【超文論考】橋下徹さんと大阪市政と大阪都構想、そして「差別する町」の伝統 -在特会との討論を契機に考える by 藤原敏史・監督

維新の党・結党大会で演説する橋下徹・大阪市長 撮影:及川健二

今年3月に行われた大阪市長やり直し選挙は一応、橋下徹さんの一人勝ちだったが、大阪都構想は極めて難航している。

このこと自体はとても残念だ。大阪府全体にとって都構想がメリットが大きいだけでなく、大阪市にとっていささか乱暴にも見える現状改変の都構想であっても、最終的にはよい転換点になったはずだからだ。

だが都構想の本質がなんなのか自体すら、橋下さん自身がほとんど語っていないのは橋下さんにも責任の一端があるとしても、今までちゃんと言って来なかったことを言ってしまえば、橋下さんが市長を続けることすら不可能になるのかも知れない。

実のところ前回の選挙では圧倒的な支持で市長に当選させておきながら、大阪市民の大半は恐らく都構想を支持していないか、まず内容をよく分かっていないか、理解する気もないし、実は理解している人は既にこっそりと反対しているのではないだろうか?

いや本当は分かっているのに分かっていないふりをしているのか、本当にまるで分かっていないのか、実は分かっているのに分かっていること自体までも無意識の底に追いやって分かっていないフリをしていること自体についてすら無自覚であるのか、その区別も判然としないことこそが、まさに「ザッツ大阪」なのである。

大阪都構想は東京一人勝ち・中央集権の
経済構造を打破することが狙い?

都構想の究極の目的、というより都構想もまたその手段に過ぎない橋下さんの本当の野心は恐らく、大阪と関西圏をここ何十年かの停滞から抜け出させ、日本の現状である東京一人勝ち・中央集権の経済構造を打破し、大阪をかつてそうであったように東京と並ぶ日本の二大経済中心として復権させるために、大阪の経済活動を活性化させ、経済を担えるだけの基礎体力や気力を回復させることなのだ。

東日本大震災では東京一極集中の脆弱さに気づく人も多く、企業のなかには大阪にも経営基盤を持とうとする、一時的には経営の中枢を大阪に移すことを考えた人も少なくない。だが起こっておかしくなかった(東京でそれを危惧する人も少なくなかった)この大移動は、結果としてまったく起こらなかった。理由は東京が実際にはそれほど被害を受けていなかったことでも、回復が思いのほか早かったからでもない。端的に言ってしまえば、大阪にその受け皿になる体力も体制もなかったからだ。

以前に橋下さんがぶち上げた、関空と梅田をリニアで結ぶ構想にしても、大阪と関西の経済圏の全体を考えれば、伊丹空港が廃止となることも受け入れられたはずだが、そうはならなかった。関空、伊丹、神戸と三つも空港があることがただ「無駄」だから整理すべきだった、というだけではない。伊丹に配慮して関空がその機能を発揮できないことが大阪がこのグローバル経済の時代に巨大経済都市として生き残る上で障害になり、大阪の東京への従属を固定化するからこそ、断行すべきだったのだ。

大阪市長選挙2014で都構想を図示したボードをバッグに演説する橋下徹・現大阪市長。 撮影:及川健二

大阪市長選挙2014で都構想を図示したボードをバッグに演説する橋下徹・現大阪市長。 撮影:及川健二

 

関西空港のハブ空港化は
国際経済都市・大阪には不可欠

空の便に関しては、東京も決して便利な都市ではない。羽田空港の再国際化が今やどんどん進行しているのも、成田空港というかなり遠く不便で、その割に空港としての使い勝手も悪いところが玄関口であることが、香港や、インチョン国際空港を擁するソウルが国際ハブ空港としての機能を発展させていることに較べて、日本経済の凋落を危惧する要素にすらなっていたからだ。

その点、関空は最初からハブ空港化を視野に入れて設計されている(成田は当初計画の半分くらいしか実現出来ていないので滑走路が足りないし、ハブ運用は夜間離発着が出来ないので無理)。関空を当初の構想通りに完全に運用すること(伊丹と関空の一本化はその重要な一部)は、国際経済都市としての大阪を維持するには不可欠のことだったし、日本経済の基礎体力強化にも貢献したはずだ。

だからこそ橋下さんは伊丹の廃止も視野に入れて関空=梅田リニア構想をぶちあげた。

今ならバスで1時間かかるしそのバスが1時間に1本か2本しかない梅田=関空をリニアで結べば、今はいかに儲かっていようが伊丹=羽田便は意味がなくなる代わりに、海外からのビジネスマンの日本出張の相当な部分を大阪が担える体制になる。

