マンデラ大統領の逝去から5年 オバマ前大統領が追悼演説

2021年9月25日 Henri Kenji OIKAWA 0

公職を離れてから初めての大規模なスピーチとなるバラク・オバマ元大統領は、南アフリカのヨハネスブルグで「2018 Nelson Mandela Annual Lecture」を2018年7月17日に行った。翻訳は日仏共同テレビ局France10支局長の及川健二が手がけた。 Yes, we can❕ オバマ大統領:(歓声と拍手)ありがとうございます。本当にありがとうございました。どうもありがとうございました。ありがとうございます。本当にありがとうございました。(笑い声) AUDIENCE Yes, we can! Yes, we can! Yes, we can! オバマ大統領:ありがとうございます。ママ・グラサ・マッシェル、マンデラ家の皆さん、マッシェル家の皆さん、この偉大な国に新たな希望をもたらしているラマフォサ大統領、(歓声と拍手)、教授、博士、来賓の皆さん、ママ・シスル、シスル家の皆さん、南アフリカの皆さん、(歓声と拍手)、歴史上の真の巨人の誕生と人生を祝うために皆さんと一緒にここに集うことができ、大変光栄に思います。 まず最初に、訂正と告白をさせてください。訂正は、私はダンスがとても上手いということです。(笑)それだけははっきりさせておきたいですね。ミッシェルはもう少し上手です。 告白です。1つ目は、私は正確にはここに招待されたわけではありません。グラサ・マッシェルにとてもいい意味で命令されてここに来ました。(乾杯) 告白その2:地理を忘れていて、南アフリカは今、冬だということを忘れていました。(コートを持ってこなかったし、今朝は長ズボンを履いていたので、誰かをショッピングモールに行かせなければなりませんでした(笑)。(笑)私はハワイで生まれました。 告白その3。スタッフから講演の依頼を受けたとき、蝶ネクタイとツイードを身につけた堅苦しい教授たちのことを思い出し、これも白髪や少し視力が落ちてきた人生のステージのひとつなのかなと思いました。私の娘たちは、私が話すことは何でも講義だと思っていることを考えました(笑)。(記者会見での私の長ったらしい回答に、アメリカの報道関係者が苛立っていることも考えました。しかし、私たちが置かれている奇妙で不確かな時代を考えると、そしてそれは奇妙で不確かな時代であり、日々のニュースサイクルがより頭を悩ませる不穏な見出しをもたらしていることを考えると、少し離れて考えてみることが役に立つのではないかと思いました。この講演では、私たちがどこにいて、どのようにしてこの瞬間にたどり着いたのかを振り返ることで、次に進むべき道筋を示したいと思います。 100年前、マディバはMという村で生まれました。ムベソ […]

南アフリカ共和国元大統領ネルソン・マンデラ氏追悼式典におけるオバマ大統領の挨拶

2021年9月25日 Henri Kenji OIKAWA 0

2013年12月10日に行われたネルソン・マンデラ氏の追悼式で、バラク・オバマ大統領は、マンデラ氏の死は自分自身を振り返る時であると述べました。 「私たちの立場や状況にかかわらず、正直な気持ちで、彼の教えをどれだけ自分の人生に生かすことができたかを問わなければなりません」。オバマ大統領はこう語りました。「これは、一人の人間として、また一人の大統領として、私自身に問いかけていることです。南アフリカと同様に、米国も何世紀にもわたる人種的な抑圧を克服しなければならなかったことを私たちは知っています。この国でもそうでしたが、新しい日の夜明けを見るためには、知られている人も知られていない人も含めた無数の人々の犠牲が必要でした」と述べています。) 歴史的なマンデラ追悼スピーチ オバマ大統領:ありがとうございました。 (拍手)ありがとうございました。 ありがとうございました。 グラサ・マッシェル氏とマンデラ家の皆様、ズマ大統領と政府関係者の皆様、過去と現在の各国首脳の皆様、ご来賓の皆様、本日、皆様とご一緒できることを大変光栄に思っております。 南アフリカの人々、(拍手)、あらゆる人種、あらゆる生活様式の人々、ネルソン・マンデラ氏を私たちと共有してくださったことに世界が感謝しています。 彼の闘いはあなたの闘いであり、彼の勝利はあなたの勝利です。 彼の勝利はあなたの勝利でした。 あなたの尊厳と希望が彼の人生に表現されています。 そして、あなた方の自由と民主主義が彼の大切な遺産です。 人生を構成する事実や日付だけでなく、一人の人間の本質的な真実、つまりその人の私的な喜びや悲しみ、その人の魂を照らす静かな瞬間やユニークな資質を言葉で表現することは、どんな人間であれ、弔辞を述べることは難しい。 しかし、国家を正義に向かわせ、世界中の何十億人もの人々を感動させた歴史上の巨人をそうすることは、どれほど難しいことでしょうか。 第一次世界大戦中に生まれ、権力の中枢から遠く離れた場所で牛の群れを飼い、テンブ族の長老から手ほどきを受けて育った少年、マディバは、20世紀最後の偉大な解放者として登場します。 ガンジーのように、彼は抵抗運動を指導することになるが、その運動は当初は成功する見込みがほとんどなかった。 キング牧師のように、抑圧された人々の主張と人種的正義の道徳的必要性を力強く訴えた。 彼は、ケネディとフルシチョフの時代に始まった冷戦末期の残酷な投獄生活に耐えることになる。 牢獄から出てきた彼は、武器を持たずに、エイブラハム・リンカーンのように、国がバラバラになりそうなときに国をまとめることになる。 そして、アメリカの建国の父のように、将来の世代のために自由を守るための憲法秩序を構築する。民主主義と法の支配へのコミットメントは、選挙で選ばれただけでなく、たった1期で権力の座から退くことを望んだことでも立証されたのである。 ネルソン・マンデラ氏は、その人生、業績、そして当然のように得られた称賛を考えると、微笑みをたたえ、穏やかで、劣った人間の陰湿な問題から切り離されたアイコンとして記憶したくなると思います。 しかし、マディバ自身は、そのような生気のない肖像画に強く抵抗しました。 (拍手)代わりに、マディバは自分の疑問や恐れ、勝利と誤算を私たちと共有することを主張しました。 「私は聖人ではない」と彼は言った。「聖人とは、努力し続ける罪人のことだと思えば別だが」。 私たちが彼を愛したのは、彼が不完全さを認めることができたからであり、彼が重い重荷を背負っているにもかかわらず、ユーモアといたずら心にあふれていたからである。 […]

