【総選挙2017】前代未聞の自己都合珍事、安倍「自分が国難」解散の茶番のとんだ番狂わせ by 藤原敏史・監督

前回も、普通のことが普通にできない安倍政権以外では考えられない、さっぱり意味も目的も争点も分からない解散だった(とはいえ自民党は議席を微妙に減らしたもののほぼ「勝利」した)が、それ以上の、まさに「想定外」の解散総選挙である。とは言っても今回は、理由というか動機は余りにも分かりやすく、ただそんな身勝手な自己都合だけで解散に打って出る首相が出て来るなんて、戦後日本の民主主義システムの想定外というだけのことだ。安倍氏は二度目の総理就任当時にしきりに「戦後レジュームの打破」(ちなみにRegime、読みは「レジーム」でないとおかしい)と言っていたが、レジームつまり支配体制という言葉の使い方がおかしい(例えば北朝鮮なら「金レジーム」、戦後日本なら自民党か霞が関がレジームだろう)のはともかく、確かに安倍氏は日本の「戦後」を支えてきたものを見事にぶち壊してくれた。

動機はまことミもフタもない自己都合の解散権の私物化で、論評の価値もない。臨時国会を開会すれば加計学園と森友学園をめぐる疑惑が再び野党に追及され、テレビのニュースやワイドショーを埋め尽くし、口先だけの「丁寧な説明」で国会が膠着するだけでは支持率の暴落は避けられない。党内でも安倍おろしが始まりでもして追い込まれて解散、というのを避けるなら、最大野党の民進党は蓮舫代表が辞任したばかり、ダークホースと目される小池新党は若狭・細野両氏だけで資金も組織もなければ勝負になるまい、という「敵失」を見込んだのがこのタイミングであっただけだ。

9月17日辺りから総理の解散の意向が報道に載り、ほんのひと月半前の「仕事人」新内閣はいったいなんだったのか、あけすけ過ぎる自己都合に「大義がない」との批判が集中する一方で、「大義は後からついて来る」という「総理の伝家の宝刀」の専権の行使の開き直りに、せめて後付けでもなにかマシな理屈が出て来るのかと思えば、ほんの一週間だかそこら前の日本経済新聞のインタビューでは財政再建のための消費増税を強調していたはずが、その増税分の使い方を変えるので国民の信を問う、と言い出す。しかも民進党代表線で前原誠司が提言した、消費税の具体的な社会保障項目に特化した目的税化(何%上げればこの政策が可能になる、と負担と受益を分かり易く提示すること)のロジックを逆転させた、安易なパクリでしかない。

まず消費増税の増収ぶん5兆円のうち2兆円、日本の一年あたりの本予算のなかでほんの2%前後にしかならない使い方なら国会で議論すべきで、解散というのがナンセンスなだけではない。その会見で安倍氏は年内にその使い方変更を含めた経済政策のパッケージを出すとも言ったが、ならばそのパッケージを国会に提示して議論して実現性を詰めるべきであり、準備もできていないパッケージでこのバラ撒きが欲しいなら投票しろとは、詐欺ではないか。

これにはとんだオチもついた。2兆と言っていた金額が、自民党内の公約作成で計算違いが判明し、3000億円ほど足りないのだとか。もともとあまりにも分かり易いデタラメな茶番に論評する気すら失せる珍事だったが、それ以上のひどさにはさすがに一言申し上げる他あるまい。安倍政権の最大の問題は、極右であることとか以前に、総理大臣があまりに非常識で無能な馬鹿であること、と言わざるを得ない。

小池百合子の新党「パンドラの函」

だが自民党の、ですらなく安倍政権の、と言うより安倍晋三個人の甘い目論みが呆気なく崩れたのはすでにご承知の通りである。解散発表会見の数時間前に小池百合子が突然新党名発表会見を(赤ちゃんパンダの命名会見とセットで)開き、自ら代表となって「新党もリセット、日本もリセット」とぶち上げたのだ。

安倍晋三という人は、どうも妙に楽天的というか、自分に都合の悪いことが目に入らないのか、同日夕方の記者会見でも、その後立て続けに生出演したテレビのニュースでも、小池新党が野党票を食ってくれれば「改憲派」が増えて連携できる、というくらいの甘い期待で「希望の党」という党名を褒めたりしていたが、小池の生インタビューが自分の生出演と当然ワンセットとなること、それも順番が必ず小池が後になることの意味すら分かっていなかったのだろうか? 案の定、首相の後には余裕たっぷりの微笑みを浮かべた小池百合子が、その発言をわざと無視して切って棄てたり、痛烈なあてこすりの皮肉を飛ばす展開になった。

すでに昨年夏の都知事選で自民党との対決を鮮明に打ち出した小池百合子だったが、攻撃の的はあくまで都議会自民党で自民党本体ではない、という政権に忖度した当時の報道を、安倍は真に受けていたとしか思えない。いや自民党を「家族的なあたたかい政党」(要するにコネと血統優先の、生温い身内集団)と痛烈に揶揄したとき、小池の念頭にあったのはもちろん、岸信介の孫という家族的な血脈のおかげで二度も総理大臣になれた安倍晋三本人だし、2009年に総裁選に打って出た時も対立候補の麻生太郎が吉田茂の孫であることを念頭に、世襲だらけの自民党を「しがらみ」と切って棄てていたではないか。

能力ではなく家族血縁が優先されるなか、しかも女性なので能力を活かすチャンスが阻害されて来た、負けず嫌いで自信にも満ち溢れた小池百合子が、安倍のような人間を好ましく思うはずがないということが、この総理にはどうも理解できないらしい。こうした安倍氏の、自分と立場が異なる他者への想像力に欠如した、無自覚な差別意識の無神経の独りよがりが、北朝鮮やISISへの対応の拙劣さなど、安倍外交の失敗の大きな原因になって来たことも指摘しておこう。

小池の党名発表・代表就任会見は、もはや安倍政権への皮肉あてこすりですらなく、真っ向からの宣戦布告を、それも “上から目線” でいかにも落ち着いた批判や揶揄としてに述べる中身だった。珍妙な解散風については安倍が得意なつもりでいる安全保障を引き合いに、北朝鮮をめぐる危機があるときに、と冷笑たっぷりに酷評した。またこの会見で掲げた公約のひとつが「原発ゼロ」なのは大いに話題になったが、その理由はもったいない、無駄だから、リスクの大きさを含めた採算性の問題を挙げるのだから、これは甘い予想や結論ありきの歪んだ試算に依存して再稼働に固執する安倍政権の子供じみた意固地さを、一応は今まで支持して来た保守層にも響くだろう。

安倍自民党の支持層は大きく二つに分かれる。この総理の極右というか子供じみた国内引きこもり的なナショナリズムと反知性主義丸だしの専横に、自分がその権力者に同化できたかのような幻想で溜飲を下げている熱烈な、いわゆる「ネトウヨ」層と、数としては遥かに多い、「他に適任者がいない」、となんとなく思っている人達だ。

民主党では政権運営が危なっかしく公約も守れず、アメリカや官僚組織と対立して政治を膠着させただけだったのだし、安倍なら自民党の「プリンス」なのだし、よく分からないがこれでいいのだろう、というその漠然とした信頼はしかし、森友・加計両スキャンダルで瓦解している(「とりあえず安心」どころか、安倍政権は官僚機構を機能不全に陥れていた)。

もうひとつの安心材料であった安倍の対米従属外交も、その依存先がドナルド・トランプでは逆に危険ではないか?

小池はこの数としては圧倒多数の「なんとなく自民党、とりあえず安倍」支持層を切り崩し、かつ既存政治にシラケ感しか抱いていない無党派層に響くであろうスタンスの「反・安倍」を、この会見でアピールして見せた。

その直前にはパンダの命名で微笑ましいソフト・イメージを演出するついでに、安倍の外交のなかでもどうにも不安がつきまとう露骨な中国敵視を念頭に置いたかのように、日中友好と、自分は中国のこともよく知っていて人脈もありそうな雰囲気まで匂わせる(香香という名をちょっと中国風に発音し、その意味までさりげなく言及)のだから、あっぱれなものである。

リベラル感も盛り込みつつ、保守も納得する視点で反・安倍を明確にした小池百合子

この「リセット」会見で小池は、安倍政権の売り物の国家戦略特区について、海外からの投資の受け入れについて東京都にも適用されているが、この東京のケースなら特区制度の本来の役割に則しているものの、ほとんどの「安倍特区」が今治市の加計学園獣医学部のように、総理や関係者の内輪の友人関係や利害・人脈におもねったもので、しかも議論の経緯がまったく不透明なことを指摘し、「しがらみ政治」の典型と切って棄てた。

一方で特区行政による規制緩和で本来必要なものの例として、東京に世界から有能な人材に集める時、LBGTだとパートナーにビザが降りず滞在できないので日本への赴任を諦める人がいる、と述べたのは一見しごくまともにポリティカリー・コレクト、かつ経済合理性の問題であり、夫婦別姓や女性、性的少数者の権利保障を嫌がる自民右派への露骨で痛烈なイヤミにもある。

日本の大学の国際ラインキングが下がり続けていて、今やアジア圏でもっとも優れた大学は中国にあることも、日本に希望がないことの実例として挙げた。言うまでもなく加計・森友両学園への妙な入れ込みようや、道徳の教科化や、大学などの研究費の一部を文科省から防衛省の所管に移したこと等に端的に見られるように、安倍政権には教育を軽んじ恣意的に左右したがる傾向が強いし、その政権下では大学の、とくに基礎研究に対する予算削減が日本の学術水準の深刻な低下を招いていて、それが国際大学ランキングにも現れてしまっているのが現状だ。

改憲についても、安倍が固執する9条改憲は「今最優先で手を付けるものではないと思う」とあっさりと不同意を示してソフト改憲派のイメージを打ち出し、具体的には地方分権に関することを考えているというのも、安倍政権には地方行政に露骨な圧力をかけて言いなりにさせる傾向が強く(たとえば北朝鮮のミサイル発射に応じた避難訓練やJアラートの強要、熊本震災への稚拙で横暴な対応、そしてもちろん沖縄の基地問題)、とりわけ小池知事に直接関わることではオリンピックをめぐる安倍首相肝いりの森喜朗の組織委員会の横暴を即座に想起させる。

小池百合子がそのせいで日本に希望が失われていると切り捨てた「しがらみ政治」とは旧来の自民党政治、とくにその現在形として究極に私物化された安倍政治であることはあまりに露骨だった。

ところが安倍晋三はまったく気付いていなかったのだろうか? この首相についてしばしば自己愛性パーソナリティ障害ではないかとの疑いが指摘されるのも、こういうところがあるからだが、ここまで来ると政権への配慮が行き届いた報道というのは、政府に不都合なことを国民に知らせないためではなく、安倍首相が不機嫌になることを本人の耳に入れないことが目的なのではないか、とすら思えて来る。