まったく、羽田=伊丹便が繁盛しているのに伊丹を廃止する理由がない、と言い張る人たちはなんと「先のこと」も考えられず、現状認識すら木を見て森を見ずの保身の自己中心主義なのだろう?東京から大阪に来る乗客が伊丹に着くか関空に着くかだけの違いで、伊丹が羽田便で儲かるとはすなわち、大阪が東京に従属する都市であることに甘んじる現状の追認以外のなにものでもない。伊丹空港から行くままでは、国際ビジネスマンにとって大阪は、東京のついでに時間があったら程度のスタンスでしかなく、だから大阪が発祥の、本店や本社が大阪にある企業でも、実際の業務の中心は東京に置くしかなくなり、それでは大阪の経済産業はどんどん空洞化する。

「関空は不便」と言って伊丹廃止に反対したって、それは大阪市内と関空が直結されていないからだ。

逆に伊丹が便利なのは、ただ阪急電車が走っているからに過ぎない。リニア構想は実用化されていない技術なのだし大風呂敷広げ過ぎの打ち上げ花火スタントだったにしたって、なぜ梅田や天王寺か難波と関空が鉄道で直結していないのか、理解に苦しむ…ようなことでもない。それをやってしまったら伊丹空港の価値がなくなるから、わざと関空を不便にしているのだ。

あるいは伊丹を維持するなら維持するで、今度は比較的近いアジア圏、少なくとも韓国やとくに中国、それに台北やバンコクやマニラくらいは直行便を飛ばさないと意味がない。それもビジネスで常用できる程度の運行規模でないと、今度は国際ハブ空港化したインチョンや香港や上海、北京に、関空や成田、羽田が大阪の旅客を奪われるだけになる。

大阪市長選2014の最中、公立校体育館で催された市民集会で「大阪都構想」について説明する橋下徹・市長 撮影:及川健二

大阪市長選2014の最中、公立校体育館で催された市民集会で「大阪都構想」について説明する橋下徹・市長 撮影:及川健二

都構想は現状の停滞を打破するひとつの手段

大阪が実利を重んじ損得勘定にぬかりのない商売人の町だなんていうのは、現代ではまったくの嘘っぱちだ。むしろ官僚的な既得権益に、それがジリ貧に向かうことを見て見ぬふりしてしがみつき、顧客のニーズへの対応も苦手な引きこもり体質、というのが実態に近い。

都構想はそんな現状の停滞を打破するひとつの手段であり、橋下徹さんが目指しているのは過去の繁栄を食いつぶしその栄光のプライドにすがりながら、現状をなにも変えられず、このままでは衰退するしかない大阪の力を取り戻すことだ。

都構想とはそのための荒療治であり、また府知事として橋下さんが実感したあまりにもの不自由を打破することでもあった。ぶっちゃけ、大阪府というのは財政難も含めてほとんどなにもできないのに規模だけは大きい自治体である。

なぜ大阪府には力がないのか?

これまでの府政にも責任がないわけではないが、最大の理由は構造的なものだ。大阪府内では、大阪市だけが一人勝ちにリッチな自治体であり、実質権力の大部分を府ではなく市が独占しているからだ。

これは大阪府内でも大きな不均衡を引き起こしている。

大阪市だけがお金が潤沢では、他の自治体の住民は貧乏クジを引かされた格好になる。もっとも、その他の市町村も大阪市のベッドタウン化しているわけで、それなりにリッチな大阪市の恩恵に多少は預かってもいるわけだが。

なにしろ腐っても鯛のかつては巨大経済中心で、日本の大企業は経営機能のほとんどが(国際競争に勝ち抜くために)東京中心で動いていても、大阪には名前だけ本店、名目上本社がまだたくさんある。実は大阪の産業経済とは現状ほとんど関係がなくとも、それは大阪市の税収には結びつく。

その上大阪市の不動産資産が、実はもの凄いらしい。正確なところは忘れたが(橋下氏の対抗候補たちはなぜそれを調べ上げて争点にしないのだろう?)下手すれば市全体の25%だか3割以上の経済産業立地が、実は大阪市の所有だったりする。

だからこそ大阪市はリッチで、無駄なハコモノでもどんどん建てられるだけではない。補助金で地元経済を廻している面ももの凄くあり、そして市役所がその巨大利権を握っているのである。そのすべては、大阪市民の目先の利益ともなり、その生活を維持するのにも貢献してはいるわけで、だから橋下さんも都構想の真の目的をおおっぴらに口には出来ないのだろう。

つまり都構想の本丸は、大阪市役所の持っている巨大利権と巨大権限を剥奪し、大阪市だけがリッチな現状を変えて大阪府全体で効率的におカネを使うことと、過去の遺産と補助金漬けの大阪の経済の実態を打破して、自立した経済的な体力を回復することにある。