ジョン=マケイン上院議員のあまりにも素晴らしい敗戦演説

2021年9月25日 Henri Kenji OIKAWA 0

共和党の大統領候補だったジョン=マケイン上院議員は2008年11月5日に、米国大統領選挙に当選が確定したバラク=オバマ上院議員の当選を祝し、敗戦の弁を述べた。歴史的な演説として評価は高い。翻訳は日仏共同テレビ局France10支局長の及川健二がてがけた。 歴史に残る感動的なスピーチ ありがとうございます。ありがとう、私の友人たち。この美しいアリゾナの夜に、ここに来てくれてありがとう。 皆さん、私たちは長い旅の終わりを迎えました。アメリカ国民の声が、はっきりと聞こえてきました。少し前になりますが、私は光栄にもバラク・オバマ上院議員に電話をしてお祝いを述べさせていただきました。 (群衆のブーイング) おめでとうございます。 私たち二人が愛するこの国の次期大統領に選出されたことを祝福するために。 今回の選挙戦のように長く困難な戦いの中で、彼が成功したことだけでも、彼の能力と忍耐力に敬意を表したいと思います。しかし、大統領選にはほとんど関係ない、影響力もないと間違って考えていた何百万人ものアメリカ人の希望をかき立てて、彼がそれを成し遂げたことは、私が深く尊敬するところであり、称賛に値します。 これは歴史的な選挙であり、アフリカ系アメリカ人にとっては特別な意味を持ち、今夜は特別な誇りを持つべきであると認識しています。 私は常々、アメリカは産業と意志を持つすべての人にチャンスを与える国だと信じています。オバマ上院議員もそれを信じています。 しかし、かつてアメリカの評判を落とし、一部のアメリカ人にアメリカ市民権の完全な恩恵を与えなかった昔の不正からはずいぶん遠くに来ているとはいえ、その記憶はいまだに人々を傷つける力を持っていることを、私たちはともに認識しています。 100年前、セオドア・ルーズベルト大統領がブッカー・T・ワシントンをホワイトハウスでの食事に招待したことは、多くの方面で憤慨されました。 現在のアメリカは、当時の残酷で恐ろしい偏見からは隔世の感があります。アフリカ系アメリカ人が大統領に選出されたことほど、その証拠となるものはありません。 今、理由がないように… 地球上で最も偉大な国家であるこの国の市民権を大切にしない理由は、今はもうありません。 オバマ上院議員は、自分自身と国のために偉大なことを成し遂げました。そして、彼の最愛の祖母がこの日を迎えることができなかったことに、心からの同情をささげます。しかし、私たちの信仰は、祖母が創造主の前で安らかに眠っていること、そして自分が育てた善良な男をとても誇りに思っていることを保証しています。 オバマ上院議員と私は、これまでにも意見の違いを議論してきましたが、彼はそれを克服しました。しかし、そのような違いの多くはまだ残っています。 今は、私たちの国にとって困難な時代です。今夜、私はオバマ上院議員に、私たちが直面している多くの課題を解決するために、彼が私たちを導くのを助けるために全力を尽くすことを誓います。 私は、すべてのアメリカ人に呼びかけます・・・。私を支持してくれたすべてのアメリカ人に、単に彼を祝福するだけでなく、次の大統領に私たちの善意と、相違点を埋めるために必要な妥協点を見つけて協力する方法を見つけるための真摯な努力を提供し、繁栄を回復し、危険な世界で安全を守り、私たちの子供や孫たちに私たちが受け継いだよりも強くて良い国を残すために、私と一緒に協力してくれることをお願いしたいと思います。 どんな違いがあっても、私たちは同じアメリカ人です。私にとってそれ以上の意味を持つ団体はないと言っても、どうか信じてください。 それは自然なことです。今夜、多少の失望を感じるのは当然です。しかし、明日からはそれを乗り越えて、国を再び動かすために協力していかなければなりません。 私たちは精一杯戦いました。惜しくも失敗しましたが、その失敗はあなたではなく私のものです。 (群衆:「ノー!」) 私はとても… (群衆が詠唱を始める) […]