極右も取り込みつつ「寛容な保守」で原発ゼロ、「希望」つまりなにが起こるかわからない「パンドラの函」

このあっぱれとしか言いようがない会見には、とんだおまけも付随していた。

相前後して安倍が小泉政権の官房副長官だった時の拉致問題担当相で個人的な同志的関係にあった中山恭子を、自民党以上に熱烈な安倍応援団の「日本のこころ」から引き抜いたことも報道され、さらには当の安倍政権の内閣府副大臣まで小池新党に参加するというサプライズもあった。ファナティックな極右まで取り込み、安倍の熱烈支持層の切り崩しの素振りさえ見せながら、それでも平然と「寛容な保守」を標榜し、まっとうなリベラルにさえ聞こえるLBGTの権利(事実上の同性婚の是認)や働く女性の保護支援を主張し、原発ゼロまで口にできるのだから、有無を言わさぬ小池独裁の力量は凄まじい。

矢継ぎ早に14名の参加議員と共に結党会見を行った時には、小池百合子はすっかり解散総選挙の主役になり、安倍はその存在感すらまったく消し飛ばされてしまったように見えた。

党名発表会見で、小池は「希望の党」という名称は2月には自ら商標登録をしていたと明かした…というより、自分の用意周到ぶりを誇示した、と言ったほうがいい。小池自身をイメージしたとしか思えない緑のスーツの女性が登場するキャンペーン動画も、ひと月前には製作にかかっていた、という。これまでメディアの憶測がさんざん飛び交うなかで沈黙を守り秘密を保持しながら、大方の予想に反し小池は最初から自ら国政政党を率いる準備を着々と進めていたのだ。

これはターゲットとされた自民党にとって、相当に不気味である。用意周到といえば、関東大震災の慰霊の日に、小池は今年、唐突に、朝鮮人虐殺の慰霊祭への挨拶文の送付を止めていた。オリンピック開催都市の首長としてのこれまでのソツのなさからすれば、まったく意外な「極右」色を見せたのは不可解だったが(一時は都民ファースト代表でもあった側近の野田氏がひどい極右なのだが、彼女は同党議員にマスコミ取材を禁じてまで、そのことを完璧に秘匿して来た)、なんのことはない、新党に日本のこころすら引き込む布石だったのだ。このカルト右翼政党を安倍から引き離せれば、熱烈な極右支持層というかいわゆる「ネトウヨ」を分断させ、安倍にとって強烈な精神的ダメージになる。またつまりは、小池は8月末には安倍が加計・森友疑惑の追及から逃げるために解散するかも知れない、と予測して布石を打っていたのだろう。

だが結党会見で、都知事としての公務のため小池自身が退席するまでは完璧に見えた小池劇場は、その直後から小池が想定していなかったほころびを見せ始める。まずちょっとした爆弾になったのが中山恭子で、落選中の夫・中山成彬を復帰させたくて夫婦で合流したというのがもっぱらの見立てだが、気付いたときには自分が露骨な「反・安倍」に取り込まれていたことに、まさか抗弁するわけにもいかなかったのだろうが、とんだ不規則発言で「希望の党」自体の信頼性を揺さぶってしまった。なにしろ「今ここで初めてお会いした人も」というのは、これから同党に「野合、選挙目当ての烏合の衆」批判が集中するきっかけにもなりかねない。

果たしてその中山恭子の揺さぶりを裏付けるような、しかも遥かに大きな「想定外」が、この日の午後に起こってしまった。民進党が合流するという話が、極めて未熟な段階なのにマスコミで大々的に報道されてしまったのだ。

「民進党大合流」はなぜ迷走したのか?

最大野党ではあっても支持率に伸び悩む民進党がまるごと小池新党に合流することそれ自体は、自民党にとって強烈な打撃になるはずの、有効な戦略だ。前原代表のいう「名を捨て実を取る」のも、安倍政権をなんとしても打倒するためなら、ひとつの選択ではある。

小池百合子の側では彼女の人気頼りで組織がなく、メディア露出を駆使した空中戦しか闘う手段がなかった。年末締めで計算される政党交付金の受給対象になってないので資金も不足している。地方組織をまったく持たないのでは、「政権選択選挙」を標榜するには不可欠な、全国に候補者を擁立するのは不可能に近いし、結党の国会議員14名に至っては「極右とポンコツ」「小池なしには落選確実」と揶揄されるような面々ばかりだ。民進党が単に選挙協力でなく、その組織がまるごと合流すれば実績も堅実な支持層もある議員も少なくなく、しかも総選挙に使える資金は110億(一説には140~50億)も積み立てられていた上に、民進党の最大の支援団体の連合もバックにつく(現に前原と小池の会談には、その連合の神津会長も同席していた)。小池新党の弱点は一気に解消されるし、民進党にとっても小池人気で浮動票を動かせることになり、つまりは安倍自公連立にとっては大変な脅威になるはずだっだ。

また小池にとってはもうひとつの弱点である「スネに傷」、つまり過去の「アメリカの核ミサイルを東京に配備する」といった極右層へのリップサービスや、自身が日本会議のメンバーでもあったり、側近の野田氏が極端な差別主義者であると言ったカルト保守色を極力隠し、悪いイメージを克服しなければ、幅広い支援を得るのは難しい。中道リベラルの民進党の合流は、すでに知事として表明し続けている多様性の尊重や女性の権利・男女平等アピール(オリンピックにかこつけて名門ゴルフ場に女性正会員を認めさせたのも記憶に新しい)の延長で、党名発表会見で標榜した通りの「寛容な保守」を全面に打ち出せる、プラス材料にもなるはずだ。

とはいえ、あまりに大胆なサプライズではある。破壊力はとてつもないだろうが、両刃の剣でもある

計画したのがもちろん、まったく水面下で動きメディアもほぼノーマークだった自由党の小沢一郎であるのは、永田町ではほぼ一致する暗黙の了解だろう。小沢が、ということは、表面上は政策理念が違い過ぎて一緒に動けない共産党と社民党とも、いわば「あうんの呼吸」で既存の野党共闘を継承した候補者棲み分けなども含まれたパッケージだったはずだ。要するに民進党が進めていた共産・社民両党との各選挙区での連携をそのままにすればいいことでしかないのだから、水面下で「打倒安倍」の共通目標の互いの納得さえあれば、それ自体は簡単なことだ。

そこで実現できたであろう、自民・公明大包囲網が突然、公示直前にでも一気に明らかになれば、自民党へのダメージは計り知れなかったはずだ。

そのインパクトは小池が真に狙って来ていた自民党の票を奪うことだけでも済むまい。森友・加計問題とその対応のひどさ、法学の知識さえちょっとあればナンセンスとしか言いようがない9条改憲案を強行しようとしていることなどへの不満から、党内でも安倍一強の構図はすでにほころびを見せている上に、党利党略とすら言えない「自己都合解散」で、しかもそこで唐突に言い出したのが党内でも異論の方が多い、取ってつけたような「消費増税2%の使い道」だ。

北朝鮮が危ない危ないと言い続けているのにこのタイミングで解散というのも滑稽過ぎるし、外交安全保障なら元防衛相でもある小池の方が頼りになりそうではないか。しかも解散となって地元に戻れば、こと加計問題をめぐる対応のあまりの酷さや共謀罪法案の審議のみっともなさは、支持者からも苦言が少なくないだろう。なんと言っても高い内閣不支持率の理由のトップは「総理の人柄が信頼できない」なのだ。そんななかで公示の数日前にでもこのプランが突きつけられれば、自民を離れ小池の元に馳せ参じる議員だって少なくなかったのではないか?

だがこうした目論見のすべては、タイミングに大きく左右される。民進党との大合併となれば、いわゆるリベラル派とされる、党内や国会での論戦でとくに活躍が目立つ議員たちは、小池新党にとって即戦力にもなり得ると同時に、政治理念の違いから「選挙目当ての野合」と自民党側から責め立てられるウィークポイントにもなるのだから、それを吹き飛ばすだけの勢いというか「風」がなければ、計画はむしろ小池人気の大失速を招きかねない。

それに民進党側でも、前原が党内の不満を押さえられなければ最悪分党になり、最大支持団体である連合も離反し、小池がなによりも欲していた組織はまったく使えなくなる。言うまでもなく、選挙資金も全額では確保できない。リベラル派が分党すれば共産党・社民党と共同戦線を強化させるはずだし、野党票が分断されれば結果として有利になるのは自公両党だ。それになんといっても合流をめぐるゴタゴタが大きく報じられれば、マイナス・イメージが大き過ぎて浮動票は激減する。

こうしたマイナス面は、繰り返すが発表の際のサプライズの大きさで「風」を起こすことで十分にカバーできたはずだ。しかしそのためには、本決まりになるまで情報を絶対に表に出していけないのが鉄則であろう。こと小池百合子はそうした情報のコントロールに長けていることが最大の武器のひとつの政治家で、情報公開を標榜しながらも交渉過程の秘密は徹底して守るやり方が、都知事就任後には「秘密主義」「ブラックボックス」と批判されてもまったく意に介さないほど、この点での確信も強い。

ところが、民進党大合流の第一報は、結党会見の日、つまり解散前日の、午後のワイドショーだった。

どう考えても最悪のタイミングであり、中身もまだ固まっていないのに、相当にややこしく、いかにも疑問や反感が出て来そうな素案に過ぎない詳細までが、なぜか報じられてしまったのだ。

民進党の党籍はそのままに、希望の党の公認で立候補すると言われては、ワイドショーのコメンテーターだって「分かりにくい」という以外に論評のしようもあるまい。憮然とした表情で記者達の質問に答えず通り過ぎる前原代表という映像も最悪の印象だったし、相変わらずの鉄面皮で動揺を一切見せない小池も、心中は怒り心頭だったことだろう。小池のこれまでのやり方からすれば、こんな情報漏洩はこれ以上はないほどの許せないだらしなさだし、なんと言ってもせっかくの大胆過ぎる計画のインパクトが、まるで台無しになってしまう。

秘密でなければならない計画が、報道の台風の目に

選挙戦序盤でとにかくメディアの注目を独占という点では「小池劇場」は成立したとはいえ、こんな注目の集め方はまったくの想定外だったろう。メディアを利用して攻勢に出るどころか、「選挙目当ての野合ではないか」という批判の渦中に防戦一方になってしまい、しかもその防戦の拙劣さで傷を広げるばかりになってしまっている。

もちろん、この大合併が選挙目当てなのは確かだ。しかし大目的は安倍政権を倒すためのはずだし、そうでなければ小池にとって意味はなかった。しかし民進党候補が希望の党の公認を得るための条件が、いわば「もののはずみ」で安全保障と憲法問題になり、しかも「野合」批判を恐れた小池が「全員受け入れ」ではないと強調したいあまり、そんなつもりは「さらさらない」、「排除します」という攻撃的な言葉まで使ってしまった。

右派・自民支持層からも、ここで「排除」されかねない民進党リベラル派を支持する中道や左派の側からも、希望の党が集中砲火を浴びることになったのは、そもそも未熟な段階で計画が報道されてしまったからだ。小池の極右の本性が露になった、日本会議による護憲派潰しの陰謀だ、といった憶測も飛び交っているが、客観的に見る限り、小池自身については「野合」批判をなんとか振り払おうとしたことが裏目に出ただけ、後は妙な思惑が複雑に入り組んだ偶然というか悪運の連鎖だろう。

もちろんこのリークは、どう考えても民主党サイドからのものだ。

希望の党側では小池しか交渉の存在自体を知らなかったし、小池自身なら秘密は死守できていて当然だ。民進党サイドでも前原=小池交渉がほとんどの議員にとって寝耳に水であった以上は、これは前原のごく側近からメディアに流されたものだ。小池が前原と民進党に不信感を持つのは当然で、交渉は大変に厳しいものにならざるを得ないし、案の定自民党から出て来た「野合」「烏合の衆」「選挙互助会」批判に反論するためには、政策や理念の一致を条件として公言せざるを得ない。

だがそこで「憲法と安全保障」をつい言ってしまったのは、小池には珍しい失言というか、あまりに軽卒なミスだった。しかも負けず嫌いな性格が災いして、まるごと受け入れ(それが元々の狙い・資金と組織を得て、しかも自民党に強烈な精神的ダメージを与えられる)のつもりは「さらさらない」、意見が合わないなら「排除する」と繰り返してしまったのだ。

「踏み絵」騒ぎや「排除リスト」の裏で、なにが起こっているのか?

