普通のことを普通に出来ない政権の、極めつけに異常な解散総選挙 by 藤原敏史・監督

史上最大議席を誇る与党が、なぜかその議席数を減らしたがっている

安倍晋三政権になってから、日本の政治では次から次へとあまりに変なことが起こるので、ついこないだの「あまりに変なこと」をよく考えもせずに忘れてしまうことがよくある。それにしてもこの解散総選挙が決まった経緯は、その「あまりに変なこと」だらけの安倍政治のなかでも、極めつけにおかし過ぎる展開だった。

史上最大議席を誇る与党がナゼか「解散総選挙」という、それ自体「あまりに変な話」が始まったころ、さらに変な話として、ただ一人解散の権限を持つはずの首相は長期外遊中だった。その首相が留守の永田町でいったい誰が解散風を吹かせ始めたのだろう?

それは今時、物理的に永田町にいなくたってネットもSNSもある高度情報通信時代に話くらいは出来るのだろうが、首相が外交に専念しているはずの時になぜか、どうにも首相が預かり知らぬとしか思えぬところからまで、解散だ総選挙だの声が上がって来ていた。

おかげで野田政権が国内人気取りの都合で外交をこじらせて以来の懸案だった日中首脳会談がやっと開催されたはずが、その中身がきちんと報道されることもなく、すでにワイドショーは解散一色になっていたのである。

日中首脳会談の中身はなぜメディアから無視されたのか?

それにしても妙な話である。
日中首脳会談の直前まで、やれ小笠原諸島で中国漁船が珊瑚の密漁だ、やれ尖閣諸島近海では中国の官憲や軍が領海侵犯だ、と日本のメディアによれば、中国は「反日」だから官民そろって日本の周辺海域を侵略しようと虎視眈々と狙っていたはずで、だからこそ安倍晋三首相が「集団的自衛権(では実はない・後述)」をブチ上げても結局は世論も受け入れたはずだ。その「他国の侵略の危機」が、まったくの国内政治でしかない永田町の解散風が吹き始めたとたん、ぱったりとなくなったのだろうか? 風が吹けば桶屋が儲かるとは、こういうことなのだろうか?

いやまあ、尖閣諸島に関しては、話は分かり切っているわけで、中国側は最初から田中角栄=周恩来以来の「棚上げ」の再確認以上は求めていない。日本のメディアが中身を報じない日中首脳会談が見れば分かるように中国圧勝、安倍は屈辱的に扱われても黙っているしかなかったあと、習主席自身が「一回目は他人だったが二回目以降は友人」と余裕で声をかけたら、安倍自身が喜んで随行記者にそれを自慢してしまった時点で、この三年近く膠着して来た日中関係の「雪解け」は呆気なく済んでしまったのだ(あとは騙され続けている日本の国内世論がいつ気づいて納得するのか、恥ずかしくなって忘れたフリでなかったことにするのか、だけの問題)。

これもまったく、普通では考えられない外交問題の解決手段だった。「ボクが一生懸命我慢したら中国サンもボクの気持ちを分かって優しい声をかけてくれたんです!」で済んでしまうのだから、誰も考えもしなかった奇策“ワガママ坊やの駄々泣き落とし”を成功させた外交的な奇跡といえばまったくその通りで、従来の外交や国際政治の価値観では、評価すべき言葉も基準も見当たらない。いやまあ、それで丸く収まったんなら、いいんですけど(でも、ならば早くやってよ)。

 

急浮上した「アベノミクスの是非」論

驚いてばかりでついていけない自分が従来の価値観ややり方に囚われた旧弊の保守主義者に思えて来るくらい、安倍首相の政治は本当に「新しい」。とにかく我々が知って来たあらゆる常識を、あまりに軽やかに(というか軽薄に)超越している。

