希代のトリックスター、政治家・橋下徹とはなんだったのか? by 藤原敏史・監督

大阪市長の任期限りの政界引退を表明した橋下徹氏は、なにか驚くほどすがすがしい笑顔だった。その不思議に爽やかな、なにかが吹っ切れた顔で「敵を作る政治家は本当にワンポイントリリーフで、いらなくなれば交代。権力は使い捨てが一番」「ぼくみたいな敵をつくる政治家がずっと長くやるなんて世の中にとって害悪」とまで言い切ったことは、これまでの氏の政治スタイルや、あからさまに負けず嫌いな性格からすれば、意外ですらあった。

最大の政治目標として掲げて来た大阪都構想が否決されたた時に、いきなり引退を言うことには、「男らしい潔さ」を自己演出したい面も、これまでのポピュリスト的な「敵を作る」「闘う」政治スタイルからすれば否定は出来ないし、どうせ人気維持のかっこつけ、その場限りの方便でいずれ再出馬するに違いない等、いろいろ憶測は飛ぶのだろうが、表情を見ている限りでは、この人にしては珍しく虚勢も、闘いを仕掛ける挑発も、論敵を罠に引っかけるカマ掛けもない、正直な言葉だったように思える。

それくらいに、会見での発言の内容以上に、その表情が意外だった。

大阪市民相手の住民投票で都構想の賛否を問うなら、勝つ見込みは低いはず

そもそも最終的に大阪都構想を大阪市の住民投票に持ち込まざるを得なかったことは、橋下さんにとっては大きな戦略ミスだったはずだし、果たして勝てる自信があったかどうかも疑わしい。勝負にこだわる政治家の橋下徹がなぜわざわざ負けかねないことをやるのかが不思議だった。都構想は大阪市民にとって明らかに直接のデメリットの方が大きいのだから、そのまま提案したのでは負けは目に見えていた。むしろ1万票差程度の、ほぼ拮抗した結果は、意外な善戦だったとすら言える。

「橋下は傲慢にも自分の人気でなんとかなると思っていたのだろう」と、橋下氏を敵視する人は言うのだろうが、大阪が決してそんな甘い街ではないことを誰よりもよく知っているのが、いわゆる「同和」つまり被差別部落の家系の出身でもある橋下徹のはずだ。

なにしろ共産党ですら「同和利権」なるヘイトスピーチ連呼で支持を固め、右派を演ずる橋下徹を左派・市民派のリベラルとして嫌っているはずの者でも、酒席にもなれば平気で「あいつはヨツだから」と言い出すのが“ザッツ大阪”である。それも前回の市長選挙で対立した平松前市長の陣営から、週刊誌に橋下氏自身も幼少時に別れてよく知らなかった実父のことをあげつらうネガキャンがあったよりも、ずっと以前からそうだった。

橋下さん自身がなにも言わなくとも、「橋の下」という姓だけでこっそりと決め付けられるのが大阪の「常識」であり、ただし表立った場では「差別している」と責められるのを恐れて、誰も言わない。しまいには知っていても気にしないのか、気にしているのが咎められるから知らないフリをしているのか、本当に知らないのかの区別が自分でつかなくなるほどなのが、“ザッツ大阪” の差別の根深さでもある。

「都構想」の真の論点は最後まで浮上しなかった

橋下さんが大阪府知事から大阪市長に鞍替えしてしまった以上やむを得ないことであったとはいえ、彼はなぜ公約であり目玉政策だった都構想で、こんな負け戦の道をあえて突き進んだのだろう?本人に訊ねたって答えない、むしろ「行き当たりばったりで結果としてそうせざるを得なかった、今思えば失敗だった」くらいしか言わないのだろうとは思うが。

しかも大阪府知事としての経験から橋下さんがその必要を感じた「都構想」の本丸には、市長就任当時から再三「都構想」を公約に掲げて闘った選挙戦でも、今回のこの住民投票を巡る議論でも、橋下さん自身が触れられないままだった。

表向きの争点で住民投票に向けて主張したのは「二重行政」が非効率だ、ということだけ。まあ非効率といえば非効率だが、その程度であれば府と市の権限の分担を整理すべく、府と市で話し合うだけで済むはずだという「代案」を出されれば終わってしまう。バブル時代末期に計画されバブル後に完成した、市と府で役割が重複したハコ物を例にしたのも、それでは論点が絞れていない。当時はやたら金があって予算の使い方が野放図だったことの方がむしろ問題だ。

