「映画とリテラシー」原論 by 宮台真司 【東京国際映画祭】特別企画

主題:「映画とリテラシー」原論 
副題: 映画低迷の根本理由
語り:宮台真司(首都大学東京教授、社会学者)
聞手:及川健二(ジャーナリスト、政治哲学者)

◎だから映画は嫌われる

映画のティーチインを鑑賞後でなく鑑賞前にするようになった。
映画を咀嚼・解釈するリテラシー(教養・素養)
が客に欠けているからで、
観た後に各々のシーンを説明すると、
「そんなのありましたっけ?覚えていません」
という反応が返ってくる。

子ども向けアニメやウルトラマンの内容は78-79年を
さかいに質が落ちた。子ども向けでも、昔は社会問題や
哲学的命題を提示した。親子が観て、子どもに親が
背景解説した。

だが、親と子でテレビを観る習慣(ハビタス)が薄れてきた。
そうすると、創り手は、子どもがひとりで観ても
理解・楽しめるレベル(程度)に作品を下げた。
その結果、薄っぺらなものが量産されるようになった。

映画をみて、

「感動した」「泣けた」

というつぶやき程度の感想しかいわない観客が大半だ。
映画を観て、恋人同士で語り明かすレースも少なくなってきた。
知識をダラダラ述べるマニアもいるとはいえ。
観る側の質が低下し、映画全体も落ちてきた。

◎映画再生の宮台ドクトリン

ではどうしたら良いのか?

まず、映画学校・大学院大学のお仲間主義を辞めて
良質な創り手(クリエーター)を育成する。

そして、映画批評の質をあげる。
私はダメなものにはダメといいます。
まっとうな批評が映画界のなれあい・もたれあいを駆逐します。

最後に、観る側のリテラシー向上。

私はそのために映画上映前にティーチインしていますし、
付和雷同しない映画批評を続けています。


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