クリント・イーストウッドはこの映画を「普通の人達への讃歌」と呼ぶ。これはたぶん遠慮がち、かつ礼儀正しい言い方で、映画がフラッシュバックで映し出す少年時代の、事件の10年前(2005年)の彼らは、当時のアメリカの標準から言えばあまり「普通」ではない。白人のスペンサーとアレックはシングルマザーの一人息子で、公立学校の教師にAAD(注意障害・発達障害の一種)ではないか、挙げ句に「あくまで統計ですが、シングルマザーの子供は問題が多い」とまで言われてしまう。母親達は学校にうまくなじめない2人がいじめに遭っているのではないかと心配して学校に乗り込んだのに、ひどい話だ。怒ったアレックの母は「私の神様はあなたの統計より偉いのよ!」と怒鳴って席を立つ。
アメリカの素朴な白人にありがちな(2005年にもなればいささか時代錯誤な発想ではある)思い込みで、キリスト教の学校に転校させられた2人は、ここでも学校になじめず校長室に呼び出しを食らう。その校長室で出会ったのが、キリスト教の学校では御法度なcurse words(「汚い言葉」と訳しておこう)を連発する黒人のアンソニーだった。いじめに遭っても負けていないが、学校はまったく味方してくれない。そんな教師達を平然と curse wordsで毒づくのだから、偏屈な学校が味方するわけもないのだが。
三人は大の仲良しになるが、アンソニーは転校させられ、アレックは「男の子には父親が必要だ」というアメリカの田舎では「普通」かも知れないが、まあひどい偏見の時代錯誤な学校の意見というか強制で、母親から引き離されて遠くに住む父親に引き取られて行く。しかしその後10年間、同じ町に住むアンソニーとスペンサーは親友どうしで、ネットがある時代のおかげで(Skypeで会話ができるので)アレックとも仲良くあり続けて来た。
列車ハイジャック・テロを未然に防いだので大事件にならなかった実話の映画化
これは2015年8月に、アムステルダム発パリ行きの高速鉄道で実際に起きた事件の映画化という触れ込みで、冒頭シーンは列車に1人の青年が乗り込むところだ。一応はその事件が起こるまでの列車の旅程に、事件を未然に防いだ3人のそれまでの人生がフラッシュバックで挿入されるという形式だが、どちらかと言えば挿入されるのはリアルタイム時間進行の列車の方で、イーストウッド監督の関心が向くのはこの事件までの3人の10年間、とくに子供の頃からサバイバル・ゲームが趣味で、大きくなったら軍人を夢見ていた2人の白人の方だ。
この2人、スペンサー・ストーンとアレック・スカラトスのキャスティングが凄い。軍人になっているので一応体は鍛えているが、はっきり言って肥満体。いわゆる美形でも知性を感じさせるような風貌でもなく、今時のハリウッドの若手俳優でこんなのいるの、というくらいリアルにアメリカで実際にいそうな青年で、こう言っては悪いがちょっとバカにも見える。英語で言えば retard、遅れてる、ズレているというか「知恵おくれ」の蔑称でもあって本当に失礼な形容ではあるが、2005年時点で10代前半白人で「軍人になりたい」というのはいかにもミレニアム世代に乗り遅れたというか、まあはっきり言えば「レッドネック」扱いでバカにもされそうだ。
キリスト教の学校で酷い扱いをされてもそうした教会のシステム自体のおかしさに気づきもしなければ凝りることもなく、素朴に神を信じていそうな、という人物像が、いかにもリアリティを持って造形され、演じられているのだ。正直、普通ならちょっと付き合いたくないタイプのアメリカ白人だが、しかし映画の映し出す彼らはどこかとてもチャーミングだ。
