吉永小百合さんが語る原爆・ヒロシマ・平和「戦後が続いてほしい」

2016年8月18日 Henri Kenji OIKAWA 0

 女優吉永小百合(71)が7日、東京・東池袋の新文芸坐で行われた「第五回新藤兼人平和映画祭 映画が描いた原爆の悲劇」でトークイベントを行った。  この日は広島を舞台に原爆を描き、吉永と渡哲也(74)が主演した映画「愛と死の記録」(66年)と、原爆が投下された長崎を舞台に描き、昨年公開された主演映画「母と暮せば」が上映され、吉永が広島と長崎の原爆や戦争について思いを語った。  吉永はトークの中で、オバマ米大統領が5月に広島を訪問し、原爆資料館を訪れたことについて触れた。「オバマさんがいらして、たくさんの人が史料館に行くようになったとニュースでも見ました。本当の意味で、核兵器がなくなる日を、みんなで作り上げていきたいと思っています」と訴えた。  オバマ大統領は原爆資料館で自ら希望し、展示された1羽の折り鶴を身をかがめて観察したという。その折り鶴は、広島で被爆して白血病を発症後、病床で8カ月間折り続け、55年に12歳で亡くなった、佐々木禎子さんのものだった。  吉永も、佐々木禎子さんとは深い縁があった。81年のNHKドラマ「夢千代日記」で原爆症を発症した夢千代を演じた際、被爆者団体の人から原爆詩の朗読の依頼があり、86年に東京で開かれた平和集会で朗読して以来、ライフワークとして続けている。  その朗読を97年に「第二楽章」(広島編)としてCD化したきっかけになったのが、米のピアニスト・ジョージ・ウィンストンがギターを演奏し、佐々木禎子さんの詩を英語で紹介した米国のCDだった。「詩に寄り添うように音楽を奏でた、本当にすばらしい作品。声高じゃなくて、本当に命と平和の大切さを訴えるものができないだろうか、という思いに駆られて『第二楽章』を作った」と明かした。  吉永が「第二楽章」を作るきっかけとなった、佐々木禎子さんの折り鶴を、「第二楽章」のリリースから約20年後、オバマ大統領が広島を訪れた際、自ら希望して見学した。  吉永は「禎子さんが、もし生きていらしたら私より2歳上。私たちの心にいつまでも残っていますし、オバマさんの胸にも世界中の子どもの胸にも残る人だと思います」と語った。  吉永はトークイベントの最後に、戦後71年目の夏を迎え、戦後という言葉が薄れている現状を憂え、原爆投下と終戦と同じ1945年(昭20)に生まれた人間として、戦争の悲惨さを語り継いでいくと誓った。  「自分の年って、言いたくないですよね。だけど、45年に生まれたということで、私の年が『戦後何年』という年になっているというのは、とっても大切なことだと思っているんですね。ですから、私が幾つまで元気でいられるか分かりませんけれど、80になった時には戦後80年、90になったら戦後90年、100になったら…分かんないんですけれど、戦後100年と戦後(という言葉)が続いてほしい。そのためには、私たちが、やっぱり『戦争は、嫌だ!!』ということを、しっかり言わないといけない。思っている方たちは声に出して…と願っています」 参照:日刊スポーツ

