自公政権圧勝に終わった総選挙2017をブッタ斬る by 藤原敏史・監督

内閣不支持率が支持を上回るなか、それでも与党「大勝」の不思議

公示とほぼ同時に自公連立与党が300に迫る勢いと報じられた時から、不思議な選挙戦だった。世論調査では「安倍政権の続投を望まない」が半数を越えているのに、それでも結果を見れば、公明党は議席を減らしたものの、自民党はなんと予想よりもさらに議席を上積みし、全体定数10減にも関わらず改選前議席数を維持している。

だがさらに不思議なことに、それでも政権中枢も与党幹部も、まるでお通夜のような顔をしている。首班指名の特別国会だけ開いて早々に閉会し、通常国会まで国会審議には応じないという逃げの一手の切望は、さすがに相手にされなかったが、今度は野党の質問時間を減らそうと必死になり、外交日程を言い訳に国会に顔を出さないという。

そうやって国会から逃げ続ける安倍が「力強い信任を得た」とうそぶくのが、数字から言えば確かにその通りのはずなのに、妙に上滑りして聞こえるのは、ただ森友・加計疑惑の再燃を恐れて謙虚なポーズを取っているからだけでもなさそうだ。

脱法行為で議席を上積みした安倍自民

自民党の獲得議席が予想すら越えた理由は、投開票翌日には明らかになった。投票日前日の午後8時以降は公職選挙法で選挙活動が禁じられているのに、総裁と幹事長が自ら檄を飛ばし、激戦区の各候補事務所が投票日当日も電話攻勢をかけ続けたと言うのだ。

投票のお願いではなく投票に行きましたか、ぜひ選挙権を行使しましょう、と投票率を上げる啓蒙でお電話させて頂いたそうで、つまり「選挙運動ではない」と公職選挙法違反を咎められれば安倍は言い張るのだろうが、自民党候補の事務所だと名乗っているのだし、電話を受けた方もお願いと受け取るに決まっている。それでも「違法ではない」と言い張ったところで、こんな姑息で不公正な脱法行為まで駆使して勝ったのでは、さすがに後味も悪かろう。

とはいえ勝ったことは勝ったのだから、もう少し喜んだってよさそうなものだ。

先の国会の閉会までは森友・加計学園両スキャンダルで大逆風が吹き荒れていたのが、ほぼ無風で選挙戦を切り抜けられたのだ。臨時国会開会を迫られたのを逃げ続けた挙げ句のモリカケ隠し解散に対する反発も世論調査では64%と言うような数字が出ていたし、解散発表の時点では安倍自身が勝敗ラインを自公合計で過半数の233議席、過半数を割ったら退陣する(そもそも自民が政権を失うのだから言わずもがな)と、えらく弱気な言い訳に終始していたのが、この大勝で安倍チルドレンというか悪評高い「魔の2回生」でさえ84人が国会に帰って来ることもできた。

もっとも、それぞれの選挙区の実態を見れば、そうは楽観できないらしい。多くの候補が「安倍さんは嫌だがしょうがないから自民党」という有権者の声を聞いたというし、肝心の党首・総裁が応援遊説の日程を隠し続け、各地で動員された支持者だけに囲まれての形だけの街頭演説ばかりで、意地悪なマスコミに「ステルス戦法」と揶揄される始末だった。

さすがにこんな無様な真似は続けるわけにもいかなくなると、今度は警備のSPや地元警察を大量動員した厳戒態勢で、その警備の相手は「お前が国難」のプラカードを掲げる「安倍ヤメロ」コールの一般市民というのだから、国家権力を動員しての有権者の選挙の自由の侵害・妨害で言論弾圧で権力の私物化・税金の無駄という非難も当然ながら、それ以前にまずあまりにもみっともない。

安倍隠しと小泉進次郎活躍のおかげの選挙結果で、「安倍一強」は崩壊する

候補の応援になるから行くのではなく、党首が遊説しなければ格好がつかないので、テレビカメラ向けに演説していたような安倍に代わって、各地からの応援要請で引っ張りだこになったのが小泉進次郎だった。すっかりオバサマ達のアイドル状態で、30半ばで年齢より若く見えるイケメン議員が、有権者に怯える安倍とは対照的に自ら聴衆に割って入って行き、自分の母親くらいでもおかしくない女性たちに頬を触られたりしてもいやな顔ひとつしない。わざと敬語をつかわず、普通なら無礼でなれなれしく見えそうなところが、逆に親しみの演出になるのだから、たいした心得と肝の据わり方と、カリスマ性だ。

この選挙はある意味、安倍自民党ではなく、小泉進次郎が勝ったようなものだ。

遊説で移動した距離も安倍を上回るというのだが、しかもこの若き副幹事長代理が演説では必ず森友・加計疑惑について自民党の「驕り」を率直に認めることでも評判がいいというのだから、なるほど安倍にとってはおもしろくあるまい。これでは勝ってもお葬式みたいな顔をして神妙にしているのも分からないではなく、来年秋の総裁選で安倍3選、あるいは岸田政調会長(前外相)への禅譲でキングメーカー気取りどころか、国民世論的には安倍退陣・小泉進次郎首相待望論が出て来てもおかしくない。