オバマ訪問を利用しつつ被爆者を裏切ろうとした安倍政権と、広島訪問を辛うじて失望から救ったバラク・オバマのサプライズ by 藤原敏史・監督

2016年6月6日 Henri Kenji OIKAWA 0

「短い所感」の予定だった演説が始まるまで、71年間広島の被爆者の多くが待ち望んで来た思いは、ひどい欺瞞で裏切られるのではないかと危惧された。訪問直前のギリギリまで、報道によればアメリカ大統領は確かに広島に来るが、被爆者には会わないかも知れない、短い所感しか言わない、平和記念資料館に行くかどうかも分からないというのだ。 この訪問がにわかに現実性を帯びたとき、メディアの関心はひたすら「謝罪があるかどうか」にだけ集中していた。よく分かりもしないで口先だけ謝られても、と困惑する被爆者たちの目前で、それがあまりにも分かりやすい世論操作で「謝罪を求めてはいけない」キャンペーンにとって替わっていった。そしてあたかも「謝罪」を避けることが最大の目的かに見える訪問日程が日々小出しに報じられ続け、気がつけばオバマ大統領の広島滞在日程はごく短時間になってしまっていた。安倍晋三に伴われて平和記念資料館に入ったバラク・オバマが、予定通りとはいえ10分そこらで出て来てしまったときには、失望を覚えた人も多かっただろう。 この人はいったいなにしに広島に来たのか?たったこれだけで、どんな「所感」つまり「感想」が出てくるというのか? 1945年8月6日の朝にここでなにが起こり、その後も今に至るまでなにが起こり続けているのか、その現実にオバマ大統領が触れる機会は、皆無に等しくなってしまっていた。これでは謝るか、反省するかどうかの問題になりようがない。そもそもなにをやったのかが分かってなくて謝られても意味がないし、もっと言えば「謝罪して欲しい」「いや謝罪を求めるのはよくない」と言い合っている(というか、それが同じ人たちだったりする)日本人の多くもまた、広島でなにがあったのかをほとんど知らない。 政府に振り回され、裏切られ、利用され、無視され踏みにじられた広島市 平和記念資料館の前で安倍からオバマに紹介され、握手を交わした松井広島市長の沈んだ顔が、さんざん期待を持たされた挙げ句の幻滅を象徴しているようだった。 言うまでもなく、原爆が落とされたのは広島市であり、オバマ米大統領が訪問した平和記念公園も平和記念資料館も広島市の施設だ。本来ならオバマ大統領の広島訪問のホスト役はその市民を代表する市長であり、資料館を案内するのは館長のはずだ。平和記念資料館の館長も定年制があるので今の館長は被爆者ではないが、小学生で被爆した原田元館長(被爆した時の爪を自ら寄贈)や、父を亡くし母の胎内二ヶ月で入市被爆している畑口元館長(骨もほとんど残らなかった父の懐中時計を寄贈)がアメリカ大統領の初訪問を案内すれば、どれだけ意義深いことになっただろうか。 だがそうした訪問の段取りも、本来なら広島市が主導すべきなのを政府が横取りし続け、到着時でも市長は知事の後回しで紹介されただけだった。そして安倍総理大臣が妙にはしゃいで先頭に立ち、オバマ大統領を資料館に連れて行った。 現在の広島平和記念資料館はかつての広島国際ホテルを別館としていて(映画『二十四時間の情事』でヒロインが泊まるホテル)、入り口がそこになっている。そのロビーから二階に上がり、原爆投下以前の広島の歴史(日本軍の大陸進出の拠点となり戦時には大本営や帝国議会が東京から移されることもあった)の説明を見て、渡り廊下を通って本館に入り、被曝遺物の展示が始まるまで、歩くだけで数分はかかるはずで、往復10分ではほとんどなにも見られないはずだ。 現在の平和記念資料館は先述の原田さん、畑口さんら歴代の館長たちが、被爆の実相の全体像が現代人にも伝わるよう、丁寧に考え抜かれた展示構成になっている。言い換えれば、そうして考え抜かれた順番に自然に沿って全体を見てこそ伝わるものなのに、なぜたった10分しか見学時間がないのか? しかもオバマ大統領が館内に入ったときには、既にその後の献花式と予定された「所感」に立ち会うため、高齢の被爆者二人を含む聴衆が慰霊碑前で待ち構えていた。その人たちを待たせるわけにはいかないが、こうも急かされればオバマがじっくり被爆遺物を見ることも出来ない。ケリー国務長官にこの資料館の凄さを伝えられていたバラク・オバマ本人も、さぞ欲求不満だったことだろう。 広島市民どころか、被爆者さえ排除しようとした過剰警備 外の平和記念公園では、警備を名目に、広島の一般市民どころか、肝腎の被爆者すら入ることは許されなくなっていた。 高齢を押して向かいの道路に立つ被爆者も少なくなかった。原爆手帳というものが交付されているのだから、被爆者を招待することは警備上の身元確認も含めて簡単なはずなのに、その被爆者すら排除された米大統領初の広島訪問の式典に、なんの意味があるのだろう? オバマが被爆者に会うかどうかもギリギリまで不可能のように報じられ、前日になってやっと、被団協の坪井直代表理事ら3~4名が式典に列席し、オバマが「声をかける」ことになったと報道されていた。 短い所感を述べるもなにも、オバマは原爆資料館もほとんど見ず、まして被爆者から体験を聞くこともなく、広島の街も大統領専用車の窓からちょっと見ただけで、いったいどんな所感を言えるのかも怪しい。 外遊先での予定外行動、サプライズが得意なバラク・オバマだ。なにかあるはずだと期待するしかないが、平和記念資料館もすぐに出て来てしまった。日本政府主導で決められた日程による、なるべく形だけに終始して早く済ませたい、やる気がまったくないのが見え見えのセレモニーは、ただ淡々と進んで行きそうに見えた。 オバマと共に安倍晋三が慰霊碑に献花するに至っては、意味が分からない。安倍政権は事前からこの訪問をオバマの標榜する「核なき世界」のためではなく、日米の和解と友好、同盟の深化の証しだと言い張って来た。ならば原爆の加害と被害を超えた証として、オバマと共に献花するのはたとえば被爆者の代表として列席していた坪井直さん(91歳)であるべきではないのか? 広島で被爆された坪井さんに、長崎から「赤い背中の少年」(背中一面大やけどの有名な被爆写真)の郵便配達の少年だった谷口稜曄さん(87歳)を招き、三人で献花するなら完璧だったが、安倍首相が共に献花すべき理由などどこにもなかった、一ヶ月半後に控える参院選のための支持率アップのパフォーマンス以外には。 そしてオバマは「所感」を語り始めた。いや「短い所感」などではなく、彼はしっかり準備された原稿を手にしていた。しかもその原稿に目をやることもほとんどなく始まったのは「われわれはなぜ広島に来たのか Why We Came to Hiroshima」と題された長いスピーチだった。 […]

小泉元首相、涙の理由語る 被ばく訴えた元兵士思う

2016年6月1日 Henri Kenji OIKAWA 0

 小泉元総理は東日本大震災でのアメリカ軍の支援活動「トモダチ作戦」に参加した際、原発事故で被ばくしたと訴える元アメリカ軍兵士の支援のため、基金の設立を検討していることを明らかにした。5月26日に都内で行われた講演で述べた。  「彼ら病で苦しんでいる兵士のために、役に立ってもらえるような基金を設立しようじゃないかと考えているんです」(小泉純一郎元首相)  原発ゼロ社会に向けた活動を進める小泉元総理は、講演で東日本大震災での「トモダチ作戦」に参加中、原発事故で被ばくしたと訴えている元アメリカ軍兵士の支援のため、民間の基金を設立する考えを明らかにした。小泉氏は今月中旬アメリカを訪れ、元兵士らから直接話を聞いたということで健康被害を訴える人は「すでに400人を超えている」と話している。  「日本は、救援に来てくれたんだからね。それは話を聞いてああかわいそうですね、気の毒ですね、と言って済むかというと、そうじゃないだろうと」(小泉純一郎元首相)  一方、小泉氏はオバマ大統領の広島訪問について「色々意見があるなかでよく決断してくれた」と評価したが、「核廃絶より原発ゼロの方が易しい」と述べ、アメリカと日本で取り組めば「世界は変わる」と強調した。 参照:TBS France10では、2017年春に行われるフランス大統領選挙・取材を支援するためのクラウドファンディングを始動させました。1000円の商品からスタートし、14種類の充実した商品をご用意しております。ぜひとも、ご支援くださるよう御願い申し上げます。