しかしこの「踏み絵」騒動は、いったいどういう理由で出て来たナンセンスなやり口なのだろう? 民進党と並行して小沢一郎の自由党との合併協議も進んでいたはずだが、小池が口走ってしまった「憲法と安全保障」が具体的に安保法制への賛否だというのは、細野豪志が言い出したことなのか、マスコミの憶測が先立って細野がそれに乗せられたのか、それとも小池の思いへの忖度のつもりで細野・若狭らがやってしまったことなのか、いずれにせよよく考えればまるで馬鹿げている。これでは小沢一郎は(もっとも明確な理論で安保法制の違憲性を断じていた1人であるだけに)離れざるを得ないし、なによりも民進党も(そして自由党も)あれだけ激しく安保法制を違憲だとして反対して来たはずだ。それが小池百合子に「踏み絵」を突きつけられたくらいでコロっと政治姿勢を変えるなら、そんな変節漢の政治家たちを、果たして有権者が信用するだろうか?「勝つ気(自党の候補を勝たせる気)がない」としか思えない。

さらに9月30日・10月1日の週末には、メディアには希望の党の「排除リスト」なるものまで流出し、「踏み絵」を具体的に文書化した「政策協定書」まで報道されてしまうなか、小池はといえば維新の党代表の松井大阪府知事と、愛知県の大村知事とともに「三都物語」なる大都市連携を発表し、維新との選挙協定まで結んでしまった。大阪選出の民進党議員や立候補予定者が出馬できなくなるだけでもとんだ裏切りだが、なんと言っても「維新と組む」のでは、これまで小池が慎重に隠して来た極右・全体主義イメージが全面に出てしまい、民進党の一部を「排除」したり、大阪の民進党候補を冷酷に切り捨てたりという冷酷なイメージとも悪しき相乗効果になってしまう。これでは「自民党補完勢力」宣言にしか見えない。

「踏み絵」を本当に小池が言い出したのかどうかもよく分からないが、そんなものが公になってしまえば勝てる見込みは激減してしまう上に、最初のバージョンでは安保法制に賛成しろと迫る文面で、それが決定稿ではいささか曖昧な内容に変えられたことまで報道されてしまった。そこで作成したのは自分だと名乗り出たのが民進党の原口一博だ。旧民進党の中で排除や足の引っ張り合いの醜悪な内ゲバが起こっているなんて、シラを切ってでも誤摩化して火消しに走らなければ、報道がネガティヴ・キャンペーンに覆われるのも目に見えているのに、「危機管理」ということがまったく出来ていないのは呆れるばかりだ。まるで「パンドラの函」を開けてしまった大混乱と言った感じで、都議会選圧勝直後に都民ファーストに厳格な箝口令を敷いたのと同じ小池百合子の政党とはとても思えない。

もしかして小池百合子がすっかりやる気を失って放置状態になった希望の党が、小池代表以外の役職も決まっていないなか、ガバナンスがすっかり崩壊した混乱状態にあるのではないか? なにしろ期待した民進党の資金は事前に各議員に分配された1人あたり1500万以外は得られないどころか(そこでその中から500万だかを党に上納しろ、という話まで報道されてしまった)、希望の党が持っていない組織力を民進党のそれでカバーするのも難しく、連合も「排除」の論理に露骨な不快感を示して支持を撤回している。これでは選挙に勝てるわけもあるまい。

このままでは、小池は都知事の職務に専念すると言い張って、衆院選に立候補はしないだろう。

現に本人も完全否定しているが、最初からその気がなかったのなら、わざわざ「リセット」と称して自ら代表になる必要もなかった。自民党・公明党を打ち負かして初の女性首相という野望に見込みがないのなら、わざわざ批判覚悟で民進党を受け入れる必要すらなかった。すべてが安倍政権を倒す戦略のはずだったはずが、逆に勝ち目がないと踏めば、小池は(安倍が自分が嫌われていると気付いていないのをいいことに)むしろ安倍政権の補完勢力になって立場を温存することすら選びかねないところが、この人の常軌を逸した恐ろしさだ。

都知事としてなら、政権と良好な関係を保つのも理にかなってはいる。この切り替えの早さだけはさすが小池百合子だが、満足しているわけもあるまい。ポーカーフェースの笑顔こそ崩さないが、目の表情の険しさに、失望というより怒りは、確かに垣間見える。

中野信子(脳科学者)「女性でこういうサイコパスは珍しい」

結党会見を受けたワイドショー報道で、小池百合子を「あっぱれ」と評した脳科学者の中野信子氏が「女性でこういうサイコパスは珍しい」と(生放送なので、思わず?)話を続けた。「サイコパス」というと日本では漠然と、猟奇的な連続殺人の殺人鬼かなにかのように思われがちかもしれないが、中野信子氏はNHK-BSの日本史番組「英雄たちの選択」の常連出演者でもあり、そこで彼女がいつも「サイコパス」と断言するのが織田信長で、豊臣秀吉もその可能性が高い、と言うのであればイメージがはっきりするだろう。

確かに、小池百合子について誰もが認める大胆な勝負勘の鋭さや意表を突いたサプライズで敵を心理的に追いつめ思考停止させてしまう攻撃性と、感傷性をまったく排した極端な合理主義のマキャベリズムは「女・信長」みたいなものであり、たとえばサプライズ戦略と勝負勘の鋭さでは、電光石火の奇襲で今川義元を滅ぼした桶狭間の合戦が思い浮かぶかも知れない。

また小池が民進党の前原代表や連合の神津代表を口説き落として巻き込んだのは、戦よりも調略の天才として天下統一を成功させた秀吉的な「人たらし」の才も指摘できる。この自民公明大包囲網がもし成功していれば、秀吉が一夜城作戦などを駆使して大きな戦闘もなく北条氏を屈服させた小田原攻めにも似通っている。

小池のように意表をついたサプライズを緻密な計算で準備しつつ、一切それを口外しないのでは、当然ながら独裁色も強くなるし、自身のマキャベリズム的な合理性の知略に絶対の自信もあるのであろう、その結果、自分の下にある者は強引なカリスマ性で絶対服従体制に巻き込むと同時に、まともに人として扱わないところがあるのも、いかにも信長的だ。

党名発表会見で小池が、それまで若狭・細野の両名に新党の準備を任せて来たのを「リセット」と公言したのも、2人にとっては大変な侮辱だし、若狭などは2時半からの会見を1時50分になって初めて知ったという。ここまで足蹴にされ恥をかかされながら、2人はそれでも粛々と小池「殿」の覚え目出度きようにと「リベラル派」の排除に一心不乱になっているのだが、織田信長がしばしば部下を、他の家臣の面前で罵倒し侮辱したことはよく知られている。信長が腹心の臣・明智光秀に本能寺の変で殺されることになったのも、歳上で初老の光秀が信長に公衆の面前で罵倒されるどころかはり倒され、この怨恨が謀反の動機となったという説すらある。

光秀でなくとも織田家臣団の誰かが、信長に耐え切れずに謀反・暗殺を企てるのは時間の問題だったという研究者も少なくない。家臣団への人を人と思わぬ扱いの一方で、彼らの功績を差し置いて息子たちを重職につけ始めれば、家臣は自分がいつ殺されるのかと怯え、謀反も考え始めるのが当然なだけではない。当時の日本の仏教を重んじる価値観では、武家として殺生を生業としながらも、だからこそ仏罰を恐れ、戦死者や殺した相手の菩提を弔うためにも寺社の造営や保護に熱心だった戦国武将の標準に反し、信長は比叡山や琵琶湖畔に広がる多くの天台宗寺院を焼き討ちし、浄土真宗門徒の庶民の虐殺を繰り返し、日本仏教のもうひとつの聖地・高野山の破壊も計画していた。本能寺の変は、恭順を表明しようとしていたはずの四国の長宗我部氏を武力攻略する直前に起きているし、そうなれば真言宗を中心に様々な霊場や聖地のある四国でも、虐殺が繰り返されたかも知れない。

当時の価値観ではあり得ないことを平然とやり続けた信長に通ずるイメージは、「しがらみ政治」をバッサリ切り落とそうとする小池にも確かにあるし、そんな信長だからこそ押し進めた兵農分離の大改革(それまで一般兵士には領内の農民がかり出されていたのを、職業兵士の「足軽」として城下に住まわせた)や楽市楽座制度(領主や土地所有者の関所や寺社に管理されない自由な経済流通)など、日本社会を中世から近世に作り替えた合理主義の先見性と、そこに社会を巻き込んだ強引な発信力・推進力に通じるものも、確かに小池の政治手法にはある。

人を人とみなさない、普通の人間の感情が欠如しているとしか思えない冷酷さでは、豊臣秀吉も負けてはいない。子がなかったので甥の秀次を養子にして関白位を継がせたのを、側室の淀殿に男子が産まれると難癖をつけて切腹まで追いつめ、その妻女側室など三十余名を京都四条河原で惨殺させたり、無謀としか思えない朝鮮出兵では凄惨な残虐行為を命じたりしたのが晩年の秀吉だが、あまり知られてはいないものの若い頃だって相当なものだ。主君の信長が越前の浅井長政を滅ぼした時、秀吉はわずか10歳の嫡男を串刺しにして殺し、死体を晒しものにしている。この少年の実母ではないが、我が子のように可愛がっていたのが信長の妹で長政の妻・市で、この市に横恋慕していたらしい秀吉は、信長の死後に市の再婚相手の柴田勝家を攻め滅ぼしたとき、城外から「市を出せ」と兵士達に怒鳴らせている。好きな女を口説き落とすのにこんなやり方もない。はたして浅井長政とは死に別れた市だが、この時は頑に勝家と共に城中に残り、死ぬことを選んだ。だが秀吉がさらにとんでもないのが、その市と浅井長政の娘・茶々をかなり強引に側室にしている。養子の秀次が殺されるきっかけになった男子を産んだ淀殿だ。