しかも小泉進次郎の人気は安倍批判も辞さず、それも安倍の演説なら定番の「悪口」ではなく、自民党の一員として自省をこめてなのだから、安倍本人にしてみればこの生意気な小泉ジュニアを閑職にでも追いやりたいところだろう。

だが、なんとか国会に戻ることはできたとはいえ自民議員達にとってさえ、わけが分からないタイミングでの解散でひどく苦労もさせられ、カネも使わされた。バラ撒きの目玉になった幼児教育無償化は、財源問題や財政再建との兼ね合いで党内で慎重な議論が必要だったはずなのに、安倍が独断で言い出した公約に党が無理矢理従わされた上に、計算間違いで3000億円足りないと判明する失態である。はたして選挙が終わると、安倍は今度は経団連にその3000万を出せと言い出した。社会保障費の雇用主負担分に依存しようという考えだが、これも党内に諮ることなく決めてしまったので、さっそく小泉進次郎が安倍批判を公言した。党を無視していること以上に重要なのは「経済界が政治の下請けなら日本にイノベーションは起こらない」という指摘だ。あまり話題に昇らないが「安倍一強」が政界以上に問題なのは、この政権が度々、企業経営と経済活動の自由にまで、「お国のため」と言わんばかりの直接介入をやって来ていることだ。

自民党が議席を維持できたのが「安倍隠し」選挙戦とこの若者のおかげとなれば、そんな嫉妬と身勝手を露にしたとたんに党内に溜まりに溜まり切った不満も噴出するだろうし、小泉議員自身がすでにその党内不満の受け皿・代弁もやる気満々ですでに始めている。こうなると安倍は、以前に小渕優子に対してやったように、内閣情報調査室にスキャンダルを探させてメディアへのリークで粛清する、というおなじみの手でも使いたい心境になっているかも知れない。

各候補の勝利の否決は、できる限り国政は論じないこと

与党「大勝」の選挙後一週間の世論調査でも不支持が支持を上回っているようではこの選挙制度はよほど欠陥があるのではないかと言いたくもなるが、それはともかく勝っても不人気では加計学園のようなオトモダチ優遇や側近政治の「安倍一強」はもう続けられないし、悲願の「改憲」も、野党や国民世論への配慮以前に、党内すらまとめられまい。

とはいえむろん、小泉進次郎が全国の全選挙区で遊説したわけではないし、その前に、公示直後の時点で、すでに与党勝利の予想は出ていた。

「なぜか?」を分析報道すると国内メディアの場合は「公平でない、偏向報道だ、選挙妨害だ」と与党や官邸に難癖をつけられるのが怖いのだろうが(公示と同時に出た自民勝利の予想以降、メディアは安倍に対して明らかに及び腰の報道に徹した)、ロイター通信がその素朴な疑問に、日本の新聞テレビの政治記者にはなかなか思いつかない切り口でひとつの答えを提示してみせた。

「なぜ不支持率がこんなに高くても、自民党が勝つのか?」、その答えを探してロイターの記者が訪ねたのは群馬県の、全国でもっとも極度な限界集落と化した消滅危機自治体と言われる南牧村だった。この地の有権者は、自民党以外への投票は考えられないという。別に与党議員が公共事業などを利益誘導をしてくれるから、ですらない。大きな天災でもあった場合、地元選出の議員が与党でなければ対応が遅れるか、見棄てられるかもしれない、というのだ。

なるほど、昨年には熊本震災があり、今年には50年に一度という激しい雨が全国で相次ぎ、一時は毎週のように深刻な水害が起こ来た。それでも本来なら、こんな不安は「そんなバカな」と一蹴できなければ、まともな政府ではない。

自然災害の際に被災地・被災者を救護・支援し安全な対策を講じるのは国家政府の義務であり、あらゆる国民と全国あらゆる地域に対して平等でなければならない。与党を支持した見返りにお情けで助けてもらえる、とは民主主義国家としてあるまじき以前に、古代に遡るあらゆる国家体制で、そんな権力者の気まぐれが許されたことはなかったはずだ。

たとえば日本も属する東アジア文化圏では、儒教道徳がそんな不徳は統治者に厳に禁じており、日本の古代の神話的天皇でも最重要視されるのが、飢饉に際し民のかまどに火が戻るまでは宮廷のかまどで火を焚くことを禁じた仁徳天皇(これまた究極に儒教的な諡号)だ。戦国時代に困窮した朝廷だが、後奈良天皇はそんな自らの不幸よりも戦乱に巻き込まれた民の不幸を自らの不徳のせいと捉え、全国六十余州の一ノ宮に自らが写経した般若心経を奉納したことを、徳仁皇太子が昨年の誕生日会見で紹介していた。こと近世では、徳川幕府は支配階級の武家にこの徳の義務を課すことに極めて厳しく、将軍自身が地震や火山噴火や大火の救済には幕府財政が傾くことも厭わず全力を傾注した。明暦の大火の後には四代将軍家光が江戸の町の復興と、とくに死者の慰霊のために回向院を開きその参道と火災時の避難路の確保をかねて両国橋を造る予算を優先するために江戸城の天守閣再建を見送ったし、続く綱吉の晩年に幕府財政が悪化したのは、大地震の49日後に富士山の大噴火が始まった、その救済と復興の負担が大きい。