あまりに遅過ぎるオバマ広島訪問は、「核なき世界」と無関係な「謝罪より追悼」なる偽善のパフォーマンスになってしまうのか? by 藤原敏史・監督

2016年5月21日 Henri Kenji OIKAWA 0

バラク・オバマ米大統領の広島訪問の発表については、なかなか明言はしづらいが、だいたい三通りの反応が、多くの人にはあったのではないか。 まず(これがもっとも言いにくいのだが)、今さらなにを、とはどうしても思ってしまう。「あまりに遅い」というのは、別に原爆投下から71年近く経ってやっとアメリカの大統領が、という意味ではない。2009年春にプラハでの「核なき世界」演説で核廃絶の理想を提唱してから7年間、なぜ今まで広島に行かなかったのか(そして結局は今まで、核廃絶についてなにもやって来ていないのはなぜか)? 第二にあるのは、だからこそ、あれから7年経った今になって広島訪問を決めたことについての、ある種の驚きだ。しかも受け入れ側の日本の政権が、アメリカの核の傘の強化を求める一方で自国の核武装も「憲法上否定されない」という珍論まで言い張り、極右的な歴史修正主義で日本の過去の戦争犯罪をなんとか誤摩化そうとする安倍晋三の内閣であるときに、あえて原爆投下への謝罪を事実上意味する被爆地・広島訪問とは、いかにも政治的なタイミングが悪い。 第三に、これは上記二点から当然導き出される結論でもあるが、2期8年の任期の最後だからこそオバマはやはり広島に行くのだろう、ということ。そのためには相手国側の現政権の異常性・危険性というハードルの高さも看過せざるを得ないほどに、やはりバラク・フセイン・オマバは自分こそがどうしても、アメリカ合衆国大統領として、広島に行かねばならない、と思っているのだ。 2009年には果たしておくべきだった広島訪問 とはいえ、だからこそオバマがやっと広島訪問するのは、あまりに遅過ぎると言わねばならない。2009年に行っておけば、今の世界は大きく変わっていたかも知れないのだ。 プラハでの演説後なるべく早く被爆地にいくことこそが、「核なき世界」を目指す上での最良の次の一手だったはずだ。大統領が広島に行けば、米国メディアを中心に世界中で広島の被曝の事実や、平和記念公園や原爆ドームの姿が報道に流れる。大統領が当然見学することになる平和記念資料館にはいったいなにが展示されているのか、詳しく報じる報道機関も世界中に数多く出て来るはずだ。 もっとも有効な切り札は、オバマ自身が被爆者に会うことだ。オバマが直接会うことで、その体験の証言はこれまでとは比較にならない国際的な注目を浴び、全世界に報道される。核なき世界を実現するのに、これほど世界の世論を説得できる材料もない。 しかも当時の日本では、2009年の夏に政権交代があり、新たに誕生した鳩山由紀夫政権は「友愛」を掲げる平和人道主義を鮮明にしていて、その公約には21世紀の新たな、より対等な日米関係の模索も含まれていた。日米双方にとって、政治的にも絶妙なタイミングだったはずだ。 いや実のところ、2009年秋の訪日に際し、鳩山政権にはホワイトハウスから広島訪問の打診はあった。ここまでは誰にでも予想がつく当然の話なのだが、その先がいかにも不可解な話になる。 言うまでもなく、この時にオバマは広島に行っていないし、その翌年には普天間基地移転問題をめぐって鳩山由紀夫は退陣に追い込まれた。その後の菅直人、野田佳彦の両政権のあいだに広島訪問の打診があったかどうかの情報はないが、尖閣諸島を外交問題にしようとする日本側と、日中対立に巻き込まれることを嫌がるアメリカ側のあいだで日米関係が微妙さを増すなか、オバマ広島訪問の気運はかなり後退したであろうとは推測される。 念のため確認しておくが、普天間基地の県外移設を主張する鳩山政権のせいで日米関係が悪化したというのは事実に反する。これほど分かり易い偏向報道もないと思うが、さんざん日本の報道で揶揄された鳩山由紀夫の「トラスト・ミー」という言葉は(首脳間のプライベートなやり取りが報道にリークされたこと自体が異常なのだが)、普天間の海兵隊の県外移設についてオバマ側が賛成していなければ出て来たはずがない。賛成だが本当に大丈夫か、と言われた文脈でなければ「私を信頼してくれ」と言うわけがないのに、およそ不条理な偏向がまかり通ったのも、まことに不可解だ。 日本政府の不可解な動き 日本政府がオバマ政権の信頼を決定的に失ったのは、普天間基地の県外移設を主張したからではなく、歴史的な政権交代で誕生した政権が公約し、米政府にも話を通したはずが撤回されたこと、その前後に不可解なリーク報道や、駐米大使がアポなしで国務省を訪れるなどの外務省担当者の不可解な動きが続発したことがあったからだ。その後の菅・野田政権による尖閣諸島の外交問題化(イコール、対中挑発)と、日米同盟を盾にそこに米国を巻き込もうとしたことも、ホワイトハウスの不信感を増大させた。この時期から安倍政権の初期にかけて、米政府が再三繰り返したのは、確かに尖閣諸島は法的には日米同盟による米国の日本防衛義務の適用範囲になるが、だからこそそのような事態が起こることを米国はまったく望んでいない(イコール、日本は中国を挑発して対立を煽るな)ということだった。 そもそもブッシュ政権の段階で、米軍は海兵隊をグアムに配備し再編することを基本方針としていた。沖縄に海兵隊を置き続ける軍事的必要性は冷戦終結後にはほとんどなくなっている。オスプレイなどの最新兵器の整備・保守点検があるので海兵隊岩国は確保し続ける意味があるが、沖縄海兵隊については移転問題で10年20年と膠着が続くばかりで、それ自体が周囲に住宅も密集し危険が大きい普天間基地を維持することも、沖縄地元の反発があまりに大きい辺野古移転も、オバマ政権にとってはなんのメリットもない。 これも米側が繰り返していることだが、普天間基地の辺野古移設は日本側が決めたこと、日本側がアメリカに求めたことであって、米国はその要望に従っているだけなのが現状の基本だ。 普天間基地移転問題に話が脱線したのは、オバマの広島訪問をめぐる不可解さがこの沖縄基地問題の奇妙さとパラレルになっているからだ。なにしろ、日本にとってはある種の念願であったはずの米大統領の広島訪問を打診したのはアメリカ側で、断ったのは日本の鳩山政権だったという。この場では具体的な情報源の明示は避けるが、鳩山由紀夫氏自身が自分の招かれた勉強会などの会合では、2009年秋のオバマ来日の時点で広島訪問の希望はすでに打診されていて、氏自身は歓迎しようとしたが外務省の反対を押し切れなかったことを明かしている。 なぜ日本がアメリカ大統領の広島訪問の希望を断るのか? その日本側が、アメリカの核の傘の強化すら求め自国の核武装すら否定しない安倍政権ならともかく、より対等な日米関係を掲げ、日米間の沖縄の核配備をめぐる密約すら公表に踏み切った鳩山政権がなぜ断ったのかは理屈が通らないし、国民も当然歓迎することを外務省がいやがった、受け入れを求める首相が折れなければならないほど(鳩山政権の公約のひとつは政治主導だったはずだ)強行に反対したというのは、もっとわけが分からない。 広島でのG7外相会合の意味 アメリカ側を見れば、大統領が広島を訪問すること(ほぼイコール、原爆の投下を謝罪すること)への道筋は、民主党の側で着々と作られて来ていた。オバマ政権の誕生以前から、同党所属の下院議長が広島を訪問している。オバマ政権になってからは初代のルース駐日大使も現ケネディ駐日大使も、原爆記念日の式典には必ず出席して来た。ルース氏は国務省東アジア課(日米同盟が利権となって来た部署)とも政界とも関係がなく、オバマ氏が私的に信頼する友人として駐日大使になった人物だが、息子と米国から呼び寄せた父親も伴った親子三代で平和記念資料館を見学したこともあり、この時には父と息子を従えて平和記念資料館前で涙を流しての記者会見までやっている。 つまり大統領広島訪問は、オバマ大統領の就任以前からあった動きであり、ことオバマ政権は広島を訪問して「核なき世界」の理念のための動きを加速させようという試みをずいぶんやって来たが、日本側の反応は政界もメディアもまったく鈍いものだった。これも不可解なことである。 それが日本がG7サミットのホスト国になった今年になって、突然大きな動きが始った。G7の外相会合を広島で行ったのは明らかにオバマ広島訪問へ向けての布石であり、会合の場所を決めるのはホスト国なのが常識である以上、これが日本側のイニシアティヴで始まった動きであることは否定しようがない。もちろんオバマ政権側にとっても元から希望して来たことであるにせよ、大統領広島訪問の実現は「安倍政権の功績」とは言っていいだろう。 とはいえ、G7外相会合での岸田外相と外務省の動きもずいぶん中途半端だった。平和記念資料館の見学をクローズドとしたのはメディアの詮索が過剰になることを避けて落ち着いて見学してもらう判断として理解できるが、原爆ドームを視察予定に入れておらず、ケリー米国務長官に促されて急遽そこに向かったというのは、いったいどういう予定の組み方なのか、なぜ日本はこうも及び腰なのか、首を傾げざるを得ない。資料館の見学自体はクローズドにしても、そのあとに記者会見くらいは設定するのが、被爆国として(アメリカに限らず、G7にはフランスと英国という核保有国もある)当然のイニシアティヴだったはずだ。 そうでなくとも、なぜオバマの大統領任期の終盤になっていきなり日本側から積極的に働きかけを始めたのかも、昨年の安保法制の強行採決などとまったく整合性がとれない(「戦争法案」に基づけば、米国の核兵器の輸送すら自衛隊の任務となり得ることを、安倍政権は国会答弁で主張している)。ただし鳩山政権のときには外務省の反対で流れた話が、安倍政権では強行できた理由はよく分かる。すでにこの政権は、外務省の助言や意向を無視した外交的スタントを度々繰り返して来た(そしてイスラム国人質事件や、世界遺産登録をめぐる韓国とのいざこざ、同じく韓国との慰安婦問題をめぐる“合意”など、その度に外交的な失点を重ねて来てもいる)。つまり外務省の言うことや国益よりも、政権の人気取りや首相の気まぐれを優先できる政権であり、人事権の恣意的な運用を繰り返すことで、ここまで霞ヶ関を押さえ込める力も持っているのだ。 […]