『ほんの少しだけでも愛を』©2014, Toshi Fujiwara, John Badalu, MAV Productions Asia and AddWord Productions

『ほんの少しだけでも愛を』©2014, Toshi Fujiwara, John Badalu, MAV Productions Asia and AddWord Productions

都構想で大阪府全体を復活させる

言い換えれば都構想の本音とは、「大阪市民は甘やかされて腑抜けにされているからこのままじゃダメだ」ということであり、「税金の無駄遣いでもなんでもいいからそれで経済が廻っているという現状はおかしいだろ」、だから「大阪市民がもう今までのように甘やかされず、大阪府全体で有効にお金を使うことが、大阪の経済活性化につながる」である。

だがこれを言ってしまえば、東京コンプレックスに苛まれる大阪市民のプライドはもの凄く傷つくし、実はかなり補助金で廻っている経済の、その補助金を直に貰っている層であるとかからは、確実に支持されない。

でも橋下さんが選挙キャッチフレーズで打ち出している「次世代のために」で考えれば、このままその温存の最優先で行けば、大阪は実は経済的に凋落するだけなんだから、目先は損するとしてもやった方がいい決断のはずではある、少なくとも本気で議論はすべきだ。

だが橋下さん自身が、そうした本当の争点を今度の選挙ですら打ち出せてはいない。これには維新という政党の問題もある––橋下さんと慎太郎以外は、恐らく本当の政策だとかなにも分かっていない人たちばかりに見える。

「維新」というウヨッキーな復古調の党名も含め、橋下さんや慎太郎が右翼を演じているのは、それがポピュリズムとして現代の日本政治でかなり有効だからに他ならない。その意味で橋下さんや慎太郎の国家主義や復古主義はかなりの部分、スタンドプレーであり演技だ。だが維新の他の議員や党員にとっては、安倍晋三ばりのペラペラな国家主義の装いが本気の本気で、子供じみた精神論以外の中身がなにもないのだから始末に負えない。

これは橋下さんや慎太郎本人の性格的な問題もあるのではあろうが、結果として側近やブレーン、補佐役として彼らを支える人材がいない、というか周囲にロクに能力がない人たちしかいない。

橋下さんが格闘しつつぜんぜん成果が上がらない大阪市政の場合は、市議会与党や野党より、もっと大きな問題や障害が他にある。まず市役所が、それこそ霞ヶ関も真っ青な「伏魔殿」だし、その巨大利権と巨大権限をそう簡単に手放すわけがない。

いや橋下さんにとってもっと困ったことは、本当の改革のポイントを選挙の争点にしても票にならないという大阪市とその市民全体の問題だろう。

『ほんの少しだけでも愛を』©2014, Toshi Fujiwara, John Badalu, MAV Productions Asia and AddWord Productions

『ほんの少しだけでも愛を』©2014, Toshi Fujiwara, John Badalu, MAV Productions Asia and AddWord Productions


世間のうわべだけの偽善のタテマエを
時にまるで無視して自爆しがちな理由

実は大阪市はリッチである。だが表向きは日本でもっとも多数の生活保護支給を抱える自治体でもあり、だから「不正受給」の背後に在日コリアン団体やいわゆる同和団体の影響をあてこすりながら、「生活保護が市の財政を圧迫している!」とか言った方が、選挙には勝ててしまうのがこれまた「ザッツ大阪」だったりする。

なにしろ共産党まで支持者を維持し票を集めるスローガンが、「同和利権」なるフィクションを持ち出し部落解放同盟をネチネチとヘイトスピーチで攻撃することだったりするのが、大阪市政では当たり前の風景なのである。

これは決して安易に言っていいことではないし、裏でこっそり口にする人の多くが極めて安直な偏見で、結果として完全に間違っている場合がほとんどだが、かと言って無視するのもまた差別的な偽善になりかねないこととして、橋下徹さんという政治家と、橋下さんがいわゆる同和、被差別部落民の出身であることは、やはり切っても切り離せない。

橋下さん個人の性格がどうこう、などの薄っぺらで偏見に満ちた決め付けをやりたいのではない。

むろん橋下さんが自分の実力で出世できる弁護士という資格商売を選んだこと、派手なスタンドプレーと大風呂敷に固執しがちな目立ちたがり屋である一方で、世間のうわべだけの偽善のタテマエを時にまるで無視して自爆しがちなことと、自力で上り詰めたエリートだからこその強烈な自信と負けず嫌い、人によっては傲慢と毛嫌いするプライドの激しさ、いずれもいわばその “最下層” 出身だからでもあるのだろう。

だが、それが橋下さんの「強さ」と強烈な上昇志向のベースにあるとしても、そうした強烈さや我の強さを持てない小市民的な付和雷同な人間が「あいつは同和だから」とか陰口を、というのは、さすがにちょっとウンザリ…