安倍政権下で相次ぐ天災と、その政府対応への不安が自民党を勝たせた

だが確かに、安倍政権が菅・野田の民主党政権から引き継いだ東日本大震災の復興政策にせよ、昨年の熊本震災や、初夏以降各地で毎週のように起こっている水害への対応にせよ、この本来の公平・公正の原則についての不安が出て来るのはやむを得まい。

たとえば熊本震災では、最初の大地震の発生直後に、熊本県知事が官邸の対応の拙さやその官邸からの的外れな要請に思わず怒りと不満を表明した。すると安倍政権は速やかに出すべき激甚災害指定(つまり国庫が県が復興に使える金を保証すること)を、理由になってない言い訳を連ねて遅れに遅らせた。その一方で手柄をアピールしたくて被災者救済や避難者への対応の主導権を国が握ろうとしゃかりきになって、エコノミー症候群対策の啓蒙のように県や市町村で対応していることに介入してみせたり、メディア相手というか熱烈支持層相手のパフォーマンスで米海兵隊のオスプレイまで飛ばしたりしていた。

東京中心の全国ニュースではなかなか直接には取り上げられないが、被災したことを人質にとったような国のごり押しで、政権やそこに近い業者の利益や利権が優先され、復興策が歪められる事態が相次いでいる。

一方で、政権のパフォーマンス目当てに被災地に派遣された内閣メンバーの不祥事も相次ぎ、あまりのひどさにさすがに大きく報道されて来た。福島の原発事故被災者については自主避難者を「自己責任」と切って棄てようとした復興大臣もいたし、性懲りもなく同じ大臣が東北の震災被害を「あっちの方でよかった」という大暴言はさすがに安倍もかばいきれずに更迭した。

だがこうした事例でさえ、不届き者は更迭したから万事解決で安心とはいくまい。しょせんこんな人たちが、大災害の際には自分たちの命運を握ることになるのが今の政権なのだ。だからといってそんな安倍の退陣で政権交替を、となるかと言えば、すでに疲弊と高齢化が決定的になっている地域では、なかなかそこまでの覚悟は決められない。むしろ明日に天災が起きた時、政府に見棄てられることの方がはるかに怖い。

利益誘導からマイルドな恐怖政治へ、自民党選挙の変容

各地での自民党候補の演説はほとんどが「地域のため」「地元に尽くす」アピールに徹していた。急な解散で慌てて作られた自民党の公約も、安倍の念願であるはずの「改憲」も、まったく争点にはならなかったのがこの選挙だ。

森友・加計学園の両スキャンダルの争点化はメディアが忌避してしまったが、都市部から見ればこのような依怙贔屓の不公正はまず怒るべきものであっても、すでにアベノミクスで経済産業が痛めつけられている地方で、「政権にお灸を」を主たる動機に投票ができるかどうかは微妙だ。むしろ依怙贔屓が大好きな政権に嫌われるということには、途方もなく大きな不安しかない。

まあ自民党の選挙には昔からそういう面はあった。戦後一貫して政治だけでなく経済的にも中央集権的な構造を進めて来た全体の構図のなかで、個々の地方には公共事業や産業誘致などの優遇で支持を確保して来たのがその「保守政治」で、たとえば農業に関しても農協を通した補助金漬けの一方で減反政策を押しつけて、実のところ何十年にも渡って地方を疲弊させながら同時にさまざまな特典的な優遇で中央への依存度を高めて来たのが戦後の農政だった。だが安倍自民党のいう「地域」「地元」というのは、その延長上にありながらも似て非なる、別次元のものに進展してはいないだろうか?

要するに、利益誘導で票を得て来たのがかつての自民党だったのが、選挙カードに使える利益がほとんどなくなった今、「支持しないなら助けない」的なマイルドな恐怖政治に変貌しているのだ。

政権に近ければ得をして、逆らえば痛い目に遭わされる不公平体質は、森友・加計の政治私物化・オトモダチ優遇疑惑に限ったことではない。総理に親しいジャーナリストがレイプ事件を起こし逮捕状まで出ていても、警察トップの一存で逮捕状も執行されず不起訴で済むほどだ。

安倍政権というのは自分たちの親しい周囲や「味方」は厚遇するが、森友学園の理事長だった籠池泰典氏は首相に楯突いた結果、結局は詐欺罪で逮捕されてしまったりする政権で、都合の悪い人間となると内閣情報調査室が出所だと強く疑われるスキャンダル報道が週刊誌を賑わすことも度々起きている。この官邸直属の情報収集機関、要するにスパイ組織は、あくまで国益のためのみに使うものだったはずが、自民党の党利党略や自分自身の保身で平気で使うようになったのも安倍政権が初めての、前代未聞の事態だ。

