みんなびっくり「成果なし」!? ハノイ米朝首脳会談は本当に「決裂」したのか? by 藤原敏史・監督
率直に言えば、トランプと金正恩が「物別れ」に終わった(かのように見えた?)時、筆者にはむしろ、とたんに広がった「驚き」「意外」の方こそが意外だった。こと日本のメディアはこぞってトランプの「前のめり」を危惧して「金正恩に騙されそうで心配」だとか、昨年6月のシンガポール会談以降目立った「成果」がなかったことから、このハノイ会談そのものに懐疑的なのが主たる論調だったではないか? そもそもアメリカと北朝鮮が折り合えるわけがない、と決め込んでいたはずの人々が、なぜ予想通り、ないし期待通りと思わないのだろう? 喜んでいたっておかしくないではないか。 このように米朝を対立の構図で考える前提自体が見立て違いなのではないか、と指摘し続けて来たのが本サイトの一連の記事だ。ドナルド・トランプと金正恩は利害が一致していると考えた方が、昨年の新年の北朝鮮の平昌オリンピック参加表明以降、いやその前年の夏頃からの動きには、よほど合理的な説明がつく。昨年の第一回会談までの展開も、報道の多くが「意外」と言い続けたのに対し、本サイトでは想定外はなにもないと分析し、予測もほとんど的中させて来た。 金正恩にとって核武装はそれ自体が目的ではない。核とミサイルの開発は、代替わりして以降父や祖父の時代と大きく異なる政治外交を目指していても偏見で見られるだけだった国際的な立場をひっくり返す切り札と、せいぜいがアメリカの巨大核武装に標的にされ続けていること(いつでも完全な絶滅攻撃が可能)に対するせめてもの抑止力、としか考えておらず、旧世代の政治家にありがちな「世界最強の兵器」を持つことへ幻想や執着も、まったくない。 むしろ核開発も核武装の維持も、膨大な国費がかかる。その金はできることなら国内の経済発展に向けたいのが金正恩の考える現実だろう。それに韓国との国力の差もあまりに開き過ぎていて、今さら武力で祖国統一などあり得ないことも分かり切っている。金正恩にそんな大それた「野望」はないし、そもそもそんなことを考えられる立場ではないことも、少年時代はスイスの留学先で育ち国際社会の現実も理解しているのだから当然分かっているし、その行動は偏見を排除して客観的に見れば、常にそうした理解を踏まえていて、合理的であり、紆余曲折はあっても結局は、自分が北朝鮮にとってもっとも必要と考えることをかなりの部分実現させて来ている。 イデオロギーや軍事力信仰よりプラグマティズムで一致する米朝両首脳 一方のドナルド・トランプは、選挙期間中から「外国を守るためにアメリカ人の税金は使わないしアメリカの若者も犠牲にしない」と公約していた。政治的には極右ポピュリズムを支持基盤としていることの問題は多く毀誉褒貶が激しい一方で、ビジネスマンとして徹底した合理主義の面があるのも確かだ。 そのトランプから見れば、そもそも北朝鮮が本気でアメリカにイデオロギーに基づく根源的な敵意を抱いているという従来の「政治常識」は荒唐無稽としか思えないだろうし、実際に荒唐無稽でもある。北朝鮮にそんな国力があろうはずもなく、朝鮮戦争が法的に「休戦状態」のまま、朝鮮国連軍の名目で膨大な軍事力を西太平洋・東アジアに展開し続けていることも無駄としか思えないし、北朝鮮の国内体制についてのイデオロギー的な興味もない(逆に言えば、トランプはアメリカの体現するイデオロギーの「正義」も信じているわけではない)。 しかも北朝鮮には、レアメタルを含めたかなりの埋蔵資源があり、中国が世界経済の大きな中心になっている現在では、地政学的に極めて有望な条件が揃っている、アメリカの資本にとってもアジア地域最後の投資先フロンティアでもあるのだ。 つまり米朝の「戦争状態」を終わらせ新たな米朝関係を作ることと、北朝鮮の国際社会への復帰は、共に既存の東アジア国際政治の(未だ時代錯誤に冷戦構造を引きずった)構図を「今さら馬鹿馬鹿しい、邪魔」と言う考えで一致している二人の首脳にとって、プラグマティックな共通目標になっている。しかも「平和の構築」は、どちらにとっても自分たちの悪いイメージを払拭し支配を正当化できる点でも、利害は一致して来たのだ。 言い換えれば、昨年6月のシンガポールでも今回のハノイでも、米朝首脳会談で対立図式にあるのは二人の首脳ではない。東アジアの冷戦構造の最終的解消とそのための朝鮮半島の非核化を目指しているのがトランプ、金正恩双方であり、双方の率いる国にもその周辺国にも、この二人の結託した東アジア安全保障の大パラダイム転換を妨害したい意思がそこらじゅうにあって、米朝の首脳がそんな抵抗をどう乗り越えて行けるのか、が真の図式なのだ。 抵抗勢力は双方の国内にも当然いるわけで、だからこそ前回も今回も、米朝首脳会談は「トップダウン」方式(通常の、事務方が合意内容を積み上げて事前にお膳立てを揃える外交交渉の定例とは真逆)と論評されて来た。