根強い差別意識と成功者への嫉妬

…と言っても、ぶっちゃけた話、こと大阪府知事、大阪市長としての橋下さんの毀誉褒貶の激しさに関しては、支持しているようで裏では陰口を叩く人も多い大阪方面の論理は、まさにこうした差別意識と成功者への嫉妬のない混ぜ以外のなにものでもない。

だから橋下さんとその出自、つまり彼がいわゆる被差別部落出身でありながら、あの大阪で府知事になり市長をやっていることにおいて、結局はその出自の問題を切り離しては考えられないのは、橋下さん個人の人柄や性格に関する問題ではない。橋下さんが結局はそういう出自の人としか見られない、そうなってしまう危険性を橋下さん自身も無視出来ないことが、いちばん大きいのだ。

言い換えれば、それは橋下さんの育ちとか性格の問題よりも、橋下さんを見る市民・府民の側の(あくまで先述のような、「ザッツ大阪」的な意味での「無自覚」な)差別意識の問題だ。

そう思えば、橋下さんが極右ポーズをとることを選択したポピュリストであることには決して賛成も共感も出来ないものの、その選択をした動機も含め(同和出身で左派だったら、それこそ相手にされないのがバブル後の日本のポピュリズムだ)、橋下徹さんの「勇気」は認めざるを得ないし、その「勇気」とは大阪市民の特権的優位意識をあえてぶっ壊す都構想をぶちあげたことも含めてであることは、言うまでもない。

前市長の平松氏も本人は決して悪い人ではないのだろうが、平松市政が話題作りの人気とりでやったことの多くが、大阪の人には分かる(ただし先述の「ザッツ大阪」で、実は分かっていること自体分からないのか、分からないフリをしているのかよく分からないのが大阪である)「暗号化された同和いじめ」だった。

『ほんの少しだけでも愛を』©2014, Toshi Fujiwara, John Badalu, MAV Productions Asia and AddWord Productions

『ほんの少しだけでも愛を』©2014, Toshi Fujiwara, John Badalu, MAV Productions Asia and AddWord Productions

「暗号化された同和いじめ」を
やらなければ市長の地位が危い

釜ヶ崎の「浄化」計画を進めようとしたこと(ホームレスの人たちを新築した福祉住宅に入れる、と表向きは「よさそう」に見えること)、道頓堀のタコ焼き屋が市の土地で営業していたのを撤去させたこと、河川事務所が川や堀・運河に沈んでいた現金などをいわばネコババしていたことの告発、すべて「分かる人には分かる」こととして、いわば「暗黙の同和利権」と市民が実は理解して来たことをターゲットにしている。

橋下さんの代になって大っぴらに維新が問題にした大阪人権博物館(リバティおおさか)の展示内容にしたって、とっくに平松市政の代から、同和差別の告発の要素が徹底的に去勢された、極めて偽善的な内容になっていた。

残念なことに、橋下さんも市長になったとたん、自らがその出自なのに…いや、これは部外者の勝手な言い草だろう。橋下さん自らがその出自だからこそ、分かり易い「暗号化された同和いじめ」をやらなければ市長の地位が危うくなったことは認めざるを得まい。

そうしなければ、すぐに「あいつはやっぱりしょせんはヨツ」と陰口が行き交うに決まっている。リバティ大阪だって橋下さんの立場では、平松時代に既にやっていたそれ以上をやらなければ「やっぱりヨツ」でリンチ吊るし上げの対象になりかねない。

それこそ都構想の真意が分かったとたん、市長を続けられないどころか「部落のクセに生意気だ」が決して表向きでは口にされない合い言葉となって、それこそリンチで殺されかねない、その恐怖はあれだけ勇ましい橋下さんだって無視は出来まい。

「維新の党」結党大会で記者会見に臨む橋下徹・大阪市長(左)と江田憲司・共同代表(右)

「維新の党」結党大会で記者会見に臨む橋下徹・大阪市長(左)と江田憲司・共同代表(右)

右翼国家主義のポーズは人気を得る為の冷徹な判断

東京では、橋下さんが文楽協会に噛み付いたことで「文化が分からない無教養な右翼」と批判することが主流だったが、実はこれは大阪ではまったく違った意味を持つのだ。

文楽人形浄瑠璃、その語り部である太夫も人形遣いも、太棹三味線も、たとえば「太夫」の称号が示す通り、伝統的にいわゆる「えた・ひにん」階級の特殊技能だった。人形浄瑠璃はいわゆる「かわらもの」の芸能であり、その大きな劇場は地域的に言えばいわゆる「被差別部落地域」にあるものだった。