地方に対して権力を振りかざして強引に言いなりにする態度といえば、第二次安倍政権の発足時から、沖縄への対応のひどさはアメとムチどころか、わざと横暴に振る舞って黙らせ諦めさせようとしているのでは、と思えるほどだ。県外から派遣された警察官が地元の反対派を「土人」呼ばわりした時にも政府は曖昧な態度しか取らなかった。あの暴言だけでも基地問題が根底からひっくり返るような全国の世論の動きがあっておかしくないのが普通の民主主義国家なのが、今度は高江で住宅にも近い私有地にヘリが墜落しても、激しい抵抗のあったヘリパッドについて見直しの機運も起こらない。基地反対運動のリーダーが長期勾留されても、人権侵害を問題にするのはアムネスティのような国際人権団体や、国連の人権理事会で、日本の国内世論ではほとんど無視されている。

匿名で地域・地方も特定されない世論調査なら安倍を支持しないと答えられても、その地域で自民党に投票しなければ、地域がまるごと目をつけられるとまでは言わずとも政権の「温情」にあずかれなくなるのではないか?

だから与党に投票すべきだと、選挙区で訴え続けたのが自民党のほとんどの候補者達だった。

国政のテーマ自体はほとんど現実の争点にならず、だからこそ内閣不支持が支持を上回り、過半数が安倍続投は望まないと答える状況でも、それでも各選挙区では与党が勝ってしまう。定員1名の小選挙区制度なので、その選択が極端に出てしまったのが、今回の選挙の結果だ。小選挙区では全体的に自民圧勝でも、比例区の獲得票では野党を下回ったブロックも少なくない。得票だけで見れば自民公明は有効投票の48%しか取れていないのだ。

「金融緩和依存症」、今さら止められないアベノミクス

今回は投票日にも季節外れの台風の大雨が直撃し、投票率は前戦後最低の前回52.66%はわずかに上回ったものの、53.68%にとどまった。それだけ激しい雨風を押してでも投票に行かねば、と思った人がいたことも確かだろうが、選挙という手段が民主主義の基盤として機能していないというか、投票を政治的意思表示の手段だとみなせないでいる人が少なくないなかで、道徳的な義務のように投票に行けとだけ言われるのが、日本の大きな問題になっている。

投票に行く人ですら選挙の自由の行使ではなく、権力の課す不自由さのなかでのやむを得ずの選択で投票先を決めざるを得なくなっているのは、地方に限ったことでもない。「アベノミクスで空前の利益」と宣伝される大企業ですら、実態は政府主導の公共事業や特区などの特例的な優遇施策に依存を強めざるを得ず、しかもその政府が経済活動の自由に手を突っ込み企業経営を支配しようとする態度が露骨だ。

だいたい「空前の利益」も、民主党政権時代とのGDP比較も、円換算ではそうなるだけ、アベノミクスの円安誘導があったので円建てでは数字上増えて見えるだけだ。

デフレ脱却がそう計算通りに行くものでは元々なかったとはいえ、異次元金融緩和にここまで効果がないとはさすがに想定外で、大多数の国民にとっては単に銀行で定期預金を組む気にならなくなっただけだし、金融マーケットに対してすらその底上げ効果は限られている。ほとんど企業の内部留保だけが増えているわけで、要するに経済的には「死に金」でしかない。

かといって金融緩和を出口へと向かわせられる状況ではおよそなく、仮に政権交替があっても出口戦略すら描きようがないほどに、アベノミクスは日本の経済を蝕んでしまった。つまり誤った、失敗した政策に批判票を投じれば、かえってその失敗の被害が広がってしまうのだ。大手メディアは控えめに、アベノミクスに「出口戦略」がないことを示唆まではするが、そんなのんきなことを言っていられる状況ではすでにない。日本経済は今や、金融緩和依存症とすら言っていい状況にある。

株価が高いことを安倍政権は自画自賛するが、その実態はといえば、日銀と年金基金が日本株の最大の株主になっている。投票日をめがけて東京市場が史上空前の連騰というのは、ここまであからさまな選挙目当ての買い支え市場操作などという真似は普通なら出来ないはずが、それをやってしまうのも安倍政権ならではであろう。政府が株価を上げようとするなら、当然はめざとい投資家がそれに便乗して儲けようと買いに走る。しかし逆に選挙が終わったから止めようかと思うだけでも、それを察知したとたんに市場は売りに転じて暴落が始まるので止めるに止められない。

政府が経済や企業経営を人質に取れるようになったのが、アベノミクスの「成果」

労働者や組合ではなく総理大臣が自ら企業に賃上げを要求してくれる「官製春闘」も、すっかりおなじみになった。安倍政権の「成果」かも知れないが、資本主義・自由主義経済の基本ルールからすれば、こうも政府が企業経営に直接手を突っ込むのは本来なら前代未聞の珍事ではある。

確かにこの政権下で、大手企業は法人税減税というエサも吊るされているし、とくに広告代理店などは政策がらみの受注で潤ってもいる。建築業では公共事業だけでなくオリンピック特需もある。だがこうした優遇を安倍政権が大企業に奉仕しているとみなすのは単純過ぎる。異次元というか異常な金融緩和は、理論上緩和したぶんに見合うレベルの影響すら実態経済に与えておらず、そこで大規模公共事業での実態経済の底上げを並行して続けようとした結果、多くの企業が政府関連の受注にいよいよ依存することになっているのはつまり、むしろ企業経営を政府に依存させて「味方するなら悪いようにはしない」とおためごかしに脅しているのに近いのが現状なのだ。