脳科学者である中野信子氏が信長や秀吉を「サイコパス」と言うのは、別に悪魔視のレッテル貼りで否定するためではない。もちろんサイコパス、非社会性パーソナリティ障害には、そもそも「人を人としてみなさない(みなせない)」というか、通常の人間にある感情的な共感能力や良心の呵責が欠如しているので「巻き込まれたら大変」なのはその通りだ。しかし一方で、依存性パーソナリティ障害(日本には多いと言われる)や自己愛性パーソナリティ障害(安倍がそうだと指摘する精神科医は少なくない)と違って、独立心が強く知的能力が極端に高い場合が多いため、それを活かし実行する能力にも優れたいわば「天才」にもなり、強いカリスマ性で社会そのものを巻き込んで行くことが、社会や時代を前に進めて行く原動力になるのも確かだ。

小池百合子を「サイコパス」と評するのも政治的能力の高さを認めているのが前提で、「こういうサイコパスは女性には珍しい」というのは未だに男尊女卑の傾向が政界ではとりわけ強い日本において、必ずしも否定的な評価ではない。

ただし小池百合子にサイコパスというプロファイリングが当てはまるなら(つまり信長・秀吉タイプなら)、それは主に二つの点で危険でもある。

まず信長や秀吉がそうであったように、こういうタイプの政治家は本質的に独裁者だ。民主的な合議制でいちいち多様な意見を諮り取りまとめて合意に達してから実行というのは、このタイプの人間には無駄にしか思えない。「決められる政治」「スピード感」というのは要するに独裁傾向が強いことであり、しかも知的能力も高いのであれば、非社会性パーソナリティ障害とはそもそも非人間的なまでに合理的な人格なのだから、自分の大胆ではあっても計算しつくした独断の方が正しいはずだ(そして、現に直接的・短期的な目標についてはそうである場合が多く、議論したって論破できてしまうのが普通だ)。

小池百合子に極右的で全体主義的な傾向があるのは(都知事選以降巧妙に隠して来たが)その通りだろう。だが彼女がたとえば「日本会議」のメンバーであることをあげつらって「安倍の仲間だ」などと叩くのは、恐らくは拙劣で的外れな思い込みでしかない。まず極右との付き合いは彼女にとって出世の方便、利用するものでしかないし、信念…という感情的な美化の入り込んだものですらサイコパスならば当てはまらないので、彼女がこれこそ合理的で正しいと思っているであろうことの全体主義性とは、それが合理主義に基づくだけに、安倍や自民右派に見られるような子供っぽい感傷的ナショナリズムより遥かに強固で強力だ。

たとえばオリンピック前に国際標準で整備しなければならない受動喫煙防止の対策も、自民党では党内の反発でなかなか決まらず、たぶんに骨抜きな内容になったのを、小池は東京都で極めて合理的で厳格な一連の条例を制定しようとしており、その第一弾の子供の受動喫煙防止はつい最近都議会で可決された。確かに子供の段階で受動喫煙を防止するのは健康対策として理にかなっているし、その意味で小池の方針は極めて合理的だが、まず子供から入るということは、家庭内の私的な問題への行政の全体主義的な介入にもなることに、小池が躊躇することはまるでなく、また「健康のためよ、子供は大事でしょ」と言われれば、どっちにしろ反論は難しい。

秀吉は一般には農民同然の低い身分から天下人に上り詰めた庶民派のイメージが強いが、その押し進めた刀狩りと特に太閤検地は、確かに全国で田畑の面積や収穫高の単位を統一したのは極めて合理的だったと同時に、刀狩りと合わせてこれは農民層から自分達が自由でいられる範囲や、それを自衛する力を奪うことも意味する、極めて全体主義的な色彩の濃い政策でもあった。すでに信長の段階で兵農分離が制度化されたところで刀狩りと検地が徹底されたことで、秀吉自身のような階級を超えた下克上は限りなく不可能になり、農民は土地に縛り付けられ、合理的に搾取収奪される全体主義体制が出来上がったのだ。

こうした全体主義には、反抗が難しい。確かにその方が速やかで合理的であり、感傷に引っ張られないぶん個々の局面における戦略的判断にも長けているのだ。そんな小池的な全体主義は、たとえば「国家戦略」などと上辺だけの虚勢を言い張るだけで中身が国内引きこもりでしかない子供染みた「おじさん政治」より、遥かに国益にかなった外交だってできるだろう。

もし小池が総理になれば、安倍が決定的に悪化させた対中関係や、妙に卑屈に下手に出ては籠絡されっぱなしの対ロシア外交、媚を売り続けることで足下を見透かされて適当にあしらわれているだけの対トランプの日米外交のいずれも、劇的に改善するだろうし、安倍ならば「圧力を」一辺倒だが打つ手はなにもなく対米依存しかできていない北朝鮮との関係も、巧妙に日本の利害を国際社会に反映させられるかも知れない。

「人を人として扱わない」「人の気持ちがわからない」合理主義マキャベリストの欠陥

トップが正しい判断を下す限りにおいて、全体主義がもっとも合理的な政治システムであるのは、プラグマティズムの観点からは、確かにその通りではある。それが小池百合子の確信であるのなら(サイコパスなのであれば、そうなるはずだ)、その全体主義は圧倒的に効率がよいだけに、潜在的には遥かに危険でもある。安土桃山時代の日本史を振り返っても、織田・豊臣両政権は、ともに「戦国時代を終わらせた」というより、戦国時代の残酷さをピークまで高めたと言った方が適確で、そのあまりにものひどさにうんざりした時代の気分が、結果として徳川家康の天下統一とその幕府が追及した、支配層をこそ厳しく律する庶民ファーストの絶対平和主義を強く後押しすることになった。

小池百合子の危険な欠点のもうひとつは、むしろ彼女自身にこそ跳ね返って来るものだ。織田信長の政権がその絶頂期においてこそ崩壊の一触即発の危機にあったり、晩年の秀吉が人望を失い、その死後豊臣政権が急速に求心力を失ったこと、それも統治実務の能力は極端に高いが反感ばかり買ってしまう石田三成に秀吉が後を託していたことの失敗と同じようなことが、希望の党には起こっているようだ。

強烈なカリスマ性と高い戦略性や知的能力で配下をねじ伏せる小池的な支配は、本来なら自分を支えるはずの人材さえ思考停止に追い込む副作用も強く、そうした状態ではこと男性の場合、上の立場にある自分に忖度しなければという焦りと、過去の遺恨や嫉妬などの感情がないまぜになって、驚くほど愚かなことをやってしまいがちだ。秀吉の晩年に、共に秀吉を親のように慕っていたはずの石田三成と、加藤清正・福島正則らの反目が表面化して、豊臣政権が自壊していったようなケースも考えてみて欲しい。男の嫉妬と上に立つ者への男のへつらいほど、世に害悪をもたらす感情はないのかも知れず、こと日本の場合にはこれが昔から極端で、こうした負の感情の連鎖が誰かの主体的な意志や野心というのでなく、大事件や歴史の大転換に至ったケースも、決して少なくない。

民進党内の私怨・恨みつらみが潰した倒閣戦略

おそらく小沢一郎の構想でもあったのであろう、小池百合子が安倍を倒せる大作戦がなぜ不発に終わったのかといえば、まず民進党の大合流が極めて不完全な素案の状態でなぜかマスコミにリークされてしまったせいだ。ではなぜこんなリークが起こってしまったのかといえば、リーク元は民進党の、それも前原の側近つまり「保守派」の誰かしか考えられない(他の者であれば、そもそも知らなかったはずなので)。

ではその動機はどこにあるのかと言えば、彼らは「安倍政権を倒す」という大合流のそもそもの目標よりも、こと野党になってからの民主党・民進党で常に脚光を浴び国会での活躍も目立った枝野幸雄や辻元清美(それに既に離党しているが山尾志里)らを排除することに熱中してしまった結果ではないのか?

希望の党に「民進党まるごと」が合流して安倍政権と対決するのなら、論戦で目立つことになるのはまず小池百合子本人と、安倍政権をこき下ろすことの舌鋒の鋭さでは「リベラル派」の方が遥かに弁が立つ。これでは例えば、すっかり精彩を欠き、自分の憲法改正論をぶち上げたはずが世間にまったく無視されただけの細野豪志には出番がないし、まして原口一博と言った面々はまるで埋没した小池コバンザメにしかなれまい。ならば「まるごと」が本決まりになる前にマスコミに流せば合流話は既成事実化するので、まずその「リベラル派」も異論は唱えられなくなるし(現に両院議員総会は「満場一致」で終わった)、「まるごと」ではないように仕向ければ、追い出す契機は確保できる。

小池には小池の戦略と事情もあったろう。過去の民主党政権のイメージがあまりに悪い以上、「まるごと」と言っても菅直人・野田佳彦の両元首相や、その政権中枢にいた者たちは、それぞれの選挙区では強くとも、党全体にとってはマイナス・イメージになる。最低限そこは詰めなければいけなかった(民主党政権で活躍の目立った、たとえば菅政権の官房長官だった枝野幸男や、小泉政権と対決した時の民主党代表であり鳩山内閣の外務大臣だった岡田克也などは、黄色信号になる)し、先述の通りの「理念も共有しないどうしの選挙目当ての野合」批判は、なんとしても押さえ込まなければならない。

そんな複雑な文脈をより混乱させた原因について、細野の「三権の長経験者は遠慮願いたい」発言は極めて分かり易かった。一見、小池の意志を憶測して代弁している(忖度とへつらい)ようだが、一方で細野と野田佳彦のあいだの遺恨は凄まじい。野田政権の末期に、民主党内では消費増税の決定を強行したこともあって内政的にあまりに不人気で、外交では対中関係を悪化させた結果対米関係も悪化に至った(尖閣諸島国有化に反発せざるを得ない中国がIMF東京総会に閣僚級の派遣を見送ったことで、リーマン・ショックの後始末をIMFが決められなくなってしまい、当時のオバマ政権も微妙な立場に追い込まれた)野田を退陣させ、細野を新代表に選び、小沢派も呼び戻して体制を建て直した上での解散総選挙という動きがあった。これに反発した野田がいきなり安倍との党首討論で解散を口走った結果、民主党は政権を失い、安倍政権がもう5年近く続いている。

