世界遺産をめぐって露わになった、安倍政権ニッポンの時代錯誤に歪んだ歴史観と、事実・現実の認識から逃避する精神構造 by 藤原敏史・監督

日本政府がUNESCOに申請し、めでたくICOMOSの推薦も受けた、幕末・明治の日本の産業革命遺構の世界文化遺産への登録が、肝心のUNESCOの理事会21カ国から必要な2/3の賛成票を集められそうにない状況になっている。申請された23施設のうち7つで朝鮮人や中国人の強制労働があったことを理由に反対を表明した韓国政府の主張は、日本国内では「韓国の反日宣伝が」という受け取り方になるのだろうが、議長国のドイツなどヨーロッパを中心の国々が理解を示し、賛成を保留しているのだ。ICOMOSの推薦が実質上の世界遺産認定になり、UNESCOではたいがい全会一致で決議するのが通例なだけに、2/3の票を集められないのは異例の事態だと言えよう。

「韓国の反日ロビー活動」に外務省や所轄の文部科学省、文化庁は神経を尖らせ、安倍官邸の内部では韓国へのいっそうの憎悪、敵意すら醸成されているのだろう。世界遺産への推薦決定当初から、報道が韓国の反対を妨害行動であるかのように報じていたのも、そうした安倍官邸の影響下にあると考えていい。

日本と韓国のUNESCO代表が二度の会談を持っても、平行線のままだ。いったんは登録に賛成だと日本政府に内々に伝えたとされる国でも、副議長国のセネガルが態度保留を公表した。「反対」ではなく、日本と韓国でまずちゃんと話し合って欲しい、この副議長国としての当然の態度には、今後追随する国が増えることだろう。

「まずちゃんと二国間で話し合って欲しい」、当たり前の話だからで、副議長国がそう表明したのだ。

二国間でまず話し合う、韓国代表は強制労働の歴史も含めて歴史的に正確な文脈をきちんと踏まえるのであれば、韓国政府は全23施設の世界文化遺産登録を祝福する、とも言っているのに、日本が今回の申請は1855年から1905年の期間限定の話だ、「日本による韓国併合以前に急速な産業化が日本で進んだことを示すもの」と言い張るだけ、つまり不都合な話は排除したいという動機が透けて見える姿勢を繰り返すだけだ。

だがはっきり言おう、ここまで正論を述べられれば、日本側に勝ち目はない。

日本は世界遺産条約の精神をまずちゃんと理解すべき

「韓国併合以前の話だ」と強弁しようにも、実際に申請されている施設の目玉のひとつが、日本が朝鮮半島の権益をロシアと争った日露戦争を契機に生産が軌道に乗り始め、日韓併合の流れと並行して成長した官営八幡製鉄所なのだ。その日露戦争の年である1905年で区切る理由自体が学術的・歴史学的に明示されていないのに、韓国の指摘を「学術的な観点からの勧告に政治的な判断を」と突っぱねる日本側の論理は破綻している。

世界遺産条約の精神に則った態度を日本政府が示すなら、念願の世界文化遺産登録がかなうのだし、韓国側の提案に抵抗する正当な理由もない。歴史は歴史なのだから、その展開を正しく伝える世界遺産とすることを確約すればいいだけだし、そんなことは世界文化遺産登録を申請する際に、当然踏まえているはずの話なのだが。

歴史は流れであり、「1905年まで」とか「韓国併合以前に」と恣意的に区切れるものではないし、今回登録申請している日本の産業革命遺産は、現代に直接つながるアジアの近代産業化の歴史の出発点になるからこそ「人類の普遍的価値」として保存しよう、というのでなければ筋が通らない。学術的な観点だと日本が主張するのなら、それこそ「日本が凄いから世界に褒められているのに、韓国が邪魔をしている」という日本側の思い込みこそ、政治的な判断とすら言えないほど拙劣だ。

それでも政府内では「強硬論」が根強いという。対象は1855年から1905年頃までだ、1911年の日韓併合以降のことは関係がないのに韓国の言いがかりだ、反日なんだ、「告げ口外交だ」と血気お盛んなようだが、この人たちは「歴史」とはなんたるかを理解しておらず、そもそも世界文化遺産、つまり人類の歴史を記憶するための世界共通の遺産、という意味が分かっていない。なぜ日本の産業革命の歴史的遺構が世界遺産に登録されるべきなのか、という根本的な論理が崩壊していることにすら、安倍政権の中枢にある人々は気づいていないのだろうか?

蒸気船を「日本でも作れる」と言い放った江戸幕府の官僚

日本は非西洋文明の国で初めて産業革命を経験した国であり、その日本に続く形で、韓国、中国、そして東南アジア諸国が、今や近代産業化を成し遂げつつある、その原点つまり歴史的なモデルとして、日本の産業革命の中心施設を保存し、歴史を後世に分かり易く伝えようというのは、別に「日本は凄い国だから世界遺産にして褒めてあげよう」なんて話ではない(結果論としては現状まだ、アジア最初の産業立国はアジア最大最高の工業先進国であり続けているにせよ)。だいたい「日本が凄い」など学術的になんの意味もなく、日本がアジア初、非西洋文明圏では初である、言い換えればアジアへの西洋文明浸透の歴史遺産にもなるが、要は「初」でありその後のモデルケースになったから、という歴史的な位置づけゆえの「世界遺産」のはずだ。

1853年のペリー来訪と、その翌年の開国の際に黒船を見学した幕府の役人の中には、さっそく「これは日本でも作れる」という発言もあったという。明治以降の歴史観では、幕府がペリー来航にただパニックになったように思われがちだが、実務を担う官僚のあいだではこの機に開国と貿易促進をとの声も強く、大老・井伊直弼が開国を決意したのは、そうした身分的には低い者たちの意見を容れて日本の近代化と積極的な貿易での発展を目指す考えもあってだし、その井伊直弼自身がペリー来航前から、交易を長崎・出島に限定せず、オランダ東アジア会社があったジャカルタに日本船で直接出向く貿易構想すら書き残している。

そもそも幕府は鎖国政策のあいだもオランダを通じたヨーロッパとの貿易を独占し、獏大な利益を上げていた。つまり日本製品が輸出で売れることはよく理解していた。前例踏襲が幕政の基本、三代家光の定めた鎖国令は尊重されるべきとはいえ、官僚主義的ルーティーンでは対応しきれない際にのみ置かれるのが大老である。政治嫌いの文人気質で傑出した茶人、なのに政治能力がずば抜けていた井伊直弼がその地位に抜擢され、現実的に要求されていたその役割を果たしたのだ。