オバマ訪問を利用しつつ被爆者を裏切ろうとした安倍政権と、広島訪問を辛うじて失望から救ったバラク・オバマのサプライズ by 藤原敏史・監督

2016年6月6日 Henri Kenji OIKAWA 0

「短い所感」の予定だった演説が始まるまで、71年間広島の被爆者の多くが待ち望んで来た思いは、ひどい欺瞞で裏切られるのではないかと危惧された。訪問直前のギリギリまで、報道によればアメリカ大統領は確かに広島に来るが、被爆者には会わないかも知れない、短い所感しか言わない、平和記念資料館に行くかどうかも分からないというのだ。 この訪問がにわかに現実性を帯びたとき、メディアの関心はひたすら「謝罪があるかどうか」にだけ集中していた。よく分かりもしないで口先だけ謝られても、と困惑する被爆者たちの目前で、それがあまりにも分かりやすい世論操作で「謝罪を求めてはいけない」キャンペーンにとって替わっていった。そしてあたかも「謝罪」を避けることが最大の目的かに見える訪問日程が日々小出しに報じられ続け、気がつけばオバマ大統領の広島滞在日程はごく短時間になってしまっていた。安倍晋三に伴われて平和記念資料館に入ったバラク・オバマが、予定通りとはいえ10分そこらで出て来てしまったときには、失望を覚えた人も多かっただろう。 この人はいったいなにしに広島に来たのか?たったこれだけで、どんな「所感」つまり「感想」が出てくるというのか? 1945年8月6日の朝にここでなにが起こり、その後も今に至るまでなにが起こり続けているのか、その現実にオバマ大統領が触れる機会は、皆無に等しくなってしまっていた。これでは謝るか、反省するかどうかの問題になりようがない。そもそもなにをやったのかが分かってなくて謝られても意味がないし、もっと言えば「謝罪して欲しい」「いや謝罪を求めるのはよくない」と言い合っている(というか、それが同じ人たちだったりする)日本人の多くもまた、広島でなにがあったのかをほとんど知らない。 政府に振り回され、裏切られ、利用され、無視され踏みにじられた広島市 平和記念資料館の前で安倍からオバマに紹介され、握手を交わした松井広島市長の沈んだ顔が、さんざん期待を持たされた挙げ句の幻滅を象徴しているようだった。 言うまでもなく、原爆が落とされたのは広島市であり、オバマ米大統領が訪問した平和記念公園も平和記念資料館も広島市の施設だ。本来ならオバマ大統領の広島訪問のホスト役はその市民を代表する市長であり、資料館を案内するのは館長のはずだ。平和記念資料館の館長も定年制があるので今の館長は被爆者ではないが、小学生で被爆した原田元館長(被爆した時の爪を自ら寄贈)や、父を亡くし母の胎内二ヶ月で入市被爆している畑口元館長(骨もほとんど残らなかった父の懐中時計を寄贈)がアメリカ大統領の初訪問を案内すれば、どれだけ意義深いことになっただろうか。 だがそうした訪問の段取りも、本来なら広島市が主導すべきなのを政府が横取りし続け、到着時でも市長は知事の後回しで紹介されただけだった。そして安倍総理大臣が妙にはしゃいで先頭に立ち、オバマ大統領を資料館に連れて行った。 現在の広島平和記念資料館はかつての広島国際ホテルを別館としていて(映画『二十四時間の情事』でヒロインが泊まるホテル)、入り口がそこになっている。そのロビーから二階に上がり、原爆投下以前の広島の歴史(日本軍の大陸進出の拠点となり戦時には大本営や帝国議会が東京から移されることもあった)の説明を見て、渡り廊下を通って本館に入り、被曝遺物の展示が始まるまで、歩くだけで数分はかかるはずで、往復10分ではほとんどなにも見られないはずだ。 現在の平和記念資料館は先述の原田さん、畑口さんら歴代の館長たちが、被爆の実相の全体像が現代人にも伝わるよう、丁寧に考え抜かれた展示構成になっている。言い換えれば、そうして考え抜かれた順番に自然に沿って全体を見てこそ伝わるものなのに、なぜたった10分しか見学時間がないのか? しかもオバマ大統領が館内に入ったときには、既にその後の献花式と予定された「所感」に立ち会うため、高齢の被爆者二人を含む聴衆が慰霊碑前で待ち構えていた。その人たちを待たせるわけにはいかないが、こうも急かされればオバマがじっくり被爆遺物を見ることも出来ない。ケリー国務長官にこの資料館の凄さを伝えられていたバラク・オバマ本人も、さぞ欲求不満だったことだろう。 広島市民どころか、被爆者さえ排除しようとした過剰警備 外の平和記念公園では、警備を名目に、広島の一般市民どころか、肝腎の被爆者すら入ることは許されなくなっていた。 高齢を押して向かいの道路に立つ被爆者も少なくなかった。原爆手帳というものが交付されているのだから、被爆者を招待することは警備上の身元確認も含めて簡単なはずなのに、その被爆者すら排除された米大統領初の広島訪問の式典に、なんの意味があるのだろう? オバマが被爆者に会うかどうかもギリギリまで不可能のように報じられ、前日になってやっと、被団協の坪井直代表理事ら3~4名が式典に列席し、オバマが「声をかける」ことになったと報道されていた。 短い所感を述べるもなにも、オバマは原爆資料館もほとんど見ず、まして被爆者から体験を聞くこともなく、広島の街も大統領専用車の窓からちょっと見ただけで、いったいどんな所感を言えるのかも怪しい。 外遊先での予定外行動、サプライズが得意なバラク・オバマだ。なにかあるはずだと期待するしかないが、平和記念資料館もすぐに出て来てしまった。日本政府主導で決められた日程による、なるべく形だけに終始して早く済ませたい、やる気がまったくないのが見え見えのセレモニーは、ただ淡々と進んで行きそうに見えた。 オバマと共に安倍晋三が慰霊碑に献花するに至っては、意味が分からない。安倍政権は事前からこの訪問をオバマの標榜する「核なき世界」のためではなく、日米の和解と友好、同盟の深化の証しだと言い張って来た。ならば原爆の加害と被害を超えた証として、オバマと共に献花するのはたとえば被爆者の代表として列席していた坪井直さん(91歳)であるべきではないのか? 広島で被爆された坪井さんに、長崎から「赤い背中の少年」(背中一面大やけどの有名な被爆写真)の郵便配達の少年だった谷口稜曄さん(87歳)を招き、三人で献花するなら完璧だったが、安倍首相が共に献花すべき理由などどこにもなかった、一ヶ月半後に控える参院選のための支持率アップのパフォーマンス以外には。 そしてオバマは「所感」を語り始めた。いや「短い所感」などではなく、彼はしっかり準備された原稿を手にしていた。しかもその原稿に目をやることもほとんどなく始まったのは「われわれはなぜ広島に来たのか Why We Came to Hiroshima」と題された長いスピーチだった。 […]

