奪われた青春、歴史を語る声、そして未来への自由
二〇二六年、茨木のり子の生誕から一世紀を迎えた。一九二六年六月十二日に生まれ、一九歳で敗戦を経験したこの詩人は、戦争に覆われた青春の記憶を、その後の生涯にわたって問い続けた。tanemaki.iwanami.co.jp
一世紀という歳月は、一人の人間の生を歴史の遠景へと退かせる。しかし、詩を声に出して読むとき、その距離は奇妙なほど縮まる。かつて生きた人の息遣いが、いま読む者の呼吸と重なるからである。文字として保存された記憶が、再び人間の声を得る。その出来事として、私は今日、「わたしが一番きれいだったとき」を読みたい。
この作品に接するとき、戦争という巨大な出来事と、一人の女性のきわめて私的な感情とが、同じ言葉のなかに収められていることに気づかざるをえない。国家の敗北と、青春の寂しさ。街の破壊と、自分の身体への思い。歴史の教科書では別々の場所に置かれがちなものが、ここでは一人の生の経験として結びついている。
その結びつきを解きほぐす前に、まず作品そのものに耳を澄ませたい。解釈は、作品から受けた衝撃を言葉にする試みである。朗読に先回りして、聴く者の感じ方を決めてしまうことは避けたいと思う。
茨木のり子、「わたしが一番きれいだったとき」。
[『茨木のり子集 言の葉1』などに収録。]筑摩書房
読後に残るのは、過ぎ去った青春を思う痛みと、なお自分の人生の先を見ようとする意志である。この二つは、最後まで緊張を保っている。未来へ向かう言葉が置かれても、失われたものの重さは消えない。その消えなさを保ったまま、詩は終わる。
戦争の被害を考えるとき、私たちはまず、死者の数、破壊された都市、奪われた領土や財産を挙げる。その把握は欠かせない。被害の規模を確かめ、誰が何をしたのかを明らかにすることは、歴史を学ぶ者の責任である。
だが、人間の損失には、集計し尽くすことのできない領域がある。生き残った人にも、二度と取り戻せない歳月があるからだ。
読んでみたかった本、学びたかったこと、誰かと交わしたかった言葉。まだ輪郭さえ定まっていなかった将来への期待。人の生は、実現した出来事だけで成り立っているのではない。実現するかもしれなかった可能性も、その人の人生に属している。
もちろん、平穏な時代であっても、すべての願いがかなうわけではない。青春には失恋も挫折も孤独もある。それでも、自分で試み、自分で迷い、ときには自分で失敗する余地は、人が生きるうえで大切なものである。戦争は、その余地そのものを、本人の意思を越えて狭め、あるいは断ち切ってしまう。
この作品の悔しさには、そうした可能性を奪われた者の思いが流れている。命が助かったという事実と、その命を自分のものとして生き得たかという問いとの間には、深い隔たりがある。
題名と同じ一節が反復されることも、この隔たりを際立たせている。
反復されるたびに、語りは自分の青春へと戻ろうとする。ところが、そこに立ち現れるのは、その時間を覆っていた歴史の現実である。青春を思い起こす営みそのものが、戦争の記憶へと繰り返し行き当たる。その往復が、作品を読む者の身体にも刻まれていく。
過去形で語られる青春は、すでに取り返しがつかない。けれども、その過去形を口にする主体は、現在に生きている。かつて自分に起きたことを、いま自分の言葉で語っている。この詩には、経験した当時の自己と、その経験を振り返る自己という、二つの時間が重なっているのである。
茨木は、のちのエッセイ「はたちが敗戦」で、戦後、自分の若さを意識したときの思いと、時を隔ててこの詩を書いたことを回想している。そのことを踏まえるなら、本作を、敗戦の瞬間の感情をそのまま写した記録として読むだけでは十分であるまい。時間を経てなお残った痛みが、言葉の形を与えられた作品なのである。jiu.repo.nii.ac.jp
記憶は、過去をそのまま取り戻すことはできない。しかし、かつて自分に起きたことを、他人の説明に委ねずに語り直すことはできる。反復される一人称には、そうした働きも認められる。失った時間を語る声が、失われたままにはしておけない自己の存在を、繰り返し確かめているのである。