実のところ、今回の住民投票の争点が「都構想の是非」だったのかどうかすら、表面化している議論を見る限りは疑わしいほどだ。ネット上だとかで展開される「反対論」にしても、むしろ右派的な主張をおおやけには繰り返して来た橋下さんを「ネオコン」と断じて叩くだけの好き嫌いの話に見えて来るし、逆に賛成派にしても「都構想」の内容よりは橋下さんの「横紙破りも辞さない改革」のポーズへの共感に過ぎなかったようにも思える。「敵を作る政治」の手法は、確かにポピュリズムとしては有効だが、それだけに橋下さんが認めたように「ずっと長くやるなんて世の中にとって害悪」になる。

緩やかな衰退に向かう大阪の現状

ただしここで注意しなければならないのは、これがあくまで“ザッツ大阪”が前提の話だ、というところにある。かつて東京を上回った人口が、横浜市に抜かれ現在は日本第三位であるのはそんなに重要な問題でもないが、経済産業や文化の面では、今や大きいだけのただの地方都市になりながら、それに合せた体制や構造の変化が出来ているわけでもない。

だが果たして自分達の直面する問題を自覚しているのかしていないのか、その問題を自覚しているのか逃避しているのかについてすら自覚を避ける、少なくとも明言はしないのも“ザッツ大阪”の標準設定であり、ただひとつはっきりしているのは、現代の大阪は大阪駅・梅田駅周辺の大規模再開発、天王寺駅前のあべのハルカスなどの目玉事業はあるものの、経済全体ではもう20~30年以上はずっと停滞している。いや下手すれば、1970年の大阪万博以降ずっとかも知れないし、橋下さんは少なくとも、そのことを大阪市民がもはや誤摩化せないレベルでは明らかにした。

だからこその「都構想」であり、提起されたのは大阪市役所の解体なのに、そこが本来の争点でもあったはずが、実際にはそういう議論になってすらいない。だいたい、市役所を解体して行政の合理化を計るのでも、経済的な効率化を目標にすれば確かにネオコン的な方向性にならざるを得ないが、公平性に主眼を置けばむしろ社会民主主義の方向性の制度改革にもなり得る、むしろ区役所の役割と権限の強化などはそっちの方向性で有効になり得ることにすら「橋下嫌い」な反対派が気づいてすらおらず、議論は「弱者が」VS「競争」的に妙に単純化された、あたかも古典的な左右対立の様相を呈し、ハタ目にはあたかも橋下徹人気投票にすら誤解されがちだった(いや反対派自身のなかには、わざとそう誤解していた人も多い)。

そもそも「都構想」はなぜ必要で、それはなにを本当は意味するのか?

賛成派はそれが大阪市役所の解体を意味することくらいはさすがに気づいていたが、なぜ解体の必要があるのか、あるいはそれを解体することがなぜ大きな行政の効率化につながるのかには、誰も触れなかったように思える。

真の争点は大阪市に遍在する財源と権限の大阪府全体への公平な分配

詳細は本サイトで以前に掲載した記事で書いたことなので重複は避けるが(ページ下の関連記事リンク参照)、「都構想」とは要するに、大阪府では財源が相当に限定され権限にも制約が大きいのに対し、大阪市の方が日本有数のリッチな自治体で権限や出来ることも多い、という不均衡の打破である。

つまり都構想とは大阪府として府内の公平化を目指そうとした政策であり、大阪市ひとり勝ちで他の市町村は大阪市に依存せざるを得ない現状を変えることに意味があった。だがこれは大阪市民にしてみれば、いわば特権や恩恵を自ら棄てて、府内の他の市町村と平等になれという話であり、大阪市民のプライドや目先の実利を守る欲求からすれば、賛成する者が少なくても不思議はない。

大阪府の他の市町村が大阪市に依存せざるを得ないというのは、その大阪市が日本有数の大都市で、京浜圏に一極集中の今の日本の経済構造においてさえ、なお多くの日本を代表するような企業が本社や本店を置いている以上、周囲がその衛星都市ないしベッドタウン化するのは理の当然、という表向きの経済構造だけのことではない。行政の権限やそのための財源までが、著しい不均等の状態にあって大阪市が圧倒的に有利で恵まれていて、それ以外の自治体はその余録にあずかって維持されているのはおかしいのではないか、だからこその「都構想」だったはずだ。

