カンヌ国際映画祭で脚本賞!映画『罪の手ざわり』批評 by 藤原敏史・監督

ジャ・ジャンクー監督はここ何年も「武侠映画を作りたい」と言い続けて来た。それが昨年のカンヌ映画祭で絶賛を集めた最新作も現代もので、中国版ツイッター(ウエィホー)で話題になったが公式の報道では小さく済まされた事件4つに基づいた映画だという話だった。

ところが実際の『罪の手ざわり』は、冒頭からそんな前評判を気持ちよく裏切る。バイクで山道を行く男が拳銃で脅されても平然としている、適確な演出のタイミングで見せつけられるあっぱれなアクション・シーンから「これはまさに武侠映画ではないか」というシャープな空気が画面を満たす。

アクション映画の大革命

モチーフになっている4つの事件は確かに今の中国で起こっていることなのだろうが、中国に限らずどこでもありそうな事件だ。そして4人の主人公は、そんな現代という世界にどこかフィット出来ないままそれぞれになんとか生きている。もう我慢ならない、その瞬間までは。

沸騰点、あるいはブレイキング・ポイントとでも言うべきその瞬間まで、映画は重厚な移動撮影の長いカットで主人公をじっくり見つめ、その心のなかでどんどん蓄積されていく何かが、決してスピードに依存しない演出なのに、ヒリヒリするようなサスペンスを醸成させていく。そしてバーン!ついにその何かが爆発する瞬間も、カットを細かく割って暴力を印象づけるような、手垢のついたやり方をジャ・ジャンクーはとらない。僕たちがその沸騰点の瞬間に思わず「やった!」と心の中で叫びながら目撃しているのは、アクション映画の大革命だ。

問われているのは「正しく」ない世を見過ごしてきた僕たち自身

この映画を「今の中国はこんななんだ」と思うために見るのはもったいない。それに実話に基づくとはいえ、ジャ・ジャンクーが選んでいるのはもっとも神話的、そして映画的になり得る事件であり、彼はその映画性を最大限に引き出す。60年後半代の『俺たちに明日はない』から70年代の『ゴッドファーザー』にかけて、『フレンチ・コネクション』や『狼達の午後』、『タクシー・ドライバー』をも彷彿させる、本物のアクション映画がここにある。「今の中国はこんななんだ」と言うのなら、それはこんなアクション映画の王道を作れる国なのだ。

現代に武侠になる4人の中でももっとも武侠らしいのが、妻子ある男との恋愛に迷いながら職場でのセクハラに耐えて来た女性(チャオ.タオ)であるところが、極めて現代的だ。この現代の武侠誕生神話は、旅を続ける彼女が(そう、武侠とは修行の旅を続けながら戦い続けるヒーローだった)、新しい土地に着くところで終わる。まさに武侠が出て来なければ解決しないような、虚偽で死刑にされそうな女性が主人公の、昔ながらの旅回りの演劇が上演されている。彼女はそれを見る。そして映画は舞台を見せ、舞台からそれを見つめる無数の、無名の観客にカットする。このラストショットを埋める人、人、人の顔は、世の中が決して「正しく」もないのに何もして来なかった僕たち自身でもある。

 

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