【追悼】「伝説のオカマ」東郷健さんの七回忌 日本のゲイ・ムーヴメントの先駆者 by 酒井佑人

伝説のオカマと呼ばれ、かつて世の中に旋風を巻き起こした東郷健さんは2012年4月1日午後10時57分、前立腺がんのため東京都中野区の自宅でお亡くなりになった。

1971年、日本で初めてゲイだとカムアウトし、参議院議員選挙の全国区に立候補し、現在、SOGIと言われる問題に対して、ゲイの権利向上や政策を高らかに訴えた。(選挙はすべて落選)

1981年、ゲイ雑誌『The Gay』を創刊。

2002年に及川健二氏との共作『常識を越えて』が出版され、再注目を集めることになった。

東郷健さんは、今年、2018年4月1日で七回忌となる。

東郷健さんの存在は、今でも一部のゲイの間では根強いファンが存在しており、毎年命日には、バー、おにくぼにて、東郷健さんを偲ぶ会である
『雑民忌』が行われている。

France10は、七回忌を迎える東郷健さんの追悼のコメントを

同性婚の実現に向けて各政党に記者会見でインタビューを行うゲイレポーター、酒井佑人(27)、

「政治の立場からLGBTにとって住みやすい地域作り」に向けて、
ゲイであることをカミングアウトして活動している、松浦大悟元参議院議員(48)、第19回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞し、さらにNHK BSプレミアムで三回放映された「弟の夫」の原作者でもある、マンガ家/ゲイ・エロティック・アーティスト、田亀源五郎(54)さんの3人に七回忌を迎えた東郷健さんの追悼のコメントを求めた。

東郷健さん by オニクボ

東郷健さん by オニクボ

【ゲイレポーター、酒井佑人】

僕は、去年の8月頃にカミングアウトするまでは、東郷健さんの事は全く存じ上げず、カミングアウト後に、生前、東郷健さんの一番の友人であった、France10編集長の及川健二さんの話を聞いて調べた事がきっかけだった。
ゲイとカムアウトする人がいない時代に「何故君はやらないのか?男が男と寝ることを」「男が好きで何を悪い」常識ハズレと嘲笑、批判されてきた、東郷さんの言葉には1つ、1つにいのちが宿っている。
ああ、「この人はただ目立ちたいからではなく、本心から伝えたい、変えたいという思いでやっているんなだな。すごいな!」僕は、率直にそう感じた。とても共感できた。

その後、及川さんから「東郷健さんは若い男が好きで若い男をモデルに、写真を撮ってザゲイに載せていた」と聞いて、もっと興味が湧き、ザゲイに毎週載りたかった。生前にお会いしたかったと、とても悔やんだ。

これまで、政権放送では、三井理峯さんを応援していたが、東郷健さんブームが僕の中で起こっていた。今でもなかなか表に出せない同性愛者の心情をストレートに表現している、まさに、インパクト、メッセージの塊。

名作、「常識を越えて」に「根本的にホモ気はどんな男にもあるのだ。だから、根本的にゲイと無縁な人間などいるはずがない。みんは自分の体内にいるホモ気を殺して生きているにすぎない。」
「社会状態が現在のようである限りはゲイでない方がいい。何故なら、社会一般の常識がゲイを疎外してるからだ」と綴られている。感じたのは、東郷さんのご活躍によりゲイは認知、理解されるようになったが、まだそういった一般常識の中にホモフォビアは残っていて、同性婚すらも認められない中、我々を苦しめている。よくヘテロから「俺は普通だから」「襲われそうで怖い」などと平気で言われる事がある。
「普通は異性が好きになるでしょ。いや、そういうのも全然アリだと思うけどね」などとオブラートに言われる事もやはりある。
僕は、悲しい気持ちになる。そこから、虐めや差別が生まれるのでは、ないだろうかとも思う。

