復刻!若きカリスマ歌手・中村 中に独占インタビュー(前編)

若きカリスマ歌手・中村 中に独占インタビュー(前編)
8月27日14時4分配信 オーマイニュース

 22歳のカリスマ歌手・中村 中(ナカムラ アタル)さんへのインタビューを前・後編、2回に分けて掲載する。今日は前半をお楽しみあれ。

■「天までとどけ」に込めた想い

────今年リリースされた中村さんのファースト・アルバム『天までとどけ』には1リスナーとして感動しています。まず、ファースト・アルバムを出された心境はどうですか? 達成感はありましたか。

中村 初めてのアルバムだったので、疑うこともできず「とにかく創るぞ!」という思いで、良い意味で何も怖いものがなかったです。「よし創れ、創れ」というテンションでしたね。モノを創るという点での達成感はありました。ただ、果たしてこれで良かったのだろうか? という迷いもありますね。複雑な気持ちです。

────どうして『天までとどけ』というタイトルに?

中村 アルバムのテーマは、青春というよりもっと青臭い若さでした。

 若い世代が考える若い世代なりの正義というものがあるじゃないですか。取った行動が間違い・正しいというのではなくて、譲れない思いがあって、この気持ちを譲ってしまったら流されてしまう、向かった方が間違いだったとしてもよくて、自分の揺るぎない気持ちを守るという方に正義を感じている人って若い人にたくさんいると思うんですね。

 例えば、高校に行くときに私は教師や家族からいろいろ言われましたけど、自分が正しいと思っていることを貫く方が正しいと思ったんですよ。何かに流されて生きるのではなくて、自分で何か切り開くことの方を信じたくて、それですったもんだするのが若さだと思うんですね。

 「天」というのは社会という意味もあります。若い世代は地面についている。大人になった人は、元々同じ子どもだったわけじゃないですか。大人になって、社会に出るとこれこれこういう風に生きなさい、例えば就職しやすいんだから学校に行きなさいといわれる。出しゃばったりしなければたたかれることはない、出る杭(くい)は打たれるから出なければいいといわれて、それを大人は聞いてしまう。

 でも、そこには自分の意志がありません。そうすると、死んでいるのと一緒なんですね。「若いわれわれにはわれわれの正しさがあるんだということを社会に対して言う」――そういう意味で『天までとどけ』とつけました。

 『駆け足の生きざま』という曲の歌詞に「天までとどけ」という部分があるんですが、あれが軸になっています。10代って駆け足なんですよ。どうやって生きていいのか分からないと、荒れて、誰かを傷つけてしまうかもしれない。傷つけることはよくないけれど、どうにか生きようとして、もがいている姿まで間違いだとは言って欲しくない、と私は思うんです。生きようとすることは間違いじゃないという主張を大人たちにしたくて、『天までとどけ』ってつけたんです。

■『天までとどけ』誕生秘話

────アルバムの構想から製作にはどのくらいの期間がかかったのですか?

中村 デビューしてから「アルバムを作らなくっちゃね」って言われたころには構成はほぼできあがっていました。若さ・大人・死後・未来という順番があるとして、いきなり最初に未来をやっちゃって、次に大人をやって、その後に若さをやったら、しっちゃかめっちゃかになるじゃないですか。

 デビューとは0歳になること、産まれることだから、順番をたどりたかった。地ならしというか、地面をつくりたかった。若さがあって、10代のころに悩んだものがあるから私は今こうして生きているというアルバムにしたかった。だから、テーマは若さで、構成は初めからあった。曲は私が作ったものがほとんどで、2カ月くらいかけて録音しました。

────収録曲は何歳から何歳までの間に作られたのですか?

中村 15歳から20歳の間ですね。この間、100曲以上の歌を書いていました。デビューをするときにアルバムのことを考えていたので、1曲、アルバム用の曲を作りました。それが「駆け足の生き様」です。

────本は読まれる方ですか?

中村 活字は嫌いではないので、読みますね。最近は、天童荒太さんの『包帯クラブ』という本に感動しました。学生のころは赤川次郎さんの本を読みましたね。母がアガサ=クリスティや松本清張が好きで、私も読みました。音楽ほどは、本を掘り下げて読むことはないですね(笑)。

■ピアノを独学した理由、作詞・作曲のキッカケ

────どのような体験から歌が好きになったのですか?