…っていうか大阪の今ある繁華街の多くが、大阪駅のある梅田ですら元は巨大墓地があった場所であり、たいがいは歴史的にはいわゆる「部落地域」かそこに隣接している場所だ。そしてその多くは、江戸時代から賑やかだった。

橋下さんが自分も被差別の出自なのに右翼のポーズをとり「弱者」に冷たい、という批判は教条左翼から多々出て来そうなわけだが、それはそれであまりに差別的な言い草だと指摘しておく。むしろそんな厳しい境遇だからこそ実力でのし上がった橋下さんからすれば、そんな「弱者」扱いこそが自分達を被差別の立場に追い込み閉じ込める話にしか見えない。

頭の良さと人一倍の勉強を武器に弁護士資格をとり差別をはねのけて来たのが橋下さんであり、弱者扱いされること、弱者に甘んじることなんてまっぴらご免だろうし、そうしたことを一切考えて来なかったし教えもして来ていないことが、日本の差別に関する教育(「人権教育」)や、反差別を自称する「支援」の運動の多くに見られる巨大な誤謬だ。

橋下さんの右翼国家主義のポーズはむろん「その方が人気が出る」という冷徹な判断が第一にあるのだろうが、こうした戦後左翼がこと差別の問題についてほとんどなにも成し遂げて来ず、しょせんは恵まれた中産階級の自己満足に堕して終わっているのが大半である現状と、こと大阪では他ならぬ共産党が自分達に対するヘイトスピーチで票や支持を集めていることへの、彼自身の強烈な反発の結果でもあるのだと思う。

部落解放同盟は賞味期限を失ってしまった

また橋下さんの世代になれば、一方で部落解放同盟などの運動体ももはや賞味期限を失ってしまっていることが大きい、とも思う。

これは解放同盟自体が悪いわけではない。

橋下さんは賛成しないだろうとも思うが、少なくとも僕から見て、解放同盟は大筋に置いて、戦後の運動方針はどれも間違ってはいない。普通なら差別の解消に役立って当然の、理論的に正しいものがほとんどだったと思う。

だが戦後まもなく、貧困と差別が密接に結びついていた時代に、いわゆる部落民の経済的な生活状況の向上を要求して戦ったことは、結果として「同和利権」なる都市伝説を産み、増幅させ、あたかもいわゆる部落民が一般市民に較べて優遇されているかのような偏見を産んだ。

就職差別が激しかったからこそ、自治体などに積極雇用を要求したことも差別解消の最初の段階として当然とられるべき処置だったが、これも「利権」と言うことにされてしまった。

行政の側はさらに手の込んだことに、雇用なら歴史的に旧えた・ひにん階級が関わって来た葬儀祭礼や河川の管理、ゴミ処理などの職種をメインにし、これ見よがしに「危険手当」などを匂わせることで一般プチブル市民の悪意と嫉妬に満ちた噂を誘発して来た。

公共住宅の建設ではわざと建設費が割り増しになるような独特な様式の建物にして、巨額の建設費でこれまた一般プチブル市民の嫉妬を誘発させて「同和利権」神話を補完すると同時に、そうした建物それ自体が見た目の特異性からして被差別のスティグマとして機能するように仕向ける念の入り様である。

阿倍野にある市設南墓苑、旧鳶田墓地の拡張部分が現在も墓地になっていて、鳶田墓地自体はいまの飛田遊郭になっている 『ほんの少しだけでも愛を』©2014, Toshi Fujiwara, John Badalu, MAV Productions Asia and AddWord Productions

阿倍野にある市設南墓苑、旧鳶田墓地の拡張部分が現在も墓地になっていて、鳶田墓地自体はいまの飛田遊郭になっている 『ほんの少しだけでも愛を』©2014, Toshi Fujiwara, John Badalu, MAV Productions Asia and AddWord Productions

 

「慰安婦がかわいそう」的な“正義”の装いに納得できない

また一方で、こういう施策の過程で部落解放同盟それ自体の一部幹部を始めとしたいわゆる被差別の側に、いやな言い方をすれば「鼻薬」をかがせることも、ちゃんとぬかりなくやって来ている。そうすることで当然の権利の要求の運動を去勢し、利権に縛り付けて身動きをとれなくすることも計算済みだったのか、これもまた無自覚・無意識にそう仕向けたのか…

そんなやり口がもはや「伝統」と化した大阪市政にあえて乗り込んだ橋下さんを、僕は無碍に非難する気にはなれない。慰安婦問題に関する暴言それ自体は問題だが、「慰安婦=売春婦」論的なことを橋下さんが口にするのは、なにも知らない二世三世の「愚かな坊ちゃん」だらけの自民右派や、そこにはへつらう傲慢な権威主義者のNHK会長がオランダの「飾り窓」を持ち出すのとは意味が違う。

