人間賛歌の思想としての日本共産党の綱領一部改定案と共産主義についての私見

France10主宰の及川健二です。本日は共産主義に関する私見を申し述べたいと思います。

一人の人間には、どれほどの可能性があるのでしょうか。

幼いころは絵を描くのが好きだった。音楽に心を躍らせた。本を読むと、知らない世界に出会えた。けれど、いつの間にか、働いて、疲れて、眠るだけの日々になっていた。

そんな思いを抱いている方も、おられるでしょう。

私たちは、収入や肩書、仕事の成績によって、自分の値打ちまで測ってしまうことがあります。仕事につまずけば、自分という人間まで失敗だったように思ってしまう。

けれど、一人の人生は、それほど小さなものではありません。

人を愛した記憶。誰かを心配して眠れなかった夜。ひそかに温めてきた夢。いつか学びたいという願い。そして、もう一度、生き直してみたいという思い。

そうした一人ひとりの人生を大切にし、その可能性が開かれる社会を求める思想を、私は「人間賛歌」と呼びたいと思います。

今日は、マルクスとエンゲルス、そして2027年の日本共産党大会に向けた綱領一部改定案を、その視点から読みます。改定案は、現時点では採択前の文書です。

あわせて、不破哲三さんと志位和夫さんの理論的な功績に敬意を表し、レーニンの功罪についても考えたいと思います。

マルクスとエンゲルスが1848年に公刊した『共産党宣言』には、未来の共同社会について、次の言葉があります。私なりに訳して申し上げます。

「一人ひとりの自由な発展が、すべての人の自由な発展の条件となる。」 marxists.org

 

一人ひとりの、自由な発展。

私は、この言葉に、二人の思想の豊かな可能性を見るのです。

貧しい家庭に生まれた子どもが、学ぶ機会を得る。介護を一人で背負っていた人が支援を受け、自分の仕事や学びを続けられる。働き詰めだった人が、初めて楽器を手にする。

一人の可能性が開かれることが、周りの人の世界も広げていく。

人間の力は、他者と出会い、支えを得ながら育ちます。その成長を、誰にでも保障したい。ここから、社会のあり方を考えたいのです。

 

マルクスは、その可能性を妨げる経済の仕組みを問い直しました。

『経済学・哲学草稿』では、働く人が自分の労働やその成果から切り離され、自分の力が生み出したものに、逆に支配されてしまう「疎外」を論じています。marxists.org

自分の力で働いているのに、自分自身の人生が遠ざかっていく。この苦しさを、現代の私たちも考えずにはいられません。

友人に会いたい。本を読みたい。子どもの話を聞きたい。けれど、帰宅すれば、何をする力も残っていない。

ここで、「時間を上手に使いなさい」という助言だけで済ませてよいでしょうか。

労働時間、賃金、職場の人員、雇用の不安定さ。働く人が仕事の決め方に参加できるかどうか。そうした条件まで、見なければならないはずです。

人を励ます言葉を、その人が生きる条件を変える行動へとつなげる。私は、マルクスから、その姿勢を学びたいと思います。

 

『資本論』第三部で、マルクスは、生きるために必要な生産を、人々が共同で合理的に営むことを論じました。そして、その土台の上に、人間の能力をそれ自体のために伸ばせる領域を展望し、労働日の短縮を基本条件に置きました。marxists.org

私たちの言葉で言えば、自分の人生を生きる時間を取り戻す、ということでしょう。

働く喜びも、誇りも大切です。同時に、仕事を離れて、自分の関心を育てる時間も必要です。

散歩をする。音楽を聴く。歴史を学ぶ。家族と食卓を囲む。地域の集まりで、自分の考えを話す。

そういう時間の中で、「自分は、こんなことが好きだったのか」と気づくことがあります。人間の可能性は、時間を与えられたとき、思いがけない姿で現れるのです。

『ゴータ綱領批判』でも、マルクスは、人が分業に縛られる状態を越え、精神的な仕事と肉体的な仕事の隔たりを乗り越え、能力を全面的に育てる未来を考えました。働くこと自体が、人の喜びや生きがいになっていく展望も述べています。marxists.org

一人ひとりの違った関心や才能が、のびのびと育つ。私は、この未来像に、人間への深い信頼を感じます。

 

エンゲルスも、この人間の解放を、社会の仕組みと結びつけて考えました。

そして、マルクスが残した草稿を編集し、『資本論』第三部を後世に届けたのもエンゲルスです。私たちがいま自由時間の思想を学べる背景には、友人の探究を受け継いだ、その大きな仕事があります。

『空想から科学へ』では、人々の暮らしを十分に支え、身体と精神の力を自由に伸ばせる社会を展望しています。そして、人間が自分たちの社会を意識的に営む道を、「必然の国」から「自由の国」への移行として描きました。marxists.org