小泉元首相、涙の理由語る 被ばく訴えた元兵士思う

2016年6月1日 Henri Kenji OIKAWA 0

 小泉元総理は東日本大震災でのアメリカ軍の支援活動「トモダチ作戦」に参加した際、原発事故で被ばくしたと訴える元アメリカ軍兵士の支援のため、基金の設立を検討していることを明らかにした。5月26日に都内で行われた講演で述べた。  「彼ら病で苦しんでいる兵士のために、役に立ってもらえるような基金を設立しようじゃないかと考えているんです」(小泉純一郎元首相)  原発ゼロ社会に向けた活動を進める小泉元総理は、講演で東日本大震災での「トモダチ作戦」に参加中、原発事故で被ばくしたと訴えている元アメリカ軍兵士の支援のため、民間の基金を設立する考えを明らかにした。小泉氏は今月中旬アメリカを訪れ、元兵士らから直接話を聞いたということで健康被害を訴える人は「すでに400人を超えている」と話している。  「日本は、救援に来てくれたんだからね。それは話を聞いてああかわいそうですね、気の毒ですね、と言って済むかというと、そうじゃないだろうと」(小泉純一郎元首相)  一方、小泉氏はオバマ大統領の広島訪問について「色々意見があるなかでよく決断してくれた」と評価したが、「核廃絶より原発ゼロの方が易しい」と述べ、アメリカと日本で取り組めば「世界は変わる」と強調した。 参照:TBS France10では、2017年春に行われるフランス大統領選挙・取材を支援するためのクラウドファンディングを始動させました。1000円の商品からスタートし、14種類の充実した商品をご用意しております。ぜひとも、ご支援くださるよう御願い申し上げます。