その井伊直弼は水戸藩の攘夷過激派に暗殺されたが、西洋の新技術を積極的に取り入れて日本製品の商品価値や輸出量を高めたい、そうした近代化に合せて国家体制を整備し、産業立国と輸出貿易による国の繁栄を目指すことが、最後の将軍徳川慶喜(これまた文人気質で、無類の好奇心の固まり、でも政治能力は抜群)に至るまで江戸幕府の基本姿勢であったことは、薩長の、元は攘夷派だった下級武士中心のクーデタで幕府が倒されるまで変わっていなかった。

日本の産業革命は、伝統技術を生かした軽工業の輸出産業育成から始った

倒幕クーデタが成功した後の明治維新政府の方でも、幕府を倒すはるか前に元々の大義名分であった攘夷(外国との交渉を断つ孤立)なんぞ権力志向・上昇志向の現実主義でとっくにかなぐり棄てていたわけで、大蔵卿、そして内務省を設立し自ら内務卿となった大久保利通を中心に、日本の伝統工業を生かしつつ西洋の新技術を取り入れて、輸出産業を育て国の繁栄を計る、という方針は、井伊直弼の発想が受け継がれたものだともみなせよう。

既に世界文化遺産に登録され、今回の日本の一括登録申請にも含まれる富岡製糸場が、その象徴的存在である。生糸はすぐに、日本の最大の輸出品となった。こうした軽工業中心の輸出産業振興は、生糸ならばその原材料を提供する養蚕で地方の農家にも利益が分配されるなどのメリットも大きいが、それでも産業革命の負の側面も、この時にすでに露になっていた。なぜか富岡製糸場の世界遺産登録以降あまり語られなくなったいわゆる女工哀史で、劣悪な労働環境と長時間労働に農村からかり出された若い女性労働者が従事させられ、結核などの伝染病も蔓延した。そんな悲劇も含めた歴史の記憶を保存し、産業革命がどのように成し遂げられたのかを考えられるようにするのが、世界遺産条約の理念に沿った考えのはずだ。

そもそも産業革命は現代の豊かな文明を築いた、とただ手放しで賞賛できるものではない。最初に成功した英国では、すぐさま深刻な労働問題が発生している。とくに児童が炭坑や工場での過酷な労働に従事させられた悲惨な歴史はよく知られているし、そうした搾取の構造は現代の世界にも影を落とし続けている。製造にかかる経費を抑えることは、産業革命によって成立した資本主義体制では収益を上げる要の経営戦略だし、ならば労働力は安価な方がいい。国内での搾取が難しくなれば、つまり労働賃金が高騰すれば、製造の現場は海外の発展途上地域に向かう。発展途上国での児童の労働搾取は深刻な国際問題になっているが、そもそもの構造的問題は英国の産業革命の時代からあったし、日本ならまず女工哀史だった。このような負の側面は国家の歴史なら国威発揚で無視されがちだからこそ、「人類普遍」の観点から歴史の総体を客観的に記憶していくためにも、世界遺産という考えが生まれて来たのでもある。

大久保利通暗殺と、国策としての産業革命の転換

明治日本の産業革命に話を戻そう。大久保利通が内務卿として推進した日本の近代産業化構想は、ただ機械工業や工場大量生産を日本に導入するだけでなく、農業振興も併せて、日本の既存の風土や文化を生かした産業立国を目指すものだった。明治10(1877)年、西南戦争の真っ最中だというのに、大久保は全国の特産品や新技術を紹介する内国勧業博覧会を上野公園で開催させている(戊辰戦争で焼け野原になった旧東照宮・上野寛永寺の境内地の復興の始まりでもあった)。変わったところでは、現在は宮内庁所轄の天皇家の御料牧場は、元は大久保が作らせた畜産試験場だった。家畜の飼育や乳製品の製造、さらに羊を飼育し羊毛で布地を作る実験まで行われていたわけである(内務省下総畜産試験場、後に宮内省下総御料牧場、その敷地は現在の成田空港になり、御料牧場は那須に移転)。大久保がまず目指したのは、農業国であった日本の歴史的流れに沿った産業の近代化と、それを輸出産業として育て上げ、日本を経済産業大国にすることだった。

だがその大久保は明治11(1878)年に不平士族に暗殺され、既に征韓論をきっっかけに政府を去っていた西郷隆盛も前年の西南戦争で死に、明治新政府の権力はほぼ長州閥が独占すると同時に、大久保の目指した軽工業中心の輸出産業による発展の方針は、軍事力強化を睨んだ重工業化に大きく転換することになる。今回の世界文化遺産への登録申請に含まれる官営八幡製鉄所(現・新日鉄住金)や、三池や端島(軍艦島)の炭坑が、その代表的な先駆的施設である。

富国強兵という国策は、日本列島の経済構造の大転換も意味していた。それまでのたとえば生糸産業であれば、先述の通り限定的とはいえ農村も潤い、養蚕はとくに東北地方の農家の重要な現金収入源にもなっていた。江戸時代末で人口のだいたい八割を閉めていた農民は、生糸・養蚕産業の伸張に応じて、農村で農業を続けながら緩やかに近代の世界になじんで行くことが出来たはずだし、小規模機械の製造や民生品の生活雑貨の大量生産ならば、既存の職人技術の延長で地場産業として定着し得た(内国勧業博覧会の出品品目を見ても、大久保の狙いはまさにそこだった)。

だが富国強兵策で鉄鋼や石炭や大型機械生産が成長産業と位置づけられれば、大量の労働力を一カ所に集める必要が出て来る。こうして労働者階級が誕生し、その都市部や工場周辺、工業地帯への一極集中が始まる。政治だけでなく経済の中央集権化が進み、地方・田舎の凋落が始まり、さらには重工業の成長維持のためには製品の市場と安価な労働力や原料資源の確保で、必然的に海外への進出も視野に入る。

重工業化の産業革命は必然として植民地主義に向かう

産業革命と植民地主義が表裏一体になる英国のモデルは、日本では長州閥の主導で国策として推進されていった。国主導の重工業振興と表裏一体の軍事力強化を国策の中心に据えた日本は、19世紀の重工業中心国家の必然として植民地主義の対外進出にも転じる。まずは大陸進出の足がかりとして朝鮮半島を狙って日清戦争で大勝、日露戦争の戦果は実際には引き分け程度であっても、朝鮮半島の権益を完全に掌握できたのが1905年(第二次日韓協約で外交権を奪い、内政に介入する権限も認めさせた)、それが今回世界文化遺産登録を目指している日本の産業革命期が完成したと日本政府が主張している年でもある。

だがその1905年前後の歴史の流れを見ただけでも、そこで区切るのだからその後は関係ないという日本政府の主張は、日本の近代史をまったく知らない人間の言い草でしかない。八幡製鉄所ひとつをとっても、まず軌道にのったのは日露戦争による特需があったからで、本格的な発展期はむしろ第一次大戦を経て昭和恐慌までだ。あえて区切るなら1934年の民営化までをひとつの流れとして見るのが自然で、1905年で区切る歴史学的な理由は見出せない。