岐路に立つアメリカ大統領選挙の真の争点は、資本主義がこのままでいいのかである by 藤原敏史・監督

2016年2月4日 Henri Kenji OIKAWA 1

大統領選の予備選挙が始まり、アメリカ政治は2008年にバラク・オバマが選出され、「チェンジ」に期待が集まっていた当時には思いも寄らなかった事態に、様々な意味で突入している。巷間もっとも話題を集めたのはまず、目立った候補がいないと言われて来た共和党側でドナルド・トランプがいきなり出馬し、アメリカ政治のプロからはキワモノの泡沫候補と冷笑されたはずが、想定外のトップ支持率を集めていることだった。 だが候補者選び予備選挙の初戦アイオワでは、そのトランプがこれまた想定外の敗退で共和党の第二位に終わった。だからと言ってそのトランプの過激な人種差別発言などを危惧して来た国際社会が安堵できるわけでもない。第一位に躍り出たのは共和党内でも異端児の、極端な反オバマ強硬派で宗教右翼、むしろトランプ以上に過激かも知れないテッド・クルーズだ。筋金入りの銃所持擁護派で強硬な妊娠中絶反対論者、主な支持基盤はティーパーティーと呼ばれる草の根宗教保守運動で、自身は父親がヒスパニック系(亡命キューバ人)とはいえ、かなり頑迷な排他主義や外国敵視、経済的には保護主義を標榜して支持を集めて来た。ティーパーティーのアイドル的な存在だった前回の大統領選の共和党副大統領候補サラ・ペイリンはいち早くトランプ支援に動いて来ているが、そのトランプ旋風が多分に一時的な流行めいた熱狂に終わるとしても、その話題性が以前からある草の根極右勢力を掘り起こし、自信を持たせ、クルーズ候補をトップに押し出したとも言えよう。 対する民主党の側では、これまで共和党に目立った候補もいないし次も民主党の大統領だろうと言われ続けて来たところへ、副大統領のジョー・バイデンが不出馬を表明し、いよいよ初の女性大統領の誕生がお膳立てされたはずのヒラリー・クリントンが、国務長官時代に職務に私用のメールアドレスを使っていた問題くらいがアキレス腱と思われていたのが、気がつけばバーニー・サンダース上院議員に肉迫されている。アイオワ予備選でクリントン陣営は一応勝利宣言を出したものの、アメリカのメディアでは軒並み(クリントン支持を表明しているニューヨーク・タイムズも含め)Virtual Tie, 事実上の引き分けと報道した。 74歳とは思えぬ精力的な活動でとくに若年層の支持が厚いとされるバーニー・サンダースは、この予備選挙を受けて力強くこう宣言した―「ここに始まったのは、政治革命だ」 目立った争点がないと思われて来た大統領選 つい数ヶ月前まで、次の大統領選挙はよくも悪くも争点がない選挙だと言われて来た。もちろんリベラル対保守、福祉国家か小さな政府か、移民や女性やマイノリティに寛容で多様性を重んじるかどうか、銃の所持や妊娠中絶の規制といった、民主党と共和党の伝統的な対立点はあり続けて来たが、オバマ政権下でリーマン・ショック後のアメリカ経済は一応の順調な回復を見せ、雇用統計も良好で、中央銀行にあたるFRBがついに念願のゼロ金利からの脱却を決定できたほどだ。つまり経済政策は、オバマ政権の推進するTPPに共和党保守派を中心に保護主義の観点での反発が出ている以外は、目立った争点にはなりそうになかった。 外交安全保障でも、オバマ政権のイラク撤退やシリア内戦への不介入が結果として中近東情勢の流動化、イスラム国の台頭や、シリアを中心に激増する難民といった結果も招いているにせよ、共和党保守派でさえ地上軍を投入しての本格介入など、とても公約できない。クルーズやトランプはイスラム国支配地域を絨毯爆撃しろ的なことも言ってはいるが、現実の戦争のやり方としては無論あり得ないブラフに過ぎない。また共和党と言えどもイスラエルで迷走と過激化に突っ走るネタニヤフ政権を全面支持するとはさすがに言えそうになく、対するオバマや民主党でもそのネタニヤフを切り捨てパレスティナ独立に積極的に動くとまでは言えない。民主党内の良識派がエジプトの軍政独裁やサウジアラビアの封建独裁をアメリカが支援し続けるのは問題だと思っていても、それらの国との関係を根本的に変えることもまた、今のアメリカにとっては不可能だと思われて来た。実のところ、今後の世界秩序の行方について、現状のアメリカ政治が新たに決断できることはほとんどなく、大統領選挙での対立点にもなりにくい。 外交で民主党と共和党で賛否が分かれそうなことと言えば、イランの核開発をめぐる合意の扱いぐらいで、キューバとの歴史的な国交回復と和解路線ももはや不可逆的なものだし、たとえば日本にとっては最大の関心事となりそうな対中外交姿勢や北朝鮮の核問題では、どちらの陣営で誰が勝とうが、大きな変化にはなりようがない。共和党にはまだ、一応は共産主義国家である中国への警戒感は根強いとはいえ、その中国が米国債の最大の保有国だし、アメリカの消費者や小売業は中国からの安価な輸入品への依存度が高いだけでなく、アメリカでもっとも成長が望めるIT産業の多くが中国国内の工場を生産拠点にしている。しかもメディアやエンタテインメント産業を中心に、中国とその周辺諸国は今後の有望な巨大市場だ。ロシアのプーチン政権に対しても、共和党になっても今のオバマ政権の方針以上に強硬姿勢に出ることは考えにくいし、クルーズやトランプであればどちらも基本アメリカ国内優先の保護主義、孤立主義の傾向が強いし、ウクライナ問題をめぐるEUとの協調がむしろ難しくなることくらいしか想定出来ない。 そして海外からみれば経済や外交安全保障がどうなるのかにいちばん関心が向くのは当然としても、アメリカ国内でみれば最大の争点は、同性婚の禁止を連邦裁判所が違憲と判断した今では、妊娠中絶の是非と、銃規制になりそうに思えて来た。 