ミッテラン政権において1981年~92年まで文化大臣を務め、
『音楽の日』(Fête de la Musique)創設をはじめ数々の文化事業を
手がけた超大物ジャック=ラング元国民教育相に
セーヌ川岸にある世界アラブセンター(Institut du Monde arabe)で
お話を伺う機会を得た。
ミッテランの秘蔵っ子と呼ばれ、文化政策の大家である
ラングさんの多くの御著書の中でも
『ルーヴル美術館の闘い: グラン・ルーブル誕生をめぐる攻防』(未来社)
『マルローへの手紙』(同)
『ネルソン=マンデラ』(同)
が、塩谷敬先生の翻訳・導きによって日本でも刊行されている。
「智の巨人」ジャック=ラング元文化相へのインタビューを
掲載する。
◎「音楽の日」誕生秘話
取材者:ラングさんの発案によって生まれた「音楽の日」は今年で32回を迎えました。Parisだけでもプロ・アマ問わず500以上の無料コンサートが路上・bar・公共施設で催されました。夕方から終電時刻までパリのあちこちを取材してまわったのですが、人・人・人!であふれていました。この日だけは、誰もが何処でも演奏できる。自由の象徴、文化のシンボルというべき行事に接して感銘を受けました。日本の音楽家にもぜひ馳せ参じて欲しいし、東京においても同様のイベントがあっても良い。そんな気持ちを抱きました。そこで伺います。「音楽の日」というアイディアはどのようにして生まれたのでしょうか?
ラング:初めからご説明いたしましょう。1981年5月に私は文化大臣の職に就きました。市民を心の底から歓喜させるアイディアはないだろうか?そんなことを就任した年の終わりに同僚に相談し話し合いました。すべてのフランス市民・国民は音楽を深く愛しています。ならば広場や公園・庭園・駅で楽器を自由に奏でる、何日の何時に時間を決めて。そういう日があってもいいはずだ……と思い立ち、夏至に当たる6月21日にすることに決めました。
取材者:緯度の高いところに位置するフランス共和国、殊にParisににおいて、冬は日照時間が短く、日は短く夜は長く、空は雲で覆われ、一日中寒い。夏至は22:30頃に日が没し、夏は夜が短く日が長い。空気も乾いていて過ごしやすいですね。
ラング:すべての市民が「祭典」に参加でき担い手になれるというのが「音楽の日」創設の理念です。市民はこの日、開かれたエスプリで交流でき、音楽を楽しむことができます。
取材者:「音楽の日」は現在、世界の色んな都市で催されています。
ラング:そうです。今日において100以上の国の、400以上の市・町で音楽の日は開かれている。たとえば、アメリカ合衆国ではニューヨークが最初の都市なんですね。6~7年前から祝っていますね。初めはセントラルパークでやったのです。いまでは各地区において行われるにいたりました。今年初めてロサンジェルスでも行われるのです。
(つづく)
Par OÏKAWA Henri Kénji
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