ここから私は、生きるための不安に追い立てられる状態を変え、自分たちで生活の条件を整える、という課題を受け取ります。

住まいを失う不安があれば、無理な仕事も断りにくくなる。病気になったら暮らせなくなると思えば、休むことも難しくなる。

住まい、医療、教育、介護を支える仕組みは、一人ひとりが人生を選ぶ力を支えます。

人間への信頼を、制度にまで育てる。そこに、マルクスとエンゲルスを読む意味があると思います。

 

この思想を日本の現実に即して探究してきた、不破哲三さんの功績を、私は高く評価しています。

不破さんは、2004年の綱領改定を主導しました。その報告では、主要な生産手段を社会の手に移すことと、生活のための個人の財産を守ることを区別し、生産者自身が主体になることを強調しています。国有化や集団化という看板のもとで人を抑圧した、旧ソ連の経験を繰り返さないという立場も明確にしました。jcp.or.jp

社会の仕組みを変えた結果、そこで働く人は、本当に主人公になれるのか。

この問いを、経済制度の議論の中心に置くことは、大きな知的な仕事です。制度の名称から、一人の人間の生き方へ、視線を戻す仕事だからです。

そして、不破さんの探究は、そこで止まりませんでした。

志位さんの2026年の提案報告によれば、不破さんは、その後も自由時間をめぐる研究を深め、自ら起草に携わった綱領を、さらに発展させることに賛意を示していました。しんぶん赤旗|日本共産党

私は、その姿勢にも、心から敬意を表します。

長い年月をかけてつくった理論を、さらに問い直す。それには、知識とともに勇気が必要です。

不破さんの功績は、後に続く人々が考えるための、豊かな足場を築いたことにあります。その仕事を受け取り、さらに考え続けることが、最も生きた敬意の表し方だと思います。

 

志位和夫さんの功績として、私は、この探究を、現代の人々の生活の言葉へと開いてきた点をたたえたいと思います。

志位さんは、若い人々との質疑を通じた『Q&A 共産主義と自由』や、マルクスの草稿研究を踏まえた講演に取り組み、2024年にはベルリンで、その内容について理論交流も行っています。shii.gr.jp

自分の時間がほしい。学びたい。誰かと出会いたい。仕事に人生のすべてを明け渡したくない。

そうした願いを、人間の自由という問題として受け止め、社会を変える展望と結びつける。私は、その仕事に意義を感じます。

そして、2027年党大会に向けた綱領一部改定案は、未来社会の目的を、人間の自由を豊かにすることとして示し、生産手段の社会化を、そのための土台に位置づけています。jcp.or.jp

この目的と土台の関係を明確にすることに、志位さんの提案報告は力を注いでいます。

制度を変えるたびに、私たちは問えるのです。

その改革によって、人は安心して暮らせるようになったか。自分の時間を持てるようになったか。自分の意見を語れるようになったか。

私は、原典の研究を、このような具体的な問いへとつなぐ志位さんの仕事を、高く評価します。

不破さんから志位さんへと続く探究を、皆さん自身の経験や考えによって、さらに豊かにしていける。そのことにも、希望を感じます。

 

ここで、レーニンについて考えたいと思います。

人間の自由を基準にする以上、レーニンの功績と重大な誤りも、その同じ基準で見なければなりません。

功績として、まず、戦争の惨禍に苦しむ人々の願いを、政治の正面に据えたことが挙げられます。

1917年の「平和に関する布告」では、併合も賠償もない和平交渉を呼びかけ、弱い民族を、その意思に反して強国に組み込むことを批判しました。そこには、戦争と民族的抑圧からの解放を求める方向があります。02

この提起の歴史的な意味は、認めるべきだと思います。

労働時間についても、レーニンは1918年の党綱領草案の構想で、労働日を段階的に六時間へ短縮する展望を示しました。働く人の時間を取り戻す提起も、彼の思想の中にあったのです。marxists.org

また、1921年の新経済政策への転換では、農民からの食糧徴発を現物税へ改め、一定の取引や市場を認める方向を示しました。『現物税について』では、小農民の暮らしと生産を改善することを、経済再建の重要課題に置いています。marxists.org

政策が現実に行き詰まったとき、その現実から学び、方向を変える。この点にも、評価すべきものがあります。

 

しかし、レーニンの責任を厳しく問うべき事実もあります。

1918年1月には、選挙で選ばれた憲法制定議会を解散する措置を正当化しました。議会が革命政権を承認しないことを、議会そのものを退ける理由にしたのです。marxists.org

さらに、赤色テロを含む国家的な抑圧の責任を考えなければなりません。1918年8月のペンザ宛て電報には、公開処刑によって周囲を威嚇することを、レーニン自身が指示した記録が残っています。Exhibitions – Library of Congress