疑心暗鬼から信頼関係を構築する世界へ-松井一實・広島市長が日本外国特派員協会にて記者会見

2015年7月30日 Henri Kenji OIKAWA 0

松井一實・広島市長は2015年7月23日、都内・日本外国特派員協会にて記者会見した。 Franceの国営放送の記者から現在、国会で審議中の安保法制について問われると、松井市長は 「私自身は、日本は決して戦争に向かうための対応をしているとは思えないし、決してしてはならないという立ち位置です。様々な国政上の努力も平和を維持するための対応だと政治家の方は言っている。それを信じる。」 と断った上で、 「平和を維持し、国民を平和な状態のまま維持するために、何方か分からない他国から攻められるかもしれないという状況にあるから備えをするのだという疑心暗鬼の発想が再び日本を戦争に導くのではないか……という誤解を生じさせる。人間が構成する国であるから、個々人が他者を信頼できるような、疑心暗鬼の世界から信頼関係を構築する世界を目指してもらいたいと私は考えている。そのためには、相手が何をやるか分からないから、そのときの為に何かを備える……というのではなくて、分からないんだったら、その相手と『何を考えているのか』知るためにきっちり対話すれば良い。お互いをよくするために何か良い方法はないか、と。対話をしていき信頼関係を構築する政治手法をしっかりと確立し実践するなかで、国政を運営していただきたい。」 と述べた。 情報にはコストがかかります。France10はタブーなき自由な報道のために皆様からの御寄付によって支えられています。

広島に続きまたコピペ?安倍晋三・首相「長崎平和祈念式典」スピーチを一挙掲載 by 冨田すみれ子・記者

2014年8月12日 Henri Kenji OIKAWA 0

2014年8月6日の広島平和祈念式典で安倍晋三・首相が行ったスピーチが、前年のものと類似しているという指摘がなされ、”コピペ”疑惑が出た。8月9日に催された長崎平和記念式典におけるスピーチも前年のそれと極似していて、批判の声が出されている。 現地で取材に当たった大学生の冨田すみれ子・記者が現地からリポートする。 2014年度長崎平和祈念式典 安倍首相スピーチ全文 本日、被爆69周年、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。 69年前の本日、一発の爆弾が、7万を上回る、貴い命を奪いました。12万人が暮らしていた家屋を全焼、全壊し、生き永らえた方々に、病と障害の、さらには生活上の、言葉に尽くせぬ苦難を強いました。 一度ならず、二度までも被爆の辛酸をなめた私たちは、にもかかわらず、苦しみ、悲しみに耐え立ち上がり、祖国を再建し、長崎を、美しい街としてよみがえらせました。きょうは、犠牲になった方々の御霊を慰めるとともに、先人たちの奮闘と、達成に、感謝を捧げる日でもあります。 人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には、確実に、「核兵器のない世界」を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。私は、昨年、国連総会の「核軍縮ハイレベル会合」において、「核兵器のない世界」に向けての決意を表明しました。 我が国が提出した核軍縮決議は、初めて100を超える共同提案国を得て圧倒的な賛成多数で採決されました。 包括的核実験禁止条約の早期発効に向け、関係国の首脳に直接、条約の批准を働きかけるなど、現実的、実践的な核軍縮を進めています。 本年4月には、「軍縮・不拡散イニシアチブ」の外相会合を、広島で開催し、被爆地から我々の思いを、力強く発信しました。来年は、被爆から70年目という節目の年であり、5年に一度の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議が開催されます。「核兵器のない世界」を実現するための取り組みを、さらに前に進めています。 今なお被爆による苦痛に耐え、原爆症の認定を待つ方々がおられます。昨年末には、3年に及ぶ関係者の方々のご議論を踏まえ、認定基準の見直しを行いました。多くの方々に一日でも早く認定が下りるよう、今後とも誠心誠意努力してまいります。 長崎の御霊を悼む朝、私は、これらの責務に、旧に倍する努力を傾けていくことをお誓い申し上げます。 結びに、いま一度、犠牲になった方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のごあいさつといたします。