ここで、題名にある「きれい」という言葉を、丁寧に考える必要がある。
若い女性が自分の美しさについて語るとき、その言葉は、外見や若さをめぐる社会の価値観と無関係ではあり得ない。女性の価値を若さに結びつける見方は、この題名を読む現代の私たちの側にも存在する。だからこそ、誰がその美しさを語っているのかに注意したい。
ここで発言しているのは、かつての自分を振り返る女性自身である。自分の身体をどう感じ、その時間をどのように生きたかったかを、本人が語っている。私には、その声のなかに、他人の評価に先立って自分の生を慈しもうとする感情が聞こえる。
自分に似合う服を考えることも、誰かに心を寄せることも、自分の姿を少し好ましく思うことも、人が自分の生を引き受ける具体的な営みである。それらを、非常時には切り捨ててもよい些事として扱うとき、私たちは何のために生きるのかを見失いかねない。
同時に、この作品の結びを読むと、題名の美しさが、若い時期だけに閉じ込められたままではないことにも気づく。老いた画家の創造へと視線が向かうことで、人生の充実を測る時間の幅が、大きく開かれるからである。冒頭で過去へ向けられた視線は、最後には、まだ生きられていない歳月へと向かう。この動きについては、後に改めて考えたい。
冒頭の街と空の描写もまた、作品全体の読みを左右する。
破壊によって、それまで見えなかった空が見えてしまう。空の青さと、地上で起きた出来事の悲惨さとが、同じ視野のなかに入ってくる。
美しいものがそこに見えるという事実だけでは、世界の状態を判断できない。その景色が、何を失うことによって現れたのかを問わなければならないのである。
私たちは、ともすれば美しい風景を、苦しみを慰めるものとして理解する。だが、この冒頭では、見えた空が、その下で失われた生活を思い起こさせる。美しさを感じることと、破壊の意味を知ることとは、容易には一致しない。その食い違いが、読む者を立ち止まらせる。
空を美しいと感じられる感受性は残っている。世界の美しさを知る身体が、同時に、その世界から傷つけられている。この二重の経験を受けとめるところから、詩の理解は深まるのだと思う。
詩に描かれる若い身体にも、同様の緊張がある。身体は成長し、生の力を帯びていく。しかし、その力を、本人が望む仕方で使えるとは限らない。生きる力が湧き上がる時期に、その力の向かう先を、時代の側から定められてしまうのである。
戦争が人間を動員するとは、身体を働かせ、戦場へ送り出すこととともに、人が何を願い、何を大切にするかという内面にまで及ぶことである。自分の欲望を確かめる時間さえ、社会の要求によって埋められていく。
この詩において、恋愛や装いに関わる感情が語られることは、その意味で重要である。私的な喜びを持ちたいという思いは、国家の目的によって編成される日々のなかで、一人の人間が生きる場所を求める声にもなる。
ただし、女性を平和の側、男性を戦争の側へ固定してしまっては、作品が描く喪失を狭めることになる。戦場へ送り出された若者にも、誰かと出会い、自分の人生を生きるはずの時間があった。性別に応じた役割を課されることによって、人間それぞれの可能性が損なわれていく。その広がりまで、この作品から考えてみたい。
もう一つ、見逃せないのは、語り手が自分自身を厳しく振り返る視線である。
茨木は、戦時下の軍国主義的な教育のなかで育ち、自らもその価値観を身につけていた少女時代を回想している。熊谷誠人による研究も、豊かな感受性を育んだ幼年期から軍国少女となった時期、さらにその後の変容を、連続した過程として考察している。jiu.repo.nii.ac.jp
この来歴を踏まえると、作品の一人称には、傷つけられた自己へのいたわりとともに、当時の自己を問い返す視線が重なっているように思われる。
戦争のなかで生きた私は、何を信じていたのか。何を知らずにいたのか。自分の考えだと思っていたもののうち、どれほどが、周囲から与えられた言葉であったのか。
