虐殺された革命の記憶は、その革命の殺戮の瞬間から始まる~世界初の「現代映画」としての政治ドキュメンタリー『チリの闘い』 by 藤原敏史・監督

暗闇のなか、ジェット機の轟音が映画館ををつんざく。オープニング・クレジットが終わり明るくなった画面を、いきなりジェット戦闘機が横切り、発射された爆弾が、チリの首都サンティアゴのラ・モネーダ(大統領官邸)に命中して爆煙が上がる。

ジェット機の轟音で始まる映画といえば、『チリの闘い』撮影のための生フィルムをパトリシオ・グズマン監督に提供したフランス前衛映画の巨匠クリス・マルケルの傑作『ラ・ジュテ』(1962年)を思い出す。

冒頭から、傑作SFアート映画『ラ・ジュテ』への目配せ

もちろん『ラ・ジュテ』は世界最終戦争後が舞台のSFで、『チリの戦い』は政治ドキュメンタリーだ。だが一方で『ラ・ジュテ』は生き残った未来人が最終戦争前の美しかった地球を思い出す記憶とタイムトラベルの映画であり、『チリの闘い』を編集していた時、グズマンが撮るつもりだったチリの民主革命はすでに軍事クーデタに敗北し、彼自身が亡命状態でこの映画を編集していた。

つまりこの映画には記録である以上に、失われてしまってもはや戻れない過去の、今となってはその喪に服すしかない記憶を留めるもの、という『ラ・ジュテ』的な構造があらかじめ運命づけられていたし、冒頭のジェット機の轟音から、映画自体がそのことに自覚的だ。

ラ・モネーダ空爆という1973年9月11日のチリの軍事クーデタのもっとも悲劇的かつ象徴的な瞬間から、そのクーデタに至るまでの政治的・社会的プロセスを記録する映画『チリの闘い』は始まる。つまり三部構成(第一部 ブルジョワジーの叛乱、第二部 クーデタ、第三部 民衆の闘い)4時間半のこの映画それ自体が、映画が完成したその時から記憶として、そして冒頭から映画の全体がフラッシュバックつまり過去に引き戻されるタイムトラベルの観客体験として、提示されている。

記録映画である以上に「記憶の映画」

映像に記録されたことは撮影が終わった瞬間すでに過去の出来事でしかあり得ず、それを映画にするということは、さらにその個々の素材を何度も見直して、構成を考え抜くことで生み出される。

ドキュメンタリー映画のなかの現実が記録された映像でしかない以上、それが見られる時、いやそれどころか編集され映画になっていく段階で、すでに過去のレトロスペクティヴ(回顧、振り返ること、懐古、そして反省)でしかあり得ないはずだ。ドキュメンタリーは多くの観客の期待に反し、「今なにが起こっているか」の現実を見せられるものでは、本来はない。

政治は未来を語るものであるが映画は過去を記録した映像でしかないという、こと政治ドキュメンタリー映画の場合の原理的かつ本質的な限界に、パトリシオ・グズマン監督は事実上のデビュー作というかその原点となった『チリの闘い~武器なき民の闘い』(原題)のときから完全に自覚的だったし、そうならざるを得なかった。すでに終わってしまった革命、いや無惨に殺されてしまった民主主義の、殺戮の物語かつ服喪の証としてこの映画を完成するしかなかった時から、そのことはこの映画だけでなく、それを作った映画作家に宿命づけられていたのだ。

その後40年間を通して、グズマンは現役のドキュメンタリー映画作家として活躍を続けながら、日本でも公開された『光のノスタルジア』(2010年)でも『真珠のボタン』(2015年)を見ても、その作品は今も常に殺されてしまったチリの民主主義の記憶に取り憑かれ、失われてしまった過去の美しさをこそ生き続け、服喪の営みとして映画を作り続けている。