ついこないだまでは特定秘密保護法、改憲論、いわゆる「集団的自衛権」論議(では実はない)に歴史問題をめぐる中国韓国との対立が、安倍政権が批判を浴びる主なポイント、それに内閣改造後には「政治とカネ」問題がちょっと加わっただけのはずが、選挙が決まったとたんに安倍が争点は「消費税10%増税引き延ばし」だと言い出し、メディアでは安倍の経済政策の是非が主な論点になって来ている。

いや外交問題では安倍の旗色が明らかに悪い(日中首脳会談は要するに日本が屈辱的に扱われて惨敗したわけで、普通ならいかに日本側が原因を作ったと言っても、あの習近平のやり方には怒っていい)から、とはいえ「この問題はまずいから別の問題」で、やはり無視できない別の問題があっさり提示出来てしまうんだから、本当に安倍政権というのは凄い。

「いやアベノミクスが失敗したからって外交無視されても困るんですが」とはまた誰も言わないのが不思議ではあるが、一方でアベノミクスの頓挫だけでも論じる時間が足りないほど問題論点だらけなのだから、まあしょうがない。

だがそのアベノミクスの失敗、安倍政権の経済政策の誤りも、とにかく「普通のことを普通に出来ない」の典型というか、最初から「あまりに変な政策」だったのにこの二年間誰も文句を言わなかったことにこそ、真の問題があるのではないか?

アベノミクスは「あまりに変な経済政策」であり、それだけでは破綻することが最初から分かっていた

はっきり言えば、二年前から、この結果は分かっていたはずだ。アベノミクスは最初から短期しか使えない常識はずれの奇策でしかなく(まさに「あまりに変なこと」の典型)、二年も継続するものではないし、だから最初は安倍自身が「すみやかに第三の矢」と言っていたはずだ。。

金融緩和と円安誘導で通貨流通量が増加するように政策的に誘導すれば、GDPなどの数値はいったんは一応はあがり、輸出企業の海外収益の決算の数値も増えて見え、景気はよくなったかのように見える。通貨流通量を増加させる手段にはいろいろあるが、実のある経済成長、つまり社会の生産できる富それ自体の増加に結びつかないまま他のテを使い尽くし、なにも出来なくなった場合には、それでも究極、通貨供給量を増やせばいい。アベノミクスと名付けられた経済政策の現状は、今ここまで来ている。

これで永続的に成長路線の薔薇色の未来が約束できるのだったら、世界中でそうやればいい、国際協調の大リフレでリーマン・ショック以降の危機なんて突破できたはずだとは、安倍の経済政策のブレーンをやっている人たちですらさすがに言うまい–そんなことみんなでやってしまったら、世界経済が一気に破綻するから…というより、リーマン・ショック自体がただ「お札を刷る」よりは高度な仕掛けではあったものの(たとえば焦げ付く可能性が高い借金を債権として売れば財産になる、という凄い発想)、まさに通貨流通量を極端に人工的に増やしそれが投機の加熱に結びついた結果の破綻だった。

ところがその専門家と称する人たちですら、国民や一般相手には「通貨流通量を増加させるには究極、通貨供給量を増やせばいい」政策に伴うリスクは決して口にしなかったし、批判派ですら「円安で物価高になり、それが消費を冷え込ませる」までは指摘してもその先はほとんど言わないまま、安倍が日銀総裁を更迭して新総裁が「金融緩和は止めるタイミングが難しい」と就任会見で言っても誰も呆れもせず批判もせず(いやだから、それがあなたの仕事です、日銀総裁!)、アベノミクスは二年近く続くあいだに本当に「お札を刷って名目経済成長」になってしまった。

実はこの程度のことは、中学校で習っているはずだ。

モノの価値は需要と供給のバランスで決まり、貨幣経済では物価水準の高低は貨幣の流通量と有形無形の商品の量の関係性に左右される。「インフレ」とは「モノの貨幣換算の価値が上がる」ことだけを意味するのではなく、裏返せばモノに対して貨幣の量が多いためその価値が下がっていること、たとえば商品やサービスの量に比して通貨の流通が増えていることを意味する。