しかも東京一人勝ちの中央集権が進んだ現代の日本の経済構造では、大阪市にさえその大都市圏を支える経済や産業の実力が本当にあるわけではない。そんな今の大阪の経済とは実のところ、かなりの部分が大阪市役所の潤沢な財源から来る補助金や公共投資で回転している。

大阪市に実は大きな財力とそれに伴う実態の権限があり、大阪市民がまずその直接の特権的な恩恵を受け、大阪市の経済が維持されることで、そのおこぼれでベッドタウンになっている周辺市町村も支えられる構図になっている。「都構想」や橋下氏への期待のひとつには、このようになんとも「なあなあ」な「ぬるま湯」で、大きな破綻は起こらないまま、緩やかな衰退に向かっている大阪の全体をなんとかすることだった。

大阪市には税収としてもそこに本社・本店を置く大企業などからの法人関連があるだけでなく、一般に公になっている以外に大変な財源が実はある。いささか単純に言ってしまえば、大阪市内で交通の便など立地条件の良い土地のかなりの部分が、実は大阪市の所有で、その地代などが潤沢に市役所の財源になっているのだ。

背景にあるのは大阪の歴史的な都市構造

この大阪市の資産の大きさの起原は、大阪が近世までは「大坂」であった時代からの歴史的な都市構造にまで遡る。

大阪の地図を、鉄道路線図でもいいから見て欲しい。「栄えている中心街」が実はないことに気づくはずだ。かつての政治中心だった(江戸幕府が一貫して直轄の行政機関を置いていた)大阪城(大坂城)の周辺は、お城自体が観光地である以外には、そんなに賑やかでもないお役所街だ。府庁と府警本部と、それにNHKと、つまり江戸時代以来大阪が政治的には関東の中央集権の支配下であり、政治の建前ではなく商売や文化の実利をとって繁栄して来た都市であったことを象徴する風景の空虚さ、とでも言ってしまおう。

このお城を中心とする上町台地が、古代から大坂が街というか陸地であった場所で、市内の他の大部分は仁徳天皇の頃には海だった。仁徳天皇の都は堺だったとみなされるが、当時上町台地にはその外港があって中国と交易し朝貢の使節が出航、返礼の使者が来航した日本の玄関口だったと考えられている。今では大阪城に隣接して遺構が公園になっている難波宮遺跡があるが、なぜかまったく全国的には無名、大阪市民ですら知らない人が多いものの、律令制成立期の都、つまい奈良よりも古い日本の首都だったのが大阪でもあり、奈良時代の一時期にも都の扱いになって、当時の遣唐使はここから出航していた。

難波宮から地下鉄中央線で西に向かうと、船場がある。かつては大阪どころか日本の経済中心がここであり、政治中心である大阪城周辺でなく、こここそが大阪の真の中心だった。明治維新以降は、最初に日本の目玉輸出品となった生糸が全国からここの問屋街に集まり、大阪港を通じて世界相手に商売が行われていた。だが今の船場にはその面影はほとんどなく、寂れ切っている。

今の大阪で栄えている、賑やかな場所はこうした中心地域ではなく、たとえば大阪駅と梅田駅のある梅田地域も、天王寺の周辺も、難波も、元はといえば大坂の市域の外側、周辺縁部だった。たとえば今の大阪駅の辺りは元は耕作のできない沼地だったので「埋め田」転じて「梅田」となったとも言われ、今はグランフロント大阪が立つ元は国鉄貨物駅は、明治以前には巨大な梅田墓地だった。吉本の本拠なんばグランド花月劇場がある千日前も、元の地名は「千日寺」と「千日墓地」の前と言う意味、つまりやはり巨大な墓地である。大阪が大坂であった過去に、街は7つの巨大な墓地で囲まれていた。今のJR環状線沿線がほぼそこに当たり、墓地はその多くが明治維新以降は市の所有となり、墓が撤去され、再開発が進み、交通の便の良さもあって一等地になった。そうした墓地だった周囲にも、市はいろいろ土地を所有しているらしい。