典型が防衛産業への参加を促されている重工業で、政権への配慮から参入を表明した企業は少なくなかったのだが、この業種の国際マーケットはそもそも新参メーカーが簡単に信用とシェアを得られるものでもないし、また「防衛のため」で糸目をつけずに税金を注ぎ込む今の日本みたいな国は世界的にはほとんどない。名目上はアメリカとの共同開発になっているF35なども、軍事機密を理由に日本側はほとんどタッチできない部分が多かったりで、いかに政権が旗を振っていようが利益を上げる見込みもなく、早々に撤退したいのが経営陣の本音でも、政府への忖度から手を引けないままの企業も多い。同じような政治関連業種で、原発事業の損失が引き金で東芝が倒産に追い込まれたのは、こうした大手製造業にとって必ずしも他人事ではなくなってしまった。

結局は公共事業のバラ撒き以外に、経済の底上げの手段がなくなってしまった現状では、財務省と言えどもこの放漫財政を止めさせるわけにはいかない。経済が目に見えて悪化して、国民生活にも大打撃を与え、税収も確保できなくなるリスクになる。しかもその財務省でさえ幹部人事を官邸に押さえられてしまって政権に諫言などできる立場でもなく、だから今度はいきなり選挙目当てのバラ撒きで幼児教育の無償化が規定路線になった。待機児童問題が解決しないままで保育園・幼稚園・こども園が足りないのに無償化というのは順番がおかしいのだが、いずれにせよ2020年にはプライマリー・バランスを正常化するという国際公約はどこかに消えてしまい、日本への国際的な信頼も大きく損なわれてしまったが、かと言って止めようもないのが現状でもある。

金融政策にしてもちょっとでも引き締めの方向に転換したり、日銀や年金の資金をマーケットから引き揚げる素振りを見せるだけでも、株価などの暴落リスクになるわけで、今の日本経済はとてもではないがそれに耐えられる状態ではない。誤った経済政策で効果がないと経済界が認識したところで、政治的な動機で誤誘導されたマーケット・メカニズムが立ちふさがってしまう以上は今さら止めることすらできず、アベノミクスに「賛成」することしか、選択肢はないのだ。

こうして多くの企業の命運もまた、実のところ政権の気まぐれに左右されかねないのが現状になっている。

永田町を支配する「保守政治」の幻影

期待された反安倍の「風」が吹かなかったのが今回の選挙で、自民党の基礎体力で勝ったという分析は概ね正しいだろう。だがその基礎体力自体が、森友・加計問題に極端に象徴された安倍政権の依怙贔屓体質というか、政権の側に立てば「悪いようにはしない」、逆らえば見棄てられるか、なにをされるか分からないという、マイルドではあるが明らかに脅迫に基づく不健全なものになってしまっている一方で、同じ与党でも公明党には陰りが見えたのは、宗教団体がベースにあるような旧来の組織票選挙が時代遅れになりつつあることを、よくも悪くも示してもいる。

創価学会と公明党、神社本庁や立正佼成会等と自民党というのは、信教の自由・政教分離が大原則の民主主義体制では、確かに望ましいことではなかった。だが一方で、そうした宗教組織票は日本の場合、地域コミュニティの地縁があるからこそ機能していたもので、創価学会には会員数よりも集票能力があった(例えばご近所の縁で頼まれたから、等の効果)のがその典型だった。今回の選挙は地方・地域の与党支持がそうした地縁というかしがらみから切り離されつつあること、言い換えればそうした地域コミュニティの崩壊もまた、密やかに暗示している。共産党が思ったほど票を得られなかったことにも、これは通じているのかも知れない。

もちろん、投票の自由を行使しようにも、どの候補、どの政党に投票すべきかが分かりにくくなったのも今回の選挙の特徴だった。

小池百合子・東京都知事の「希望の党」が悪い意味で「台風の目」になった経緯については今さら論じないが、惨敗に終わったのは「排除」「さらさらない」発言で小池のイメージが急激に悪化したせいだけではないだろう。その「排除」や「踏み絵」にみすみす屈した民進党からの合流組を、いったい誰が信頼して一票を投じるのか? 小選挙区では結局、有権者は候補者個人に投票するものだが、排除の論理を批判どころか議論する勇気すら持てなかったのは誰なのか? 無惨な結果に終わった希望の党内から小池たたきが噴出してるのは責任転嫁も甚だしく、しかもそう言っているのが比例復活当選組だったりするのでは、有権者の不信を買うだけだ。

結果からすれば希望の党・小池百合子劇場は、「安倍一強」に対抗する野党の力を脆弱化することにしかつながらなかった。立憲民主党がマイナーながらも「風」を起こしたのも、政権よりのコメンテーターは「日本人の判官贔屓だ」と言いたがるが、有権者をあまり馬鹿にするものではない。むしろ言ってることが一貫していて筋が通っているので、まだ信頼されたという方が現実に近い。