富岡製糸場だけの世界遺産登録なら、国内の労働者搾取の悲劇、女工哀史にも言及があれば、まだそれだけでも歴史的な意義の包括的な理解は可能だろう。しかし八幡製鉄所や三池炭坑や端島(軍艦島)を世界遺産登録するのなら、その産業発展の歴史とは近代日本の対外進出の歴史と表裏一体にある。それも国策として、八幡も三池を始めとする重要拠点の多くは最初は官営で、政商と言われた岩崎弥太郎の三菱財閥などが政府との密接な協力関係を持って協力し、そして三池なら三井財閥に払い下げられ、八幡なら三菱も関わって民営化された経緯もある以上、日清日露戦争後の日本の植民地侵略の歴史や、戦後に民主主義を阻害するとされ解体された財閥の歴史ともまた、切っても切り離せないはずだ。

国策としての産業革命は、国策としての資本主義化も意味し、国策としての植民地主義政策とも一体化していた。近代日本の国策の光と影への言及なしには、これらの施設の歴史的意義を正しく把握して継承できるとはおよそ言えない。

満州の地下資源を必要とした重工業化の展開

1905年の日露戦争の結果、日本は朝鮮半島の権益だけではなく、ロシアから満州鉄道の経営権も譲り受けている。石炭や鉄鉱石の資源が眠る満州(現在の中国東北部)こそ、重工業化を国策として進める日本が産業革命転じて植民地主義の流れのなかでどうしても勢力圏に置きたかった土地であり、朝鮮半島はその足がかりに過ぎなかったとすら言える。

日本の産業革命を1905年で年限を区切ったところで、その時点で形成されていたのはまだ基礎段階だし、この国策としての産業革命の必然的な結果としての対外進出の国策の歴史的な展開がその後続いた以上、そこを排除すべき理由は見当たらないし、だいたい産業化、重工業化が国策であった以上は「経済産業の話なのだから政治や戦争は」という言い逃れも成立しない。

日本の近代化・産業化の歴史をちょっとなぞるだけでも、朝鮮人や中国人の強制労働の歴史も含めるべきだ、それを無視した一方的な美化ならば世界遺産として保存を推奨することには賛成出来ない、というのはまったくの学術的・歴史学的な正論でしかなく、日本政府は「学術的観点」を口にしながら、実際の主張は反知性主義に陥っている。

言い換えるなら、日本の産業革命の歴史を記憶するのなら、日本の植民地主義化と対外侵略の歴史を、双方を表裏一体として記憶しなければならないのが、知的・学術的な立場というものだ。日本政府が韓国に「学術的な観点からの勧告に政治的な判断を持ち込むべきではない」と主張しているのは、まさに話がアベコベである。これも安倍晋三首相の「思い」とやらへの配慮であるのなら、防衛大臣が「現行の憲法をどう安保法制に適応させるのか」と思わず口走ってしまった内閣でもあるのだし、いっそ【安倍コベ】という新造語でも流行らせたくなって来る。

世界文化遺産は、国宝の国際版ではない

世界文化遺産は、日本の国宝指定等とは意味付けが違う。いや国宝や重要文化財だって歴史的な価値も含めた概念だが、世界文化遺産はとりわけ、目に見えて、身体的に実感できる環境として歴史の記憶をその歴史の現場で保存し、後世に伝えていこうという運動だ。

歴史とは、流れである。ここまでの年限を区切ったから後のことは関係ない、というのは歴史の見方として明らかにおかしい。ポーランドの首都ワルシャワの旧市街は、第二次大戦でほとんど破壊されたにも関わらず、世界文化遺産だ。戦後の復興で新しい都市を建設するのでなく、市民が失われた自分達の町を可能な限り元の技術や材料を使って、史料を駆使して元のままに復元した努力が評価されてのことでもある。

法隆寺が世界文化遺産なのは世界最古の木造建築だから、というのが主たる理由だろうが、京都の西本願寺などの寺社仏閣が一括して世界文化遺産となるのは、その社殿の建築的・美術史的価値も包括して、今に続く信仰の文化の歴史を環境として保存して行こうという考え方だ。奈良の東大寺を中心とする仏教寺院も一括して世界文化遺産登録されているが、中心となる東大寺は源平争乱で焼き討ちされ復興し、南大門は鎌倉時代の建立、戦国時代にも再び焼き討ちされ、大仏殿は江戸時代の再建だし、大仏は二度の戦火で大破して再建されたものだ。それでも自然景観を含めて信仰文化を継承して来たことが、評価の対象になっている。奥州・平泉の浄土文化遺構に、建築などの文物がほとんどなにも残っていない毛越寺が、その浄土庭園故に含まれるのは、奥州藤原氏が平泉全体を浄土信仰の理想都市として構想した、その信仰文化を体感出来る環境として残すためだ。

あるいは、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所も世界文化遺産であり、広島の原爆ドームも世界文化遺産だ。負の歴史もまた人類の歩みの一部として、その悲劇の場所を目で見て、歴史を体感できる環境で保存するため、その悲惨の歴史から人類が学び続けることも、世界遺産として保存していく理由になる。

もちろん日本の産業革命は、その後のアジア諸国の発展の先駆となったモデルケース、いわばお手本という点で肯定的に評価される歴史ではある。だが産業革命の構造的な必然として搾取される労働者階級が生まれ、現に悲惨な搾取もあったこと、これまた産業革命の必然としての市場拡大と労働力や原材料確保のための対外進出が始まり、侵略戦争に至ったことも、日本の産業革命の歴史には含まれているのであり、そこを踏まえない世界遺産化は筋が通らない。第二次大戦後の世界では、国際連合や、あるいは日本国憲法にも見られる平和主義と戦争禁止の理念が広まったことから、日本が辿ったような典型的な、直接の植民地主義侵略までは踏襲されなかったにしたって、間接的には今の世界、今のアジア各地で、同じような問題が起こっていることも忘れてはなるまい。

歴史から学び、その過去の誤りを繰り返すべきではないという一点を誤摩化してしまうなら、日本が自国の産業革命遺構を世界文化遺産として申請する正当性がなくなる。女工哀史もちゃんと記憶に残すべきだし、三池炭坑の陰惨な労働争議や重大事故も、産業革命の生んだ負の側面として言及しなければならないし、国策としての、侵略戦争と表裏一体の重工業化(市場、原料資源、労働力の確保)なのだから、侵略された被害国民の強制労働の歴史も、言及を避けるわけにはいかないはずだ。

なぜ不自然に年限を区切って排除するのか?