反ワシントンDC政治、既存の政治への不信の潮流はどこから来たのか 言い換えれば、民主党でも共和党でも、ワシントンDCから見えるアメリカ政治の現実的な枠組みを前提に働くプロ政治家にとっては、その枠内でさほどの選択肢の自由もなく、新味も出しにくかったのが今回の大統領選のはずだったし、その争点のなさが有権者離れにつながりかねないほどだった。一年前には民主党がヒラリー・クリントンつまり元大統領夫人、共和党の本命がジェブ・ブッシュつまり前大統領の弟で元大統領の息子というのでは、エリート同族政治に飽き飽きすると言ったような論評すら多かったことが、今となっては嘘のように思える。 共和党本流の候補だったはずのジェブ・ブッシュは気がつけばまったく影が薄くなり、アイオワ予備選挙でも最下位だった。今後共和党主流派の候補は、上院の外交委員長も務める(日本の安倍首相訪米時の議会演説を歴史問題で厳しく批判もした)マルコ・ルビオに絞り込まれそうだ。 そのルビオ議員も両親が亡命キューバ人移民の二世だ。 白人エスタブリッシュメントのブッシュ家が消え、保守系・共和党の有力候補二人がヒスパニックというのも、バラク・オバマが初の非白人・黒人大統領となって以来、アメリカ政界の人種状況はかなり変化したとも言えはするし、ヒスパニック系人口の増加でその票の取り込みは民主党だけでなく今や共和党にとっても必須の戦略になっている。 ただしオバマが進めようとして来たいわゆる不法移民への現実的な対応については共和党支持層からの反発は強く、マルコ・ルビオ自身も以前は現実的な寛容策を目指していたのが主張の転換を余儀なくされているし、ドナルド・トランプに至っては「メキシコ国境に壁を」「連中は犯罪者と麻薬中毒者」と言い放って支持を広げた。ラテン・アメリカ諸国からの新移民に仕事を奪われるという危機感と、ラテン・アメリカがアメリカ国内で消費される麻薬の最大の産地である現実は、アメリカに移民しその社会に順応し、存在感を高めつつあるヒスパニック系の内部に、分断と亀裂を産み出し始めてもいる。クルーズやルビオのようなヒスパニックの血統の大統領候補の方が、その意味では対移民強硬姿勢は主張し易くもなるだろう。既に市民権を持つヒスパニック系アメリカ人の中には、新規の、不法移民として入って来る人たちと自分達は違う、一緒にされたくない、新移民や麻薬犯罪のせいで今確保出来ている自分達の立場を危うくしたくないと思う者も、当然ながら少なくないのだ。 浮動票の草の根保守化の一方で、「極左」サンダースの躍進 この大統領選挙の意外な流れを、我々はどう捉えるべきなのだろう?トランプの移民排斥や暴言へのにわか支持が掘り起こしたとも言える頑迷な保守層が既存のティーパーティーを支持基盤とするクルーズへの支持に取り込まれつつあるのが、アイオワ予備選挙で見えて来た共和党側の流れだろう。こうした極右の伸張を「極右ポピュリズム」と断ずるのは簡単だし、ヨーロッパが直面する難民危機やパリの同時多発テロ事件を受けたフランスの国民戦線やドイツのペギーダの隆盛と同じ文脈で論ずることも、決して間違ってはいない。 だがアメリカがヨーロッパと大きく異なるのは、トランプ旋風やクルーズの躍進の一方で、いわば極左と目されるバーニー・サンダースもまた勢いを持ちつつあることだ。極右と極左で主張はまったくの真逆に見えるが、あえていわば「異端」候補の躍進をひとつの事象として総合的に捉えるならば、どちらの側もこれまでアメリカの大統領選挙で争点になるとは思えなかった、ワシントンDCの「常識」からすればあり得ない主張を展開しているだけでなく、その支持層にも実は共通するものがある。 そんな馬鹿な、と思われるかも知れない。トランプの集会に押し掛けて歓声をあげる群衆やティーパーティーの中心は低学歴の(教育のない)プア・ホワイト、言わば「田舎者」で、年齢層は中年かそれ以上であるのに対し、サンダース支持層には大学生か大学を出たばかりも多く教育水準が高い、インターネットやSNSを使いこなす若年層が多いとされ、45歳で区切った世論調査では、民主党支持層のなかでヒラリー・クリントンに大きな差をつけている。最初の予備選挙となったアイオワ州や次のニューハンプシャーでサンダースが強さを見せているのは、これらの州には大きな大学もあって、その学生の支持も大きい。 前者はアメリカ国内の辺境に引きこもって乱暴で教養がなく、労働者階級や小規模事業者が排外主義に洗脳されていて、後者は…と、いくらでも正反対の部分は指摘できる。だがそうした表面的な違いの奥底では、どちらの支持基盤も、アメリカの経済産業構造のなかで進行する中間層の破壊の結果をもっとも直接的に受けている人たちだ。 オバマ政権でアメリカ経済は復調したように見えるが イラク戦争の失敗と泥沼化、そしてリーマン・ショックでジョージ・W・ブッシュ政権が失墜し、アメリカの復活への期待を託されたオバマは、この7年間でガタガタだったアメリカ経済を確かに再生させたが、その方向性は彼が大統領選挙で呼びかけた「チェンジ」とは必ずしも一致しない。具体的な公約としては最大の目玉だった医療の国民皆保険制度で多くの妥協を強いられ中途半端な成果しか挙げられなかったのも象徴的だが、リーマン・ショックの教訓に学んだ金融業界の規制でも、多くの一般国民から見ればウォール街に押し切られたような結論しか出せていない。 実はブッシュ政権時に既に始まっていたことではあるが、オバマの7年間のあいだに、例えば大資本の大規模チェーン店はどんどん市場規模を拡大させ、かつてのアメリカの消費生活を草の根、底辺から支えて来た小規模自営業は、大都市でも、地方でも、多くが倒産を余儀なくされて来ている。 […]