今では天王寺駅から歩いて10分ほど、未だに残る日本最大の遊郭飛田も、元は鳶田墓地で、ここは明治の終わりに墓地が撤去され民間で再開発され、難波にあった遊郭が移転して現在に至っているが、すぐそばに阿倍野の、大阪市設南墓苑というやはり巨大な墓地がある。これは鳶田の墓地が拡張された部分が今でも残っているものか、明治になって鳶田の墓の一部を移転したのか、いずれにせよ元の鳶田墓地の大きさは、今でも驚くようなこの墓地の何倍もあったはずだ。そのもう少し先には、平安時代の有名な陰陽師・安倍晴明の出生地とも言われる跡に晴明神社があり(阿倍野という地名のルーツも一説にはここから来ている)、歌舞伎と浄瑠璃の『葛の葉』の舞台でもある。

伝承では安倍晴明は父・保名と葛葉明神の化身である白狐との間に生まれたとされる、『葛の葉』はその人間と白狐の悲恋物語であり、しばしば被差別部落の人々の哀しみを投影した作品ともみなされている。いやこの際はっきり言ってしまおう、大阪市が大きな財源を実は持っている理由のひとつは、江戸時代には墓地とその周辺、つまりいわゆる被差別部落とみなされた都市周辺部が繁華街になっていたからだ。

墓地を中心にその多くが明治維新以降に市の管理、市の所有となり、そこに鉄道が引かれた結果、被差別の場にも関わらず栄え、そこからいわゆる部落民の人々が追い出されたからでもある。梅田墓地に隣接していた中津も元はいわゆる部落だったが今はその痕跡はほとんど目につかないし、再開発が進む天王寺から阿倍野一帯も、あべのハルカスなどを見る限りその過去はもはや一見、跡形もない。いやちょっと歩けば、あべのベルタやあべのマルシェのような、典型的な「同和対策」の公営住宅とさびれた第三セクター商業施設が目に入るはずだが、大阪市民の多くはなぜかそこまで歩かないから「知らない」(いや知っているから行かないのでは、とも思ってしまうが)。千日前、吉本のなんばグランド花月やビックカメラを見たって、一見ここが墓地と、大きな墓地のそばだからこそ栄えた門前町だったことには誰も気づかないだろう。

水運と運河の街だった大阪の埋め立ても、市の財源になっている

大阪市で元から陸地だったのはこの大阪城周辺の上町台地などごく一部で、多くの市域は比較的新しい堆積土壌、さらに近代以降も埋め立てが行われ、それらもかなりの部分、市の所有である。

あるいは、大阪はかつて大坂八百八橋と呼ばれ、輸送の手段が全市に張り巡らされた運河と川だった。近代化以降は市の河川事務局が管理し、道頓堀のように今も賑やかな繁華街が周囲に発展している一方で、運河のほとんどが埋め立てられ、そこにも市の所有する土地が多々出来ている。今はもっとも栄えたビジネス街になっている中之島には市の大きなハコものが並ぶ。

どれだけの不動産を大阪市が所有しているのか、ほとんど公表はされていないが、要するに相当な地代収入が実はあるはずだし、実際の経営機能は東京に移っていても、先述の通り多くの企業が本社や本店を大阪に残していて、その法人税収もある。

こうした財源を使ったハコモノ行政や補助金が、多少の赤字や非効率もかえって恩恵を受ける層を増やすことが、大雑把に言ってしまえば大阪の経済がなんとか維持出来ている理由であり、大阪府だけでなく例えば奈良県などの近隣府県も、その余録で経済がなんとか廻っているというのが大ざっぱな現状で、その知られざる大きな財源を大阪市だけが特権的にまず享受するのではなく、大阪府全体で有益かつ合理的に使いましょう、というのが「都構想」の真の本丸であったわけだ。

未だにコネがものをいう社会と「恩恵」「特権」「利権」

大阪や、あるいは神戸もそうだが、濃厚な人間関係というか、コネがものを言う社会の伝統が今でも残っている。そうした自分達も未だにどっぷり浸かっているコネ文化からの類推なのだろうが、だから「同和利権」、最近なら「在日特権」なる、いわば被差別の立場の人たちが行政に特別なコネを持っていてそこで恩恵を受けているという都市伝説が根強くはびこり、今もまったくなくなっていない差別をさらに煽っている。