戦後70年談話から侵略、植民地支配への言及や謝罪を省きたいと言われる安倍政権下の日本で、その動機の不誠実さを疑うなという方に無理がある。

「世界遺産」にはしゃぎ過ぎる日本

それにしても日本の世界遺産好きはたいしたものだ。

UNESCOに多額の資金を供出している、ということもあるのだろうが、政府も地方自治体も熱心に世界遺産登録を目指して来たし、実現したものも多い。今回ICOMOSが日本の産業革命遺構を推薦した時にも、メディアは大変なはしゃぎっぷりだった。ところが21の理事国のうち2/3の賛成票が得られそうになく(政治的な偏向を排する観点から、繰り返すが通例では全会一致がほとんど、原爆ドームにアメリカが反対したくらいしか思いつかない)、ICOMOSの推薦があってもなお登録されないかも知れないという事態に、日本のメディアはほとんど口をつぐんでいる。

そのはしゃぎ方自体も少しおかしかった。推薦に沸き立つ地元のことを報ずるにしたって「誇り」を口にしながらすぐ関心が向くのは観光による経済効果だ。もちろん世界遺産に登録されれば、知名度が上がり観光客増が望めるにせよ、いくらなんでもいきなり金勘定の話とは、人類普遍の歴史的価値の保存が目的だというのにあさましすぎる。「素晴らしい日本が世界に評価された」などと「誇り」を自賛するに至っては、勘違いも甚だしい。「私たちが守って来た先人の遺産から、世界の皆さんに学んで欲しい。これからも大切に遺していきたい」くらいの気の効いたことは言えないのか?

世界遺産登録を所轄する文部科学省の元官僚で、文化庁文化部長も務めた寺脇研氏は、「一九九三年に初めて屋久島や白神山地が自然遺産に登録されたことには一定の意味があった」と評価する。それまで国内で注目されず、放置されていれば開発の手が入って失われてしまう可能性があったのを、世界遺産とすることで防ぐことが出来たからだ。環境と景観の保全こそが世界遺産登録本来の、最大の役割だ。いったん世界遺産に登録されれば周辺の環境や景観も含めて維持する義務が政府や地元コミュニティに課せられ、違反すれば登録が剥奪される。

だが寺脇氏は一方で「同年に文化遺産として登録された姫路城や法隆寺については、どの程度の意味があったのか」と疑問を呈する。元から国宝に指定されていた建造物の多い法隆寺や、やはり国宝だった姫路城は、既に日本の文化財保護法で厳重に守られていた。1995年指定の白川郷と五箇山の合掌造り集落なら、世界遺産に登録されたことで観光客が増え、その収入がこの伝統建築を守る重要な資金源になっているが、一般論でいえば観光振興目的で世界遺産登録を目指した結果、増加した観光客が景観や環境を破壊する原因にもなりかねないのに、日本の行政でもメディアでも、そこが考慮されることは滅多にない。むしろ世界遺産で話題を作って一儲け、という発想しかない。

平泉の場合は、実は再三世界遺産候補に申請されながら、何度もICOMOSに却下された経緯がある。行政が観光振興策としか考えていなかったがためのバランス感覚で関係性の薄いものまで含めて申請してしまい、最初から有力候補だったのに、歴史的景観の保存という本来の意図に反しているとみなされ続けたのだ。結局、奥州藤原氏の浄土思想に基づく統治に関わる遺構に絞ったところ、すんなりと登録された次第だ。

世界文化遺産申請に見る歪曲された歴史観

今日本政府が世界遺産登録を申請している、開国から明治期の日本の産業革命遺構について、寺脇氏は「なぜ世界的に守っていくべき人類の遺産なのかわからない」と手厳しい。「今回の選定は、明らかに安倍晋三首相の地元である山口県を含めようという意思をもった政治が主導したもの」と言われれば、確かに、とくに山口県萩市の松下村塾は、なぜ入っているのか首を傾げる。

審査するICOMOSやUNESCOの理事国がそこまで日本の近代史に詳しいわけでもないだろうし、松下村塾が輩出した人材が「明治の元勲」となり、日本の産業化を国策として指導した、つまり松下村塾が日本の産業革命の思想的バックボーンを育んだと説明されればつい納得してしまうかも知れず、吉田松陰が鎖国の禁を破って海外事情見聞のために密航を企てたという逸話も華を添えるのかも知れない。だが、ならば松下村塾の出身者たちが国策として進めた重工業化が富国強兵、つまり軍事力強化と対外進出、植民地侵略と表裏一体であったことを無視するのは、ますます理屈に合ない。たとえば伊藤博文は初代朝鮮総督となり、独立運動の闘士に暗殺されているではないか。伊藤もまた松下村塾の門下生であり、だからこそ松下村塾を含めるのなら、ますますもってその一体の歴史として日本の侵略戦争や、侵略し支配した朝鮮人や中国人を強制労働させた事実もまた含めなければ、筋が通らない。

歴史とはご都合主義で気に入った事実だけを点として拾って線で結べばいいものではない。流れを把握しなければ、歴史を理解したとは言えない。

だが現代人の後付けの価値観だけでは歴史を理解できないのは当然のはずが、同時代のことですら自分たちの視点だけの狭量な価値観で誤った決め付けに、現代の日本人は終始してはいないか?伊藤博文が暗殺された旧満州のハルビン駅に、その暗殺者、朝鮮独立運動の闘士・安重根の記念碑が立つと言うと「安重根は日本が処罰したから犯罪者だ」と言い出したのが安倍官邸・菅官房長官だ。日本の法が裁いたのだから「法の支配」と言い張る詭弁がいかに珍妙なのかの自覚もないのだろうが、安倍首相本人は自分も伊藤と同じ山口出身だから悲しい、配慮して欲しいと言い出した。そこには日本が朝鮮半島を植民地征服した歴史文脈も、支配する側から見れば暗殺者でも支配される側から見れば抵抗であったという韓国や中国の視点への理解も、まったく抜け落ちている。いやこうなると、支配した側とされた側であることから一生懸命に目を逸らすか、詭弁を言い張るだけで歴史的な流れも無効に出来ると思い込んでいるかのようだ。

セネガルが世界遺産登録の採決について韓国の主張に理解を示し、副議長国として態度保留を表明すると、それを報じた数少ない日本メディアでは、韓国が首脳会談でセネガルに経済援助を約束したことを取り上げ、あたかもセネガルの票を韓国が金で買ったかのようなコメントがついた。この二国間の関係の全体の文脈はまるで無視したまま(日本の世界遺産など、首脳会談の話題のごく一部でしかない)、点と点だけの事象を恣意的にピックアップして、極端に自国内に引きこもった視点というかご都合主義で強引に線を引いた、ちぐはぐで馬鹿馬鹿しいレッテル貼りには、歴史的な経緯をよく知らなかった第三国でも、韓国側の主張についてただ説明されただけでもっともだと思って当然であることは恣意的に無視されている。セネガルが「まず二国間で話し合うように」という副議長国として当然のことを言っただけであることにも気づけなくなっているのか、それともちゃんと話し合えば日本側になんの学術的・歴史学上の説得力も実はないことを、誤摩化すための強弁なのだろうか?