日本での「物価高」とは、日本円の価値が下がっていることを同時に意味するのだ。ただしそれが通貨の流通が増えていることの結果であれば、それだけ多くの売買契約が起こっているのだから基本悪いことではもちろんない。

中学校社会科の履修範囲で分かるアベノミクスの限界

アベノミクスはまず、その日本円の価値を恣意的に下げることから始まっているが、どうも「円安」とだけ言うとそれは他通貨に対する円の価値だけだと思ってしまうのかも知れない。いやそれだけではなく、社会のなかに存在する資産や財産や、社会の生産活動で産まれる商品の価値、サービスの価値に比して、通貨の価値が下がっていくのが「物価高」と呼ばれる状態だ。それでも経済の成長政策でインフレ基調が好まれるのは、通貨流通量が刺激されて資産や財産の価値があがり、生産活動が刺激され、サービスの需要も増えて売買が増えるから通貨の流通(つまり経済取引)が増えていて、その結果の物価の上昇(=通貨の価値の下落)以上に社会全体の持つ富が増えていくからだ。これが「経済成長」の本来意味するところである。

ちなみに、これは中学校の社会科の履修範囲、義務教育の一部だ。

だが中学校で習った通り、それはただ物価が上がればいい、イコール通貨の流通量が増えればいいということではない。通貨の流通量をとにかく上げるだけだったら、通貨の供給量を増やせばいい、要するにお札を刷ればいいのだが、これに手を出す政府や中央銀行が滅多にないのは当たり前のことだし、その理由も実は中学校で習っている。

まず社会全体の持つ富に較べて異常に通貨の流通量が多く、土地不動産や証券・債権などの投機対象に異常に資金が集中する状態を「バブル」という。バブルはもちろん、遅かれ早かれ弾ける。軟着陸はもの凄く困難だし、それが出来なければその国や社会や延々とその後遺症に苦しむことになる。

「バブル」的な投機マネーの高騰は資本主義のマーケット・メカニズムである程度必然的に起こるものであり、1929年の世界大恐慌以来、だから各国政府はそれまでの「神の見えざる手」絶対信仰を反省し、マーケットの破綻を防止ないし抑制する経済政策を心がけて来はしたが、日本のバブル崩壊もあったし、リーマン・ショックやそれ以前にもウォール街が破綻することは何度かあった(これも中学校で習う)。

さらに危険なのは、通貨の流通量が自然に増えるのにはまだそのニーズがある、売買取引が活発だからであるのに対し、通貨供給量を増やせば通貨の流通量が上がる、という理屈に走ってしまうと、これまた子供でも分かる話だが、カンフル剤には使えても、そこで社会全体の持つ富が増えていくことを刺激できず、その成長が伴わなければ、その富の量に比して通貨の量が多い分モノの値段ばかりがあがる(「価値は需要と供給で決まる」忘れないように)一方で、高値故に買い渋りで取引は増えず、経済は停滞し、バブルにすらならない。

これも実は中学校で習っているはずだが、この場合は「インフレ」とは区別して「スタグフレーション」と呼ばれる。社会全体の富(資産・財産と生産活動で産まれる財、サービス)に比して通貨の絶対量自体が不釣り合いに多い状態のことだ。

アベノミクス、あるいは安倍を熱烈に支持する人たちが「リフレ」と呼ぶものは、理屈だけで言えばはっきり言えばスタグフレーション誘導政策と同義であることは、もうお分かりだろう(いや中学生でも分かるって)。だから安倍の再登板当時から(あ、これも日本のメディアでは報じなかったか)国際的にアベノミクスには風当たりが強く、日本の引き続きの金融緩和を求め続けるIMFですら警告を発していたのだ。経済政策の常道からしてあまりにリスキーだし、匙加減に失敗して日本の経済が本格的にコケれば、世界の経済が大打撃を受けるからだ。