実のところせいぜいが河川事務局や清掃局など行政に優先的に就職できること程度だったり、それが未だに就職差別で失業率の高い被差別層の暗黙の雇用対策になっていること、昔から使っていた場所が近代以降の法制では市の所有となっていてもそのまま使えていて来たりすること、あとはいわゆる「同和対策事業」程度の話だ。そうした工事は以前ならいわゆる「同和系」とされる土木建築業者が優先的に受注するという貧困対策もあったにはあったが、天王寺から阿倍野地区の再開発の業者を見たって今では大手ゼネコン中心で、そんな「恩恵」や「利権」なぞないはずだ。ただしそうした市の主導する大規模公共事業や、各種の補助金など、いわば「大阪市民特権」とも言えそうなものは、大阪府の他の市町村と比較すれば確かにあると言える。

そうやってかつての巨大経済都市だった大阪の経済は今でもなんとか廻り続け、大阪府の他の市町村はそのベッドタウン機能を担い、結果として大阪府や関西圏の経済が成立している–いささか乱暴に単純化してしまえばこのような、大阪市がまず一方的に得をしながらその「恩恵」も他の市町村に廻ってはいるので文句も言いにくい、そんな「ぬるま湯」な構造が、緩やかな衰退の過程をたどるこの地方を維持している。

だがその不均衡と停滞を府知事として痛感し、改革を目指して市長として大阪市役所に乗り込んだ橋下さんが、都構想を政策として公約した時点で、肝心の都構想の真の目的そのものを封印せざるを得なくなる。大阪市民にとってはせっかくの恩恵、特権、補助金の類いを、無駄で不公平だから改革しようと面と向かって言えば、賛成する人はまずいないのだから、橋下さんは大いに困ったはずだ。だからその議論を封印して、公には誰も議論していなくても、それでも実は有権者となる市民の多くも分かっているのか分かってないのかよく分からないがやっぱり結果から見れば分かっていると考えざるを得なくなるのも、“ザッツ大阪”だ。

橋下徹の右派の装いが都構想の争点をぼやかしてしまった

無論、長期的に考えれば、現状の体制のままでは不合理で効率が悪くなる可能性が高い(話し合いを詰めたところで、大阪市役所側のインセンティヴとしても、府にわざわざ自分たちの持つ財源を分け与える必然がない)が、それは別にただ「二重行政が非効率」だからではない。市が歴史的に持っている財源に経済が依存し、いわばその遺産を食いつぶす格好で廻る経済が大阪府全体を支えるような状態のままではなく、もっと活力のある大阪府全体の発展や、ひいては積極的かつ公平で効果の期待できる社会保障の充実にだって、この資産や財源は有効活用できるはずが、そうはなっていないし、その方向性に道筋をつけることすら難しい。

あるいは地元に確固たる支持と権力の基盤がある市と中央集権の名残が強い府の分断対立を解消した方が、充実した地方分権の地方自治も出来るはずだし、具体例としてたとえば社会保障の問題で言っても、国が結局は年金改革をやろうとしなかった結果、生活保護の大きな部分が本来その制度設計が対象としていない高齢者に払われ、その数が大阪市は全国でいちばん多いという問題の解決にも、もっと地方の現場からの発言力をつけられるかもしれないのだが(だから厚労省や総務省など霞ヶ関には歓迎されない。橋下さんの右翼のポーズの派手さに気づかない人も多いが、橋下さんの大阪政治と維新の党は、根本的には霞ヶ関依存の安倍官邸とはむしろ対立関係にある)。

こうした現状維持のままの将来的な袋小路を打破することが、都構想の目的だったはずだし、一方で巨大経済中心の役割を東京に奪われた大阪全体が経済活動や生活の面で保守化、自己保身化して、緩やかな衰退に向かっているからこそ大きな刺激になったかも知れないのだが、とはいえこれだって大阪市民に果たして面と向かって訴えられることだろうか?