未だに皇国史観から抜け切れない自虐的な歴史認識

だいたい現時点の歴史研究の歴史観や固定観念では見落としがちなことでも、後世に検証出来るよう、文献でなく歴史的な環境そのものを保存することが、世界遺産条約の目的のひとつだ。「その後の歴史は関係ない」とする日本政府の主張は、条約の精神自体に反している。

これまでの学校教育では無視されがちだったとはいえ、既に説明した歴史的経緯の通り、松下村塾だけが日本の近代化・産業化を主導したわけではまったくないのだし、今回の申請の歴史観には首を傾げざるを得ない。

江戸幕府は確かに鎖国令の伝統から外国船打ち払い令まで出してもいたものの、一方では長崎経由で西洋の事情も熱心に研究させて来たし、ペリーの来航にあたっても、井伊直弼や幕府の実務官僚たちのように開国をチャンスとみなしていた。明治以降の皇国史観の偏向で、従来の歴史教育では無視されるか悪者扱いされがちな井伊や江戸幕府だがが、近年の歴史研究では日本の開国と産業の近代化に果たしていた役割が注目され、再評価が確立しつつある。それを今なぜ、わざわざ松下村塾だけを持ち上げるのか?

そもそも鎖国政策自体が従来のイメージとは大きく異なり、幕府はオランダを通じた西洋との貿易で利益を上げ、西洋の文物や知識・技術が民生部門では江戸時代に広く行き渡っていたことも、最新の歴史研究ではもはや常識だ。たとえば世界で初の全身麻酔による外科手術は、蘭方医・華岡青洲の研究成果だった(乳がんの切除)。つまりヨーロッパではまだ理論しかなかった医療技術が、そこから学んだ日本では実用化されていたのだ。江戸庶民に人気があった浮世絵版画では、北斎の頃からプロイセンで開発された群青の化学染料が導入され(「ベロ藍」と呼ばれた)、その鮮明な青は現代人が浮世絵と言うとすぐ思い出すイメージになっている。あたかも江戸時代から明治にかけて大きな断絶でもあったかのようにみなし、松下村塾だけを誇大に持ち上げることは、近年の歴史研究からすれば既に過去の偏向した歴史観であり、とりわけ幕府の役割を無視してすべてが松下村塾の功績であるかのようにみなすのは、まったくの歴史誤認だ。日本の産業革命遺構の申請リストに松下村塾が含まれているのは、すでに誤りだと認識され否定されつつある歴史観に基づいていて、学術的に正当とは言い難い。

明治以降に主眼を置くにせよ、その明治11年まで日本の殖産興業を思想的にも実務でも先導したのも、薩摩出身の大久保利通なのだ。なのになぜ、いまさら松下村塾なのか?えらく質素な松下村塾の建物に、日本の将来の発展を夢見た若い下級武士達のロマンチシズムというフィクションでも見いだしたいのだろうが、歴史を現代の後付けの価値観で美化するのは、およそ学術的な立場とは言えない。

勝者の視点と都合から見た歴史観に固執して来た日本

記録に残り、教育に使われる歴史は、勝者の歴史、それぞれの時代の支配側の自己正当化の歴史にどうしても偏向しがちだし、記録つまり文献の解釈だけでは、ますます読んでいる側の立場や主観に左右されかねない。そもそも世界文化遺産とは、そうした文献に頼った歴史学の陥りがちな偏向を配し、物や環境として実感できるものを残して再検証ができるように、人類の普遍的な歴史と文化を保存して行こう、という運動でもある。一方で開国、幕末から明治にかけての、まさに今回の世界文化遺産登録申請の対象となった日本史の一時期については、既存の一般的な歴史認識はまだまだ明治政府の自己正当化であった皇国史観に歪められたもので、人類の総体どころか日本国内ですら、今さら「普遍的」と言えたものではない。

江戸幕府の役割が過小評価されて来たのは、薩長の下級武士や、江戸幕府250年の間政治に関われなかった京都の公家・岩倉具視の上昇志向・出世欲・野心から起こった倒幕クーデタと戊辰戦争の自己正当化のため、まさに「勝者の書いた」、というよりはっきり言えば歪曲捏造した歴史観であり、そこでは開国を成功させた江戸幕府や井伊直弼の役割や、その後の歴史に継承されたものは、皇国史観の影響下に恣意的に無視され続けて来た。

徳川を倒したのが明治政府だから徳川を過小評価する、その分かり易い具体例が、たとえば大久保利通が第一回内国勧業博覧会を開いた上野公園だ。現在では都の恩賜公園、つまり天皇家と関わりがあるかのような名称になっているが、戊辰戦争の上野の戦いで焼け野原になる前は寛永寺と東照宮の境内地、東照宮という神社と寛永寺という仏教寺院の一体化した徳川家の聖地だった。徳川の影を消すためだけでなく、明治の神仏分離令と廃仏毀釈への対応もあり、例えば東照宮のそばの寛永寺の五重塔は上野動物園の敷地になって、柵で区切られているのもあくまで近代のものだし、東照宮の斜め前には上野の大仏があったことすら、今ではほとんどの人が知らない。

こうした明治以降の歴史観の歪みを、日本史研究がようやく自覚的に乗り超えようとしている今、その学術的な流れに逆行しようと明治皇国史観にしがみつき、あたかも長州閥を美化するかのように松下村塾を世界遺産に含めようとしている日本政府の明治の産業革命遺構の選択と、それをめぐる主張には、やはりあまりにも学術的な正当性が欠如している。

歴史を歴史として見られない、事実を事実として認識したくない、現実を全体像で考えられない

歴史は流れとして捉えなければならないという教訓からすれば、まさに明治期に政府の自己正当化のために歴史を書き換えた流れを組むのが、長州閥の末裔の安倍晋三首相である上に、この政権は明治以降の近代史について、さらに歴史学の立場で言えばおよそご都合主義のトンデモとしか言いようがない歴史観を口にして来ている。

たとえば慰安婦問題をめぐる対応は、国際的な日本史・日本の研究者達から非難の声明まで突きつけられ、遅ればせながら日本国内の歴史研究者たちも同様の声明を発表している。実際、たとえば河野談話の段階から日本政府が言っている、慰安婦が強制連行された証拠がない、という主張も、歴史学の見地から言えば典型的なトンデモで、何重もの意味で笑い話にもならない。

いかに「吉田証言」報道の不正確さをあげつらって朝日新聞に圧力をかけて撤回させたところで、その後20年のあいだに進んだ研究成果、明らかになった史料、なによりも慰安婦被害者の証言という一次資料を覆すことなぞ出来るわけもない。日本政府の言う「直接に強制を命じた公文書がない」は、単に命令書にそれに該当する文字列がないというだけの、歴史文書の読み方も知らない幼稚な主張でしかなく、そもそも直接言及したら当時の日本の国内法でも国家犯罪になることを、わざわざ書くわけもないのは、歴史研究では当然の前提だ。