アベノミクスは理論的には、スタグフレーション誘導政策でもあった

それでも短期であればアベノミクスに効果が見込めたのは、通貨流通量でいえば日本はこれまでむしろ潜在的には「金あまり」ですらあって、これは日本人の国民性もあるのだろうが、バブル崩壊以降の基本は常に金融緩和路線、つまり利子がどんどん下がり続けこれ以上下げようがないレベルのままもう10年以上が経過しても、利子もろくにつかないのに定年退職をした高齢者を中心に銀行預金が多い(さすがに昨今は取り崩され、かつてほどの水準ではないが)まま、その巨大資金が有効に市場に循環していないことがあった。世界最大の預金量の投資先がなかなか見つからないまま、高齢者は預金を消費に廻すよりも子や孫の将来の万が一のために温存しがちな上に、それを預かっている銀行がなんと消費者金融を傘下においてそこでよりリスキーだが高利の金貸業に手を出し、本来なら成長分野になるかも知れない中小企業などが貸し渋りに喘ぐ、というのが民主党政権とその前の自民政権で、日本の金融政策の最大の問題であり、バブル後の「失われた20年」を21世紀に入っても解消できるはずなのが出来ない最大のハードルだったはずだ。

ちなみに政策的インセンティヴという考え方からすれば、これほど馬鹿げて矛盾した経済政策もない。銀行が消費者金融を通じて高利貸しに手を染め、勤勉な中小企業が立ち行かない現状を見れば、老後の安定を求め子ども達の将来を心配する高齢者はますます財布の紐を固くし、預貯金を取り崩して消費に廻すよりは温存することを選ぶ。だが日本政府がやって来たのは、高齢者にちょっと贅沢もできる穏やかな老後(つまり貯金を自分たちの消費や、子どもや孫の将来に廻せる)を約束するよりも、世代間格差を吹聴して若い世代の不満感を煽る一方で、高齢者の預金を投機に廻させようとする圧力だった。

「いやそんなの銀行がちゃんと仕事すればいいわけだろ?預かった貯金をどう有効に運用するのかのプロだろうに。引退した高齢者に今さら自分の判断で投資しろなんて言うなよ」とも思わなくはない、預貯金を消費に廻させたいのならまず安心できる年金と医療の制度が必需に決まっているのだが、とはいえ実態経済が決してそんなに悪くない、ほどほどには経済が廻っているのになにか先行きに不安が大きいとき、金融緩和による投機刺激策で前向きムードになること自体は、無碍に否定すべきことでもないだろう。

だが閉塞感の打破になり得る一方で忘れてはならないのは、人工的に通貨流通量を増やすだけでは理論的に結局スタグフレーション誘導にもなり、だからあくまで短期の時間稼ぎにしかならないはずだったことだ。

投資や消費が増えるムードを作ったところで、間髪をいれず今後成長が期待される分野への資金が流れ易くする政策を打つ一方で(投資を加速させることが目的であって刷ったお金をつぎ込むことではない)、膨大な預金を少しは消費に廻してマーケット全体でも通貨流通量が増えるように誘導する、その方向にいろいろインセンティヴを配して行くという金融・経済政策の王道が、口で言うのは簡単だがなかなか難しいのは確かだし、だから突破口としてはアベノミクスという「禁じ手」に頼るのもひとつの手段ではあったろう。

とはいえアベノミクスが始まってから「民主党政権時代は経済が」と言い出す人が出て来たが、当時の新聞見出しでも見れば分かるように、経済がそこまで悪いという実感は当時はなかったはずだし、実際にそんなに悪くなかった。なによりもの証拠に、日本円も日本国債も、リーマン・ショック後の世界では数少ない信頼される通貨であり国債だから、円高だったし格付けも高かったのである。

アベノミクスの登場で日本の株価は上がった…のは、そのように見えただけだった。

円安になれば円建ての株は値段が対外的に下がるから買いがつき易くなるから円建てでは上がって見える。企業収益の海外分は円建ての決算では数値が自動的に増える。その株が上がっているように見える効果を持続するために、特定業種の株価が上がるような政策アイディアをとっかえ引っ替え出して来ただけなのが、安倍のいう「第三の矢」の実態だ。

