歴史への挑戦者・ミッテラン政権誕生から40年 いまも残る歴史的遺産

昨年12月にフランスのバレリー=ジスカールデスタン元大統領が亡くなったときに、東京新聞の「筆洗」は次のように追悼した。

◇私はすべてのフランス女性に恋をした

ある政治家が演説のコツについて書いている。大切なのは語り手の「まなざし」らしい▼どんなに大きな会場でも、小さな会合でも出席者すべての人間を個々にながめるよう努力するのだという。そうすることで人をひきつけ、自分もまた人からエネルギーをもらえるそうだ▼伝えたかったのは演説のコツではなく、政治家としてのコツかもしれない。群衆全体ではなく、ひとりひとりの顔を強く意識し、語りかける。書いているのは先日亡くなった、元フランス大統領のバレリー・ジスカールデスタンさんである。九十四歳▼現在のサミットにつながる先進国首脳会議を提唱したほか、欧州統合への下地づくりなど外交上の成果を残した。国内においては、女性の権利向上に取り組み、女性閣僚を積極的に起用した大統領でもある▼さて演説などで個々の顔を見るように努力した結果、その人にどんな効果があったか。恋に落ちたそうである。「七年間の大統領在任中、私はすべてのフランス女性に恋していた」。お国柄もあろうが、ここまで言い切れる政治家はいないだろう▼どこかの国の首相の記者会見を見た。うつむきがちなこの人の「まなざし」はだいたい手元の原稿用紙に向けられている。それを読み上げるばかりで、質問には正面から答えようとしない。見ている方は恋はおろか、大切に思われている気もあまりしない。

ジスカールデスタン元大統領の在任期間は1974年から1981年だった。そのジスカールデスタン大統領を破って大統領に就いたのがフランソワ=ミッテラン大統領だ。ジスカールデスタンが「恋をする」人ならば、ミッテランは「恋をし、恋をさせる」人だった。
ミッテランが勝利したのは1981年5月10日のことだ。ちょうど今から40年前のことである。

○ミッテラン政権40周年、特別講演会

私はミッテラン政権・発足40周年を記念して、後述するが、講演会を催す。チラシの文言として、次のような一文を寄稿した。

◇◇◇

歴史への挑戦者、フランソワ・ミッテランが第五共和制で初となる社会党出身の大統領に就いたのが1981年5月、40年前。彼は約四半世紀に渡って野党の座にあったフランス左派を野党共闘によって建て直し「生活を変えよう」(Changer la vie)を掲げ、死刑廃止、週39時間労働制、有給休暇5週間を実現した。冷戦という状況下で外交姿勢を「同盟すれど、同調せず」と高らかに謳い、米国・ソ連にも物言う独自外交を旗幟鮮明にした。イスラエル国会の演説でパレスチナ国家の独立を説いたこともあった。
ミッテランは戦時下のフランスでレジスタンス活動に従事し捕虜になった。外交においてはヨーロッパの地で再び戦争の惨禍がないように「和解の象徴」として欧州統合の父の1人でもあった。ミッテランから学ぶことはあまりに多い。

ミッテラン政権に関する著書があり、「アフター・リベラル 怒りと憎悪の政治 (講談社現代新書)」など数々の話題作を上梓してる新進気鋭の政治学者、吉田徹・同志社大学教授が、ミッテランが遺した叡智・理想について講演をする。

40年経って、日本もフランスも「いざ、変革の時」。日仏ともに、野党の共闘で、いざ、政権交代へ。

○死刑廃止は最大の偉業

ミッテラン元大統領の人気は未だに衰えていない。2011年パリにいた私はミッテランの関連のものを多く見た。大統領に当選して30年という節目だからであった。

今年は死刑執行がフランスで最後に行われた年から40年になる。1977年9月10日に31歳の死刑囚がギロチンによって処刑されて以来、フランスでは死刑は執行されていない。それはフランソワ=ミッテラン氏が大統領に就任した1981年に死刑制度が廃止されたからだ。それを主導したのは、弁護士時代にあえて死刑囚となろう刑事被告人の弁護役を務めて、死刑執行に必ず立ちあったロベール=バダンテール司法相(当時)だった。

ミッテラン氏が死刑廃止を公約に掲げて大統領選挙に出馬した1981年は、フランス人の63%が死刑に賛成し、反対派はわずか31%だった。ミッテラン氏の周囲ですら死刑廃止を公約することに慎重な意見が多かったという。にもかかわらず、信念に依って彼はその主張を翻さず死刑廃止を公約にして、大統領に就任するなり、死刑を廃止した。

法国大統領選挙1981年、第一回投票で最後となる討論番組に出演したミッテランは死刑について問われると決然に語った。

「良心において、良心に基づいて、わたしは死刑に反対します。それと反対のことを告げている世論調査を読む必要はありません。過半数の意見は死刑に賛成なのです。わたしは共和国大統領の候補者です。」

こう言い終えてから、視聴者に目を向けた。

「わたしは思っていることをいいます。わたしの信ずること、わたしの心が信じていること、わたしの信念、わたしの文明への配慮を口にします。わたしは死刑には賛成できません」

難解な表現を好んだミッテランにしては平易な表現であった。

世論調査会社・IPSOSが15歳~30歳の若者を対象にした2004年調査によれば、死刑支持派はわずかに30%、死刑廃止派がフランスの多数派となっている。2006年12月の世論調査によれば、死刑制度の復活に賛成するフランス国民は33%のみで、復活に反対する反対が64%と多数派を占めている。

世論調査会社・Tns-Sofresが2005年12月20日、21日にフランスの有権者1000人を対象にミッテラン元大統領に関する電話調査を行った。同氏が実行した政策の中で「偉業」だと思うものを問うたところ(複数回答可)、死刑廃止をあげた人がトップで71%、生活保護費や年金の充実、週39時間労働制の実施などの「社会政策」をあげた人が次いで66%で、マーストリヒト条約の署名をあげた人が3番目に多く41%だった。「死刑廃止」はミッテラン氏の最大の偉業として称えられている。

同調査でミッテラン氏が大統領を務めた任期14年に対する評価を問うたところ、63%の人が「評価できる」と答え、「評価できない」という回答は26%に過ぎず、圧倒的多数の人がミッテラン政権に好感を覚えていることが分かった。ミッテラン氏に対する「総合的な評価」を問うたところ、55%の人が好感を覚えていると答え、好感を持たないと答えた33%の人を大きく上回った。

戦後の大統領で最も偉大な人物をあげよという設問では、35%が建国の父といわれるシャルル=ドゴール初代大統領の名を挙げ、ミッテラン氏と回答したのは30%で2位、3位につけたジャック=シラク元大統領の名をあげたのはわずかに7%に過ぎなかった。ミッテラン氏は後世から支持される人物のようだ。

○講演会「ミッテランはいかにして、野党をまとめ、政権交代をなしとげたのか?」

日時:6月21日(月)16時開場、16時半、開会
講師:吉田徹・同志社大学教授
場所:衆議院第一議員会館・地下1階・大会議室(定員200名)
主催:村山談話を継承する会
協賛:日仏共同テレビ局France10
申し込み:murayamadanwa1995@ybb.ne.jp

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