「改憲」という呪い言葉に中毒症状の永田町

希望の党については、そもそも永田町内コップの中の嵐の住人達ならではの勘違いも指摘できそうだ。「保守二大政党」でなければ政権交替は無責任で、国民に信頼されない、という思い込みが小池百合子依存に向かったことは、たとえば早々に民進党を離れ小池に従った細野豪志が無邪気かつ無自覚に自白している。結果として民進党を殺した最大の戦犯となった前原誠司に至っては、要は「共産党」という名称にアレルギー反応を示しているだけにしか見えなかった。

「改憲」にしても同様だ。今回の選挙結果は希望の党も含めて改憲勢力2/3超とも報じられるが、「改憲」を言わなければ一人前の政治家とみなされないかのような雰囲気が永田町にはある。だが世論調査を見る限り、国民の関心度の順位では改憲は相当に低いし、その関心のかなりの部分は逆に、憲法の平和主義・戦争放棄の原則がなくなってしまうことを恐れる層だ。

国民の要望があるわけでも、喫緊に改善すべき具体的な矛盾や限界があるわけでもないのに、なぜ「改憲」がこうも話題に上るのか? かと言って国民主権・基本的人権の保護・平和主義などの憲法の基本理念や、象徴天皇制、代議制や議院内閣制、三権分立などの基本構造を変えようという改憲論が、堂々と語られるわけでもない。

それでも「改憲」が「争点」になるのは、永田町の人々がそう思っているから、に過ぎない。憲法をいじる差し迫った必要性もどこにもないことは、そのいわゆる「改憲派」のなかでもでは何処をどう変えるのか、まったく意見のまとまりがないことを見れば明らかだろう。安倍の改憲案に至っては、9条の1項2項はそのままで、ということは、国権の発動としての武力行使や交戦権は認めないという明記されている制約はそのままで、ただ自衛隊を明記するだけならば、実質はなにも変わらないから国民は安心しろと言う理屈のようだが、ならばわざわざ憲法を変える必要自体がない。「憲法学者に違憲だと言わせないために」という下らない感情論で改憲などもっての他で、憲法と法の支配の軽視にもほどがある。

だが一方で、なんとなく憲法を改正した方がいい、頑固に護憲を言うのは「ダサい」的な空気が支配的で、国民の多くもそこに流されているのも現実だ。

「呪い言葉」としての「保守」「改憲」

どこをどう変えて、それによってこの国の方向性をどこに導こうとしているのかの理念も目標も見えないままに「なんとなく改憲派」が増えているとしたら異常なことであり、だから護憲の党を自称する共産党が議席を減らす結果になったのだとしたら、国民もなにを浮かれているのか、という話にしかなるまい。

もう50年ほど前に、評論家の山本七平は、自民党が当時から掲げていた改憲・自主憲法制定も、共産党の自衛隊違憲論も「呪い(まじない)言葉」に過ぎず、自民党はチャンスがあっても改憲はしないし、仮に共産党が政権を取っても「国民の軍隊は軍事力ではない」くらいの詭弁で自衛隊を廃止はしないだろう、と述べていた。後者については、冷戦構造がとっくに終焉し、一方で当時は考えられなかった深刻な財政問題を抱える中、現実のリスクを冷静に分析した上での自衛隊の抜本的な改組や目的の変更は必要になるかも知れない(少なくとも、未だ冷戦構造を前提にした組織構成や配備は改革の必要がある)が、前者については実際に衆参両院で改憲勢力2/3になっても改憲の議論が自民党内でさえいっこうに進んでおらず、野党時代にいわば遊びで作ったような新憲法草案を自民党自身が無視していることを見れば明かだろう。

バブル崩壊後、利益誘導による集票も過去のものになり、なんだかんだ言っても保守政権の方が日本はより豊かになるという前提も崩れ、むしろそうした自民党=霞ヶ関の作った権益の体制の、例えば銀行の護送船団方式による保護であるとかは批判の対称となり、橋本龍太郎内閣以来「改革」がずっと自民党の合い言葉・掛け声であり続けて来た。もはや四半世紀、それでもなにかがいい方向に改革された実感がない中で、究極の「改革」スローガンが「改憲」である、という分析もある。

要するに実はなにも変えられないし変えたくもないのに、なにかを変えるというポーズだけは示したいのなら、「憲法を変える」は便利なスローガンだ。安倍が2度目に政権をとったときに「戦後レジューム(Regime, 正しい日本語転記はレジーム)の打破」を言ったのも、そのレジームとは自民党=霞ヶ関でありそこで育まれた保守政治家の既得権の温床なのだから打破できるわけもないのに、安倍の中では日本国憲法がなぜか擬人化されてレジームということになってしまっていた。

小池百合子の「リセット」にしても同じことで、醒めた目で言えばこれは政治学や法学、制度論の問題ではなく、文化人類学で考えるべきことなのかも知れない。つまり山口昌夫的な「ハレとケ」理論で、「改憲」とは究極の「なにかを変える」というポーズだけを意味する、「政治」という意味の「まつりごと」ならぬ文字通り「お祭り」の究極のハレ・ワードなのだと考えれば説明はつく。あるいは戦争可能な憲法に変えるというのは戦死者という靖国神社への生け贄を含む「血の祭礼」願望に過ぎず、だから冷戦構造はとっくになくなっているのに、経済への悪影響も考えずに中国脅威論も吹聴できるのかも知れない。まさに山本七平のいう「呪い言葉」でしかなかったのだ。

だが、いざ集団的自衛権の合憲化という具体目標を設定すれば、それは日本の対米従属、自衛隊の米軍への隷属しか意味しないことが明らかになってはちっとも「ハレ」感はないし、「駆けつけ警護」任務を付与した自衛隊PKOのヒロイズムも、現実には南スーダンが戦闘状態にあるという現地からの日報を必死で隠蔽したようなていたらくでは、ちっとも「祭り」になっていない。

「なんとなく保守」の意味するところはなんなのか?

