アヴィ・モグラビ監督来日 「8月、爆発の前」(イスラエル=フランス)映画評 by 藤原敏史・監督

国会議員に訴える女性
アヴィ・モグラビ監督

アヴィ・モグラビ監督


今年の8月は東京でも異常な暑さだが、テルアヴィヴの8月は一年でいちばん暑い、気温は40度前後になる。海辺の町なので蒸し暑い。その8月の31日間を毎日撮影した「8月についての映画」…を作ろうとしたら巧くいかなかったことを映画にしたのが、アヴィ・モグラビの『8月』である。

…といってもちろん「うまく行かなかった」ことをキャメラに向かって監督自身が語ることからして、自作自演の作り事である。

妻とプロデューサー役を自分で演じるアヴィ・モグラビ

妻とプロデューサー役を自分で演じるアヴィ・モグラビ

セルフ・ドキュメンタリーと言いながら、アヴィ・モグラビが自分と妻、そしてプロデューサーの三役を演じ、それがえらく分かり易い画面分割で合成され、ということからして『8月』ははっきりと映画を作ること/作れなかったことについての話が演じられた映画であり、さらに言えば「自分を演じる」ことについての映画でもある。

モグラビ家の居間に置かれたキャメラに向かってモグラビが自分を演ずる映像と、実際に8月のあいだ毎日街で撮影した映像、そしてこれまた別の映画のためオーディションを受ける女優達の映像で構成される。その三つの要素のどれにおいても、「自分を演ずる」ことと、演ずることへの拒絶が、そこにキャメラがあることで露見する。

時は2002年の8月。12年前のことは、今ガザ戦争に関心が集中する世界にとってはもう忘れた大昔なのだろうが、前年からいわゆる第二次インティファーダが始まっていた。

パレスティナ人の労働者だけがにこやかにキャメラと会話する。

パレスティナ人の労働者だけがにこやかにキャメラと会話する。

いちばん怖いのは、街で撮ったドキュメンタリー部分が、ドキュメンタリーつまり現実を切り取った映像にならないことだ。ドキュメンタリーを撮ること自体が成立しない、街にいる人はすぐにキャメラの存在に反応し、「お前は誰だ」「なぜ撮るんだ」「撮る権利はない、プライバシーの侵害だ」と苛立ちながらモグラビ監督に詰め寄る。それを計算済みでわざと喧嘩する、イスラエル人なら誰でも撮ったら危ないと分かっている軍関連や国防省にもキャメラを向け、「この国には表現の自由があるはずだ」「お前達はパブリック・サーバント(公僕)のはずだ」とまでやってしまうのだから、キャメラを持つモグラビ監督もまた、キャメラの背後で自分を演じている。

オーディションは、1994年のプリム祭り(旧約聖書のエステル記に基づき、ペルシャの首都に抑留されたユダヤ人が王を味方につけてユダヤ人を虐殺する陰謀を防いだことを祝う祭り)にヘブロンで起こった、ユダヤ人男性によるパレスティナ人虐殺事件をめぐる映画で、虐殺犯の妻役の女優を選ぶためという設定だ。

虐殺事件の実行犯の妻を演ずる女優を選ぶオーディション

虐殺事件の実行犯の妻を演ずる女優を選ぶオーディション

この映画企画の話も作り事かも知れない。だがいずれにせよ、使われている台詞は実際の妻の供述に基づく。つまり現実の世界で自分を演じるシチュエーションを女優が演じる、ここでも「自分を演じる」ことがモティーフになる。

時は2002年の8月。繰り返すがその前年からいわゆる第二次インティファーダが始まっていた。同年の3月末(過ぎ越しの祭り)ではテルアヴィヴでも人気のカフェが爆破され数十の死者が出た自爆攻撃事件があり、立て続けに翌日にはハイファ、その翌日(キリスト教の復活祭)にはエルサレムで自爆攻撃があった。対抗したイスラエル国防軍は西岸の各都市に侵攻、ジェニンでは虐殺事件が起こり、パレスティナ自治政府の首府ラマラでは、アラファトが評議会議長官邸に立て篭った。電気がないというわけでわざわざアラファトは夜にインタビューを受け、テレビに流れた映像には照明の蝋燭まで写っていた。だが自分を演じることに関してこだわりがあり過ぎたアラファト氏は、蝋燭だけの照明ではしわが刻まれて高齢であるとすぐ分かってしまう映像は許せなかったらしく、ちゃんと顔にはこうこうとライトが当てられていた。「おい、停電してるんじゃないのか?」と突っ込みたくもなった。

国会議員に訴える女性

国会議員に訴える女性

この年に、イスラエルでの交通事故が激増している。自爆攻撃を恐れてスピードを出し過ぎが原因、と言われた。バスは自爆攻撃のかっこうの標的とされ、ある程度の収入があるイスラエルのユダヤ人は乗らなくなった。結果、自爆攻撃の犠牲者の多くがなんの関係もないフィリピンや中国南部からの移民出稼ぎ、という皮肉な状況まで起こっていた。

地理的にはパレスティナと呼ばれる、現代ではイスラエルとパレスティナという二つの民族とその国家(後者もいずれ独立することは合意済み)の分断と衝突と共存が絡み合うこの地域は、世界中のメディアのキャメラが集中している。

イスラエルの建国自体が、抑圧されて来た少数民族が自分たちの国家を作ることが出来た、世界史上稀な、もしかしたら初めてかも知れない事件だったが、その建国は必然的にパレスティナ人を抑圧される少数民族の地位に追い込んだ。双方の民族はその自分の所属する立場を世界に向けて演じることを宿命づけられ、さらにその中で個々人が「自分は自分なんだ」ということを演じようと遮二無二になっている。

レバノン国境で撮影中、イスラエル国防軍のジープが接近

レバノン国境で撮影中、イスラエル国防軍のジープが接近

街頭ドキュメンタリーで唯一、キャメラを拒絶もせず、キャメラを武器とみなしてそれに対して闘おうともしない人たちがいる。

テルアヴィヴの中央バスターミナル付近の、いわば日雇い労働者街で、ユダヤ系の新移民(旧ソ連の崩壊で100万前後のユダヤ人がイスラエルに移民した)や中近東系ユダヤ人の労働者たちは「なぜ撮るんだ」と、自分達の姿を恥ずかしい、見られたくないものだと思っているかのように、怒り出す。

だがある数人のグループだけが、キャメラを廻すモグラビに向かって挨拶し、撮っている理由を訊くのも普通の挨拶で、相手を確認するためだけで、理由を訊けば素直に、キャメラの前で出来る限り自分自身であろうとして、皮肉のこもったユーモアで自分の置かれた状況を語る。「ではあなたの映画では、私がパレスティナ人を代表することになるんだね」とその男はいうのだ。

『8月、爆発の前に』 

監督・脚本・編集アヴィ・モグラビ

8月23日(土)12時20分~

「New Cinema塾」(主催・原一男)で

上映 ゲスト:アヴィ・モグラビ監督

http://newcinemajuku.net/curriculum/?p=48

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