外国人6人にヒロシマにて直撃インタビュー by 冨田すみれ子・記者 -Hiroshïma原爆投下69年・特集-

2014年8月10日 Henri Kenji OIKAWA 0

8月6日、広島は1945年の原子爆弾投下から69年目を迎えた。 原爆の日、広島には国内のみならず国外からも平和を想う人々が集まる。そんな中、世界各国では核実験が繰り返され、日本は原発の問題を抱えている。この日の為に広島を訪れた世界各国の若者達は何を考えるのか。平和記念資料館や、8月6日に合わせて行われている平和イベントを訪れた各国の若者達にインタビューを行った。 INDEX 0:06-0:19 Anna (Italy) :広島を訪れて感じた事。世界へ向けて平和の提案。 0:20-0:44 Hyunmin (South Korea) :韓国人留学生としての平和への想い。 0:45-1:31 Sara (U.S.A.) :アメリカ人として広島平和記念資料館を訪れ、被爆者の生の声を聞いた感想。 1:32-2:14 Eric (U.S.A.) :アメリカ人として広島平和記念資料館を訪れた感想。アメリカの歴史教育で学んだ「原爆」と、今回広島を訪れて変化した「原爆」への考え方。 2:15-3:19 Yang (China) :中国人留学生として考える「平和と戦争」、そして「原爆」への想い。 3:20-3:50 […]

被曝二世の塩村あやか都議インタビュー「平和」「動物福祉」「議員になった理由」「性差別ヤジ」

2014年8月5日 Henri Kenji OIKAWA 1

France10は都議会で”性差別やじ”を受けたことがニュースで大々的に報じられ話題になった塩村あやか都議会議員(みんなの党)に独占インタビューした。 黒猫の里親になり動物愛護活動を始める 動物福祉に取り組むようになった理由を塩村都議は次のように語った。 「『恋のから騒ぎ』に出ていた頃、商店街を歩いていると『猫の里や親募集』という張り紙を見つけた。そのときはマンションを引っ越したばかりで、ペット可になった。黒猫でして一目惚れしてその猫を引き取りにいった。引き取らなくなったらどうなったのか調べたら、『殺処分』になっていたかもしれないことがわかった。安楽死とはいうが、実際にやっているのは下関市くらいで、日本では二酸化炭素ガスによる窒息です。動画も観てこれを安楽死といっているのはおかしいし、当時、年間20万頭近くが殺されているのでなんとかしたいと思った」 そして、2020年までに日本を「動物福祉先進国」にすることが目標だと決意を語った。 被曝二世として考えること 広島県福山市出身で被曝二世の塩村あやか都議は自身の体験について次のように語った。 「私の父は11歳の時に被曝しました。一緒に暮らしたのは中学生までで、親が離婚したので、長く離れて暮らしていた。死に目に看取る人がいないということで父から私に連絡があり、会いに行った。(爆心地1kmで被曝した)父に『何で(広島から約100kmもある)福山に来たんね』と尋ねたら、『原爆があったから、けーよ』と一言ぽつんと言った。もっと色々聞こうかな……と思ったのですけど、子どもの頃から、ものすごく被曝の話をするのを嫌がる人だったのでやめた。父は背中にケロイドがあったので、子どもの頃、原爆について何回か訊いたら、プイーと怒ってどこかに行ってしまうほど、話さなかった。」 ●インデックス 塩村都議が議員になるまでの経緯(0:08-) 動物福祉に取り組むようになった経緯(10:30-) 広島出身で被曝二世(19:55-)