チリで起こった、近代の世界史で初の「無血革命」とその終焉

チリのサルヴァトーレ・アジェンデ大統領による民主化と、アウグスト・ピノチェトのクーデタと軍事独裁は、20世紀の世界史のなかであまりに忘れられた歴史なので一応説明はしておくが、同時にこの映画をその歴史を追認するインフォメーションとして見るべきではないことにも留意しておくべきだろう。

1970年のチリ大統領選挙に左派・人民連合のアジェンデ候補が勝利し、民主的かつ合法的な非暴力手段での社会主義を目標とする無血革命が、戦後の世界で初めて始まった。時代は冷戦のまっただ中、中南米をいわば自国の「裏庭」とみなすアメリカ合衆国は、1954年のキューバの反米革命の成功で米資本が利権を食い漁っていたキューバから追い出され、その後キューバ危機まで起こったトラウマもあり、ラテン・アメリカ各地でCIAが暗躍して独裁色の強い親米政権を支援し続けていた。

アメリカ政府の中南米への積極関与は、第二次大戦中の「善隣政策」に遡る。ヨーロッパと西太平洋・東アジア、東南アジアではファシズムに対抗する民主主義の闘いを戦っていたはずのアメリカは、この時すでに中南米ではファシズムを支援する矛盾を抱えていた。例えば連合国側になったゼツリオ・ヴァルガスの軍事独裁政権のブラジルでは「敵性外国人」にされた日系人社会は弾圧され、日系のインテリ層が描いたヴァルガスをヒトラーやムッソリーニなぞらえた風刺画やその矛盾を突いた日記や書簡が、今もサンパウロの移民記念館に展示されている。

戦後、アメリカの「敵」はソ連中心の社会主義国家になったが、中南米の人々から見ればアメリカ政府は常に同じような独裁者たちを支援し続けていたことにしかならなかった。その一方で、ラテン・アメリカ社会は、旧宗主国のスペイン、ポルトガルの没落が20世紀になっていっそう顕著になって戦後どちらも独裁の貧困国に落ち込むなか、経済的にはアメリカへの依存度を強めて行かざるを得なかった。そのアメリカ側から見れば中南米諸国の右派独裁政権を維持することは、そこに進出した自国企業の利権つまりアメリカの国益を守るためにも、どうしてもやり続けなければならないことにもなっていく。

植民地が独立した最初の国家であるアメリカ合衆国は、建前では植民地は持たないことになっているが、実態はより悪質な軍事独裁政権を傀儡にして中南米を植民地にし続けていたと言えるし、それらの国の富裕層や支配層もまたいわばCIAの傀儡政権を支えることで、経済的・政治的な恩恵を受け続けて来た。そこには植民地主義の根深い不平等な構造があり、今も多くの中南米の国々の社会を蝕んでいる。

チリの民主主義の新しい歴史は、その中南米の戦後史の流れを変える大きな希望として受け止められたからこそ、CIAにとってもぜひ潰さなければならない相手になってしまった。

1970年の大統領選挙でも、CIAは多額の資金を投入して右派候補を支援していた。それでも三度に渡った大統領選への立候補のあいだ、ずっとチリ各地で地道な地方遊説を展開して来たアジェンデが得た勢いを止めることはできなかったが、議会では右派の国民党とキリスト教民主党が依然多数派を占めたままだった。

1973年3月の総選挙で、CIAは議会の多数派2/3を右派に取らせようと画策する。この絶対多数があれば大統領弾劾権限を発効でき、アジェンデ政権を合法的に退陣に追い込めたはずだ。しかし人民戦連合側は過半数こそ得られなかったものの善戦し、40%代半ばへと議席数をむしろ伸ばす。ところが保守系のテレビが右派大勝の第一報を開票が終わる前に流したことで混乱が生じ、右派は「不正選挙だ」と批判、合法手段によるアジェンデ退陣を諦めたCIAの思惑もあって、左右対立が激化していく。『チリの闘い』の第一部はまずこの選挙とその顛末を取り上げ、それから三ヶ月後の6月29日、ついに軍の一部がサンチアゴで武装蜂起する。