「LGBTは1つの個性である」と僕は、訴え続けたいと思う。」

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【松浦大悟元参議院議員、元民主党秋田県連代表】

「いま東郷健さんについて言及しているLGBT活動家はほとんどいない。同時代に活躍したLGBTパレードの父、南定四郎さんが近年再評価されているのとは対照的だ。

東郷さんが目指したのは「オカマ・パンパン・メカケ・名もない労働者による革命」であり、南さんのような社会改良主義のLGBT運動とは最初から相容れない関係だった。故に東郷さんがLGBT運動に顔を出す事はほとんどなかったという。

東郷さんが孤立無援だった理由は、そのエキセントリックな言動にもある。東郷さんの主張が正しいかどうか以前の問題として、「この人が自分と同じ同性愛者?自分も大人になったらこの人のようになるのか?あり得ない」と、多くの若者は自尊心を傷つけられた。

先般、保毛尾田保毛男事件でフジテレビが謝罪したが、「自分は世間からこんな風に見られているのか」と当時の若年ゲイには戦慄が走ったという。時代は違うがまさに東郷さんをテレビで見たゲイたちにも同じような感情が湧いたと想像できる。

東郷さんを批判的に乗り越える事で、LGBTの権利獲得運動は大きな広がりを見せた。しかし、振り返ってみると、実はそこからこぼれ落ちたものがあったのではないか。働き方改革でLGBTの福利厚生に取り組む大企業が、一方では過労死の社員を生み出している現実。一夫一夫制の同性婚を推し進めようとするゲイ団体が、警察によるハッテン場の摘発には目を瞑っていることなど。

従来のLGBT運動ではリーチできない問題に眼差しを向けてきたのが東郷さんだった。LGBTが「ふつう」の市民になろうとしている今、ふつうの枠に収まらない人たちにどうアプローチしていくかが問われている。

東郷さんが亡くなった4月1日は、生前ゆかりのあった人たちが新宿二丁目のバー「おにくぼ」に集い、毎年「雑民忌」が行われている。今年、私も初めて参加させてもらった。

東郷さんを慕う皆さんに「もし、東郷さんが参議院選挙に当選していたら、どうなったでしょうか?」という質問をぶつけてみた。すると多くの方が異口同音に「一期で終わっていたでしょうね(笑)。彼は仲間が作れなかったから」との答え。共感する仲間を増やし、法律を変えて人権問題を改善するというやり方ではなく、「底辺に生きる者からの告発」が東郷さんのスタイルだった。だから、ドヤ街である山谷の労働者たちには東郷さんの言葉が届いた。東郷さんは山谷では大変な人気だったという。この日はNHKのディレクターも取材に来ていたのだが、そんな東郷さんの映像は今やNHKのアーカイブにもほとんど残っていないそうだ。しかしその鮮烈な記憶は、歴史の1ページとして関係者の間で静かに語り継がれている」

by オニクボ

by オニクボ

【マンガ家/ゲイ・エロティック・アーティスト、田亀源五郎さん】

「あれは1990年代中頃だったろうか、英語圏のセクシュアル・マイノリティがクィアという言葉を、ポジティブかつラディカルに自称として使っていると知ったとき、私の頭に最初に浮かんだのは東郷健氏のことであった。それまでの私にとってクィアという言葉は、ウィリアム・バロウズの著書『おかま』の原題であり、同性愛者への蔑称という知識しかなく、そして東郷氏のイメージは、「おかま」という言葉を露悪的かつアグレッシブに使い続けた政治活動家というものだったので、その二つが私の中で重なったのかも知れない。氏の活動について、私は決して全面的に肯定はできないのだが、それでもこういった時代を先取りしていたかのような先鋭性には、畏敬の念を抱かざるを得ない」

LGBT政策、先駆けのきっかけを作った、東郷健さんの実績は、これからも語り継がれる事になるだろう。

by オニクボ

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取材&文:酒井佑人(ゲイレポーター)

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