過去と遺恨に囚われる男たちと、小池百合子の切り替えの早さと

野田にしてみれば自らにとって替わろうとした細野は許せないし、細野にしてみれば野田の愚かな解散で民主党は惨敗して政権を追われ、自分は首相になるチャンスを奪われてしまった恨みは深い。そして野党になった民主党・民進党で、細野はどんどん立場を失っていった。小池に配慮するつもりで、細野は(もしかしたら無自覚にせよ)自分の私怨の鬱憤を晴らしていただけなのだが、その細野をコントロールすることが小池には出来ていないようだし、「リセット」したはずの細野と若狭のライバル関係も見るからにギクシャクしたままで、民進党合流の交渉はどんどんおかしな方向に進んでしまった。

細野がどうしても野田を入党させたくなかったとしても、なにもマスコミの前で「三権の長経験者が」などというのでは、やたらと感じが悪いだけだ。しかもその細野がなまじ小池に忠実に見えるだけに、細野への反感は小池への不信に、世論・有権者のあいだではすり替わってしまう。これでは希望の党自体がどんどん失速してしまう。

小池のもうひとつの危険性、極度の合理主義者でマキャベリストないし「極めて有能なサイコパス」であることの欠点は、こうしたいわば「健常者」の標準的日本男性の感情的な、およそ非合理な屈折を根本的に理解できていない、直感が働かないので対応が後手後手に廻ってしまうところではないか。

いや理屈ではほぼ完全に把握しているだろうし、計算に組み込んで利用しようともするだろう。だがこうした心理は理屈だけで完全に「理解」できるものではない。サイコパスが「人を人として扱わない」のは、こうした感情の微妙な機微に直感的に反応して理解する回路が意識から欠如しているからであって、本人が利己主義で身勝手な欲望しか考えないからではないかと思いがちなのは少し違う。いわば「人の気持ちより理屈」だからこそ、普通の人間にある人間的感情や、論理性よりは感覚・美意識に結び付いた善悪判断つまりは「良心」と普通ならみなされるものが、こういう人達には欠如しているのだろう。

正誤や善悪の感覚は、多くの場合直感的な美意識と結び付いている。法治国家といえども外形的には同じ犯罪が、一方では同情を集め、他方では厳しく世論に断罪されることが多く、理屈だけでは説明がつかないのはこのためだ。だが小池のようなタイプの人達にとっては、それですら完全に合理性・論理性の問題になる。

再び信長の例でいえば、昨今の研究では信長が最初から天下統一の野望を持っていたわけではない可能性が指摘されている。むしろ足利義昭に室町幕府を復興し自分を将軍位につけるよう懇願された時、信長は心から将軍家の復権による秩序の回復を信じていたと考えた方が、従来の「野心に利用した」説よりもはるかに史実に適合するのだ。信長は確かに義昭に忠節を尽くし、新御所の建設では陣頭指揮に立ち、自ら石を運んだりまでしたらしい。しかしその新将軍の「自分とお友達ファースト」っぷりが目に余るのでさすがに諫言せざるを得ず、その結果義昭に疎まれ、裏切られて信長包囲網を作られ、それでも討ち取るか処刑できるチャンスがありながら、最後の部分で忠節は曲げず、義昭を殺しはしなかった。そこで再び義昭に裏切られても、信長はそれでも義昭を殺しはせず、追放しただけだった。

その後の信長の暴れっぷりからは一見、想像もつかないことだが、将軍家への忠節は理屈として正しいからそれを貫き、将軍本人の人格のひどさでそれが守り切れないと分かるとさっと自ら天下統一を目指してしまえる切り替えの早さは、あくまで理屈であって感情的な執着の対象ではない「正しいこと」、感情の入った「信念」ではなく自らの考え抜いた合理性の確信であったのなら、ほぼ説明がつく。信長の主観でみれば、悪いのは将軍にふさわしく振る舞おうとせず自分を裏切った義昭なのだ。サイコパスなら「自分が信じる正義」についても感傷や感情に基づく執着がほとんどないので、自分が傷つき反省しないで済む形で誤算や失敗を認識できるのなら、切り替えは早いはずだ。

切り替えが早過ぎた?小池流「撤退戦略」のほころび

こうした切り替えの早さは、「政界渡り鳥」と言われるほど所属政党を乗り換えてしぶとく生き延びて来ながら、基本的な政治姿勢にはブレがない小池百合子についても指摘できる。

今回でも、党名発表と結党の会見では野心満々に安倍を打倒する意志を示し自ら代表となりながら、裏で進めていた民進党大合流の名も実もとる大サプライズ(フジテレビの報道によれば、小池と前原は安倍の解散の意向が報道された9月17日の翌18日から直接接触を始めている。そして党名発表の前日に小池は前原に、細野・若狭体制なら乗れないが、自分が代表になるなら乗る、と言わせている)が不発と判断するや、維新と連携しつつ細野と若狭の主導するリベラル派排除はあえて放置し、右翼色の強い安倍補完勢力のイメージをあえて打ち出してみせた。

だがこの連携を仲立ちしたのが、安倍政権の国家戦略特区を仕切る竹中平蔵だという内輪の事情までリークされたのは、小池があれだけこの特区制度を批判したことは、どうなってしまったのだろう? 竹中平蔵の関係者がこの特区制度で利権や恩恵を確保していることも、名指しこそなかったが党名発表の時に皮肉られていたはずだ。

切り替えのスピードが早過ぎるところにも、「人の気持ちを理屈でしか理解しない」サイコパス的な心理の欠陥が出てしまっている。小池自身は計算高い戦略性で撤退に方針を素早く切り替え、その撤退戦略もそつなくこなしているつもりだろうし、いかにも最初から決めた通りであるかのように装ってはいるが、やはり拙速でほころびだらけであることは否めない。まず小池の最大の武器である浮動票については、この分かりにくさはあまりに打算が先に立った陰謀家に見えてしまい、信用されなくなっていく。


「学級崩壊」状態の希望の党はどこに向かうのか?

なによりも、自分の真意を党内にちゃんと共有できていないことが裏目に出て、そもそも小池代表以外は役職すら決まっておらず組織がガタガタどころか組織が「ない」に等しい希望の党全体の迷走っぷりは目もあてられない。

「排除リスト」や「政策協定書」の踏み絵文書が報道に流れてしまう情報管理の不在はお話にならないし、強引に安保法制を認めさせるのではさすがにまずいと気付いて改訂したことまでバレてしまったり、若狭が「過半数擁立はしないかもしれない」政権奪取は「次回か次々回で」と言ってしまって小池がそれを慌てて打ち消したり、挙げ句に1次公認の発表は1日ズレ込み、「しがらみ政治の打破」とは裏腹に、妙に中途半端な党利党略や私怨があからさまに反映されたものになってしまい、その下心がさんざんワイドショーで政治評論家たちのサカナにされてしまうていたらくだ。

さらに都知事続投を公言している小池の、その足下でも、都民ファーストを支えて来た音喜多俊、上田令子両都議が離党を表明、小池の政治体質を厳しく批判し始めている。音喜多都議に至っては、このタイミングの離党の理由を、自分も都議をやめて衆院選に出るよう迫られたこと、このままでは無条件に希望の党を応援しなければならなくなることまで挙げた。ここでも「人の気持ちが(直感的に)理解できない」小池百合子の弱点が露呈している。

「希望の党」の党名を発表と、結党の会見の際の新鮮な勢いと迫力は、一週間も経たぬうちに過去のものになってしまい、自民党がおもしろがってその野合の烏合の衆っぷりや迷走を批判し揶揄するような始末だ。

安倍はともかく、自民党内には分かっている者も少なくないはずだ。小池百合子は自分が出馬することで確実に勝てるなら確実に出馬するが、それでも勝てないと分かっているなら玉砕覚悟の捨て身の選挙なんてやるには賢過ぎ、狡猾すぎる戦略家だ。小泉進次郎辺りが盛んに挑発するかのように出馬しろと言うのは、彼女が出馬する環境を整えることはできなかった、つまり自民党には十分に勝機が見えて来た、ということだろう。

民進党の分裂で、三極分化の選挙戦へ

「安倍政権打倒」そっちのけで、大目的を忘れて党内プチ・ファシズムに陥った、まるで1945年4月のナチス政権内部のパロディみたいな状態に陥っている希望の党の、卑屈で屈折した中年男性たちによる「リベラル派大粛清」騒ぎは、こうした歪んだ精神状態の、とくに男性が、他人や他者についてまったく考慮できなくなりがちなことの典型で、さらに大きなミスを犯してしまった。「排除リスト」までマスコミに流してリベラル派をいじめることに熱中するあまり、それでかえって自分達への悪印象(それは自動的に、小池百合子二対するネガキャンになる)が助長されることに気付けないばかりか、そうして自分達がいじめ抜いて排除して鬱憤を晴らそうとした相手がどう動くのか、その当たり前の反応すら先読みができなかったのだ。

枝野幸男・前民進党代表代行が「立憲民主党」を立ち上げるのは、客観的には当然の流れだった。安保法制を認めろと踏み絵を迫る希望の党(というより、小池百合子よりもむしろ細野や、原口などついこないだまで仲間だった民進党「保守派」)も腹立たしいし、またみすみすとその踏み絵を踏むかつての同志もあまりに情けない。

枝野単独なら無所属で立候補しても勝算はあるだろうが、そこまでの知名度や組織力のない仲間や、新人として立候補するはずだったなかにも民進党の立憲主義を標榜する中道リベラル理念に共鳴して、という者も少なくない。その皆が結集するための新党が必要だというのは戦略上も、理念的にも、そして人間的な感情の上でも、当たり前の反応なのだが、希望の党から彼らを排除しようとした民進党保守派は自分たちの戦々恐々のはけ口を「リベラル派」にぶつけることに熱中するあまり、そんな想像力というか当然の想定を考える能力も麻痺していたようだ。

結党に動き出した枝野に、前原は慌てて懐柔に乗り出したようだが、その条件は無所属だったら対抗馬は立てない、ということだったらしい。こんな人を馬鹿にした話に枝野が乗るわけがないということが、なぜか前原や希望の党側には分かっていなかった。むしろ意地でも新党結成に向かって当たり前だ。

小池百合子には枝野がここまで自分の政治理念や同志への思いに執着することは理屈では言われれば分かるにせよ直感的・感覚的には理解不能なのかも知れないが、前原も含めて民進党の希望の党合流組は自分たちの内輪のゴタゴタに熱中するあまり、相手のことがまったく分からなくなっていて、非礼を非礼と思えないほど感覚が麻痺しているのだろうか?

同じことは、彼らの有権者や旧来の支持層への態度というか、その気持ちをなにも考えていないことにも言える。安倍を倒すための大同団結なら支持されるだろうが、落選怖さに安保法制を認めるという卑屈な変節漢達に、いったい誰が投票したり、誰が熱心に選挙を応援して手足となって動いたり(公職選挙法上、運動員は特殊な技能を持つ専門職以外は無給・無報酬)するのだろうか?