こうした問いは、後世の知識をもって、過去の少女を一方的に裁くために立てられるものではない。教育や情報のあり方、権力と個人の関係を確かめながら、人が自分の判断を取り戻すことの困難を考えるために必要なのである。
詩の語り手は、自分を、初めからすべてを見抜いていた者としては描いていない。自分の未熟さや心の混乱も、記憶のなかから排除しない。その率直さによって、作品の声は、読む者にとって近しいものになる。
人は、誤ったものを信じたことがある。理解できなかったことがある。後になって初めて、自分の置かれていた状況を知ることがある。その不完全さを抱えた人間が、なお経験を語り、考え直すことができる。この作品の強さは、そこにも見いだれよう。
また、「わたしの国」という言い方には、国家と個人の関係の複雑さが表れている。そこには、自分の生きる国への帰属があり、その国の行方から逃れられない感覚もある。国の敗北は、抽象的な政治の出来事として片づけられず、語り手の身体と感情にまで及んでいる。
それでも、国の運命を語る言葉と、一人の人生を語る言葉とを、完全に重ねることはできない。国家の目標が達成されたかどうかという尺度によって、その下に生きた人々の幸不幸を測り尽くすことはできないからである。
ここに、この作品から私が引き受けたい、政治哲学上の問いがある。人間の一生を、国家の事業を遂行するための材料として扱うことが許されるのか、という問いである。
人は、社会のなかでしか生きられない。他者への責任も、共同の生活を支える務めもある。その事実を踏まえたうえでなお、一人の人生には、他の誰も代わって生きることのできない時間がある。共同体の目的を語る者は、その時間を差し出させることの重みを、絶えず問われなければならない。
この問いを日本人の経験だけに閉じてしまうことも、避けたい。
日本に生きた人々が受けた被害を受けとめることと、日本の侵略や植民地支配によって他の地域の人々が受けた被害を確かめることとは、ともに必要である。国家の責任と、個人が置かれていた条件とは、それぞれ具体的な事実に即して問われなければならない。
自分に近い者の苦しみに気づいたとき、その気づきを、遠くにいる者の生へと広げていく。私には、そのように読者の想像力を動かす読み方が、この作品に応答する一つの道であると思われる。
国境の向こうにも、友を持ち、誰かを愛し、将来を思い描いていた人がいた。こちらの歴史において名前の現れない人にも、自分を主語にして語るはずの人生があった。この作品の一人称を聴く経験は、そうした他者の一人称に耳を傾ける契機ともなり得る。
そして、詩は結びへと向かう。
だから決めた できれば長生きすることに
この短い一行には、決意と留保とが同居している。jiu.repo.nii.ac.jp
生きることを自ら願い、決めようとする力がある。同時に、自分の意思だけで生涯を支配できるわけではないという、人間の限界も感じられる。私は、ここで用いられる「できれば」という控えめな言葉を、その両方を含み得るものとして読みたい。
そこには、深刻な決意を大げさに言い立てない、軽やかな調子もあるだろう。傷ついた人の声を、ただ悲痛な響きのなかに閉じ込めないところに、茨木の言葉の自由がある。読者は、悲しみの重さを感じながら、ふと、その声の身近さに触れるのである。
長く生きることへの願いは、失われた青春をそのまま回復することはできない。歳月は、過去の損失を埋め合わせるために、都合よく積み重なってくれるものではない。それでも、まだ生きられていない時間には、何が起こるかが確定していないという開かれがある。
未来を思うとは、その未確定の時間に、かすかな期待を置くことでもある。
ここで、フランスの画家ルオー(Georges Rouault)が思い浮かべられることは、作品の時間を大きく変える。ルオーは、晩年にも色彩豊かな風景を制作した画家である。ジョルジュ・ルオー財団の年譜は、彼の最晩年の作品における色彩の充実を伝えている。
この画家への言及によって、若さを失った後にも、人が何かを深く見つめ、新たな表現を生み出す可能性が示される。人生の価値を測る尺度が、若い身体の輝きから、長い時間を生きる人間の創造へと移っていくのである。