殺されてしまった革命の映画は、その革命が殺された瞬間から始まる

1973年9月11日、サルヴァトール・アジェンデは爆撃を受けたラ・モネーダのなかで命を落とし、軍の総司令官アウグスト・ピノチェトが大統領に就任、18年間の軍事独裁が始まった。アジェンデ政権の3年間の最後の局面を記録した撮影素材を持って監督のグズマンは海外に逃亡、映画『チリの闘い』は第一部が1975年、第二部が1976年、第三部が1978年に、最初の亡命先だったキューバで完成された。なおグズマンはその後ヨーロッパに移住し、今はパリ在住だ。

その後のチリの、第二次大戦後の世界でもっとも残虐とも言われた支配のあり方は、しかし南米だけを見てもたとえばペルーのアルベルト・フジモリ政権下でも、残念ながら同じようなことが繰り返されている。

チリだけでなく現代の世界のすべて(少なくとも当時は「第三世界」と呼ばれた国々)が、無血革命の夢と理想が潰えたその「事後」に存在し、自分たちもまたその理想の残骸の記憶と忘却のなかに生きていることを、現代の我々は滅多に自覚できないが、その潰えた革命の夢と記憶の映画である『チリの闘い』を見るとき、我々は自分たち自身の忘却の闇に、痛切に気づかされざるを得ない。

私たちは普段、今の世界について、そこにあり得たかも知れない夢と希望、理想をあえて封印して、それが現実主義なのだとタカをくくって生きている。これはいわゆる保守勢力だけでなく、リベラルや市民派、左派でさえ、根本的にはまったく変わらないだろう。

だが実のところそれは、無責任な忘却ないし無知に支えられた敗北主義の自己満足でしかないのではないか? 現実主義と勘違いした敗北主義をシニシズムを気取ってしたり顔で隠蔽し続ける私たちは、なぜチリでは世界初の無血民主革命が最初は成功したのかも、あのクーデタがなぜ起こったのかも、その後のチリで起こったことからも、目を逸らし続けて来てはいないだろうか?

この映画の映像には、初めて自分たちの国の主役になることができた民衆の一方で、それまでの支配階級だったブルジョワ層の右派やその支持層もキャメラに納め、野党の国民党とキリスト教民主党が多数を占める議会とアジェンデ政権の政治的な駆け引きの攻防や、密かにCIAの膨大な資金援助と支援を受けた右派のスト活動の内幕やテロ、経済の悪化で政権を退陣に追い込もうとサボタージュに走った資本家から接収されて国営化された企業の現場、アジェンデを支持する労働者や民衆、右派を支持する宗教保守の中間層や富裕層まで様々な社会階層と、それぞれの政治運動を、新しい社会への希望にまとまって行く一方でクーデタに向けて分断もしていく国のなかを縦横無尽に動き回って追い続け、首都サンチアゴを中心に撮りながらも、チリというひとつの国家の激動をまるごと記録しようという野心にあふれている。

もちろんその「国のまるごとをそのまま記録する」のは、三部作4時間半の上映時間をかけても物理的に可能なことではなく、これが映画である以上は「国のまるごと」は映画的な手段を持って象徴的に表現されることになるのは、ドキュメンタリー映画であっても変わらない。いやむしろ、これが「映画」である/「映画でしかない」ことに自覚的であるからこそ、『チリの闘い』は単純な左右対立図式には陥らない。

右派はアメリカ資本と結びつき労働者階級など庶民層を抑圧するブルジョワが多い一方で、国軍と敬虔なキリスト教徒もいる。国軍の指導層のなかには憲法の遵守とチリの主権を守ることこそ義務との意識が強い、インテリ階級の将校もいて、むしろ大統領側に着く職業的矜持を見せるし、カトリック教会の聖職者であれば信仰上の責任感から貧しい層の声を聴き、国民の和解に務めようとする者も少なくない。そうした人々もまた政治に深く関わり、映画もまたその姿を見逃しはしない。