「凄い俳優がいるものだ」と感心していると、実は黒人のアンソニー・サドラー(ちょっとハンサムでプロ俳優っぽくも見える)も含めて、3人とも本人なのだ。イーストウッドは2008年の『グラン・トリノ』でもモン族の役を本物のモン族に演じさせたので、主演の自分の相手役で事実上の主人公だった姉弟を演じたのは、やはり素人だった。いわゆる役作りが必要がないのだから自然に自分らしくしていればいい、と口で言うのは簡単だが、こんなことが出来てしまうということは劇映画の大掛かりなスタッフワークがあってもまったくプレッシャーを感じさせていないわけで、それは演出の人間性と深い洞察力があって、そのしなやかで自然体な個性がスタッフ全体を静かに支配しているからこその芸当だろう。
そしてその深い人間洞察力は、一見いかにも平凡で普通なシーンの連続というか、とくに3人組のヨーロッパ旅行となるとただ観光しているだけで一見なんの深みも見えない、ホームビデオのような軽さで撮られた映像に、しかしその軽さによってこそ、なんでもないように見えた一連のシーンに、映画がクライマックスに至った時に突然気付かされる、大きな意味を持たせている。
一歩間違えれば「アメリカ・イズ・グレイト」に引きこもったトランプ支持者になりかねなかったアメリカ白人の若者達
社会から完全にドロップアウトしたわけではない(ドラッグや犯罪やヘイトクライムに走るわけではない)が、明らかに「現代のアメリカ」からは取り残されてなんとなく居場所がない。子供の頃の趣味は大量のモデルガン集めでサバイバル・ゲームというか要は戦争ごっこ(電子ゲームのシーンもまったくない)で迷彩柄の服を好み、将来の夢は軍隊、というアレックとスペンサーは、ひとつ間違えば典型的なトランプ支持層のいわゆる「忘れられた人々」になっていたかも知れない。
そんな「ちょっとズレてる」2人が、しかも学校ではADDだと決めつけられたり「シングルマザ=の子は問題児が多い」と言われたりと、少年時代に彼らが受けたのも差別に他ならないし、スペンサーは一念発起して体を鍛えてやっと空軍に入っても、目標はパラシュート救援部隊だったのに、なにやらよく分からない知覚障害と診断されて道を閉ざされる。これも差別に他ならないが、差別される側=弱者というアイデンティティに耐えられず、される側よりも差別する側になろうとして白人のアメリカ人であることに固執してしまうのは、90年代のポリティカリー・コレクトネスの浸透以降、アレックやスペンサーのような白人層にありがちな心理だ。一方で、社会の側でも人種差別や性差別には敏感な意識が少しずつ広まりつつある一方で、そうしたカテゴリーに属さない差別は看過されたり、ADHDという決めつけのように正当化されて差別だとすら認識されないままであることが多い。キリスト教の学校に至っては、実はもっとも差別的であっても、差別が「しつけ」にスリ替えられ正当化されてしまう。
スペンサーとアレックにとって幸いだったのは、まず黒人のアンソニーに出会ったことだ。彼がいなければ、2人はガス・ヴァン・サント監督の『エレファント』や、そのモデルとなったコロンバイン高校銃乱射事件の2人組の殺人高校生のようになっていたとしても不思議ではない。イーストウッドは意識しているか無意識なのか、少年時代のシーンに『エレファント』のパロディとも取れる要素も混入しているし、家庭環境も似通っている。だが黒人の親友が出来たことが決定的で、2人は決して人種差別主義者にはならなかった。
一見まったく平凡にみえるヨーロッパ旅行も、子供の頃はガンマニアのミリタリー・オタクが、ローマやヴェネチアに興味を持って大金をはたいてヨーロッパ周遊休暇というのは珍しいというか、現代のアメリカでは7〜8割が一生パスポートを持つことがないとも言われる。スペンサーがこの旅行を思いついたのは、たまたまポルトガルの米軍駐屯地に派遣されていたのと、そしてアフガニスタンで辛い思いもしているアレックの気分転換のためだ。そして3人でなくてはつまらないので、カリフォルニアに住むアンソニーもわざわざヨーロッパに来さるように説得する。