「憲法を変えること」が自己目的化しているのは、具体的な改憲項目がまったく見えて来ない以上は明らかだ。「自分達の改憲案はこれからまとめる」的な発言もやたらと多く、安倍に至っては「憲法改正の対案」を野党に要求したりしているのだから、まったくもって滑稽としか言いようがない。

「保守」というマジックワードについても同様だ。保守とは伝統的な価値観や道徳を尊重しつつ、現実的な妥協もする、いわば「現状うまく行っているものなら今変える必要はない」というのが基本スタンスのはずだ。だが与野党の政策分布を見る限り、これまで成立していた日本人の生活やその生活を支える社会制度について「うまく行って来たものを変える必要はない」という保守的な態度なのはむしろ日本共産党や立憲民主党の掲げる持続可能型社会の方で、「改革」とか「岩盤規制」とか言いながら、「筋を通す」とか「朗���咥櫁�齋��々、権力者の依怙贔屓はいけない、といった伝統的な倫理観は平然と無視し、資本主義・自由主義経済の基本ルールさえなし崩しにしているのが自称「保守」の安倍政権なのだ。

あるいは「愛国」的なポーズをとりながらも対米従属が明確だからこそ、安倍が「保守」として支持される、という解釈もある。なるほど、逆に共産党へのアレルギーが強いのは、今さら共産主義がどうこうというよりも、日米安保への否定的立場からだろう。2009年の民主党政権交替の際に国民は、官僚支配打破の政治主導と並んで対等な日米関係を掲げた鳩山由紀夫にいったんは夢を抱いたものの、結局は普天間基地の移設問題で「アメリカの機嫌を損ねた」ことを理由に失脚に追い込んだのも、その同じ国民だった。

朝貢外交で国民の「安全」が担保できると思うのが日本の「保守」なのか?

麻生太郎副総理大臣は、今回の選挙の勝因にバカ正直にも「北朝鮮のおかげ」を挙げた。アメリカが北朝鮮に軍事力を行使したら日本が巻き込まれるというのが実際の構図なのに、それでも対米従属、アメリカに「守ってもらいたい」と信じ込み続けるのが日本の「保守」なのだろうか?

ドナルド・トランプの来日直前に、日本政府はその娘のイヴァンカ・トランプを来日させるために女性の社会参加の国際会議を開催した。皮肉なことにほぼ同時に発表された世界経済フォーラムの女性の社会進出ランキングでは、元々先進国中最下位どころか民主主義の政体と基本的人権の尊重が確立した国ではあり得ない、安倍が毛嫌いする中国やイスラム政権のイランすら下回る111位だった日本は、さらに順位を下げて114位になっている。

それでも安倍首相はなんの臆面もなく、大富豪の娘で知名度も抜群なのでモデルとして成功し、その延長の人脈金脈で三流ファッション・ブランドを立ち上げたイヴァンカ氏を、まるで女性活躍の鑑のように持ち上げただけでなく、その主催する財団に5000万ドルの国費からの出資を表明した。

普通なら国民が怒るところだろう。日本は財政難だと言われているし、女性活躍なら現状114位の日本国内にこそ力を注ぐべきなのが政府の役割のはずだ。だがその週末に行われたテレビ朝日系の世論調査では、なんと安倍内閣の支持率が回復して数ヶ月ぶりに支持が不支持を上回った。

そして父トランプの来日だ。「ゴルフ外交」というが松山英樹プロが一緒にプレーするのでは、外交機密に属する非公表の密談などできるわけがない。安倍とトランプの蜜月っぷりばかりがメディアを賑わし、2人は9時間も一緒にいたというが、そのうち首脳会談は2時間前後、あとはゴルフと食事、エンタテインメントばかりの、下にもおかぬ「おもてなし」ばかりが目立った。だが目の前の鉄板の後ろに料理人がずっといる店で外交の密談をやっていたとしたら、これまた安倍政権の危機管理能力はお話にならない。

果たして首脳会談後の共同会見も、呆れるほどに中身がなにもなかった。肝心とされた北朝鮮対応でも、なんの具体的な意味付けもない「最大の圧力」で一致という、以前から言われ続けたことが繰り返されただけだ。もはや政治ニュースではなく芸能ニュースかと思うほどに電波を埋め尽くしたのは安倍とトランプの熱愛報道だが、よく考えれば訪日中のスケジュールを決めるのは日本政府で、別にトランプが望んだわけではない。外交なのだから招待してくれた総理大臣を侮辱するわけもなく、トランプはひたすらお世辞と愛想笑いに徹しただけで、その気配りの細やかさ(ゴルフ場で2人がグーパンチをぶつけて喜ぶ写真は、安倍がいいショットを打った時なのだそうだ)は大いに感心に値するが、社交辞令はしょせんはお世辞でしかない。はしゃいだ顔で共同会見に望んだ安倍が外交儀礼の常識を無視して「ドナルド」と呼ぶと、トランプはなんとも居心地が悪そうな顔で「You, Shinzo」といかにも不自然な言い回しで懸命に調子を合わせていた。