薬品のネット販売を解禁すれば、ネット販売会社と製薬業界の株価は上がる。人材派遣事業の規制を緩和すれば、人材派遣会社の株価は上がる。本気で日本製の兵器を大量購入する国があるかどうかはともかく(よく考えればまずあり得ない話)、「集団的自衛権」をぶちあげ武器輸出解禁を言うだけでも、重工業製造業の株価はとりあえずその場では上がるのだ。なぜなら、現在の株式取引のほとんどはコンピューター処理で、ひとつのソフトウェアが分当り何千もの売買取引をこなしているからだ。安倍政権が打ち出す「政策」らしきもののほとんどは、そのソフトウェアが反応して買い注文を出すような内容になっている。

安倍政権が決定的に「あまりに変な経済政策」に足を踏み入れてしまったのは、1年半以上も続けていればただ日々の株価の維持にしかインセンティヴがなくなり、ついに日本円の通貨流通量ではなく通貨供給量を増やし始めたことだ。ダブついた資金は投資マーケットくらいしか行き場がないから、ますます株価は(株価だけは)上がるだろう。

「消費増税で内需が冷え込んだ」という短視眼的なまやかし

今年下半期に入って明らかにアベノミクスが失敗し、とくに内需の大半を占める個人消費が落ち込んでいると明らかになったことが総選挙の背景にある、という分析がある。4月には消費税が8%に増税され、それが消費落ち込みの原因だから、10%への再増税を先延ばしにすることを国民に問う、というのが安倍さん本人が解散した理屈であるらしい。

「なら最初から8%増税をあんたが止めればよかったじゃんか」という突っ込みはさておき、つくづくこの人は渋谷の自邸から永田町に通勤するのでも車窓の外すら見ないんだなあ、と呆れてしまうのだが、そんな安倍さんの政治が次から次へと「あまりに変なこと」を出し続けてくれるので、ほんの半年とか8ヶ月とか一年前のことでも、国民の側も忘れがちになってしまう。だがちょっと思い出せば、今年の下半期が前年度同期に較べて極端に消費動向が悪くなるのは、昨年の同時期がある理由でむしろ良過ぎたからでもある。こと安倍さんの自宅がある辺りから通勤ルートなら極めて分かり易かったはずだが、昨年の秋から今年の春にかけて、都内は消費増税前の駆け込みでちょっとした増改築と新築・新規開発の建築ブームになっていた。アベノミクスでダブついた資金があったのでそこに廻す余裕もあったわけで、はっきり言えば消費増税とアベノミクスの組み合わせは、安倍さんの経済政策でほとんど唯一成功した部類に入るんじゃないか、という皮肉のネタにすらなりそうだ(もちろん自由主義経済の経済政策としては、プライドのかけらもない下の下、これまた「あまりに変なこと」ではある)。

あれだけ駆け込み需要があれば、そのぶん増税後の二、三ヶ月の景気の落ち込みは「まあ増税のやむを得ない結果でしょう」と甘受する他ない部分はあるのだが、とはいえ実際には都内の建築の需要は新築でも増改築でも、増税後もそこまで極端には下がっていないし、建築土木分野ほどすぐに広範囲で景気底上げ効果が及ぶ分野もないはずなのに、それでも安倍政権がここでやってしまった決定的な失策は、消費増税による冷え込みの回復期に入りそうなところで、またなにも考えずに馬鹿の一つ覚えでお札を刷ることしか思いつかず、日本円の価値それ自体をどんどん下落させたことにある。

なにを今さらのこのタイミングでは文字通り「あまりに変すぎること」をやってしまっただけでなく、安倍本人が公約した中身とも異なる。つまり、「第三の矢」の成長戦略は未だに出て来ていないまま、やり過ぎの円安誘導のデメリットに、ただでさえ実質賃金が低下している国民生活を直撃させてしまったのだ。