橋下さん自身が飛田料理組合の顧問弁護士をやっていたこともある。オランダの「飾り窓」云々どころではなく日本にも、こと大阪には(売春禁止法があろうがなかろうが)、それこそ「飾り窓」とは比べものにならないほど厳格な伝統様式すら持った遊郭、売春業が飛田や九条の松島に存続しているし、歴史的な経緯では遊女もまた「えた・ひにん」階級であったことから、それは橋下さんが育った環境の身近にあったものだ。

橋下さんにしてみれば、そういう現実が厳としてある現状を知りもしないで「慰安婦がかわいそう」的な感傷主義の“正義”の装いに終始する議論には、そう簡単に納得はできまい。

むろん理論的・理念的に考え抜いた結果ではなかった安直な発言の責任は問われるべきだが、橋下さんがいわゆる部落民であり、飛田料理組合の顧問弁護士だったことの意味を深く考えもせずに「女を食い物にする組織売春に加担した」的にあげつらった批判には、「それは違う、なにも分かってない」と言わねばなるまい。

言葉狩りをしても差別的な意識や文脈で
「在日」と言えば差別性は維持される

部落解放同盟の戦後の運動・闘争のなかで、現代の我々にも馴染みが深いのはいわゆる「言葉狩り」だが、これは実は差別の解消には理論的にはなんら寄与しない闘争だった…というのは同盟も最初から実は分かってやっている。

「えた・ひにん」とか「ヨツ」と言ってはいけないとしたところで言い換え語で「部落」、それも禁じたところで今度は「同和」と、いくらでも言い換えは出来る(「売春」と言わず「風俗」も似たような話だし、軍専用売春婦では体裁がつかないから「慰安婦」と呼んだ日本軍なんてのもある)わけで、言葉を禁じたところで差別は温存される。

差別は決して「差別語」ではなくあくまで差別意識の問題であり、「チョン」が差別語だから使わないとしたところで、差別的な意識や文脈で「在日」と言えば差別性は維持される。

ただそれでも、「差別語」という概念を持ち出すことで、「チョン」だの「ヨツ」だのの言葉を無頓着かつ無神経に使っていた人間に気づかせることにはつなばるはずだし、放送局などの大手メディア・言論権力を掌握する側にそれを突きつけること自体が、差別問題をうやむやにさせず差別される側がきちんと自分達の存在と、自分達が担う正義を突きつける意味があった。

ところがこれも、まるで理論的にはそうなるはずの結果にならなかったのだから、現代の日本という差別することが国民共同体の暗黙のレゾン・デートルになっている泥沼は恐ろしい。

なんと日本のマジョリティの側はこれを、「部落の連中が生意気にも俺たちの言論を封じようとしているが、差別と言われるのは困るからしょうがない」というように読み替えてしまったのだ。こうして差別に苦しめられている側が不当な抑圧者にスリ替えられるフィクションが共同幻想として成立し、自分達こそが被害者なのだという歪んだ自己正当化の言い訳にみすみす利用され、挙げ句に解放同盟は「怖い」か「鬱陶しい」、不当な圧力団体扱いすらされてしまうのが現状だ。

戦後の部落解放運動の歴史は、やって来たことは基本正しかったはずだ。

戦略的にも理論からすれば有効で、普通ならそれで成功することをちゃんとやっていたはずなのだ。

なのに結果だけ見れば、敗北よりももっと始末が悪い。自分達の正当性を認めさせたはずが見事に足下を掬われ、差別する側の狡猾にして無自覚な悪意の連帯に闘争の手段を絡めとられ、逆利用され、差別は解消に向かうのでなく隠蔽されるだけで温存され、昨今ではそこに胡座をかいてふんぞり返ったまま「反差別の運動」の主体すら被差別者から奪う「マジョリティからの反差別」運動を称してその自分達の「善意」にマイノリティを服従させようとする輩まで出て来る始末だ。

『ほんの少しだけでも愛を』©2014, Toshi Fujiwara, John Badalu, MAV Productions Asia and AddWord Productions

『ほんの少しだけでも愛を』©2014, Toshi Fujiwara, John Badalu, MAV Productions Asia and AddWord Productions