以前の記事でも触れたことだが、市民の支持を得るために橋下さんがとったポーズが、自分自身がいわゆる同和出身だからこその、右派・弱肉強食的なネオコンの装いだった。以前の記事でも説明した通り、いわゆる同和出身の橋下さんがいわば「弱者にやさしい」政治を標榜したら、それだけで一般大阪市民からそっぽを向かれ、支持を集めることは難しい。同和出身の政治家だからこそ「同和利権のコネ」的に見えるものを叩けば人気は出る(そういう人に限って、自分が持っているコネの利用を批判されたら「そんなことはない」と言い張るのだろうが)。そうした橋下さんの、勝つためには必然的な戦略的選択の結果、一面では確かに行政の効率化策でもある「都構想」が、ネオコン的な政策とみなされてしまいがちになったことは否めないし、反対する議論はその批判に終始した。

むろん実のところ、ネオコン新自由主義の経済効率優先なぞ、都構想の本質ではない。都構想とは大阪市役所を解体して新たな行政の枠組みを作ることで、その行政システムを収支の効率と数字頼りの赤字削減、名目上の経済成長優先でネオコン的に運用するか、財源の有効で公平な活用で社会保障制度の充実を計る社民的な方向性を目指すのかは、都構想の是非とは別次元の政策決定の問題のはずだが、橋下さんをただ「右派」で「弱者に冷たい」として反発した側が、その論点をまったくすっ飛ばして来た。橋下さんの人気投票と揶揄された住民投票は、逆に言えば橋下嫌いという「敵を作る政治」で結集する運動にもなっていたし、攻撃的な決め付けという点では、橋下さん相手に「敵を作る政治」をやった方がもっと激しい。

実際には、たとえば「弱者にやさしいきめ細かな行政」なら、社会保障制度ひとつをとっても、市役所を解体し区役所に権限を移した方が、よりきめ細やかで有効な社会保障制度の運用につながる選択肢もあったはずだ。

確かに現状の大阪市内で、補助金や市の公共事業などで食いつないでいた「弱者」には、直接的なしわ寄せは行く。だがそれが「弱者対策」だとしても、大阪府の全体で言えばもっと「弱者」な地域はあるはずだし、そちらにも補助金を廻すために大阪市内で得ていた補助金が減ることになっても、それを「弱者に冷たいから反対」と言っていいのかどうかは微妙な問題ではないのか。だからこそねじ曲がったその構造を一から議論しなおすきっかけにも、都構想はなったはずだった。橋下さんの「敵を作る政治」手法相手に、橋下さんを敵とした側が橋下さん以上に攻撃的な精神状態に陥りさえしなければ。

橋下徹の「敵を作る政治」の功罪

敗北を受けた記者会見で、橋下さんは自分のポピュリズム的な人気戦略であるいわば「敵を作る政治」の手法の限界をあっさり認めた。「ずっと長くやるなんて世の中にとって害悪」で、「使い捨て」がいいとすら言ったのは、後付けで考えればむしろ橋下さんが初めて本音を公言した瞬間だったのではないか?

橋下さんがとりわけ市長になってから選んで作った「敵」の選択には、確かにおよそ賛成しかねるものが多い。橋下さんが抱える、自身がいわゆる部落出身者であるということから見れば「弱者の味方」はやりにくいことは勘案するにしても、ちょっとあまりにも分かり易く暗号化された「同和いじめ」(以前の本サイト掲載記事参照)であったり、組合叩きだったりする姿勢から、当然のごとくネオコンとみなされ、こと都構想に関しては敵を作り過ぎてしまった面もあるし、維新が府政・市政の与党になってからのたとえば大阪人権博物館リバティおおさかや、ピースおおさか(大阪国際平和センター)の展示内容の強引な変更など、極めて危険な右傾化ファシズムですらあり、だいたい維新という妙に復古調国家主義を連想させる党名にだって首を傾げる。

だが右傾化、ネオコンが橋下政治の本質では実はあるまい。そうやって過激な右派であるかのようなイメージまで利用しながら、政治家としての橋下徹のやったことは、あらゆるタブーになんとか口を突っ込もうとしたことだし、左派リベラルが行政の利権や不公平を問題にしたってなんの新味もないが(その割にはそれすらちゃんと出来ないのが、今の日本の左派リベラルの劣化でもある)、保守を装いながらそれをやれば喝采や注目を浴びる。そうした挑発的なやり口がうまく行った例もあるし、関空=梅田リニア構想(つまり伊丹空港廃止と関空の本格ハブ運用)のように実は有望だし必要な提案でも、あっというまに既得権保守で忘れ去れたものも多い。

だが失敗も多かったとはいえ、橋下徹という政治家の7年間半が、あっちこっちでさんざん、すでに固定化して変わるまいと思えたことを見事に引っかき廻したことだけは確かだ。

いや対抗陣営の中傷ネガキャンですっぱ抜かれたとはいえ、いわゆる同和出身であることを堂々とカミングアウトした元タレント政治家が、ただのお飾りでもなく実務をこなしてこれだけ長期に大阪府・大阪市の行政の長を務めただけでも、よく考えれば日本の政治で空前絶後のことではないのか?