軍の組織的な制度の違法性を明らかにする証拠を、当の軍や警察が残すわけもないし、実際には慰安婦の徴集に軍が同行するよう命じられていれば、それだけで実態が強制連行だったと解釈するのが妥当だ。軍が来て慰安婦になれと言われれば、断ることすら命がけ、強制は自明になる。軍医が慰安所の衛生管理を担当している、警備と称して軍が慰安所を見張っているのに、いかに名目上は業者を介在させて書類上はその署名捺印を揃えていても、そんな形式だけ整えたところで「業者の責任だ」などと言えるわけもないし、いくら警備と言ったところで逃亡防止の役割を果たしていたこともまた自明だし、その考えもなかったとしたら、旧日本軍がよほど間抜けという話にしかならない。

いやそもそも、歴史は流れで見るものであって、恣意的にいくつかの点だけを選んで強引に線で結んだところで、そんなものは「歴史観」とすら呼びようがない。朝鮮半島が日本の植民地支配下にあった上に、内地の日本ですら「お国のため」と言われれば断れない社会になっていた時代に、「お国のために戦う兵隊さんの慰安」だと言われて断ることがどれだけ難しいことか?

ところが安倍晋三首相や日本の一部に蔓延している妙な勘違いでは「そんなつもりはなかったはずだ」と言い張れば、それで言い逃れが出来ると思い込んでいる。ところがその同じ口から、他人や他国のことだとおよそ常識では考えられない邪推で平然とレッテル貼りを始める(たとえば元慰安婦の証言は「金目当て」、河野談話を出した河野洋平元官房長官は「中韓よりで反日)のだから、言っていることがまるでちぐはぐだ。

都合のいい話だけを抜き出しそれを根拠だと言い張る「ソース」主義の倒錯

安倍政権のあまりにちぐはぐで、話をつなげてみるといつのまにか【安倍コベ】になっている、事実を事実として認識できない奇妙な論法のねじれは、歴史問題だけではない。

新しい安保法制をめぐる議論にしても、安倍政権の言っているホルムズ海峡に機雷が敷設されたら国家存立危機だと言う想定自体が、荒唐無稽な恣意的つまみ食いだ。ペルシャ湾の出入り口に単発的に機雷だけが敷設されるだけなんて状況がそもそも現実的に考えられず、機雷の掃海さえやれば石油輸入ルートが確保されるなんていう前提自体がまずあり得ない。そんなことはペルシャ湾全体を巻き込むような中近東紛争の一貫として起こるわけで、最低でも狭い海峡両岸のどちらかからの砲撃は想定される。それでは自衛官のリスクが増えると言われ、安倍が行き当たりばったりで思いついたのが「事実上の停戦状態に限って」。だがその条件でしか集団的自衛権を行使しないのなら、「どこが存立危機なんだ?」としか言いようがない寝ぼけた話になってしまう。逆に石油輸入の確保が存立危機だと言うのなら、機雷の掃海ではなくその危機それ事態への自衛隊の直接軍事介入を検討しなければならないはずだ。

こうした珍妙さは、開国から明治の産業革命だけが軍事力強化や対外進出の国策の文脈から切り離され、幕末の開国をめぐる政治状況から松下村塾だけが切り離され美化された、恣意的なつまみ食いの世界文化遺産登録申請にも共通するし、慰安婦の強制が日本の朝鮮半島植民地化の支配構造の全体像から切り離されて「強制はなかった」と言い張れる自民右派の論法にも通じるちぐはぐさであり、慰安婦の徴集に立ち会う軍隊がいつのまにか徴集される女性を「業者の人身売買から守っていた」ことになってしまう典型的なアベコベ、【安倍コベ】倒錯論法にも通ずる。

ホルムズ海峡の機雷掃海は、気がつけば安倍の言う自衛隊が出動出来る条件では存立危機事態でもなんでもなくなり、カンボジアで元自衛官が地雷撤去の人道活動に励んでいるのと同じような状況しか想定されない話になっている。戦争したい法案の審議を乗り切るために総理が、どんどん「あれもやりません」「これも危ないからやりません」の戦争できない答弁を繰り返し、その言葉通りならこの法案を通そうが通すまいが自衛隊に許すことはあまり変わらない、まさに本末転倒のアベコベでちぐはぐ、【安倍コベ】な話になって来てはいないか。

恣意的に幾つかの点だけを現実の全体文脈から切り離したご都合主義でピックアップし、流れを無視して選んだ点と点を強引な願望で結びつけたフィクショナルな線を強弁している本人は「丁寧に説明している」つもりなのかも知れないが、聞かされている側は無駄な繰り返しばかりが多くて、なにが言いたいのか分からなくなる。いや言っている本人もただその場限りのへ理屈として都合のいい点だけをピックアップして、その点と別の点のあいだに無理矢理線を引いているだけなので、気がつけば支離滅裂になっている(…ということに、しかし本人達はたぶん気づいていないのだろう)。

そもそもの狙いを隠したがるアベコベな動機ゆえのちぐはぐさ

もちろん安倍がいかにホルムズ海峡の機雷掃海以外に集団的自衛権の行使は考えていないと答弁しようが、集団的自衛権の行使を可能にすることが日米の連携で中国に対抗することを目的にしているのも、分かり切った話だ。なにせ安倍自身が昨年、自衛権行使の新三要件を発表した時点で、あからさに中国を挑発するような発言を記者会見で行っているのに、今さら「そんなこと考えていない」と言い張ったところで不正直さが透けて見えるだけだ。だが安倍のことだから、あの時には「南沙諸島」と名指しせず「南シナ海」と言ったし、中国という国名も上げなかったはずだと、いいわけにならないいいわけを始め、「そんな中国側の見方を言い出すのは反日左翼だ」とレッテル貼りに終始しかねない。

さらに支離滅裂でちぐはぐなことに、一方でその安倍は中国の南沙諸島開発を念頭に、G7サミットの外遊中にも「力による現状変更を許さない」と繰り返している。だが中国が現状やっているのは、自国が領有権を主張し、現に実効支配している岩礁というか島の埋め立て工事であり、国際法上も、事実としても、「現状」は未だなにも「変更」されていない。それでも安倍とその周囲は、こう言えば中国を挑発できると思い込んでいるらしい。だが現状の文脈では「力による現状変更」といくら言っても中国はそれをやっていないのだから批判にならないし、「力による現状変更を許さない」だけならば確かに現代の国際法秩序の当然の前提だから、安倍がそれを呪文のように繰り返しつつも「中国」「南沙諸島」と名指しは避ける限り(名指ししてしまえば無根拠な中傷だと中国に非難の口実を与えるから言えない)、諸外国としては抽象一般論として受け取れば同意できることでもあり、安倍の真意を察しつつも、事を荒立てたくないから適当に話を合わせる。その程度のリップサービスを言質をとったかのように「G7参加国の支持を得た」「中国を牽制」と報道しているのが日本のメディアであり、こうなるとアベコベというか【安倍コベ】は、もはや安倍政権だけの問題ではなくなっている。