題名に置かれた最上級は、若い日の一時期を頂点として、その後の人生を下り坂に見せる危うさを持つ。だが、結びに現れる老いた画家は、その時間の見取り図を揺さぶる。年齢を重ねた先にも、まだ見たことのない美しさがあり得る。読み終えたとき、私たちは題名そのものを、初めとは少し違った仕方で聞くことになる。
ただし、この可能性を、すべての苦難は人を成長させるという教訓にしてしまってはならない。苦しみのなかで何かが生まれることと、その苦しみが必要であったと考えることの間には、越えてはならない隔たりがある。
戦争によって深い詩が書かれたとしても、そのことが戦争の損失を正当化することはない。人間の創造力は、受けた傷を表現へと変える場合がある。しかし、その力に感銘を受ける私たちには、傷を与えた現実の責任を問う仕事が残される。
同じように、生きることを、後に何かを成し遂げるための条件だけにしてはならない。名画を描く人にも、ただ静かに日々を送る人にも、その人の生きる時間はある。ルオーの名が作品の未来を照らすとき、そこから受け取りたいのは、自分の一生を、すでに知られた価値だけで閉じてしまわない自由である。
私は、この自由を、個人の気力だけに託すこともできないと思う。
住まいがあり、食べることができ、病を治療でき、誰かに助けを求められる。そうした生活の条件があって初めて、人は自分の未来を考える余裕を持つ。未来への希望には、他者の支えと、社会の具体的な仕組みが関わっている。
ここから導かれる政治の課題は、人間一人ひとりが、自分のこれからを思い描ける条件を守ることである。幸福の内容を一律に定めることはできないが、戦争や困窮によって、人が未来を奪われていく事態を減らす努力はできる。これは、作品を読んだ私自身が引き受けるべき課題である。
人には、新しいことを始める自由がある。途中で歩みを止め、休み、再び考える自由もある。若いころに望んだ人生を送れなかった者にも、その後の時間を、自分なりの仕方で生きる余地が必要である。
この作品の結びを、私は、そうした余地を信じようとする言葉として受けとめる。
そして最後に、詩の末尾に置かれた「ね」という一音に耳を留めたい。
私には、その一音が、独り言のなかに他者の居場所をつくっているように聞こえる。自分の決意を語ってきた声が、最後に、誰かの方へと向けられる。読む者、聴く者は、その声の傍らに立つことになる。
そこに求められているのは、ただちに明快な答えを返すことではあるまい。ひとまず、その人生の語りに付き添うこと。失われたものの重さを聞き、その先の時間を願う声を聞くこと。その静かな関係が、作品の終わりに生まれるのである。
朗読において、結びの後の沈黙を大切にしたいのも、そのためである。詩を読み終えることと、その人の経験を理解し尽くすこととは同じではない。声の消えた後にも、まだ聴き取るべきものが残っている。
生誕百年に、この作品を読む意味はそこにあろう。
過去の人の言葉を、今日の人間の声として受けとめる。そして、自分とは異なる時代を生きた人の経験によって、現在の暮らしの見え方を変えられることを許すのである。
何気ない一日には、長い歴史のなかで失われてきたものが、数多く含まれている。安心して帰れる家、好きな人と会う約束、明日読む本、来年に向けたささやかな予定。その日々の価値を、破壊された後でしか悟れないようであってはならない。
茨木のり子の詩は、一人の女性の青春を語りながら、私たちが他人の人生をどれほど具体的に思い描けるかを問うている。
誰かの生を大きな目的のために数え上げる前に、その人の一日を想像すること。その人が失ったものに耳を傾け、その人にまだ残されている時間を大切にすること。
奪われた青春を忘れず、これから生きられる歳月を閉ざさない。その責任を、自分の時代のなかで引き受けることをもって、私はこの一篇に応答したい。
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