亀井静香の遙かなる旅路~原爆で姉を喪った心優しきゲバラ主義者~

2013年11月6日 Henri Kenji OIKAWA 0

昨年の総選挙解散前に「亀井静香の遙かなる旅路~原爆で姉を喪った心優しきゲバラ主義者~」という記事が論壇誌『イチゼロ』(世界書院)に掲載された。大反響の原稿をここに掲載する。 主題:亀井静香の遙かなる旅路~原爆で姉を喪った心優しきゲバラ主義者~ 主筆:及川健二(政治哲学者&ジャーナリスト)  「消費税増税は認められないから内閣を離脱します」  野田政権が「社会保障と税の一体改革」と称して、消費税増税を目論む中、亀井静香・衆院議員は一貫して反対を表明し、国民新党の連立離脱を示唆していた。しかしながら、政治部記者の大方の見方は、最後に妥協し、亀井氏は政権に留まる決断をするというものだった。ところが、亀井氏は3月29日夜、公邸で野田佳彦首相と会談し、消費税増税関連法案の閣議決定反対を理由に「国民との消費税増税をしないとの約束を破るわけにはいかない。連立を解消させてもらう」と連立政権からの離脱方針を伝えた。  だが、国民新党の8人の国会議員の中で、亀井代表の英断を支持するのは亀井亜紀子・参院議員だけで、けっきょく、亀井氏らが離党することになった。  思い起こせば、郵政解散前に国民新党を結党した時もに、志帥会(亀井派)で親分と行動を共にした人もいなかった。  亀井氏が大きな決断をするとき孤高になるのはそういう宿命(さだめ)なのか。  しかし、自由民主党を離れたものの、その後、政権交代の大きな原動力となった。  次回の総選挙でも台風になるやもしれぬ。 ◇ゲバラの遺影が飾られる事務所  さて、亀井静香・衆院議員の事務所を初めて訪れた人は必ずといってイイほど呆気にとられる。  事務所はいつも油絵の描き途中のキャンパスや絵の具が散らばっている。亀井さんは事務所で油絵を描くことに時間を費やす。熱中しすぎて、本会議に遅刻して、議場には入れなかったという逸話もある。自由民主党の実力者といわれた頃の話だ。衛視もさぞや困ったことにちがいない。  いや、驚くのは事務所の散乱ぶりにではない。「キューバ革命」の指導者・エルネスト=チェ=ゲバラの肖像が高く飾られているのだ。亀井氏はゲバラを「心の師」として仰ぎ、身を引き締める為、ゲバラの近影を置いてある。警察官僚の道を歩んで、極左事件初代取締責任者も務めた亀井氏がなぜゲバラなのか。 「あの方はねえ、自分の人生を、圧政と貧困に苦しむ人たちに捧げたんですよ。  ゲバラはアルゼンチンのロサリオ市に生まれ、ブエノス・アイレス大学の医学部に入る。そして、大学時代にチリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラなどを貧乏旅行して、ラテン・アメリカの貧しい過酷な現実を知ります。  それで、医学部を卒業した後、グアテマラに渡って革命派のアルベンス・グスマン政権のために働いたのですが、その政権は反革命軍の手によって打倒されてしまいます。  そこで、今度はメキシコに行き、キューバから亡命していたカストロたちと出会い、彼らと一緒にキューバに行って、医師として活躍する一方、ゲリラにも参加し、ついにキューバのバティスタ政権を打倒するのです。このときの革命の方法を理論化したのが『ゲリラ戦争』で、ラテン・アメリカの革命家たちのバイブルとなりました。  ゲバラは軍人としての才能もあり、革命が成功したあと、国立銀行総裁や工業相などを歴任しているのですが、人間の意識革命の必要性を、熱心に説いたのです。社会全体に奉仕する自発的で献身的な『新しい人間』の形成が、何よりも重要だと主張しました。  そうして、自分の人生を、圧政と貧困の中で苦しんでいる人たちの救済に捧げました。自分の人生を全部捨てて、人の痛みを少しでも和らげようとしたわけです。」  亀井氏はかつてこう語っている。   ◇静香少年と原爆 亀井静香氏に与えたであろう重要なファクターは、1945年8月6日が原点にあるように思えてならない。 静香少年は7歳で、広島にて原爆の閃光を見た。 […]