目標を徹底して破壊しているだけ、わざと誤爆しておいてやむを得ないと言ってみたり隠蔽したり否認するアメリカやフランス、イギリス等に較べて、正直で潔いほどだ。

政治的な目的のために武力や暴力のこれみよがしな行使で相手を威圧し、萎縮させ、恐怖させること。これがテロリズム(terror=恐怖)の本来の定義だ。どの国も承認しないので国家扱いにならないイスラム国や、非政府武装組織のアルカイーダなどのいわゆるテロ集団、あるいは差別や抑圧、対等に人間扱いされないホスト国への不満を、イスラムを大義名分として爆発させるアラブ系移民の若者たちと、国家の正規の軍隊という違いを除けば、どちらがテロという手法を実践しているのかさえ、現実には極めてあやふやになって来ている。

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