女優の奈良岡朋子さんが語る平和・戦争・ヒロシマ・映画@新藤兼人平和映画祭

 広島原爆の日の6日、新文芸坐(豊島区)で、新藤兼人監督の映画「原爆の子」に出演した俳優の奈良岡朋子さん(86)のトークイベントがあった。焼け跡の広島ロケや、自身が体験した東京大空襲について語り、「再び戦争をしてはいけない」と呼びかけた。

 この日は第5回「新藤兼人平和映画祭」。「原爆の子」「黒い雨」(今村昌平監督)の上映後にトークが組まれ、266席の会場がいっぱいになった。

 聞き手を務めた共同通信の立花珠樹編集委員が「原爆の子」について紹介。初上映は1952(昭和27)年8月6日。広島市の映画館は扉が閉まりきらないほどの観客だったという。

 奈良岡さんは、映画初出演で、足の不自由な咲江という妹役だった。公開の3カ月前、ロケバスから降りた広島市内は「何もない、焼け跡のまんま。さんたんたる情景でした」。宿泊施設が無く、焼け残った民家に泊まった。ガラスが割れた窓に紙を貼り、床柱にガラス片がささっていた。

 「いとおしやの」。撮影現場にいた高齢の女性から話しかけられた。演技と知らずに足が悪いのを気の毒に思い、いたわってくれた。優しさが心に残ったという。

 45(昭和20)年3月10日。奈良岡さんは生まれ育った本郷で東京大空襲に遭った。家を消火するバケツリレーの先頭に立った。青森・弘前に疎開する途中の汽車で機銃掃射に遭った。遺体が累々と横たわる光景は「一種のトラウマ。忘れたい、忘れようと思ってきた」。

 近年、映画「黒い雨」の原作の朗読を始めた。文豪・井伏鱒二が描いた、被爆者の人生。「心の中にぽつんと石を落とすような作品を伝えたい」

 70歳を過ぎるまで、戦争の話は一切しなかった。だが、戦争を知る世代が減っていく危機感から、若い役者らに語って聞かせ始めたという。

 「伝えるのは生き残った者の責任。若い人がこの先再び、戦争に行くことがないようにしましょう」

参照:朝日新聞

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