どうも安倍はトランプに「戦争」を持ちかけたらしい

首脳会談の直前にちょっとニュースに流れただけで消えてしまった情報だが、日本側は朝鮮半島有事の際の韓国からの日本国民の退避にアメリカの協力を求めることを議題にしたがっていて、その提案が会談一時間ほど前にアメリカ側から断られたらしい。どうもこれが日本政府がこの会談で新たに打ち出したかった「成果」のようだが、だとしたら呆れる他はない。

まず他国(韓国)の主権下で、いかに自国民や同盟国国民の保護のためとはいえ軍事力を動かすことは、国際法上極めてデリケートな問題で、その他国の主権の侵害、つまり侵略とみなされるのが普通だ。ちなみに安倍は第二次政権の発足当時からここがまったく分かっておらず、アルジェリアでのテロ事件を受けて危険な国に自衛隊を派遣できる制度を、とか言い出した前科もある(これは防衛省がその省益にうまく利用して、在外公館の駐在武官を増やすことに成功した)のだが、その失態からなにも学習しなかったのだろうか?

しかもこのタイミングでこのような要請をアメリカに申し出てアメリカが応じれば、アメリカの軍事侵攻が既定路線であるという宣言に取られかねない。というより、事実上は日本がアメリカに「一緒に北朝鮮と戦争をやりましょう」と申し出たに等しい。

もちろんこんな話にトランプが乗るわけがない。軍事力行使をちらつかせるのは、金正恩とのディールを前提にその条件を吊り上げる交渉カードでしかなく、実際に戦争なんて出来ないことは最初から分かり切ったことだ。果たしてこの安倍のあまりに戦争前のめりの姿勢は、かえってトランプに「そんなに不安ならもっとアメリカ製の優れた兵器を買えばいい」と言わせるチャンスを与え、共同会見で不意を突かれた安倍は戸惑いながらもその方針を受け入れてしまった。まあこれで、トランプは予定ではなんの成果もなくただ安倍に「おもてなし」を受けるだけだったはずの訪日で、それなりに大きな成果を挙げられたことになる。

今回のアジア歴訪で、日本は中国と韓国をライバル視して主導権を握りたくて、最初の訪問国を日本にと切望し、それが実現したことが安倍政権の「成果」だとも言われている。これもなんとも情けない朝貢外交としか言いようがない。奈良時代に日本は唐の朝貢国第一位の座を高句麗と争って長安の宮廷にちょっとした波風を立てたことがあるが、「歴史は繰り返す」にしたって呆れる他ない時代錯誤が「日本の伝統」の「保守」なのか?

果たしてこんな虚しい媚び売りしがみつきの努力の「成果」になんの意味もなく、次の訪問国の韓国での文在寅との共同会見で、トランプは北朝鮮との平和裏の「ディール」を明言した。

対北朝鮮の国際的連携のなかで孤立を深める日本の「保守」

このアジア歴訪が終わる11月半ばまで、北朝鮮が核やミサイルについてなんの動きも見せなければ、この問題について北は最後のミサイル演習から2ヶ月間沈黙を守り、またトランプの動きへの一定の尊重のジェスチャーにもなる。これが暗黙の条件で、アジア歴訪が無事に終わればそこで米朝交渉が本格化する、というのが日本以外のメディアではだいたい共通した見立てになっている。

さらには北京の外務省は、すでにトランプをかつてないやり方で歓迎する旨を表明し、その滞在中には「サプライズの訪問先」があるとも言っている。さすがにそのサプライズが平壌訪問というのは話が大き過ぎるとも思うが、トランプは「あらゆるカード」と常に言って来ており、ならば金正恩との直談判というカードも当然含まれるのも確かだ。いずれにせよ、安倍が必死で演出した「蜜月」には、外交上なんの意味もなかったことだけは確かだ。

韓国政府主催の公式晩餐会で、トランプは招待されていた元慰安婦の女性と抱擁を交わした。第二次大戦で日本の軍国主義と植民地支配から韓国を解放したことになるアメリカの大統領として当然の行為なのだが、日本政府はえらく不快感を募らせているらしい。こんなのが今の日本の「保守」だとしたら、こんなガラパゴスっぷりでは先が思いやられる。

ちなみに日本「上空(というより遥か上の宇宙空間)」を飛んだ最初のミサイル演習は、日韓併合条約の締結記念日である8月22日、つまり日本が朝鮮半島侵略を完成させた日付に発射されている。日本政府はこれも必死で無視しているが、そんな態度が世界に通用するわけもない。とくに通用しない相手は、歴史上は日本人を悪しき軍国主義から解放したことになる、他ならぬアメリカ合衆国だ。


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