かつて大島渚は日本の戦争映画、反戦映画を「日本人を被害者としてしか描いていない、加害者性を描いていない」と批判した。そうした戦後良心派的な(大島に言わせれば中途半端な)反戦映画の、代表的な監督の一人が新藤兼人だとみなされがちだし、実際『原爆の子』や『第五福竜丸』といった、いわゆる社会派の反核映画もよく知られている。
大島の批判は間違ってはいないし、彼は現に『飼育』や『戦場のメリークリスマス』で捕虜虐待などを見せることで日本人の加害者性を突きつけて来たが、大きな空襲のなかった京都で育った大島はともかく、大半の日本人にとって、そうは言われても戦争の記憶といえば感覚的に、とにかく自分たちの悲惨な体験だった。
だが被害者の視点の戦争映画は反戦を訴えるには有効だが、フィクション映画のドラマツルギーとして大きな構造上の問題を抱えている。被害者である主人公に自らの主体的行動がほとんどなく、ただ被害者として翻弄されるだけではアクションが停滞しがちで、映画のストーリーの原動力が削がれてしまうのだ。その意味で大島の批判は単に政治的あるいは歴史認識の問題ではなく、映画的な問題でもある。フィクションとはあくまで主人公が何かをすることを描き、その行動する主人公を追うものだからだ。
新藤監督が所属した「おっさん」部隊の
新兵100名のうち94名が死亡
昭和19年、新藤兼人はすでに若くもないのに終戦間近に徴兵された。所属した「おっさん」部隊の新兵100名はほとんど死に、戦場に送られなかった新藤ら6名しか生き残らなかった。戦前から溝口健二監督の助手など、さまざまな仕事で映画界で働いていた新藤が戦後に名脚本家、そして自らも監督として活躍する原点には、その体験があったのだろうが、この自らの体験に基づく映画に取り組み始めるまでは、そのことを本人もめったに語って来なかった。ついに映画化することを決めたのは、最晩年のことである。
だがその遺作となった『一枚のハガキ』を、新藤兼人は自分を主人公にした「被害者」とした映画にはしない。「おっさん」部隊たちは「被害者」かも知れないが、それでは済まない構造を新藤はあえて決然と、この映画に持ち込む。この映画の主人公は新藤の分身を演じる豊川悦司ではなく、彼は目撃者に過ぎない。真の主人公は大竹しのぶ演ずる、亡くなった戦友の妻だ。
脚本家としての新藤の名作に、『清作の妻』(増村保造監督)がある。戦場も敵も空襲も描かないが、これは戦争映画の傑作だ。と同時に、主演の若尾文子と監督増村のコンビがあまりに有名でつい無視されがちだが、新藤のもっとも中心的なテーマにがっつり取り組んだ作品でもある。
新藤兼人とは徹底して「女」を描こうとした作家
新藤の一貫したテーマとは「女」を描くことだ。護憲平和運動など政治的な活動にも意欲的だった故に忘れられがちなことだが、新藤兼人とは徹底して「女」を描こうとした作家であり、たとえば『裸の島』の根幹は労働する女の身体だったし、しばしば女の業、ときにはエロスをあくなく探求しようとして来た。『清作の妻』は戦争下で熱狂する日本人社会の集団的な狂気と陰湿さの加害性に、女が個としての性、エロスをエネルギーに命がけで抗う物語である。真の戦争は戦場で闘われるのではなく、銃後で国家と個のあいだで闘われていた。日本と他国の戦争の陰には、日本と日本人の個との戦争があった。
『一枚のハガキ』の、夫と再婚したその弟に次々と戦死されてしまう妻は、『清作の妻』のヒロインの延長上にある。死ぬのは男達であり、彼らは被害者であると同時に、理不尽にも貧困にもなんら抗おうとすらせず、自らも理不尽な体制の一部として生き延びるために、やむを得ず、しかし狡猾ないやらしさで女たちの生と性を虐げる加害者となっても行く。大竹の抑えているからこそ際立つエロスと、柄本明演ずる舅の人物造形が卓越している。そして女たちはただ耐え、時にしたたかに、時には流されながら、あるいは不器用なまでに流れに逆らいながら、生きていく。
戦死した夫の遺した一枚のハガキを持って、男は妻に会いに行く
戦死した夫の遺した一枚のハガキを持って、男は妻に会いに行く。夫がどう死んだのか、その真相を知った妻の「冷たかったでしょう、骨も戻らないんだ」と夫の苦しみを思いやる言葉は、しかし立て続けに「私を置いていったんだ!」と、夫の遭った死と言う被害が自分にとっては加害の暴力になることを告発する。そしてそれを教えてくれた男も、彼女にとっては加害者となる、「なんであんたは生きとるんじゃ!」
日本人は自らあの戦争の被害者であると同時に、加害者でもあった。周辺の諸外国に対してだけでなく、日本人の内部においても加害と被害の関係を重層化させて来た。新藤は緻密で厳格に要所のみ切り詰めた脚本構成でそれをあぶり出しにして来た新藤は、妻と男、いや女と男をその性匂い立つような性とともに対峙させることで、さらにその構図を逆転させる。究極の被害者の立場に置かれた妻が、女としてその主体性を、セクシャルで暴力的な加害性すら含めて発散させるのだ。
男は家財を売った20万の半額を、ひどい目にばかり遭って来た妻に渡そうとする。
「定造さんが死んで、俺が生きとるからです」
「それはクジでひょう。あなたのせいじゃありまへん。あなただってひどい目にあってるじゃないの」
「クジを、俺は認めたくない。100人のうち94人が死んで、俺が生きとるんだ。俺が94人のなかに、なぜ入らないんだ。奥さんはひどい目にあってるじゃないか。こんなことがあっていいのか?」
「あんたは10万円でクジ運の良さを帳消しにしようというんですか?それなら100億、1000億という金を出しんさい!金の問題じゃなか!」
国家の決定とクジで決められる運命にただ従うことで、結果として戦争の一部となっていながら、自らを被害者と思って来た日本人に、その無自覚な加害に耐えて来た女が突きつけるのは、しっかりと、自分で生きることである。社会のルールからすれば不道徳にも見なされる、不条理な感情さえあえて爆発させることで女は社会と歴史の理不尽に抗い、死のスレスレから生きることを、本能で選びとる。そして男にもそうするように促す。
「クジ運のよさ」で生き残ったからこそ新藤兼人は原爆にこだわった
ここに新藤兼人が描こうとして来たことの最も中核にあった欲望が、結晶している。
『一枚のハガキ』には終戦間際の場面で、唐突に広島の原爆の映像と字幕が挿入される。原爆が広島出身の新藤にとって重要なテーマであったことは、何も問われることなく自然に受け入れられて来たが、ここでほとんど不器用でさえあるやり方での原爆への言及は、そうした「社会派映画」の文脈で理解されるにはあまりに不自然だ。
だがだからこそ、招集されながら一度も戦地に行くことすらなく生き延びた新藤にとって、広島の原爆とはなんだったのかが、この遺作で明らかになっているのだ。100人のうちの94人が死んだのに「クジ運のよさ」で生き残ってしまった新藤は、その同じクジ運のおかげで昭和20年8月6日に広島にはいなかった。原爆についても、新藤は運良く生き残ってしまったのだ。そのクジを「俺は認めたくない」、だからこそ彼は原爆にこだわったのだろう。生き残ってしまった自分に抗うため、そうすることでクジに翻弄されない自分を取り戻すために。
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