フランス保守派から左派までがイスラム国・空爆に反対する3つの理由

2014年10月20日 Henri Kenji OIKAWA 1

オランド政権がイラク&シリア領土内のイスラム国・空爆に荷担したことについて、首相経験者や政党党首、国民議会議員(下院議員)、欧州議会議員などから反対の声が続続と上がっている。理由は大別して3つある。 (1)軍事介入によってフランスを狙ったテロの危険性が増す ドミニク=ドヴィルパン元首相は9月29日にRTL(フランス国営ラジオ)の番組に出演して、 「空爆にフランスが参加することでわたしたちはますます危険にさらされることになる。これは明白な事実だ。空爆によって世界各地に散らばるテロリストをわが国に呼び込むことになる」 と警告した。 反テロ行政の長を1980年代に務めた最大野党・UMP(民衆運動連合)のアラン=マルソー国民議会議員も「今回の軍事介入はフランスを危険にさらすことになる」と指摘している。マルソー議員は9月23日にRTLの番組に出演して、イスラム国に対する米仏を初めとする連合について「ひじょうにもろいものだ」と指摘し、「(空爆に参加した)フランスはアメリカと違って海外にいる自国民を護る能力を欠いている。イスラム国支配地域では、3~4機のラファル戦闘機しか飛ばせていない。わたしたちはイスラム聖戦士たち(jihadistes)の標的・敵になる恐れがある」と警鐘を鳴らした。 (2)空爆は問題を解決しない ドミニク=ドヴィルパン元首相はさらに「軍事介入はテロリズムを育成・醸成する」と指摘した上で、「この種の空爆や軍事介入によって、テロリスト集団の除去という私たちが期待する結果はもたらされないと、我々は過去の経験から知っている。50-60年の経験から、いやここ10年の経験だけでも、軍事介入はテロを根絶するのでなく、テロの土壌をつくってしまうのは明らかだ」と付け加えた。 左翼党・党首にして2012年大統領候補だったジャンリュック=メランション欧州議会議員は9月26日に仏国営放送「France2」の番組に出て 「以前よりもはるかにひどいカオス・混沌が軍事介入によってもたらされることを世界の人々はまず知るべきだ」「誰がイスラム聖戦士を財政的支えているのか……ということにもっと関心を向けるべきだ。それはサウジアラビアやカタールの君主・国家元首たちだ」 と論じた。 (3)フランスはNATOの枠組み内で行動すべきだ 左翼党のフランソワ=アザンジ国民議会議員(下院議員)は9月24日に議会で 「イスラム聖戦士に抵抗する人たちを、政治的・人道的・財政的に支援するような形で、軍事支援するためには、アメリカによる軍事連合ではなくNATO(北大西洋条約機構)の監督下で、軍事介入が行われる必要がある」 と述べ、米国中心の枠組みでの軍事介入を批判した。 また、フランス共産党のピエール=ローラン上院議員は 「フランスの自由と独立を担保するためには、NATOと連携することが必要だ」「NATOに率いられた介入のみがフランス軍を派遣することを正当化できる唯一の方法だ」 と、主張した。 ※映像は仏国営放送「France2」にドヴィルパン元首相が出たときの映像です。 France10は皆様の御寄付によって支えられています。

仏外交の大家ドヴィルパン元首相が「シリア」「イラク」領土内でのイスラム国への空爆を改めて非難

2014年10月9日 Henri Kenji OIKAWA 0

イラク戦争開戦の前にフランス共和国・外務相として国連安全保障理事会を舞台に反戦の論陣を張って世界各国から拍手喝采を浴びたドミニク=ドヴィルパン元首相が9月29日に仏国営ラジオ局「RTL」の番組に出演して、フランスやアメリカなどによるイラク&シリア領土内におけるイスラム国への空爆を改めて非難した。 ドヴィルパン元外務相は 「それまでの戦争の誤りを何とか取り繕おうとして、その都度、新たなる戦争を我々は始めている。イスラム国とは欧米が産み出した鬼っ子だということを記憶にとどめる必要がある。イスラム国はイラク戦争(2003年)の帰結として誕生したのだ」 と論評した。そして、外交の専門家としての見地から、 「軍事的介入は我々が期待するような結果には決してならず、むしろ、テロを拡散することになる」 と述べた上で、サウジアラビやヨルダン、バーレーン、アラブ首長国連邦、カタールといった湾岸諸国がイスラム国への攻撃に参加していることについて、 「アメリカによって徴収されたに過ぎない」と断じ、 「効果的な措置を講じるには、スンニー派による国が前面に立ち、中東諸国が自身の手で軍事的措置を含む諸策を採る必要がある」 との見解を示し、フランスを含む欧米諸国が前面に出ることを厳しく戒めた。 France10は皆様の御寄付によって支えられています。

イラク戦争反対の闘士・ドヴィルパン元首相がイスラム国との戦争を非難「火に油を注ぐだけ」「合理性を欠く」

2014年9月14日 Henri Kenji OIKAWA 0

米国オバマ大統領によるイスラム国の空爆を支持したフランソワ=オランド仏大統領に、ドミニク=ドヴィルパン元首相&元外務相が反対の声をあげた。ドヴィルパン元首相はジャック=シラク大統領(1995年-2007年)の秘蔵っ子として同政権で外務相、内務相、首相を歴任し、イラク戦争開戦前の2003年2月14日に、国連安保理で仏外務相としてイラク戦争に反対する歴史的名演説を行ったことで知られている。 ドヴィルパン氏は9月12日に仏テレビ局「BFM」のインタビューに応え、イスラム国を攻撃する国際的な連合が形成されることを次のように非難した。 「オバマ大統領は同盟国や中東諸国などとイスラム国に対する国際的な包囲網をつくり、第三次イラク戦争を始めようとしているが、この判断は合理性を欠いていて、危険きわまりない」「中東諸国はアフガニスタンの教訓から学ぶべきだ。2001年にはテロリズムの中心拠点は(アフガニスタン)一つしかなかった。現在はどうか。イラク、アフガニスタン、マリ、リビア、シリアなど約15もある。これは何を意味するのかといえば、私たちがテロの中心拠点を増産させてしまった。一貫性のない傲慢な中東政策ゆえに生まれた怪物がイスラム国だ。」 そして、「現在、この地域において戦争に突き進むことは、我々に対抗する連合が形成されるリスクを孕んでいる」と述べた上で、”第三次イラク戦争”について「アイデンティティ・クライシスだ」「火に油を注ぐことになる。戦争をするたびに、我々の無能を補うために、また別の戦争をする羽目になる。火を見るより明らかではないか」と警鐘した。 France10は皆様の御寄付によって支えられています。