元外務大臣で元代表の岡田克也や、かつて年金問題の追及で優れた手腕を発揮した長妻昭・元厚労大臣には、無所属ならば対抗候補を立てないで将来の取り込みも考える予定だったのが、長妻氏はそれを振り切って「立憲民主党」の届け出を自分が行うことで枝野との絆の強さをアピールした。極右色と安倍補完勢力・第二自民党色を強める希望の党に失望し、行き場を失っていた中道・リベラル票の受け皿としても期待はできるし、なんと言ってもこの「窮鼠猫を噛む」的な現状への抗いかたは、日本人の美意識において「かっこいい」、つまりは正義として受け取られる(小池でさえ「ジャンヌ・ダルク」イメージで都知事選に勝利した)。

また民進・希望の大合流を主導しながらも、希望の党のその後の態度に怒りを見せている連合は、今回総選挙ではどの政党も公式には支援しないことを決めた。個別の候補者という形でなら、立憲民主党への応援により力が入るのも、人間的な感情として当然だろう。

結果として、選挙に向けての風を起こしているのは小池ではない。枝野幸男だ。

「希望」対「立憲民主党」構図で争点がうやむやになる危険

小池が都知事選で「崖から飛び降りて風を起こした」のは、裏で緻密に計算されたものだった。それに対し枝野の新党立ち上げは正義感と怒りから来る無謀な戦いでもある。だがとりわけ日本人の美意識に響くのは(織田信長を「裏切った明智光秀」がそれでも深く愛され続けているように)、こうした本気の捨て身の方だろう。「保守」かどうかで言えば、心情の問題としては立憲民主党や共産党の方が、それが直感的な感情とも密接に結びついた信念に基づくものだけに、「筋を曲げない」という日本の伝統価値観に遥かに忠実だったりする。

とはいえその「風」が、どんなにあっても(ツイッター公式アカウントのフォロー数は既に民進党のそれの3倍以上だという)、擁立できる候補数は多くても70~80だとみられているし、共産党・社民党とは新しい野党共闘が成立するだろうが、それでも議席数はとてもではないが100にも及ぶまい。候補者数だけでもその大台はクリアできないだろうし、つまりはおよそ、政権交替のキープレイヤーにはならないのが現実だ(ただし小池が突然、掌を返したように協力を求めてくれば別だ)。

もっとも心配なのは、結成の経緯からして、自民党打倒以上に対・希望の党にエネルギーが割かれてしまいかねない危うさだ。

地元選挙区の京都に戻った前原の街頭演説には「やめろ」「帰れ」コールが鳴り響き、落選運動も始まっているという。人間的な感情として、結果として「裏切り」をやらかした前原に支持者や選挙民からの怒りが向けられるのはむろん理解できることだし、ついそうなってしまうのがサイコパスでない、いわゆる普通の人間の心理であるのも確かだ。

だが一方で、こと政治は、その場の人間的な感情だけで判断していいものでもない。

選挙戦序盤で小池百合子が台風の目になったことでうやむやになってしまったのが、安倍政権のデタラメっぷりと、その責任をどう問うかだ。

選挙戦からフェイドアウトする自民党の漁父の利

なにしろ前回の解散総選挙は首を傾げるような理由なき解散だったが、今回は自己都合の理由だけは分かりやす過ぎる大儀なき、国民も国政も愚弄しきった政治私物化解散でしかない。

しかもあまりに拙速で、解散発表の会見で「国民に信を問いたい」といった消費増税分の使い道の変更も、正式の公約ではひどく低い位置づけになっている。これでは人柄が信用できないだけでなく、能力の低さと責任感のなさも、およそ国政を指導するものとしてお話にならない。

安倍は元々、小泉政権の官房副長官時代に拉致問題での強硬姿勢で脚光を浴びたのだが、今の政権は北朝鮮側からの拉致問題再調査の申し出から逃げ続け、うやむやに誤摩化しているのが現状だ。

核開発とミサイル問題についても、うわべだけ・国内向け限定の強気姿勢とは裏腹に、安倍政権はトランプ大統領を必死に煽動する以外になんの外交手段も持っていない。森友・加計スキャンダルでジリ貧の支持率の挽回に、北朝鮮問題が追い風になっていると言われがちだが、この外交安全保障問題ひとつをとても、安倍は適任の総理大臣では実はまったくない。

そもそも安倍がトランプに期待している対話拒否・戦争すら辞さない強硬姿勢はアメリカ世論や議会の支持を得ていないし、戦争はできないことが国防総省とマティス長官の一貫した主張だ。

北朝鮮側から戦争を仕掛けることもあり得ない。通常戦力での対決なら韓国軍だけでも北朝鮮全土を占領するのもせいぜい数週間で済んでしまうほどの戦力差があるし、核を使うならたちまちアメリカの報復核攻撃で全土が壊滅してしまう。

つまり、戦争になるとしたらアメリカ側が仕掛けた場合のみだが、果たして日本では解散総選挙の騒動が進行しているあいだに、11月初旬に正式決定したトランプのアジア歴訪を目処に、安倍の思惑とは裏腹に、北朝鮮「危機」は終息に向かう動きが見え始めている。取り残されるのは安倍の日本だ。

細川護煕(元首相)「倒幕のはずが応仁の乱になって来た」

この解散総選挙で小池百合子が脚光を浴びたのは安倍「一強」を打倒できるかも知れないからであり、本人も最初はその気まんまんに見えた。日本史に喩えるなら「討幕運動」だったはずだ。

だが民進党大合流構想がかえって裏目に出て、「排除」騒ぎの大混乱が日々報道を賑わせるなか、日本新党で小池百合子を政治デビューさせた細川護煕元総理大臣が、自らも期待した安倍政権打倒が消えかかっている現状を「応仁の乱」と批判したのはなかなか的を得た皮肉だ。

室町時代の中盤、足利八代将軍義政の時に起こったこの10年間に及んだ内紛については、折しも呉座勇一・国際日本分化研究センター助教の『応仁の乱』(中公新書)が、学術的な歴史書としては異例の大ベストセラーになっている。ここまで売れたのは著者にとってなによりも意外だという、その筆者が考える売れた理由は、登場人物が300人以上で敵と味方が裏切りや調略や打算でコロコロ入れ替わる複雑さにも関わらず、現代の日本人にとって妙に身近な、「こういう人ならいるよね」「こういうことって、いかにもありそう」的な共感があるからではないかと言う。

幕府内の権力闘争・主導権争いか、守護大名の家督争いという二つのきっかけが主な定説として挙げられて来たが、終わってみれば原因すらよく分からなくなる混沌っぷりで、それぞれがバラバラの思惑や欲望の、いわば「自分ファースト」で動きながら、妙に運が悪いとしか言いようがない偶然の重なりでことごどく読みが外れまくり、誰1人として狙った通りには動けていないまま、全体がコントロールも予測も不能に陥った行き当たりばったりの展開は、確かに現代社会でもありがちだし、ことこの総選挙前の政界大再編なのか単にバラバラに崩壊しているだけなのかよく分からない状況にも、確かに不思議にダブって来る。

また細川護煕が「応仁の乱」に喩えたというのもおもしろい。この人の場合は、ただベストセラー本にかこつけたわけでもあるまい。細川家といえば今では江戸時代の熊本領主のイメージが強いが、元を辿れば代々室町幕府の管領家で、この10年間続いた幕府内部抗争の当事者、いわば細川家のファミリー・ヒストリーなのだ。結果として室町幕府が求心力を完全に失い、乱を始めた当初の権力者達がほぼ全員政治の表舞台を去ることになった、しかし展開自体はなんともドラマ性に欠けて惰性で続いたとしか思えない戦乱で、一族を東軍・西軍にうまく分散することで最後まで生き残った唯一の大大名が、細川護煕の先祖だ。

しかし確かに似通っているとはいえ、これが「応仁の乱」なら国民にとっては厄介だ。この大乱は10年間も続き、終わったときには京都が焼け野原になっていた(結果、京都市中には応仁の乱以前の建造物は、上京区の大報恩寺本堂、通称・千本釈迦堂しか残っていない)だけではない。京都市中の、今で言えばほぼ徒歩圏内の地理的には小さな範囲で争われた戦乱をきっかけに始まったのが、全国的な秩序崩壊・群雄割拠の戦国時代100年超だ。

確かに「応仁の乱」の平成版でも、小池が標榜した「リセット」は実現するだろう。小池は憲法改正について「地方分権」を標榜しているが、応仁の乱は足利幕府という中央政権を事実上崩壊させて、中世末期の日本は確かに地方分権社会に変貌した。とはいえそれは戦乱の世に他ならず、徳川家康の江戸幕府がようやく収集させた後も、内乱の危険がほぼ完全になくなり、幕府の理念である民が安心して暮らせる政治が確立したのは、早くとも約30~50年後の家光の治世、恐らくは80~90年近く経った徳川綱吉の元禄時代でやっとなのだ。

しかも応仁の乱自体は政治的な大失敗とはいえ、室町時代後期の混乱は社会経済構造の変化と成長にほぼ重なり、社会の進歩と変貌の必然でもあったと言う見方もできる。この少し前から農業技術の革新が進み、二毛作なども広まって商品作物の栽培も普及して、ちょうど元々は中国からの交易船のバランスをとる重しとして積まれていた銅銭の大量輸入により、日本に貨幣経済が定着したのが室町時代だった。応仁の乱と戦国時代は、直接的には支配層の不徳故の戦乱とはいえ、起こるべくして起こった歴史の流れでもあった。

では現代・平成永田町の「自分ファースト」の乱に、歴史的な必然があるのだろうか? 最終的な判断は後世の歴史家に任せるしかないとはいえ、今の日本は技術革新と人口増加で社会が本質的に変わろうとしている時代かといえば、むしろ真逆なのは言うまでもない。日本は今や縮小型社会のフェーズに入ってしまっている。

安倍がこの5年弱のあいだまったく放置して、もはや手遅れの今になって唐突に「国難」と言い出した少子高齢化・人口減少は、少なくとも20年前には完全に予測されていたものだ。デフレ経済はその20年よりさらに数年遡ってバブル崩壊時からずっと続いている。こうした明らかな社会経済構造や産業構造、雇用形態の変化に政治がまったく対応できて来なかったどころか、その問題を直視することから逃げて来た結果というところだけは、室町幕府と自民党政権に共通点が見出せるかも知れないにせよ、そのベクトルは真逆だ。


争点は急ごしらえの「政策」よりも、これまでの政策の評価

もちろん時代の変化のスピードが現代とは違うし、いくらなんでも本当に人の血が流れ町や村が焼き払われるリアルな戦争とは禍根の度合いが違うとはいえ、この平成永田町の乱が長期の全国規模の大混乱に、というのでは、今の日本にそんな余裕はない。かといってまたも「安定」を求めて国民が自民党を選ぶにも、安倍政権はもう限界で、失敗と虚飾に満ちた経済政策ひとつをとっても、このまま続けられれば取り返しのつかない事態になる。