3人がパリに行くかどうかは、旅行の途中でもなかなか決まらない。アンソニーはあまりおもしろくないらしいという(SNS上の?)噂を気にして乗り気でなく、アレックはあちこち動き回るよりもひとつの場所でゆっくり過ごしたいと、どちらもいかにも今風なことを言う。パリはあまりに手垢のついた有名観光地過ぎてスノッブで「ダサい」くらいの感覚でアムステルダムに行く方がオシャレなのも確かだが、スペンサーは「知らない場所だから一度は見ておきたい」と、一昔も二昔も前のアメリカ人のようなことを言う。
この時ふと気付かされる。この映画のローマやヴェネチアはフォロ・ロマーノやコロッセオや聖ピエトロ大寺院、大運河やサンマルコ大聖堂や奇跡の聖マリア教会など、いかにも観光名所をなぞるだけで、観光映画やテレビの歴史教養ドキュメンタリーのようにその美しさや歴史的意味をことさら強調する撮り方もまったくしていないし(既に述べたようにホームムービー的で軽い)、スペンサーもアンソニーもそこで自分の感動や哲学的な反応をとうとうと説明できるような教養があるわけではない。それでも彼らにとってこれは一生に一度見れるかどうかという場所であり、実は深く感動もしているし、楽しくてしかたがないのだ。誰もが行けるようになって観光客だらけで凡俗化したトレビの泉やスペイン広場の大階段には、1950年代の『ローマの休日』に映っていたような輝かしさはないし、彼らはオードリー・ヘップバーン演ずる王女でもない。それでも彼らなりに、この一瞬一瞬は最高に幸福なのだ。
ベルリンでアレックが合流し、自転車でめぐる観光ツアーに参加して、ヒトラーが自殺した場所に案内される。3人はヒトラーは米軍の侵攻で追いつめられて別荘の「鷲の巣」で自殺したのだと信じ切っていて、ガイドにやんわりと「アメリカ人はなんでも自分達が正義の主役だと思いこんでいるけれど、ヒトラーを自殺に追いつめたのはソ連軍」とからかわれて思わず苦笑してしまう、こんな些細な、取るに足らないディテールが、しかしこの3人のアメリカ青年が「アメリカ人」(=トランプ支持者?)の自己イメージから解き放たれて行くことをさりげなく示している。
「僕らは自分の意志でなく、大きな力に動かされているだけかも知れない」
ヴェネチア観光を楽しんだ夕方に、アンソニーとスペンサーがホテルの屋上から運河が網の目のように広がる旧市街を一望するシーンがある。スペンサーは煙草を吸いながら、もしかしたら人間は自分の意志や希望に従って生きているのではなく、なにか大きな力に動かされているんじゃないか、と言い出す。彼なりに大きなスケールの世界観を語っていても、まあ陳腐といえば陳腐な、手垢のついたような話でもある。アンソニーは思わず笑い出して「それタバコじゃなくて大麻なのか?」とからかう。
だがこの一見陳腐で、今時「自分の意志よりも大きな力」などと言うとキリスト教原理主義の福音派かと思われそうな話こそ、実はテロを阻止したアメリカ人ヒーローの物語ではまったくないこの映画の真のテーマなのだ。
まず3人がベルリンからアムステルダムに行くのも、ホテルのバーで会った元ヒッピー老人にアムステルダムを勧められたからだし、最終的にアムステルダム=パリ間の列車をキャンセルしないのも、二日酔いで昼頃に目覚めてなんとなく、だ。事件が起こる列車のシーンが随所に挿入されるのだからサスペンスが演出されて「乗っちゃいけない」と観客をハラハラさせるのが普通なのに、この映画では15時17分発のパリ行き列車に乗るのもそうしたハラハラ感ではなく、些細な偶然の積み重ねで、たまたま自然にそうなっただけで、観客は3人とのどかなヴァカンス気分を共有して列車に乗り込むことになる。
それ以前に、彼らがこのヨーロッパ旅行まで歩んで来た人生も、まずアレックとスペンサーが偶然に(どちらも校長室に呼び出されたので)アンソニーに会って友達になったことから始まっている。