「差別語」禁止の最大のデメリットは
差別が「なかったこと」に利用

こうした「臭いものにフタ」こそが、いわゆる「差別語」禁止の最大のデメリット、むしろ差別が「なかったこと」とされてしまうことに利用されかねない。

差別を表象する言葉、差別が確かにあったし今もあることの明確な記号を禁忌とすることで、差別自体が隠され、伝える言葉もなく、それ自体がなかったことにされてしまう。

また「差別語を使っていないから差別ではない」と言い張る余地まで、差別をし続けたい側に与えてしまう。

「差別する側」でありながら反省と自己改善を拒絶する者達にとって、もっとも好都合で身勝手な結果になりかねないことだ。

そんな現状のなかで橋下徹さんを無碍に責めることは、少なくとも僕にとってはちょっと良心が許さない。その個々の発言内容や態度には、納得出来ない、批判すべきだと思うことも多々あるが、それですら狡猾かつ無神経な無自覚さで「自分達が安心して差別出来る立場を温存したい」をずっと貫いて来た僕たちの社会が彼をそこに追い込んでしまった結果であるようにしか、僕には見えない。

いまだからこそ、橋下徹さんに伝えたいこと

ただだからこそ、橋下徹さんにはあえて言いたいし、気づいてもらいたいとも思ってしまうのである。

あなたが差別をはねのけて懸命に頑張って来たそのことすら、あなたの真の敵である匿名の、集団制の、摩訶不思議で正体の判然としない、無自覚で無神経で無責任なこの国の「差別する側」に結果として負けてしまっている、いいように利用されてしまっているのではないか?

だからこそ、大阪都構想の本当の意味も、そろそろブチまけてもいいのではないか?

「あなた達はこれまで不当に甘やかされて来て、それがあなた達の活力も奪っているのだ。大阪市民であることの特権的な利益なんてこの際、大阪のため、日本のためにこそ自ら棄てる覚悟を、あなた達は持つべきではないのか?」と言ってもいいのではないか。

そうでなければ橋下徹さんに大阪市民から期待されていることは、ただの徹底した「同和いじめ」(それを同和出身の市長がやれば「差別ではない、区別だ」と正当化されるらしい。そんなバカな)でしかなくなってしまう。

実はかなりの部分が補助金で廻ってしまっている経済をなんとかするのでなく「同和利権」という都市神話になんとなく符合しそうな補助金や生活保護だけを切ることだけだ、ということになってしまうし、このどうしようもなくドス黒く陰惨で無自覚さと無神経さに満ちた、不特定多数の「差別する側」のいっそう堕落した集合的不道徳の泥沼だけが、橋下市政が次の世代に遺す負の遺産になってしまいかねない。

これは単に差別される側の、いわゆる部落民や在日コリアンなどの人に「やさしい」社会を、とかいう話ではない。こんな自堕落な非倫理と、人間としての最低限の矜持の欠如を共有する集団性のなかに引きこもり、商人の町のガッツなんてとっくに失いかけている大阪が、再び名実ともに日本第二の経済圏の中心、独自の文化とエネルギーを持った都市を取り戻せるかどうかの、瀬戸際ではないのか。

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8 Comments on 【超文論考】橋下徹さんと大阪市政と大阪都構想、そして「差別する町」の伝統 -在特会との討論を契機に考える by 藤原敏史・監督

  1. いつも思うのだが、こういうネットであれテレビ・新聞であれ、メディア御用達の文化人・コメンテーターが語る論理の根底にあるのは「大阪の人間は東京に対して劣等感を持っているに違いない」という思い込みである。

    東京に拠点を持つ(東京で金を稼いでいる)人間は総じて、東京キー局や主要各紙といったマスメディアの中枢を独占している情報網的にも異常なほど偏った東京のことは棚に上げて、浅い見識で知ったように「大阪」を語り出す。東京マスコミは「関東人にとって都合のいい大阪ネタ」ばかり提供し、それが全てだと思い込む。マスコミの中心部(TBS、テレビ朝日、フジテレビ、日本テレビ、テレビ東京、NHK)がマスコミは東京での負の側面は棚に上げる一方、大阪の良いことも悪いことも、ニュースで「面白可笑しく」尚かつ「積極的」に伝え、この藤原某のような自称文化人が実状など知りもしないくせに、何かある度に大阪に関する手ごろなニュースをネタに自慰行為を繰り返す。

    あと、大阪府と大阪市に関しては今まで大阪の人間が自民・民主・公明・共産が支配する税金無駄遣いの大阪市政を選挙で止められなかったのは我々大阪府民・市民の過ちだ。
    これからはしっかりと反省して今の体制に依存しない自律政治を行えるように大阪都構想を進める橋下・大阪維新を支持する。