売り物の「異次元金融緩和」によるデフレ脱却が完全に失敗したのはもはや明らかで、人工バブル政策は極端に局所的な金あまりを招いただけだ。日銀に年間80兆の現金を発行させ、マイナス金利まで道入しても、金あまりが投資に廻るわけでもなく、企業の内部留保と日銀にある各銀行の預金に主に滞留し、頼みの株価は年金資金と日銀が買い支えている。いまや日本株の最大株主がGPIF、2位が日銀、要するに日本政府であり、まるで政府統制経済と見まごうかのようだ。

金融緩和が投資を活性化させる効果は驚くほど出ていない。不動産市場は大都市の駅近などごく一部の地域にのみ資金が集中して値上がりする一方で、人口減少社会で空き家率も増加しており、いつ暴落するかも分からない。

金融緩和で円の価値を下げたのでドル高になったのも、40年前であれば日本は輸出超過だったのでメリットは大きかったのが、今では貿易収支だけ見れば輸入超過だ。円安の恩恵は一部の製造業ですら限定的で、むしろ国際収支の円建て計算では見た目には改善したように見えるのが主な効果だ。マイナス面では輸入品の原価上昇を販売価格に転嫁すれば消費を冷え込ませかねず、国内の小売りにはかなり難しい経営判断が求められている。言うまでもなく、こんな状況でさらに消費増税というのは、いっそう消費を冷え込ませる可能性が高い。

政府は年間80兆発行される現金で日銀に国債を買わせることで、財政赤字は増え続け、安倍が突然言い出した消費増税分の使い道の変更では、プライマリー・バランスの2020年の健全化目標なぞもはや誰も信じまい。

その巨大予算のかなりの部分が大規模公共事業で一部の企業を中心に廻っている。消費の冷え込みのなかこうして企業経営が大きく政府に依存し、そのため企業側の忖度も欠かせなくなり、自由主義経済の要である経営の独立性が大きく損なわれている。なかには東芝のように、安倍政権の原子力政策に大いに忖度してしまったことも原因のひとつで、日本を代表する製造業企業のひとつが倒産するような事態まで起こっている。しかも安倍政権は雇用などについては、直接に企業経営に口出しまでしてしまっているし、こうした政府と大手企業の過度の癒着のなか、安倍政権は世論に押されて「働き方改革」を打ち出しては見たものの、逆に実効性が大いに疑われるようなものしか出来ていない。

観光振興だけは円安の追い風もあって成功しているが、最大の顧客層となるのが中国や韓国などアジア圏で、そうした国々を敵視するような、たぶんに人種差別的で排外主義的な他の政策があっては、いつまで続くかには不安が残るし、クール・ジャパンなどの政府が主体となった大がかりな振興策はあまりにガラパゴス的でまったく効果を出しておらず、税金の無駄かつ国の恥さらしになっているだけだ。その一方で、急増する観光客の受け皿が十分に整っていないことが交通渋滞や民泊問題などの軋轢も産んでいても、政府には対応する気がないらしく、自民党の一部議員がむしろ観光客を「迷惑」とみなす風潮すら助長している。そうは言っても冷え込んだ消費を支えてくれているのがこうした観光客なのだが、そこで税収の確保目当てで「出国税」などが取り沙汰されているのには神経を疑う。またその大事な観光資源にもなる歴史・文化遺産については「学芸員はがん」などという暴言が、このいかにも教育や文化を軽んじる内閣から飛び出たこともあった。

これは政府と直接関係することではないが、安倍には大いに関わることとして、貴重な観光資源となった全国の有名神社では、自民党右派というか安倍たちと密接な関わりのある神社本庁への反発が広がっている。自民党議員から「巫女さんのくせに自民党を支持しないのはけしからん」なる暴言もあったが、神社を極右的な政治プロパガンダ装置に利用することには伝統ある神社ほどその伝統に反するし、直接的には地域社会や風土と密接に結び付いたその文化に、神社本庁が人事などで強引なゴリ押しを続けているからだ。それにそもそも根本的な矛盾もある。古代の自然神信仰を継承する日本のカミ信仰は本来「なんでもあり」の寛容なもので、排他的でも人種差別的でもないし、神社本庁が推奨するような「国家神道」的な神社のあり方自体が明治時代の急ごしらえに過ぎず、観光客への対応も含めて個々の神社がその歴史を大切にして、それを伝えようと努力をするなら、たとえば神仏習合の伝統があってこの祭神はかくかくしかじかこの仏の化身として信仰を集めて来た、といった歴史を無視はできない。だがこれは、安倍や自民右派がカルト的に信奉する「教育勅語」的な国家観と、完全に矛盾する。

外交に目を転じれば、21世紀に入って日本と中国がアジア圏の二大覇権国家だったのが、野田佳彦内閣の尖閣諸島国有化に始まった日中関係の悪化というか、日本側の一方的な敵意のむき出しで、例えば中国がアジア・インフラ開発銀行(AIIB)の副総裁ポストを用意して日本の関与を求めたのを安倍政権が無碍に断ったりしたことなども積み重なって、中国は日本をパートナーとすることを諦め、単独覇権国家の地位を固めつつある。今まで属国とみなして来た北朝鮮が対アメリカ以上に露骨な反抗的な態度をとっていることに習近平も手を焼いているとはいえ、その程度のことで今さらその地位は揺らぐまい。

唯一の戦争核被爆国のはずが核兵器禁止条約をボイコットしたことは、核保有大国以外の世界中の失望を買い、その核保有大国(国連安保理常任理事国)ですらNPT(核拡散防止条約)に違反しているインドに日本が原子力発電技術を提供すると合意したのにはやはり不信感を抱くだろう(日本も核兵器保有の野心があるという疑いが絶えず、IAEAから再三質問や査察を受けていることも国民は知らない)し、なんと言ってもこれでは、いかなる理由で北朝鮮の核開発を非難できるのか、大義名分がなくなる。しかも安倍はインドと結ぶことが対中包囲網のつもりらしいが、これでは北朝鮮に対抗する国際社会の連携という主張とも完全に矛盾している。

国際組織犯罪防止条約で要請されていた法整備とは似て非なる内容なのが安倍政権が強行した「テロ等準備罪」で、同条約が経済事犯への対処がメインで政治犯は対象としてはならないこと、冤罪や市民のプライバシー権を侵害しないよう最大の注意が求められることを、無視していると同時に、国民を騙してもいる。日本は現在、国連人権理事会の理事国だが、その理事会の選任した特別報告者の権限を毀損しようとして国連事務総長が言ってもいないことを国内発表したのも、そんなに国際的に大きく報道されたわけではない小さな話にせよ、こうして日本の国際的な信頼は少しずつ、失墜させられて来ている。

外交的な信頼を日本政府が自ら毀損している例といえば、対北朝鮮で連携が欠かせないはずの韓国との関係も危うく、今度は戦時中の徴用工問題が浮上しつつある。日本では韓国の娯楽歴史映画『軍艦島』が悪いかのような誤解がまかり通っているが、この映画も含めて安倍政権がゴリ押しした「明治の産業革命遺産」の世界遺産登録がきっかけであり、しかもこの登録時に国際公約したはずの、朝鮮人徴用工や捕虜の強制労働に関する情報センターの設立など、世界遺産登録の条件だった外国人強制労働問題の啓蒙は、まったく進んでいない。これがまた、文科省・文化庁で進めていた他の推薦候補を強引に後回しにして進められた安倍氏の「オトモダチ案件」(加藤六月の娘)だったというのだから呆れるし、同じ人脈が加計学園問題にも関わってもいる(直接に主導した内閣参与の文科省OBが加計学園の千葉科学大の学長で、文科次官だった前原喜平に圧力をかけようとした)。

安倍政権の失政というか失敗や、行政の公平性や合理性が大きく歪めて来たことのうち、ごく最近の、あまりメディアで報じられないものを挙げようとしただけでも、とても書ききれない。

民進党「保守派」の裏切りや小池新党への不信は不信として、真の争点はあくまでこれまでの、5年近く続いた二度目の安倍政権の評価と、このまま日本の舵取りを任せていいのかどうかであることが、どうも忘れられがちなのではないか?

だとしたら「小池劇場」は逆に安倍陣営のステルス戦略を可能にさせてしまったことで、逆に追い風にもなってしまっているし、その安倍は早々に勝敗ラインは過半数の233議席だとも言っている。つまり現有議席を90弱減らすだけで済めば、安倍は「勝った」ことにして続投するのだろう。

これまでの4年間の成果を争点にしない安倍首相は、よほど自信がないらしい

自民党内からでさえ石破茂が「大河ドラマじゃないんだから」と皮肉を飛ばしているが、毎年のようにか、それ以上の頻度で発表される、直近では「働き方改革」「人づくり革命」だのと言った新たな目玉政策は、この4年以上次々と出て来ながら、その成果がきちんと評価されたことがないまま、うやむやにされている。まるで前の政策の失敗や現在進めていることのデタラメを糊塗するために、次の目玉政策を発表してはその総括も評価もスルーという、自転車操業を繰り返すことで延命を諮っているようだ。

安倍首相は今、「選挙目当ての野合」であるのは確かな希望の党バッシングのために「政策と政策を闘わせる」と繰り返しているが、その「政策」とやらは疑惑隠し解散の後付けで急遽でっち上げた新たな代物でしかなく、実現性や実効性をきっちり議論して練られたものではない上に、耳当たりのよいバラ撒きと不人気な消費増税の抱き合わせに過ぎない。消費増税凍結を主張する小池百合子をもし安倍が無責任というのなら、増税分の使い方を変えることで財政再建が遠のくのは凍結となんら変わりがないし、教育無償化の対象を増やすのに財源を消費税に特定することにだって、消費増税を教育無償化に廻そうが赤字国債を使おうが、国家財政の全体ではなにも変わらない。つまり実はなんの意味もない、単なる数字合わせの言葉遊びでしかない。

むしろ現下の低迷する消費状況や過度な円安による輸入原価の高騰を考慮するなら、消費増税はますます実態景気を減退させかねず、強行する方こそ無責任だし、もう増税延期は出来ないというのも単に、これまで二度も選挙目当てで増税延期を公約したのが安倍政権だから、というだけに過ぎず、そもそも増税が出来ないのは安倍政権の経済政策が期待はずれで、「デフレ脱却」が失敗しているからだ。

政権奪取を目指す野党なら、新たな政策を提示してそれで闘うのは理にかなっているが、もう4年以上政権を担当して来たはずの与党側は違う。安倍はなにを勘違いしているのだろう? 政権が選挙民の判断を仰ぐのはこれまで自分達がやって来た政策の評価であって、もし安倍が自分の政治に自信を持っているのなら、急ごしらえの穴だらけの「政策」なんて出す必要すらないはずだ。

選挙目当てでコロコロと政策が変わるなら、そんな無責任な政党には政権与党たる資格はないし、新たな政策を提起するならば、まず国会でそれを審議するのが筋だ。そこで議論が膠着するのならそこで初めて解散で信を問うという手続きでなければ、代議制民主主義のシステムそのものへの冒涜だ。

そもそも民主党政権の失敗の失望から、安心と安定を求めて票が向かったのが安倍自民党だったはずだ。その安定と安心とはぶっちゃけ、対米隷属の解消と官僚支配の打破を標榜したはずの民主党がうまくいかなかったのなら、対米従属で官僚依存、逆に言えば既存の政治の枠組みからはみ出す危険のなさそうな安倍なら大きな心配はないだろう、ということ以上の中身はなかった。

だがその安倍政権は日銀総裁を強引に交替させてまで経済学を無視した無茶な「異次元金融緩和」を始め、従来なら財務省が許さなかった放漫なバラ撒きを続け、めぼしい効果がなにもなかっただけではない。森友・加計学園両スキャンダルが暴いたのは、安倍なら官僚依存だから変なことはやるまいという安心とは真逆に、人事権を盾にした強権で官僚の最低限のモラルや、公正な行政ための最低限のルールである記録を残すことすらなし崩しにするよう強要して来た現実だ。なんだかんだいっても官僚は優秀だからいざというときは任せておけば、というこれまでの国民の信頼のもっとも根底にある部分を破壊してしまった安倍政権に、安定や安心を期待することが出来るのだろうか?