政策の危険性とちぐはぐな動機・目的の幼稚さ

国会の憲法審査会で自民党の推薦した参考人までもが新安保法制を「違憲」と断じた珍事もまた【安倍コベ】の典型だし、そもそもその根拠と称する自衛権行使の新三要件を昨年には出しておきながら、それを憲法上可能にする解釈の論理は未だにまったく出していないのも典型的な【安倍コベ】だ。もちろん実際にやっていることは立憲主義そのものを否定しかねない政権の暴走で、厳に批判して止めさせなければならないのだが、どうにも困ってしまうのは、そこに至っている安倍政権の動機や論理があまりに子供っぽい、いわば不正直がバレそうになった甘やかされた子供がその場しのぎのいいわけを次から次へと考え出している状態でしかないことだ。

憲法審査会で参考人として「違憲」と断じた長谷部恭男、小林節、笹田栄司の三氏も、その週末に東京大学で行われたシンポジウムで痛烈な安倍批判を語った佐藤幸治・京大名誉教授も保守系で、自衛隊合憲論の論理的・学術的な裏付けを整理して来たような憲法学者だ。自衛隊容認で保守だから賛成してくれるはず、だから合憲と言うだろうと期待していたとしたら、自民党の発想もまたアベコベである。なにしろ法の支配の論理からして話がアベコベなわけで、法学者が賛成出来ないのは理の当然だ。集団的自衛権行使の必要性に賛成するとしても、ならば当然改憲すべきだ、という話にしかなり得ないことが分かっていない。ここでさらにややこしい【安倍コベ】は、安倍自身がその改憲をやりたいのが本音だと言うところにある。

本当は改憲をしたいのに、改憲を発議しないまま「解釈改憲」で成果を上げようとするだけでもお話がひっくり返っている。その改憲の戦略で、自民党の方針は「まず国民の反発が少ないところから」となっているのに、もっとも警戒される九条を無理矢理な解釈変更でいじろうとしながら、それを可能にする法論理も準備せずに法案を提出する。そこで初めて、集団的自衛権の行使を可能にする新しい解釈をひねり出すのなら真っ先に相談すべき憲法学者を呼び、案の定ダメ出しをされる。すべてが【安倍コベ】でちぐはぐなのだ。

結論ありき論理は後付けのでっち上げの繰り返しで、不正直さが習い症になった安倍のニッポン

この動機からしてご都合主義のつぎはぎで、やっていることと目指していることのあいだが転倒している【安倍コベ】なちぐはぐさは、開国・明治の産業革命遺構の世界文化遺産申請にも共通しているように思える。

寺脇研氏は「安倍晋三首相の地元である山口県を含めようという意思」を指摘しているが、産業革命遺構を世界遺産にすることよりも、安倍政権にとってはむしろ松下村塾こそが肝心だったのであり、それも単に山口県だからではあるまい。日本の工業発展を称揚するのは表面的ないいわけに過ぎず、それが国策であったこと、その国策を主導した松下村塾出身の明治の「元勲」たち、産業革命よりもその表裏一体の軍事力強化と対外進出の流れをこそ、安倍政権は美化したいのではないか? 1855年から1905年の50年間というとき、松下村塾と共に最も古いのが韮山の反射炉で、これは欧米に対抗して大砲を鋳造するための鋼鉄を作る溶鉱炉実験施設だ。1905年までと区切ったのも日露戦争の年だからであって、官営八幡製鉄所がこの戦争の軍需で急成長を遂げたことなどは、むしろ後付けの理屈に過ぎない。

富国強兵を本当は美化したいが、それをやったら批判されるから「日本の産業革命」で妥協したつもりなのが安倍政権の本音なのではないか?

その本音で言いたいのは、日本が重工業国家として資源を求めて対外侵略を重ね、侵略した国々の人間を労働力として搾取したことも、「日本のため」には当然であって、端島や三池の炭坑や八幡の溶鉱炉で朝鮮人や中国人が強制労働に従事し、命すら落としたことすら、本当は「日本のためだ、悪くない」「日本人が命がけで戦争をやっていたのに、なにが悪い」なのだろう。

だが強制労働の事実それ自体は批判の対象になるから、批判されないためには1905年で区切って「それ以降のことは今回の世界文化遺産申請には関係がない」と、行き当たりばったりで強弁している。そうやって批判を封じられれば、「日本は悪くないのだ」となり、いつのまにか批判されないようにうまく隠した強制労働の事実それ自体までが、「日本は悪くなかった」となるのが、安倍氏やその支持者に見られる典型的な詐欺論法なのだが、始末の悪いことに本人たちには、それがあからさま過ぎる幼稚な事実のすり替えに過ぎず、論理として破綻していることすら自覚できないらしい。

もちろんまともな知性や教養があれば、例えば証拠を隠したところで史実があったこと自体は変わらないことは分かる。証拠がないのはそれが失われたか、隠蔽・破壊されたからに過ぎない。だが珍妙な思い込みを自分の周囲仲間内で共有さえすればそれが「みんな」になってそこしか見ず、恣意的な点と点のつなぎ合わせを根拠と言い張れば歴史も事実も変えられると思い込み、その自称「根拠」に絶対の自信を思い込んで、一般常識レベルの話にさえ「ソースを出せ」と言い張るのが【安倍コベ】論法だ。

論理的には違憲としかなりようがない話でも「私は総理大臣です」「合憲と言う著名な学者もいっぱいいる」と言えば、論理構築も正当性の論証も必要がなく、その場限りの答弁で「あくまで最低限」「限定的」と繰り返せば「論破」出来たと自己満足してしまう。法論理という概念すら理解出来ていないから「日本国憲法が日本人を守ることを許していないとは、私には思えない」などと言った自分の“思い”を言えば現実を変えられると思い込む(しかも本人がそんなこと信じていない)。こんな行き当たりばったりのでっち上げの詭弁を繰り返すうちに、なにも出来ないまでに自分達を縛っていることにすら気づかぬまま、それでもその場その場で反論や批判をする側をレッテル貼りで貶めたり言いくるめたりして黙らせさえすれば、ご都合主義のでっち上げも事実になる、と安倍晋三たちは信じ込んでいるようにも見える。まさに【安倍コベ】でちぐはぐ、彼らの内輪でしか通用しない現実拒否の内輪ひきこもりでは、行きつく先には破綻しかないのだが。