「いやあなたさあ、渋谷から永田町にご出勤と言ったって地下鉄半蔵門線じゃないんでしょう?」とまた安倍さんにイヤミを言いたくなってしまうのだが、都内なら原油価格アップによるガソリン代のアップは、安倍さんでもない限りそう車では移動しないのだから、そこまで個人消費を冷え込ませたりはしない。だがこのように公共交通が発達しているのは、東京などごく一部の都市部だけで、地方に行けばガソリン代の上昇、これから冬になれば北の方では灯油代のアップだけでも、超円安政策は確実に消費を冷え込ませるし、それは消費増税の比ではない。

いや今のところはまだ、各企業は「円安による輸入原価の高騰」しか値上げの理由に持ち出せないで済んでいるのだが、本当に今後起こりかねない、あるいはすでに今起こっているのは、他通貨に対する円安だけではなく、日本円という通貨それ自体の価値の下落である。実際に日本社会が持っていたり生産できる有形無形の富の総体に対して、不均衡に通貨の流通量ですらなく供給量それ自体が消化し切れないほど多い状態、つまりスタグフレーションである。

ただここで、では今度の総選挙でこれまでの安倍政治、安倍外交の失敗やアベノミクスが実は最初から分かっている理屈通りに破綻しつつあることを責めるだけでいいのだろうか?

メディアこそが安倍政権の「あまりに変なこと」の数々を許して来た

現に総選挙への関心は、現状ものすごく低い。メディアはまたもや「国民の無関心」「無気力」を責める上から目線の無責任なお題目を繰り返すのだろうが、こんな政治、あんな政治報道で関心を持てという方がどうかしている。

決して安倍さんだけが悪いのではもはやない。アベノミクスが理屈としてはスタグフレーション誘導政策、言い換えれば短期しか使えないものであったのは、再三繰り返すが「最初から分かっていた」はずのことだ。だがここまでいちいち整理しないでも、普通の市民感覚なら「ちょっと変じゃないか」と気づいて当然なのに、メディアは「安倍政権で景気が良くなった」と繰り返し、せいぜい半年しか持たないのに、「第三の矢」がいつまでも出て来ないことすらメディアでは誰も危機感を持って批判もしなかった。一般市民は本当は気が気でなかったはずだが、それがなかなか言いにくい「空気」というのがこれまたなんというか、日本ではおなじみで…なにしろ「専門家」先生たちが大丈夫だと言ってるんですから、ね…。

こと昨今ではメディアがやたらと「専門家」を出して来る。ちょっと前までは「専門家」なんて言わなかったはずで、その専門分野をちゃんと紹介した上で意見を流していたはずが、最近ではNHKなど平気で「専門家の意見は」でどこかの教授やシンクタンクの役員を登場させ、視聴者にはそれが具体的にどんな研究者でどんな見解を持っているかではなく、「専門家だから正しいんだ」だけが強引に刷り込まれる。

ブラックジョークとして言ってしまえば、東アジア東南アジアは、未だにほとんどが全体主義と独裁が幅を利かせる国ばかりで、曲がりなりにも民主主義と言えそうな国はまだ二国しかない。それは民進党が近々再び政権復帰する勢いの台湾と、うっかりパク・クネに投票して大統領にしてしまったことをちゃんとみんな後悔している韓国であって、日本はこの二国に完全に抜かれただけでなく、どんどん羊のごとく従順で無口な国民の全体主義国家に後戻りしている。

安倍政権になんのメリットもない解散総選挙は、誰の差し金なのか?