本気で軍人を夢見ていたアレックは実際に任務で派遣されたアフガニスタンでは微妙なストレスは日々感じながらも、なにしろ当時のテロとの戦争のいわば「主役」はイスラム国だったので、アフガンではなにも起こらない日々が続き、命が危なくはないので半ばは感謝しつつも、退屈し幻滅している。入隊前の大学時代にすでに、軍の現実の仕事が彼が夢見ていたのとはかなり違うことを気付かされたはずのシーンがあった。コンピューターを使った統計分析の授業で、彼が軍志望だと聞いた教授に「軍隊でも数字と統計と分析がなければ仕事にならない」と言われていたのだ。だが彼はこの時、授業に興味がないのでこっそりグーグルで検索した兵士や戦争の画像を見ている。そうした少年っぽい憧れで軍に入ってみれば、現実はその教授が言った通りだったはずだ。現在の米軍では統計分析を担う情報将校こそが実は主役で、彼の祖父がドイツに派遣されていたような時代とはまったく違う(その祖父の体験談が、実は彼の軍への憧れのきっかけだった)。
スペンサーはといえばなんの目的意識も感じられないままアルバイトをしていたスムージーのスタンドの向かいにたまたま軍の募集事務所があり、たまたま客として来た黒人の海兵隊員との会話が、空軍を志願するきっかけになった。「やっぱり海兵隊は最高だと思ってますよね」というスペンサーの質問に、海兵隊員は本当の志望は空軍のパラシュート救援部隊だったと言う、その理由は「人の命を救う仕事だから」だ。このような、一見どうということのないさりげない会話が、そのままのさりげなさで見せられるのに、不吉ささえはらんだ重みを持ち、後々に意味を増して来る構造が、とりわけここ数年のヒア アフター』以降のイーストウッドの円熟期の特徴だ。
命を救うのか、人殺しになるのか、それは軍人である本人達の選択ではない
この場合、「人の命を救う」パラシュート救援部隊に入れなかったこの黒人兵が今いるのは、米軍でもっとも直接の殺人(最前線での白兵戦)に任務が特化された海兵隊なのだ。命を救う人間になるのか、人殺しになるのか、その線引きは軍の適性検査(=差別でもある)が決めるものであって、本人の意志ではない。
実はテロ犯人ですら同じことが言える。映画の冒頭で列車に乗る姿を後ろからキャメラが追うのは、実はテロ犯人なのだが、デリケートな編集のトリックでいかにもアンソニーの後ろ姿と観客が誤解してもおかしくないようになっている。
映画はこのテロリスト青年の方に直接にはほとんど関心を示さないが、それは「敵側」を映画が無視しているからではない。スペンサーとアレックはなにかの間違いで人種差別に凝り固まって学校で乱射事件を起こすような少年になりかねなかったし、「生意気な黒人」だからキリスト教の学校でいじめに遭ったアンソニーだって白人世界の秩序に抵抗するテロリストになっていたかも知れない。持ち歩くのは自撮り棒で狙っているのはインスタ映えする写真という無邪気な青年に彼が育ったのも、彼もまた幸運な偶然で白人の2人と親友になったことが大きかったのかも知れないし、アラブ系のイスラム過激主義テロリストになった犯人だって、ヨーロッパで育っていたときに白人の差別に遭うだけでなく白人の親友もいれば、こうはならなかったのかも知れない。
肝心のテロ事件の描写は、もちろんほぼ未遂で終わったからでもあるが、この映画では呆気なくサラっと済まされる。犯人の武器を取り上げたアレックは、前線で戦う訓練を受けた兵士だけに極めて手早く機械的に弾薬をチェックし銃から取り出しその銃も分解して使えなくする。ただしその訓練を受けているだけにほとんど無意識かつ機械的に一丁だけは使用可能な状態のまま、自分で持って歩く。そのかっこうのまま前方の車両に避難した乗客たちに報せに行ってしまうので、乗客たちは彼を武装したテロリストと勘違いする。ここでもアラブ系のイスラム過激派テロリストと、アメリカ白人の福音派の青年に、映画はほとんど区別をつけていない。むしろ殺人訓練を受けた人間としてアレックの方がよほど優秀であり、つまりは危険でもある。
ではどこで彼らは「ヒーロー」になり、取り押さえられたアラブ系の青年は「テロリスト」になったのか? それは本当に個人の意志で決まるものなのだろうか?