喪に服す映画だからこそ、楽天的で明るい映画

国じゅうを飛び回り、そのまるごとを映画に記録しようとしていた撮影中、パトリシオ・グズマン監督たちはこれが服喪の映画になると予感していたのだろうか? それとも民主主義が様々な抵抗から守り抜かれる映画になると信じていたのだろうか? いずれにせよ映画が完成された時、それは過去を記憶し喪に服す映画になっていた。だが作り手も観客も、どれだけの悲劇がこの映画のラストとその後に起こったのかを共有しているからこそ、『チリの闘い』は明るく前向きな精神がみなぎった映画でもある。

印象的なのは言葉の響きの快活な美しさだ。とくに『第三部 民衆の闘い』で我々が見る、というか「出会う」人々は、ほとんどが世界のなかでも特に貧しいとされる旧植民地国家の、労働者階級のはずだ。ところがスペイン語を解せずとも、その人々の言葉の響きに気品と知性が溢れていることに我々は心動かされる。いやそれは、理知的な認識から来る「感動」ですらない。チリの民衆のスペイン語の響きはリズミカルで、まるで心地よい音楽のようだ。とりわけ第三部の音楽的な美しさは特筆に値するが、それはちょうど、『ラ・ジュテ』で主人公がタイムトラベル技術で戻ることが出来た1960年頃のパリがいかに美しい街に見えるかに呼応している。

『ラ・ジュテ』のパリが美しいのは、それが核戦争で失われてしまった場所だからだ。この作品が動画でなく、全編がスチル写真で構成されている大きな意味もそこにある。動く映像は、常に移ろい行く刹那的なものだ。今見た美の瞬間は、次の瞬間にはもうそこにはない。クリス・マルケルはだからこそ、その美しい瞬間を静止した写真にすることで、記憶だからこその美しさ、かけがえのなさを、不動の永続性へと引き延ばしている。

むろん『チリの闘い』は静止した写真で構成されてはいないし、静止画にてしまえばとくに第三部の人々の身体のと声の躍動は映画として定着できない。それでも『ラ・ジュテ』が詩的なフィクションとして表現した「記憶だからこその美」を、ノンフィクション、過去の現実のなかに見いだそうとするグズマン監督の姿勢の根底には、共通した詩的なアプローチがある。

記録映画、とりわけ政治的ドキュメンタリーがあたかも観客を闘争の現場に現然しているかのように思わせることで組織化していく投企を目指しているときに、その目標に対峙する映画としての本質的な限界を意識的に作品の構造とし、そこに映画ならではの複雑な豊かさを見いだしている点で、『チリの闘い』は世界で初めての「現代映画」としての政治ドキュメンタリーなのだ。

過去の記憶の集積としての現代を生きる、現代映画としてのドキュメンタリー

と同時に、サルヴァトーレ・アジェンデ政権のいったんは成功したチリの無血革命と、それがピノチェト政権の暴力で破壊されたことが今も無視されがちな現状があり、同じことが現代に至るまでの世界じゅうで(地域によってはより暴力性を増して)繰り返され、しかもこの時代の世界を主導していた側(たとえばアメリカ合衆国がそうであり、今は存在しないソ連がそうだった)の罪が今もなお世界を呪縛していることに気づかされてしまう点で、この世界映画史で最初の現代映画的な政治ドキュメンタリーは、同時に今でも常に「最新の」、アクチュアルな政治ドキュメンタリーでもあり続けている。

しかもそれはただ、今なお我々の世界の政治的な現実が冷戦時代の失敗の延長から抜け出せていないという世界の現状のせいだけではない。映画それ自体が「記憶の映画」として、過去と現在を生々しく結びつけ続けるように構成されているからでもある。

