映画批評『武士の献立』 by 吉田衣里

10月23日に東京国際映画祭で上映される上戸彩・主演の映画『武士の献立』について、抱腹絶倒のギャグを芝居にすることで評価が高いCineaste・脚本家・演出家の吉田衣里『げんこつ団』団長が映画批評を寄せてくださったのでここに掲載する。

題名:ファミレスディナーからデミグラスハンバーグ
映題:武士の献立
筆者:吉田衣里『げんこつ団』(団長・Cineaste・脚本家・演出家)
詳細:げんこつ団(http://genkotu-dan.official.jp)

◎オモシロくも味気ないのは……

一言で言えば面白かった。由緒ある加賀藩の料理方、「包丁侍」というものの存在に、まず否応無しに惹き付けられる。尚且つ、主人公であるしがない女中の娘は天才的な料理の腕前を持ち、それがその料理方に認められる。それだけでもワクワクするところにきて更に、その娘が嫁ぐこととなった料理方の跡取り息子は「料理など女子供の仕事」と言い放ち、料理は大の苦手である。さあどうなるのか。誰でも興味が沸く。加えて所々でグルメものの面白さも加わってくる。やがては江戸の勢力争いも絡んでくる。飽きるはずがない。面白くないはずがない。

ただ、確かに面白いながらも、何故だか最後には味気なさを感じてしまった。これだけ面白い要素が詰め込まれた娯楽映画にも関わらずだ。そうした事が、この映画に限らず最近よくある。それはどうしてだろう。

登場人物の言動や表情の奥にある心情、またその変化を、観客は無意識に想像しながら物語を追っていく。それが、こうした作品ではとても分かり易い。一般的に広く受け入れられ楽しまれるべくして作られた娯楽映画においては、それは分かり易くなくてはならない。
特に想像力を働かせようとしなくても頭に自然と浮かんでくる「こういう時この人ならこう思うだろう」という流れ。それが台詞によってしっかりと用意され、それ通りに物語が進む。それが裏切られることはあまりない。意図的にそう作られている。それでこそ広く受け入れられる。これは、そういう映画だ。

しかしながらこの作品では、題材も物語もとても興味深いため、否応無しに活発に、想像力が働いてしまう。例えば、本来の跡取りである兄の死によって突如跡取りとなった次男坊の、これまで信じて歩んできた剣の道を断って料理の道に入らねばならないという葛藤、その時代における男としての意識やプライド。それだけでも、想像力を強く掻き立てられる。また主人公である娘を含め、二人を取り囲む主な登場人物の全員がとても興味そそられる境遇に居て、それにもいちいち想像力を掻き立てられる。
しかし作中、それらは、誰もが分かり易く、飲み込み易い形でしか、描かれない。掻き立てられた想像に、それが満たない。興味を抱くほど、それが満たされない。それが今回感じた、味気なさのようだ。

◎ファミレスディナーでなくデミグラスハンバーグを

それは私にとっては、とことん素材にこだわり名のある料理人が監修した、”ファミレスディナー”のようなもののように感じられた。素材は目新しく新鮮で味付けもいい、何より美味しい。しかしあくまでも子供でも食べ易いファミレス仕様。品数も多いが、なんだか物足りない。

個人的には、娘なら娘の心情のみに、跡取り息子なら息子の心情のみに、或いは「包丁侍」という地位ならその歴史と地位のみに、もしくはそこで作られる加賀の料理ならその歴史と料理のみに、焦点をグッと絞り、その視点のみで、この物語と全く同じ物語を描いたものが、観たいと思った。どこを深く掘り下げても面白いに違いない。その一つをとことん深く描き、あとは想像の余地を大きく残して、終わって欲しかった。しかしそうなるとそれは、”こだわりの一品料理”となってしまうのかもしれない。それでは広くは受け入れられないのかもしれない。だからこそ、これは、これで良いのだ。

ただ、個人的には、広く楽しめる娯楽映画はデミグラスハンバーグであって欲しいと思っている。ちょっと変わったところで、チーズやキノコが乗っていれば良い。それはそれで大好物だ。しかしそれだけでは今やキャッチーさが足りず、時にはトリュフやフォアグラや塩麹などを乗せてみるかもしれない。そうしたものなのかもしれない。
娯楽映画において時折感じる、”面白いほど味気ない”という不思議な現象は、そういうことなのかもしれない。


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