人を救うこと、つまり死なせないこと
だが「自分の意志は実は関係がなく、僕たちは大きな力に動かされているだけなのかも知れない」と言っていた当の本人であるスペンサーが、また違った可能性を示してもいる。まず空軍に入隊したスペンサーは、パラシュート救援部隊は適性検査でハネられても、命を救う任務を選ぼうとしてはうまく行かないことを繰り返していた。どこに行ってもうまく適応できない自分にコンプレックスを感じながらも、彼は直接人を殺すことになる任務は選ばない(映画では言及がないが、救護兵)。実戦訓練でいちばん熱中したのは柔術で、ちなみにこれも彼に取ってはアメリカではない外国の、日本のものだが、つまり相手を殺すのでなく、ただ取り押さえるためだけの技術を彼は熱心に身につけていたわけだ。
この柔術が、テロリストに遭遇した時に役に立つ。スペンサーは犯人を倒すのではなく、ひたすら取り押さえて動けなくしようとするだけで、ナイフを振り回した犯人に手や首筋を切りつけられても相手を離さない。最終的に犯人を殴って気を失わせるのは彼でなくアレックだ。
そしてあっさり終わってしまうテロ事件そのものとは対照的に、映画はひたすら、1人だけ犯人に背後から撃たれて動脈を損傷した乗客をスペンサーが懸命に看病し、声をかけ続けて励ます姿を延々と映し出す。意識を失わせないために出身地を聞き、アメリカ人だと分かると「同じアメリカ人どうしだ。絶対に死なせないから安心して」というのは、普通ならアメリカ愛国主義というか人種差別的に響く言葉だが、この場合はそうではない。救護兵として負傷者を安心させつつ意識を失わせないテクニックであると同時に、相手に英語が通じなかったら少しは困っただろうが、重傷の男がフランス人だったとしても、彼は「同じ人間だ」とかなんとか共通点を見つけて相手を励ましただろう。
すべてが、実は偶然の出会いだ。この3人がたまたまこの列車に乗ったことも、そして同じ列車がたまたまローンウルフ型の単独犯テロに狙われたのも偶然だ。3人が、犯人が犯行を準備するのに使ったトイレに近い一等席に座っていたのも、Wifi接続がいいからアンソニーがインスタに写真をアップできるので、という他愛もない理由に過ぎず、しかし3人がたまたまそこにいたからこそ事件は1人が撃たれただけでその1人も命は助かり、最低限の被害で済んだ。
そこにいた3人のうち2人が、たまたま米軍の兵士で訓練されていたことも偶然だ。しかし戦闘に参加したことこそないが前線で戦う訓練は受けていたアレックが、犯人を殴って気絶させるだけで殺さなかったのはなぜだろう? 民間人であるアンソニーは、止血のためのタオルと犯人をしばるネクタイを探しまわって乗客に協力を求める。兵士としての習慣で銃を持っていたアレックは、テロリストと間違えられそうになるが、列車に乗る時に老人の手助けをしていたので、その娘が「悪い人じゃないわ」と言ってくれたので、誤解されずに済み、警察が乗り込んだ時にはすべてが解決していた。
クリント・イーストウッドのスタイルはどんどん平易になっていく。かつてのトレードマークだった暗闇の美学はこの最新作ではまったくなく、ある意味で演出の放棄にも見えそうなほど、ひとつの出来事のなかでなにかを演出的に強調して物語の理解や解釈を助ける意味を持たせることもほとんどない。この熟練というか老成というか枯淡の美は、それ自体は取るに足らない偶然の積み重ねで出来上がったこの事件の実感を語るのに、もっともふさわしいやり方なのかも知れない。
3人組はある偶然が起こった時、それが後に持つことになる意味をその時点では考えもせず、観客もまた同じ立場に置かれる。すべてが終わったときに初めて、我々もまた彼らがここに至ったまでに体験したことの意味を突然理解するのだ。それを偶然と呼んでいいのか、凡百の出来のいい映画なら「運命」と扱うかも知れないが、偶然でしかないことを「運命」と勘違いするととんだ過ちを犯すのが人間であり、その過ちに生涯呪われ続けることすらあると教えていたのがイーストウッドの『ミスティック・リバー』であり、政治の世界では偶然のつらなりを「運命」と喧伝するプロパガンダを利用する国家は、たいがいロクな結果をもたらさない。あるいはこの3人、とりわけスペンサーが体験したのは、キリスト教的な観念でいえば「恩寵」であり、彼をこの列車での活躍導いたのも神の見えざる計画なのかも知れない。しかしそこに「神の意志」を見るかどうか自体が、もはやどうでもいいことだ。そして目の前に起こった偶然の事態を前に、スペンサーは確かに自分の執念とも言える強い意志で、自分が今そこでできること、やるべきことをやる。テロリストを倒すことではない。目の前の重傷を負った男を、死なさないことだ。