ラ・モネーダ爆撃のプロローグから始まった第一部は、1973年の3月の総選挙から6月29日のクーデタ未遂までをフォローし、第二部の冒頭は第一部のそれを思い起こさせる音の構成で、クーデタ未遂の市街戦から始まる。第一部と第二部の冒頭で同じような強烈な騒音・爆音のインパクトが繰り返されることからも、この時点でこの映画は記憶とトラウマの映画であること、観客もまた映画を見るのと同時進行で記憶を蘇らせ、思い出し、回顧・懐古そして反省し、トラウマを意識化し続けなければならないことを明示している。

実際、たとえば第一部で右派が(CIAの資金援助を受けて)企てては失敗する大衆煽動やサボタージュは、ほぼ同じことが第二部がカヴァーする数ヶ月の間も繰り返されている。観客は民主主義の新政権がそれらの危機をその場では切り抜けながら、しかし繰り返しによって次第に追いつめられて行くプロセスを、恒常的にそれ以前の過去を記憶・想起し反芻し続けることで、実感せざるを得ない。

(注意:ここから先は映画を見てから読んだ方がいいかも知れません)

三部構成でチリの民主化の崩壊を追う映画と思って見ていると、第二部ですでに9月11日のクーデタが起こってしまう。21世紀にこの映画を見ている我々は、この後にチリでなにが起こったのかを知っているし、グズマンがこの映画を編集していた時点ですでに、チリはピノチェト将軍の率いる残虐な軍政の下にあった。18年間の独裁下に行われた拷問、虐殺、被害者の存在自体の公的記録からの抹消まで行われた、想像を絶する人権侵害…いや人間の人間である存在そのものの否定の全容は、今日なお解明の途半ばだ。

そのクーデタ、あるいは民主主義の虐殺を、第一部のプロローグと第二部の終わりに見た(あるいは回顧した)我々は、「人民の闘い」と題された第三部では、その独裁下のチリ民衆の抵抗の姿を見るのだと期待するかもしれない。

だが第三部の冒頭は軍の儀仗兵が先導するパレードだ。意外なことに群衆は「アジェンデ、アジェンデ、民衆はあなたと共にある」と歓声をあげている(スペイン語では見事な韻が踏まれたこの歓声は、とても音楽的だ)。第二部の最後でその死が伝えられたアジェンデだが、一応は国葬でもあったのかと思ってしまうと、民衆の歓声に応えるアジェンデが現れる。第三部が見せるのは、第一部の始まるさらに前の1972年10月からの記録、第一部よりも前に時間が遡っているのだ。

第二部を見ながら、第一部で同じようなことがすでに起きていたことを思い出し、それがエスカレートしていく様子を目撃していた我々は、今度は第一部・第二部で見た政治の現場の流れを思い出しながら、アジェンデ政権三年間を今度は普通の人々の立場で見ることになる。『チリの戦い』は記憶の映画であり、我々の記憶の作用をただ「思い出すこと」から「考えること」へと発展させる構造を持つ、記憶の意味についてのメタ記憶映画としての非・記録的な記録映画であり、だからこそ現代映画である。

この映画のもっとも衝撃的なショットは、現代でも再生産されている

第一部を締めくくり、その慄然とさせられた記憶も醒めやらぬうちに第二部の冒頭で繰り返されるショットは特筆に値する。街頭に陣取ったクーデタ軍の車両を、交差点を挟んだ反対側にいるキャメラが捕捉する。

フレームの中心で、撮られていることに気づいた兵士が、威嚇するつもりなのか、その割には妙に淡々と、銃口を真っ正面に、つまりキャメラマンに向ける。映画が、そして映画を見ている観客が、軍政の暴力に対峙させられる瞬間だ。

このようなショットが映像に捉えられたのは恐らく史上初めてだった。だが1973年から30年40年が経った今、こうしたショットはYoutubeなどの動画サイトで簡単に見られるものになってしまった。もちろん当時は16ミリの、三脚に載せられたフィルムのキャメラだったのが、現代のシリアやイラクの内戦で銃口が向けられる先は、無数の携帯電話だ。