    しかし、その一方で藤原氏のあまりにも他人事のような傍観者的な文体が非常に目につく。はっきり言って貴方の論評には「思い込み」や「偏見」も多い。日本の一自治体の将来を心配するでもなく、結局は銭稼ぎのために思い付きでイメージのままに書きましたというのなら、そんなものに意味はない。東京都だって霞ヶ関の利権で腐敗しきっている。業界団体を東京に集中させて、企業を日本中から勿論大阪からも沢山奪った東京。その為東京は経済力以上の税収があり、決して東京都が自ら努力したから東京が豊かなわけではない。つまり公平な競争の結果ではないのだ。すべて既得権のお陰。少子高齢化の今、相も変わらず金と仕事を東京に集中させ、若者を東京にかき集めるが、東京は日本で一番出生率が低い。つまり東京は一番人材を消費して再生産しない都市。まさにヒト・モノ・カネを独占する東京一極集中の弊害。マスメディアはこの状況下でも悪いニュースを中心に「大阪が~」と、まるで本質を伝えようとはしない。そのお陰で大阪市での出来事を対岸の火事を見るような野次馬精神ならそりゃ自分(東京・関東圏)は心配ないと思うでしょうな。そのことにも目を向けよ。少々高圧的な言い方になるがこうでも言わなければ貴方のように思想の根底に東京マスコミありきの文化人は気付かないから。

    まず、東京による東京の為の歪んだ東京マスコミ目線ではなく、自分たち(関東・首都圏の人間として)を客観的に見つめ直すべきだ。それと貴方の場合は「勝手な思い込み」や「偏見」を直すべき。
    マスコミが流す情報を全てだと思わずに、客観的に物を見るべきだ。でないと、重要な論点も全て本文にある「東京コンプレックスに苛まれる大阪市民のプライドはもの凄く傷つくし」等と矮小化される。

    • > 日本の一自治体の将来を心配するでもなく、結局は銭稼ぎのために思い付きでイメージのままに書きましたというのなら、そんなものに意味はない。東京都だって霞ヶ関の利権で腐敗しきっている。

      ホラまた東京に対する劣等感丸出しで本文がまるで読めてない(笑)。だから大阪市政の現状、市役所伏魔殿は日本の現状の縮図である、って明記してあるんですけどねえw

      • 続き)で、「一自治体」なら大阪市の財政が破綻することは当分はまずありませんよ。大阪府内にある公的財源を独り占めにしているのが大阪市なんだから。でも問題は「一自治体の将来」ではなく、大阪という都市とその将来で、今のままじゃあなたみたいな東京コンプレックス丸出しで停滞するだけだからダメだ、ってのが「大阪都構想」の本質である、って書いてあるのがこの記事なんですけど、読みもしないでコメントするってどういうコンプレックス丸出しのヒステリーなのでしょうか?

        • > 決して東京都が自ら努力したから東京が豊かなわけではない。つまり公平な競争の結果ではないのだ。すべて既得権のお陰。

          だから東京コンプレックス丸だしにそんな比較に拘泥して僻み根性丸出しにしてたら、ますます東京に負けるだけだって(失笑)。そういうあんたらの根性を叩き直すことが、『大阪都構想」の真の目的だと書いてあるのがこの文章ですってば。

  2. > こういうネットであれテレビ・新聞であれ、メディア御用達の文化人・コメンテーターが語る論理の根底にあるのは「大阪の人間は東京に対して劣等感を持っているに違いない」という思い込みである。

    「思い込み」でもなんでもなく、思いっきり大坂に行けばその劣等感に晒されます。そしてこのあなたのコメントもまた、その劣等感に満ちあふれていることが露骨に現れているんですけど、無自覚なんですね。

  3. > これからはしっかりと反省して今の体制に依存しない自律政治を行えるように大阪都構想を進める橋下・大阪維新を支持する。

    いったいどこ読んでるんだろうねえ…。その「無駄遣い」によって経済が廻っているのが大阪市の実態である、って書いてあるのがこの文章なんですけど?

  4. 読ませて頂きました。やはり橋下さんには頑張って欲しいと思いました。大阪の地盤沈下を止めないといけないし、このままの現状維持ではいけない。大阪に活力を取り戻して欲しいと思う。この記事で書かれているとおり、橋下さんは良い所ばかりではないけれど、このまま何もせず、大阪が地盤沈下していくのは、真の大阪人としては耐えられない。

  5. これを読んでも私は橋下氏の都構想ぜんぜん支持する気にならない。都構想で大阪市に集中する権限を全体に分散する?実際にこの都構想に参加を表明しているのは大阪市だけじゃないか。都になることで何のメリットがあるのか?区議会議員が新たに増えて無駄な経費が増すだけ。それに都構想のあおりでの統廃合で市民は返って不便になっている。部落出身だから被差別を温存してきたこれまでの解放運動のやり方に批判的でポーズとして右翼の振りをしている?下層階級出身の権力者なんていくらでもいる(太閤秀吉もその一人だ)下層階級出身だからといって彼らが庶民の味方であったかというとそんなことはない。オバマは黒人だkら黒人の味方。サッチャーは女だkら女の味方というような全く意味のない話だ。

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  1. 大阪都構想とは?実現した場合のメリットとデメリットは?

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