【付記】

この問題は日韓国交樹立60周年の前日、6月22日に開かれた日韓外相会談で、日本が韓国側が指摘・要求して来た通りに強制労働の歴史に言及することを約束して、一応の解決を見たかに思えた。

本文中にもある通り韓国側の主張はあくまで、産業革命遺産が強制労働の歴史を隠蔽し美化を目論むものならば反対というだけで、7施設での強制労働に言及があるなら「世界文化遺産登録を祝福する」と言って来ている。以上の実際の経緯を日本国内の報道はほとんど無視して来た。

外相会談では、韓国側の日本の体面への配慮から、強制労働への言及は日本が自主的に、という体裁になり、明治の産業革命遺産の世界遺産登録に韓国が協力するのと引き換えに、日本は韓国が登録を目指す百済歴史遺跡地区の世界遺産化に協力する、という交換条件らしき話の方だけが盛んに報道された。しかしこの「交換条件」には実際にはほとんど意味がない。日本には最初から百済歴史遺跡地区の登録に反対もしていないし反対する理由もなく、世界遺産登録決定は(これも本文中で触れたように)もともと全会一致が原則。日本も最初から賛成の予定だった。

いざボンでの世界遺産委員会会議当日の7月4日に、百済歴史遺跡地区の登録がすんなり決まった後、明治の産業革命遺構の世界文化遺産登録の採択は膠着している。第一報は「韓国が反対」だったが、これは完全な誤報だ。一部テレビでは韓国からボンに乗り込んだ市民団体や一部国会議員の反対運動の映像を流したが、これらは政府とは関係がない動きで、これは恣意的な歪曲と言うべきものだ。

韓国政府は日韓外相会談での合意通りの協力姿勢を守り、日本の産業革命遺産の登録の全会一致の採択のために理事国として意見陳述を行う手はずを整えたところで、その内容を巡って日本が事前調整を要求、強制労働への言及があることから、3日の段階ですでに日本が韓国側演説を阻止しようと動いていることを、韓国の国会審議で韓国政府が明かしている。そのため議長国ドイツの判断で、審議が先送りにならざるを得ず、本来なら日韓外相会談で決った通りにつつがなく全会一致での採択が決るはずだったのが、他ならぬ日本がその採択を妨害しているのだ。

この採択は翌日に先送りされた。ボン入りしている担当の内閣官房参事官が「世界遺産委員会というのは、あらゆることが起こる」とも述べたとされるが、通常世界遺産への登録は、たいがい全会一致で速やかに行われるものであり、こんなナンセンスな言い訳が出て来るということは、世界遺産への登録が危ぶまれる状況になっていることも予想される。

7月5日朝現在、政府筋によれば日韓交渉が難航した場合は投票になる可能性も否定できない情勢だという。そうなれば理事国のうち7カ国が反対でなく保留を表明するだけで、明治の産業革命遺構の世界文化遺産登録は失敗に終わりかねないのだが、なぜ日本政府が今になってこの様な動きをしているのかがまったく理解できない。

約束を反故にしてでも強制労働の歴史を隠蔽したい、そのためには世界文化遺産登録が出来なくとも構わない(そこで「韓国けしからん」の国内世論を捏造できる)と言うことなのだろうか?それとも外相会談で双方納得したはずのことを、首相周辺が覆そうと、無茶を言い始めているだけなのだろうか?

【付記2】

7月5日の世界遺産委員会で、議長国ドイツを中心とする調整の努力の結果、明治の産業革命遺産は無事全会一致により世界文化遺産に登録が決ったも。日本側は韓国との協議の結果、自ら「朝鮮半島の多くの人々が意思に反して連れて来られ、働かされたことへの理解を進める」と佐藤UNESCO大使の演説で明言することになった。韓国政府代表は「日本が誠意をもって履行すると信じる。被害者の苦痛を記憶にとどめ、歴史の傷を癒やす重要な一歩だ」と応じている。韓国の主張が全面的に通っただけでも、外交的には日本の完敗だと言わねばならない(もともと日本の主張が歴史学的に不合理で、勝ち目のない争いではあったのだが)。

そもそも5月のICOMOSによる推薦の時点で、「歴史の総体を正確に伝えるように」という注文がつけられていたのが、今回なんとか世界文化遺産に登録となった明治の産業革命遺産である。

国内報道では恣意的に誤解を招くように書かれてているケースがほとんどなので、改めて事実関係を確認しておく。

韓国側の主張は当初から「歴史を歪曲した美化なら反対」であり、強制労働の事実に言及があるのなら、全23施設の登録を支持する、だった。これは日韓外相会談で日本側の自主的な努力としての履行が確認されており、世界遺産委員会では原則通りの全会一致の採択を議長国ドイツが主導していて、韓国の意見陳述もその文脈内で準備されたものだ。

つまり韓国は反対などしていないし、明治の産業革命遺産の登録を妨害する意図もまったくない。むしろ日韓対立があった事情を踏まえれば、韓国が納得したことを説明するために強制徴用の事実に言及するのは当たり前の流れだ。ところが日本がそれを妨害しようと事前協議を求めて紛糾したのであって、審議と採択を一日遅らせたのは日本側の責任でしかない。

なぜ日本側がこのような突然の、掌返しとしか言いようがない強硬姿勢に出たのかは分からない。そもそも日韓外相会談で合意済みのことだからだ。考えられるのは首相周辺から不満が出て、外務省が方針を転換せざるを得なくなったというくらいしか思い当たらない。いずれにせよこの様な態度は逆効果だった。

明治の産業革命遺産の世界遺産登録は全会一致の採択になったものの、これには日本が強制労働の歴史について十分に説明するよう努力すること、という条件がつけられた。

日本政府は2017年12月にUNESCOにこのレポートを提出、翌18年の世界遺産委員会で審査され、不十分とみなされれば登録は抹消される。

環境保全が危うくなった資産が危機遺産になり、その努力を怠った場合には登録が抹消された例は既にあるが、このようにな政治的理由で当該国政府が抹消される可能性を予め警告されるのは、前例が思い当たらない。日本としてはかなり恥ずかしい話である。

それだけではない。西欧各国のメディアでも、日本側が恣意的に歴史的意義を限定しようとした態度に批判の論調が出て、負の歴史を隠蔽を計った安倍政権の意図とは真逆に、「日本の戦争犯罪遺構」といった見出しで報道される結果になってしまった。さらに厳しいのは米国のメディアで、三池炭坑などで米軍捕虜もまた奴隷労働に就かされた事実が無視されていることに厳しい批判が浴びせられ、UNESCOの権威だけでなくひいては日米同盟をも危うくする、との指摘もある。

外交的な結論を言うならば、韓国圧勝というわけでも必ずしもない(むしろ韓国は微妙な配慮を繰り返し見せて来ていて、突っぱねて当然の協議にも応じた。つまり「勝つ」気は最初からない)が、安倍政権の日本は無惨なまでの完敗だ。

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