チリでアジェンデ政権が軍事クーデタで倒されたのは、繰り返しになるが1973年の9月11日だ。28年後の9月11日との日付の偶然の一致はただの偶然だろうと分かっていても、その一致をどうしても我々は考えてしまう。

そうすると映像を撮る技術の普及やコミュニケーション手段の発達にも関わらず、人類が「進歩」したのかどうかは、疑いを抱かざるを得ないのは、『チリの闘い』がチリの無血革命の「記録」である以上に、虐殺された理想と夢の「記憶」の映画、トラウマの映画だからだろう。

映画自身が忘れまいとする過去を映像でつなぎ止め、その過去を見つめることで我々が回顧・懐古する構造が、予め映画そのもののなかに自覚的に組み込まれているから、我々もまた現在に記憶が蘇るものとして、この映画を見てしまう。

「一度失えば、二度と取り戻せない」

「一度失えば、二度と取り戻せない」、第三部のラストで、インタビューに答える労働者…というか映画の作り手たち「同志」と語り合う労働者が言う。この映像が撮られた瞬間に、この思いはチリの民主主義をだからこそ守り抜くのだとの決意だったはずだ。

だが実際に、チリの民主主義は徹底的に失われてしまった。ピノチェトは1991年、18年の独裁を終えて退陣し、10年後には告発も始まった。しかしそれが始まったのはまずスペインの裁判所でであり、ピノチェトはスペイン司法の要請で、滞在中のロンドンで拘禁された。グズマンの2001年の作品『ピノチェト・ケース』では、ロンドンで自宅軟禁状態になったピノチェトを、元首相のマーガレット・サッチャーが訪問する場面が出て来る。サッチャーはフォークランド紛争で英国に協力したピノチェトに感謝を述べて今の境遇に同情し、ラテン・アメリカの民主主義を守った英雄だと賞賛する。欧米の人たちが語る「民主主義」はつくづく、第三世界のなかで自分たち「民主主義の先進国」を支持する人たちの意思が通ることしか意味しないらしい。

チリの民主主義は未だに、本質的な意味では取り戻されていない。

ピノチェト弾劾裁判とほぼ同時期に世界経済のグローバリゼーションが進展し、チリもまた少しずつには豊かになって行った。だがその豊かさはあくまでアメリカ経済に依存したものなので、リーマン・ショックのようなことが起こればアメリカ本土以上にその打撃は大きい。その経済的な依存関係があるからこそ、チリにせよ他のどの中南米諸国にせよ、「アメリカの裏庭」であることから逃れようがない現状が今も続いている。

アジェンデ政権が虐殺されたことで失われたものは、確かに今も取り戻せていない。

だがこの第三部のラスト、つまり合計4時間半近い『チリの闘い』という記憶の旅を締めくくる甘味な言葉の痛切さは、そんな現実世界の現状をも超越している。具体的に映っているものはまったく異なるにも関わらず、このエンディングで『チリの闘い』は再び『ラ・ジュテ』と呼応し合っているのだ。

『ラ・ジュテ』の冒頭、世界最終戦争前の少年時代に、主人公は見知らぬ男が駆け出し、銃弾を受けて倒れる姿を見て、その強烈な記憶がずっと残っていた。戦後の破滅した世界の支配者達から逃れた主人公は戦争前のパリに再び戻り、以前の時間旅行で何度も出会った女性を見かけ、走り寄ろうとする。だが走っている時に彼は気づく。自分の記憶に強烈に残っていたあの光景は、自分自身の死の瞬間だった。

「一度失えば、二度と取り戻せない」、それは『ラ・ジュテ』の主人公にも、時間旅行の技術開発で戦争前の世界を復活させようとした未来社会の支配者達にも向けられた言葉になると同時に、今から見ればチリの民主主義の死そのものを表し、その記憶を背負い続け、記憶に生き続けるパトリシオ・グズマン本人に投げかけられる言葉にも、なってしまっている。その言葉はあまりにも甘味に、そして甘味だからこそ痛切に響く。

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