玉城デニー沖縄県知事が会見 渡米して辺野古基地・建設反対をロビイングする

玉城デニー沖縄県知事が11月9日に日本外国特派員協会でアメリカへの出張を目前にしてを会見を行った。

冒頭発言

ハイサイ、グスーヨー、チューウガナビラ。沖縄の言葉でごあいさつをさせていただきました。皆さんご機嫌いかがでしょうか。沖縄県知事の玉城デニーです。まず最初に、本日このような発言の場を与えていただきましたことを、まず感謝申し上げます。本当にありがとうございます。これから沖縄の基地問題、経済、福祉などの課題に対する私の考え方をお話しさせていただきます。最初は自己紹介から入りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

私は玉城デニーと名乗っておりますが、本名は日本の名前では玉城康裕と申します。本名は康裕ですが、母は私が生まれたときに、最初、私にデニスという名前を付けたため、それが小さいころからデニーというニックネームで呼ばれて今に至っています。私の父は元アメリカの海兵隊員で、母は日本人です。父は、私が母のおなかにいるときに、もうアメリカに帰らなければならないその任期が来ましたので、母と一緒にアメリカに渡るつもりでしたが、母は私が生まれてからアメリカに渡るので、先に行って待っていてほしいということで父が先にアメリカに帰りました。

私が生まれてから2歳ごろになるまでは、父と母は手紙のやりとりをしていたらしいのですが、母は私を連れてアメリカに行っても苦労するだろうということと、周りの皆さんにそういうふうな説得もされて、アメリカに行くことを断念し、父にその旨を告げました。そして父とやりとりをした手紙や父の写真は、もう全部そのときで焼き捨ててしまいました。ですから私はいまだかつて父がどこの出身で、どんな顔をしているのかということも知らないまま大きくなりました。

私が生まれたのは1959年ですから、ちょうどもう母がアメリカに行かずに私を自分の手で育てようと思っていた1960年代は、沖縄では基地の建設ラッシュであり、文字どおり基地を中心に経済が動いていましたので、母も私を友人の家庭に預けて、自分は住み込みで働いてできるだけ収入を得るという、そういう2人は離れて生活をしていた時期が10年ほどありました。

私は、父がアメリカ人、母が日本人ですから当然、外見からするともうアメリカ人のような、そういう雰囲気です。子供のころは髪の毛はもっと赤くて、今より色も白くて本当にアメリカ人の子供だと言われてもおかしくないぐらいの、その田舎の町にあってはやはり目立つ存在でもありました。私のようなこういう生まれを持っている人は、実はその当時はかなりの数、結構な数いましたが、やはり総じてそういう人たちはいじめの対象にもなっていたんですね。

そんなある日、私がいじめられて泣いて帰ってきたときに、母に代わって私を育ててくださっていたもう1人の母、そのもう1人の母が私を諭して言った忘れられない言葉を今日は紹介したいと思います。ちなみに私を産んでくれた実の母親のことを、沖縄の言葉ではアンマーと言っています。私を育ててくださった養母さんのことを、私はオッカーと呼んでいます。

オッカーがいじめられている私に教えてくれたことは10本の指は同じ長さや太さじゃないよ、だからみんな違って当たり前なんだからね、気にしないでねということだったんです。もう1つ、人間は外見の皮を脱げばみんな同じ人間だ。青い血や白い血や、ましてや紫の血が流れている人はいない。皮は、容姿は1枚の皮なんだから、そんなこと気にしないでいいんだよ、ということを教えてくれました。ですから小さいころから私は、いじめられていた経験を持っているんですが、肌の色などの違いを、このオッカーから、育ての親から、肌の色の違いを気にすることはないよと教えられたこともあって、それは個性だとして捉えられるようになりました。つまり、私の精神的なダイバーシティーというのは、その子供のころにすでに付けられていたんだなと大人になって気が付きました。

さて、私がこのように自分の生い立ちを語らせていただくことは、これからお話しいたします沖縄の多様性、寛容性などを大切にするという、持って生まれたアイデンティティー、そしてそのアイデンティティーに根差した私の政策を語る上で皆さんにも分かっていただきたい、前もって知っておいていただきたいという思いから話をさせていただきました。