計算として敵を作る政治と、感情論で敵と決めつけてしまう政治と

ここで論点をそもそもの疑問に戻したい。

まず、橋下さんはなぜ、府の住民投票であれば市の財源のことも公言出来たかも知れないし、いずれにせよ大阪府が大阪市一人勝ちであとはその余録のおこぼれに預かるような経済構造であることは実はたいがいの人は気づいているはず、つまり府民相手であれば都構想は元から支持する者は少なくなかったはずなのに、大阪市を対象に住民投票をやったのか?

そもそもなぜ、ある程度は功績をあげた府政を離れて、市役所に乗り込んだのか?

そしてなぜ、あんなに爽やかな笑顔で引退を表明したのか?

念願の公約であり目玉政策だったはずの都構想が否決されたのに、橋下さんはむしろ憑き物でも落ちたかのように朗らかで、さっぱりと飄々とすらしている。なぜなのか?

「結局は橋下の人気投票じゃないか」とも批判されるが実際には勝ち目が少なかった住民投票になぜ乗り出したのか? その実負けを覚悟した選択だと考えなければ、辻褄が合わない。

やはりここで、「それは差別じゃないか」という非難も覚悟して、当然思いつく結論を言わねばなるまい。

まず橋下さんには(結果から見れば)、都構想を実現する気はたぶんなかったのだ。最初から負けを覚悟の住民投票で、賛成票はむしろ橋下さんの予想を上回っているはずだ。だからこそ素直に「負けは負けです」とも言えたのだろう。

つまり橋下さんの真の目的は、自らを曝け出して議論ないし騒ぎを巻き起こすこと、そのスキャンダル性のなかに“ザッツ大阪”な曖昧模糊や偽装の裏にある物事の正体を、トリッキーに暴露することだったのではないか。

「敵を作る政治手法」のスキャンダラスなポピュリズム、そこで用いられる乱暴なレッテル貼りに多くの批判が集まったし、その批判自体は正しい。だがその批判者達の多くが分かってなかったのは、その乱暴な手段は橋下さんが乱暴な性格だからであるよりも、意識的・自覚的に、ひとつの戦略として、現代の日本の停滞した社会では有効だと判断して、「わざとやって」いたことだ。

いや戦略だから悪くない、というのではないので念のため。だが分かってない側の問題として、そうした橋下さんのレッテル貼りを批判するためにさらに乱暴なレッテル貼りに終始し、橋下さんが計算で(やり過ぎも多かったにせよかなり冷徹に)やっていたことを反知性主義のポピュリズムと批判する側が、自分達は知性を装い知識や知的権威を表象する言葉を散りばめながらも、それが反知性的な感情論の偽装にしかなっていなかったことが、今ではもう分かってしまった。さらにはネオコン保守で差別的だと橋下さんを叩くのに、あろうことか橋下さんの出自を持ち出したネガキャンまで初めてしまう無自覚な差別主義者の本性まで、橋下さんはほとんど動物的なセンスの直感で、巧妙にあぶり出してしまったのだ。

希代のトリックスター橋下徹の、もしかしたら最初から計算されていた終焉

橋下徹はいわば確信犯的なトリックスターとして7年を超える政治家としての生活を駆け抜けたのではないだろうか?

都構想の説明があまりに言葉足らずだったとしても、ある一点だけは賛成・反対を問わず、大阪の市民には自覚的に突きつけられたはずだと思う。それは大阪の現状がいわば「ぬるま湯」であり、市の財源も含め過去の遺産を食いつぶして緩やかな衰退を生きていること、そしてこのままでは山積する問題はどんどん増えて行くことだ。

皮肉なことと言っていいのかどうか…タブーを突きそれを白日の下に晒すパフォーマンス性は、彼の出自であるいわゆる「被差別部落民」の、本来の歴史的・文化的な役割に通じている。今ならいわゆる部落民の仕事がたとえば家畜の屠殺と精肉なので「よつ」と呼ばれる蔑称や、ただ穢れとみなされ差別されると思われているが、その差別構造は実のところ明治以降に過ぎない(そもそも、江戸時代以前の日本人は四つ足の家畜は食べていないので、屠殺精肉自体需要がそんなになかった)。