1921年には、党内の分派を解散させる方針を主導しました。これは、異なる政治的立場を集団として表明する余地を狭めるものでした。marxists.org

これらは、重大な問題です。

内戦や外国からの干渉という苛酷な条件を考慮しても、人間の生命や政治的自由を踏みにじった行為への批判は必要です。

解放をめざす運動が、自分たちに異論を唱える人を、自由の外へ追い出してしまう。その危険を、私たちは正面から見つめなければなりません。

後のスターリン体制とレーニン期を、単純に同一視することはできません。しかし、権力の集中や異論の抑圧は、レーニンの時代から検証すべき課題です。

功績を認めることと、過ちの責任を問うことは、両立します。

思想を受け継ぐとは、その人の判断をすべて正しかったことにする営みなのでしょうか。私は、経験を検証し、誤りを繰り返さない知恵を育てることこそ、大切だと思います。

 

今回の綱領一部改定案は、異なる思想を持つ自由、反対政党が活動する自由を保障し、特定の政党に特権的な地位を与えない立場を引き継いでいます。jcp.or.jp

この約束を、歴史への反省とともに、実際の政治を測る基準にしたい。

自分たちへの批判を、安心して語れる社会であるか。誤りを指摘した人が、不利益を恐れずにいられるか。少数の人の権利も守られるか。

どの政党にも、どの権力にも、問い続ける必要があります。

人間は間違えます。同時に、他者の言葉に耳を傾け、考えを改める力もあります。

その力を信じるからこそ、対話の場を残す。異論の自由を守る。それも、人間賛歌の大切な中身なのです。

では、私たちの今日の暮らしに、この思想をどう生かすのでしょうか。

改定案は、十分な自由時間による個人の発達と、労働や環境と調和する生産の発展を重視しています。

私は、その方向を、生活に即して考えたいと思います。

労働時間が減っても、収入が減って暮らせなくなるなら、安心は生まれません。家族の誰かにゆとりができても、別の誰かに家事や介護が集中するなら、自由は分かち合われていません。

賃金、社会保障、公共サービス、ケアを担う人々の待遇。それらを、一緒に考える必要があります。

今回の改定案が、国の責任によるケア労働者の待遇改善を明記したことにも、私は意義を感じます。また、性と生殖に関する健康と権利の保障も掲げています。jcp.or.jp

誰かを支える仕事が、担い手の人生をすり減らさないこと。自分の身体と人生にかかわる選択を、自分でできること。人間の尊厳は、こういう毎日の条件の中で守られるのです。

世話を受ける人にも、その人に向き合う職員にも、十分な時間がある。介護をする家族にも、自分の人生を送る余裕がある。

そういう関係をつくっていきたいのです。

自然との関係も同じです。

物が増え続ける一方で、働く人の健康が損なわれ、水や土が傷つけば、暮らしの土台が失われます。

何を、どうつくるのか。そこで働く人は健康を守れるか。未来の世代にも、安心して暮らせる環境を残せるか。

人間賛歌には、人間を支える自然への責任も含まれると、私は考えます。

 

そして、私自身の立場として、一つ強調したいことがあります。

私は、釜ヶ崎で二年半暮らした経験があります。その経験からも、社会の仕組みを考えるとき、今日を生きることに精いっぱいの人の姿を、忘れずにいたいと思っています。

人間の可能性を大切にする思想は、今、その力を発揮できない人の尊厳も、大切にしてほしい。

病気の人。働けなくなった人。深く傷ついて、人と話すことさえ難しい人。

その人たちの生きる権利を、将来の活躍と引き換えにしてはならないと思います。

学び、挑戦できる条件を、誰にでも保障する。そして、何かを成し遂げたと証明しなくても、一人の人間として安心して暮らせる。

この二つを、ともに守りたいのです。

自由な時間の中で、何もせずに休む日があってよい。花が咲いたことを喜び、好きな歌を口ずさみ、訪ねてきた人とお茶を飲む。そういう一日にも、人生の豊かさがあります。

人間を大切にする思想は、その静かな豊かさにも、光を当ててほしいと思います。

 

不破さん、志位さんの功績をたたえることは、その探究に参加し、自分の頭で考えることへと、私たちを励まします。

マルクスとエンゲルスを読み、歴史の成功も失敗も学ぶ。そして、今、目の前で苦しんでいる人の声を聞く。

そこから、自分たちは、どのような社会をつくりたいのかを語り合う。

思想は、そのとき、私たちの生活の中で動き始めるのです。

 

私は、人間を信じたいと思います。

傷ついた人の中にも、まだ語られていない願いがある。学ぶ機会を奪われた人の中にも、育つはずだった力がある。

そして、今は何もできないと感じている人にも、その人にしか生きられない人生がある。

その人生に、時間を返す。安心を届ける。選べる道を増やす。

一人ひとりの自由が、互いの自由を支える社会へ。

つまずいた人が、手を借りながら、もう一度歩き始められる社会へ。

今日をしのぐことに精いっぱいの人が、明日の楽しみを思い描ける社会へ。

私は、そのような社会を求める思想を、人間賛歌と呼びたいと思います。

その歌声には、皆さん一人ひとりの声が必要です。

ご清聴、ありがとうございました。


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