「死」にこだわり続けて来た映画作家イーストウッドの見せる「生」の尊さ
列車が駅に停車し、警官隊と救急隊がやって来て、すべてが終わった後になって、やっと自分が殺されてもおかしくないことをやったと気付いたスペンサーは、放心状態で子供の頃に習っていたお祈りを唱える。「私が悪ならば善に変われるように」「私の他人への赦しが私への赦しになるように」、そして少年時代のシーンではカットされていた最後の一節がここでははっきり聞こえる。「私の死が命となりますように」。
この瞬間に、それにしてもイーストウッド作品にしてはずいぶんカジュアルで軽く深みがないように見えた(意味論的な深みが意図的に排除されていた)この映画が、明確にクリント・イーストウッドの作品歴に位置づけられる。これまでイーストウッドは一貫して、死に取り憑かれつきまとわれ続けていたり(『「ダーティー・ハリー』シリーズ、『センチメンタル・アドヴェンチャー』1982年『父親たちの星条旗』2006年、『チェンジリング』2008年)、自分が死んだかのような記憶に囚われていたり(『ミスティック・リバー』2003年『グラン・トリノ』2008年『ヒア・アフター』2011年)、一度は死を経験して実は幽霊に等しい存在だからこそ超人的だったりする主人公(『アウトロー』1976年『ペイル・ライダー』1985年『許されざる者』1992年)などなど、人間にとっての死のさまざまな意味をこそ描き続けて来た。撮影準備中にモデルになったクリス・カイルが暗殺されてしまい、それがラストシーンになった『アメリカン・スナイパー』(2014年)はその意味で、イーストウッド映画の究極の到達点にある作品だった。次の『ハドソン川の奇跡』(2016年)でエンジン停止した旅客機の神業的な不時着水を成功させたサレンバーガー機長は、自分を155人の命を救った人間としてでなく、155人と共に死んでいておかしくなかった人間としてしか自分を見られずに苦しんでいた。
「私の死が命となりますように」とスペンサーが祈る瞬間、この映画が見せて来た彼のこれまでの10年間の、自分の意志でないものに振り回されて来た体験の意味が、突然直感的に理解されると同時に、これまでイーストウッドが突き詰めて来たテーマへのある解答が浮かび上がることで、あまりイーストウッドらしい映画に見えなかった『15時17分、パリ行き』は、紛れもなく映画作家として、そして人間としてのクリント・イーストウッドの、87歳の到達点となる。
凡庸だからこそ非凡なことをやり遂げた青年の、当たり前だが非凡なエピローグ
本当のところ、映画はこの祈りのシーンで終わっている。フランス政府から表彰されることになった3人が、当時のニュース映像と映画の撮影シーンを巧妙に組み合わせることで映し出されるラストシーンは、『父親たちの星条旗』以降のイーストウッドの実話映画化作品で常にエンドクレジットで実際の人物達の写真や、『アメリカン・スナイパー』ならクリス・カイルの葬儀の映像、『ハドソン川の奇跡』では機長と乗客たちのいわば「同窓会」の記録映像が流れるのに近い、「おまけ」ないし余韻のようなものだ。陳腐極まりないフランソワ・オランド大統領(当時)のいかにも俗っぽく偽善的なスピーチが、しかしオランドの知らない3人の人生を知っている我々観客には、なぜかとても適確で深い意味を持った言葉として響く。凡庸であるもの、陳腐に見えるものも決して無価値ではなく、そこには後になって分かる大きな意味や価値があることを、映画が我々に再確認しているかのようだ。それにもちろん彼らが「英雄」などではないことは観客がよく理解しているからこそ、3人が当時はまったく意識してなかったにしても、彼らが355人の命を救った「英雄」になったことを確認させられるのも悪くはない。
映画には描かれていないが、この3人の物語には(自分達が映画になって自分達自身を演じた以外に)もうひとつのエピローグがある。事件の数ヶ月後、スペンサー・ストーンは故郷サクラメントのナイトクラブである男にメッタ刺しにされて肺と肝臓、心臓まで著しく損傷され、緊急開胸手術でなんとか一命を取り留めた。殺人未遂の判決が出て新聞にコメントを求められたスペンサーはこう答えた。「犯人のことは許している。僕らは誰でも馬鹿な判断をするときがあって、間抜けさを較べても似たり寄ったりだよ。彼がこの経験から学んでくれればいい」
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