中村 生まれたころから自然と歌がそばにあったんですね。サザンオールスターズがずっと流れているような家で育ち、テレビでレベッカやプリンセス・プリンセスを見ていました。歌に普通に触れる環境にあったので、歌まねをしているうちに、自然と歌に触れていたんですね。幼少のころから好きだったんだと思います。歌に救われたりしているので、歌に対する印象はよいですね。

────ピアノは独学だそうですが、何歳から始めたのですか?

中村 10歳のころからです。合唱コンクールがあって、私は張り切って歌うんですね。ところが、頑張っているのが周りの人には疎ましく見えたんです。「なんかあの子ばっかり頑張っちゃって」「じゃあ、ウチらは歌わなくていいよね」という風になった。それで、私は「この人たちとは歌いたくない」と思いました。歌わない方法としては、指揮をするかピアノ伴奏をするしかなかった。指揮者は決まっていたんで、私はピアノを選んだんです。それで、独りで猛練習しました。衝動だけで弾いた感じでしたよ。

────15歳のころから作詞・作曲を始めたそうですが、きっかけは?

中村 発言するのが苦手だったんです。クラスメイトや教師だけでなく、家族に対してもです。なるべくなら人としゃべらないで生きていたかった。

 一方で、言葉にして伝えたいという気持ちもありました。間違いかどうか分からないけれど言葉にしたいという気持ちが勝っちゃって、それを詩にしたんです。いろいろな気持ちを書いていきました。その1つが「友達の詩」です。私なりの自己表現だったわけです、そのころの。例えば、ぐれることでアイデンティティーを確立する人もいますが、私なりのぐれ方が歌を作ることだったんです。「私流フツーの学生生活」をやっただけという感じです。

────そのころ作った曲はどのようなものだったのですか?

中村 ファースト・アルバムに入っている『友達の詩』や『愚痴』は、そのころ書きました。あっ、こういうことって哀しいな、という気持ちを自然と歌にできていました。人が言い争っているのを見て哀しいなとか、どうして争わなくちゃいけないんだろうとか、何で若いということで不安定だと思われなくちゃいけないんだろう、ということを書いていました。そのときに一番傍(そば)にあったものを書いています。今は今で、傍にあるものが違いますから、今は今の視点で書きます。若いころに作った歌はギザギザしています。

■変声期という壁に向き合った

────中学3年からストリート・ミュージシャンの活動を始めたそうですね。

中村 卒業する直前でしたね。

────なぜストリートに出ようと思われたのですか?

中村 ひょんなことで、ストリート・ミュージシャンをじかに見たんです。そのとき、「ここで歌えるんだな」「こんな人たちもいるんだな」って思って、ついていっちゃったんですね(笑)。そこで出会ったストリート・ミュージシャンに話しかけて仲良くなって、「どうやってギターに触るんですか?」ということから聞き始めましたね。

────路上では何を歌ったのですか?

中村 研ナオコさんや井上陽水さんの歌を歌っていました。そのころは『真夜中のギター』という歌が大好きでした。

────変声期にさしかかり、歌を断念したと聞きましたが、どのような経緯で歌を再開できたのですか。

中村 半ばあきらめたときに、もう1回、歌えました。ボーイ・ソプラノってものすごくキレイですよね。ウィーン少年合唱団などは誰もが感動します。これは女性のソプラノでは出ない声なんですね。こういうところが美しいと思って頑張っていたのに、高い声が出なくなって、「そういうものなんだ、自分は」ってあきらめたけれど、それでも歌が捨てられませんでした。歌を捨ててしまえば、自分には何もやることがなかったんですね。他に見つければいいんですが、興味をそそるものがなかったので、歌にこだわり続けました。

────高校を中退したのは音楽活動に専念するためですか?

中村 (笑)もちろん、そういう言い訳もありますけど、一番の理由は周りに馴染(なじ)まなかったからです。「もう十分、『いい子』に縛られてきただろう」って思ったんですね。私は学ぶことを辞めたのではなく、学ぶ場所を変えたのだと思っています。学校に行かなくても学ぶことってたくさんあるじゃないですか。学校より明確に行きたい場所があったからですね。

────中学・高校のころは歌を通して何を表現したかったのですか?

中村 自分自身ですね。歌っていないときの自分はどこかウソっぽくて、歌っているときの自分は卑怯じゃなくて素直だった。邪念もなくて、歌を歌っているときの自分の方が周りから愛してもらえるんじゃないかと不思議と思えたんですね。自我のためにやっていました。(後編に続く)

(記:OIKAWA Henri-Kenji

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