阿倍野の晴明神社の『葛の葉』伝説を思い出して欲しい。悲恋の白狐の血を受け継いだ、カミと人のあいだにある存在が、天才陰陽師・安倍晴明だった。それがいわゆる被差別部落民と後に言われることになった人たちの本来の持つ意味であり、「ひにん」つまり「非人」とは、本来なら単なる差別蔑視ではなく、人を超えた力を持つと面も含めた両義的な意味を持った言葉でもある。

墓地といわゆる被差別部落に密接な関係があるのは、それが「穢れ」だからではない。大阪をかつて囲んでいた7つの巨大墓地は、「七墓めぐり」という江戸時代で何度か流行した夜通しのお祭り騒ぎの場でもあり、いわゆる「部落民」とは本来、生と死を巡る祭礼を担う、宗教的な「聖なる民」でもあり、だから江戸幕府でも士農工商の身分制度の外にこの階層を制度的に設けたのだ。あるいは大阪を代表する芸能の文楽人形浄瑠璃も、そして歌舞伎も、元々この階層の職業だったし、遊郭もまた部落地域や墓地のある地域に設けられた。つまり今の大阪の成功している商業地域や繁華街になっている、実は元はいわゆる被差別部落地域ないしその周辺であった場所は、江戸時代からすでに繁華街でありお祭り、ハレの場だった。今の大阪はその七つの墓を撤去し、日本の伝統的アニミズム文化の過去を封印した(なぜなら、近代の世界では「迷信」と馬鹿にされ差別されるのが怖かったから)上に成立している。

その祭礼の場を司り、生と死の祭礼を担い、自然神の霊魂と密接な結びつきを持つ人々(屠殺業も、それが卑しい仕事だからではなく、もともと動物を殺しても祟らない霊力があるという意味でこの人々の専従になった)は、人間の社会のしがらみや身分・制度の外にあって、真実や社会の矛盾をあぶり出し、照らし出す役割も持っていた。たとえば近松門左衛門の世話物の人形浄瑠璃は、あれはいずれも実話の演劇化であり、不義不倫のスキャンダルで断罪されたカップルの視点から、その愛の絶対性を歌い上げる世俗価値の転倒を武器に、その生きる社会の矛盾や偽善をあぶり出す機能を持っている。

そうした日本の伝統社会の境界領域が持っていた社会的・文化的機能は、政治家として橋下徹が、さんざんタブーに攻め入り、敵を作って派手なパフォーマンスを繰り返し、確信犯の問題発言で物議をかもし、あれだけ饒舌でありながら決して直接言及することなく、それでも確かに訴え続けたことの意味でもある。

極端に単純化して行ってしまえば、今の大阪、ひいては今の日本は、過去の繁栄の遺産に潤いながら偽善的なぬるま湯のなかにいて、その過去をすっかり忘れたい欲望に突き動かされながら、過去にしっかり作られ過ぎた制度のなかで、その制度の意味も理解しないまま奴隷のように従いつつ衰退を待ちながら、その制度を使いこなせてすらいない。

橋下徹さんは確かに、そこを暴くトリックスターとしての役割は徹底的にやり遂げた。だから「敵を作る政治家は使い捨てが一番」と彼がいきなり言ったのも、彼がやって来たことの本音だったように思えてならない。トリックスターとしての政治家なのであれば「ずっと長くやるなんて世の中にとって害悪」なのはその通りだし、だいたい本人の賞味期限が切れてしまう。橋下さん自身、その賞味期限が切れていても政治に固執してしまった面もなきにしもあらずではあるが。

では橋下さんがさんざん引っ掻き回した後に、なにが残ったのか?

大阪は今後、どこに向かうのだろうか?

それとも“ザッツ大阪”な曖昧模糊、分かっているのか分かっていないのか、分かっていても隠しているのかの区別が自分達でも分からなくなる様な状態をわざとやっているのかやむを得ず無自覚にそうなっているのかも判然としないまま、「ぬるま湯」の温度が少しずつ、少しずつ上がり、気がついたときには熱湯釜ゆでで大火傷、となるのだろうか?

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