トップがどこまでやる気満々でも、いわば「ボトム」の方ではトップの発想が従来のパラダイムからすれば突飛過ぎて、なかなかついていけないのが、双方の実情ですらある。北朝鮮側では、対米実務を担当する崔善姫財務次官が事務レベル交渉での強気の主張を繰り返し、米朝会談が破談になりかけて、金正恩自身がトランプ宛の親書でその主張を否定して事態を丸く収めたこともあったし、アメリカ側ではホワイトハウスの中でさえペンス副大統領が反対派、トランプはそれでも対北和解交渉を強行するために、国務長官をビジネス界出身のティラーソンから現職のポンペオ前CIA長官に交代させた。米韓合同演習の重要性を訴えるマティス国防長官も政権を離れている。 ことトランプにとっては、そうした国内の反対をどう説得するか、あるいは騙くらかすか、黙らせる必要が大きい。いやむしろ、そこにこそトランプにとっての内政的なうまみがあるとすらいえ、前任のオバマ政権が表向きは平和主義や国際協調を掲げながら何もせず、結果として核とミサイルの危機を生んでしまった現実を事あるごとにあげつらい、非難もして来た。 今回の会談の前には「私が大統領になっていなければ、今頃は北朝鮮と戦争になっていた」とまで主張していたし、会談後の記者会見ではただオバマを批判するだけでなく、これまでのあらゆる政権が誤っていたのだとさえ言ってのけた。既存のエリートそうによるエスタブリッシュメント政治の否定こそが、この大統領のポピュリズム的手法の根幹にある、その流れにある発言でもある。 そもそもハノイ会談でどんな「成果」があり得たのだろうか? しかしトランプと金正恩の二人自身は利害が基本的に一致しているからこそ、逆に今回の会談がアナウンスされて以来「しかしどんな合意が可能なのだろう?」「どんな成果を出せるのだろう?」と言うのが、筆者の当初からの率直な疑問だった。 形だけの「成功」ならいくらでも共同宣言なり合意文書なりの文言を工夫はできるだろうが、中身のある成果となると可能なものがほとんど見当たらないのだ。 トランプが中間選挙の厳しい結果と、その結果のねじれ議会で連邦政府の一部閉鎖に追い込まれて熱烈支持層以外からの支持を失い、ロシア疑惑などのスキャンダルでも追い詰められている今、この2回目の米朝首脳会談の「成果」は起死回生のカードになり得ると言う観測はもちろんあったが、だからと言ってトランプの気分だけで左右できる話ではない。 金正恩にとっても、建国以来の対米敵視から手のひらを返したような新たな外交方針は、内政的には両刃の剣でもある。祖父や父とは比べ物にならない強力な権力基盤(金日成も金正日もある意味、労働党独裁体制構造の上に乗っかったお飾りのリーダーでしかなかった)を構築して来たこの金「王朝」世襲三代目と言えども、一歩間違えれば労働党内部や軍から「アメリカ帝国主義に屈した」と言う国家存立イデオロギーそのものに基づく大義名分で突き上げられ、最悪クーデタを起こされるリスクすらある。つまり金正恩の側でも、「成果」は出し続けなければならないのだ。 それでも、双方が建前だけでなく実は本音でも合意している「朝鮮半島の非核化」は、この二人だけでは進めようがないどころか、そもそも米朝だけでは決められないものなのだ。最低限でも朝鮮戦争を最終的に、法的・形式的にも終了させることなしに「非核化」はあり得ないのだが、これには参戦国だった中国の参加が必要になる。 最重要課題は「朝鮮戦争の終結」、その鍵を握り状況を支配する中国・習近平 昨年6月のシンガポール会談でも、文在寅韓国大統領と習近平中国主席がサプライズで合流すると言う観測がギリギリまで飛び交い、文在寅は宿泊先まで抑えていたとも言うし、金正恩は米朝階段前に2度も中国を電撃訪問して、一昨年まではアメリカ相手以上に激しい罵倒合戦を繰り返して来た(「大きいだけののろまな近隣諸国」など)関係を修復して来た。金正恩には習近平の協力を取り付けた自信があったのだろうし、だからこそのシンガポール会談にもなった。 だが会談直前のギリギリのところで、トランプと金正恩、それに文在寅が期待していた通りにはならなかった。シンガポールで前日になっても事務レベルで様々なすったもんだが続いていたのは、アテにしていたはずの中国の協力という予測(というか期待)が外れて、慌てて形だけでもいいから合意をまとめ直さなければならなくなったから、と考えるのがもっとも合理的な説明だろう。そして現に米朝がここで交わした合意は、「形だけ」でしかなかった。 今回は開催地のハノイに、金正恩がなんと陸路・列車で向かうと報じられたのも、つまりは中国領内を通過することの意味が元々は大きかった。途中で北京に寄るか、天津あたりで習近平と会う、と言うことでもあれば、ハノイ会談には大きな、それも実質的な「成果」が期待できただろう。 […]