それにしても不思議なのは、いったい誰の意図で今回の解散総選挙が決まったのか、である。最終的にはもちろん総理大臣である安倍晋三しか決められないことだし、本人は相変わらず「私の決断」のつもりなのだろうが、首相が外遊で留守中に誰かがイニシアティヴをとって解散風を吹かせ、帰国した首相が無節操にそれに乗ってしまっただけ(というか毎度おなじみ、おだてられていい気になった)、としか見えない。

そもそも安倍晋三首相にとってこそ、ここで解散するメリットがまったくないのだ。

衆院選で史上最大議席を確保し(小泉純一郎すら越え)、参院選でも圧勝、この「国民の支持」の表象としての議席数こそ、安倍の最大の権力の源泉のはずだ。今回解散総選挙したところで、前回衆院選ほどの議席はまず期待できない。参院選後の安倍が衆参両院過半数の史上最大議席で、誰にも文句を言わせない、霞ヶ関ですらむしろこの首相に振り回されかねないほどの巨大な権力と、特に強力な決定力を持って来られたのに較べて、得することはなにもない上に、「争点は消費増税先延ばし」って…いや今のままの数値なら予定通りの増税は絶望視され、もっとも強硬に進めたい財務省ですら二の足を踏む状態だ。与党も野党も増税反対なのに今さら争点にはならない。

ここからはあくまで仮説、推測に過ぎないが、逆に言えば安倍政権の史上最大議席に伴う権力を削ぐことがこの総選挙の真の目的だと考えれば、ある程度納得は行く。

衆院で史上最大議席のあと政権につけばアベノミクスへの支持で参院選も圧勝、というのでは、財務省も経産省も、いかに短期しか持たないのが分かっていてそれこそ「第三の矢」を早く出さねば破綻するのが分かっていても、経済の基本も分かっていない安倍を説得して止めることが出来なかった。

いかに日本の経済界の重鎮が憂慮し、アメリカの現政権が怒り、世界中が心配し、日本の実態経済に響くのも時間の問題に見えた日中関係の膠着化(…と思った日本や諸外国の不安は杞憂だった。中国本土の人たちは商売優先なので、安倍の反中国差別外交など気にもとめず、円安のチャンスに日本への観光や日本との取引を拡大している)も、安倍が最大議席と国民の支持を背景にしている以上、外務省でも自民党の長老でも止められなかった。それでも中国政府に一生懸命に頭を下げて首脳会談をやってもらうよう尽力したのは、結局は元首相で小泉純政権時代の上司だった福田康夫さんだったのだが。

「普通のことを普通に出来ない」安倍政権の首に、誰が鈴をつけるのか?

安倍がぶちあげた「集団的自衛権」にしても、実際に防衛省などが“霞ヶ関文学”を駆使してうまくねじ込んだのは「予防的先制攻撃」の容認であり、たとえば他国間の紛争が日本に飛び火する前に日本から介入できる、という権限だった。国民からみれば危険だが、防衛省にとってはありがたく、外務省にとっても使えるカードではある。とはいえその防衛・外務の両省も、まさか発表会見で安倍が中国を実質名指しにして南沙諸島問題が日本が中国に戦争を仕掛ける理由になると言い出すとは、想定の範囲外だったろう。あの暴言を外務省幹部がどう火消しに廻ったのか、まったく報道には出て来なかったが、あそこまで言われてしまうと北京政府も反応すれば「即戦争」となりかねないので無視してくれたのか、結果として問題になっていないのは安倍の「勝利」と言えば、そうなのかも知れない(本人がそう思い込んで自慢している可能性はある)。

例をあげればキリがないが、要は安倍政権が「普通のことを普通に出来ない」政権であること、「あまりに変なことばかりやる」非常識内閣であることに、永田町も霞ヶ関も、さすがについて行けなくなった、疲れてしまったのではないだろうか?一種の「安倍おろし」がこの解散総選挙騒動の裏にあるように思えてならないし、その切り口で今後の事態の推移を見れば、もっと分かって来ることがあるのかも知れない。

ただそれが分かって来たところで、ではどこに投票すべきかが見えて来るわけでもないのが、我ら国民の不幸ではあるのだが…。これだけははっきりしたと思うのだが、日本は民主主義の国ではない。

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