公示日直前、公約は出そろってもまだなにが起こるか分からない

小池百合子の野望が潰れたのは、民進党大合流が未熟な段階で拙速にマスコミに流されたのが原因であることが、そのマスコミでは論じられないのはある意味当たり前である。この業界自体がそうした情報をリークでもなんでもいいから、真っ先にゲットして報道するスクープ競争によって成り立っているし、情報を提供されなければ報道することがない以上、なにかの情報リークが不自然であったり、なんらかの意図を持ったものだったりしても批判しにくいし、もしかしたら気づきすらしないのかも知れない。

元々はそうしたメディアの特性を熟知して、情報の出し方のパフォーマンスの巧みな戦略に長けた政治家が小池百合子で、それが「女性にはこういうサイコパスは珍しい」と論評できるひとつの理由でもある。比較例としてやはりサイコパスだった可能性がある豊臣秀吉の場合も、戦上手ではなく調略と情報撹乱の天才で、例えば本能寺の変のわずか11日後には明智光秀を討てたのは、即座に信長は無事生き延びて自分に合流しようとしているという偽情報を全国に振りまいたため、どの武将も光秀の側につかなかったからだった。

サイコパスは俗に「平気で噓をつく人たち」とも言われるが(噓をつくことに良心の呵責をそもそも感じないから)、それは小池百合子にも通じる。むろん自己愛性パーソナリティ障害(安倍がそれだという説は根強い)のように保身や自慢ですぐバレる噓をついて、収拾がつかなくなって噓に噓を重ねるような愚かな真似はしない。

秀吉ならば、信長生存説の偽情報を流したのは、焼け落ちた本能寺で信長の遺体が発見されなかったことをいち早く把握していたからだ。小池の場合も発言内容そのものがまったくの虚偽ということはなく、むしろ秘密を守ったり情報を小出しにしてどうとでも取れるようにすることで、相手にあらぬ期待を抱かせたり、疑心暗鬼に追いやったりすることが非常に巧みだ。

その小池がよりにもよって、これこそ確定するまで絶対に秘密厳守であるべきだった大合流話の早過ぎるリークで足下をすくわれたのは意外だったし、いかにダメージを隠そうにも、希望の党全体が慌てふためき機能不全の迷走を始めたことは、冷静客観で見れば明らかだった。

ほぼ一週間で小池はなんとか自分のペースを取り戻したように見える。一部民進党議員の「排除」騒動も収まり、明らかにこの内ゲバに関わっていた原口一博が希望の党を追い出され、無所属で立候補することになったという。とはいえ、この程度の懲罰では一週間の迷走のダメージの回復は難しいだろうが、それでも前原の「ラブコール」を余裕の笑顔で断った辺りから、公示直前になって再び小池が党内を掌握しつつあるようだ。

発表こそ遅れたものの公表された一次公認リストは、既にいかにも小池的な、メディアや対抗政党の憶測や疑心暗鬼を存分にかきたてる要素も入っている。小池は自分の発言では安倍与党との連携にすら含みをもたせるかのような言い方をしながら、安倍や官房長官の菅の地元にはきっちり刺客候補を送りこみ、しかもポスト安倍と目される岸田、石破、野田聖子の選挙区に候補は立てていない。見ようによっては露骨なメッセージとも受け取られることで、小池が自らは出馬しないのなら希望の党は首班指名で誰に投票するのかという憶測を、否応なく刺激するやり方だ。

前原の説得を断り改めて立候補しないことを確認した際には、わざわざかつての自民=社会=さきがけ連立政権(社会党党首の村山富市を、自民党が首相に担いだ)の例をあげて「水と油がくっつくこと」も政治ではありえると謎めいたことをわざわざ言ってのけ、さらに翌日の公約発表では再び安倍への敵意をむき出しにしてみせた。

なにしろ、わざわざ全国民のためになる新たな特区制度なんていう政策まであるし、消費増税凍結の理由にしてもわざわざ安倍の解散会見を念頭に、拙速ではなくもう一度いちから、社会保障のあり方の議論をやり直すべきだと言っている。一時は「踏み絵」になった安保法制についても、現実的な安全保障政策を、と強調したのも、旧民進党への配慮というだけでなく、聞く者によっては痛烈な皮肉にも聞こえる。元防衛大臣の小池なら、安倍が執心した安保法制の中身が、集団的自衛権などを認めるという立場からしてもデタラメで荒唐無稽で、現実にまったく則していないことも、むろん知っているはずだ。

がぜんここで見えて来た(かのように思える)のは、やはり小池の狙いは打倒・安倍であること、民進党との合流が失敗したのなら、今度は自民党そのものを切り崩しにかかるかも知れないということだ。さらに「水と油」発言は、決定的に袂を分かったはずの枝野幸男ら立憲民主党との連携すら視野にあるのではないか、という憶測も呼ぶ。

いやはっきり言えば、小池がもし「平気で(戦略的に)うそをつく人」なのであれば、都政に専念するので出馬はしない、という発言すらどこまで信じていいのだろうか? なにか新たな「安倍包囲網」のサプライズと共に(自民党切り崩しか、あるいは頓挫した野党大連合構想の復活だって皆無とはいえない)出馬宣言というのも、まだまだあり得ないことではない。疑心暗鬼ついでに言えば、一週間ほど細野・若狭や原口と、民進党側の交渉役だった玄葉光一郎を中心に、希望の党が大迷走をしていたあいだ、小池はなにをやっていたのだろうか? まだまだ秘密に練られた秘策や極秘交渉だって隠れているかも知れないのだ。

総選挙前哨戦が明らかにしたものと、この選挙が日本になにをもたらすのか

いずれにせよ、この応仁の乱と清洲会議(信長の遺臣達が後継を決めようとした会議で、秀吉があっと言わせる奇策のサプライズで事実上の後継者の地位を確定させた)を足して二で割ってごちゃまぜにかき回したかのような前哨戦で、日本の政界について明らかになったことはいくつかある。

まずほとんどの議員にとって、「政策」とは選挙の時だけ急ごしらえで言うことに過ぎず、非常に薄っぺらな奇麗ごとだけで中身がないことを上辺だけぶつけ合うのが「選挙の論戦」であるらしいことだ。

言い換えれば、その選挙戦の前までやっていたことや主張していたことはチャラにして構わないのが永田町のルールらしく、選挙中も選挙がないときも同じことを言い続ける共産党や立憲民主党は、大多数の政治家にとっても政治マスコミにとっても場違いでおかしな存在で、だからとても政権を任せられる対象ではない、ということらしい。言い換えれば、選挙で語られる「政策」に中身がなく、実行しないでも構わないことが、安倍晋三の時代の日本の政界では当然のこととして受け止められている。

一方で、追いつめられた「窮鼠猫を噛む」的に出来上がったに過ぎない立憲民主党であっても思いのほか勢いを得ていることから見えて来るのは、国民の少なくとも一部は、そうは思っていないことだ。なにしろ枝野幸男が言っていることは、安保法制や共謀罪が審議されていた時の国会での発言とほとんどなにも変わっていない。そうした「筋を通す」ことを尊ぶ日本の伝統的価値観は、まだ完全には失われていないのだろう。平然と変節を強要したり、その強要に唯々諾々と従ったり、政策がコロコロと変わる側と較べて、どっちが「保守」なのか、客観的にはいささか理解に苦しむ。

旧民主党、民進党の妙な情報リーク体質も再確認できた。このような稚拙な情報漏洩の結果の混乱は政権交替前の民主党でも起こっていたし、鳩山由紀夫政権では米海兵隊普天間基地県外移転の「腹案」が、こともあろうに首相官邸からのリークで潰され、退陣にまで追い込まれた。「腹案」とは徳之島で、秘密交渉が進められていたのが、いきなりマスコミに流れてしまっては潰れるしかなかった。今回も秘密厳守が当然の大合併が拙速なリークによって失敗したし、直前には山尾志桜里・元政調会長の不倫スキャンダルも、なんと週刊文春に情報を提供したのは民進党の内部からだったという。

そういえば、前代表の蓮舫氏の「二重国籍」騒動も、日本の国籍法における単一国籍主義の運用を知っていればそもそも無意味な「糾弾」だったのに、党内から論理立てて法制度を説明した上で責めている側の醜悪な人種差別を逆に批判する声なぞはついぞ上がらなかった。レイシスト集団へのカウンター活動を支援して、ヘイトスピーチ禁止法の制定を主張した議員さえ沈黙していたのはさすがに不可解だ。そうした意味では、解党的出直しどころか解党分裂に至ってしまった現状も、悪いことだけではない、むしろ当然の帰結だったのかも知れない。

日本の政治言説には未だに共産主義や左派思想に対する妙なアレルギーが蔓延していることも確認できた。そのなかでは「リベラル」であることすら、なにか絶滅危惧種の珍獣的なイメージが伴ってしまっている。今や日本の政治のトレンドは「保守」であること、「保守」を名乗らねば一人前の政治家でないとみなされるらしい。

真偽のほどは明らかでないが、希望の党から流出した「排除リスト」には、一部の民進党議員を「ガラパゴス左派」と呼ぶ珍妙なレッテル貼りまであった。冷戦の終末期からそろろそ30年、中国がアメリカを抜いて日本の最大貿易相手国になって10年以上、米国一極集中は崩壊し、トランプ政権でアメリカの信頼性自体が揺らいでいる世界の激変のなかで、いったい誰が「ガラパゴス」なのかは、大いに理解に苦しむところではある。

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