ではまず沖縄の基地問題についてお話ししたいと思います。前提として申し上げたいのは、私は日本とアメリカの安全保障体制を認める立場であり、沖縄にある全ての米軍基地の即時閉鎖、撤去を求めているわけではないということです。しかし、第二次大戦から73年を経た現在もなお、日本の国土面積の0.6%しかない沖縄県に、全国の約70.3%の米軍の専用施設が存在する状況は異常としか言いようがありません。その沖縄の過大な普段となっている米軍基地を減らしていく方向で議論するのであればともかく、機能を強化して普天間を返すから辺野古に機能を強化した新しい基地を造るということは、絶対に認められることではないということです。

 戦後これまで沖縄では米軍基地があるが故に、そこに起因する事件、事故が後を絶ちません。今もなお、それが繰り返されている現実があります。その痛みの事実、痛みの被害はそれを受けた本人や関係者のみならず、大きな沖縄県民の記憶に刻まれています。その怒りや悲しみを、どこにぶつけたらいいのか分からないという方も大勢いらっしゃるのが沖縄の現実です。

通訳:958万?

玉城:958万。また年度平均の完全失業率は平成29年度が3.6%となっています。3.6%といってもぴんと来ないかもしれませんが、沖縄はつい10年前までは完全失業率は7から8%台で推移していましたから信じられないほどの改善ぶり、経済の好調さをそこにもうかがうことができます。しかしながら1人当たりの県民所得、子供の貧困率、求人と求職のミスマッチ、あるいは若い年齢層の離職率が高いこと、そして人手不足などの課題も依然として残されています。

 こうした課題を克服するためにはやはりアジアのダイナミズムを取り込むことなどにより、経済全体を活性化させ、日本経済を牽引するフロントランナーとしてしっかり取り組んでいきたいというふうに考えています。ちなみに沖縄県民のGDPは4兆円余りです。よく基地経済に依存しているのではないかという表現が聞かれますが、1945年終戦当時は依存率は50%。施政権がアメリカから日本に返還された1972年の時点では約15%。そして最新の2016年の経済の指標判断では基地に依存する経済ではなく、基地からの経済効果は約4%余りというふうになっています。

 当然のことですが沖縄県はこれまで、米軍基地の整理、縮小はもちろん、事件、事故の原因究明と再発の防止、そして環境問題、基地がある故に起こる土壌汚染、水源汚染など、環境問題の解決等の負担軽減を日本とアメリカ両政府に求め続けてまいりました。米軍基地の整理、縮小を実現するためには、現在の辺野古新基地建設を除き、すでに合意されたSpecial Action Committee on Okinawa、SACOの合意および再編に基づく統合計画で示された基地の整理、縮小を着実に進めていく必要があります。

 このような、米軍基地から派生する諸問題を解決するためには、アメリカ側に裁量を委ねる形となる運用の改善だけでは不十分です。日米地位協定を抜本的に見直すことを求めています。日米の安全保障体制の中にあっても、米国にも、例えば航空法などの日本における国内法を適用するなど、日本が自国の主権を確立させる必要があると私は考えております。

 昨年9月に日米の両政府に関しては、日米地位協定の見直しに関する要請を行っています。また、ドイツおよびイタリアの現地調査をはじめとして、他国の地位協定の調査を適宜進めています。その調査の目的とは、日米地位協定の問題点を明確化して、例えばパンフレットなど、分かりやすい形で示すことで日米安全保障体制が、日本全体が担うべき責任であるということを伝えたいからです。日米安全保障体制は国民全員がその責任を担う必要があるということについて、草の根で、市民レベルで国の内外への理解を広げていこうと考えております。

 さて、では普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題についてお話を進めます。沖縄県は去る8月31日に辺野古新基地建設にかかる埋め立て承認の取り消し、撤回を行いました。一方で私は司法に委ねるような法的な措置ではなく、あくまでも対話によって解決策を求めていくことが重要であると考え、10月12日、安倍総理や菅官房長官との面談でも対話による解決を求めました。

通訳:12日ですね。

玉城:12日、はい。しかし政府は沖縄県が行った埋め立て承認取り消しの、その執行の停止の決定を行って、10月1日からまた辺野古での基地建設の工事を再開しています。このような政府の姿勢は沖縄県知事選挙で私の当選という形であらためて示された県民の民意を踏みにじるものであると言わざるを得ません。