8月15日 DVDリリース オバマが涙した「大統領の執事の涙」映画評 by 吉田衣里「げんこつ団」団長

2014年8月1日 Henri Kenji OIKAWA 0

この邦題の「涙」がいけない。 この「涙」のおかげで、どんな”感動”や”賛美”等が仕掛けられているのかと身構えてしまった。 原題には、「涙」無し。実際は、事実を元に真面目にしっかりと作り上げられた歴史ものだった。 観賞後にはこの邦題の「涙」が、例えばどんなニュースでも安易に安いメロドラマにしてしまう感覚をとても良く表していることに、笑った。これがあった方が観たいと思う人が増えると思った、その感覚が分かり易過ぎて笑った。しかもそれがバレバレで、「”涙”、ない方がいい。」と思う人が実際には多いだろうことにも笑った。 社会の歴史に編み込まれた家族の歴史として完璧な出来 さて「大統領の執事(の涙)」。アイゼンハワーからレーガンまでの7人の大統領に仕えた黒人の執事、ユージン=アレンという実在の人物の人生を発想の元にして、実際の時代背景や史実に則って作られている。黒人を人と思わぬ時代から、公民権を得るも黒人に対する根強い差別が残る時代、それを覆しやがて黒人の大統領を産むまでになった、アメリカの歴史。その激動の時代に大統領の執事となり、その仕事を続けた男の家族の物語が、編み込まれている。実際の歴史、事件、風潮に、執事の人生や息子の人生、そのそれぞれ思いや信念が、編み込まれる。その編み込まれ方が、完璧だった。 自分を殺し白人社会に入り込むしか生きる術がなかった父、黒人としてのプライドを強く持ちそれに疑問を抱く息子。そのどちらも理解し支えようとしつつ一時は酒に溺れてしまう母と、ベトナム戦争で命を落とす弟。こう箇条書きにしてしまうと、この時代の黒人家族の縮図としてそれぞれがとても分かりやすいパズルのピースで構成されているのが分かる。しかし背景にあるのは歴史的事実でありその縮図には当然強い説得力がある。またその描かれ方も物語も構成も、見事にそれぞれの人生を表している。可能な限りそれらを余す事なく詰め込みつつ、どの立場にも寄る事なくそれを真摯に丁寧に描く。社会の歴史に編み込まれた家族の歴史として、それは完璧だった。 物語も構成も完璧すぎるけど…… 差別問題。私事で恐縮だがそれは個人的にとても敏感になってしまう問題であり、ちょっとでも偏った表現や描写があったら激怒してしまいそうで嫌だった。逆に心の底にある感情を鷲掴みにされる台詞の一つでもあったら号泣してしまいそうで嫌だった。しかしそれはどちらもなかった。もちろん激怒したかったわけではないし、号泣を期待していたわけでもなかったが、そのどちらもないとなると、勝手に拍子抜けしてしまう。何かが物足りない。 素晴らしい映画だったし感動もした。もう一度観たいとも思った。しかし物語も構成も完璧すぎて「お見事」という感想が先に立ってしまった。例えば、何かに偏った視点、何かに主観的になった描写、何か一部だけを殊更強調する部分があった方が、簡単に感動を引き起こせるだろう。それは、デッサンの一部がちょっと狂った、もしくは意図的にデフォルメされた絵画の方が人の心を揺さぶるのと同じだろう。ただ、この映画でそれは不必要なはずだ。これに関して言えばそれは結局、「大統領の執事の涙」の、「涙」の部分だろう。そういうものは、要らない。つまりそういうものが足りなかったわけではない。もしあったらもっと拍子抜けだ。邦題に拍手だ。 「涙」無しに泣ける涙。それはとても、価値が高く重要 これはあくまでも私の個人的な感想だが、黒人大統領が誕生してやっと初めて一旦めでたしめでたしとなるこの物語、しかしそこで”めでたし”としてしまった所に、釈然としていないのかもしれない。いや別に大々的にハッピーエンドにはしていないし、史実としてそれはこの家族には丁度そこに描かれたくらいのハッピーエンドなのだという事はとてもよく分かる。アメリカの黒人問題を題材にしている以上、これで良いのだ。ただ勝手な思いとしては、国内外関わらず差別や蔑視というものに関して今後にも残る課題を、或いはもっと深く、どの人間の中にも不変的に存在するものとして、何か一つ、心に斬りつけ刻むもの、私にはそれが、欲しかったのかもしれない。それは「涙」ではないが、世界の多くの人が心を揺さぶられるものだろう。 ただ、当事者として直接的に黒人問題と対峙していない自分があれこれ言うべきでも考えるべきでもないと言えばその通り。 これは、アメリカの映画だ。全米が泣けば、それでいい。 イメージとして、メジャーなアメリカ映画には感動や賛美等の「涙」要素が必要不可欠と思っていたが今はそうではないのかもしれない。 それでも全米が泣くなら、その方がいい。それなら私も、共に泣きたい。 「涙」無しに泣ける涙。それはとても、価値が高く、重要に思う。 歴史と家族を完璧に編み込んだ物語の重要な結び目 …以下、少々ネタバレになりますので読みたくない方は読まないで下さい。 縁を切っていた息子の活動に初めて顔を出した父。その父に対する息子の台詞が「仕事を失うよ?」。そして、それに応えての父の台詞が、「お前を失った」。これが、歴史と家族を完璧に編み込んだ物語の、重要な結び目となっていた。またもや勝手なイメージながら、アメリカ人にはこれがズドンと来るのであろう。もし泣くならここが泣くポイント。どんな人生においても不変的に重要な、家族愛。それはどんな人間にも不変的なはずなのに、私には何故これがズドンと来なかったのか。 乱暴に言うと、日本において家族は失われるものではない感覚があるのかもしれない。いや実際には完全な勘当はあるし失う時には簡単に失われる。ただ、個人主義的価値観の中のそれとは、やはり重さや意味合いが違うのかもしれない。仕事も家族も、失うとなったら、完全に失う。そのシビアさの感覚に、違いがあるのかもしれない。そこのところを、ちょっと考えてみたくなった。