 また、今回のように国が国民や私人の権利や利益の救済を目的とする制度を用いることは、その趣旨をねじ曲げた違法な行為であり、法治国家としてはあるまじき行為ではないかと考えています。沖縄県は今回の埋め立て承認取り消し理由の1つに大浦湾側、つまり浅い側と深い側、その両方を埋め立てて基地を建設するのですが、この大浦ベイの側に存在する地盤の問題なども大きく取り上げました。

 国は軟弱地盤の改良工事をすれば護岸が造れると主張していますが、どのような工事が必要か、いったい何年掛かるのか、幾ら掛かるのか、まったく示されていません。国の取り消し、沖縄県が行った承認取り消しの効力を失わせることに、重大な損害を避けるため緊急の必要があると言っていますが、いったいどこに緊急の必要性があるのか、皆さまにもよく考えていただきたいと思います。

 さて、この辺野古新基地建設問題の賛成、反対を問う県民投票の準備が今、進められています。これは日本における地方自治法という法律の規定に基づいて沖縄県民によって発案され、県議会で議決された条例によって行われるものです。辺野古新基地建設に反対という沖縄県民の民意は、私の今回の沖縄県知事選挙でも示され、これまでの一連の選挙においても示され続けてきました。しかしその民意が国の政策にまったく反映されていないとの思いから、多くの県民はあらためてその民意を示す必要があると考え、県民投票条例の制定に至ったものと考えられます。

 さて、では経済についてのお話をいたします。今の沖縄経済にはアジアのダイナミズムが押し寄せており、日本の一番アジアに向かった玄関口として、日本とアジアの架け橋になれるぐらい大きな可能性を秘めています。特に国際物流拠点、情報通信産業、国際観光リゾート、これらの3つがアジアの成長著しい経済のダイナミズムを吸収して発展してきています。平成29年度の入域観光客数は約958万人となり、5年連続で過去最高を更新しています。

では時間も少なくなってきましたので、最後に福祉の課題に対する私の考え方をお話ししておきたいと思います。私は全ての人の尊厳を守り、多様性や寛容性を大切にした、誰一人取り残すことのない共生の社会づくりが重要であると考えています。沖縄県は日本全体で少子化が問題となっている中において、子供の生まれる率が全国で最も高い状況が続いています。

 しかし、1人当たりの県民所得が全国最下位クラスであり、一人親の世帯が多いことなどから、子供がいる世帯で低所得者層の占める割合が全国で最も高く、深刻な問題となっています。子供の貧困対策を最重要政策に掲げ、貧困の連鎖を断ち切り、全ての子供たちが夢や希望を持って成長していける社会を実現するために力を入れて取り組んでまいります。

 また、高齢者や障害を持つ方、生活に困ってらっしゃる方、マイノリティーの方々などの、社会的に弱い立場にある方を含む全ての人が誰一人として取り残されることのない社会こそ、沖縄の人々がもともと持っているチムグクルやユイマール。チムグクルは日本語で言うと真心です。ユイマール。ユイマールは日本語で共生、共に一緒に生きていくということですね。そのようなアイデンティティーに基づいた本来の沖縄の姿であると考えるからです。

 さて結びに、私は来週から訪米して米国政府の関係者、連邦議会議員など関係機関の方々、あるいはニューヨーク大学での講演やメディアの取材を通して沖縄県の現状、県民の声、そして私の考えを訴えることとしています。私は選挙のときに、若い人たちに向かって、沖縄の将来を語る上で3つのD、私のデニーのイニシャルのDをもじって政策を語りました。

 1つは、誰もが生きていることが認められ、誰もがその権利を保障されているダイバーシティーというDです。そして最も大切なのは、沖縄におけるこれまでの基地問題をはじめとした苦難の生活を乗り越えてきた人々が心から求めていたデモクラシー、民主主義です。そして沖縄はその昔、琉球王国という王国の時代から広く外国とその存在を広げるために外交努力を重ねてきました。今日の沖縄においても、そのディプロマシー、自治体外交を積極的に行っていきたいと考えています。

 本当にありがとうございました。お集まりの皆さまにおかれましても、沖縄の現状についてご理解いただき、50年、100年先の沖縄の将来を見据えた新時代沖縄をつくり上げるために、お力添えをいただけますようお願い申し上げます。ご清聴ありがとうございました。イッペーニフェーデービタン、ありがとうございました。

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